寺川 正興(てらかわ まさおき、1939年12月17日 - … 寺川 正興(てらかわ まさおき、1939年12月17日 - 2005年2月2日)は、日本のジャズ・ベーシスト、スタジオ・ミュージシャンである。 東京都小石川の生まれ。東京都立芝商業高等学校を卒業した。17歳頃から金井英人からベースを習った。高校時代はハーモニカバンドのベースを担当した。卒業後サラリーマン生活をしていたが、性に合わずプロミュージシャンに転向した。 澤田駿吾とダブルビーツに入って素質の良さを認められた。その後、宮沢昭、西条孝之介カルテット、八木正生トリオを経てジョージ大塚トリオに入り、1969年度スイングジャーナル人気投票第2位になるなど人気ベーシストとなった。その後石川晶とカウントバッファローズ、LOVE LIVE LIFEなどへの参加と平行してスタジオミュージシャンとして活動した。
川人 洋二(かわひと ようじ、1939年(昭和14年)11月… 川人 洋二(かわひと ようじ、1939年(昭和14年)11月15日 - )は、日本のフルート奏者。東京フィルハーモニー交響楽団所属。 国立音楽大学音楽学部器楽科卒業。徳島県阿波市出身。父は作曲家の川人利夫。兄弟は同じくフルート奏者の川人昭夫の川人伸二。 徳島県阿波市出身。作曲科・川人利夫の長男として生まれ、阿波町立久勝中学校を卒業し、1958年(昭和33年)に徳島県立阿波高等学校を卒業。1964年(昭和39年)、国立音楽大学音楽学部器楽科を卒業。 大学在学中であった1963年(昭和38年)8月に東京フィルハーモニー交響楽団へフルート奏者として入団し、1973年(昭和48年)10月の香港、マニラ、シンガポール、クアラルンプールの公演に参加する。
菊地 雅章(きくち まさぶみ、1939年10月19日 - 2… 菊地 雅章(きくち まさぶみ、1939年10月19日 - 2015年7月7日)は、日本のジャズ・ピアニスト、キーボード奏者。「プーさん」の愛称で親しまれている。実兄の菊地雅春は東京藝術大学音楽学部作曲科出身の作曲家。実弟の菊地雅洋も東京藝術大学音楽学部作曲科出身のジャズピアニスト。ベーシスト菊地雅晃の叔父。
大野 克夫(おおの かつお、1939年〈昭和14年〉9月12… 大野 克夫(おおの かつお、1939年〈昭和14年〉9月12日 - )は、日本の作曲家、編曲家、キーボーディスト、音楽プロデューサー。京都府京都市出身。 1962年から1970年までザ・スパイダース、1971年から1972年までPYG、1971年から1980年まで井上堯之バンドのメンバーとして活動。1980年に大野克夫バンドを結成し、活動を続ける。愛称は克夫ちゃん。 後述するように、沢田研二をはじめ多数の歌手へ楽曲を提供している。1975年の「時の過ぎゆくままに」は約92万枚の売り上げを記録。1977年の「勝手にしやがれ」は89万枚の売り上げを記録。第19回日本レコード大賞の大賞、第8回日本歌謡大賞の大賞、第10回日本有線大賞の大賞を受賞し、主要な賞レースを独占した。
荒川 康男(あらかわ やすお、1939年6月12日 - )は… 荒川 康男(あらかわ やすお、1939年6月12日 - )は、日本のジャズ・ベース奏者、作曲家である。 1939年6月12日、神戸市に生まれた。御影に住んでいたが、第二次世界大戦のあおりで鳥取県との県境に近い日本海側の美方郡諸寄に疎開していた。小学校に上がるころに終戦を迎え、芦屋山手小学校に通った。そこでの同窓生にジャズ・ミュージシャンの清水閏、木村新弥らがいる。 戦後はラジオでFENをよく聴いていた。中学のときにジャズに興味を持ち、高校に入りベニー・グッドマンのレコードを入手した。 本格的な楽器の演奏経験がなかったにもかかわらず、高校3年のときに神戸のジャズ喫茶でベースを担当する羽目になったのが演奏活動の始まりであった。
瀬川 純子(せがわ すみこ、1939年4月29日 - 201… 瀬川 純子(せがわ すみこ、1939年4月29日 - 2015年4月25日)は、日本のヴィオラ奏者、桐朋学園大学名誉教授。水戸室内管弦楽団メンバー。旧姓:江戸(えど)。ヴァイオリニストの瀬川祥子は長女。 三井不動産社長を務めた江戸英雄の次女として生まれる。数え年四つの頃からピアノを習い、母・弘子も講師を務めた子供のための音楽教室で学ぶ。 1959年桐朋学園短期大学(現:桐朋学園大学音楽学部)管弦打楽器専攻を卒業。齋藤秀雄等に師事する。プロ・ムジカ弦楽四重奏団に参加し、1962年度の毎日芸術賞を受賞する。 小児科医の瀬川昌也との結婚後も仕事を続け、1971年桐朋学園大学音楽学部講師、その後助教授、教授を歴任。
田中 正大(たなか まさひろ、1939年2月8日 - 200… 田中 正大(たなか まさひろ、1939年2月8日 - 2009年4月16日)は、日本のホルン奏者。NHK交響楽団首席奏者、武蔵野音楽大学教授を務めた。日本におけるホルン界の草分けとして、ソロ奏者、また室内楽の先駆者として常に指導的な立場にあった。 福岡県嘉穂郡二瀬町片島(現:飯塚市)にて、旧制嘉穂中学校の数学教師であった田中親(ちかし)と妻ハルキの次男として生まれる。嘉穂高校の吹奏楽部でトランペットを吹いていたが、3年生の時に楽器庫にあったホルンを見付けて、武蔵野音楽大学にホルンで入学した。なお、嘉穂高校逍遥歌を作曲している。 武蔵野音大在学中、1960年秋に近衛秀麿率いるABC交響楽団のヨーロッパ演奏旅行に参加した。
田中 千香士(たなか ちかし、1939年1月31日 - 20… 田中 千香士(たなか ちかし、1939年1月31日 - 2009年1月19日)は、日本のヴァイオリニスト、音楽教育家。父はヴァイオリニストの田中詠人、母は声楽家の田中伸枝、実姉はピアニストの田中希代子。 幼少時よりヴァイオリニストである父に指導を受けた。1950年、全日本学生音楽コンクールで1位。1951年、日本音楽コンクールで入選。1953年、同コンクールで1位。同年、桐朋学園を中退。1955年、パリ国立音楽院に留学しガブリエル・ブイヨン(英語版)に師事。1957年、同校を首席で卒業。1962年に帰国。 1963年、京都市交響楽団のコンサートマスターに就任。1966年、NHK交響楽団のコンサートマスターに就任。
荒 憲一(あら けんいち、1939年1月3日 - 2020年… 荒 憲一(あら けんいち、1939年1月3日 - 2020年6月6日)は、日本出身のピアノ奏者。 福島県相馬市出身。東京芸術大学付属高校を経て東京芸術大学に進学し、田村宏と永井進にピアノを師事。1954年に全日本学生音楽コンクールの高校の部で第1位を獲得。 1963年、東京交響楽団との協演でデビュー。また、東京でデビューリサイタルの後に渡独し、国立ベルリン芸術大学に学びヘルムート・ロロフに師事。1966年にベルリン放送交響楽団と協演しドイツデビューを行ない、その成功によりベルリン・フィルハーモニー管弦楽団との協演、ベルリン・フィルハーモニーホールにおけるリサイタルが続き、これらの演奏会はドイツの高名な批評家ハンス・ハインツ・シュトゥッケンシュミットに認められ、高い評価を得て国際ピアニストとしての地位を確立した。
三林 輝夫(さんばやし てるお、1938年〈昭和13年〉7月… 三林 輝夫(さんばやし てるお、1938年〈昭和13年〉7月2日 - 2025年〈令和7年〉11月14日)は、日本の声楽家(テノール)、音楽教育者、合唱指揮者、公演監督。 新潟県出身。1961年(昭和36年)東京芸術大学音楽学部声楽科卒業、1963年(昭和38年)同校声楽専攻科修了。木下保、渡邊高之助、古沢淑子に師事。デビューは1963年の東京労音のオペラ『フィガロの結婚』でのバジリオ役で、これ以降二期会や東京室内歌劇場他で数多くのオペラ、オペレッタ、創作歌劇に活躍している。 また、日本におけるフランス歌曲の第一人者として十数回にわたるリサイタルで高い評価を得ている。日本歌曲の演奏でも、その明瞭なディクションと深い表現には定評があり「ビロードのような」と定評のある美しい声を披露してきた。
二代目 野坂 操壽(にだいめ のさか そうじゅ、1938年4… 二代目 野坂 操壽(にだいめ のさか そうじゅ、1938年4月18日 - 2019年8月27日)は、日本の箏曲家、作曲家。位階は従四位。勲等は旭日中綬章。学位は音楽修士(東京芸術大学)。文化功労者。本名、および、旧芸名は野坂 惠子(のさか けいこ)。名の「壽」「惠」は旧字体のため、二代目 野坂 操寿(にだいめ のさか そうじゅ)、野坂 恵子(のさか けいこ)と表記されることもある。 日本音楽集団団員、東京芸術大学音楽学部講師、桐朋学園芸術短期大学芸術科教授、生田流箏曲松の実會主宰、生田流協会理事、公益社団法人日本三曲協会常任理事などを歴任した。 1938年4月生まれ、東京府出身。母である箏曲家の初代野坂操壽から指導を受けた。
沢井 忠夫(さわい ただお、1937年12月16日 - 19… 沢井 忠夫(さわい ただお、1937年12月16日 - 1997年4月1日)は、日本の箏曲家、作曲家。沢井箏曲院の創始者。妻は沢井一恵で、息子は沢井比河流。 愛知県中島郡(現在の一宮市)で尺八家の名家に生まれ、箏を始めたのは小学5年生だった(一度、宮城道雄に師事するが、その後すぐに宮城が亡くなる)。1960年に東京芸術大学邦楽科を、1962年に専攻科を卒業。大学在学中にNHK「全国今年のホープ」に選ばれた。 高校時に作曲を始め(最初に形がなった曲が"雪ものがたり"であった)その後、清水脩の元で作曲を師事した。 1964年に青木鈴慕・伊藤松博・高野和之・杵屋栄三郎・山本邦山と「民族音楽の会」を結成。
千藤 幸蔵(ちふじ こうぞう、1937年10月24日 - 2… 千藤 幸蔵(ちふじ こうぞう、1937年10月24日 - 2012年1月4日)は、日本の民謡三味線演奏者である。岡山県英田郡作東町(現・美作市)に生まれる。本名は神田勀人(かつと)。宮本武蔵の友人として有名な本位田又八の末裔でもある。 幼少期より宮田東峰一門でハーモニカを習得するなどし、地元の岡山県立津山工業高等学校を卒業後、大阪にて会社勤めの傍ら趣味でギターを弾き音楽活動を続ける。 大ファンであった三橋美智也の大劇公演で演奏された三味線豊吉の三味線に魅せられて自らも手掛けるようになり、ラジオの民謡番組を録音し、それを五線譜に書き起こすなど独学で民謡の勉強を続けていた。後に知人であった藤本直之 (藤本琇丈の実弟、藤本直久の総領弟子) により、折から来阪中であった民謡三味線の名人藤本琇丈に引き合わされ、1963年(昭和38年)7月、藤本の勧めにより上京、内弟子となる。
山本 邦山(やまもと ほうざん、1937年10月6日 - 2… 山本 邦山(やまもと ほうざん、1937年10月6日 - 2014年2月10日)は、滋賀県大津市出身の尺八演奏家、作曲家。元東京芸術大学教授、人間国宝。本名は山本泰正(やまもと やすまさ)。長男は尺八奏者の二代 山本邦山(二代目襲名前は山本真山)。 都山流尺八演奏を、父である山本鵬山に習う。のち中西蝶山門下に入る。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:音楽)。
京 建輔(きょう けんすけ、1937年8月26日 - )は、… 京 建輔(きょう けんすけ、1937年8月26日 - )は、日本の作曲家、編曲家、クラリネット奏者。 本名は安野 健三。京都府出身。筆名の「京」は出身地に、「建輔」は次男の名前に由来する。 同志社大学工学部卒業。大学在学中からのスウィング・ジャズの演奏活動を経て、音楽出版社に勤めた後、作曲活動を開始する。以降、多くの歌謡曲(特に演歌)を編曲、古賀政男記念音楽大賞や藤田まさと賞などを受賞している。 1974年の映画『エスパイ』より映画・テレビの音楽を担当する。1977年の特撮テレビドラマ『快傑ズバット』の主題歌「地獄のズバット」では、当時小学生だった長男の「派手な音色がいいんじゃない」という意見をヒントにして、演奏に琵琶を用いている。
安倍 圭子(あべ けいこ、本名:木村圭子、旧姓:安倍圭子、1… 安倍 圭子(あべ けいこ、本名:木村圭子、旧姓:安倍圭子、1937年4月18日 - )は、日本のマリンバ奏者、作曲家。東京都出身。世田谷区立代沢小学校を経て、中学2年生の時に山梨英和中学校から松山東雲中学校へ転校。松山東雲高等学校、東京学芸大学教育学部音楽専攻打楽器科を卒業。 山梨の中学生の頃には木琴を習っていたが、1950年に音楽を用いた布教で知られるアメリカのラクーア伝道団が学校に来て、メンバーが賛美歌を奏でた。この時にマリンバに出会う。 14歳でNHKの洋楽オーディションに合格し、演奏活動を始める。外国の音楽家の日本公演が難しい時代だったが、音楽史に残る世界的な演奏家が転校先の松山市の学校の体育館で演奏を見る機会があった。
加山 雄三(かやま ゆうぞう、1937年〈昭和12年〉4月1… 加山 雄三(かやま ゆうぞう、1937年〈昭和12年〉4月11日 - )は、日本の歌手、俳優、タレント、ギタリスト、ピアニスト、ウクレレ演奏者、画家。本名、池端 直亮(いけはた なおあき)。ニックネームは、若大将。作曲家として、弾 厚作(だん こうさく)のペンネームを用いる。 神奈川県横浜市生まれ、茅ヶ崎市出身。公益財団法人日本セーリング連盟応援団長、文化功労者。勲等は旭日小綬章。 父は俳優の上原謙(池端清亮)、母は女優の小桜葉子(池端具子)。妹は池端亮子。母方の高祖父は明治の元勲・岩倉具視である。 神奈川県横浜市神奈川区幸ケ谷の家に生後8か月まで、次の東京都大田区田園調布には1歳9か月までいた。
有賀 誠門(あるが まこと、1937年1月5日 - )は、日… 有賀 誠門(あるが まこと、1937年1月5日 - )は、日本の打楽器奏者。元NHK交響楽団首席奏者、東京藝術大学名誉教授。 長野県東筑摩郡塩尻町(現塩尻市)出身。長野県桔梗ヶ原高等学校を卒業後、東京藝術大学音楽学部に入学しティンパニーを専攻。1958年NHK交響楽団に入団しパーカッションを担当、1960年東京パーカッションアンサンブル設立。1963年から翌年までニューイングランド音楽院に留学。1976年退団後、母校助教授。1993年同教授に就任。アメリカ・スタイルの日本を代表するティンパニ奏者といわれる。
浜中 浩一(はまなか こういち、1937年1月2日 - 20… 浜中 浩一(はまなか こういち、1937年1月2日 - 2013年11月7日)は、日本のクラリネット奏者。兵庫県出身。妻はクラリネット奏者で桐朋学園大学講師の二宮和子。 六甲学院中学校・高等学校卒業。吹奏楽部に所属していた。東京芸術大学卒業。北爪利世、ジャック・ランスロに師事した。1959年第28回日本音楽コンクール管楽器部門1位。1960年にNHK交響楽団に入団。1962年にフランスに渡り、1964年に国立ルーアン音楽院を卒業し、ルーアン歌劇場管弦楽団に入団。1969年に帰国した後はNHK交響楽団で24年間首席奏者を務める。1989年第9回NHK交響楽団有馬賞を受賞。1993年NHK交響楽団を56歳で定年。
北村 源三(きたむら げんぞう、1937年 - 2025年1… 北村 源三(きたむら げんぞう、1937年 - 2025年12月30日)は、日本のトランペット奏者。 京都府出身。京都市立堀川高等学校を経て東京芸術大学に学ぶ。大学在学中の1958年、第27回日本音楽コンクール管楽器部門第1位入賞。1960年NHK交響楽団に首席トランペット奏者として入団、以後25年間にわたって首席奏者を務めた。1962年から1965年までウィーン国立アカデミーに留学、ヨゼフ・レボラ(ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団首席トランペット奏者)に師事。1991年にNHK交響楽団の第11回有馬賞を受賞。1993年にNHK交響楽団を定年退職し、以降N響団友として活動。N響退団後もソロまたはアンサンブルで数多くのコンサート活動を行う。
山口 崇(やまぐち たかし、1936年11月17日 - )は… 山口 崇(やまぐち たかし、1936年11月17日 - )は、日本の俳優・テレビ司会者・長唄三味線奏者・民話研究家。本名:山口 岑芳(たかよし)。兵庫県三原郡阿那賀村(現:南あわじ市)出身。所属事務所はオフィス天童。長男は長唄唄方の杵屋巳津也(山口太郎)。長女は長唄三味線方の杵屋 巳織(きねや みおり)(山口由紀)。
市原 宏祐(いちはら こうすけ、1936年8月21日 -20… 市原 宏祐(いちはら こうすけ、1936年8月21日 -2010年11月13日) はサクソフォーン、フルート奏者、スタジオ・ミュージシャンである。 東京生まれ。日大二高卒業。松本伸とニューパシフィックオーケストラ、海老原啓一郎オーケストラを経て宮間利之とニュージャイブ、宮間利之とニューハード、その後、LOVE LIVE LIFEを結成した。後に演歌・歌謡曲へと転向し、レコードやCDアルバムを多数発売した。また、「浪漫倶楽部」としても活動。メンバーは市原と、ギターの斉藤功、アコーディオンの鳥井勉である。2010年に他界した谷啓の葬儀では手伝いをするなど人柄の良さでも知られたが、同年11月13日に心不全で死去した。
中平 穂積(なかだいら ほづみ、1936年8月3日 - 20… 中平 穂積(なかだいら ほづみ、1936年8月3日 - 2024年12月1日)は、日本のジャズ・フォトグラファー。国内外の著名なジャズミュージシャンと親交があり、アルバムのジャケット撮影や、経営するジャズ喫茶にて、ライブやレコーディングを多数おこなっている[要出典]。 和歌山県本宮町(現・田辺市)生まれ。和歌山県立新宮高等学校を経て、1960年日本大学芸術学部写真学科卒業。1961年2月、新宿に「DIG」を開店する。3月、「ジャズ・アーティスト写真展」を開催した。同月に結婚する。 1963年に「DIG」渋谷店をオープンする。1965年に、「ジャズ・カレンダー」の製作を開始した。 1966年、初渡米し、ジョン・コルトレーン、マイルス・デイビスを撮影。
中野 孝憲(なかの たかのり、1936年7月23日 - 20… 中野 孝憲(なかの たかのり、1936年7月23日 - 2016年4月12日)は、元大阪フィルハーモニー交響楽団のチェロ奏者であり、津軽三味線の奏者。 チェロの弓の使い方(UPとDOWN)記号を一般的な三味線用に使われていた三線譜に取り入れ、初めて津軽三味線用の楽譜を作った人物。 演奏家としての活動と共に、津軽民謡・津軽三味線を後世に伝えるために生涯を捧げた。 孝憲が育てた代表的津軽民謡・津軽三味線の後継者には、「第57代青森県民謡王座」である次女・中野みち子がいる。 孝憲が初めての津軽三味線の楽譜を出版した1984年当時、津軽三味線は聴いて覚えるもので、習得には非常に年月がかかるものだった。しかし孝憲は、多くの人に津軽三味線を学んでもらいたいと、津軽三味線用初の楽譜を使った指導を始め、津軽三味線の習得方法に、旋風を巻き起こす。
鈴木 寛一(すずき かんいち、1936年(昭和11年)4月5… 鈴木 寛一(すずき かんいち、1936年(昭和11年)4月5日 - 2020年(令和2年)4月6日)は、日本の声楽家(テノール)、音楽教育者。妻は元うたのおねえさんの中川順子。 大阪生まれの京都育ち。1959年(昭和34年)東京藝術大学卒業。長坂好子、ロドルフォ・リッチに師事。はじめは古典と宗教音楽の研究及び演奏から活動を開始したという。1959年(昭和34年)捜真女学校の音楽教師に着任。同時に岩城宏之の推薦でモーツァルト『ドン・ジョヴァンニ』ドン・オッタヴィオでオペラ界にデビュー。以来、プリモテノールとして数多くの舞台を経験。1977年(昭和52年)ウィーンに留学。海外ではリリー・コラーに師事。
西村 昭夫(にしむら あきお、1936年4月3日 - 199… 西村 昭夫(にしむら あきお、1936年4月3日 - 1992年9月22日)は、日本のサクソフォーン(テナー・サックス)奏者。 高知県土佐清水市三崎平の段出身。4人きょうだい(男2・女2)の末っ子(次男)として生まれる。両親は音楽を愛好し、宴の席では母が三味線、父が歌をよく歌ったという。幼少期はアコーディオンを演奏していた。 早稲田大学に進学。在学中は相撲部に所属し、全国学生選手権で2位となった経験を持つ。1959年、東京でプロの音楽活動を開始。同年7月に発売された水原弘の「黒い花びら」(第1回日本レコード大賞受賞)にはテナー・サックスで伴奏に参加。当時は原信夫率いる「シャープスアンドフラッツ」に所属していた。
松野 茂(まつの しげる、1936年(昭和11年)3月8日 … 松野 茂(まつの しげる、1936年(昭和11年)3月8日 - 2017年(平成29年)4月3日)は、日本のコントラバス奏者、教育家、国立音楽大学名誉教授。 神奈川県川崎市生まれ。小学生の時からギターを習い始める。東京都立青山高等学校を経て、1956年に東洋音楽短期大学(現・東京音楽大学)声楽科を卒業する。 1956年4月、国立音楽大学器楽科(コントラバス)に入学し、寺田日瑳三(NHK交響楽団コントラバス首席奏者)に師事する。1959年8月から東京交響楽団に在籍する。1960年に器楽科(コントラバス)を卒業した後、同大学専攻科に入学する。1961年、専攻科を卒業した後、同年9月から1963年5月までマンハッタン音楽学校に留学し、ロバート・ベレナンド(ニューヨーク・フィルハーモニック)に師事する。
海野 義雄(うんの よしお、1936年2月14日 - )は、… 海野 義雄(うんの よしお、1936年2月14日 - )は、日本のヴァイオリニスト。東京都出身である。本名、海野良夫。ヴァイオリン独奏者として江藤俊哉と双璧をなす存在と言われた。
真下 惇至(ましも よしのり、1935年(昭和10年)11月… 真下 惇至(ましも よしのり、1935年(昭和10年)11月9日 - 1986年(昭和61年)3月26日)は、日本のホルン奏者。元京都市立芸術大学音楽学部助教授。徳島文理大学客員教授。 東京芸術大学音楽学部卒業。京都府出身。 京都府出身。1958年(昭和33年)に東京芸術大学音楽学部を卒業し、大学在学中にはNHK交響楽団へ入団する。 大学卒業後は日本フィルハーモニー交響楽団へ入団し、1962年(昭和37年)から1970年(昭和45年)まで読売日本交響楽団のホルン奏者として活躍した。また関西ブラスアンサンブルを主宰し、京都市立芸術大学助教授、徳島文理大学客員教授を務めた。 1986年(昭和61年)3月26日、死去。
今藤 政太郎(いまふじ まさたろう、1935年10月10日 … 今藤 政太郎(いまふじ まさたろう、1935年10月10日 - 2026年6月30日)は、日本の長唄三味線奏者、作曲家。重要無形文化財保持者(人間国宝)であり、日本藝術院賞受賞者でもある。本名は中川 昇一(なかがわ しょういち)。 四世藤舎呂船、藤舎せい子の長男として東京日本橋に生まれる。十世芳村伊四郎、三世今藤長十郎、今藤綾子、山田抄太郎に師事した。 1959年、東京藝術大学音楽学部邦楽科を卒業した。1963年、二世今藤政太郎を襲名した。 大学卒業後は演奏活動と作曲活動を続け、海外公演にも参加した。また、桐朋女子短期大学講師、国立音楽大学講師、国立劇場養成課講師、NHK邦楽技能者育成会講師などを歴任し、2017年からは京都市立芸術大学客員教授を務めている。
玉置 勝彦(たまき かつひこ、1935年7月30日 - 20… 玉置 勝彦(たまき かつひこ、1935年7月30日 - 2014年9月21日)は、日本のヴィオラ奏者、指揮者、教育者。 東京藝術大学器楽科卒業、同専攻科修了。国内外各地のオーケストラでヴィオラ奏者を務め、ニュルンベルク交響楽団と東京フィルハーモニー交響楽団では首席奏者を歴任した。独奏や室内楽の分野においても、多岐にわたる演奏活動を展開した。1995年には、アルフレッド・ショッパー、デトマール・テツラフ、小林仁らと室内楽グループ「ニュールンベルグ・ムジーク・コレーゲン」を結成。国内各地で演奏会を開催したほか、ドイツとオーストリアへの演奏旅行も行った。 指揮法を渡邉暁雄に師事し、指揮者としても国内各地のプロオーケストラと共演した(日本フィルハーモニー交響楽団、東京都交響楽団、東京交響楽団など。
ダン池田(ダン いけだ、本名・池田 啓助、1935年4月11… ダン池田(ダン いけだ、本名・池田 啓助、1935年4月11日 - 2007年12月25日)は、日本のバンドマスター。ラテンパーカッション奏者であり、指揮者やタレントとしても活動していた。 常に口髭を生やし、パンチパーマの髪型が印象的であった。 1935年4月11日に朝鮮の京城に生まれる。終戦と同時に日本へ引き揚げた。 池田の芸名でもあった『ダン』の由来は、高校生時代に生徒会長を務めていた頃、自分が好きだった女子生徒の手を繋ぎたいという目的でフォークダンスを開催しており、その際に「ダンス」と「啓助」を併せた「ダン助」というあだ名を、池田の同級生達に付けられたのがきっかけとなっている。 北海道留萌高等学校の入学を経て、長野県松代高等学校を卒業した。
馬場 省一(ばば しょういち、1935年2月25日 - 20… 馬場 省一(ばば しょういち、1935年2月25日 - 2007年2月15日)は、日本のチェロ奏者。東京出身。東京芸術大学卒業。青木十良、小澤弘に師事。 また、かつてはエリザベト音楽大学教授を務めていた。オペラ演出家の馬場紀雄は甥。 この項目は、クラシック音楽に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル クラシック音楽/ウィキプロジェクト クラシック音楽)。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:音楽)。
ソンコ・マージュ(Sonko Mayu、1935年〈昭和10… ソンコ・マージュ(Sonko Mayu、1935年〈昭和10年〉2月20日 - )は、日本の音楽家、ギタリスト、フォルクローレ奏者。栃木県栃木市出身。本名は荒川 義男(あらかわ よしお)。 1966年、スペイン政府奨学生として留学し、アンドレス・セゴビアやホセ・トマス(英語版)に師事したのち、南米で民俗音楽を研究。1967年、アルゼンチンのフォルクローレ奏者であるアタウアルパ・ユパンキの弟子となり、愛用のギターを贈られ、ソンコ・マージュ(ケチュア語で『心の川』の意)と名づけられる。ギターは1953年製の初代ヌーニェスである。 1974年にLP「復活」を発表した時点では、ユパンキの作品のみをレパートリーとし、その奏法をコピーして活動していた。
醍醐 麻沙夫(だいご まさお、1935年1月3日 - 202… 醍醐 麻沙夫(だいご まさお、1935年1月3日 - 2024年3月20日)は、日本の小説家、元サックス奏者。本名は広瀬 富保(ひろせ とみやす)。 神奈川県横浜市生まれ。学習院大学文学部卒。弟は音楽家広瀬秀雄。 大学卒業後、日本のビッグジャズバンド「スマイリー小原とスカイライナーズ」でサックスを担当していた。 同バンドから脱退後は、ブラジルに移住し、職を転々としながら、日系人文学愛好者の集い「コロニア文学会」で小説を書き始める。1974年「「銀座」と南十字星」でオール読物新人賞受賞、1975年「夜の標的」で直木賞候補。1991年「ヴィナスの濡れ衣」でサントリーミステリー大賞佳作。アマゾンの釣りに関する小説や、伝奇推理小説を書く。
清水 信治(しみず しんじ、1935年 - )は、日本のアコ… 清水 信治(しみず しんじ、1935年 - )は、日本のアコーディオン奏者。息子はピアニストの清水和音。
吉川 雅夫(よしかわ まさお、1934年12月13日 - 2… 吉川 雅夫(よしかわ まさお、1934年12月13日 - 2019年4月10日)は、日本のマリンバ奏者。愛知県名古屋市生まれ。20代に東京に活動拠点を変更して以来、東京を活動の中心地とした。2019年4月10日 急性心筋梗塞のため死去。 音楽家であった父から木琴の指導を5歳から受け、父のアコーディオン伴奏で日本各地で演奏をする。天才木琴少年としてラジオやテレビ放送にも出演していた。 高校生の時に平岡養一の演奏を聴き、プロになることを決意。武蔵野音楽大学ピアノ科に入学。在学中よりスタジオ・ミュージシャンとして活動。スタジオ・ミュージシャン歴60年間で録音総数は3万曲に上る。 見砂直照(東京キューバン・ボーイズ)のマリンバ奏者、越路吹雪の日生劇場でのロングリサイタルの専属バンドメンバーを務めた。
石川 晶(いしかわ あきら、1934年11月10日 - 20… 石川 晶(いしかわ あきら、1934年11月10日 - 2002年2月10日)は、日本のジャズ・ドラマー、スタジオ・ミュージシャン。 神奈川県横須賀市出身。三浦学苑高等学校を卒業後、田中雅一と松本伸に音楽を学ぶ。松本伸とニュー・パシフィックにドラム担当で加わり、宮沢昭モダン・オールスターズ、保坂俊雄とエマニアーズとバンドを渡り歩く。後に宮間利之とニューハードのドラマーになり活動。 後年の独立後に、後のカウントバッファローズの母体となるバンド・ゲンチャーズ(現地人の集まりという意味)を結成。彼のライフワークとなるアフリカへ行き、ドラム以外の打楽器を多く学んだ後、帰国してリサイタルを開いた。後にフジテレビの音楽番組「ビートポップス(大橋巨泉司会)」のレギュラーとなる。
宇宿 允人(うすき まさと、1934年11月8日 - 201… 宇宿 允人(うすき まさと、1934年11月8日 - 2011年3月5日)は、京都府出身の指揮者、トロンボーン奏者。旧名は山口 治だが、のちに婚家の姓を名乗り、宇宿 治となり、のち宇宿 允人と改名した。 京都市西陣で表具師の家庭に生まれ育つ。京都市立西陣小学校から京都市立上京中学校を経て同志社高等学校に入学するが経済的理由で中退し、京都市立堀川高等学校普通科に転校。同音楽科への転科を経て、1957年に東京芸術大学器楽科卒業後、ABC管弦楽団に入団。翌1958年、トロンボーンの師である嶋昇の誘いでNHK交響楽団に移籍。1960年から1968年までN響の首席トロンボーン奏者として活動。傍ら、フルトヴェングラーの指揮する音楽と彼の人柄に感銘を受けて指揮者を志し、管弦楽法と指揮法を近衛秀麿に師事し、指揮者として東京佼成ウインドオーケストラを指導した。
越智 敬(おち たかし、1934年10月30日 - 2010… 越智 敬(おち たかし、1934年10月30日 - 2010年11月14日)は、日本出身のドイツで活躍したマンドリン奏者、作曲家。 愛媛県今治市生まれ。13歳の時からマンドリンを始めた。1954年、東京外国語大学に入学してイタリア語や英語などを学び、そのかたわら比留間きぬ子のプライベートスクールでマンドリンとギターを学んだ。大学卒業後の数年間、同スクールでマンドリンとギターの講師を務め、いくつかの団体にソリストとして参加したりテレビ・ラジオの録音の活動を行った。 1961年、ジークフリート・ベーレントの招きでドイツに渡り、ザールラント州ザールルイに居を構え、いくつかの音楽学校でフリーランスの教師を務め、ドイツマンドリン連盟の講師として活動した。
川崎 紫明(かわさき しめい、1934年8月31日 - )は… 川崎 紫明(かわさき しめい、1934年8月31日 - )は、日本のピアノ指導者。能力開発実践研究家。旧姓は土井。ベルリンに留学後スズキ・メソードの開発者である鈴木鎮一や右脳開発第一人者であるグレン・ドーマン博士に傾倒し、長年にわたる脳科学の研究と実践により楽しく学びながら能力を最大限に引き出すためのメソッド「視覚と聴覚の統合学習法 川崎紫明音符ビッツ」を開発する。 1934年、父・土井俊一郎と母・ひで の6人兄弟の長女(兄3人に次いで長女)として大阪府高石市で生まれる。祖父母、父母、他大家族の中で寵愛の許に育てられた。特に祖父の土井宙からの愛情が厚く、「紫明」は祖父が命名した(山紫水明【山は紫に映え、水は明らかに澄む】の意)。
小曽根 実(おぞね みのる 1934年4月20日 - 201… 小曽根 実(おぞね みのる 1934年4月20日 - 2018年2月15日)は、日本のジャズピアニストおよびハモンドオルガン奏者。兵庫県神戸市出身。滝川高等学校卒業。 小学校のころからピアノに親しみ、関西大学生のころからジャズ演奏ユニットを立ち上げ演奏活動をするとともに、テレビの音楽番組での演奏を担当するようになる。中でも讀賣テレビ放送製作の「11PM」では9年間にわたりピアノ演奏を担当していた。そのほかにも、東京12チャンネル(現・テレビ東京)・近畿放送(現・KBS京都)・サンテレビジョン3社共同制作のワイドショー番組「こんにちは!奥さん2時です」のサンテレビジョン制作分の司会、ラジオパーソナリティ等多彩な活動をしていた。
植村 泰一(うえむら やすかず、1934年3月24日 - 2… 植村 泰一(うえむら やすかず、1934年3月24日 - 2022年5月16日)は、日本のフルート奏者・指導者。元日本フルート協会副会長・東京音楽大学学長。 父は東宝の前身の一つP.C.L.映画製作所の創立者の一人植村泰二、伯父は第3代経済団体連合会会長を務めた植村甲午郎。祖父はオリエンタル写真工業会長などを務めた植村澄三郎。 フルートを川崎優、ガストン・クリューネル、オーレル・ニコレに、作曲を清瀬保二に師事した。東京音楽大学にて学長及び理事長を務めた。門下生には著名なフルーティストも多い。また各種コンクールの審査員も務めた。 横溝正史のミステリ小説『悪魔が来りて笛を吹く』にフルート曲が登場するのは、横溝が隣家の植村の練習を聴いて着想したものである。
加藤 充(かとう みつる、1934年3月3日 - )は 東京… 加藤 充(かとう みつる、1934年3月3日 - )は 東京都生まれ、京都府育ちのベーシスト。通称「カッペちゃん」。サンズ・オブ・ウェストやザ・スパイダースのメンバーとして活動を行った。 マンドリンを嗜む母の影響でギター教室に通うも単調な練習に耐えられず挫折、その後独学で古賀メロディーなどを習得する。 その後ウェスタンミュージックに憧れて、同志社高校時代には同志社大学のカントリーバンド「ゲーリー石黒&サンズ・オブ・ウェスト」に欠員要員として参加、ギター・ベース・アコーディオンを担当し、米軍キャンプ廻りなどで鍛えられる。同志社で賛美歌に慣れ親しんでいたため、曲の構成やコードが似ているウェスタンミュージックの習得は容易だったという。
大塚善章(おおつか ぜんしょう、1934年2月15日 - )… 大塚善章(おおつか ぜんしょう、1934年2月15日 - )は、日本のジャズ・ピアニストである。大阪市天王寺区出身。 学生時代から今日まで65年を越えるジャズ演奏活動の中で、作曲や編曲でも数多くの作品があり、アメリカのジャズピアニストホレス・シルバーの影響を受けているといわれる。国内では数々のライブ演奏のほか、テレビ、ラジオや映画にも出演しており、海外でもスイス「モントルー・ジャズ・フェスティバル」に参加するなど、高い評価を得ている。 最近では、田中洋一(トランペット) 河村英樹(サックス)岩田晶・光岡尚紀(ベース)上場正俊・田中ヒロシ(ドラム)と共に「大塚善章カルテット」やトリオを編成し、関西を中心にライブで活躍している。
杵屋 佐篠(きねや さしの、本名:東條 淑恵、1934年(昭… 杵屋 佐篠(きねや さしの、本名:東條 淑恵、1934年(昭和9年)1月27日 - )は、日本の三味線奏者。徳島県立高等女学校(現在の徳島県立城東高等学校)卒業。徳島県徳島市出身。徳島県邦楽協会会長。 徳島県徳島市で生まれる。徳島県立高等女学校(現在の徳島県立城東高等学校)卒業。長唄グループの徳島佐苗会を主宰。 2005年(平成17年)に文部科学大臣表彰(地域文化功労者)を受賞。2007年(平成19年)には徳島県文化賞を受賞する。2008年(平成20年)、徳島県邦楽協会の会長(2代目)に就任。2021年(令和3年)、長唄の佐門会家元である5代目杵屋佐吉が制作した「ぞめき」の編曲を担当し、阿波おどり会館で披露した。
旗 照夫(はた てるお、1933年12月2日 - )は、日本… 旗 照夫(はた てるお、1933年12月2日 - )は、日本のジャズ・シンガー。本名:中山照男。
土屋 邦雄(つちや くにお、1933年9月3日 - 2023… 土屋 邦雄(つちや くにお、1933年9月3日 - 2023年8月20日)は、日本のヴィオラ奏者、指揮者。1959年、東洋人初のベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の団員となり、40年以上にわたって在籍した。妻はピアニストの元井美幸。
藤家 虹二(ふじか こうじ、本名:藤家 光嗣(ふじか こうし… 藤家 虹二(ふじか こうじ、本名:藤家 光嗣(ふじか こうし)、1933年9月2日 - 2011年10月24日)は、広島県福山市出身の日本のジャズクラリネット奏者。 1952年、広島県立福山誠之館中学(現広島県立福山誠之館高等学校)卒業。東京藝術大学音楽学部器楽科に首席で入学し、首席で卒業。在学中からジャズに身を投じるが、クラシックでも1956年、毎日音楽コンクール管楽器部門で第1位となった。 ベニー・グッドマンに傾倒し、その後はスウィング・ジャズ一筋に演奏を続け、平岡精二クインテット、セクステットから池田操とリズムキングを経て、1959年に南部三郎クインテットに参加。南部三郎が突如バンドを脱退したため、メンバーで相談の末、藤家がリーダーとなって、同年12月に藤家虹二クインテットとして再出発した。
藤井 久仁江(ふじい くにえ、1933年〈昭和5年〉8月15… 藤井 久仁江(ふじい くにえ、1933年〈昭和5年〉8月15日 - 2006年〈平成18年〉9月12日) は、箏曲家。 生田流箏曲・地歌の第一人者。人間国宝。元東京芸術大学客員教授。 幼少より母・阿部桂子に箏を学び、のちに宮城道雄に学ぶ。また、九州系地歌を川瀬里子から学んだ。 1955年NHK邦楽技能者育成会第一期卒業。2002年重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定。 研究熱心で曲の解釈に優れ、堅実で正確な地歌の演奏家として知られる。 文化庁芸術祭大賞の他、受賞多数。海外での演奏もフランス・ドイツ・イタリア、アメリカをはじめ各地で行った。 98年まで東京芸術大学客員教授、また一門の「銀明会」を主催し、後進の育成にも努めた。