若國 一男(わかくに かずお、1927年〈昭和2年〉2月23… 若國 一男(わかくに かずお、1927年〈昭和2年〉2月23日 - 1989年〈昭和64年〉1月7日)は、伊勢ヶ濱部屋、荒磯部屋に所属した元力士。本名は佐藤 一男(さとう かずお)。現在の東京都昭島市出身。身長169cm、体重83kg。最高位は西十両11枚目。得意技は右四つ、寄り。 1942年(昭和17年)1月場所に初土俵。1950年(昭和25年)9月場所に若國の四股名で十両昇進。4場所務めたのち幕下に陥落。1954年1月場所に國若の四股名で十両に復帰し4場所務めた。1955年1月場所に再び幕下に陥落すると、一度も勝ち越せずに番付を下げていき、1956年(昭和31年)1月場所に28歳で廃業した。
大瀬川 半五郎(おおせがわ はんごろう、1927年2月1日 … 大瀬川 半五郎(おおせがわ はんごろう、1927年2月1日 - 没年不明)は、青森県弘前市出身で伊勢ヶ濱部屋(一時、荒磯部屋)に所属した大相撲力士。本名は石崎 賢四郎(いしざき けんしろう)。最高位は西前頭6枚目(1957年11月場所)。現役時代の体格は179cm、115kg。得意手は右四つ、寄り。 地元・弘前市の小学校を卒業後上京し、海運関係の企業に勤めていたが、とある人物から楯山親方(元関脇・幡瀬川)を紹介された事を切っ掛けに角界入りを決意。楯山が所属する伊勢ヶ濱部屋へ入門し、1942年5月場所で初土俵を踏んだ。 2年後、本名でもある「石崎」の四股名で序ノ口に付き、程なく故郷の地名(弘前市)と自身の前職(海運業)に因んだ「弘ノ海」へ四股名を改めた(その後、再び本名に戻している)。
7代 式守 錦之助(ななだい しきもり きんのすけ、1926… 7代 式守 錦之助(ななだい しきもり きんのすけ、1926年12月7日 - 1995年6月18日)は、大相撲の元三役格行司である。本名は浦本守。 1926年北海道旭川市に生まれる。父は旭川市会議員。幼い頃から相撲好きで、声に自信があったので当初は呼出になろうと思い、1941年7月旭川市での巡業がきっかけで浦風部屋に入門。しかし、人の勧めで間もなく行司へと転向する。師匠は5代式守勘太夫(6代鏡山勘太夫)。1943年1月式守守の名で初土俵、その後何度か改名している。1958年7月場所で十両格に昇格。1962年1月場所に7代式守錦之助を襲名。伊勢ヶ濱部屋に移籍し1974年1月場所で幕内格に昇格。1990年1月場所、63歳で三役格昇格。
赤城山 晃(あかぎやま あきら、1926年8月30日 - 1… 赤城山 晃(あかぎやま あきら、1926年8月30日 - 1990年4月2日)は、群馬県藤岡市出身で時津風部屋に所属した元大相撲力士。本名は松田 鍬次郎(まつだ くわじろう)。身長176cm、体重90kg。最高位は東十両10枚目。得意手は右四つ、下手投げ。 1942年5月場所に15歳で初土俵を踏む。1949年1月場所で十両に昇進。1951年1月場所では十両下位で、4勝11敗と大敗。幕下に陥落した1951年5月場所限り、24歳で廃業した。
大内山 平吉(おおうちやま へいきち、1926年6月19日 … 大内山 平吉(おおうちやま へいきち、1926年6月19日 - 1985年11月1日)は、茨城県那珂郡平磯町(現:ひたちなか市)出身で双葉山道場、時津風部屋に所属した大相撲力士。本名は大内 平吉(おおうち へいきち)。最高位は東大関。 1926年6月19日に茨城県那珂郡平磯町(現・茨城県ひたちなか市)で漁師を営む家に長男として生まれる。幼少時代から潜水が得意で、鮑や蛸を捕る腕はプロの潜水士にも劣らなかった。小学生の時は際立って大きくなく、平均よりやや高い程度の身長だったが、小学校を卒業してから船に乗って漁を手伝う内に急激に背が高くなった。1943年に家の漁船が大日本帝国海軍に徴用され、父と共に対潜哨戒部隊に配属されたが、海軍軍属の立場で食事に不自由しなかったことからさらに体格が大きくなり、周囲の軍人達の勧めと口利きで、1944年に双葉山相撲道場へ入門した。
泉州山 久義(せんしゅうざん ひさよし、1926年5月28日… 泉州山 久義(せんしゅうざん ひさよし、1926年5月28日 - 没年不明 )は、春日野部屋に所属した元力士。元年寄・14代千田川。本名は川崎 久義(かわさき ひさよし)。現在の大阪府貝塚市出身。身長176cm、体重81kg。最高位は西十両2枚目。得意技は突っ張り、左四つ。 浪速中学在学時に春日野の後援者に見出されて、中退し、1940年5月場所で初土俵を踏んだ。突っ張りを武器に順調に番付を上げ、1946年11月場所東幕下4枚目で5勝2敗で勝ち越し、翌場所の十両昇進を確実にした。しかし、場所後の四国巡業中に南海大地震に遭い、宿舎の2階から転落し肋骨を折る大怪我を負った。1947年6月場所で十両昇進。
秀湊 忠司(ひでみなと ただし、1926年5月5日 - 19… 秀湊 忠司(ひでみなと ただし、1926年5月5日 - 1995年6月4日)は、徳島県板野郡栄村(現役当時、現・同郡板野町)出身で出羽海部屋に所属した元大相撲力士。本名は平野 忠(ひらの ただし)。最高位は東前頭17枚目(1955年1月場所)。現役時代の体格は173cm、105kg。得意手は右四つ、下手投げ、下手捻り。 地元の公立農業学校(板西農蚕学校、現・徳島県立板野高等学校)を中退後、同じ徳島県出身の元小結・東雲衑藏の勧めにより、15歳の時に出羽海部屋へ入門。 1942年5月場所で初土俵を踏み、翌年1月、本名に因んだ「小平野」の四股名で序ノ口に付いた。 1945年6月より徴兵され、約5ヵ月後に戦場より帰還。
津軽冨士 節三(つがるふじ せつぞう、1926年4月28日 … 津軽冨士 節三(つがるふじ せつぞう、1926年4月28日 - 没年不明 )は、青森県青森市出身で高島部屋に所属した元大相撲力士。本名は島田 節三(しまだ せつぞう:旧姓工藤)。身長170cm、体重79kg。最高位は西十両13枚目。得意技は押し。 1942年1月場所に「野嵜川」の四股名で初土俵を踏む。1943年5月場所で「津軽冨士」に改名した。1948年5月場所に新十両。この場所は3勝8敗の成績に終わった。その後十両返り咲きを目指したがそれもかなわず、幕下で2年取った後1950年9月場所廃業した。 廃業後は料理の道に進み、三菱電機のコックを勤めながら勉学に励み、大阪経済大学に入り、1962年に卒業した。
神雷 龍之助(じんらい りゅうのすけ、1926年3月27日 … 神雷 龍之助(じんらい りゅうのすけ、1926年3月27日 - 1984年11月6日)は、伊勢ヶ濱部屋、荒磯部屋に所属した元大相撲力士。本名は海津 正道(かいづ まさみち)。現在の茨城県神栖市出身。168cm、109kg。最高位は西十両12枚目。得意技は右四つ、寄り。 1941年5月場所に初土俵。1953年1月場所に十両昇進。十両は計13場所務め、十両下位で2場所連続で4勝11敗と大敗した1956年9月場所限りで廃業した。廃業後は滋賀県大津市で相撲料理店「ちゃんこ神雷」を経営した。
白龍山 慶祐(はくりゅうやま よしひろ、1926年3月10日… 白龍山 慶祐(はくりゅうやま よしひろ、1926年3月10日 - 1968年8月25日)は、秋田県雄勝郡雄勝町(※現役当時、現・同県湯沢市)出身で荒磯部屋(入門時は伊勢ヶ濱部屋)に所属した大相撲力士。本名は金子 寅男(かねこ とらお)。最高位は西前頭12枚目(1956年3月場所)。現役時代の体格は176cm、109kg。得意手は右四つ、寄り、内無双。 14歳の時に上京し、同郷の元関脇・清瀬川が率いる伊勢ヶ濱部屋(後、荒磯部屋に改称)へ入門。1941年1月場所で初土俵を踏んだ。 「両邦山」の名で番付に載るまでに2年かかるなど当初は苦戦したが、その後は順調に番付を上げ、1947年11月場所で新十両に昇進。
星甲 良夫(ほしかぶと よしお、1926年2月5日 - 20… 星甲 良夫(ほしかぶと よしお、1926年2月5日 - 2000年12月5日)は、千葉県東葛飾郡浦安町(現・浦安市当代島)出身で、井筒部屋(一時期、双葉山道場預かり)に所属した元大相撲力士。本名は、小川 良夫(おがわ よしお)。現役時代の体格は171cm、107kg。最高位は西前頭4枚目(1957年5月場所)。得意手は右四つ、突っ張り、寄り、叩き、蹴手繰り。 体が小さく、身長も体重も足らずなかなか新弟子検査に合格できなかったが、1942年(昭和17年)5月場所で初土俵を踏んだ。そのため出世もゆっくりで、1955年(昭和30年)5月場所に於いて新入幕を果たした時には、既に29歳となっていた。 幕内では地味ではあったが、当時の幕内力士では随一の稽古で鍛えたためか、「努力の人」と讃えられた。
筑後山 一政(ちくごやま かずまさ、1926年1月8日 - … 筑後山 一政(ちくごやま かずまさ、1926年1月8日 - 1978年3月12日)は、福岡県柳川市(旧福岡県山門郡)出身で立浪部屋に所属した元大相撲力士。本名は石橋 一政(いしばし かずまさ)。185cm、106kg。最高位は東十両2枚目。得意技は右四つ、寄り。 福岡県柳川市の中學伝習館(現在の福岡県立伝習館高等学校)から中央大学法学部に進み、卒業直前に召集、大きな体に合う軍服が無かったため、陸軍気象部に配属され終戦を迎えた。卒業後は農林省に入省。 官僚時代に横綱・羽黒山政司一行が巡業で柳川に来た際に勧誘されて立浪部屋に入門することになり、その翌年1948年5月場所に初土俵を踏む。1954年3月場所に十両に昇進。
鳴門海 一行(なるとうみ かずゆき、1926年1月1日 - … 鳴門海 一行(なるとうみ かずゆき、1926年1月1日 - 2010年6月19日)は、兵庫県三原郡北阿万村(現・同県南あわじ市)出身で春日野部屋に所属した大相撲力士。本名は武岡 一行(たけおか かずゆき)。最高位は西前頭筆頭。 1926年の元日、兵庫県三原郡で農業を営む家庭に生まれた。幼少期から身長が高く、地元で行われた相撲大会によく駆り出されて相撲を取らされていたが、運動神経が抜群に良かったために常勝だった。高等小学校を卒業後は、実兄が兵役を務めている間に人手不足を補うために農業を手伝っていた。その合間に出場していた相撲大会でも強みを増したため、見出した土地相撲の大関からの紹介で春日野部屋へ入門し、1942年5月場所に於いて初土俵を踏んだ。
10代 式守 与太夫(しきもり よだゆう、1925年12月4… 10代 式守 与太夫(しきもり よだゆう、1925年12月4日-1983年5月25日)は大相撲の元三役格行司。三役格としての在位期間は1977年11月〜1983年5月。立浪部屋所属。 長野県佐久市出身。本名は関口清三郎。 ヒゲの19代式守伊之助の弟子。27代木村庄之助は兄弟子、31代木村庄之助は弟弟子にあたる。1936年小学5年生の時に行司見習いとして春日山部屋に入門。 1937年夏場所に式守政吉の名で初土俵。のち政臣と改名し、1952年1月に十両格昇格、式守清三郎と改名。1958年7月に幕内格昇格。1969年3月に10代式守与太夫襲名。1974年1月に行司抜擢制度にて、序列1つ上の木村筆之助と序列が入れ替わり幕内格筆頭に昇進したが、同時に与太夫をも抜いて先に三役格に昇格したのは、与太夫より序列が2つ下だった8代式守錦太夫である。
大ノ浦 一廣(おおのうら かずひろ、1925年10月21日 … 大ノ浦 一廣(おおのうら かずひろ、1925年10月21日 - 1987年3月26日)は、秋田県能代市出身で花籠部屋(入門時は二所ノ関部屋)に所属した大相撲力士。1950年代から1960年代にかけ、十両・幕内力士として活躍した。本名は水木 一廣(みずき かずひろ)。現役時代の体格は171cm、99kg。最高位は西前頭16枚目(1957年9月場所)。得意手は左四つ、投げ、二枚蹴り、足癖など。 若い頃から地元の素人相撲で活躍していたが、1947年秋に上京し、二所ノ関部屋へ入門。同年11月場所で初土俵を踏んだ。 同場所では番付外で全勝し、途中からは新序に昇格して相撲を取った。そこでも勝ち越したので、翌年5月場所の番付では序ノ口を飛び越して、序二段の地位に四股名が載った。
豊光 重信(とよひかり しげのぶ、1925年9月28日 - … 豊光 重信(とよひかり しげのぶ、1925年9月28日 - 1962年8月6日)は、立浪部屋、時津風部屋(当初は双葉山相撲道場)に所属した元大相撲力士。元若者頭。本名は和間 重信(わま しげのぶ)(旧姓清水)。現在の大分県中津市出身。183cm、84kg。最高位は東十両18枚目。得意技は右四つ、上手投げ。 1941年1月場所に初土俵。1954年3月場所に十両昇進。しかし、連続負け越しで幕下陥落。1957年1月場所に引退し、若者頭に転じた。
神錦 國康(かみにしき くにやす、1925年8月28日 - … 神錦 國康(かみにしき くにやす、1925年8月28日 - 2005年10月22日)は、青森県東津軽郡奥内村(現役当時、現在の同県青森市清水)出身で高嶋部屋に所属した大相撲力士。本名は山口 健二郎(やまぐち けんじろう)。得意手は右四つ、外掛け、吊り。最高位は西前頭5枚目(1953年5月場所)。現役時代の体格は180cm、96kg。 15歳の時上京し、同郷の元前頭4枚目・八甲山が率いる高嶋部屋へ入門。1941年5月場所で初土俵を踏んだ。当初の四股名は、「眺望山」。 その後、1948年5月場所で新十両に昇進し、翌年1月場所にて新入幕を果たした。この時の四股名は、本名と同一の「山口」であったが、1950年5月場所より「神錦」に改名。
清水川 明於(しみずがわ あきお、1925年8月13日 - … 清水川 明於(しみずがわ あきお、1925年8月13日 - 1979年2月5日)は、兵庫県明石市出身で追手風部屋に所属した大相撲力士。本名は鉾浦 光男(ほこうら みつお)。最高位は東小結(1951年1月場所、1953年5月場所、1958年1月場所)。引退後は、年寄・間垣として日本相撲協会に残った。身長176cm、体重115kg。得意手は左四つ、上手投げ。 14歳の時に角界入りし、1940年5月場所に於いて、元大関・清水川元吉が率いた追手風部屋から初土俵を踏んだ。幕下時代に兵役に服したが帰還後1947年6月場所で十両昇進、僅か1場所で十両を通過して1947年11月場所で新入幕を果たした。1950年9月場所では優勝した横綱・照國から金星を奪い、翌1951年1月場所では小結に昇進した。
大昇 充宏(おおのぼり みつひろ、1925年8月1日 - 2… 大昇 充宏(おおのぼり みつひろ、1925年8月1日 - 2009年3月1日)は、長野県北佐久郡軽井沢町出身で春日山部屋(一時立浪部屋)に所属した大相撲力士。本名は石田 勇。最高位は西前頭筆頭(1955年3月場所)。現役時代の体格は身長185cm、体重116kg。得意手は左四つ、寄り、外掛け。引退後は春日山部屋を経営して、後進の指導に尽くした。 1941年1月場所、春日山部屋から初土俵を踏む。藤川の四股名で昇進していったが、親方(元関脇・藤ノ川)が1946年限りで部屋を閉じ、幕下だった彼は立浪部屋に預けられることになった。1949年1月場所、信州の四股名で十両昇進、すぐに大昇と改め、1951年1月場所に新入幕を果たした。
阿部 脩(あべ おさむ、1925年〈大正14年〉5月6日 -… 阿部 脩(あべ おさむ、1925年〈大正14年〉5月6日 - 没年不明)は、日本のプロレスラー、レフェリー、俳優、大相撲力士。 北海道旭川市出身。角界入りし、高砂部屋から大成山(おおなりやま)の四股名で1941年1月場所初土俵。1946年11月場所を最後に廃業。プロレスに転身して力道山率いる日本プロレスの初期メンバーとしてキャリアをスタートさせる。身長175cm、体重103kgという当時としては恵まれた体格を活かし、パワー溢れるレスラーとして活躍。その後、東京プロレスを経て国際プロレスへ移籍した。 プロレスラー引退後は国際プロレスのレフェリーに転向する。髭を蓄えており、ホイッスルを吹く独特で特徴のあるスタイルから「髭のレフェリー」「髭の阿部」の愛称で親しまれた。
國登 國生(くにのぼり くにお、1925年(大正14年)4月… 國登 國生(くにのぼり くにお、1925年(大正14年)4月18日 - 1995年(平成7年)10月3日)は、東京府北豊島郡板橋町(出生当時、現在の東京都板橋区)出身で高砂部屋に所属した大相撲力士。本名は藤 國松(ふじ くにまつ、旧姓は小川(おがわ))。身長174 cm、体重126 kg。得意手は右四つ、寄り。最高位は東小結(1954年1月場所・1954年5月場所)。 甥は、お笑いタレントのグレート義太夫。 小学校を卒業後、鉄工所に勤務する。体の大きさと力強さから周囲に力士になることを勧められた。1939年(昭和14年)1月15日、職場の休みを利用して両国の相撲部屋に入門しようとして出羽海部屋を訪ねて行った。
時津山 仁一(ときつやま じんいち、1925年4月13日 -… 時津山 仁一(ときつやま じんいち、1925年4月13日 - 1968年11月21日)は、福島県石城郡(現:福島県いわき市、出生地は東京府荏原郡(現:東京都品川区))出身で立浪部屋に所属した大相撲力士。本名は藁谷 純一(わらがい じゅんいち)。最高位は東関脇。 1925年4月13日、東京府荏原郡(現:東京都品川区)で生まれる。子供の時に両親が離婚、父親とは死別したために孤児として育ち、親戚に引き取られて全国を転々とした。岩手県花巻で床屋を営む家に嫁いだ叔母に引き取られた際は床屋職人として厳しく指導されたが、当時は小学生で遊びたい時期だったことから逃げ出しては強引に連れ戻され、性格が内気で暗くなっていった。
信夫山 治貞(しのぶやま はるさだ、1925年3月21日 -… 信夫山 治貞(しのぶやま はるさだ、1925年3月21日 - 1977年9月2日)は、福島県伊達郡保原町(現在の伊達市)出身で小野川部屋に所属した大相撲力士。本名は本間 栄(ほんま さかえ)。最高位は東関脇(1958年9月場所、同年11月場所)。現役時代の体格は177cm、109kg。得意手はもろ差し、寄り。 上京して小野川部屋へ入門し、1940年5月場所において、15歳で初土俵を踏んだ。当初の四股名は、本名と同じ本間。1944年、幕下入りを目前にしたところで召集され、朝鮮半島北部で敗戦を迎えた。ソ連の収容所に送られたが脱走し、偽名を使ってソウルまで逃れ、なんとか引揚船で博多港へと帰り着いた。 1946年11月場所、吾妻山の四股名(四股名はいったん本名でもある本間に戻した後、1949年10月場所で信夫山と改名した)で大相撲に復帰し、翌年11月場所で十両に昇進。
栃錦 清隆(とちにしき きよたか、1925年2月20日 - … 栃錦 清隆(とちにしき きよたか、1925年2月20日 - 1990年1月10日)は、東京府南葛飾郡小岩村下小岩(現・東京都江戸川区南小岩)出身で春日野部屋に所属した大相撲力士。第44代横綱。本名は大塚 清(おおつか きよし)で、のちに栃木山守也の養子となって中田 清(なかた きよし)となる。 1925年に、小岩村(現・江戸川区南小岩)で蛇の目傘の製造を営む家の二男として生まれる。少年時代から運動神経は抜群で、並外れた体力と恵まれた体格を見た近所の八百屋の勧めもあって、下小岩尋常小学校(現・江戸川区立下小岩小学校)卒業後、13歳で春日野部屋の門を叩き、1939年1月場所で初土俵を踏む。十両昇進を機に名乗った四股名の「栃錦」は、春日野の現役名である栃木山守也と、その兄弟弟子だった大錦卯一郎から付けたものであり、当時の期待ぶりが窺える。
2代 式守 伊三郎(しきもり いさぶろう、1925年2月13… 2代 式守 伊三郎(しきもり いさぶろう、1925年2月13日 - 1987年10月15日)は大相撲の元三役格行司。三役格としての在位期間は1963年11月~1987年9月。荒汐部屋→双葉山道場→時津風部屋所属。北海道白糠町出身。本名は松井利雄(まつい としお)。 1936年に木村昭夫の名で初土俵。入門時は荒汐部屋の所属だったが、1943年1月場所後に5代荒汐は荒汐部屋を閉鎖して双葉山道場に弟子を譲った為、以降は双葉山道場から名称を変えた時津風部屋の所属となる。1950年1月に十両格に昇格。1956年5月に幕内格に昇格。1962年1月、2代式守伊三郎襲名。1963年9月場所、三役格行司の4代木村誠道がこの場所限り廃業したため、翌11月場所に38歳の若さで三役格に昇格。
常ノ山 勝正(つねのやま かつまさ、1925年2月9日 - … 常ノ山 勝正(つねのやま かつまさ、1925年2月9日 - 1987年4月29日)は、岡山県児島郡小田村(現在の倉敷市)出身で、出羽海部屋に所属した大相撲力士。本名は橋本 正(はしもと ただし、旧姓は石川(いしかわ))。最高位は東前頭2枚目 (1952年5月場所)。現役時代の体格は175cm、98kg。得意手は左四つ、下手投げ、内掛けなど。 年寄・10代出羽海(元関脇・鷲羽山)の義理の叔父。 実家は農家で、14歳の時に同郷の藤島親方(元横綱・常ノ花、後の出羽海親方)を慕って、出羽海部屋への入門を願った。だが、体重不足により新弟子検査で合格できず、1939年暮れの検査で飯を腹一杯に詰め、廻しに鉛を入れた上に水をたらふく飲んでようやく合格した。
楯甲 幸男(たてかぶと さちお、1924年10月27日 - … 楯甲 幸男(たてかぶと さちお、1924年10月27日 - 2002年5月28日)は、愛媛県越智郡宮窪町(現役当時、現・同県今治市宮窪町)大字宮窪出身で中村部屋に所属した大相撲力士。本名は南 幸男(みなみ さちお)。最高位は西前頭18枚目(1955年9月場所)。現役時代の体格は170cm、140kg。得意手は左四つ、寄り、押し。 17歳の時に中村部屋へ入門し、1942年1月場所で初土俵を踏んだ。因みに、当初の四股名は、「能嶋城」であった。 三段目時代の1945年夏、徴兵され、短期間ながら日本軍の一員として第二次世界大戦に参加。戦場から帰還後は徐々に番付を上げ、1951年1月場所で新十両に昇進した。
7代 式守 勘太夫(ななだい しきもり かんだゆう 1924… 7代 式守 勘太夫(ななだい しきもり かんだゆう 1924年〈大正13年〉10月16日 - 2002年〈平成14年〉9月30日)は大相撲の元三役格行司。三役格としての在位期間は1988年1月〜1989年9月。鏡山部屋→伊勢ヶ濱部屋所属。鳥取県境港市出身。本名は江川鶴夫。 師匠は5代式守勘太夫(6代鏡山勘太夫)である。 1938年に式守鶴夫の名で初土俵。以後貢市、勘之助、更一郎と改名し、1954年3月に式守勘之助の名で十両格に昇格。1958年7月6代式守与之吉襲名。1961年11月に幕内格昇格。1967年5月に7代式守勘太夫襲名。幕内格昇格から27年後の1988年1月に三役格に昇格。三役格を11場所務め、1989年9月場所後停年。
黒瀬川 進(くろせがわ すすみ、1924年8月28日 - 1… 黒瀬川 進(くろせがわ すすみ、1924年8月28日 - 1977年4月18日)は、谷川部屋、伊勢ヶ濱部屋、荒磯部屋に所属した元大相撲力士。本名は平島 進。現在の富山県氷見市出身。174cm、81kg。最高位は西十両5枚目。得意技は右四つ、寄り。 1941年1月場所初土俵、1947年11月場所十両昇進。10場所務めたのち、1954年9月場所限り廃業。
松登 晟郎(まつのぼり しげお、1924年7月20日 - 1… 松登 晟郎(まつのぼり しげお、1924年7月20日 - 1986年4月21日)は、千葉県東葛飾郡松戸町(現在の松戸市松戸)出身で大山部屋に所属した大相撲力士。本名は永井福太郎(ながい ふくたろう)。最高位は西大関。身長172cm、体重154kg。得意技は押し、左四つ、寄り、吊り。 小学校3年の時には既に体重16貫(60kg)に達し、関脇・髙登から小学校卒業の折には「ぜひとも私の所に弟子入りさせてほしい」と頼まれたという。その後引退して年寄・大山を襲名した髙登から再度勧誘され入門、1941年(昭和16年)1月場所で初土俵を踏んだ。四股名は故郷・松戸市と師匠の現役名・髙登にちなんでつけられた。当時「大山親方がすごいのを連れて来たらしい」と評判になった。
鶴美山 侑宏(つるみやま ともひろ、1924年6月27日 -… 鶴美山 侑宏(つるみやま ともひろ、1924年6月27日 - 1989年10月18日)は、井筒部屋、時津風部屋(当初は双葉山相撲道場)、再度井筒部屋、陸奥部屋に所属した元力士、元若者頭。本名は近藤 貢(こんどう みつぐ)。現在の東京都荒川区出身。176cm、113kg。最高位は西十両16枚目。得意技は左四つ、寄り。 1939年1月場所に初土俵。序ノ口で全敗したり、幕下から序二段まで下がるなど、出世が遅かったが、初土俵が同期の栃錦に「十両に上がったら俺の化粧廻しをやるから」と励まされて奮起し、初土俵から16年が経った1955年3月場所に30歳で十両昇進。1957年1月場所に32歳で引退し、若者頭に転じた。
若嵐 武(わかあらし たけし、1924年6月9日 - 没年不… 若嵐 武(わかあらし たけし、1924年6月9日 - 没年不明)は、長野県北佐久郡岩村田町(現・同県佐久市)大字長土呂出身で西岩部屋(入門時は若松部屋)に所属した大相撲力士。本名は東城 武(とうじょう たけし)。現役時代は、最高位は西前頭18枚目(1951年1月場所)。現役当時の体格は180cm、84kg。得意手は右四つ、吊り、上手投げ。 16歳の時に上京し、若松部屋(後、西岩部屋に改称)へ入門。1941年1月場所で初土俵(前相撲)翌5月場所で新序・翌1942年1月場所で序ノ口に昇進した。 生まれついての近視であり、それ故に相手から離れての取り口が困難であった。長身の割に細身で、右四つからの吊りや投げを得意とした。
一錦 周之助(いちにしき しゅうのすけ、1924年5月20日… 一錦 周之助(いちにしき しゅうのすけ、1924年5月20日 - 2012年7月20日)は、青森県東津軽郡横内村(現:青森市)出身で高嶋部屋所属の大相撲力士。本名は鳴海 周之助(なるみ しゅうのすけ)。現役時代の体格は身長177cm、体重79kg。最高位は西十両7枚目(1951年5月場所)。得意技は突っ張り・右四つ・上手投げ。2代安治川、9代友綱。魁将龍の祖父、巴潟の義弟、魁輝の義父。引退後は友綱部屋を継承し、停年まで後進の指導に当たった。 17歳の時に高嶋部屋に入門し、1942年1月場所に初土俵を踏んだ。1946年11月場所には初土俵から所要9場所(当時は年2場所制)で十両に昇進した。しかし同場所を全休し、1場所で幕下に陥落。
大田山 一朗(おおたやま いちろう、1924年〈大正13年〉… 大田山 一朗(おおたやま いちろう、1924年〈大正13年〉5月3日 - 1999年〈平成11年〉11月11日)は、東京府荏原郡大森町(現在の東京都大田区、出生地は岩手県盛岡市上田)出身で、高砂部屋に所属した大相撲力士。本名は藤沢 一郎(ふじさわ いちろう)。身長177cm、体重120kg。得意手は右四つ、寄り。最高位は東前頭20枚目(1957年9月場所)。 小学校卒業後は日立航空機に勤務していたが、当時の人気大関・前田山に誘われ、1939年(昭和14年)6月に彼が所属する高砂部屋へ入門した。 1940年(昭和15年)1月場所で初土俵を踏み、翌年5月場所にて前田山から2字を貰った「前田川」の四股名で、序二段に付け出された。
平鹿川 泰二(ひらかがわ たいじ、1924年3月31日 - … 平鹿川 泰二(ひらかがわ たいじ、1924年3月31日 - 1992年4月11日)は、秋田県平鹿郡雄物川町(現役当時、現・同県横手市)出身で立浪部屋(入門時は春日山部屋)に所属した元大相撲力士。本名は佐藤 泰治(さとう たいじ)。最高位は西前頭13枚目(1957年5月場所)。現役時代の体格は179cm、100kg。得意手は左四つ、上手投げ、下手投げ。 地元の小学校を卒業後上京し、蒲田区(現・大田区)内の製薬会社に勤務していたが、16歳の時に角界入りを決意。元関脇・藤ノ川雷五郎が率いる春日山部屋へ入門し、1941年1月場所で初土俵を踏んだ。同期生には、後に年寄・春日山を襲名することとなる藤川(後、「信州」から「大昇」へ改名、最高位・前頭筆頭)らがいる。
東海 稔(あずまうみ みのる、1924年3月14日 - 1… 東海 稔(あずまうみ みのる、1924年3月14日 - 1963年6月10日)は、東京都品川区北品川出身で荒磯部屋(入門時は伊勢ヶ濱部屋)に所属した大相撲力士。本名は近藤 稔(こんどう みのる)。得意手は右四つ、寄り。最高位は東前頭14枚目(1953年3月場所)。現役時代の体格は174cm、166kg。 14歳の時、元関脇・清瀬川が率いる伊勢ヶ濱部屋(後、荒磯部屋に改称)へ入門し、1939年1月場所で初土俵を踏んだ。当初の四股名は「御殿山」で、これは、出身地の北品川にある山に因んでいる。 その後幕下まで昇進するも、1944年に応召され、復員後の1945年6月場所を以って廃業した。 しかし、1950年に再度、伊勢ヶ濱部屋へ入門。
玉ノ川 正行(たまのかわ まさゆき、1924年3月6日 - … 玉ノ川 正行(たまのかわ まさゆき、1924年3月6日 - 没年不明)は、二所ノ関部屋に所属した元大相撲力士。本名は恵良 正行(えら まさゆき)。現在の大分県宇佐市出身。176cm、92kg。最高位は西十両7枚目。得意技は右四つ、押し。 1943年5月場所に初土俵。1950年5月場所に十両昇進。自己最高位まで番付を上げた1951年1月場所は初日から休場し、この場所限りで廃業した。廃業後はプロレスラーに転向した。
吉井山 朋一郎(よしいやま ともいちろう、1924年3月3日… 吉井山 朋一郎(よしいやま ともいちろう、1924年3月3日 - 没年不明)は、福岡県田川郡糸田町出身で出羽海部屋に所属した大相撲力士。本名は吉井 朋一郎(よしい ともいちろう)。最高位は西前頭11枚目(1951年5月場所、1953年3月場所)。現役時代の体格は182cm、92kg。得意手は右四つ、突っ張り、叩き込み。 旧制田川中学時代から相撲で鳴らしており、興亜専門学校(現在の亜細亜大学)から紅陵大学(現在の拓殖大学)へと進んだ。紅陵大時代には1947年の第2回石川国体や全国学生相撲選手権大会で優勝を飾るなど活躍した。卒業と同時に出羽海部屋へ入門し、1948年5月場所にて幕下14枚目格付出で初土俵を踏んだ。
藤田山 忠義(ふじたやま ただよし、1924年2月11日 -… 藤田山 忠義(ふじたやま ただよし、1924年2月11日 - 1969年5月9日)は、福岡県田川郡(現在の田川市)出身で高砂部屋(入門時は片男波部屋)に所属した元大相撲力士、日本プロレス所属のプロレスラー。大相撲時代は1950年前後に活躍し、最高位は西前頭12枚目(1950年1月場所)。大相撲時代の体格は身長167cm、体重113kg。得意手は押し。本名は藤田 忠義(ふじた ただよし)。 元幕内・開月の片男波部屋に入門、1939年(昭和14年)1月場所に本名の藤田の四股名で初土俵を踏んだ。順調に出世して、1944年(昭和19年)5月場所で新十両へ昇進を果たした。入門以来1945年6月場所までは連続して勝ち越しを収めていた。
瀬戸錦 年光(せとにしき としみつ、1924年2月2日 - … 瀬戸錦 年光(せとにしき としみつ、1924年2月2日 - 没年不明)は、広島県尾道市出身で出羽海部屋に所属した元大相撲力士。本名は高橋 年覚(たかはし としかく)。190cm、104kg。最高位は西十両9枚目。得意技は突っ張り、右四つ、寄り。 1941年1月場所に初土俵。三段目の頃に戦争で召集されたが、サイズの合う軍靴がなかったので、即日で帰郷を命じられた。1947年11月場所に十両昇進するも2勝9敗と大きく負け越して1場所で幕下に陥落。十両に在位したのはこの1場所のみであった。1951年1月場所限りで26歳の若さで廃業。幕下で相撲を取っていた1950年1月場所から、廃業する1951年1月場所まで弓取りを務めたことがある。
木村 筆之助(きむら ふでのすけ、1924年(大正13年)1… 木村 筆之助(きむら ふでのすけ、1924年(大正13年)1月17日 - 1984年(昭和59年)4月26日)は大相撲の元幕内格行司。伊勢ノ海部屋所属。師匠は初代木村今朝三。長野県伊那市出身。本名は田畑 啓。生家は伊那市の映画館「伊那旭座」。 1936年1月、12歳で相撲界へ入門。兵役で一時相撲界を離れたが、1946年11月場所から三段目格で復帰した。 1958年7月場所に幕内格行司に昇格。1967年7月場所より2代木村今朝三を襲名したが、1970年9月場所より今朝三の名跡を返上し筆之助に戻した。今朝三の名跡はこれ以降襲名する者が現れていない。 1966年11月場所より幕内格の筆頭行司であったが、上位の行司が急に廃業したり、病気休場したこともあり、行司の成績考課制度が導入された1972年~1973年頃の一時期は三役の取組を裁いたことがある。
旭國 強(あさひくに つよし、1924年 - 没年不明)は、… 旭國 強(あさひくに つよし、1924年 - 没年不明)は、北海道旭川市出身で立浪部屋に所属した元大相撲力士。本名は山田 強(やまだ つよし)。174cm、83kg。最高位は西十両12枚目。得意技は右四つ、下手投げ。 1940年5月場所に初土俵。1948年5月場所に十両昇進したが、在位はこの1場所のみ。1949年1月場所限りで廃業した。
大江戸 勇二(おおえど ゆうじ、1923年11月22日 - … 大江戸 勇二(おおえど ゆうじ、1923年11月22日 - 1996年1月4日)は、東京都江東区出身で春日野部屋に所属した大相撲力士。本名は小林 勇(こばやし いさむ)。身長173cm、体重81kg。得意手は左四つ、上手投げ。最高位は西前頭16枚目(1949年10月場所)。 1939年5月場所初土俵。同部屋の栃錦とは共に小柄ということで仲がよく、2人で出世を競い合った。栃錦や常ノ山と2人で初っ切りをしたこともある。ある時に栃錦に「お前が一流の力士になったら東京中を逆立ちして歩いてやる」と賭けをして、横綱へ昇進した栃錦から当時の賭けの話を言われて苦笑したことがある。1948年5月場所新十両、十両は3場所で突破し、1949年5月場所で新入幕を果たした。
大起 男右エ門(おおだち だんえもん、1923年10月6日 … 大起 男右エ門(おおだち だんえもん、1923年10月6日 - 1970年1月31日)は、福岡県嘉穂郡穂波町(現在の同県飯塚市)出身で出羽海部屋に所属した大相撲力士。本名は山本 男次郎(やまもと だんじろう)→石田 男次郎(いしだ -)。現役時代の体格は194cm、180kg。最高位は東小結(1955年3月場所)。得意手は左四つ、寄り、鯖折り。 引退後は、年寄・境川を襲名した。 小学生の頃、嘉穂郡内の相撲大会で優勝した事が評判となり、6代目出羽海(元小結・両國)の命を受けた九州山が勧誘して出羽海部屋へ入門した。 1938年5月場所、14歳で初土俵を踏む。当初の四股名は本名の「山本」であったが、故郷に因んだ「穂波山」と改名して1945年6月場所で十両に昇進、1946年11月場所で入幕を果たした。
前ヶ汐 英太郎(まえがしお えいたろう、1923年10月1日… 前ヶ汐 英太郎(まえがしお えいたろう、1923年10月1日 - 没年不明)は、高砂部屋に所属した元力士。本名は徳野 剛(とくの ごう)。愛媛県西宇和郡伊方町出身。173cm、92kg。最高位は西十両11枚目。得意技は小股掬い。 同郷の前田山英五郎(のちの第39代横綱)が所属する高砂部屋に入門、1938年1月場所に初土俵を踏んだ。1944年11月場所、前田山に倣い前ヶ汐英太郎と四股名を改めた場所に幕下優勝を果たし、1945年6月場所に十両に昇進する。新十両の場所は3勝4敗と負け越し、1場所で幕下陥落。翌1946年11月場所に再十両を果たすも5勝8敗と負け越したところで23歳で廃業。俊敏さを活かしたバリエーションが豊富な激しい取り口であり、特に小股救いを得意とした。
朝見山 峻一郎(あさみやま しゅんいちろう、1923年9月1… 朝見山 峻一郎(あさみやま しゅんいちろう、1923年9月1日 - 2001年12月)は、現在の愛媛県西予市出身で高砂部屋に所属した元大相撲力士。本名は水野 元幸。180cm、86kg。最高位は東十両13枚目。得意技は右四つ、寄り。 1940年5月場所初土俵、1946年11月場所十両昇進。以後3場所務める。1949年1月場所限りで廃業した。
柏農山 勝栄(はくのうざん しょうえい、1923年7月6日 … 柏農山 勝栄(はくのうざん しょうえい、1923年7月6日 - 1958年5月16日)は、青森県南津軽郡大光寺町(現役当時、現・同県平川市)出身で高砂部屋に所属した大相撲力士。本名は高木 勝栄(たかぎ しょうえい)。最高位は西前頭21枚目(1948年5月場所)。現役時代の体格は173cm、86kg。得意手は左四つ、寄り、吊り。 16歳の時上京し、元大関・朝潮が率いる高砂部屋へ入門。1940年1月場所で初土俵を踏んだ。因みに、当初より四股名は、「柏農山」であった(以後は「國錦」を名乗った事もあったが、すぐに元の「柏農山」へ再改名している)。 体重90kgに満たない小兵で、身長もあまり高くなかったが、そうした身体上のハンディを克服して順調に出世。
出羽湊 秀一(でわみなと しゅういち、1923年4月24日 … 出羽湊 秀一(でわみなと しゅういち、1923年4月24日 - 1979年9月16日)は、青森県中津軽郡岩木町(現・同県弘前市)出身で出羽海部屋に所属した大相撲力士。本名は川田 秀一(かわだ しゅういち)。最高位は東前頭筆頭(1956年5月場所)。現役当時の体格は177cm、98kg。得意手は突っ張り、右四つ、寄りなど。 引退後は年寄・藤島として後進の指導と、相撲協会の発展に尽くした。 1940年5月場所にて、17歳で初土俵を踏んだが、幕下に昇進したところで兵役のために長く土俵を離れた。そのため、新十両昇進は1949年5月場所と、時間がかかった。 十両にいた時期も長く、新入幕を果たした1953年5月場所では、すでに30歳に達していた。
栃木野 竹三郎(とちぎの たけさぶろう、1923年3月10日… 栃木野 竹三郎(とちぎの たけさぶろう、1923年3月10日 - 没年不明)は、出羽海部屋に所属した元力士。本名は岩井 竹三郎(いわい たけさぶろう)。現在の栃木県鹿沼市出身。175cm、84kg。最高位は東十両7枚目。得意技は突っ張り、左四つ。 1940年5月場所に初土俵。1947年11月場所に十両昇進し、連続して3場所務めたが勝ち越すことはできず、1949年1月場所に25歳で廃業した。激しい突っ張りで攻め立てる闘志に満ちた取り口が身上であったが、左四つでも相撲が取れた。
北の洋 昇(きたのなだ のぼる、1923年2月1日 - 20… 北の洋 昇(きたのなだ のぼる、1923年2月1日 - 2002年1月8日)は、北海道網走郡網走町(現:網走市)北浜出身で立浪部屋に所属した大相撲力士。本名は緒方 昇(おがた のぼる)。最高位は西関脇。 1923年2月1日に、北海道網走郡網走町北浜(現:北海道網走市北浜)で料理屋を営む家に次男として生まれた。幼少期から地元では有名な腕白だったが、小学4年生の時に実兄が事故で没したことでショックを受け、それ以降は腕白な性格から内気な性格へ変わっていった。実家が地元で人気の料理屋だったことから、厳しい父親に毎日家の手伝いをさせられていた。当時の網走郡は網走刑務所のイメージから陰惨とした場所であると勘違いされやすかったが、本人が入幕後に語ったところによると冬の寒さは厳しいが、道立公園には6月頃から9月頃まではハマナス、エゾキスゲ、カンゾウ、スズラン、ヒオウギアヤメなど50種類程度の花が咲き誇る明るい街であったという。