新原 昭治(にいはら しょうじ、1931年 - 2024年1… 新原 昭治(にいはら しょうじ、1931年 - 2024年11月21日)は、国際問題研究者、ジャーナリスト、政治活動家。 福岡市生まれ。九州大学に進み、1952年日本共産党に入党、1954年3月文学部(心理学)卒業。 同年長崎放送に記者として入社、ビキニ事件や1956年の第2回原水爆禁止世界大会の取材や番組制作もおこなった。 1961年赤旗編集局に入局。党中央機関紙編集委員、1973年准中央委員、1977年中央委員、1981年幹部会委員等を経て、1994年-2000年、常任幹部会員を務めた。この間、平和問題対策委員会責任者、国際委員会責任者、書記局員などを併任した。 非核の政府を求める会世話人、日本平和委員会理事。
もっと読む
鈴木 隆(すずき たかし、1931年 - 2019年3月29… 鈴木 隆(すずき たかし、1931年 - 2019年3月29日)は、日本のジャーナリスト、実業家。 元日経BP社長。元格付投資情報センター社長。 1955年に横浜国立大学経済学部を卒業後、日本経済新聞社に入社した[要出典]。 証券部時代の1965年(昭和40年)に山一証券の経営危機をつかみ、日銀特融に至る経過を報じた。1972年に証券部長となる。1981年から1983年まで日経産業新聞の編集長を務める。1983年にデータバンク局長に就任し、経済情報をオンラインでパソコンに送り込む「日経テレコン」をはじめ、日本経済新聞社の総合情報産業化に貢献する。その後大阪本社代表を経て、1990年に日本経済新聞社を退社した。
もっと読む
正延 哲士(まさのぶ てつし、1931年〈昭和6年〉 - 2… 正延 哲士(まさのぶ てつし、1931年〈昭和6年〉 - 2015年〈平成27年〉6月27日)は、日本のルポライター、小説家、ジャーナリスト。日本推理作家協会会員。 高知県に生まれる。立命館大学文学部哲学科中退。高知放送勤務を経て、著述活動に入る。主にノンフィクションを執筆し、実在したヤクザの人間像や、冤罪事件をテーマにした作品などを発表。著書『最後の博徒 波谷守之の半生』は東映『最後の博徒』(監督・山下耕作 主演・松方弘樹)として映画化された。
もっと読む
波多野 裕造(はたの ゆうぞう、1930年12月18日 - … 波多野 裕造(はたの ゆうぞう、1930年12月18日 - 2017年2月17日)は、日本のジャーナリスト、外交官、翻訳家。位階は正五位。 京都府出身。1953年東京大学文学部卒、毎日新聞社に入り、政治記者、ワシントン特派員などを務める。 1976年に毎日新聞社を辞して外交官となり、エジプト、イギリス公使、カナダ・トロント総領事、カタール大使、アイルランド大使などを務めた。 1994年、外交官から転じて白鷗大学教授となり、2003年退任、名誉教授。2006年、瑞宝中綬章受章。 2017年2月17日に死去。86歳没。没後に正五位に叙された。
もっと読む
室伏 哲郎(むろぶし てつろう、 1930年12月14日 -… 室伏 哲郎(むろぶし てつろう、 1930年12月14日 - 2009年10月26日)は、日本の作家、評論家、ジャーナリスト。評論家の室伏高信は伯父。 神奈川県生まれ。芝高等学校卒業、東京大学中退。雑誌記者、編集者を経て評論家となる。戦後に農大、慶応大の学生らとカストリ雑誌『ナンバーワン』を創刊、城昌幸の探偵小説や岩崎栄のエロ小説を掲載した創刊号が2万部を販売する好成績をおさめ、独立しておじの室伏高信と『マダム』『ピース』を刊行した。NETテレビ(現:テレビ朝日)系列のテレビ番組「女のひろば」で司会を3年間務めた[要出典]。拓殖大学で客員教授を務めたこともある[要出典]。 政治、社会、経済、美術、女性問題など、幅広い分野にて活動する。
もっと読む
塩沢 実信(しおざわ みのぶ、1930年11月29日 - )… 塩沢 実信(しおざわ みのぶ、1930年11月29日 - )は、出版ジャーナリスト、ノンフィクション作家。
もっと読む
藤原 房子(ふじわら ふさこ、1930年9月1日 - )は、… 藤原 房子(ふじわら ふさこ、1930年9月1日 - )は、日本のジャーナリスト。本名・黒羽房子。夫は教育学者・社会学者の黒羽亮一。 福井県福井市生まれ。1948年福井県立福井高等女学校卒業。1953年東京女子大学文学部社会科学科卒業。日本経済新聞社に入社し、社会部、出版局、婦人部を経て退職後、東京都監査委員、財団法人日本女子社会教育会理事長を務める。『手の知恵――秘められた可能性』(山手書房) にて1979年度サントリー学芸賞受賞。日本エッセイスト・クラブ理事。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
もっと読む
大牟田 稔(おおむた みのる、1930年9月1日 - 200… 大牟田 稔(おおむた みのる、1930年9月1日 - 2001年10月7日)は、日本のジャーナリスト。元広島平和文化センター理事長。 宮崎県出身。広島高等師範学校、広島大学文学部仏文科卒業。1950年から梶山季之とともに雑誌『天邪鬼』を創刊。 1953年、中国新聞社に入社。記者となる。 1964年に当時アメリカ軍の支配下におかれた沖縄を訪れ、同地の被爆者を日本のジャーナリストとして初めて取材した。 ある時、中国新聞の記者として広島に投下された原爆の悲惨さを告発し続けた金井利博に影響を受け、広島に興味を持つようになった。市長の平岡敬に勧められ、1992年に広島平和文化センターの理事長となる。同年中国新聞の編集者を引退した。
もっと読む
安部 光恭(あべ みつやす、1930年(昭和5年)8月23日… 安部 光恭(あべ みつやす、1930年(昭和5年)8月23日 - 2000年(平成12年)12月13日)は日本のジャーナリスト、僧侶。仏光寺住職、元静岡第一テレビ常務。第3回菊池寛賞受賞。 1930年(昭和5年)8月23日、静岡県伊東市に生まれる。立正大学文学部を卒業後、松田竹千代の秘書を経て、昭和27年に読売新聞に嘱託記者として入社する。1954年(昭和29年)3月、第五福竜丸ビキニ被爆事件をスクープし、読売新聞の正社員となる。そのスクープにより、1955年(昭和30年)に第3回菊池寛賞を受賞する。1969年(昭和44年)に退社し、木部佳昭の秘書、仏光寺副住職などを経て、1979年(昭和54年)に静岡第一テレビに入社する。
もっと読む
門馬 晋(もんま すすみ、1930年8月8日 - 2002年… 門馬 晋(もんま すすみ、1930年8月8日 - 2002年11月30日)は、日本のジャーナリスト。福島県出身。
もっと読む
鍛治 壮一(かじ そういち、1930年(昭和5年)7月6日 … 鍛治 壮一(かじ そういち、1930年(昭和5年)7月6日 - 2022年(令和4年)3月5日)は、日本のジャーナリスト、作家、航空評論家。 東京府東京市出身。1956年(昭和31年)東京大学教養学部卒業後、毎日新聞社に入社。東京社会部記者として1965年(昭和40年)から航空担当となる。その後、サンデー毎日編集次長に就任。社会部編集委員などを歴任した。 1985年(昭和60年)に同社を退社し、ジャパンタイムズ編集委員を経て独立。航空に関連する記事執筆を専業とするライターとなり、防衛・航空問題を専門とする。ほか、通産省委員など歴任した
もっと読む
池田 龍夫(いけだ たつお、1930年6月7日 - 2018… 池田 龍夫(いけだ たつお、1930年6月7日 - 2018年4月6日)は日本のジャーナリスト。 元毎日新聞中部本社編集局長。「日刊ベリタ」、「プレスウォッチング」にて毎月連載を保有、News for the People in Japanの「NPJ通信」にて読み切り論評を連載。沖縄返還密約訴訟も毎回傍聴しレポートしていた。 2018年4月6日、急性肺炎のため死去。87歳没。
もっと読む
半藤 一利(はんどう かずとし、1930年〈昭和5年〉5月2… 半藤 一利(はんどう かずとし、1930年〈昭和5年〉5月21日 - 2021年〈令和3年〉1月12日)は、日本のジャーナリスト、戦史研究家、作家。近現代史、特に昭和史に関し人物論・史論を、対談・座談も含め多く刊行している。 先祖は長岡藩士。東京府東京市向島区(現在の東京都墨田区)に生まれる。実父は運送業と区議をつとめる。近所に幼少期の王貞治が住んでおり顔見知りだった。東京府立第七中学校に入学、1945年(昭和20年)3月の東京大空襲では逃げまどい中川を漂流し、死にかける体験をする。茨城県の県立下妻中学校を経て、父の生家のある新潟県長岡市へ疎開し、県立長岡中学校3年次で終戦を迎え、そこを卒業後東京へ戻る。
もっと読む
近藤 俊一郎(こんどう しゅんいちろう、1930年(昭和5年… 近藤 俊一郎(こんどう しゅんいちろう、1930年(昭和5年)5月21日 - 2015年(平成27年)6月11日)は、日本のジャーナリスト、実業家。産業経済新聞社取締役副会長、フジテレビジョン常勤監査役。 1953年、上智大学文学部新聞学科卒業。同年4月、産業経済新聞社に入社。新制・旧制大学の同時卒業で大量採用があった「花の28年入社組」で、仙台支局を振り出しに、警視庁方面本部、警視庁本庁、文部省、宮内庁、遊軍などを担当。社会部には15年在籍した。入社3年目、東京・下町をエリアとする警視庁第七方面のいわゆるサツ回り時代に、作家の本田靖春が読売新聞の駆け出し記者として同じ方面を担当。本田の回想録『我、拗ね者として生涯を閉ず』には近藤も登場する。
もっと読む
高瀬 善夫(たかせ よしお、1930年5月20日 - 199… 高瀬 善夫(たかせ よしお、1930年5月20日 - 1999年1月28日)は、日本のジャーナリスト、文筆家、歌人。 福島県若松市(現・会津若松市)出身。 1953年、東京大学文学部社会学科を卒業後、毎日新聞社に入り、学芸部副部長、特別報道部編集委員を務める。1975年に学芸部編集委員となる。 林達夫に師事し鎌倉アカデミアにかかわった。
もっと読む
竹村 健一(たけむら けんいち、1930年〈昭和5年〉4月7… 竹村 健一(たけむら けんいち、1930年〈昭和5年〉4月7日 - 2019年〈令和元年〉7月8日)は、日本のジャーナリスト、政治評論家。1989年第5回『正論』大賞受賞。 大阪府大阪市東成区(現:生野区)生まれ。旧制大阪府立生野中学校の1年生の時に、父の実家のある兵庫県朝来郡和田山町(現:朝来市)に引っ越す。旧制兵庫県立生野中学校に転校。卒業後、旧制姫路高等学校文科甲類(現:神戸大学文学部)に入学するが、学制改革により翌年新制京都大学に編入。アメリカ・フルブライト財団主催のフルブライト奨学金制度の第1号として、アメリカ合衆国のシラキュース大学、イェール大学、ソルボンヌ大学(旧:パリ大学)で学ぶ。
もっと読む
松山 幸雄(まつやま ゆきお、1930年4月3日 - 202… 松山 幸雄(まつやま ゆきお、1930年4月3日 - 2021年10月30日)は、日本のジャーナリスト。 東京都出身。1953年東京大学法学部卒、朝日新聞社に入り、政治部、ワシントン特派員、ニューヨーク支局長を経て74-76年アメリカ総局長。論説委員兼編集委員、論説副主幹、1983年論説主幹、1985年取締役。退任後は、ハーヴァード大学客員研究員、1993年共立女子大学教授。1976年ボーン・上田記念国際記者賞、1977年『日本診断』で吉野作造賞、1978年日本記者クラブ賞、1986年ベストメン、1986年『国際対話の時代』で石橋湛山賞受賞。
もっと読む
柴田 穂(しばた みのる、1930年〈昭和5年〉3月21日 … 柴田 穂(しばた みのる、1930年〈昭和5年〉3月21日 - 1992年〈平成4年〉2月1日)は日本のジャーナリスト。元産経新聞論説委員長。 東京生まれ。東京外国語大学外国語学部中国語科卒業。 1954年産経新聞社に入社。のちソウル特派員、および北京支局長となる。紅衛兵らによる文化大革命について、1964年に決まった「日中双方の新聞記者交換に関するメモ」もあり制約された報道だったが、柴田は壁新聞をよみこなし、権力闘争と看破し取材報道、1967年9月に中華人民共和国を追放となる。その後も中国や北朝鮮に対し客観的な観点で著作を行った。産経新聞論説委員に就任。1979年には『毛沢東の悲劇』シリーズを出版する。
もっと読む
高木 正幸(たかぎ まさゆき、1930年(昭和5年)3月10… 高木 正幸(たかぎ まさゆき、1930年(昭和5年)3月10日 - 1998年(平成10年)7月13日)は、日本のジャーナリスト、評論家。 1953年(昭和28年)、熊本大学文学部英文学科卒業。同年、朝日新聞社入社。鹿児島支局、西部本社、東京本社社会部、首都部次長を経て、1974年(昭和49年)から東京本社編集委員。 全共闘運動の時代から学生運動に関わる記事を多数執筆し、次いで部落問題の専門記者として鳴らした。1980年(昭和55年)までは部落解放同盟の見解に共鳴し、部落解放同盟寄りの記者と見られていた。この間、シルクロード踏査隊に参加。 1982年(昭和57年)から北九州市同和対策審議会委員。
もっと読む
宮澤 正幸(みやざわ まさゆき、1930年2月15日 - 2… 宮澤 正幸(みやざわ まさゆき、1930年2月15日 - 2024年2月28日)は、日本のスポーツジャーナリスト。 神奈川県小田原市出身。日本大学を経て拓殖大学卒業。 1953年に大学卒業と同時に東京新聞社に入社し、校閲部にて勤務した後の翌年に日刊スポーツ新聞社へ転職して運動部記者を務めた。 日刊スポーツ時代はアマチュアスポーツ担当記者としてレスリング、柔道、相撲のほかに体操競技の取材・報道を行い、第18回夏季オリンピック東京大会(1964年)では柔道競技の取材を担当した。 また1972年ミュンヘンオリンピック体操競技で日本の塚原光男が鉄棒で初めて披露した大技を「月面宙返り」と命名したのも宮澤であったという。
もっと読む
高榎 堯(たかぎ たかし、1930年1月24日 - )は、日… 高榎 堯(たかぎ たかし、1930年1月24日 - )は、日本の科学ジャーナリスト。 兵庫県神戸市出身。旧制・兵庫県立第三神戸中学校(現・兵庫県立長田高等学校)、旧制・姫路高等学校(現・神戸大学)を経て、1953年に京都大学工学部電気工学科を卒業。毎日新聞社に電気通信技術者として入社し、論説委員兼編集委員を務めたのち退社。
もっと読む
梶山 季之(かじやま としゆき、1930年1月2日 - 19… 梶山 季之(かじやま としゆき、1930年1月2日 - 1975年5月11日)は、日本の小説家・ジャーナリスト。ルポライターとして梶 季彦、少年少女向け推理・冒険小説(ジュブナイル作品)の著者として梶 謙介のペンネームがある。 週刊誌創刊ブーム期に代表的なトップ屋として活躍、その後『黒の試走車(テストカー)』『赤いダイヤ』などの産業スパイ小説、経済小説でベストセラー作家となり、推理小説、時代小説、風俗小説、社会小説、痛快小説、SF小説、時代小説、実録小説、少年少女向けの冒険小説等とあらゆる分野に作品を残した多才・多作の作家であった。酒の飲み過ぎにより取材先の香港で45歳で客死。昭和一桁生まれの最後の無頼派的な文士といわれ、磯田光一は「戦後文壇の自爆者」と評した。
もっと読む
徳岡 孝夫(とくおか たかお、1930年〈昭和5年〉1月2日… 徳岡 孝夫(とくおか たかお、1930年〈昭和5年〉1月2日 - 2025年〈令和7年〉4月12日)は、日本のジャーナリスト、評論家、翻訳家。 大阪に生まれる。旧制北野中学を経て京都大学文学部英文科卒。1952年(昭和27年)、京都大学在学中に毎日新聞社に入社(正式採用は翌年の卒論提出後)。1955年(昭和30年)10月よりフルブライト奨学生としてアメリカのシラキュース大学に留学。社会部記者、バンコク特派員、編集次長、編集委員などを歴任した。横浜市港南区に在住した。 海外特派員としてイスラエル・中近東、ベトナム戦争などを取材した、定年を前に、1985年(昭和60年)学芸部編集委員をもって退社。 『サンデー毎日』記者時代の1970年(昭和45年)11月25日の三島事件の当日に、交流があった三島由紀夫から電話で依頼され、市谷本村町の市ヶ谷会館で、NHK記者だった伊達宗克と共に、楯の会関係者から手紙と檄文を託され、隣接する市ヶ谷駐屯地の東部方面本部総監室で起きた事件の目撃者となった。
もっと読む
辰濃 和男(たつの かずお、1930年1月1日 - 2017… 辰濃 和男(たつの かずお、1930年1月1日 - 2017年12月6日)は、元朝日新聞記者のジャーナリスト、エッセイスト。元日本エッセイスト・クラブ理事長。 東京生まれ。1953年東京商科大学(一橋大学)卒業。大学では、加藤秀俊(社会学者)と語学のクラス及び南博ゼミの同級生で、ともに一橋新聞部に所属した。 大学卒業後朝日新聞社入社。浦和支局、社会部、ニューヨーク支局長、社会部次長、編集委員、論説委員、編集局顧問を歴任。この間、1975年から1988年まで「天声人語」を担当し、1993年に退社。1994年朝日カルチャーセンター社長。また、日本エッセイスト・クラブ理事長も務めた。 ジャーナリストとして多数の著書を刊行している。
もっと読む
佐藤 一段(さとう いちだん 1930年 - 2025年)は… 佐藤 一段(さとう いちだん 1930年 - 2025年)は、日本のジャーナリスト。所属事務所は昭和プロダクション。 大阪府出身。九州大学法学部政治学科卒業後、産業経済新聞社に入り、大阪、東京両本社で経済部長を務め、フジサンケイグループの活字部門の源流である大阪新聞社長も務めた。 現在はフリージャーナリストとして、経済をメインに政治、社会、文化など幅広い分野で評論・解説をおこなうほか、テレビ、ラジオなどにもしばしば出演している。 以下の番組はいずれも、フジサンケイグループのラジオ大阪で放送。メインパーソナリティを務めた。
もっと読む
西澤 信正(にしざわ のぶまさ、1930年 - 2009年8… 西澤 信正(にしざわ のぶまさ、1930年 - 2009年8月14日)は、名古屋を中心に活動したジャーナリスト、評論家、大学教授。
もっと読む
板橋守邦(いたばし もりくに、1929年11月7日 - 19… 板橋守邦(いたばし もりくに、1929年11月7日 - 1994年1月26日)は、日本のジャーナリスト。 新潟県出身。新潟中学校卒業後、海軍兵学校78期。1953年東京大学文学部仏文科卒、毎日新聞社に入り、『エコノミスト』編集長、1979年論説委員。その後北海道女子短期大学教授を務め、64歳で死去。捕鯨史の著書などを著した。
もっと読む
榎本 勝起(えのもと かつおき、1929年〈昭和4年〉10月… 榎本 勝起(えのもと かつおき、1929年〈昭和4年〉10月26日 - 2021年〈令和3年〉11月22日)は、日本のアナウンサー、放送ジャーナリスト。TBSアナウンサー第3期生。東京都町田市出身・在住。愛称は「榎さん(えのさん)」。 東京都立玉泉中学校(現在の東京都立西高等学校)3期→駒澤大学文学部英米文学科卒業。1952年11月23日にTBSの前身であるラジオ東京に入社、編成局考査部、制作一課、調査部を経て1954年4月にアナウンサーとなる(第3期生)。以後、ラジオ局制作現業部兼テレビ編成局アナウンス部(1966年1月)、ラジオ局第一制作部兼アナウンサー研修室付(1967年11月)、ラジオ局第一制作部(1968年9月)、テレビ制作局第二制作部兼テレビ編成局放送部(1969年3月)、ラジオ本部アナウンス室(1971年3月)に配属される。
もっと読む
中江 利忠(なかえ としただ、1929年10月4日 - )は… 中江 利忠(なかえ としただ、1929年10月4日 - )は、日本のジャーナリスト。元朝日新聞社社長。
もっと読む
茶本 繁正(ちゃもと しげまさ、1929年10月3日 - 2… 茶本 繁正(ちゃもと しげまさ、1929年10月3日 - 2006年3月10日)は日本のジャーナリスト。 大分県出身。戦時中は少年兵に志願し、終戦時には特攻隊下士官であったことから平和への思いが深く、イラクへの自衛隊派兵や有事法制に対する批判を度々行っていたことでも知られる。 早稲田大学卒業後、新聞記者、主婦と生活社勤務を経て、1960年よりフリーのルポライターに転向。 1977年、統一協会(現・世界平和統一家庭連合)傘下の学生組織原理研究会の内幕を追った『原理運動の研究』『同 資料編 1』『同 資料編 2』を刊行。翌1978年、この3冊により日本ジャーナリスト会議奨励賞を受賞。後に同会議で代表委員を務めた。
もっと読む
新井 直之(あらい なおゆき、1929年9月21日 - 19… 新井 直之(あらい なおゆき、1929年9月21日 - 1999年5月13日)は、日本のジャーナリスト、ジャーナリズム研究者。 岩手県盛岡市出身。東京大学文学部独文科卒業。在学中に同大学新聞研究所の第1期研究生となった。1951年共同通信入社。社会部、文化部を経て文化部次長、科学部長、編集委員、調査部長を歴任し、1978年退社して創価大学文学部教授、1993年東京女子大学現代文化学部教授。日本ジャーナリスト会議設立時には共同支部幹事を務め、1973年から1979年まで同会議副議長を務めた。 評論家の樋口恵子とは事実婚の関係にあった。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
もっと読む
磯村 尚徳(いそむら ひさのり、1929年(昭和4年)8月9… 磯村 尚徳(いそむら ひさのり、1929年(昭和4年)8月9日 - 2023年(令和5年)12月6日)は、日本のジャーナリスト、ニュースキャスター。NHK専務理事待遇特別主幹。ニュースセンター9時(NC9)編集長兼キャスター。 東京生まれ。初め(小学校)と終わり(旧制高等科→新制大学)が学習院で、間に挟んで都立第四高校(都立戸山高校)に通った。陸軍の駐在武官だった父・磯村武亮の勤務の関係で、小学時代の大半をトルコで過ごした。トルコではフランス人学校で学び、フランス語を習得する。帰国後、学習院に入りなおした。 1953年に学習院大学政経学部卒業後、NHKに入局。当時NHKではフランス語の使い手が必要だったため、たった一人東京報道局に配属になった。
もっと読む
日高 旺(ひだか うまし、1929年(昭和4年)5月9日 -… 日高 旺(ひだか うまし、1929年(昭和4年)5月9日 - 2022年(令和4年)6月17日)は、日本のジャーナリスト、新聞経営者。南日本新聞社社長、鹿児島テレビ放送(KTS)社長を歴任したほか、民俗ジャーナリストとしても知られた。 父は種子島にある鹿児島県西之表町出身の小学校教師で、彼の赴任先である屋久島の上屋久村にて生誕。2歳の頃より母方の祖父である三浦安能西之表町長(元上屋久村長)のもとに預けられて幼少期を過ごす。小学校より鹿児島市に移り、鹿児島県立第二鹿児島中学校 (旧制)卒業。文化学院中退の後、鹿児島県立大学短期大学部国文科を1952年に卒業。 アルバイトをしていた南日本新聞社へ1951年に入社し、新聞記者となる。
もっと読む
小松 錬平(こまつ れんぺい、1929年3月31日 - 20… 小松 錬平(こまつ れんぺい、1929年3月31日 - 2010年代前半)は、日本のジャーナリスト、元朝日新聞東京本社記者、元ニュースキャスター。故人。 北海道釧路市出身。1952年に東京大学農学部水産学科を卒業後、朝日新聞社へ入社。社会部・東京部・科学部各次長などを経て、1972年から編集委員。1974年『朝日新聞テレビ夕刊』の解説役でテレビ初出演。1976年4月から『ANNニュースレーダー』(NET→テレビ朝日)のキャスターを担当し、以後約10年間(途中、『ANNニュースファイナル』担当による中断時期あり)にわたってテレビ朝日の夕方の顔として活躍した。 1989年に朝日新聞社を退社。その後、神奈川新聞客員論説委員や日本鯨類研究所評議員を歴任。
もっと読む
増田 れい子(ますだ れいこ、1929年1月5日 - 201… 増田 れい子(ますだ れいこ、1929年1月5日 - 2012年12月12日)は、日本のジャーナリスト、エッセイスト。毎日新聞東京本社論説委員、学芸部編集委員、サンデー毎日記者を歴任。 東京府豊多摩郡杉並町(現・杉並区)生まれ、茨城県稲敷郡牛久村城中(現・牛久市城中町)育ち。住井すゑと犬田卯の次女。1945年、茨城県立土浦高等女学校(現・茨城県立土浦第二高等学校)卒業。1946年、日本女子大学校(現・日本女子大学)国文学科入学。同校卒業後、旧制東京大学文学部国文学科に入学。1953年に同大学を卒業し、毎日新聞社東京本社に入社。第二次世界大戦後初めて正式に採用された女性記者の一人であった。1991年毎日新聞初の女性論説委員になる。
もっと読む
岡村 昭彦(おかむら あきひこ、1929年〈昭和4年〉1月1… 岡村 昭彦(おかむら あきひこ、1929年〈昭和4年〉1月1日 - 1985年〈昭和60年〉3月24日)は、日本の写真家、ジャーナリスト。ベトナム戦争を撮影した報道写真で知られる。 東京府出身。大日本帝国海軍参謀の岡村於菟彦の長男として生まれる。父方の曾祖父に明治天皇侍従の堤正誼、父方の祖父に大審院判事・弁護士・中央大学学長の岡村輝彦がおり、母方の曾祖父に日本赤十字社創設者で伯爵の佐野常民、母方の祖父に海軍少将で子爵の田村丕顕がいる。父のいとこに二・二六事件判決後に後追い自殺した海軍少佐堤正之、伯父(父の姉の夫)に医学者緒方知三郎、弟に、後の俳優岡村春彦がいる。 学習院初等科から学習院中等科に進むが退学。
もっと読む
林 建彦(はやし たけひこ、1928年11月3日 - )は、… 林 建彦(はやし たけひこ、1928年11月3日 - )は、日本のジャーナリスト、東海大学名誉教授。韓国現代史専攻。 長野県飯田市出身。名古屋大学経済学部卒。1953年サンケイ新聞入社。ソウル特派員、 政治部次長、編集委員。1977年東海大学文学部教授。94年定年退任、名誉教授。
もっと読む
伊達 宗克(だて むねかつ、1928年(昭和3年)8月18日… 伊達 宗克(だて むねかつ、1928年(昭和3年)8月18日 - 1988年(昭和63年)1月15日)は日本のジャーナリスト。 旧宇和島藩主伊達宗城の七男(八男とも)伊達宗倫を祖とする伊達男爵家の伊達宗光の長男として愛媛県に生まれる。宗光が昭和3年11月に隠居した後に男爵位を継承。旧制松山中学校、日本大学芸術科を経て同大法学部新聞学科を卒業。1954年8月、東京日日新聞社会部からNHKに移り放送記者となる。 1970年(昭和45年)11月25日に、交流のあった三島由紀夫から徳岡孝夫(当時:サンデー毎日の記者)と共に、遺書と檄文を受け取り、三島事件の目撃者となった。事件裁判を傍聴し、編著『裁判記録「三島由紀夫事件」』を刊行。
もっと読む
田中 健五(たなか けんご、1928年(昭和3年)6月4日 … 田中 健五(たなか けんご、1928年(昭和3年)6月4日 - 2022年(令和4年)5月7日)は、日本のジャーナリスト、編集者、実業家。『諸君!』、『文藝春秋』、『週刊文春』編集長を経て、文藝春秋社長(第7代)。 広島県広島市出身。海軍兵学校教授であり、高松宮宣仁親王に英語を指導したことでも知られる田中酉熊の五男として生まれる。 都立一中から1945年(昭和20年)4月、海軍兵学校に第77期生として入学するも敗戦により退校、旧制東京高校を経て、1953年東京大学文学部独文科を卒業。就職難の時代、たまたま文藝春秋新社(現・文藝春秋)の試験を受け入社。半藤一利は同期生。当時の文藝春秋は社員数100人にも満たない小さな会社だった。
もっと読む
犬養 康彦(いぬかい やすひこ、1928年(昭和3年)4月1… 犬養 康彦(いぬかい やすひこ、1928年(昭和3年)4月1日 - 2015年(平成27年)7月12日)は、日本の実業家、ジャーナリスト。共同通信社社長を務めた(1991年 - 1998年)。 東京で犬養健、仲子(後藤象二郎の孫娘)の長男として生まれる。学習院大学文政学部卒業後、共同通信社に入社。人事部長、総務部長、社会部長、論説主幹などを歴任した後、1991年社長に就任。退任後は相談役を務めた。学習院時代の登山仲間に顔恵民がいる。 2015年7月12日、虚血性心疾患のため死去。87歳没。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
もっと読む
斎藤 茂男(さいとう しげお、1928年3月16日 - 19… 斎藤 茂男(さいとう しげお、1928年3月16日 - 1999年5月28日)は、日本のジャーナリスト。 東京生まれ。慶應義塾大学経済学部卒。1952年共同通信社入社。社会部記者、次長、編集委員を経て1988年退社。1958年「菅生事件」報道で日本ジャーナリスト会議賞、1974年再度同賞受賞、1983年長年の報道活動で日本記者クラブ賞、1984年「日本の幸福」シリーズで日本新聞協会賞受賞。多くの著書があり、特に「ルポルタージュ父よ母よ!」を原作に、1980年に木下惠介監督『父よ母よ!』が映画化された。 晩年に著作集『ルポルタージュ日本の情景』全12巻が出された。
もっと読む
樋口 篤三(ひぐち とくぞう、1928年3月8日 - 200… 樋口 篤三(ひぐち とくぞう、1928年3月8日 - 2009年12月26日)は、日本の労働運動家、社会運動家、ジャーナリスト。 静岡県沼津市出身。旧制静岡県沼津商業学校、 海軍甲種飛行予科練習生を経て、横浜高等商業学校を卒業。1947年から労働運動に参加し、産別会議東芝堀川町労組書記や日本共産党専従などを務めた。権力・資本からは五回首を切られ、共産党からは二回除名(1951年3月、1965年2月)されたとされる。 ベトナム反戦運動期には共産主義労働者党の中心メンバーであり、1971年の分裂時には春日庄次郎などと労働者革命派(後の労働者党全国委員会)を結成して議長に就任した。 1975年から1986年、雑誌『季刊労働運動』代表を務めた。
もっと読む
兼高 かおる(かねたか かおる、本名:兼高ローズ(かねたかロ… 兼高 かおる(かねたか かおる、本名:兼高ローズ(かねたかローズ)、1928年2月29日 - 2019年1月5日)は、日本の女性ジャーナリスト(ツーリストライター)である。 日本旅行作家協会名誉会長。「山の手言葉」を多く用いていたことで知られている。 兵庫県神戸市生まれ。1946年香蘭女学校卒業後、1954年ロサンゼルス市立大学に留学。その後ジャーナリストとしてジャパンタイムスなどで活躍する。海外取材が多く、150カ国以上に渡航したことで知られる。 兵庫県神戸市に生まれ、資産家だった母親の家族(または親戚)のつてで母親と兄とともに東京都へ移住した。香蘭女学校を卒業後、進路も模索した結果として渡米し、ロサンゼルス市立大学に留学した。
もっと読む
上田 哲(うえだ てつ、1928年(昭和3年)2月26日 -… 上田 哲(うえだ てつ、1928年(昭和3年)2月26日 - 2008年(平成20年)12月17日)は、日本の政治家、ジャーナリスト、労働組合運動家。
もっと読む
石丸 和人(いしまる かずと、1928年2月17日 - )は… 石丸 和人(いしまる かずと、1928年2月17日 - )は、日本のジャーナリスト、翻訳家。 広島県呉市出身。1953年東京大学文学部独文科卒、毎日新聞社入社、外信部副部長、ワシントン支局長、編集委員、論説委員、1983年山形新聞社入社、論説委員。姫路獨協大学教授、2003年定年。
もっと読む
酒井 憲一(さかい けんいち、1928年 - )は、日本のジ… 酒井 憲一(さかい けんいち、1928年 - )は、日本のジャーナリスト、都市学者、詩人。 名古屋大学法学部政治経済学科卒。1953年朝日新聞記者となる。1983年日曜版編集者から朝日学生新聞社に出向。常務取締役・編集主幹。アメニティ・ミーティング・ルーム主宰。成城大学短期大学部非常勤講師(都市論、アメニティ論)、東京大学大学院農学生命科学研究科生物材料物理学研究室研究員。詩誌『風』元同人。
もっと読む
生内 玲子(うぶない れいこ、1928年(昭和3年) - 2… 生内 玲子(うぶない れいこ、1928年(昭和3年) - 2013年(平成25年))は、日本の交通評論家、旅行ジャーナリスト。 東京生まれ。早稲田大学文学部卒、同大学院修了。朝日新聞東京本社出版局記者を経て独立。以後、交通評論家、旅行ジャーナリストとして文筆活動を始める。 航空機工業審議会、生涯学習審議会、地方交通審議会、道路審議会、自然環境保全審議会各委員、内閣府・中央交通安全対策会議専門委員などを務める。 パンダの保護活動にも積極的に参加、中国臥龍パンダセンターの里親制度の創設に尽力した。
もっと読む
水野 肇(みずの はじめ、1927年12月9日 -2019年… 水野 肇(みずの はじめ、1927年12月9日 -2019年5月)は、日本のジャーナリスト、医事評論家。大阪府出身。 父は作曲家・声楽家で元岡山大学教育学部長の水野康孝。1948年大阪外国語大学ロシア語学科卒業後、山陽新聞入社。社会部デスク時代に企画連載「ガンを追って」で日本新聞協会賞を受賞。その後独立して医事問題の評論家となり、老人保健福祉審議会、医道審議会等の委員を歴任。 この項目は、医学に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:医学/Portal:医学と医療)。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
もっと読む
涌井 昭治(わくい しょうじ、1927年11月29日 - 2… 涌井 昭治(わくい しょうじ、1927年11月29日 - 2012年7月5日)は、日本の新聞記者、ジャーナリスト。九州朝日放送の社長も務めた。 神奈川県横浜市出身。1953年に東京大学文学部を卒業し、同年に朝日新聞社に入社。朝日新聞社では、週刊朝日編集長、取締役などを歴任した。 1989年6月に九州朝日放送専務に就任し副社長を経て、1991年6月から1997年6月までに社長を務め、1997年6月から会長を務めた。 日本雑誌協会の常務理事、理事を歴任した。 2012年7月5日老衰のために死去。84歳没。 著書に「イッピー番外地 アメリカのかくれた顔」と「東京新誌 山手線いまとむかし」がある。
もっと読む
日下部 吉彦(くさかべ よしひこ、1927年11月16日- … 日下部 吉彦(くさかべ よしひこ、1927年11月16日- 2017年12月30日)は、日本の音楽評論家、ジャーナリスト、合唱指揮者。京都府京都市生まれ。元朝日放送解説委員で同局のニュース番組『たいむ6』初代キャスターを務めた。 音楽評論家として関西を中心としたクラシック音楽の評論・講義、演奏会の企画・司会進行、合唱にまつわる客演指揮・コンクール審査・執筆などの活動も展開。
もっと読む