鈴木 才蔵(すずき さいぞう、1907年(明治40年)10月… 鈴木 才蔵(すずき さいぞう、1907年(明治40年)10月10日 - 1977年(昭和52年)11月)は、日本の弁護士、公証人(東京法務局所属)。元法務省人権擁護局局長。元静岡地方裁判所所長。義父は参議院議員や小野田市(現:山陽小野田市)市長を務めた姫井伊介。 山口県出身。神奈川県在籍。香川愷太郎の次男に生まれ、鈴木謹次郎の養子となる。第三高等学校時代では一年違いに第7代最高裁判所長官の藤林益三がいた。のちに藤林は鈴木の死去に際して弔辞を読んだ。 1933年(昭和8年)東京帝国大学法科卒業(病気のため2年遅れで卒業)。1937年(昭和12年)11月高等試験司法科に合格。1939年(昭和14年)6月弁護士登録し、第一東京弁護士会に所属。
塩田 末平(しおた すえひら、1907年〈明治40年〉2月1… 塩田 末平(しおた すえひら、1907年〈明治40年〉2月10日 - 没年不明)は、日本の検察官、弁護士、公証人。元広島地方検察庁検事正。 香川県三豊郡仁尾村(現・三豊市仁尾町)出身。常三郎の二男。旧制香川県立三豊中学校、旧制第六高等学校を経て、東京帝国大学法学部卒業。 1929年(昭和4年)高等文官試験司法科合格。東京帝国大学卒業後、1930年(昭和5年)司法省入省。1931年(昭和6年)松山地方裁判所検事局検事に任官。岡山地方裁判所検事局検事、東京地方裁判所検事局検事に転任。 1941年(昭和16年)外務省に出向。上海領事館検察領事、南京領事館検察領事に就任。1945年(昭和20年)司法省に復帰。
志熊 三郎(しくま さぶろう、1895年〈明治28年〉2月2… 志熊 三郎(しくま さぶろう、1895年〈明治28年〉2月28日 - 1978年〈昭和53年〉)は、日本の検察官、弁護士、公証人。 広島県広島市出身。志熊直人の息子。広島市段原町(現・比治山町)の比治山神社社掌・志熊三郎が1915年に亡くなり、当主の三郎がその後を継承する。 高等師範学校附属中学校を経て、1916年に第三高等学校大学予科を卒業、1919年に東京帝国大学法学部英法科を卒業。三菱造船に入る。 1922年、司法官試補に任ぜられる。1924年、検事に任ぜられる。1925年、釧路地方裁判所検事に補せられる。1929年、台湾総督府検察官に任ぜられ、台北地方法院検察官に補せられる。台中地方法院検察官、台南地方法院嘉義支部上席検察官、高雄地方法院検察官長を経て1943年、新竹地方院検察官。
雑賀 愛造(さいが よしぞう、明治27年(1894年)8月 … 雑賀 愛造(さいが よしぞう、明治27年(1894年)8月 - 昭和55年(1980年)5月)は日本の弁護士、公証人。旧姓稲田。 洋食のレストラン“十字屋”を経営し、市会議員をつとめた野坂康久(旧姓稲田)の実弟。日本商工会議所会頭、王子製紙社長などを歴任した足立正の足立家と雑賀家は姻戚関係にある。次女春子は元・丸神海産取締役社長石指集三の妻。 鳥取県米子市出身。酒造業稲田家に生まれ、雑賀家の婿養子になる。義父雑賀啓次郎は弁護士で県議をつとめた。 米子中学(現米子東高校)、岡山の第六高等学校を経て大正9年(1920年)東京帝国大学法科卒業、王子製紙に入社する。当時の社長は藤原銀次郎、工場長は足立正で、足立家と雑賀家は姻戚関係にあり義父のすすめによったものという。
伊達 亮治(だて りょうじ、1881年〈明治14年〉3月7日… 伊達 亮治(だて りょうじ、1881年〈明治14年〉3月7日 - ?)は、日本の公証人、判事。正五位、勲五等。親族は下記参照。 伊達家一門・伊達宗亮の四男として、宮城県亘理郡坂元村に生まれる。旧制第二高等学校を経て、1912年(大正元年)に東京帝国大学法学部を卒業後直ちに高等文官試験に合格し、判事に任ぜられ、横浜・新潟・盛岡・平・土浦・水戸各地方裁判所を歴任。1923年(大正12年)に宮城控訴院判事となり、1930年(昭和5年)に退職。 趣味は、書画と旅行。宗教は曹洞宗。 この項目は、法曹に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。
岡崎 賢次(おかざき けんじ、1862年2月18日(文久2年… 岡崎 賢次(おかざき けんじ、1862年2月18日(文久2年1月20日)- 1922年(大正11年)2月14日)は、明治から大正期の弁護士、公証人、実業家、政治家、自由民権運動家。衆議院議員、高知市会議長。 土佐国土佐郡、のちの高知県土佐郡初月村(現高知市)で、土佐藩士・岡崎賢七の長男として生まれる。1883年(明治16年)12月、家督を相続した。1885年(明治18年)東京専門学校(現早稲田大学)法律科を卒業した。 1887年(明治20年)3月、公証人となる。同年9月、代言人試験に合格し、同年11月、高知市で代言人(弁護士)を開業した。講法館、法学館の講師を務めた。自由民権運動に加わり、三大事件建白運動にも参加。
野木 善三郎(のぎ ぜんざぶろう、1861年8月2日(文久元… 野木 善三郎(のぎ ぜんざぶろう、1861年8月2日(文久元年6月26日) - 1918年(大正7年)3月28日)は日本の政治家、公証人。衆議院議員(2期、憲政本党)。 1861年(文久元年)6月、陸奥国西白河郡滑津村(現中島村)にて生まれる。1878年(明治11年)に福島県師範学校(福島大学の前身校の一つ)を卒業する。小学校の教員として勤めたのち、東京法学校(現・法政大学)に学び、公証人となる。戸長、学務委員、福島県会議員などを経て、1903年(明治36年)に第8回衆議院議員総選挙に出馬し、当選する(連続2期当選)。また、農業を営み、福島新聞社主を務めた。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。
南波 三五郎(なんば さんごろう、1860年〈万延元年2月〉… 南波 三五郎(なんば さんごろう、1860年〈万延元年2月〉 - 1941年〈昭和16年〉4月28日)は日本の政治家、公証人。衆議院議員(立憲自由党)。旧姓は田辺。 1860年(万延元年2月)、安芸国豊田郡船木村(現在の広島県三原市)に生まれる。大阪北区にあった太田北山の成章館に入り、儒学を研究し、塾頭となる。1886年(明治19年)に東京法学校(現・法政大学)を卒業し、家業の酒造業に従事、のち、公証人となり公証業務に従事する。また、経世詩社を創立し、経営する。 1890年(明治23年)、第1回衆議院議員総選挙に広島6区から出馬し、当選する。 その後、第2回から第4回総選挙にも立候補したが、いずれも落選している。
荒井 啓五郎(あらい けいごろう、安政5年8月13日〈185… 荒井 啓五郎(あらい けいごろう、安政5年8月13日〈1858年9月19日〉 - 1920年〈大正9年〉7月22日)は、明治から大正前期の公証人、政治家。衆議院議員。足尾鉱毒問題における田中正造の同労者。 上野国邑楽郡石打村(群馬県邑楽郡石打村、高島村大字石打、中島村、邑楽村を経て現邑楽町石打)で、名主・荒井源十郎、みね の長男として生れた。英僊三から読書、習字を学び、1874年(明治7年)に上京して飯田章湖の塾に入門して漢学を修めた。 帰郷して、1880年(明治13年)蜂巣長五郎を招聘し幽谷義塾を開き、主として英学、漢学、数学を郷土の子弟に教えた。1881年(明治14年)再度上京して明治法律学校(現明治大学)で法律学、経済学を学んだ。
斎藤 孝治(さいとう こうじ、1856年3月10日(安政3年… 斎藤 孝治(さいとう こうじ、1856年3月10日(安政3年2月4日) - 1917年(大正6年)8月22日)は、日本の弁護士、公証人、東京府会議員。 古河藩士・斎藤三平の子として江戸駒込の藩邸で生まれた。1872年に上京して儒者亀田鶯谷の塾で学んだ。1875年警視庁巡査となり、西南戦争に従軍。戦後、北畠道龍・矢代操らの講法学舎に入ったが、1881年、明治法律学校(明治大学の前身)の開校にあたって幹事として庶務にあたり、また一学生として法学を修め、同校最初の卒業生の一人となった。 1882年に代言人試験に合格し、秩父事件や野口男三郎事件などで弁護活動に従事。日本弁護士協会の創設に参画し、1898年には副会長となった。
小坂 敏幸(こさか としゆき)は、日本の裁判官、公証人。 大… 小坂 敏幸(こさか としゆき)は、日本の裁判官、公証人。 大阪市立大学卒業。東京地方裁判所部総括判事、前橋家庭裁判所所長などを経て東京高等裁判所部総括判事。退官後、東京公証人会会長、日本公証人連合会会長、法務省検察官・公証人特別任用等審査会委員、法務省検察官・公証人特別任用等審査会公証人分科会委員。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。 この項目は、法曹に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。
笠井 勝彦(かさい かつひこ)は、日本の裁判官、公証人。東京… 笠井 勝彦(かさい かつひこ)は、日本の裁判官、公証人。東京地方裁判所部総括判事などを経て、東京高等裁判所判事(第15民事部)を最後に依願退官し公証人となった。明治大学卒業。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。 この項目は、法曹に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。
井内 顯策(いうち けんさく)は、日本の検察官、公証人、弁護… 井内 顯策(いうち けんさく)は、日本の検察官、公証人、弁護士。東京地方検察庁特捜部長や、最高検察庁刑事部長、横浜地方検察庁検事正、中央大学大学院法務研究科客員教授、日本公証人連合会理事長等を歴任した。瑞宝重光章受章。 1968年千葉県立長生高等学校卒業。1973年中央大学法学部法律学科卒業。1978年検察官任官、東京地方検察庁検事。東京地方検察庁検事、札幌地方検察庁検事等を経て、1985年東京地方検察庁特別捜査部直告班検事。1986年福岡地方検察庁検事(公安部、刑事部)。1989年千葉地方検察庁検事(公安部、刑事部)。 1992年東京地方検察庁特別捜査部財政経済班検事。1993年東京地方検察庁特別捜査部直告班検事。
高橋 信行(たかはし のぶゆき)は、日本の検察官、公証人、弁… 高橋 信行(たかはし のぶゆき)は、日本の検察官、公証人、弁護士。最高検察庁検事や、松山地方検察庁検事正を務めた。 東京都出身。一橋大学法学部在学中の1973年に旧司法試験合格。1974年大学を卒業し、最高裁判所司法研修所入所。1976年東京地方検察庁検事任官。高松高等検察庁刑事部長を経て、2003年から神戸地方検察庁姫路支部長を務め、姫路市の病院長が高校1年の少女に対する強制わいせつ罪で兵庫県警察に逮捕された事件では、示談成立後に不起訴処分となったが、「証拠はあり、捜査に問題はなかった」とコメントした。2005年最高検察庁検事。同年松山地方検察庁検事正。2007年退官、市川公証人合同役場公証人。