川口 弘(かわぐち ひろし、1914年5月3日 - 1998… 川口 弘(かわぐち ひろし、1914年5月3日 - 1998年7月11日)は、日本の経済学者。中央大学名誉教授。中央大学元学長。専門はケインズ経済学、金融論。 ケインズ経済学とりわけ「一般理論」の解釈において評価が高い。当時有力なコンメンタールだった伊東光晴、宮崎義一著「コンメンタール一般理論」にも一般理論解釈を巡って批判を行った。(中央大学経済学会 経済学論纂 川口弘教授古希記念論文集参照)また、日本経済評論社から刊行されているポストケインジアン叢書第1期にも深く関与しており、自身も訳出していると同時に所属していた中央大学経済学部、商学部の教員が中心となって作業がなされた。 学説的にみてイギリス・ケインジアンに近い。
岸本 英太郎(きしもと えいたろう、1914年〈大正3年〉5… 岸本 英太郎(きしもと えいたろう、1914年〈大正3年〉5月1日 - 1976年〈昭和51年〉3月11日)は、日本の経済学者。元京都大学教授。学位は、経済学博士(同志社大学)。 岡山県出身。第六高等学校を経て1937年京都帝国大学法学部卒業。出版社などの勤務を経て1946年専修大学講師、1948年京都大学経済学部助教授、1952年より広島大学、岡山大学の助教授を併任。同年学位論文「社会政策論の根本問題」により同志社大学より経済学博士の学位を取得。1957年京都大学経済学部教授、1965年同学部長。専門は労働問題・社会政策論。大河内一男らと社会政策本質論争を行う。教授在職中に逝去。享年61。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
小野 義彦(おの よしひこ、1914年4月25日 - 199… 小野 義彦(おの よしひこ、1914年4月25日 - 1990年11月19日)は、日本の経済学者、大阪市立大学名誉教授。マルクス主義の立場から資本主義批判を行った。日本共産党における主流派のアメリカ従属論を批判した。主流派が、日本のアメリカ従属から脱する民族民主革命と社会主義革命が必要とする二段階革命論を唱えたことに対して日本はアメリカに従属しておらず、戦術としてアメリカ従属を利用する日本の独占資本主義に対する一段階革命論を提唱し、事実上日本共産党から排除された。1963年9月に平民学連からシンパ学生を率いて民主主義学生同盟を結成した。 東京府東京市四谷区生まれ。仙台第二中学校から第一高等学校へ進んだが、1933年に左翼活動のため中退。
前田 新太郎(まえだ しんたろう、1914年4月25日 - … 前田 新太郎(まえだ しんたろう、1914年4月25日 - 没年不明)は、日本の経済学者。財政学専攻。北海道大学経済学部長、千葉大学人文学部教授、福島大学経済学部教授などを務めた。 愛知県出身。名古屋市立名古屋商業学校(現名古屋市立名古屋商業高等学校)を経て、1936年名古屋高等商業学校(現名古屋大学経済学部)卒業。1939年東京商科大学(現一橋大学)卒業。中山伊知郎門下。 横浜市立横浜商業専門学校(現横浜市立大学)助教授を経て、1943年同教授。1951年文部教官任官、北海道大学法経学部経済学科助教授(財政学)。 1962年北海道大学経済学博士。北海道大学経済学部教授を経て、1963年から北海道大学経済学部長を併任し、学部創立十周年記念事業の構想を発表し、クラーク会館で記念祝賀会を行った。
遊部 久蔵(あそべ きゅうぞう、1914年4月16日 - 1… 遊部 久蔵(あそべ きゅうぞう、1914年4月16日 - 1977年12月12日)は、日本の経済学者。古典学派とマルクスの価値論および経済学史を研究。 東京府(現・東京都)出身。慶應義塾大学卒。東洋経済新報社、東亜研究所、戦後は慶應義塾大学助教授。1953年に教授、経済学部長。1977年、在職中に死亡。享年63。
森下 二次也(もりした ふじや 1913年(大正2年)12月… 森下 二次也(もりした ふじや 1913年(大正2年)12月9日 - 2005年12月29日)は、日本の経済学者。 大阪府に生まれる。富田林中学校を卒業後、大阪商科大学 (旧制)高商部を経て、1937年(昭和12年)、同大市政科を卒業。1958年(昭和33年)大阪市立大学商学部長に就任。退任後、同大名誉教授。その後、大阪学院大学教授を務めた。 2005年12月29日午後0時55分、心不全のため大阪府羽曳野市内の病院で死去、92歳。 主な著作は次の通り。
大島 清(おおしま きよし、1913年12月9日 - 199… 大島 清(おおしま きよし、1913年12月9日 - 1994年10月8日)は、日本の経済学者。筑波大学名誉教授。専攻はマルクス経済学における経済原論、金融論。東京教育大学教授、筑波大学副学長、立正大学・帝京大学教授を歴任。妻は作家の芝木好子。元住所(現在は退去済み)「東京都杉並区高円寺北497」。 1913年、北海道室蘭市の網元の家に生まれる。小樽高等商業学校を経て、東北帝国大学卒業。東北帝大では宇野弘蔵に師事し、卒業後は宇野経済学の立場から経済原論、金融論の研究で成果をあげた。 大島が入学した当時の東北帝国大学は旧制高等学校卒業生以外の枠外学生も入学を許可されており(傍系入学という)、傍系入学者の中に優秀な2人の大島清(もう一人はのちの法政大学教授の大島清)がいて、しばしば間違われた。
渡辺 輝雄(わたなべ てるお、1913年10月16日 - 1… 渡辺 輝雄(わたなべ てるお、1913年10月16日 - 1998年12月8日)は、日本の経済学者で、特にフランソワ・ケネーなど、アダム・スミス以前の初期経済学説史を専門とした。 前身の大倉経済専門学校の時代を含め、東京経済大学に長く勤め、経済学部長や学長(1976年 - 1984年)などを歴任した。 大倉財閥が創設した大倉高等商業学校(東京経済大学の前身校)に学び、1934年に卒業して、神戸商業大学に進み、1937年に同大学を卒業して母校である大倉高商の専任講師となり、1939年には教授に昇任した。早くから大倉高商~大倉経専の大学への昇格を唱え、戦後の大学昇格運動において中心的役割を担った。 1949年、新制大学として東京経済大学が発足すると、教授として経済原理、経済学史を担当した。
杉本 俊朗(すぎもと としろう、1913年10月1日 - 2… 杉本 俊朗(すぎもと としろう、1913年10月1日 - 2012年9月27日)は、マルクス経済学者。横浜国立大学名誉教授。専門は国際経済学、経済書誌学。経済学者の平田喜彦は娘婿。 神戸市生まれ。1934年武蔵高等学校高等科文科乙類卒業。東京帝国大学経済学部に入学。大内兵衛ゼミで学ぶ。東京学生消費組合赤門支部の委員として活動。1937年に大学を卒業し、東洋経済新報社編集局に勤務。1940年に東洋経済記者の禰屋不二夫が石橋湛山主幹の京城支局への転勤命令を断り、9月9日付で退社。同僚若手記者らは石橋のワンマンぶりに反発し、杉本俊朗、細野宰男(のち細野武男に改名)、遊部久蔵、中野正の4名が9月13日付で退社した(のちに国松藤一も退社。
堀江 忠男(ほりえ ただお、1913年9月13日 - 200… 堀江 忠男(ほりえ ただお、1913年9月13日 - 2003年3月29日)は、日本のサッカー選手、サッカー指導者、経済学者。早稲田大学名誉教授。 現役時代のポジションはポジションはフルバック(現在のディフェンダー)。静岡県浜名郡舞阪町(現:浜松市)出身。 静岡県立浜松第一中学校(現:静岡県立浜松北高等学校)時代にサッカーを始め、早稲田高等学院を経て早稲田大学政治経済学部に進学。在学中はア式蹴球部に所属した。 在学中の1934年5月に開催された第10回極東選手権競技大会のサッカー日本代表に選出されて、5月15日のフィリピン代表戦で初出場した。また、1936年にはベルリンオリンピックの日本代表に選出された。
鎌田 正三(かまた しょうぞう、1913年9月 - 1997… 鎌田 正三(かまた しょうぞう、1913年9月 - 1997年)は、マルクス経済学者。北海道大学名誉教授。 北海道小樽市生まれ。1936年小樽高等商業学校卒業。東北帝国大学法文学部経済学科に入学。経済学科の同年の入学者には内藤知周、一柳茂次、浅野正明、中野正、志賀金吾、大島清(新潟高校中退)、大島清(小樽高商卒業)らがいた。斎藤晴造、2人の大島清、一柳茂次、志賀金吾、大友福夫、内藤知周らは下宿に集まって資本論について議論をする仲間だった。宇野弘蔵、末永茂喜などから経済学を学ぶ。 1940年東北帝国大学法文学部経済学科卒業。同じく小樽高商出身の大島清とともに財団法人三菱経済研究所に入所。1941年大島とともに財団法人東亜研究所に移り、新設の欧米部門のイギリス班に所属。
山田 長夫(やまだ ながお、1913年6月5日 - 1987… 山田 長夫(やまだ ながお、1913年6月5日 - 1987年1月27日)は、日本の経済学者。 愛知県出身。東京商科大学卒。関東学院大学助教授、横浜市立大学助教授、教授、1979年定年退官、名誉教授。ケインズ経済学を研究した。 この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキポータル 経済学、ウィキプロジェクト 経済)。
大島 清(おおしま きよし、1913年3月31日 - 198… 大島 清(おおしま きよし、1913年3月31日 - 1984年5月15日)は、日本の経済学者。法政大学名誉教授、元法政大学大原社会問題研究所所長。マルクス経済学における農業経済学専攻。1941年、東北帝国大学卒業。1960年、法政大学経済学博士。 なお、同時期に同一大学でマルクス経済学を専攻していた金融論の大島清とは別人である。しかし、ともに傍系入学(旧制高等学校を卒業せずに入学すること)であり、しかも優秀だったことから、よく間違われた。
野々村 一雄(ののむら かずお、1913年3月10日 - 1… 野々村 一雄(ののむら かずお、1913年3月10日 - 1998年1月12日)は、日本の経済学者。専門はソヴィエト経済。一橋大学名誉教授。元経済理論学会代表幹事。 1i913年、愛知県で生まれた。大阪商科大学(現大阪市立大学)を卒業後、満鉄調査部に入社。 満鉄調査部では石堂清倫とともに資料課に属し、基礎理論が中途半端なまま、関東軍の要望にこたえて総合調査をおこなう経調派・綜合課グループに批判的な立場をとった。そしてそこでの研究、調査内容が軍部に批判的なものであったため、満鉄調査部事件で逮捕され、1945年に懲役2年執行猶予3年の判決を受けた。 敗戦後は満鉄の後身である中長鉄路調査局に上級調査員として勤務。
山本 二三丸(やまもと ふみまる、1913年3月10日 - … 山本 二三丸(やまもと ふみまる、1913年3月10日 - 2011年12月3日)は、日本のマルクス経済学者、立教大学名誉教授。 愛知県豊橋市出身。第一高等学校卒、1936年東京帝国大学経済学部卒。1954年「再生産論」で立教大学経済学博士。1936年東京貯蓄銀行書記、1938年東亜研究所所員、1940年日本鉄鋼連合会書記、1941年鉄鋼統制会書記、日本鋼管書記、1946年立教大学経済学部助教授、1948年教授となり、1978年定年退任、名誉教授。愛知大学教授を務めた。マルクス経済学の厳密な検証において功績があったが、現実の世界経済、世界の社会主義国の崩壊など、理論と現実の乖離は大きく、大きな課題を残して2011年12月3日、98歳で逝去。
内田 義彦(うちだ よしひこ、1913年2月25日 - 19… 内田 義彦(うちだ よしひこ、1913年2月25日 - 1989年3月18日)は、日本の経済学者である。 愛知県名古屋市生まれ。専攻は経済学史、社会思想史。アダム・スミス、カール・マルクスと、近代日本思想史の研究で知られる。著書『社会認識の歩み』で、歴史認識と現代認識の関係、理念とハウ・トゥの関係、本の読み方について、を論じて、日本における社会科学の進展も交え考察している。 1954年8月16日に学位論文『経済学の生誕』で、専修大学から経済学博士の学位を受ける。
小泉 明(こいずみ あきら、1913年2月10日 - 197… 小泉 明(こいずみ あきら、1913年2月10日 - 1977年2月8日)は、日本の経済学者。ケインズ経済学を専攻、国際金融論。第7代一橋大学学長。経済学博士。正三位勲二等旭日重光章。 神奈川県横浜市出身。1938年東京商科大学(現一橋大学)を卒業。山口茂ゼミ出身。三洋証券社長の土屋陽三郎、新日本証券社長の鷹尾寛、東京銀行頭取の横山宗一、鹿島建設副会長の原明太郎、マツダ会長の岩沢正二、丸井今井社長の今井道雄、日東製網社長の小林政夫、三井不動産社長の坪井東らとともに大学の同期会を結成。 大学卒業後第一生命保険に入社するが、1940年に同社を退職し東京商科大学助手に就任。同助教授を経て、戦後一橋大学商学部助教授、58年教授に昇格。
吉田 義三(よしだ よしぞう、1913年 - 1992年)は… 吉田 義三(よしだ よしぞう、1913年 - 1992年)は、日本の経済学者・大阪市立大学教授。専攻は景気変動論、経済政策論。 大正2年、兵庫県に生まれる。1936年大阪商科大学卒。大阪市立大学教授。 この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキポータル 経済学、ウィキプロジェクト 経済)。
山本 登(やまもと のぼる、1912年〈大正元年〉11月5日… 山本 登(やまもと のぼる、1912年〈大正元年〉11月5日 - 1991年〈平成3年〉7月2日 )は、日本の経済学者、慶應義塾大学名誉教授。専門は植民政策学と国際経済学。 1912年、現在の東京都大田区大森で生まれる。1919年に入新井尋常高等小学校に入学、1921年に慶應義塾幼稚舎に編入。慶應義塾普通部を経て、1929年に慶應義塾大学経済学部予科入学。統計学者の寺尾琢磨に師事。 1935年同大学卒業、慶應義塾大学経済学部助手に就任、東南アジア学及び植民政策学、世界経済論を講義を担当する。ジャワ軍政監部調査部調査室主査となり、第二次世界大戦中は南洋経済・南方経済の研究に着手。大日本拓殖学会などに頻繁に論文を掲載し、開発経済学を研究した。
大形 太郎(おおがた たろう、1912年(大正元年)11月 … 大形 太郎(おおがた たろう、1912年(大正元年)11月 - 1948年(昭和23年)11月16日)は日本の政治活動家、経済学者。 1912年(大正元年)11月に三重県鵜方村(現・志摩市)に生まれる。立命館大学予科をへて、1938年(昭和13年)に法政大学経済学部を卒業する。同年、都新聞に入社し、1942年(昭和17年)に退社、法政大学大学院に入り広域経済理論を専攻する。法政大学助手、東急電鉄調査課などで勤務し、応召され日本海軍に入隊する。 戦後、日本共産党に入党し、「アカハタ」編集部員、茨城県地区責任者、地方委員、党本部出版部書籍編集委員などを務める。 1948年(昭和23年)11月16日、国鉄池袋駅貨物列車引き込み路線上で轢死体で発見された。
中野 正(なかの ただし、1912年9月28日 - 1985… 中野 正(なかの ただし、1912年9月28日 - 1985年2月1日)は、日本の経済学者。法政大学名誉教授。 福岡県生まれ。東北帝国大学経済学部卒。1959年「価値形態論」で東北大学経済学博士。法政大学経済学部助教授、教授、経済学部長、1983年定年、名誉教授、長野経済短期大学学長。
吉武 嘉善(よしたけ かぜん、1912年(大正元年)9月22… 吉武 嘉善(よしたけ かぜん、1912年(大正元年)9月22日 - 没年月日不明)は、日本の経済学者、(証券市場論)。元八幡大学学長。熊本県人吉市出身。 東大では大陸式簿記論、高等商業数学の勉学に専念。小寺奨学懸賞論文に応募し『金本位制の将来』の論文で入選した。大和生命保険社員時代も『保険の本質について』の論文を生命保険協会雑誌に発表した。昭和18年黒崎窯業社員時代、マレイ、スマトラに南方方面派遣され英国系三煉瓦工場の建設と経営を任されボーキサイト煉瓦の製造に成功した。終戦帰国後、戸畑専門学校に奉職。八幡大学では経営経済学科の重鎮教授としての存在であった。法経学部長就任後学長に就任した。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
上杉 正一郎(うえうぎ しょういちろう、1912年8月4日 … 上杉 正一郎(うえうぎ しょういちろう、1912年8月4日 - 1990年)は、日本の統計学者、マルクス経済学者。長く東京経済大学で教鞭を執り、同大学名誉教授となった。 上杉は、第二次世界大戦後の経済学界において、「社会統計学派の指導的理論家」であったとされる。 東京に生まれる。父・上杉慎吉は、東京帝国大学法学部教授で、天皇主権説に立つ憲法学者であった。なお、弟・上杉重二郎は、長じて労働運動史の研究者となり、北海道大学教授などを務めた。 1930年に第一高等学校に入学し、1933年に東京帝国大学経済学部に進んだ。学生時代の上杉は、日本共産青年同盟(共青)に参加し、滝川事件に関連して1934年と1935年の2度、検挙勾留された。
小寺 武四郎(こでら たけしろう、1912年7月9日 - 2… 小寺 武四郎(こでら たけしろう、1912年7月9日 - 2004年7月23日)は、日本の経済学者。第10代学校法人関西学院院長、元関西学院大学学長および経済学部教授。専門は金融論、国際金融論。日本金融学会第5代会長。 大日本紡績(後のユニチカ)社長・小寺源吾の四男。実弟はユニチカ社長を務めた小寺新六郎。元関西学院高等商業学部教授・小寺敬一は叔父。
戸谷 敏之(とや としゆき、1912年(明治45年)7月 -… 戸谷 敏之(とや としゆき、1912年(明治45年)7月 - 1945年(昭和20年)9月)は、日本の経済学者、歴史学者。日本常民文化研究所員。専門は農業経済史。
松井 清(まつい きよし、1912年5月26日 - 1972… 松井 清(まつい きよし、1912年5月26日 - 1972年9月6日)は、日本の経済学者。元京都大学大学院経済学研究科・経済学部教授。 岡山市生まれ。第三高等学校卒、1934年京都帝国大学(現・京都大学)経済学部卒。副手をへて1936年同講師、1947年助教授、1949年教授、1950年「世界経済学批判」で、経済学博士(大阪商科大学)の学位を取得。1960-1961年京都大学経済学部長。60歳で教授在任中に死去。 この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキポータル 経済学、ウィキプロジェクト 経済)。
岡倉 古志郎(おかくら こしろう、1912年5月6日 - 2… 岡倉 古志郎(おかくら こしろう、1912年5月6日 - 2001年4月2日)は、日本の国際政治学者、経済学者。 同志社大学教授、大阪外国語大学教授、中央大学教授、日本学術会議副会長、原水爆禁止日本協議会専門委員、日本平和委員会及び日本アジア・アフリカ・ラテンアメリカ連帯委員会の各常任理事などを歴任。『茶の本』『東洋の理想』等の著書で知られる日本美学界の泰斗・岡倉天心の孫に当たる。息子に岡倉徹志がいる。 朝日新聞記者で天心の伝記も編纂した岡倉一雄の子として、東京に生まれる。東京帝国大学を卒業後、東京電灯(現東京電力)に入社。その後、企画院を経て1938年には東亜研究所に入る。同年の企画院事件(企画院判任官グループ事件)にて治安維持法違反で検挙。
林 茂司(はやし しげじ、1912年3月29日 - 1984… 林 茂司(はやし しげじ、1912年3月29日 - 1984年2月8日)は、日本の経済学者。専門は労働経済学。元札幌商科大学学長。 1912年、北海道勇払郡早来町(現・安平町)生まれ。1929年北海道庁立札幌第一中学校(後の北海道札幌南高等学校)を卒業。1932年第二高等学校文科甲類卒業。1936年に東京帝国大学経済学部卒業し、満州国財政部に勤務する。その後終戦前に、北海道に戻り、産業復興会議北海道幹事となった。 戦後は北海道札樽工業地帯調査会事務局長などを経て、1952年北海道立総合経済研究所(北海道庁研究機関)に入所。1962年より北海道立総合経済研究所研究第2部長。1967年には北海道立総合経済研究所副所長。
都留 重人(つる しげと、1912年〈明治45年〉3月6日 … 都留 重人(つる しげと、1912年〈明治45年〉3月6日 - 2006年〈平成18年〉2月5日)は、日本の経済学者。一橋大学名誉教授。公害の政治経済学を提唱し、雑誌『公害研究』(現『環境と公害』)創刊。 初代一橋大学経済研究所長、第6代一橋大学学長、ハーバード大学客員教授、イェール大学客員教授、国際経済学連合会長(日本人初)を歴任、日本学士院会員に選出された。日本人として2人目のハーバード大学名誉学位保持者。国民経済計算における三面等価の原則の考案・命名などをおこなった。 大分県生まれ、名古屋市育ち。小学校第5学年修了、旧制愛知県熱田中学校(現・愛知県立瑞陵高等学校)第4学年修了を経て第八高等学校(現・名古屋大学)に入学したが、日本の中国侵入に反対して欠席届を出さずにストライキを起こしたため(反帝同盟事件)、宮崎辰雄(元神戸市長)、田中文雄(元王子製紙社長)、河本敏夫(元通産大臣)らとともに除籍される。
藤本 武(ふじもと たけし、1912年2月28日 - 200… 藤本 武(ふじもと たけし、1912年2月28日 - 2002年6月9日)は、日本の経済学者。経済学博士(東京大学・論文博士・1962年)(学位論文「最低賃金制度の研究」)。元日本女子大学文学部教授。 京都府舞鶴市生まれ。1935年東京帝国大学経済学部卒、1962年「最低賃金制度の研究」で、東京大学より経済学博士の学位を取得。 全国米穀販売購買組合連合会、日本労働科学研究所、日本女子大学文学部教授、労働科学研究所客員所員。1972年社会政策学会代表幹事。
木村 元一(きむら もとかず、1912年1月1日 - 198… 木村 元一(きむら もとかず、1912年1月1日 - 1987年4月7日 )は、日本の経済学者。専門は財政学。一橋大学名誉教授。井藤半彌門下。ドイツ流の財政社会学を日本の財政学に導入。 宮城県志田郡志田村(現・大崎市古川、旧・古川市)生まれ。 1928年和歌山高等商業学校(現・和歌山大学経済学部)に無試験入学。1934年東京商科大学(現・一橋大学)卒業(井藤半彌ゼミナール)、同大学大学院研究科に進学するとともに、高輪商業学校(現・高輪中学校・高等学校)等で教鞭をとる。 1945年に召集により第2師団入隊。同年終戦により復員。 1973年に胃癌が発見され東京女子医科大学消化器病センターで胃3分の1の切除手術を受ける。
申 泰煥(シン・テファン、英語: SHIN Tae-hwan… 申 泰煥(シン・テファン、英語: SHIN Tae-hwan、1912年 - 1993年)は、大韓民国の経済学者、政治家。大韓民国建設部長官、ソウル大学校総長、大韓民国国土統一院長官を歴任した。本貫は平山申氏。 日本統治時代の朝鮮の京畿道仁川府で生まれる。1936年に京城高等商業学校卒業。1939年に旧制東京商科大学(現一橋大学)本科を卒業し、商学士を取得。専門は理論経済学。在学中、全朝鮮陸上選手権大会の800メートル競走で優勝。同年延禧専門学校(現延世大学校)教授。 1945年朝鮮基督教大学(現延世大学校)教授。1952年ソウル大学校法科大学教授。同年釜山で韓国経済学会を創立。1957年ソウル大学校法科大学長。
千種 義人(ちぐさ よしんど、1911年10月24日 - 2… 千種 義人(ちぐさ よしんど、1911年10月24日 - 2000年9月3日)は、日本の理論経済学者、慶應義塾大学名誉教授、関東学園大学名誉教授。広島修道大学学長。紫綬褒章受章。 1911年、兵庫県で生まれた。慶應義塾大学経済学部に入学し、金原賢之助のゼミナールに所属した。1937年に同大学を卒業し、ドイツ留学。 1937年、慶應義塾大学経済学部助手に採用された。1943年に助教授昇格。1944年からは警察大学校講師も兼任。 戦後も変わらず経済原論を担当した。1949年に教授に昇任。1960年、学位論文『資本主義計画経済の研究』を慶應義塾大学に提出して経済学博士を取得。1959年より1年間、ケンブリッジ大学およびハーバード大学に派遣研究留学。
宇高 基輔(うだか もとすけ、1911年10月1日 - 19… 宇高 基輔(うだか もとすけ、1911年10月1日 - 1994年4月23日)は、日本の経済学者。東京大学名誉教授。マルクス経済学を研究した。 岡山県生まれ。旧制閑谷中(現:岡山県立和気閑谷高等学校)、旧制第三高等学校を経て、1936年東京帝国大学経済学部卒。戦後、東京大学社会科学研究所助教授、教授、1972年定年退官。また、専修大学教授を務めた。1994年4月23日、肝不全のため死去。
川野 重任(かわの しげとう、1911年7月22日 - 20… 川野 重任(かわの しげとう、1911年7月22日 - 2010年7月22日)は、日本の農業経済学者。学位は、農学博士(京都大学・論文博士・1962年)(学位論文「土地改革の理論的性格」)。東京大学名誉教授。 鹿児島県南さつま市(旧加世田市域)出身。鹿児島県立川辺中学校 (旧制)を経て、第七高等学校造士館 (旧制)理科を1932年に卒業。1936年に東京帝国大学農学部農業経済卒業後、副手、1939年に助手、1942年に東京大学東洋文化研究所助教授、1951年に同研究所教授、1962年、「土地改革の理論的性格」で京都大学より農学博士の学位を取得。1966年、同研究所長に就任。1970年に所長退任。
迫間 真治郎(はざま しんじろう、1911年4月16日 - … 迫間 真治郎(はざま しんじろう、1911年4月16日 - 1965年12月23日)は、日本の経済学者。日本大学経済学部教授。 和歌山県出身。旧制第一高等学校時代に社会主義運動に参加し、同校を中退。その後、法政大学経済学部に入り、1936年卒業。1938年以降法政大学講師、助教授、教授。1953年日本大学経済学部教授。國學院大學政経学部兼任教授。1960年「社会主義経済の理論」で経済学博士(日本大学)。 1965年12月23日、心臓麻痺のため日本大学駿河台病院で急逝、54歳。全日本労働総同盟(同盟)の機関誌『同盟』に1965年9月号(第85号)から「マルクス経済学批判」を連載中だった。
市川弘勝(いちかわ ひろかつ、1911年4月5日 - 198… 市川弘勝(いちかわ ひろかつ、1911年4月5日 - 1984年2月29日)は、日本の経済学者。東洋大学名誉教授。鉄鋼について研究した。 東京出身。東京帝国大学経済学部卒。日本鉄鋼協議会調査課長、政治経済研究所所員、理事長。東洋大学教授を務め、1981年定年、名誉教授。
村松 祐次(むらまつ ゆうじ、1911年1月16日 - 19… 村松 祐次(むらまつ ゆうじ、1911年1月16日 - 1974年3月6日)は、日本の経済学者。専門は中国社会経済史。一橋大学学長事務取扱等を歴任。日本学士院賞、日経・経済図書文化賞特賞受賞。従三位勲二等瑞宝章。 東京府八王子市寺町出身。旧制府立二中(現東京都立立川高等学校)を経て、1933年東京商科大学(現一橋大学)を卒業。根岸佶門下。 1933年大学を卒業し近衛歩兵連隊入隊。1936年大日本帝国陸軍主計少尉、1938年同中尉、1939年東京商科大学助教授。 1951年一橋大学経済学部教授、1954年東京大学文学部講師併任、1963年一橋大学経済学部長、1969年一橋大学学長事務取扱を歴任するも、1974年北里大学病院にて肝硬変のため死去。
松沢盛茂(まつざわ もりしげ、1911年(明治44年) - … 松沢盛茂(まつざわ もりしげ、1911年(明治44年) - 1999年(平成11年)11月25日)は、日本の農業経済学者。
栗原 百寿(くりはら はくじゅ、1910年12月26日 - … 栗原 百寿(くりはら はくじゅ、1910年12月26日 - 1955年5月24日)は、日本の農業経済学者。茨城県東茨城郡石塚町(現在の城里町)出身。 医者の長男として生まれ、家業を継ぐために水戸中学校から水戸高等学校へ進む。1931年に同校理科乙類を卒業するが、医学部へは進まず、東北帝国大学法文学部に進学する。大学時代は歴史哲学を学び、宇野弘蔵、新明正道らの講義を聴講していた。卒業論文は「ジョン・スチュアート・ミルの思想史的研究」。1937年に大学を卒業、直後に人民戦線事件で検挙される。 1939年、帝国農会へ就職するが、1942年12月に再び治安維持法違反容疑で逮捕される。戦後は農林省統計調査局調査室嘱託などを経て、1953年に拓殖大学政経学部教授となる。
下村 治(しもむら おさむ、1910年(明治43年)11月2… 下村 治(しもむら おさむ、1910年(明治43年)11月27日 - 1989年(平成元年)6月29日)は、日本の経済学者、大蔵官僚。池田勇人内閣で高度経済成長のプランナーを務めた。 1910年(明治43年)に佐賀県佐賀郡北川副村(現・佐賀市)に生まれる。旧制佐賀中学校、旧制佐賀高等学校文科甲類を経て、1930年に東京帝国大学経済学部へ進学。 1933年、高等試験行政科試験に合格、1934年、東大経済学部を卒業し大蔵省に入省。配属先は専売局。理財局金融課を経て1936年ニューヨーク駐在。1959年退官までの間に経済安定本部物価政策課長、日本銀行政策委員などを歴任したが、病気がちなこともあり大蔵省内ではいわゆる“傍流”にあった。
天利長三(あまり ちょうぞう、1910年(明治43年)10月… 天利長三(あまり ちょうぞう、1910年(明治43年)10月9日 - 2000年(平成12年)7月10日)は、日本の経済学者。専門は金融論。 滋賀県長浜市出身。1936年東京商科大学卒、1961年「貨幣経済と実物経済」で一橋大学より経済学博士の学位を取得。彦根高等商業学校教授、東京商科大学経済研究所参事、小樽商科大学教授、東京女子大学教授、東京都立大学教授、青山学院大学経済学部教授を務め、1980年定年、名誉教授となり、東海大学教授を務めた。
小倉 武一(おぐら たけかず、1910年〈明治43年〉10月… 小倉 武一(おぐら たけかず、1910年〈明治43年〉10月2日 - 2002年〈平成14年〉2月14日)は、日本の農林官僚、経済学者。 農林事務次官、政府税制調査会会長などを歴任した。特に、政府税制調査会会長は16年間を務め,「ミスター税調」と呼ばれた。旧姓は大井。著作に『土地立法の史的考察』など。 長男は元国際交流基金理事長で外交官の小倉和夫。三男は社会学者で津田塾大学名誉教授の小倉充夫。
島 恭彦(しま やすひこ、1910年6月5日 - 1995年… 島 恭彦(しま やすひこ、1910年6月5日 - 1995年9月28日)は、日本の経済学者。専門は財政学。学位は、経済学博士。京都大学名誉教授。福井県敦賀市生まれ。
鈴木 鴻一郎(すずき こういちろう、1910年(明治43年)… 鈴木 鴻一郎(すずき こういちろう、1910年(明治43年)5月23日 - 1983年(昭和58年)4月22日)は、日本の経済学者。東京大学名誉教授、元金沢経済大学・帝京大学教授。専攻はマルクス経済学の経済理論。 宇野弘蔵の後継者。彼が宇野から継承した宇野経済学は伊藤誠によって引き継がれることになる。山口県山口町出身。 この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキポータル 経済学、ウィキプロジェクト 経済)。
武藤 守一(むとう しゅいち、1910年5月11日 - 19… 武藤 守一(むとう しゅいち、1910年5月11日 - 1970年9月30日)は日本の経済学者。学校法人立命館総長。立命館大学学長。 岐阜県生まれ。1936年(昭和11年)3月、立命館大学法経学部経済学科を卒業後、研究生として立命館に残る。主として金融経済論、経済政策論、経済理論を中心に研究。1941年(昭和16年)に立命館大学講師、1942年(昭和17年)に同大学助教授、1943年(昭和18年)に同大学教授に就任した。その後、同大学院経済学研究科長、経済学部長、教学部長、図書館長などを歴任。1969年(昭和44年)には立命館総長事務取扱に就任。翌1970年(昭和45年)2月1日行われた総長選挙を経て戦後長らく総長の地位にいた末川博の後を受け立命館総長となった。
青山 秀夫(あおやま ひでお、1910年3月21日 - 19… 青山 秀夫(あおやま ひでお、1910年3月21日 - 1992年2月16日)は、日本の経済学者。学位は、経済学博士・社会学博士。京都大学名誉教授。 岡山県出身。岡山第一中学(現:岡山朝日高校)、旧制第六高等学校を経て、京都帝国大学経済学部を卒業。その後、京都大学経済学部教授・学部長、京都大学経済研究所所長、関西学院大学社会学部教授、摂南大学経営情報学部教授、同学部長などを歴任した。
須山 卓(すやま たく、1910年 - 1981年)は、日本… 須山 卓(すやま たく、1910年 - 1981年)は、日本の経済学者、長崎大学名誉教授。 熊本県生まれ。1934年、法政大学法文学部卒。1958年、「華僑社会経済史研究」で拓殖大学経済学博士。満鉄東亜経済調査局副参事。大東文化大学教授、奥州大学教授。クアラルンプールJETRO事務局長、長崎大学経済学部教授、1977年、定年退官、九州産業大学教授。
新川 士郎(しんかわ しろう、1910年-1994年)は、日… 新川 士郎(しんかわ しろう、1910年-1994年)は、日本の経済学者。専門は社会政策。経済学博士。北海道大学名誉教授。元北海道大学学長代理。山口県下関市出身。恩師は井藤半禰。
白杉 庄一郎(しらすぎ しょういちろう、1909年11月24… 白杉 庄一郎(しらすぎ しょういちろう、1909年11月24日 - 1961年6月15日)は、日本の経済学者。経済学史やマルクス経済学の研究者として知られる。 京都府与謝郡市場村(現・与謝野町)出身。1928年に京都師範学校(現・京都教育大学)本科第2部に入学し、翌年卒業。続けて京都帝国大学経済学部に入学(当初選科、1930年より本科)し、1931年に大学院に進学。石川興二に師事し、1934年に京都帝大経済学部講師に就任した。1940年に助教授に昇格するが、太平洋戦争終結後に経済学部で起きた「戦争責任の自己批判」論に伴い、1946年に京都帝大を退職する。1947年、彦根経済専門学校(1949年より滋賀大学経済学部)の教授となる。