大塚 敏文(おおつか としふみ、1931年9月2日 - 20… 大塚 敏文(おおつか としふみ、1931年9月2日 - 2001年12月16日)は、日本の医学者、医師。専門は救急医学、外傷外科学、外科学。学位は、医学博士。 元日本医科大学理事長、元日本医科大学主任教授、元日本医科大学付属病院病院長。 日本医科大学第一外科学教室入局後、日本医科大学付属病院救急医学科(現在の救命救急科)に勤務。 日本医科大学救急医学教室の初代主任教授に就任後は、日本医科大学付属病院病院長、日本医科大学理事長を歴任した。後任の主任教授は山本保博。 日本救急医学会理事長、救命救急士国家試験委員会委員長を務めた。 2001年12月16日、急性呼吸不全のため死去。
植松 治雄(うえまつ はるお、1931年8月8日 - 201… 植松 治雄(うえまつ はるお、1931年8月8日 - 2018年3月7日)は、日本の医師。第16代日本医師会会長、財団法人日本学校保健会会長。その他、厚生省医道審議会委員など歴任。医学博士(大阪大学、1960年)。香川県生まれ。 初代 北里柴三郎1916-1931 / 2代 北島多一1931-1943 / 3代 稲田龍吉1943-1946 / 4代 中山寿彦1946-1948 / 5代 高橋明1948-1950 / 6代 田宮猛雄1950 / 7代 谷口弥三郎1950-1952 / 8代 田宮猛雄1952-1954 / 9代 黒澤潤三1954-1955 / 10代 小畑惟清1955-1957 / 11代 武見太郎1957-1982 / 12代 花岡堅而1982-1984 / 13代 羽田春兔1984-1992 / 14代 村瀬敏郎1992-1996 / 15代 坪井栄孝1996-2004 / 16代 植松治雄2004-2006 / 17代 唐澤祥人2006-2010 / 18代 原中勝征2010-2012 / 19代 横倉義武2012-2020 / 20代 中川俊男2020-2022 / 21代 松本吉郎2022- この項目は、医療関係者に関連した書きかけの項目です。
朝倉 哲彦(あさくら てつひこ、1931年8月2日 - 20… 朝倉 哲彦(あさくら てつひこ、1931年8月2日 - 2014年9月14日)は、日本の脳神経外科医、医学者。 鹿児島県出身。1948年鹿児島県立鹿屋中学校4年修了、1955年鹿児島医科大学学士試験合格、1956年医師国家試験合格、国立東京第一病院外科研究員として勤務、1959年鹿児島大学医学部研究員(神経精神科)、1961年助教授、1969年東京女子医科大学講師、1971年助教授、1975年鹿児島大学医学部教授に戻り、1985-1989年附属病院長、1997年定年退官、名誉教授、医療法人猪鹿倉会パールランド病院名誉院長、和風会加世田病院顧問、脳神経疾患研究所付属てんかん研究所所長、2002年慈風会厚地記念放射線医学研究所所長、2005年和風会加世田病院理事長・院長、2012年慈風会厚地脳神経外科・放射線科クリニック院長。
関谷 透(せきや とおる、1931年7月19日 - 2016… 関谷 透(せきや とおる、1931年7月19日 - 2016年8月8日)は、日本の精神科医、著作家。精神科医で法政大学教授の関谷秀子は実娘。 昭和六年(1931年)旧満州の奉天にて父・秋治郎と母のもとに3人兄弟の第2子として生まれる。父・秋治郎は満州で軍人をしていた伯父により満州に来るように勧められ、満州医科大学を受験し合格して第一期生となった。その後満州医科大学卒、病理学研究室に所属していたが大学から派遣される形で官僚となった。父・秋治郎は結婚し3人の子供をもうけた(透は2番目の子供。他に姉と弟がいる)。一家は満州、新京、ハルビンと住まいを転居していった。透は小学校に上がった時に担任の先生に将来何になりたいか、と訊かれ「僕は医者になります」と答えている。
太田 和夫(おおた かずお、1931年(昭和6年)7月18日… 太田 和夫(おおた かずお、1931年(昭和6年)7月18日 - 2010年(平成22年)7月20日)は、日本の医師。東京女子医科大学名誉教授、元日本移植学会理事長、元日本透析医学会理事長である。 旧制成蹊高等学校(24期)を経て、1957年3月に東京大学医学部医学科を卒業。1958年6月に東京大学第2外科に入局する。 1970年1月、東京女子医科大学理論外科助手、同年10月に講師、1972年2月に助教授を経て、1973年1月に東京女子医科大学人工腎臓センター教授に就任。1979年4月に東京女子医科大学腎臓病総合医療センター外科教授、同センター副部長、1983年4月所長を歴任した。
山内 一也(やまのうち かずや、1931年7月17日 - )… 山内 一也(やまのうち かずや、1931年7月17日 - )は、日本のウイルス学者、獣医師。農学博士。東京大学 名誉教授。専門は人獣共通感染症学、ウイルス学。 北里研究所所員、国立予防衛生研究所室長、東京大学医科学研究所教授、日本生物科学研究所主任研究員などを歴任。日本ウイルス学会名誉会員、ベルギー・リエージュ大学名誉博士。 国立予防衛生研究所室長などを経て東京大学医科学研究所教授。天然痘と牛疫という二大感染症の根絶に貢献。牛疫根絶計画では、国際獣疫事務局(OIE)学術顧問、国連食糧農業機関(FAO)顧問を務めた。また、2000年初頭の牛海綿状脳症問題(BSE問題)にからみ、食品安全委員会プリオン専門調査会の委員を務めた。
伊藤 邦幸(いとう くにゆき、1931年6月28日 - 19… 伊藤 邦幸(いとう くにゆき、1931年6月28日 - 1993年8月8日)は、日本の医師。 広島県出身。1955年東京大学文学部倫理学科卒、1957年同大学院修士課程修了、1963年京都大学大学院基督教学博士課程満期退学。1960-61年南極探検隊に参加。1963-67年京大医学部学生。1963年医師黄聡美と結婚。1968年医師免許、日本キリスト教海外医療協力隊としてネパールへ医師として派遣。インドで生活。以後数次、インド、ネパールへ出張。妻・伊藤聡美(そうび、1937-86)。
松原 英多(まつばら えいた、1931年6月25日 - 20… 松原 英多(まつばら えいた、1931年6月25日 - 2022年9月6日)は、医学博士・日本東洋医学界専門医、良導絡学会専門医。 東京都生まれ。代々医者の家系に生まれる。東邦大学医学部卒業後、アメリカ・カナダに4年間遊学。。帰国後、母校において大脳生理学を研究する傍ら、東洋医学・臨床心理学・催眠療法を学ぶ。 日本テレビ系『午後は○○おもいッきりテレビ』のホームドクターとしてレギュラー出演し、数々の企画を監修した。 東京・恵比寿で開業医として活動する一方で、執筆活動も最晩年まで行っていたが、2022年に入り体調を崩して都内の病院に入院し、同年9月6日に死去した。経営していたクリニックは当人の死去により閉院している。
小山 昭夫(こやま あきお、1931年6月19日 - )は、… 小山 昭夫(こやま あきお、1931年6月19日 - )は、日本の精神科医、学校法人経営者。藍野グループ代表、学校法人東北文化学園大学元理事長。 長男は健康科学大学元理事長で学校法人藍野大学理事長の小山英夫。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
川尻 徹(かわじり とおる、1931年〈昭和6年〉6月7日 … 川尻 徹(かわじり とおる、1931年〈昭和6年〉6月7日 - 1993年〈平成5年〉9月)は、日本の精神科医(医学博士、東京慈恵会医科大学、1981年)、予言研究家。 東京慈恵会医科大学卒業。国立精神衛生研究所所員、青梅成木台病院院長等を経て、病院コンサルタントなどを手がけた。精神科医としての研究もあるが(「慢性精神分裂病症候群の病態推移と脳波パターンとの関連について」『東京慈恵会医科大学雑誌』第94巻第5号、1979年、本論は後に博士論文として大学に提出されている)、むしろ独特の予言解釈で知られる。 トンデモ本などを主に収集すると学会の前会長山本弘は著書『トンデモ本の世界』の中で、川尻徹の著書を見てトンデモ本にはまったと書いている。
小森 昭宏(こもり あきひろ、1931年4月26日 - 20… 小森 昭宏(こもり あきひろ、1931年4月26日 - 2016年6月5日)は、日本の作曲家、編曲家、医師。 童謡を多く作曲した。主な作品に、『ブーフーウー』、『勇者ライディーン』、「げんこつやまのたぬきさん」、「おべんとうばこのうた」、「いとまきのうた」、音楽物語『窓ぎわのトットちゃん』、NHK朝ドラマ『いちばん星』、編曲作品「黒猫のタンゴ」がある。 息子に男性俳優、声優の小森創介がいる。 1931年に東京で生まれ、幼少時からピアノを習う。旧制東京都立九段中学校、慶應義塾高等学校(塾高の同級生に小林亜星、 冨田勲、林光らがいた )を経て、1957年に慶應義塾大学医学部を卒業し、外科学教室助手を経て、脳外科医師として活動した。
太田 富雄(おおた とみお、1931年4月17日 - 201… 太田 富雄(おおた とみお、1931年4月17日 - 2016年11月27日)は、日本の脳神経外科医、大阪医科大学名誉教授。 1956年京都大学医学部卒、同大学院脳神経外科博士課程修了、1961年「合成樹脂による脳動脈瘤の破裂予防およびその補強法」で京都大学より医学博士の学位を取得。大阪医科大学教授、2002年定年退任、名誉教授、医誠会病院脳機能研究所、大阪脳神経外科病院、富永脳神経外科病院院長。
村田 忠良(むらた ただよし、1931年4月17日 - 20… 村田 忠良(むらた ただよし、1931年4月17日 - 2008年8月30日)は、日本の精神科医。 北海道生まれ。号・狸山人。1956年北海道大学医学部卒、1962年同大学院精神医学専攻博士課程修了、医学博士。北大医局員、士別市立病院医長、平松病院副院長、1971年聖母会天使病院精神科医長。1975年天使女子短期大学教授(兼任)。北海道家庭生活総合カウンセリングセンター理事長。アルコール依存症の治療に尽した。
岡田 靖雄(おかだ やすお、1931年3月28日- 2025… 岡田 靖雄(おかだ やすお、1931年3月28日- 2025年3月14日)は、日本の精神科医。 福島県生まれ。1955年東京大学医学部卒業、翌年医師となる。東京都立松沢病院、東京大学医学部、荒川生協病院に勤務した。青柿舎(精神科医療史資料室)運営。「ハンセン病問題検証会議」の委員も務めた。精神科医療史研究会世話人。日本医史学会名誉会員。 2025年3月14日、肺炎のため死去。93歳没。
中根 晃(なかね あきら、1931年(昭和6年)3月26日 … 中根 晃(なかね あきら、1931年(昭和6年)3月26日 - 2013年(平成25年)11月11日)は、日本の精神科医。東京都立梅ヶ丘病院院長、実践女子大学教授、日本自閉症スペクトラム学会初代会長、交通遺児育英会理事長を務めた。 1931年(昭和6年)3月26日、神奈川県横浜市に生まれる。旧制武蔵高等学校を経て、1957年に東京医科歯科大学医学部を卒業。卒業後は同大学の神経精神医学教室に入局し、島崎敏樹のもとで幻覚・妄想など精神病理学の研究に従事した。 1961年には東京医科歯科大学医学部で文部教官助手に就任。1969年、東京都立梅ヶ丘病院に転じ、精神科医長、副院長を歴任した後、1986年に同病院院長に就任。
秋谷 昭治(あきや しょうじ、1931年3月11日 - 20… 秋谷 昭治(あきや しょうじ、1931年3月11日 - 2022年2月19日)は、日本の医師・医学博士、政治家。日本医師会代議員であり埼玉県医師会参与。元埼玉県議会議員(議長経験のある自由民主党議員)。 医療法人社団彩優会の元理事長で、現在は社会福祉法人昭仁会及び北葛北部医師会の学校法人橘心学園の理事長を務める。 2011年、医療法人社団彩優会の理事長を辞任した。後任は吉岡利孝が理事長で、現在は、弟である秋谷行男。 2013年、秋谷昭治氏及びその家族が、医療法人社団彩優会から多額の資金を流用しているとの報道が一部の雑誌に掲載される。 また、幸手市が旧香日向小学校の校舎の賃貸借契約において学校法人橘心学園への賃料を格安に設定したことから、市民より幸手市に対して住民監査請求が提出されるなど、地元住民と幸手市政を巻き込む問題に発展している。
島 成郎(しま しげお、1931年3月3日 - 2000年1… 島 成郎(しま しげお、1931年3月3日 - 2000年10月17日)は、日本の学生運動家、精神科医。1960年の安保闘争当時の全学連書記長。 東京都生まれ。1950年、東京大学教養学部入学と同時に日本共産党に入党。共産党の50年分裂で除名処分をうける。レッドパージ反対闘争に参画し、自治会副委員長として運動する。1951年、共産党に復党。1954年、東京大学医学部に進学。 1955年、全学連再建に精力的に活動し砂川基地反対闘争、原水爆禁止反対闘争に参画。1957年、共産党の東京都党委員に当選。第7回大会の代議員になるが生田浩二、佐伯秀光と共に党内フラクションを結成し「プロレタリア通信」を発信する。
田中 美郷(たなか よしさと、昭和6年(1931年)2月25… 田中 美郷(たなか よしさと、昭和6年(1931年)2月25日 - 没年不明)は、日本の医師。帝京大学名誉教授。 長野県生まれ。信州大学医学部付属病院講師(耳鼻咽喉科)、国立聴力言語障害センター聴能課長、帝京大学医学部助教授(耳鼻咽喉科)、上智大学大学院言語障害研究コース非常勤講師などを勤める。平成11年 (1999年) 帝京大学名誉教授。田中美郷教育研究所所長、平成25年 (2013年)大阪保健医療大学大学院教授。ほかに都内の神尾記念病院で週二回診療を行い、土曜は聴覚障害の子供や家族の支援なども行っている。
木村 敏(きむら びん、1931年2月15日 - 2021年… 木村 敏(きむら びん、1931年2月15日 - 2021年8月4日)は、日本の医学者・精神科医。位階は従四位。専門は精神病理学。河合文化教育研究所所長。学位は、医学博士(京都大学・論文博士・1964年)。京都大学名誉教授。元名古屋市立大学医学部教授。元日本精神病理学会理事長。 人間存在を探究し、「あいだ」を基軸とする独自の人間学を構築して、国内外に影響を与える。著書に『自己・あいだ・時間』(1981年)、『関係としての自己』(2005年)などがある。 1931年、朝鮮慶尚南道生まれ。旧制岐阜県斐太中学校、三高を経て、1955年に京都大学医学部卒業。1964年、京都大学より医学博士の学位を取得。
髙久 史麿(たかく ふみまろ、1931年2月11日 - 20… 髙久 史麿(たかく ふみまろ、1931年2月11日 - 2022年3月24日)は、日本の医師。内科医。前自治医科大学学長。東京大学名誉教授。地域医療振興協会会長。医学博士。位階は従三位。 1931年、日本人の両親の間に日本統治時代の朝鮮釜山に生まれる。父は朝鮮総督府の役人であった。 1947年、福岡県小倉中学校4年修了。1950年、第五高等学校理科甲類卒業後、東京大学医学部医学科に進学、1954年卒業。1960年論文「赤血球内遊離プロトポルフィリン」により、東京大学医学博士。 群馬大学医学部助手、東京大学医学部助手、シカゴ大学留学などを経て、1972年から自治医科大学内科教授。1982年より、小坂樹徳の後任として東京大学医学部第三内科教授。
高久 史麿(たかく ふみまろ、1931年2月11日 - )は… 高久 史麿(たかく ふみまろ、1931年2月11日 - )は、日本の医師。内科医。前自治医科大学学長。東京大学名誉教授。地域医療振興協会会長。医学博士。2004年から日本医学会第6代会長を務める。
古川 俊之(ふるかわ としゆき、1931年2月7日 - 20… 古川 俊之(ふるかわ としゆき、1931年2月7日 - 2014年10月21日)は、日本の医師・医学者。 大阪府堺市出身。大阪大学医学部卒、同大学院循環器内科博士課程修了、1960年医学博士。1961年阪大医学部助手、1972年講師、1975年東京大学医学部教授、1989年国立大阪病院院長。長崎県立大学学長・長崎県立公立大学法人副理事長を務めた。 1973年ベルツ賞2等賞受賞。
井村 裕夫(いむら ひろお、1931年(昭和6年)2月4日 … 井村 裕夫(いむら ひろお、1931年(昭和6年)2月4日 - )は、日本の医学者、医学博士。京都大学名誉教授・元総長。第27代日本学士院院長。専門は内分泌代謝病学、糖尿病学。 1931年、滋賀県神崎郡八日市町(現:東近江市)生まれ。滋賀県立八日市高等学校卒業。1954年京都大学医学部医学科卒業、医学博士。米国カリフォルニア大学内科研究員、京都大学講師、神戸大学医学部教授、京都大学医学部教授、同大学医学部長を経て、1991年~1997年京都大学総長。同時に国立大学協会会長。京大総長選挙は当時、立候補も他者推薦も無しで各教官が適任と思う人物を紙に書く制度であったため予期せず突如選ばれ、研究を一時中断するほど多忙であったという。
岩井 寛(いわい ひろし、1931年2月3日 - 1986年… 岩井 寛(いわい ひろし、1931年2月3日 - 1986年5月22日)は、日本の医学者、精神科医。 東京生まれ。上智大学卒業後、早稲田大学文学部大学院で美学を専攻、さらに東京慈恵会医科大学を卒業。聖マリアンナ医科大学助教授、教授。 森田療法の継承者の一人だが、臨床を行いつつ、芸術家的感性を生かした著作を数多く執筆した。1986年5月、全身をガンに侵され、55歳で死去。その最期のさまは松岡正剛によって記録された。また病苦を押して執筆した『森田療法』で、森田療法を、精神の自由を護るための技法として記述し、理不尽と闘うことをしなければ森田療法を適用してもムダだと説いている。 小心で様々なことに気を遣う性質で、“石橋を叩いても渡らない”傾向にあったが、石橋を叩きその道が確かであることを確かめたなら、不安があっても「あるがまま」にその橋を渡り、目的を果たすことを実践してきた。
横田敏勝(よこた としかつ、1931年1月30日-2005年… 横田敏勝(よこた としかつ、1931年1月30日-2005年2月14日)は、日本の医学者、医師。 北海道生まれ。1954年北海道大学医学部卒業。1955年同第二生理学教室助手。1960年医学博士。1962年ロックフェラー財団フェローシップを得てオーストラリア国立大学留学。1965年米国NIH研究員。1967年アムステルダム大学助教授。1969年北大助教授(歯学部口腔生理学講座)。1975年滋賀医科大学教授(生理学第一講座)に転じ、1996年定年退任、名誉教授、聖徳栄養短期大学教授。日本生理学会評議員、日本疼痛学会名誉会員。歴史上の芸術家などの痛みに関する著作もある。
緒方 博丸(おがた ひろまる、1931年1月17日 - 20… 緒方 博丸(おがた ひろまる、1931年1月17日 - 2023年3月18日)は、日本の医学者・麻酔科医。獨協医科大学名誉教授。学位は、医学博士(東京大学)。
千野 武廣(ちの たけひろ、1931年1月9日 - 2012… 千野 武廣(ちの たけひろ、1931年1月9日 - 2012年)は日本の歯学者、歯科医師。松本歯科大学名誉教授、松本歯科大学付属病院元院長。医学博士。 長野県南安曇郡豊科町(現安曇野市)生まれ。長野県松本県ヶ丘高等学校を経て、1959年(昭和34年)大阪大学歯学部卒業。 1962年(昭和37年)九州大学より医学博士号の学位取得。 札幌医科大学教授、松本歯科大学教授を務めた後、定年退官。松本歯科大学名誉教授。松本歯科大学副学長、松本歯科大学付属病院院長を務めた。
武田 隆男(たけだ たかお、1931年 - )は、日本の医師… 武田 隆男(たけだ たかお、1931年 - )は、日本の医師、医学博士である。愛媛県出身。武田病院グループ会長。 愛媛県出身。1958年(昭和33年)京都大学医学部卒業。 1970年(昭和45年)、のちの武田病院グループの基礎となる武田病院を開設し、院長に就任。以来、社団法人京都私立病院協会の会長や京都府医師会の理事、京都中央看護婦養成事業団(現京都中央看護師養成事業団)の理事長を務めるなど、質の高い地域医療提供活動は勿論のこと、看護師、検査技師、保健医療管理士といったコ・メディカルの養成・育成にも取り組むなど、長きにわたって保健医療福祉の面から京都の地域社会の発展に寄与し続けている。 また、社団法人日本病院会でも、副会長等、同会やその関連団体にて数多くの役職を歴任。
高柳 泰世(たかやなぎ やすよ、1931年 -)は日本の眼科… 高柳 泰世(たかやなぎ やすよ、1931年 -)は日本の眼科医。本郷眼科・神経内科院長。名古屋大学非常勤講師。藤田医科大学公衆衛生学客員教授。医学博士。静岡県出身。1980年代から長年に渡り色覚異常をめぐる社会的不公平や差別の撤廃へ取り組んできたことで知られる人物である。学校における色覚検査の見直しと入学・就職規制の撤廃運動を続け、差別や誤解をなくすため、新しい呼称や検査法を提起した。2013年、紺綬褒章受章。 1996年の著書『つくられた障害「色盲」』に代表される高柳の啓発活動は、1993年に発足した「日本色覚差別撤廃の会」の運動などとともに社会に大きな影響を与え、以下の3つの法律改正に寄与した。
久保 良彦(くぼ よしひこ、1931年(昭和6年) - )は… 久保 良彦(くぼ よしひこ、1931年(昭和6年) - )は、日本の医師、医学者。旭川医科大学名誉教授、元学長。医学博士。専門は、外科学。特に、心臓血管外科及び胸部外科。 北海道勇払郡早来町(現安平町)生まれ。苫小牧高等学校(現北海道苫小牧東高等学校)卒業後、1956年(昭和31年)北海道大学医学部卒業。同大学院医学研究科博士課程修了。同医学部第2外科助手を経て、1976年旭川医科大学医学部講師。その後、同医学部助教授。1988年(昭和63年)旭川医科大学医学部教授。1995年(平成7年)同副学長。1997年(平成9年)旭川医科大学学長に就任。2003年(平成15年)旭川医科大学退官、名誉教授。
藤原 哲郎(ふじわら てつろう、1931年 - 2024年1… 藤原 哲郎(ふじわら てつろう、1931年 - 2024年11月19日)は、日本の医師。岩手医科大学名誉教授。岩手県盛岡市出身。 1996年キング・ファイサル国際賞、2008年武田医学賞を受賞した。 この項目は、医学に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:医学/Portal:医学と医療)。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
宇野 昌人(うの まさと、1931年 - 2014年7月10… 宇野 昌人(うの まさと、1931年 - 2014年7月10日)は、日本の精神科医。愛媛県生まれ。1956年京都大学医学部卒業。60年東京大学文学部哲学科卒業。
桑原 未代子(くわはら みよこ、1931年 - 2015年1… 桑原 未代子(くわはら みよこ、1931年 - 2015年1月8日)は、日本の歯科医師、歯学者。元大垣女子短期大学教授、元藤田学園保健衛生大学助教授。 1957年日本歯科大学卒業、1961年東京医科歯科大学大学院修了。以後、愛知学院大学歯学部講師、財団法人ライオン歯科衛生研究所付属ライオンファミリー歯科診療所小児歯科主任を経て1974年大垣女子短期大学教授に就任、1986年藤田学園保健衛生大学助教授。 井上直彦、伊藤学而らとともに、宮古・石垣地域の無歯科医地区の乳幼児歯科保健活動などに従事した。
金子 一芳(かねこ かずよし、1931年 - 2024年5月… 金子 一芳(かねこ かずよし、1931年 - 2024年5月21日)は、日本の歯科医師。 東京都生まれ。1955年東京歯科大学卒業。同年東京都中央区に開業。歯科スタディグループの草分け的存在である「火曜会」を創設。以降全国にスタディーグループの設立を促し、歯科臨床家の育成に尽力。全国の歯科スタディグループの集まりである「臨床歯科を語る会」を1981年に設立。 金子は欠損歯列の分類として、歯数分類を提唱した。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
武智 秀夫(たけち ひでお、1930年12月24日 - 20… 武智 秀夫(たけち ひでお、1930年12月24日 - 2017年4月23日)は、日本の整形外科医・医学史家。愛媛県生まれ。1954年岡山医科大学医学部卒。1959年岡山大学大学院医学研究科博士課程修了、「腱の電子顕微鏡的研究」で医学博士。岡山大学医学部講師、助教授、1987年吉備高原医療リハビリテーションセンター院長。
大畠 襄(おおはた のぼる 1930年11月25日 - 20… 大畠 襄(おおはた のぼる 1930年11月25日 - 2024年2月9日)は、日本の医師。専門はスポーツ医学、整形外科。 1930年11月25日、東京都出身。成城高等学校を経て東京慈恵会医科大学卒業。大学卒業後は東京慈恵会医科大学附属病院整形外科医師となると共に、東京慈恵会医科大学整形外科教室及び形成外科教室で教鞭を取る。1984年に教授に昇任。 1985年に慈恵医科大学病院に開設された健康医学センターにてスポーツ外来部を設置。スポーツ医学研究を進めると共に、スポーツ選手などの治療などに当たる。1993年に健康医学センター長及びスポーツ医科学教授に就任、1996年より客員教授を務める。また東京慈恵会医科大学附属柏病院院長も務めた。
中川 志郎(なかがわ しろう、1930年11月24日 - 2… 中川 志郎(なかがわ しろう、1930年11月24日 - 2012年7月16日)は、日本の獣医師、動物園飼育員、文筆家。 茨城県真壁郡関城町(現・筑西市)出身。宇都宮農林専門学校(現・宇都宮大学農学部)獣医畜産科を卒業。獣医師として恩賜上野動物園に奉職。飼育課長としてジャイアントパンダやコアラの導入、飼育、繁殖に務める。 1984年多摩動物公園長、1987年上野動物園長、1994年ミュージアムパーク茨城県自然博物館館長を歴任した。東京動物園協会理事長。多数のエッセイ、創作、翻訳がある。
森岡 恭彦(もりおか やすひこ、1930年8月25日 - )… 森岡 恭彦(もりおか やすひこ、1930年8月25日 - )は日本の医学者、医学博士。専門は外科学。
川嶋 康生(かわしま やすなる、1930年〈昭和5年〉8月2… 川嶋 康生(かわしま やすなる、1930年〈昭和5年〉8月23日 - )は、日本の医学者、医師。国立循環器病センター名誉総長。大阪大学名誉教授。医学博士(大阪大学、1961年)。 大阪府出身。1943年(昭和18年)大阪府池田師範学校附属国民学校(現:大阪教育大学附属池田小学校)卒業。大阪府立豊中中学校(旧制)、旧制大阪府立浪速高等学校を経て京都大学工学部に入学するも中退。その後、大阪大学医学部に入学し、卒業。 体外循環の安全性の向上の研究を行い、先天性心臓奇形に対する川島手術など多くの新しい手術を世界に先駆けて発表するなど、日本の心臓外科医の第一人者として活躍。学校法人大阪薬科大学の理事長なども務めた。
石川 信義(いしかわ のぶよし、1930年〈昭和5年〉8月2… 石川 信義(いしかわ のぶよし、1930年〈昭和5年〉8月20日 - 2020年〈令和2年〉7月2日 )は、日本の精神科医。三枚橋病院創設者。 群馬県桐生市生まれ。旧制・群馬県立桐生中学校、海軍兵学校(78期)、旧制・第二高等学校を経て、1952年(昭和27年)に東京大学経済学部を卒業後、安田生命保険(現・明治安田生命保険)に入社。しかし、医者になるため数年で退社し東京大学医学部に入学。スキー山岳部に所属していた1961年(昭和36年)には、第5次南極地域観測隊に参加した。 1962年(昭和37年)に東京大学を卒業後、精神科医となり、東京大学医学部附属病院神経科、東京都立松沢病院に勤務。同病院には4年ほど勤務するが、このうち、1年間はライシャワー事件を起こした青年の主治医を務めた。
宮崎 秀樹(みやざき ひでき、1930年7月9日 - )は、… 宮崎 秀樹(みやざき ひでき、1930年7月9日 - )は、日本の医師・医学博士、政治家。元参議院議員、元自由民主党副幹事長。2004年から2006年まで日本医師会副会長を務めた。
坂本 寧(さかもと やすし、さかもと ねい。1930年5月1… 坂本 寧(さかもと やすし、さかもと ねい。1930年5月17日 - 2023年12月2日)は、日本の医師、画家、元坂本善三美術館名誉館長。 1930年(昭和5年)、熊本県菊池郡大津町に生まれる。1946年(昭和21年)より、絵を描き始める。熊本大学大学院医学研究科を修了した医師であり、熊本県宇城市で開業医として医業にたずさわりつつ作家活動を続けてきた。西孝親、坂本善三、海老原喜之助らに師事する。 特に坂本善三には、自身が10代の頃より善三が亡くなるまで長く師事した。善三の死後、坂本善三美術館の立ち上げに関わり、1995年(平成7年)、坂本善三美術館館長に就任する。なお、坂本善三と姓は同じであるが、血縁関係はない。
坂田 英治(さかた えいじ、1930年(昭和5年)5月5日 … 坂田 英治(さかた えいじ、1930年(昭和5年)5月5日 - 2024年(令和6年)10月31日)は、日本の医師。埼玉医科大学名誉教授。順天堂大学医学部卒、東京大学大学院博士課程修了、医学博士。静岡県生まれ。 「めまい」「耳鳴り」の治療研究に精力的に取り組み、その先駆者として後進の指導にあたった。 めまいの原因である病巣の位置の確認に取り組む。フレンツェル眼鏡の診察による病巣の位置と、外科的に開かれた脳における病巣の位置を確認し、眼振の診断と脳の外科手術で眼振診断が正しいことをまとめた論文内容が「内科診断学」という専門書に掲載された。 「めまい」「耳鳴り」の治療研究 『臨床神経耳科学入門』坂田英治著(医歯薬出版)
大原 健士郎(おおはら けんしろう、1930年4月30日 ‐… 大原 健士郎(おおはら けんしろう、1930年4月30日 ‐ 2010年1月24日)は、日本の医学者・精神科医。浜松医科大学名誉教授。専門は自殺研究、森田療法など。 高知県吾川郡伊野町(現・いの町)生まれ。伊野小学校から土佐中学に入学。1945年中学2年の時に東京陸軍幼年学校(49期、終戦時第1学年で復員)を受験して合格し、学校のある東京都の南多摩(現・八王子市)に移転するが、同年8月に学校が空襲で被災したため高知県に戻り、土佐中学に復学する。48年に東京慈恵会医科大学に進学し、56年に卒業、61年同大学院医学研究科精神医専攻修了、66年慈恵医大講師、広島で開かれた日本精神神経学会のシンポジウムの研究発表がきっかけで渡米、66―67年南カリフォルニア大学招聘教授、ロサンゼルス自殺予防センター特別招聘研究員、76年東京慈恵会医科大学助教授、77年浜松医科大学精神神経科教授、88年森田療法学会理事長、96年浜松医科大学退任、名誉教授、97年愛知淑徳大学教授、2003年日本社会精神医学会理事長退任、05年愛知淑徳大学退任。
須永 俊明(すなが としあき、1930年4月15日 - 19… 須永 俊明(すなが としあき、1930年4月15日 - 1995年9月4日)は、日本の医師、医学者。 埼玉県川越市出身。東京医科歯科大学卒。1979年より佐賀医科大学内科学教授に就任し、同医大付属病院総合診療部長、救急部長などを歴任した。 専門は、高脂血症、高血圧、高齢者の慢性期疾患であり、メタボリックシンドロームの臨床及び基礎的研究を行ったが、大学内で原稿を執筆中に心筋梗塞で倒れ、現職のまま死亡した。死後、従四位勲三等旭日中綬章が贈られている。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
粟井 弘二(あわい こうじ、1930年(昭和5年)3月11日… 粟井 弘二(あわい こうじ、1930年(昭和5年)3月11日 - 2019年(平成31年)1月4日)は、日本の内科医師、開業医。 岡山県津山市田町72番地に出生した[要出典]。粟井家は、美作菅氏の一つであった。 旧制岡山津山中学校(現・岡山県立津山高等学校)、旧制成城高等学校を経て、旧制岡山医科大学を1954年(昭和29年)に卒業した。卒業後、内科医を志して、岡山大学第二内科に入局し、血液学の研究に従事した。[要出典]学位論文は、特発性栓球減少性紫斑病(現在は特発性血小板減少性紫斑病,指定難病63)の研究で、その過程で、巨核球から血小板が分離して生成されることを発見した。[要出典]1999年刊行の内科学の教科書には、血小板の生成メカニズムとして記載されている。
宮本 忠雄(みやもと ただお、1930年 <昭和5年> 3月… 宮本 忠雄(みやもと ただお、1930年 <昭和5年> 3月11日 - 1999年 <平成11年> 1月28日)は、日本の医学者・精神科医。専門は精神病理学。自治医科大学名誉教授。元日本精神神経学会会長。学位は、医学博士(東京医科歯科大学)。位階は従五位。勲四等旭日小綬章。 ルートヴィヒ・ビンスワンガー、モーリス・メルロー=ポンティ、ジャック・ラカンなどを翻訳した。日本における病跡学の先駆者として知られる。島崎敏樹、宮本忠雄と続く文明論的病理学の一大系譜を築いた。
松崎 俊久(まつざき としひさ、1930年〈昭和5年〉2月2… 松崎 俊久(まつざき としひさ、1930年〈昭和5年〉2月23日 - 2004年〈平成16年〉5月24日)は、日本の政治家、医師。参議院議員(1期)。 1930年、福島県会津若松市に生まれる。日本医科大学を卒業し、循環器内科に入局。財団法人東京都老人総合研究所(現東京都健康長寿医療センター)疫学第一研究室長や疫学部長を歴任。定年後、琉球大学医学部保健学科保健管理教室教授となる。1995年、第17回参議院議員通常選挙比例区(新進党)で落選したが、1998年6月、繰り上げ当選。同11月、民主党に入党し、1999年、民主党会計監査を務めた。2001年の選挙には出馬せず引退。 2004年5月24日、心不全のため死去。
栗原 雅直(くりはら まさなお、1930年2月17日 - 2… 栗原 雅直(くりはら まさなお、1930年2月17日 - 2024年7月29日)は、日本の精神科医。 東京生まれ。東京大学医学部医学科卒業、東大病院精神神経科に入局。1960年東大大学院生物系研究科博士課程修了。医学博士。2年間のパリ大学留学後、東大病院医局長、1966年虎の門病院勤務。初代精神科部長。川端康成の主治医を務めた。1990年大蔵省診療所長。財務省診療所カウンセラー。。2019年4月ー2022年3月医療法人社団飛白会虎の門山下メンタルクリニック院長 。
小此木 啓吾(おこのぎ けいご、1930年1月31日 - 2… 小此木 啓吾(おこのぎ けいご、1930年1月31日 - 2003年9月21日)は、日本の医学者・精神科医、精神分析家。学位は、医学博士。慶應義塾大学環境情報学部教授、東京国際大学教授を歴任。 青年が大学を留年しつづけ、その後も定職につかない傾向の増加を分析し、彼らを人生の選択をさけていつまでも可能性を保ったまま、大人になることを拒否して猶予期間にとどまる「モラトリアム人間」と呼んだ。 1930年東京府生まれ。慶應義塾幼稚舎、慶應義塾普通部を経て、1954年慶應義塾大学医学部卒業。1960年「自由連想法の研究」で医学博士の学位を取得。1972年慶應義塾大学医学部助教授。1990年慶應義塾大学環境情報学部教授。