土屋 雅春(つちや まさはる、1928年(昭和3年)4月8日… 土屋 雅春(つちや まさはる、1928年(昭和3年)4月8日 - 2001年(平成13年)4月7日)は、日本の医者・医学者(内科学)。学位は、医学博士。慶應義塾大学名誉教授。レジオン・ド=ヌール勲章受章。
職業が医師・医者:2,759人
土屋 雅春(つちや まさはる、1928年(昭和3年)4月8日… 土屋 雅春(つちや まさはる、1928年(昭和3年)4月8日 - 2001年(平成13年)4月7日)は、日本の医者・医学者(内科学)。学位は、医学博士。慶應義塾大学名誉教授。レジオン・ド=ヌール勲章受章。
助川 弘之(すけがわ ひろゆき、1928年〈昭和3年〉3月2… 助川 弘之(すけがわ ひろゆき、1928年〈昭和3年〉3月22日 - 2013年〈平成25年〉9月8日)は、日本の政治家、教育者、医師、市民運動家。 霞ケ浦の再生を考える会会長でいのちの水・霞ヶ浦を守る市民ネットワーク代表、筑波メディカルセンター病院理事長、第16・17・18・19代茨城県土浦市長、茨城県公安委員長を歴任した。旭日小綬章受章者。 助川喜四郎の三男として、茨城県新治郡土浦町敷島町(現・土浦市桜町)で生まれた。その後、東京大空襲に遭遇したが生き延びる。東京慈恵会医科大学医学部を卒業し、医師免許を取得。長じて政治を志し、箱根宏の死去にともなう1987年の土浦市長選挙に立候補し初当選。以後、1991年・1995年・1999年の市長選にも当選し、4選を果たした。
石川 恭子(いしかわ きょうこ、1928年3月22日 - 2… 石川 恭子(いしかわ きょうこ、1928年3月22日 - 2020年4月14日)は、日本の歌人、医師。 東京府生まれ。小学校時代から作歌を始める。東京女子医学専門学校卒業。内科医として働くかたわら短歌を詠み、短歌結社『立春』、加藤克巳の『個性』をへて、歌誌『素馨(そけい)』主宰。1994年、歌集『木犀の秋』で第21回日本歌人クラブ賞受賞。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
岡田 善雄(おかだ よしお、1928年3月10日 - 200… 岡田 善雄(おかだ よしお、1928年3月10日 - 2008年1月16日)は、日本の医学者(細胞工学)、医師。位階は従三位。勲等は勲一等。大阪大学名誉教授、文化功労者、文化勲章受章者。 大阪大学微生物病研究所教授、大阪大学細胞工学センターセンター長、財団法人千里ライフサイエンス振興財団理事長などを歴任した。 広島県呉市出身の細胞生物学者である。バイオテクノロジーの基本技術である「細胞融合現象」を発見した細胞工学のパイオニアとして知られている。大阪大学名誉教授。 大阪大学微生物病研究所助手となった後の1955年、ウイルスをがん細胞に注射したところ、見たこともない巨大細胞ができた。「生物の細胞は互いに細胞膜で隔てられ、受精などを除いて合体はありえない」という生物学の常識を覆す大発見の瞬間だった。
木暮 山人(こぐれ やまと、1928年3月7日‐1998年5… 木暮 山人(こぐれ やまと、1928年3月7日‐1998年5月26日)は、日本の歯科医・政治家。参議院議員(2期)。 新潟県新発田市出身。旧制新発田中を経て日本歯科医学専門学校を1949年に卒業。更に法政大学法学部に進学し、1951年に卒業した。その後、日本歯科大学歯科薬理学教室研究生として在学,歯学博士の学位を取得する。 政治に早くから関心を持ち、法政大学在学中に亜細亜青年連盟を結成して1953年の総選挙に立候補。この時は得票が法定得票数にも満たず泡沫候補に終わるが、その後5回も総選挙に出馬し続けて得票を伸ばし続けた。その一方で歯科医として歯友会歯科技術専門学校の創設に関わり、歯科技工から実業界にも進出。
森下 敬一(もりした けいいち、1928年3月3日 - 20… 森下 敬一(もりした けいいち、1928年3月3日 - 2019年12月31日)は、日本の医学医師。血液生理学の立場から、現代医学の疑問点に対し実験的な検証を重ね、「自然医学理論」を確立した。 自身の自然医学理論に基づき、森下自然医学として現代医学とは一線を画した治療法(自然医食療法)を指導し、終生に亘りガンをはじめとする慢性病患者を改善へと導いた。 国際自然医学会会長、お茶の水クリニック院長、グルジア・トビリシ国立医科大学名誉教授、グルジア長寿学会名誉会長、アブハジア長寿学会名誉会長、アルメニア長寿学会名誉会長、瀋陽薬科大学客員教授、吉林省氣功保健研究所客員教授(名誉所長)、吉林省中医中薬研究院・老年医学研究所顧問、中国保健食品協会・抗衰老学会名誉理事、黒竜江省非薬物治療研究中心名誉院長、広西抗衰老科学技術学会顧問、広西巴馬長寿研究所名誉所長などを務めた。
小川原 辰雄(おがわら たつお、1928年2月18日 - 2… 小川原 辰雄(おがわら たつお、1928年2月18日 - 2019年2月5日)は、日本の医師、内科医、昆虫研究者。勲等は旭日双光章、従六位。紺綬褒章受章者。長野県小県郡青木村名誉村民。青木村の青木診療所で長年所長を務め地域医療に貢献し、ハチ刺し症によるアナフィラキシーの治療や事例報告で多くの功績を残した。昆虫研究でも、青木村に信州昆虫資料館を開館させ館長を務め、長野県産昆虫の収集、情報発信などに貢献した。 長野県東筑摩郡坂井村(現筑北村)に生まれる。長野県松本中学校(現長野県松本深志高等学校)に進学。1年生の時にジャン・アンリ・ファーブルの「昆虫記」を読み、昆虫への憧れを深める。太平洋戦争下の軍事教練でキャンプを張った聖高原でもこっそりチョウの採集をするほどであった。
平山 宗宏(ひらやま むねひろ、1928年〈昭和3年〉2月1… 平山 宗宏(ひらやま むねひろ、1928年〈昭和3年〉2月13日 - 2022年〈令和4年〉12月30日)は、日本の医師・小児科学者。学位は医学博士(東京大学・1960年)。東京大学名誉教授。母子健康手帳の普及に貢献したことでも知られる。 東京大学医学部保健学科母子保健学教室第2代主任教授、日本総合愛育研究所(1997年より日本子ども家庭総合研究所)所長などを歴任。 東京都生まれ。1954年 東京大学医学部卒、1960年東京大学より医学博士の学位を取得。アメリカでの研究を経て、1966年 東京大学医学部保健学科母子保健学教室助教授、1971年 同第2代主任教授(現東京大学大学院医学系研究科国際保健学専攻国際生物医科学講座発達医科学教室)。
笠原 嘉(かさはら よみし、1928年1月26日 - 202… 笠原 嘉(かさはら よみし、1928年1月26日 - 2025年10月6日)は、日本の医学者・精神科医。専門は精神病理学。名古屋大学名誉教授。元藤田保健衛生大学教授。元日本精神神経学会理事長。学位は、医学博士(京都大学・1959年)。 中井久夫、宮本忠雄、木村敏、安永浩らとともに、日本における精神病理学第2世代を代表する人物である。1958年、京都大学で師事した村上仁教授から精神病理学を学んだ。学園紛争時代には京都大学保健管理センターに勤務し、ひっそりと留年をくり返す学生に気づき、スチューデント・アパシー(退却神経症)の研究を行った。また、日本における健康保険制度は諸外国と比して低廉に受診できるメリットがあるが、一方面接時間は10分程度が限界であり(初診のみ45分程度必要と述べている)、薬物療法を補完する技法として外来でできる小精神療法を提唱している。
阿部 完市(あべ かんいち、1928年1月25日 - 200… 阿部 完市(あべ かんいち、1928年1月25日 - 2009年2月19日)は、俳人、精神科医。 東京生まれ。金沢医科大学付属医学専門部(現金沢大学医学部)卒。1950年より勤務先の病院の俳句グループで作句をはじめる。1951年、日野草城の「青玄」入会、1952年西村白雲郷の「未完」入会、1953年高柳重信の「俳句評論」入会。1962年、金子兜太の「海程」4号より入会、同人。1965年第2回海程賞、1970年第17回現代俳句協会賞。1974年より「海程」編集長。現代俳句協会、国際俳句交流協会、日本ペンクラブ会員。現代俳句協会では1997年から2008年まで副会長を務めた。句集に『無帽』『絵本の空』『純白諸事』『軽のやまめ』など、評論に『俳句幻形』『俳句心景』など。
文 太俊(ムン・テジュン、朝鮮語: 문태준、1928年1月1… 文 太俊(ムン・テジュン、朝鮮語: 문태준、1928年1月14日 - 2020年3月11日)は、韓国の政治家、医師(神経外科)。元保健社会部長官、第7・8・9・10代国会議員。号は徳巌(トガム、덕암)。本貫は南平文氏(朝鮮語版)、キリスト教徒。 日本統治時代の資本家・中枢院参議の文明琦は祖父。陸軍軍人の蔡命新は妹の夫。 文明琦の長孫として日本統治時代の慶尚北道盈徳郡に生まれた。ソウル大学校医科大学卒業、トーマス・ジェファーソン大学大学院修了、日本大学医学博士。忠北大学校名誉理学博士、トーマス・ジェファーソン大学名誉法学博士。 朝鮮戦争では陸軍の軍医官として参戦した。終戦後は延世大学校主任教授、外来教授を歴任した。
宮崎 亮(みやざき まこと、1928年 - )は、日本の医師… 宮崎 亮(みやざき まこと、1928年 - )は、日本の医師。王滝村国民健康保険直営王滝診療所所長。 1954年(昭和29年)、北海道大学医学部卒(北大医学部30期生)。ニューヨーク大学メディカルカレッジにおいてチーフレジデントとして外科・泌尿器科を専攻。 1963年よりキリスト教精神に基づき妻の安子(医師)と供にナイジェリアで献身的に医療活動に従事、1980年からバングラデシュにおいて医療に従事。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
眞鍋 禮三(まなべ れいぞう、1928年 - 2021年7月… 眞鍋 禮三(まなべ れいぞう、1928年 - 2021年7月19日)は、日本の医学者・眼科医。専門は、角膜移植を中心に視覚生理学分野。大阪大学名誉教授。 香川県三豊郡下高瀬村(現 三豊市三野町)出身。旧制香川県立三豊中学校、旧制松山高等学校を経て、大阪大学医学部卒業。 1954年(昭和29年)大阪大学医学部卒業。同大大学院修了後、同大眼科学教室 に入局。1963年(昭和38年)ミュンヘン大学留学、1969年(昭和44年)ボストンの眼研究所留学を経て、1974年(昭和49年)大阪大学医学部脳神経感覚器外科学(眼科学)講座教授に就任。 初期の研究分野は電気生理であったが、留学したボストンで初めて角膜の研究に従事し、角膜に含まれる「水」の問題、コラゲナーゼ、フィブロネクチン、ヘルペス感染症などに関する多くの業績をおさめて現在の日本角膜学会の基礎を作った。
中川 保孝(なかがわ やすたか、1928年 - 2000年7… 中川 保孝(なかがわ やすたか、1928年 - 2000年7月2日)は日本の精神科医。友朋会嬉野温泉病院元理事長。精神医学、老年内科学における芸術療法の第一人者であり、芸術療法のなかでもとりわけ絵画療法を専門とした。 1952年に九州大学医学部を卒業したのち、九州大学の精神神経科へと入局した。学生時代からの絵画制作の経験と、イギリスの画家であるエイドリアン・ヒル(英語版)の『絵画療法』に影響を受け、1953年から絵画療法の研究を開始した。1954年に東京慈恵会医科大学神経科へと医局を移動した。 その後、1965年に嬉野温泉病院を開設。絵画のほかに、陶芸や歌唱、料理などを取り入れて「芸術療法」を日本でいち早く導入した。
前田 重治(まえだ しげはる、1928年 -2024年2月1… 前田 重治(まえだ しげはる、1928年 -2024年2月14日 )は、日本の医学者・精神科医。九州大学名誉教授。専攻は精神分析学・カウンセリング。 長崎県長崎市生まれ。1952年九州大学医学部卒業。1958年「被暗示性に関する実験的研究」で医学博士の学位を取得。精神科、心療内科を経て、1972年九州大学教育学部教授。1991年定年退官、名誉教授。2007年秋の叙勲で瑞宝中綬章を受章。
河野 博臣(こうの ひろおみ、1928年 - 2003年8月… 河野 博臣(こうの ひろおみ、1928年 - 2003年8月20日)は、日本の医師。 大分県出身。久留米大学医学部卒業、九州大学結核研究所、京都大学胸部疾患研究所勤務、1965年に兵庫県神戸市に河野胃腸科外科医院を開院。1974年『死の臨床~死にゆく人々への援助』を著し、1977年「死の臨床研究会」を創設。1986年に日本サイコオンコロジー学会を創設。国際サイコオンコロジー学会副会長。 日本におけるターミナルケアの先駆者。
清水 哲也(しみず てつや、1928年〈昭和3年〉 - 20… 清水 哲也(しみず てつや、1928年〈昭和3年〉 - 2022年〈令和4年〉8月4日)は、日本の医学者(医学博士)・医師。第4代旭川医科大学長。旭川医科大学名誉教授。専門は、産婦人科学(特に体外受精及び不妊治療)。位階勲等は正四位瑞宝重光章。 北海道寿都郡寿都町生まれ。1952年(昭和27年)北海道大学医学部卒業。同大学院医学研究科博士課程修了。同医学部産婦人科講座助教授。米国ワシントン州立大学医学部に留学を経て、1974年(昭和49年)旭川医科大学医学部教授。1991年(平成3年)旭川医科大学学長に就任。1997年(平成9年)旭川医科大学退官。同名誉教授。2004年(平成16年)春の叙勲で、瑞宝重光章を受章。
小林 登(こばやし のぼる、1927年11月23日 - 20… 小林 登(こばやし のぼる、1927年11月23日 - 2019年12月26日)は、日本の医学者・小児科医。東京大学医学部教授を経て、東京大学名誉教授、国立小児病院名誉院長。学位は、医学博士。 東京府生まれ。父は日本画家の小林巣居人。東京府立第十九中学校を4年修了し、1945年に海軍兵学校(75期)を卒業。第一高等学校理科甲類を経て、1954年東京大学医学部医学科卒業。米国・英国留学後大学に戻り、1970年東京大学医学部小児科学教授。1980年国際小児科学会会長。1984年国立小児病院小児医療研究センター初代センター長。1988年東京大学名誉教授。1987年から1996年3月まで国立小児病院(現:国立成育医療センター)院長。
浦井 洋(うらい よう、1927年11月8日 - 2015年… 浦井 洋(うらい よう、1927年11月8日 - 2015年4月30日)は、日本の政治家、医師。元衆議院議員(日本共産党公認、7期)・党兵庫県委員。 東神戸病院名誉院長、兵庫県民医連会長を歴任。 兵庫県神戸市出身。神戸医科大学(現・神戸大学医学部)卒業後、東神戸診療所長、東神戸病院院長をへて、1969年の第32回衆議院議員総選挙に兵庫県第1区(神戸市全域)から初当選。その後連続7選するものの、1990年の第39回衆議院議員総選挙で落選。 議員在任中はアスベスト問題や乳幼児医療費無料化などに取り組む。衆議院議員落選後は医療現場に戻り、港湾労働者への診療を行っていた。2015年4月30日、呼吸不全のため死去。
大浜 方栄(おおはま ほうえい、大濱方榮、1927年10月2… 大浜 方栄(おおはま ほうえい、大濱方榮、1927年10月27日 - 2014年4月28日)は、日本の政治家、医師。位階は従四位。 社会福祉法人・医療法人・財団法人おもと会理事長。元自由民主党参議院議員。 1980年の第12回参議院議員通常選挙(沖縄地方区)に保守系無所属で立候補するも、革新共闘会議の喜屋武真栄に敗北。その後、1983年の第13回参議院議員通常選挙(比例区)で初当選、2期務める。派閥は平成研究会(竹下派→小渕派)。 2014年4月28日午前0時47分、老衰のため沖縄県那覇市の大浜第一病院で死去。86歳没。叙従四位。
中村 紀夫(なかむら のりお、1927年10月4日 - 20… 中村 紀夫(なかむら のりお、1927年10月4日 - 2020年1月27日)は、日本の医学者(医学博士)。専門は脳神経外科学。東京慈恵会医科大学名誉教授。藍綬褒章受章者。東京都神田淡路町出身。 父親の中村康(やすし、1898-1956)は、日本の視力検査法、検眼表、色盲検査表の発案に関わった日本医科大学眼科教授である。日本初の角膜移植手術を行い、後にアイバンクの設立に寄与している。 1951年に東京大学医学部附属病院に脳神経外科の外来部門が設置された曙期から、興隆期を経て最盛期に至る真只中で活躍した。「流水不濁、忙人不老」と題した1993年の定年退任記念講演では、「社会のニーズに応え、診療研究に全精力を傾倒し、その学識を次世代に伝え、医者冥利に尽きる」と述べている。
大国 真彦(おおくに まさひこ、1927年(昭和2年)9月1… 大国 真彦(おおくに まさひこ、1927年(昭和2年)9月15日 - )は、日本の小児科医。日本大学名誉教授、大国小児科クリニック院長。 朝鮮釜山府生まれ。1951年東京大学医学部卒。52年東大医学部小児科助手。1958年東京大学医学博士。1959年東大講師、1963年日本大学医学部助教授、1973年教授、1986年日本大学医学部附属板橋病院副院長、1990-1992年院長、1988年日本小児科学会会長。1995年日大名誉教授、表参道眼科・小児科クリニック院長。成城に大国小児科クリニックを開設し院長。2008年春瑞宝中綬章受勲。小児のコレステロール値を研究し、動脈硬化や肥満などの小児成人病を指摘した。
黒田 勲(くろだ いさお、1927年8月31日 - 2009… 黒田 勲(くろだ いさお、1927年8月31日 - 2009年2月17日)は、日本の航空自衛官、医学者、医師。早稲田大学教授。最終階級は空将。専門は航空医学、宇宙医学。北海道旭川市出身。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
平井 富雄(ひらい とみお、1927年8月21日 - 199… 平井 富雄(ひらい とみお、1927年8月21日 - 1993年1月26日)は、日本の医学者、精神科医。 東京生まれ。東京大学医学部卒業。学位は、医学博士(東京大学・1960年)(学位論文「坐禅の脳波的研究」)。東京大学医学部附属病院分院長、東京家政大学教授、日本精神神経学会理事長(任期:1973年 - 1977年)も務めた。 禅宗の僧侶を脳波測定し、α波など、精神状態と脳波の関連性について研究を行った。脳波研究での草分け的な存在。日本睡眠学会の設立にも参加した。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
三塚 博(みつづか ひろし、1927年〈昭和2年〉8月1日 … 三塚 博(みつづか ひろし、1927年〈昭和2年〉8月1日 - 2004年〈平成16年〉4月25日)は、日本の政治家、獣医師。 衆議院議員(10期)、運輸大臣(第57代)、通商産業大臣(第48代)、外務大臣(第111代)、大蔵大臣(第102代)、衆議院議院運営委員長(第44代)、自由民主党政務調査会長(第35代・38代)、自由民主党幹事長(第31代)、自由民主党税制調査会長(第22代)を歴任。正三位旭日大綬章。血液型O型。 宮城県遠田郡北浦村(小牛田町を経て美里町)で、男6人、女8人の14人兄弟の7番目として誕生。宮城県立小牛田農林学校(現宮城県小牛田農林高等学校)、東京高等獣医学校(現日本大学生物資源科学部)を経て早稲田大学第一法学部へ学士入学し、1951年に卒業。
坂口 幸雄(さかぐち ゆきお、1927年〈昭和2年〉8月1日… 坂口 幸雄(さかぐち ゆきお、1927年〈昭和2年〉8月1日 - 没年不明)は、日本の医師、実業家。医学博士。サンマリタン耳鼻咽喉科医院長。エフエム山陰代表取締役社長。旧姓・松本。 鳥取県西伯郡渡村(現・境港市渡町)出身。1953年、米子医大を卒業する。鳥取大学医学部耳鼻咽喉科教室に入局する。1957年、学位を受領する。日本医大第一附属病院耳鼻咽喉科、東京国際聖路加病院各勤務を経て1963年に開業する。 1986年、エフエム山陰創立総会後の取締役会で、代表取締役社長に選任される。 高額所得者である。趣味は囲碁。住所は鳥取県米子市久米町、西伯郡会見町天萬(現・南部町天萬)。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。
三輪 和雄(みわ かずお、1927年8月1日 - )は日本の… 三輪 和雄(みわ かずお、1927年8月1日 - )は日本の医師、ノンフィクション作家。 愛知県名古屋市生まれ、名古屋大学医学部卒。名大医学部第一外科学教室、中京病院をへて、社会保険中央総合病院の脳神経外科部長などを務めた。1959年伊勢湾台風の記録を集めて『海吠える』を刊行し、ノンフィクションやエッセイを手掛け、数十冊の著書がある。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
垂井 清一郎(たるい せいいちろう、1927年7月23日 -… 垂井 清一郎(たるい せいいちろう、1927年7月23日 - 2024年1月6日)は、日本の医師・医学博士。代謝異常の研究者。大阪大学名誉教授、大手前病院名誉院長。 兵庫県西宮市出身。1953年に大阪大学医学部医学科を卒業し、6年後に大阪大学大学院医学研究科内科系専攻博士課程を修了。糖尿病研究の功績で知られ、糖原病VII型は「垂井病」の別名で人口に膾炙する。1990年、日本糖尿病学会ハーゲンドーン賞および上原賞を受賞。1995年、武田医学賞を受賞。2006年4月、瑞宝中綬章を受章。著書に「糖尿病物語(ISBN 9784521731063)」などがある。 この項目は、医療関係者に関連した書きかけの項目です。
岩村 昇(いわむら のぼる、1927年5月26日 - 200… 岩村 昇(いわむら のぼる、1927年5月26日 - 2005年11月27日)は、日本の医学者、医師。愛媛県宇和島市出身。
武田 克之(たけだ かつゆき、1927年5月13日 - 20… 武田 克之(たけだ かつゆき、1927年5月13日 - 2016年10月14日)は、日本の医学者、皮膚科医。徳島大学名誉教授、第9代徳島大学学長。 愛媛県出身。1953年徳島医科大学卒業。同大学医学部教授、徳島大学病院院長、医学部長を経て1991年に同大学学長に就任し1997年まで務めた。徳島大学埋蔵文化財委員会委員長、NPO法人F.M.L理事長なども歴任。 1960年 徳島大学 医学博士。論文の題は「皮膚機能と肝機能の関連にかんする臨床的研究」。 2003年春の叙勲で勲二等旭日重光章を受章。2016年10月14日死去。同日付で叙従三位。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
近藤 廉治(こんどう れんじ、1927年5月3日 - 202… 近藤 廉治(こんどう れんじ、1927年5月3日 - 2023年3月6日)は、精神科医、南信病院理事長。 長野県飯田市出身。1952年信州大学医学部卒。同放射線医学教室勤務。1957年「篩照射に関する基礎的研究」で信州大学医学博士、同年神経科へ移る。国立武蔵療養所、1970年長野県立駒ケ根病院長、1972年開放病棟の南信病院を設立、院長、理事長。
北 杜夫(きた もりお、本名:斎藤 宗吉〈さいとう そうきち… 北 杜夫(きた もりお、本名:斎藤 宗吉〈さいとう そうきち〉、1927年〈昭和2年〉5月1日 - 2011年〈平成23年〉10月24日)は、日本の小説家、エッセイスト、精神科医、医学博士。位階は従四位。 祖父は医師で政治家の斎藤紀一。父は紀一の養子で、歌人で医師の斎藤茂吉。兄はエッセイストで精神科医の斎藤茂太。娘はエッセイストの斎藤由香。 東北大学医学部を卒業。精神科医のかたわら、『文藝首都』に参加。水産庁調査船の船医の体験をユーモラスに描いた『どくとるマンボウ航海記』(1960年)で好評を得、以後「どくとるマンボウ」ものを次々に発表した。 『夜と霧の隅で』(1960年)で芥川賞を受賞。『楡家の人びと』(1964年)は、近代における最初の市民小説と高く評価された。
中村 裕(なかむら ゆたか、1927年3月30日 - 198… 中村 裕(なかむら ゆたか、1927年3月30日 - 1984年7月23日)は、日本の医師・整形外科医。身体障害者のスポーツ振興をはかった。日本パラリンピックの父と呼ばれる。 大分県別府市出身。九州大学医学部卒業後、九州大学病院整形外科に医師として勤務。 1958年から大分県の国立別府病院整形外科医長。1966年、大分中村病院を設立。1979年-1983年国際パラプレジア医学会副会長、1979年-1980年日本パラプレジア医学会会長。 1965年に障害者の自立のための施設「太陽の家」を創設。また、障害者スポーツ振興に情熱を傾け、1964年の東京パラリンピックで選手団長を務め、第1回極東・南太平洋身体障害者スポーツ大会(フェスピック)開催に尽力。
佐藤 勲(さとう いさお、1927年3月22日 - 1980… 佐藤 勲(さとう いさお、1927年3月22日 - 1980年2月9日)は、日本の政治家、医師。広島県尾道市長(1期)、尾道市議会議員などを歴任。収賄容疑で逮捕され、市長退任後の1980年、妻と共に殺害された(元尾道市長夫妻殺害事件)。 広島県に宮本政二の次男として生まれる。1951年、慶應義塾大学医学部医学科卒業。 医師のかたわら尾道市議会議員選挙に立候補して当選。1970年6月に市議会議長に就任した。 1975年4月27日に行われた尾道市長選挙に立候補し、会社役員の桑原卓美、現職市長の石原善三郎、日本共産党公認の樋口利夫の3候補を破り初当選した(佐藤:23,396票、桑原:21,386票、石原:11,468票、樋口:5,063票)。
西丸 與一(にしまる よいち、1927年3月14日 - 20… 西丸 與一(にしまる よいち、1927年3月14日 - 2020年4月3日)は、日本の医師、法医学者、作家。横浜市立大学名誉教授。元「ぱしふぃっくびいなす」船医、監察医。 東京府出身。横浜医科大学卒業。 1950年から神奈川県監察医の任にあたり、数多くの事故、事件の検死解剖、鑑定にも携わった。その体験を書いた『法医学教室の午後』正(1982年、朝日新聞社出版局、のち朝日文庫)・続(1984年、朝日新聞社出版局、のち朝日文庫)は、1985年、1986年と日本テレビ系列でTVドラマになった。同シリーズの続編として『法医学教室との別れ』(1992年、朝日新聞社)がある。 1954年から1992年まで横浜市立大学医学部に勤務し、法医学を担当。
工藤 晃(くどう あきら、1927年3月 - 2001年6月… 工藤 晃(くどう あきら、1927年3月 - 2001年6月18日)は、日本の医師、政治家。衆議院議員(1期)。 1951年、慶應義塾大学附属医学専門部卒業。1961年3月、ウサギの脳代謝の研究(「家兎の脳の諸部分におけるGlutamine酸Glutamine及びγ-amino酪酸の濃度及びそれのPicrotoxinまたはMorphineによる変動」)で慶應義塾大学より医学博士を取得。同年、南米医療調査団の副団長としてブラジルの奥地に滞在し、医療活動や調査活動に従事した。横浜市内で診療所を経営するかたわら、1973年の赤ちゃんあっせん事件を契機に「実子特例法の立法化を推進する会」を立ち上げ、その代表世話人として活動していた。
細川汀(ほそかわ みぎわ、1927年(昭和2年)2月27日-… 細川汀(ほそかわ みぎわ、1927年(昭和2年)2月27日-2020年(令和2年)1月21日)は、日本の医師、医学者。 岡山県高梁市生まれ。京都大学医学部卒、1961年三重県立大学医学博士。大阪市立衛生研究所、関西医科大学衛生学公衆衛生学教室講師、京都府立衛生公害研究所、京都府向陽保健所長、京都市衛生研究所、京都府立大学教授、90年定年、神戸健康共和会労働医学研究所。京都府交通・労働等災害救済事業団。働く人の生命と健康を守る全国センターなどの参与。専攻は労働医学、社会医学、地域保健医療福祉。「過労死」の語の名付け親の一人。
宇佐 晋一(うさ しんいち、1927年2月21日 - 202… 宇佐 晋一(うさ しんいち、1927年2月21日 - 2025年6月5日)は、日本の精神科医、森田療法家。父である宇佐玄雄の後を継ぎ、京都市の三聖病院の第2代院長として長年にわたり森田療法の実践を行った。特に森田療法を禅の思想と融合させた「禅的森田療法」として徹底させたことで知られる。 父・玄雄の死後、1957年に29歳という若さで三聖病院院長に就任した晋一は、講話を工夫するために禅の勉強を始めた。晋一にとって決定的な転換点となったのは、三省会に出席した臨済宗の老師からの厳しい批判であった。老師は森田療法を「造花」と評し、「禅はそれを言葉を用いずにやる」「禅には別種の論理がある」と述べた。この経験から、晋一は「負けてなるものか」と奮起し、「論理を抜くこと、つまり理屈抜きということの徹底」を目指すことになった。
大島 清(おおしま きよし、1927年1月25日 - 202… 大島 清(おおしま きよし、1927年1月25日 - 2023年4月19日)は、日本の性科学者、産婦人科医師、脳生理学者、京都大学名誉教授。 広島県生まれ。都島工高を経て海軍兵学校(76期)で終戦を迎える。旧制三高を経て1957年東京大学医学部卒業。1963年「Progesteroneの中枢作用に関する電気生理学的研究」で東京大学医学博士。1971年京都大学霊長類研究所助教授、1980年同教授、1990年定年退官し名誉教授、愛知工業大学教授を務めた。サケの母川回帰、サルとヒトの生殖生理の比較研究など、生物の「性」に学問的関心を寄せ、50代半ば以降、多数の一般向け著作で知られる(著書に付されたプロフィールより)。
白崎 昭一郎(しらさき しょういちろう、1927年1月17日… 白崎 昭一郎(しらさき しょういちろう、1927年1月17日 - 2014年8月3日)は、作家、歴史家、医師。 東京生まれ。1950年京都大学医学部卒。開業医、福井保健所長、福井工業大学教授、97年定年退職。『福井県史』古代史部会の副部会長などを務めた。
葉室 賴昭(はむろ よりあき、1927年〈昭和2年〉1月3日… 葉室 賴昭(はむろ よりあき、1927年〈昭和2年〉1月3日 - 2009年〈平成21年〉1月3日)は、日本の医師、神職。葉室家37代当主。 葉室家36代当主葉室直躬の長男として東京府に生まれた。葉室家は公家の藤原藤原北家勧修寺流(藤原為房の次男藤原顕隆が家祖)の流れを汲む伯爵家。学習院に初等科から高等科まで通った。大阪大学医学部を卒業後、勤務医を経て、形成外科医院を開業した。診療を続けながら通信教育で神職資格を勉強し、神職の最高階位である明階を取得した。神社庁の推薦を受けて平成4年(1992年)に東大阪市の枚岡神社の宮司に就任。平成6年(1994年)8月、春日大社の宮司に就任した。平成20年(2008年)3月、春日大社宮司を退任。
小西 輝夫(こにし てるお、1927年 - )は、日本の精神… 小西 輝夫(こにし てるお、1927年 - )は、日本の精神科医。 大阪市立医学専門学校(のち大阪市立大学医学部)卒、1959年「精神薄弱児における爪床部毛細血管像の生体顕微鏡的観察」で大阪市大医学博士。松下電器産業健康管理センターに勤務し、副所長、松下記念病院院長、1984佛教大学教育学部教授。98年定年退任。仏教、芸術家の精神にも関心が深かった。 この項目は、医療関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:医学と医療、PJ:医学、PJ:歯学)。
須藤 昭子(すどう あきこ、1927年 - )は、日本の医師… 須藤 昭子(すどう あきこ、1927年 - )は、日本の医師、カトリック・クリスト・ロア修道会(本部 カナダ)所属の修道女である。日本で結核治療に携わった後、1976年から修道会からハイチに医師としてに派遣されて以降、長年にわたり現地で医療支援および農業支援に関わり、ハイチのマザー・テレサと呼ばれる。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
森川 昭彦(もりかわ あきひこ、1927年 - 2006年7… 森川 昭彦(もりかわ あきひこ、1927年 - 2006年7月3日)は日本の医師、医学博士である。 美容整形の草分け的存在で、芸能人など著名人の整形手術を多数手がけたとされる。
安田 一郎(やすだ いちろう、1926年12月11日 - 2… 安田 一郎(やすだ いちろう、1926年12月11日 - 2017年8月)は、日本の心理学者・医師。 安田徳太郎の長男として京都に生まれる。前橋医学専門学校卒業、東京大学文学部心理学科卒。横浜市老人リハビリテーション友愛病院長。1982年、横浜市立大学教授。1992年、定年退官。フロイト、ユングなどを研究、紹介し、セクソロジー(性科学)の著述、翻訳でも知られた。 著作の一部はデジタル化され、国立国会図書館デジタルコレクションなどで公開されている。
高橋 良(たかはし りょう、1926年11月17日 - 19… 高橋 良(たかはし りょう、1926年11月17日 - 1988年9月2日)は、日本の医学者、精神科医。元東京医科歯科大学医学部教授。長崎大学名誉教授。医学博士。
澁谷 道(しぶや みち、1926年11月1日 - 2022年… 澁谷 道(しぶや みち、1926年11月1日 - 2022年12月29日)は、日本の医師、俳人。京都府京都市下京区麩屋町に生まれる。大阪市在住。 大阪女子高等医学専門学校(現・関西医科大学)に在学中、八木三日女らとともに学生俳句会に参加し、精神科の教授であった平畑静塔の指導を受ける。1948年に同校卒業、のちに小児科内科澁谷医院を開設。この年に創刊された山口誓子の「天狼」に投句をはじめる。1949年、西東三鬼の雷光句会に参加。1952年「夜盗派」に同人参加。1959年「縄」創刊同人。1967年、橋閒石より連句の指導を受ける。1977年、金子兜太の「海程」同人。1978年、「白燕連句会」に入会し連句の実作を行う。
浜田 晋(はまだ・すすむ 1926年10月23日 - 201… 浜田 晋(はまだ・すすむ 1926年10月23日 - 2010年12月20日)は、日本の精神科医。分裂病者と球遊びに関しての論文が注目された。市井の精神科医として評価され、著作も複数ある。
江草 安彦(えぐさ やすひこ、1926年(大正15年)9月1… 江草 安彦(えぐさ やすひこ、1926年(大正15年)9月10日 - 2015年(平成27年)3月13日)は日本の医師、社会福祉事業者、教育者。学位は医学博士。岡山県名誉県民。 岡山県笠岡市生まれ。旧制広島県立福山誠之館中学校卒業後、岡山医科大学付属医科専門部(現岡山大学医学部)に進学し、勤務医を経て総合医療福祉施設・社会福祉法人旭川荘の創設に参加、旭川荘の第2代理事長(後に名誉理事長)となった。また日本で最初の医療福祉と健康科学を統合した大学である川崎医療福祉大学の初代学長を務めた他、国の福祉審議会委員も歴任した。2015年3月13日、心不全のため死去。88歳没。叙従四位。 岡山大学病院スペシャルニーズ歯科センター教授の江草正彦は次男。
北山 郁子(きたやま いくこ、1926年7月25日 - )は… 北山 郁子(きたやま いくこ、1926年7月25日 - )は、愛知県の渥美半島(現在の田原市)において地域医療を展開し、性教育活動や反公害運動に取り組んだ医師(産婦人科医)、社会運動家。「女医の診察室から 渥美半島に生きて」、「生と性、女はたたかう」などの著書のほか、歌人としては個人歌集「鄙の半島」がある。 富山県富山市土居原町に、農民運動家であり後に富山市会議員、社会党選出衆議院議員を歴任した矢後嘉蔵の長女として誕生。1943年に富山県立富山高等女学校を卒業し、東京女子医学専門学校に入学。父が失職し学費を工面できなかったため、1946年、父の友人である林良一・ミツ夫妻の養女となった。翌年、日本共産党に入党。