江藤 正修(えとう まさのぶ、1944年 - 2017年5月… 江藤 正修(えとう まさのぶ、1944年 - 2017年5月24日)は、昭和から平成時代の社会運動家、ジャーナリスト。政治グループ・MELTの中心メンバー。『労働情報』編集長。 東京都杉並区、埼玉県川口市で育ち、中学生のとき隣家の共産党員から影響を受けた。1960年、埼玉県立浦和西高校に入学。1962年、日本社会主義青年同盟に加盟。1963年、高校の先輩で後に全国反戦委員会世話人となる村上明夫により社青同構造改革派(後の主体と変革派)の一員となった。高校卒業後、一浪して法政大学文学部に入学。1966年頃に村上の誘いで社青同の専従となり、1968年に埼玉県反戦青年委員会事務局長となった。 70年闘争の後は左翼運動から離れてサラリーマン生活を送っていたが、社青同に加入していた第四インターメンバーと再会したことが契機となり、1974年に第四インターナショナル日本支部に加盟した。
千野 境子(ちの けいこ、1944年 - )は、日本のジャー… 千野 境子(ちの けいこ、1944年 - )は、日本のジャーナリスト、公益財団法人国際文化会館理事、元産経新聞記者。日本の新聞で、女性として初めて外信部長、論説委員長を務めた。2009年、女性初の人事官に任命の予定だった。 神奈川県横浜市生まれ。フェリス女学院中学校・高等学校を卒業後、1967年、早稲田大学第一文学部ロシア文学専修を卒業後、4月産経新聞社入社。産経新聞の僚紙である夕刊フジ報道部に配属。その後、産経社会部、教養部に異動。1978年、34歳の時にフルブライト・ジャーナリストプログラムで、アメリカへ留学。1985年、外信部へ異動。1987年、産経新聞で女性として初めての特派員としてマニラ支局長に。
鷲巣 力(わしず つとむ 1944年 - )は、東京都生まれ… 鷲巣 力(わしず つとむ 1944年 - )は、東京都生まれのジャーナリスト、評論家。立命館大学衣笠総合研究機構加藤周一現代思想研究センター顧問。 1969年[要出典]、東京大学法学部卒業。平凡社入社。『加藤周一著作集』や『林達夫著作集』などの編集を手がけた後、月刊『太陽』編集長を経て、1985年[要出典]、平凡社取締役となる。1992年[要出典]、平凡社を退社、フリージャーナリストとなる。 2005年6月11日、『世界一受けたい授業』で自動販売機やコンビニエンスストアをテーマに講義し、テレビ出演を果たす[要出典]。
武藤 聖一(むとう しょういち、1944年 - 2024年5… 武藤 聖一(むとう しょういち、1944年 - 2024年5月16日)は、スウェーデン在住の日本のフォトジャーナリスト。主に欧州と米国の建築・デザインを取材し、専門誌に発表している。千葉県生まれ、明治大学政経学部卒業。 大学卒業後、デンマークに移住し、取材活動をはじめた。75年からスウェーデン在住。2006年末から「世界の最新建築」を新たなテーマとし、欧州の各都市で撮影をはじめ、その様子は、日経BPの建設・不動産の総合サイト「ケンプラッツ」に「欧州『最新建築』撮り歩記」として毎週掲載されるようになった。2009年、「ケンプラッツ」への連載記事100の中から50点を選んだ『欧州最新建築撮り歩記/武藤聖一のスナップ紀行』を発表し、建築設計者からインテリアコーディネーター、建築を学ぶ学生まで幅広い人たちの参考になる一冊だと評された。
小川 邦雄(おがわ くにお、1943年10月25日 - )は… 小川 邦雄(おがわ くにお、1943年10月25日 - )は、日本のジャーナリスト。元TBS監査役。埼玉県出身。東京大学文学部卒業。 1967年にTBSに入社し、報道局に配属。TBSラジオの取材記者として最前列で取材したのち、報道局社会部に異動。警視庁担当記者として、陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地で発生した三島事件では警視庁記者クラブからいち早く現場に駆け付け、取材に立ち合った。 事件記者を経て、報道局外信部に異動。バンコク特派員として、アジア各国の取材やレポートを経て、日本に帰国。1982年10月からは『JNN報道特集』のキャスター(2代目メイン格以外)に就任、担当期間中に『JNNニュースデスク'88→'89』のメインキャスターに就任。
穂高 健一(ほだか けんいち、1943年10月12日 - )… 穂高 健一(ほだか けんいち、1943年10月12日 - )は、日本の小説家、ジャーナリスト、写真家、登山家。名字の「穂高」はペンネームであり、本名は非公開。 広島県大崎上島町出身、中央大学経済学部卒業。 日本ペンクラブ広報委員会・会報委員会、電子文藝館の各委員。 日本文藝協会、日本山岳会、日本写真協会に所属。 読売・日本テレビ文化センター、朝日カルチャーセンター、目黒学園カルチャースクールなどで、「文学賞を目指す小説講座」、「エッセイ教室」、「フォト・エッセイ」の講師を務める。 東京都葛飾区在住。かつしか区民大学では、「区民記者講座」の講師も務める。 作家・吉岡忍、伊藤桂一、小中陽太郎、出久根達郎、高橋千劔破、新津きよみ、山名美和子、ジャーナリスト・轡田隆史、大原雄、吉澤一成、井出勉、相澤与剛、文藝評論家・清原康正らと交流を持つ。
金子 雅臣(かねこ まさおみ、1943年10月8日 - )は… 金子 雅臣(かねこ まさおみ、1943年10月8日 - )は、労働ジャーナリスト。 新潟県出身。静岡大学文理学部卒業後、東京都庁入庁。東京都職員として労働相談を担当するかたわら、豊富な経験を生かして労働問題を扱う社会派のルポライターとして活躍した。日本の「ホームレス」「パワーハラスメント」問題を提起し、東京都の設置した「セクハラ相談窓口」での経験をもとに、セクシャルハラスメントの解決にも取り組む。 著書に、『裁かれる男たち—告発の行方』(明石書店)、『ホームレスになった-大都会を漂う』(ちくま文庫)、『パワーハラスメント何でも相談』(日本評論社)、『労働相談(裏)現場レポート』(築地書館)、『職場のモンスター』(マイコミ新書)などがある。
前坂 俊之(まえさか としゆき、1943年10月2日-)は、… 前坂 俊之(まえさか としゆき、1943年10月2日-)は、日本のジャーナリスト、ノンフィクション作家、評論家、歴史研究者。静岡県立大学名誉教授、立教大学社会学部講師。株式会社毎日新聞社情報調査部副部長、静岡県立大学国際関係学部教授などを歴任した。 慶應義塾大学経済学部に入学。1969年4月、毎日新聞社に入社。1993年4月に静岡県立大学国際関係学部教授に就任。1995年からは大学院国際関係学研究科教授兼務。2009年3月に定年退官。2009年、現在は首都圏を拠点に活動を行うジャーナリスト、ノンフィクション作家である。 1943年10月、岡山県岡山市生。1962年3月、岡山県立岡山操山高校卒、1963年4月、慶應義塾大学経済学部に入学 1969年(昭和44年)3月卒業後、毎日新聞社に入社。
宮武 剛(みやたけ たけし、1943年10月2日 - )は、… 宮武 剛(みやたけ たけし、1943年10月2日 - )は、日本のジャーナリスト、ペンネームは宮武 剛(みやたけ ごう)。学校法人日本リハビリテーション学舎元理事長・顧問。 1943年、京都府京都市中京区生まれ。京都府立朱雀高等学校を経て、早稲田大学第一政経学部卒業。在学中に大宅壮一の「東京マスコミ塾」第1期生で学ぶ。1968年毎日新聞社入社。同社西部本社報道部、東京本社社会部、同副部長、論説委員、科学部長、論説副委員長を経て、1999年に新設の埼玉県立大学保健医療福祉学部教授、2007年に目白大学大学院で新設の生涯福祉研究科教授に就任。2015年から一般財団法人日本リハビリテーション振興会理事長、2019年に学校法人日本リハビリテーション学舎に組織替えし理事長を務め、2022年5月退任、顧問を経て理事就任。
広河 隆一(ひろかわ りゅういち、1943年9月5日 - )… 広河 隆一(ひろかわ りゅういち、1943年9月5日 - )は、日本のフォトジャーナリスト、戦場カメラマン、市民活動家。フォトジャーナリズム月刊誌DAYS JAPANの元編集長、同誌発行の株式会社デイズジャパンの前代表取締役および前取締役。有限会社広河隆一事務所代表。日本中東学会、日本写真家協会、日本写真協会、日本ビジュアル・ジャーナリスト協会(JVJA)、各会員。チェルノブイリ子ども基金・元代表。認定NPO法人沖縄・球美の里元名誉理事長。 中華民国天津市で出生、2歳の時に引き揚げ、小学校入学以前から大阪府羽曳野市恵我之荘に居住した。東京都世田谷区在住。 1956年旧:高鷲町立小学校(現・羽曳野市立高鷲小学校)卒業、1959年羽曳野市立高鷲中学校卒業、1962年大阪府立生野高等学校卒業、1963年早稲田大学教育学部に入学し、1967年早稲田大学教育学部卒業。
田中 清士(たなか きよし、1943年5月16日 - )は、… 田中 清士(たなか きよし、1943年5月16日 - )は、日本のジャーナリスト。元日本放送協会職員。 1943年5月16日、福岡市生まれ。修猷館高等学校、慶應義塾大学卒。1968年NHK入局、青森局赴任。その後、東京社会部、九州沖縄報道統括、列島リレーニュース編集長、宮内庁キャップ、科学文化部長、水戸放送局長。退職後、NHK放送研修所教官。いのちを語り継ぐ美術館館長。特定非営利活動法人インファクト アドバイザー。 社会部記者としてロッキード事件の取材に従事。真山仁のノンフィクション書籍『ロッキード』の取材に応じ、1976年2月、チャーチ委員会証言の第一報を受けた直後に東京地検特捜部を取材した様子を回想している。
篠田 豊(しのだ ゆたか、1943年4月11日 - )は、日… 篠田 豊(しのだ ゆたか、1943年4月11日 - )は、日本のジャーナリスト、国際政治学者。 満洲生まれ。別名・篠田侑尚(ゆうしょう)。1966年慶應義塾大学経済学部卒、ダルエスサラーム大学大学院政治科修了。毎日新聞外信部記者ののち、聖学院大学経済学部教授、江戸川大学教授を務めた。
後藤 完夫(ごとう さだお、1943年2月1日 - 2018… 後藤 完夫(ごとう さだお、1943年2月1日 - 2018年4月9日)は、東京都出身のスポーツジャーナリスト、アメリカンフットボール解説者。出版社タッチダウン社主。日本タッチ・アンド・フラッグフットボール協会会長。 慶應義塾高等学校時代の1960年に同級生から誘われてアメリカンフットボールを始める。その後慶應義塾大学進学後もアメリカンフットボールを続けた。1964年12月に行われた日本学生選抜のハワイ遠征メンバーに選ばれてハワイ大学と対戦した。 現役時はランニングバックとして活躍。日本選抜ヘッドコーチなども歴任した。 慶應義塾大学を卒業後、企業に勤めたがアメリカンフットボールの魅力を日本で広めたいと考え、友人たちと雑誌の創刊にむけて動き回った。
林 勝彦(はやし かつひこ、1943年1月21日 -2022… 林 勝彦(はやし かつひこ、1943年1月21日 -2022年1月14日)は、日本の科学ジャーナリスト。元NHKエグゼクティブ・プロデューサー。サイエンス映像学会会長、科学ジャーナリスト賞選考委員。 1943年1月21日、東京生まれ。1965年、慶応義塾大学文学部哲学科(産業社会学)卒業後、NHKに入局。1965年山口放送局放送部、1970年教育局学校放送部、1973年番組制作局・科学産業部、1977年名古屋放送局放送部、1982年東京番組制作局教養科学部、1984年編成局NHKスペシャル番組部、1987年NHKエンタープライズ、1990年編成局NHKスペシャル番組部、1991年NHKクリエイティブ、1995年NHKエンタープライズ21と約40年間にわたり、約300本以上の番組制作(主に科学、環境、医学、医療、原子力など)に携わった。
田辺 寿夫(たなべ ひさお、1943年 - )は、ビルマ研究… 田辺 寿夫(たなべ ひさお、1943年 - )は、ビルマ研究者、ジャーナリスト。 埼玉県生まれ。1966年大阪外国語大学ビルマ語学科卒。NHKに入り、国際放送局でビルマ語ラジオ番組の制作を担当。2003年退職、フリージャーナリストとなる。根本敬とともに「ミャンマー」ではなくビルマの呼称を原則として用いる。
高嶺 朝一(たかみね ともかず、1943年-)は、日本のジャ… 高嶺 朝一(たかみね ともかず、1943年-)は、日本のジャーナリスト。T & CT Office代表、前琉球新報社社長。沖縄県那覇市出身。 1943年那覇市に生まれる。西南学院大学文学部英文科、同文学専攻科を卒業後、1970年に琉球新報社に入社する。編集局長や論説委員長などを経て2008年に琉球新報社社長に就任。琉球新報社の100%子会社である週刊レキオ社の代表取締役会長(非常勤)も兼職。2010年6月に退任し、T & CT Office設立。軍事研究家でもあり琉球文化圏や沖縄の基地問題、戦争とメディア等に関して講演や著書などがある。 編集局長時代の2000年には沖縄サミットが開催された。沖縄県サミット推進県民会議主催のサミットフォーラムでは基地の整理縮小に関して「強者の安全保障政策という理屈は考えず、ストレートに米軍基地はノーということを外側に発信する必要がある」と意見を述べている。
立石 勝規(たていし かつのり、1943年 - )は、日本の… 立石 勝規(たていし かつのり、1943年 - )は、日本のジャーナリスト、ノンフィクション作家。 青森県弘前市生まれ。東北大学卒業。毎日新聞社に入社し、東京本社社会部副部長・編集委員・論説委員・論説副委員長などを務める。その後退職し、独立。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
伊高 浩昭(いだか ひろあき、1943年 - )は、日本のラ… 伊高 浩昭(いだか ひろあき、1943年 - )は、日本のラテンアメリカ研究者、ジャーナリスト。 東京生まれ。1966年、早稲田大学政治経済学部新聞学科卒業。共同通信社編集委員。1967年から1975年にラテンアメリカを取材。1975年にイベリア半島、1977年から1979年に沖縄、1981年から1984年にアフリカ南部、1982年にフォークランド紛争など、世界百数十か国・地域を取材。2005年から2014年に立教大学ラテンアメリカ研究所「現代ラ米情勢」担当講師。2014年、同研究所学外所員。
恩田 勝亘(おんだ かつのぶ、1943年 -2015年9月1… 恩田 勝亘(おんだ かつのぶ、1943年 -2015年9月17日 )は、日本のジャーナリスト。島根県出身。 法政大学卒業。1967年、女性週刊誌などのライターとなる。1971年より、『週刊現代』の記者として、政治・経済・事件など幅広い分野を取材・執筆。 チェルノブイリ事故にさいしては、主に放射能による食品汚染問題を提起。2006年のチェルノブイリ20年目には、世界のメディアで唯一、事故炉4号機の中央制御室に潜入・取材。 2007年以降は、フリーのジャーナリストとして活動。2015年9月17日北里大学病院にて死去。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
行宗 蒼一(ゆきむね そういち、1943年 - )は、マルチ… 行宗 蒼一(ゆきむね そういち、1943年 - )は、マルチジャーナリスト、元NHKアナウンサー。1980年代にNHKを退職し内部告発した著作『NHKはもういらない!』を出版したことで知られる。 早稲田大学政治経済学部経済学科卒業後、1966年に日本放送協会(NHK)へ入局。 NHKではアナウンサーとして、初任地の下関放送局(現:下関支局)を皮切りに、釧路局を経て前橋局に赴任。前橋局ではNHK-FMのローカル番組『TPリクエストアワー』でディスクジョッキーを務め、NHKらしからぬDJぶりを披露して話題となった。1981年、山形局に転勤。 翌1982年8月にNHKを退職してフリーとなる。同年10月1日に『NHKはもういらない!』を刊行、1984年4月22日に雑誌『話の特集』臨時増刊『さよなら さんかく NHK』を編集し、NHK批判を展開する。
山本 博(やまもと ひろし、1942年12月13日 - 20… 山本 博(やまもと ひろし、1942年12月13日 - 2013年7月4日)は、北海道新聞や朝日新聞で新聞記者として活動した日本のジャーナリスト。リクルート事件の取材で指揮を執るなど、「調査報道」の第一人者と評された。 東京都生まれ。早稲田大学第一商学部卒業。 北海道新聞の記者として、特ダネを多くものにし、引き抜かれる形で1970年に朝日新聞社に入社した。朝日新聞では、横浜支局次長、東京本社社会部デスク、名古屋本社社会部部長などを歴任した。 東京社会部時代に新聞協会賞を2回受賞している。 2000年から2008年にかけて朝日学生新聞社社長を務めた。 2000年代には、東京経済大学大学院で非常勤講師として教鞭を執った。
松本 仁一(まつもと じんいち、1942年12月7日 - )… 松本 仁一(まつもと じんいち、1942年12月7日 - )は、日本のジャーナリスト。日本におけるアフリカ報道の第一人者。 長野県更級郡稲荷山町(現千曲市)生まれ。東京大学法学部卒。1968年朝日新聞社入社。1982年ナイロビ支局長。1990年中東アフリカ総局長としてカイロに駐在。1993年から2007年まで編集委員。1994年ボーン・上田記念国際記者賞、1997年『アフリカで寝る』で日本エッセイスト・クラブ賞受賞、2002年『テロリストの軌跡』で日本新聞協会賞受賞。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
松見 正宣(まつみ まさのぶ、1942年(昭和17年)11月… 松見 正宣(まつみ まさのぶ、1942年(昭和17年)11月28日 - )は、日本の政治家、ジャーナリスト。2002年から2006年にかけて、東大阪市長を務めた。 朝鮮総督府の役人だった祖父を持ち、1942年、日本統治時代の朝鮮半島・京城府(現・ソウル特別市)で生まれる。父の転勤により移り住んだ咸興市でソ連軍の参戦・侵攻を受け、収容所生活を送るが、1946年に脱出して日本に引き揚げ、高校時代まで熊本県で育つ。 関西大学法学部卒業後の1965年、 NHKに記者として入局し、福岡放送局を初任地に、京都放送局放送部副部長、高知放送局放送部長、大阪放送局広報部長などを歴任した。戦争時代の体験などを背景に、記者時代は人権問題を取材活動のメインテーマにしていたという。
白石 喜和(しらいし よしかず、1942年11月25日 - … 白石 喜和(しらいし よしかず、1942年11月25日 - )は、日本のジャーナリスト、元読売新聞記者。社会部記者をへて、地方部長、社会部長、編集局次長、総務局長、取締役事業局長、読売ゴルフ代表取締役社長などを歴任した。 中央大学法学部を卒業後、1967年に読売新聞大阪本社に入社、初任地は岡山支局。 1968年、取材を通じて岡山市のアマチュア無線家で医師の菊井昭雄の知遇を得る。ワルシャワ条約機構軍がプラハを侵略した際、情報統制されていたプラハが戦車に蹂躙されている状況をアマチュア無線で知り、記事化して、大スクープとなった。[要出典] 1971年、警察記者クラブで知り合ったサンケイ新聞記者の上村洋行を通じて、その義兄司馬遼太郎とその実姉福田みどりの知遇を得、司馬の自宅(現・司馬遼太郎記念館)を訪問するようになる。
ロバート・ホワイティング(英語: Robert Whitin… ロバート・ホワイティング(英語: Robert Whiting , 1942年10月24日 - )は、日本の野球や日本で活動するアメリカ人ギャングなどの現代の日本文化に関するいくつもの成功した本を書いたアメリカ合衆国ニュージャージー州生まれのベストセラー作家兼ジャーナリストである。野球をおもなテーマとして日本人論、日米比較文化論を展開している。 1962年にアメリカ空軍諜報部員として訪日して以来、日本野球や日本の裏社会についての著作や講演をしており、合わせて30年以上日本で生活を送る。現在は日本とカリフォルニア州の自宅を行き来している。 アメリカ合衆国のニュージャージー州に生まれ、カリフォルニア州ユーレカで育った。
橋田 信介(はしだ しんすけ、1942年〈昭和17年〉8月2… 橋田 信介(はしだ しんすけ、1942年〈昭和17年〉8月22日 - 2004年〈平成16年〉5月27日)は、日本のジャーナリスト、報道写真家。 山口県宇部市出身。宇部中央高等学校卒業後、郵便配達員として働きながら1970年(昭和45年)に法政大学法学部の夜学を卒業。同年日本電波ニュース社に入社し、カメラマンとして1972年(昭和47年)ベトナム、ハノイ特派員、1978年(昭和53年)バンコク支局長、1980年(昭和55年)ローマ支局長を歴任。ベトナム戦争時には空爆を受けている地上側から取材を行った。 1988年(昭和63年)フリーとなり、バンコクを拠点に主にアジアの戦争報道を手がける。湾岸戦争ではCNNや『ニューヨーク・タイムズ』にスクープ報道を提供する。
矢野 直明(やの なおあき、1942年7月29日 - )は日… 矢野 直明(やの なおあき、1942年7月29日 - )は日本のジャーナリスト、編集者。「サイバーリテラシー」を提唱。サイバーリテラシー研究所 代表。 1942年、東京都渋谷区で生まれ、まもなく戦災のため三重県松阪市へ。高校まで松阪で育つ。東京大学文学部社会学科卒。1966年に朝日新聞社入社。盛岡支局を振り出しに佐世保支局、福岡総局、西部本社社会部、同整理部を経て、1979年に出版局『アサヒグラフ』編集部員。1988年、『ASAHIパソコン』を創刊して初代編集長に。『月刊Asahi』編集長のあと、1995年から出版局デジタル出版部長兼『DOORS』編集長。 2002年に朝日新聞社を退職すると同時にサイバーリテラシー研究所を開設。
小島 明(こじま あきら、1942年(昭和17年)7月18日… 小島 明(こじま あきら、1942年(昭和17年)7月18日 - )は、日本のジャーナリスト、国際経済学者。日本経済新聞社専務取締役、日本経済研究センター会長、慶応義塾大学商学研究科教授などを務めた。 神奈川県横浜市生まれ。1965年早稲田大学第一政治経済学部経済学科卒、日本経済新聞社入社 編集局外報部(現国際部)。1969-1970年ブリティッシュ・カウンシル・スカラーとして英マンチェスター大学を卒業。1972年経済部記者、1978-1982年ニューヨーク特派員・支局長、1982年経済部編集委員兼論説委員、1992年編集局次長兼国際第一部長、1994年論説副主幹、1997年取締役・論説主幹、慶応義塾大学商学研究科教授を兼ねる。
園田矢(そのだ ただし、1942年7月7日 - )は、日本の… 園田矢(そのだ ただし、1942年7月7日 - )は、日本のジャーナリスト、NHK外信部長などを歴任。
溝口 敦(みぞぐち あつし、1942年7月5日 - )は、日… 溝口 敦(みぞぐち あつし、1942年7月5日 - )は、日本のノンフィクション作家、ジャーナリスト。東京市浅草区(現・東京都台東区)生まれ。川崎市高津区育ち。本名:島田敬三。 日本における組織犯罪問題の第一人者。雑誌編集者として暴力団の取材に着手した20代なかば頃からというもの、“殺菌には日の光に晒すのが一番だそうだ”(米国最高裁判事ルイス・D・ブランダイス)をモットーに著述活動を継続。数多くの「ヤクザ」(暴力団)関連の著作を上梓してきた。 代表作にベストセラーの『暴力団』(2011年 新潮新書)や『食肉の帝王』(2003年 講談社)など。『食肉の帝王』は、第25回「講談社ノンフィクション賞」、「日本ジャーナリスト会議賞」、および「編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム大賞」の3賞を同時受賞している。
秋山 豊寛(あきやま とよひろ、1942年(昭和17年)6月… 秋山 豊寛(あきやま とよひろ、1942年(昭和17年)6月22日 - )は、日本のジャーナリスト、ソビエト連邦第3級宇宙飛行士、京都造形芸術大学芸術学部教授。元TBS記者・ワシントン支局長。
嶌 信彦(しま のぶひこ、1942年5月5日 - )は、日本… 嶌 信彦(しま のぶひこ、1942年5月5日 - )は、日本のジャーナリスト。元白鴎大学経営学部教授(定年退官)。前慶應義塾大学メディアコム講師。 NPO「日本ニュース時事能力検定協会」理事、NPO「日本ウズベキスタン協会」 会長。先進国サミットの取材は約30回に及ぶ。 会計検査院「会計検査懇話会」、総務省「NHK海外情報発信強化に関する検討会」の委員などを務める。
長宗我部 友親(ちょうそがべ ともちか、1942年〈昭和17… 長宗我部 友親(ちょうそがべ ともちか、1942年〈昭和17年〉3月22日 - 2025年〈令和7年〉10月11日)は、日本のジャーナリスト、著述家。戦国大名・長宗我部元親の実弟である親房(島親益)から17代目の長宗我部家当主。 高知市上町に生まれる。 早稲田大学を卒業後、1968年(昭和43年)共同通信社に入り、経済部長、そして2002年(平成14年)常務監事を歴任した。2004年(平成16年)に退任。 自身の家系である長宗我部氏に関する著書がある。 高知で好きな場所は浦戸城のあった浦戸であると述べている。また、武家の末裔ながら刀剣類を「恐ろしい存在」と述べ、「うちは先祖である盛親が六条河原で打ち首になったこともあり、私は刀を見ると寒気がします。
宇野 淑子(うの よしこ、1942年3月18日 - )は、日… 宇野 淑子(うの よしこ、1942年3月18日 - )は、日本のアナウンサー、ジャーナリスト、女優。 東京都立川市出身。戦争疎開で岡山県に移住し、高校卒業まで岡山市(旧都窪郡吉備町)で送る。東京教育大学卒業後、1964年4月、TBSにアナウンサー9期生として入社(同期に石川顯、大沢悠里、小島康臣、平原晋太郎、桝井論平、高階玲子、二村義子、山田照子、吉野好子)。1966年1月、ラジオ局放送部兼テレビ編成局アナウンス部。1967年11月15日、アナウンサー研修室設置に伴いラジオ局第一制作部勤務者兼アナウンサー研修室付に。1969年3月、放送部兼第一制作部兼第二制作部兼アナウンサー研修室付、1970年7月、ラジオ本部アナウンス室、1989年1月、報道総局アナウンス部兼ラジオ総局情報制作局ニュース・情報センター部、1991年5月、アナウンスセンター兼ラジオ制作局にそれぞれ配属。
落合 信彦(おちあい のぶひこ、1942年1月8日 - )は… 落合 信彦(おちあい のぶひこ、1942年1月8日 - )は、日本出身のジャーナリスト、小説家である。
奈良 陽(なら よう、1942年(昭和17年)1月2日 ‐ … 奈良 陽(なら よう、1942年(昭和17年)1月2日 ‐ 2007年(平成19年)8月8日)は、日本のアナウンサー、ジャーナリスト。TBSで一貫して報道アナウンサーを担い、プロデューサーも務めた。 東京都文京区出身。東京都立板橋高等学校、立教大学法学部卒業。身長180cm。 1965年4月にTBSに入社。1966年報道ニュースアナウンサーとして配属され、一貫して報道アナウンサーを務める。日本航空機ハイジャック、東大闘争、成田空港建設反対闘争、あさま山荘事件など大事件を扱う。朝の情報番組『おはよう700』メインキャスター(1977年 - 1980年)、政治部総理大臣官邸記者クラブ担当記者(1980年 - 1981年)、『テレポートTBS6』メインキャスター、『スーパーワイド』ニュースコーナーキャスター、『おはようクジラ』プロデューサーなども務めた。
浅岡 重輝(あさおか しげあき、1942年1月1日 - )は… 浅岡 重輝(あさおか しげあき、1942年1月1日 - )は、東京都出身の元レーシングドライバー、モータージャーナリスト。 港区白金出身。小学校の後輩に同じくレーサーの福澤幸雄がおり、当時から親しかったという。子どものころからクルマ好きで、16歳で免許を取得(当時1,500cc以下の小型車は16歳で免許が取れた)。最初の愛車はイギリス車のオースチンA50。 1960年に、18歳で日本スポーツカークラブ(スポーツカークラブオブジャパン、SCCJ)に入会。ジムカーナやヒルクライムなどのモータースポーツに出場する。 1963年に鈴鹿サーキットで開催された第1回日本グランプリに、ヒルマン・ミンクス(いすゞがノックダウン生産していた)で出場し、C-5クラス(1,300〜1,600ccのツーリングカー)で5位。
殿岡 駿星(とのおか しゅんせい、1942年 - )は、静岡… 殿岡 駿星(とのおか しゅんせい、1942年 - )は、静岡県出身のジャーナリスト。 浜松市に生まれ、5歳から東京に育つ。1961年、明治大学付属明治高等学校卒業。1968年、明治大学文学部を卒業し、朝日新聞社に記者として入社、浦和支局に赴任し警察担当者として「狭山事件」など事件をおもに取材。1973年、北海道支社報道部へ転勤し道議会を担当。1974年、旭川支局に転勤。1977年、東京本社に異動し、内勤の紙面編集記者となる。1988年頃から狭山事件の取材に本格的に取り組み、石川一雄の冤罪説を展開。2002年に同社を定年退職。退職後、合資会社勝どき書房を立ち上げる。「昭和俳句弾圧事件」に取り組み、岳父である自由律俳人橋本夢道を研究、「夢道サロン」代表となる。
大島 信三(おおしま しんぞう、1942年 - )は、日本の… 大島 信三(おおしま しんぞう、1942年 - )は、日本のジャーナリスト、著作家。 新潟県に生まれ、新潟県立村上高等学校を卒業した。早稲田大学教育学部を卒業し、1964年に、産経新聞社に入社した。以降は新聞と雑誌の両部門で経歴を積み、『週刊サンケイ』編集長、『新しい住まいの設計』編集長、特集部編集委員、『正論』編集長、編集局編集委員を歴任した。特別記者を経て、2009年に退社し、以降はフリージャーナリストとして活動。 1990年に『正論』編集長となった大島は、読者投稿欄の拡充を皮切りに誌面の改革をおこない、9万部だった部数を、最盛期には15万部にまで伸張させた。読者投稿欄は、最も多い時期で50ページ超となったという。
水溜 栄一(みずたまり えいいち、1942年 - )は、日本… 水溜 栄一(みずたまり えいいち、1942年 - )は、日本のジャーナリスト、新聞経営者。南日本新聞社社長を務めた。鹿児島県出身。 1961年に鹿児島県立甲南高等学校を卒業。1965年に鹿児島大学文理学部を卒業し、同年に南日本新聞社に入社した。2003年に専務に就任し、2006年12月には社長に昇格し、2008年12月までに務めた。
垂水 雄二(たるみ ゆうじ、1942年(昭和17年) - )… 垂水 雄二(たるみ ゆうじ、1942年(昭和17年) - )は、日本の翻訳家、科学ジャーナリスト(サイエンスライター)。 大阪府大阪市生まれ。1965年京都大学理学部生物学科卒、同大学院理学研究科博士課程単位取得後退学。思索社、平凡社勤務。1998年平凡社を退社。1999年よりフリージャーナリスト。
遠藤 徹(えんどう とおる、1942年- )は、日本の自動車… 遠藤 徹(えんどう とおる、1942年- )は、日本の自動車ジャーナリスト。 神奈川県生まれ。中央大学法学部卒業。経済誌、自動車業界紙記者を経て、現在自動車ジャーナリストとして活躍。
渡辺光一(渡邊光一、わたなべ こういち、1942年 - )は… 渡辺光一(渡邊光一、わたなべ こういち、1942年 - )は、日本のジャーナリスト、国際政治学者。 1942年、東京生まれ。1966年東京外国語大学インド・パキスタン語学科卒業。NHK入社後、社会部、外信部記者を経てボン支局長、ニューデリー支局長、モスクワ支局長を務めた。衛星放送ニュースキャスター、放送文化研究所主任研究員を経て、1999年にNHKを退社。その後、駒沢女子大学人文学部教授、日本大学法学部講師などを歴任。
西村 吉雄(にしむら よしお、1942年 - )は、日本の技… 西村 吉雄(にしむら よしお、1942年 - )は、日本の技術ジャーナリスト。東京大学大学院工学系研究科教授や、大阪大学フロンティア研究機構特任教授、早稲田大学政治経済学術院客員教授などを歴任した。 満洲国遼陽市生まれ。一家で引き揚げ後、木場で製材所を経営。1965年東京工業大学理工学部電子工学科卒業。1967年東京工業大学大学院理工学研究科電子工学専攻修士課程修了。同年から1968年までモンペリエ大学理学部固体電子工学研究センターに留学。 末松安晴研究室で半導体レーザなどを研究し、1971年東京工業大学大学院理工学研究科電子工学専攻博士課程修了、工学博士、日経マグロウヒル入社。日経エレクトロニクス創刊に参画し、1972年日経エレクトロニクス副編集長。
髙山 正之(たかやま まさゆき、1942年〈昭和17年〉 -… 髙山 正之(たかやま まさゆき、1942年〈昭和17年〉 - )は、日本のジャーナリスト。元産経新聞記者、元帝京大学教授。 東京都出身。港区立麻布小学校、都立九段高校、東京都立大学法経学部法学科卒業後、1965年産経新聞社に入社。警視庁クラブ、羽田クラブ詰、夕刊フジ記者を経て、産経新聞社会部次長(デスク)。1985年から1987年までテヘラン支局長を務め、1980代のイラン革命やイラン・イラク戦争を現地で取材。また、アジアハイウェイ踏査隊長としてアジア諸国を巡る。1980年代後半、芸能方面へ異動になる。当時の編集局の上司と、国際報道についての報道方針を巡って対立があったためとされる。この頃テレビ朝日の昼の番組で、芸能解説をやっていたのもこれが原因だという。
下田 博次(しもだ ひろつぐ、1942年 - )は、日本のジ… 下田 博次(しもだ ひろつぐ、1942年 - )は、日本のジャーナリスト。群馬大学社会情報学部名誉教授。 NPO法人青少年メディア研究協会・初代理事長。専門は情報社会。 1942年、愛知県にて出生。早稲田大学第一商学部卒業。雑誌記者、放送番組制作者を経て、2008年3月まで群馬大学社会情報学部大学院研究科教授。2008年4月から2009年5月まで同大学特任教授。警察庁の「少年インターネット利用に関する研究会」座長などに就く。 市民主導のIT(情報技術)革命を唱え、子どものインターネット利用を考えるホームページ「ねちずん村」を主宰する傍ら、ラジオで若者や親に向けインターネット・携帯電話の危険性を訴える番組を企画・放送している。
滝本 喬(たきもと たかし、1942年 - )は、日本のジャ… 滝本 喬(たきもと たかし、1942年 - )は、日本のジャーナリスト。 東京都生まれ。海城高等学校、早稲田大学第一文学部卒業。毎日新聞社に入社、1986年、退社、独立。フリー・ジャーナリストとなる。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
米倉 久邦(よねくら ひさくに、1942年 - )は、日本大… 米倉 久邦(よねくら ひさくに、1942年 - )は、日本大学職員で、ジャーナリスト。 東京生まれ。1968年、早稲田大学卒業、共同通信社に入社。ワシントン特派員、経済部長、ニュースセンター長、論説委員長などを歴任した。フリーランスジャーナリストを経て、現在日本大学企画広報部職員。 高校・大学時代登山に親しみ、2004年12月日本百名山を踏破した。日本山岳会会員、森林インストラクター、東京スキー山岳会会員。 2018年、日本大学フェニックスの反則タックル問題に対し、日本大学は5月23日に日大本部で会見を開いた。米倉は日大広報として司会を務めたが、度々会見を打ち切ろうとしてその対応は物議をかもした。
田岡 俊次(たおか しゅんじ、1941年12月16日 - )… 田岡 俊次(たおか しゅんじ、1941年12月16日 - )は、日本のジャーナリスト、軍事評論家。血液型はO型。京都府京都市左京区出身。
森 詠(もり えい、1941年12月14日 - )は、日本の… 森 詠(もり えい、1941年12月14日 - )は、日本の小説家、ジャーナリスト。 日本文藝家協会理事(2012年より)。日本ペンクラブ会員。 代表作は架空戦記『燃える波濤』(徳間書店)。 東京府生まれ。栃木県立黒磯高等学校、東京外国語大学イタリア語学科を卒業後、「週刊読書人」の記者を経て、フリージャーナリストとして独立。 1971年、『黒い龍』で作家デビュー。以後、世界をまたにかけたスパイ小説、軍事情報小説で人気を博す。 1983年には、日本冒険作家クラブの創設を提唱して実現。1985年には『雨はいつまで降り続く』で第93回直木三十五賞候補となった。その後、警察小説、青春小説、架空戦記などジャンルの幅を広げて活躍。