菅原 茂(すがわら しげる、1947年〈昭和22年〉10月 … 菅原 茂(すがわら しげる、1947年〈昭和22年〉10月 - )は、日本の指揮者、チューバ奏者。陸上自衛官。武蔵野音楽大学卒業(1974年)。 北海道出身。北海道富良野高等学校卒業。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:音楽)。
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菅原 茂(すがわら しげる、1947年〈昭和22年〉10月 … 菅原 茂(すがわら しげる、1947年〈昭和22年〉10月 - )は、日本の指揮者、チューバ奏者。陸上自衛官。武蔵野音楽大学卒業(1974年)。 北海道出身。北海道富良野高等学校卒業。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:音楽)。
大山 平一郎(おおやま へいいちろう、1947年7月31日 … 大山 平一郎(おおやま へいいちろう、1947年7月31日 - )は、日本の指揮者、ヴィオリスト、室内楽奏者、教育者。 現在、ながさき音楽祭音楽監督。米国のサンタバーバラ室内管弦楽団音楽監督兼常任指揮者。シャネル・ピグマリオン・デイズ・コンサート・シリーズ(CHANEL Pygmalion Days Special Concert Series)アーティスティック・ディレクター。および、ザ・チェンバー・プレイヤーズ(The Chamber Players)メンバー。 博多出身の両親のもと、京都府に生まれる。父・平四郎は石庭の研究を志し、戦後京都へ住みはじめる。復活幼稚園、ノートルダム学院小学校(第一期生)、京都市立烏丸中学校に進学するかたわら、5歳からヴァイオリンを中心に音楽教育を受ける。
小松 一彦(こまつ かずひこ、1947年4月29日 - 20… 小松 一彦(こまつ かずひこ、1947年4月29日 - 2013年3月30日)は、日本の指揮者。 桐朋学園大学指揮科卒業後、ライン・ドイツ・オペラで研修を受けた 。 関西フィルハーモニー管弦楽団常任指揮者(1982-1988年)、札幌交響楽団専属指揮者(1988年 - 1992年) 、サンクトペテルブルク交響楽団やプラハ交響楽団、スロヴァキア・フィルハーモニー管弦楽団等の常任客演指揮者を務めたほか、中央大学管弦楽団の音楽監督兼名誉指揮者としてタクトを振っていた。52歳の頃は、年間の1/3を海外での活動で過ごした。 レパートリーは日本人作曲家を含む現代作品にいたるまで幅広く、戦前の日本の作曲家貴志康一の作品の発掘にも取り組んでいた(後述)。
矢崎 彦太郎(やざき ひこたろう、1947年2月7日 - )… 矢崎 彦太郎(やざき ひこたろう、1947年2月7日 - )は、日本の指揮者。 東京都出身。栄光学園中学校・高等学校から上智大学理工学部数学科に入学するも音楽への情熱を捨てきれず中退、東京藝術大学音楽学部指揮科卒業。金子登、渡邊暁雄、山田一雄、ハンス・スワロフスキー、セルジュ・チェリビダッケらに師事。日本フィルハーモニー交響楽団で小澤征爾のアシスタントを務めた後、東京交響楽団指揮者、ノルウェー国立放送管弦楽団首席客演指揮者、ドイツ・ホーフ交響楽団の首席客演指揮者、同楽団音楽監督・首席指揮者、東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団の首席客演指揮者、バンコク交響楽団音楽監督・名誉指揮者などを歴任した。
多田羅 迪夫(たたら みちお、1947年(昭和22年)2月1… 多田羅 迪夫(たたら みちお、1947年(昭和22年)2月1日 - )は、日本の声楽家(バリトン、バスバリトン)・オペラ歌手・公演監督・指揮者・音楽教育者。 香川県坂出市に生まれる。香川県立坂出高等学校卒業。1969年(昭和44年)東京藝術大学音楽学部声楽科卒業、1971年(昭和46年)同大学院修士課程音楽研究科(オペラ専攻)修了。同年、日本人による日本語の創作オペラを掲げた「こんにゃく座」の結成に加わり、1972年(昭和47年)まで所属。しかし「もっと発声の技術を磨きたい」との思いを募らせ、中山悌一の下で「一から勉強し直しました」という。1972年(昭和47年) - 1973年(昭和48年)尚美高等音楽院非常勤講師。
内藤 彰(ないとう あきら、1947年 - )は、日本の指揮… 内藤 彰(ないとう あきら、1947年 - )は、日本の指揮者で、東京ニューシティ管弦楽団、及び東京合唱協会(プロ混声合唱団)の音楽監督・常任指揮者。名古屋市出身。愛知県立旭丘高等学校卒業。名古屋大学理学部卒業。 大学時代、山田一雄に師事した後、桐朋学園大学研究科(指揮専攻)に入り、小澤征爾、秋山和慶、尾高忠明らに師事。桐朋学園大学研究科修了後は、山形交響楽団専属指揮者を経て、国内外の多くのオーケストラを指揮した。1990年に、東京ニューシティ管弦楽団を創立、以後、同楽団の音楽監督、常任指揮者として活動していた。2019年に代表理事を日野洋一に譲り、2022年に同楽団が「パシフィックフィルアハーモニア東京」と名称変更し飯森範親が音楽監督に就任したあとは「創立指揮者」となっている。
井上 道義(いのうえ みちよし、1946年12月23日 - … 井上 道義(いのうえ みちよし、1946年12月23日 - )は、日本の指揮者・ピアニスト・作曲家。2007年1月から2018年3月までオーケストラ・アンサンブル金沢音楽監督、2014年4月から2017年3月まで大阪フィルハーモニー交響楽団首席指揮者を、それぞれ務めた。2024年に引退した。 東京生まれ。実の父はアメリカ人であり、育ての父が亡くなった数年後の45歳のとき母に問うたところ、アメリカ人であることを知った。父母ともに子供が外国人との間に生まれた子であったことを周囲に隠していたという。父はアメリカ合衆国生まれで、祖父は広島県からの移民。 成城学園出身。ピアノを室井摩耶子、山岡優子に学ぶ。
堤 俊作(つつみ しゅんさく、1946年12月21日 - 2… 堤 俊作(つつみ しゅんさく、1946年12月21日 - 2013年9月1日)は、日本の指揮者。 1946年生まれ。桐朋学園大学卒業。指揮を齋藤秀雄に師事。東京交響楽団副指揮者、及び 同正指揮者を経て、1975年に東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団を設立、常任指揮者として17年にわたってその育成に努めた。1974年、ロンドンでルパート指揮者コンクールに入賞。1978年、ジュネーブ国際音楽コンクール指揮部門で最高位を受賞。ロンドン交響楽団、スイス・ロマンド管弦楽団、シモン・ボリバール交響楽団などに客演。バレエ音楽の指揮者としても活動。1988年から1992年まで札幌交響楽団の専属指揮者。その間、三枝成彰のヴァイオリン協奏曲の委嘱公演、東南アジア演奏旅行などを行った。
樋口 隆一(ひぐち りゅういち、1946年(昭和21年)4月… 樋口 隆一(ひぐち りゅういち、1946年(昭和21年)4月9日 - )は、日本の音楽学者、指揮者。明治学院大学名誉教授。哲学博士(エバーハルト・カール大学テュービンゲン)。国際音楽学会副会長・日本選出理事。音楽文献目録委員会委員長。日本アルバンベルク協会常任理事。DAAD友の会元会長。 東京生まれ。祖父は樋口季一郎陸軍中将。叔父は作曲家の乾春男。麻布高校卒、慶應義塾大学文学部卒、同大学院修士課程修了。作曲理論を池辺晋一郎に学ぶ。ドイツ学術交流会(DAAD)奨学生として、西ドイツのエバーハルト・カール大学テュービンゲン(テュービンゲン大学)に留学し、音楽学をゲオルク・フォン・ダーデルセンに師事し、指揮法をアレクサンダー・スムスキーに師事した。
浜渦 章盛(はまうず あきもり、1946年〈昭和21年〉3月… 浜渦 章盛(はまうず あきもり、1946年〈昭和21年〉3月13日 - 2011年〈平成23年〉8月14日)は、日本の声楽家、オペラ歌手、合唱指揮者、タレント。息子は作曲家の浜渦正志。 出生地は満洲国、出身地は高知県安芸郡北川村。 1970年、イタリア声楽コンコルソの金賞を受賞する。 1971年、大阪教育大学卒業後にミュンヘンに留学。 1973年に帰国後に「ローゼンビート」を創設、タレント活動を行う。 1980年代以降はメディア出演を控えて、後進の育成及び各地でのコンサート活動を中心に活動した。 晩年の病気のため、失明していた。 2011年8月14日、心不全のため死去。
丸谷 明夫(まるたに あきお、1945年9月5日 - 202… 丸谷 明夫(まるたに あきお、1945年9月5日 - 2021年12月7日)は、日本の吹奏楽指揮者。大阪府立淀川工科高等学校教諭・吹奏楽部顧問、大阪音楽大学客員教授、一般社団法人全日本吹奏楽連盟理事長を務めた。愛称は丸ちゃん。日本の吹奏楽界で知名度の高い指揮・指導者であった。 1945年(昭和20年)9月5日に滋賀県に生まれる。中学生の時に吹奏楽を始める。工業高等学校を卒業後、1964年(昭和39年)に実習助手として大阪府立淀川工業高等学校(現在の大阪府立淀川工科高等学校)に赴任し、同校吹奏楽部を指導しながら大阪工業大学に通い、1969年(昭和44年)に工学部を卒業。教員免許を取得後、電気科の授業を担当。
野中 図洋和(のなか とよかず、1945年(昭和20年)8月… 野中 図洋和(のなか とよかず、1945年(昭和20年)8月 - )は、大阪府出身の、日本の音楽家・指揮者。陸上自衛官。大阪音楽大学卒業。 1969年(昭和44年)4月に音楽科幹部要員として入隊。第3音楽隊長、中部方面音楽隊長、中央音楽隊副隊長を経て、1986年(昭和61年)11月から1992年(平成4年)8月まで第9代中央音楽隊長(2等陸佐)を務めた。その後、陸上幕僚監部教育訓練部(音楽行政担当)勤務を経て、1995年(平成7年)8月に第11代中央音楽隊長(1等陸佐)に就任。中央音楽隊長として2代計15年の長きに亘り、昭和天皇の大喪の礼、明仁天皇の即位の礼、長野オリンピックなどに参加し、陸上自衛隊の広報活動に精力的に貢献した。
渡部 光正(わたなべ みつまさ、英: Mitsumasa W… 渡部 光正(わたなべ みつまさ、英: Mitsumasa Watanabe、1944年9月24日 - )は、愛媛県温泉郡北吉井村(現・東温市)生まれのサックス奏者、指揮者、幹部自衛官、教育者。航空中央音楽隊副隊長、西部航空音楽隊長、東温市青少年補導センター所長などを歴任。最終階級は2等空佐。 1944年、愛媛県温泉郡北吉井村(現・東温市)に生まれる。重信中学校、県立松山東高校を卒業後、東京藝術大学音楽学部別科を修了し、国立音楽大学器楽科を卒業。サックス奏者として航空中央音楽隊へ入隊。東京藝術大学研修後、立川、春日、三沢、浜松の指揮者を経て2002年、西部航空音楽隊長に。サックスを坂口新、石渡悠史、指揮法を紙谷一衛、音楽理論を石原忠興に師事。
中島 良史(なかじま よしふみ、1944年2月5日 - )は… 中島 良史(なかじま よしふみ、1944年2月5日 - )は、日本の音楽家、作曲家・編曲家、指揮者、音楽プロデューサー、元国立音楽大学准教授。東京都出身、国立音楽大学作曲科卒業、同専攻科修了。 「国際音楽祭ヤング・プラハ」創設者の一人で、1992年以来21年間にわたり日本代表を務め、チェコ屈指の音楽祭として確立させたことで知られる。 1944年(昭和19年)2月5日、東京都に生まれる。1945年、戦火を避けるため母とともに福島県岩瀬郡桙衝村(現・須賀川市)へ疎開。父は茨城県内の駐屯地で終戦を迎えた。1947年に帰京し、三鷹町(現・三鷹市)に居住戦後混乱期の社会情勢を目の当たりにしながら幼少期を過ごす。
船山 紘良(ふなやま ひろよし、1943年(昭和18年)6月… 船山 紘良(ふなやま ひろよし、1943年(昭和18年)6月 - )は、日本の指揮者、トロンボーン奏者。陸上自衛官。山形県出身。 武蔵野音楽大学でトロンボーンを専攻。在学中、第35回日本音楽コンクールにおいて、管楽器部門第3位入賞。卒業後、群馬交響楽団に入団し約5年間首席トロンボーン奏者として在籍。1972年(昭和47年)音楽隊長要員として陸上自衛隊に特別採用され指揮者に転向。第13音楽隊長、東部方面音楽隊長、北部方面音楽隊長、中央音楽隊副隊長を経て、1992年(平成4年)8月から1995年(平成7年)8月まで第10代中央音楽隊長(2等陸佐)を最後に退官。1996年(平成8年)3月から1年間、中央音楽隊音楽監督を務めた。
朝比奈 千足(あさひな ちたる、1943年5月8日 - )は… 朝比奈 千足(あさひな ちたる、1943年5月8日 - )は、日本の指揮者・クラリネット奏者。父は同じく指揮者の朝比奈隆。現在、神戸フィルハーモニックの音楽監督兼常任指揮者を務めているほか、京都市立芸術大学非常勤講師、大阪府警察音楽隊嘱託講師でもある。 兵庫県立神戸高等学校、慶應義塾大学法学部卒業。1966年西ドイツ(当時)のブレーメン市立音楽院に留学、1968年ベルリン音楽大学(現・ベルリン芸術大学)に入学。ハインリヒ・ゴイザー教授の下でクラリネットの研鑚を積む。1970年からはクラリネットの独奏者として西ヨーロッパや日本国内で活動を展開している。 1973年には活動範囲を指揮の分野に広げ、1977年に東ドイツへと渡る。
延原 武春(のぶはら たけはる、1943年4月3日 - )は… 延原 武春(のぶはら たけはる、1943年4月3日 - )は、日本の指揮者、オーボエ奏者。大阪府出身。1966年(昭和41年)大阪音楽大学卒。 1943年、大阪府吹田市に生まれる。小学生の頃にヴァイオリンやピアノ、茶道や華道を習ったが、中学生の頃に母親が離婚したことに伴い経済状況が一変し、各地を転々としたのち豊中市へ転居した。大阪音楽大学附属音楽高校に入学後「オーケストラで担当する人がいないから」という理由でオーボエを演奏することになり、1日8時間の練習に励んだ。なお、楽器の入手も困難な時代であり、延原が実際にオーボエを手にしたのは2年生の時であった。 1963年、日本テレマン協会を組織。現在は傘下の演奏団体であるテレマン室内オーケストラ、テレマン室内合唱団を率いて活動。
玉木 宏樹(たまき ひろき、1943年〈昭和18年〉3月13… 玉木 宏樹(たまき ひろき、1943年〈昭和18年〉3月13日 - 2012年〈平成24年〉1月8日)は、兵庫県神戸市出身の作曲家、指揮者、ヴァイオリン演奏家。別名、多摩 零。 兵庫県神戸市に生まれ、6歳まで山の上の禅寺、その後は兵庫県武庫郡鳴尾村(現・西宮市)、小3から高校までは神戸市兵庫区石井町三丁目に住んだ。神戸市立平野小学校、神戸市立湊中学校(現・神戸市立湊翔楠中学校)卒業。中学時代は阪急今津線で甲東園のバイオリンの古武滋野のもとへ通っていた。 1965年、東京芸術大学音楽学部器楽科卒業。在学中から東京交響楽団に所属して演奏家としての活動を開始。また、大学の先輩である山本直純に作曲と指揮を学んだ。
降矢 美彌子(ふりや みやこ、1943年2月19日 - 20… 降矢 美彌子(ふりや みやこ、1943年2月19日 - 2018年12月16日)は、日本の音楽教育学者、ピアニスト、合唱指揮者。宮城教育大学名誉教授。 福島コダーイ合唱団を1987年に創立、ハンガリーに4回の演奏旅行の他、オランダ・フィンランド・アメリカ・フィリピン・マレーシアでも演奏会を行った。小学校から大学において多文化音楽教育の先進的実践研究を推進。1987年からハンガリーの作曲家クルターグ・ジェルジュの研究を進め『クルターグ』を執筆中(2016年9月現在)。博士(学術)。2012年9月、ハンガリーの首都ブダペシュトのコダーイ記念博物館にてプロ・クルトゥーラ・フンガリカ賞受賞。福島コダーイ合唱団の音楽監督・常任指揮者。
岡田 良機(おかだ よしき、1943年 - )は、宝塚歌劇団… 岡田 良機(おかだ よしき、1943年 - )は、宝塚歌劇団の元音楽指揮者。 京都市立堀川高等学校音楽課程(現・京都市立京都堀川音楽高等学校)を経て、京都市立音楽短期大学管楽器専攻科にてオーボエを岩崎勇に師事した。 卒業後、1963年にオーボエ奏者として大阪フィルハーモニー交響楽団に入団する。首席奏者として11年間の活躍したのち、1974年に宝塚歌劇団オーケストラに移籍、1982年より指揮者に転身する。 宝塚歌劇オーケストラだけではなく、関西の学生オーケストラやアマチュアオーケストラへの指導も熱心に行っている。
久保田 孝(くぼた たかし、1942年7月12日 - )は、… 久保田 孝(くぼた たかし、1942年7月12日 - )は、日本の指揮者・作曲家・マンドリン教師。東京都小石川区(現文京区)出身。明治大学法学部、カールスルーエ音楽大学指揮科、ウィーン国立音楽大学指揮科卒業。 明治大学卒業後、三石精一に師事。後1968年に西ドイツへ留学し、カールスルーエ音楽大学指揮科でアルトゥール・グリューバーに師事。後1972年ウィーン国立音楽大学指揮科ハンス・スワロフスキーに師事。指揮者としての研鑽を積む。帰国後、東京フィルハーモニー交響楽団、札幌交響楽団、群馬交響楽団、新星日本交響楽団、日本新交響楽団、ディベルティメント室内管弦楽団を指揮した。青少年音楽日本連合(JMJ)主催の青少年音楽祭では、ジュネス・ミュジカル・マンドリンオーケストラの指揮を1976年より以後7年間務めた。
金 昌国(きん しょうこく、1942年6月4日 - 2022… 金 昌国(きん しょうこく、1942年6月4日 - 2022年7月15日)は、大阪生まれの韓国籍フルート奏者、指揮者。東京芸術大学名誉教授。 在日韓国人として大阪府に生まれる。神戸高校時代にフルートを始め、東京芸術大学および大学院修了。この間、川口勝治郎、川崎優、吉田雅夫に師事。 1967年、日本音楽コンクール第1位。 1969年、ジュネーブ国際コンクール第2位(1位なし)。 1970年よりドイツ、ハノーファー国立歌劇場管弦楽団首席奏者を務める。この間、マルセル・モイーズ、アンドレ・ジョネ、ハンス・ペーター・シュミッツに師事。 1981年に帰国し、東京藝術大学に勤めながら演奏活動を続ける。 1985年、神戸国際フルートコンクール審査委員長(4年に一度開催)。
栗山 文昭(くりやま ふみあき、1942年1月17日 -)は… 栗山 文昭(くりやま ふみあき、1942年1月17日 -)は、日本の合唱指揮者である。島根県出身。「栗友会」音楽監督。武蔵野音楽大学教授。島根県芸術文化センター グラントワ芸術監督。 島根県立益田高等学校、島根大学教育学部特設音楽科卒業。合唱指揮を田中信昭、高階正光に師事。二期会合唱団、東京混声合唱団で研鑽を積み、カラヤン指揮などで第九などを実際に歌ってみて経験を積む。現在13の合唱団を有する「栗友会」の音楽監督及び指揮者として活動するかたわら、長年尚美学園の第九の講師をし、合唱人集団「音楽樹」の代表幹事として、「Tokyo Cantat」などの企画に携わる。 1994年まで参加した全日本合唱コンクールでは数多くの金賞・最高賞たる特別賞を受賞し、「栗山現象」とまで言わしめたほか、栗友会所属合唱団の一つコーロ・カロスが1994年スペイン・トロサ国際合唱コンクールにおいてグランプリを獲得、更に翌1995年イタリアで欧州各コンクールグランプリ受賞者のみで行われたヨーロッパグランプリ合唱コンクール(イタリア)でグランプリを受賞した。
岸 信介(きし しんすけ、1942年 - )は、日本の合唱指… 岸 信介(きし しんすけ、1942年 - )は、日本の合唱指揮者である。埼玉県浦和市(現・さいたま市)出身で現在は東京都品川区在住。 埼玉県立浦和西高等学校を経て国立音楽大学声楽科卒業。指揮法を山田一雄、和声・合唱法を増田順平に師事。日本合唱協会(日唱)に入団し、コンサートマスターを務める。 日唱退団後、日唱ジュディ(日唱の合唱講座)を担当したのを機に合唱指揮者として独立。現在24の合唱団を擁する「舫の会」の指揮者として、演奏会、コンクール、新作の委嘱初演など多方面に活動する。1998年、全日本おかあさんコーラス大会全国大会において、女声合唱団はづきを指揮し、最高賞たるグランプリを受賞。全日本合唱コンクールにおいても多数の合唱団を全国大会に導く。
黒岩 英臣(くろいわ ひでおみ、1942年 - )は、日本の… 黒岩 英臣(くろいわ ひでおみ、1942年 - )は、日本の指揮者。東京都出身。 1942年、東京に生まれる。1960年、桐朋学園大学指揮科入学。齋藤秀雄に師事した。在学中は、ステージ、ラジオ、テレビなどで同大学オーケストラを指揮するほか、ヴィオラ奏者としてNHK「朝のリサイタル」などに出演。ピアノ奏者としても活躍した。1964年、桐朋学園大学弦楽オーケストラのアメリカ公演に指揮者として同行、ニューヨーク、ロサンゼルス、サンフランシスコなどで指揮を担当した。 1965年、桐朋学園大学を卒業。NHKテレビ「今年のホープ」に出演。同年、修道士となり、1975年まで修道士の生活を送った。その間、神学、哲学、ラテン語、グレゴリオ聖歌、ポリフォニーを学び、典礼音楽の指揮・作曲を行う。
岡 宏(おか ひろし、1941年10月1日 - 2024年1… 岡 宏(おか ひろし、1941年10月1日 - 2024年11月8日)は、日本のバンドマスター、指揮者、作曲家、テナーサックス奏者、芸能プロダクション社長。本名:金好植(キム・ホシク)。元妻は歌手のキム・ヨンジャ。NHK教育テレビ『テレビでハングル講座 』の音楽を監修・担当した。 日本大学芸術学部に在籍中、日本大学ソサエティ楽団にアルトサックス奏者として入団。文化放送大学対抗バンド合戦において「マ・カレナ」のソロで優勝。在学中ビクターオーケストラの専属となり、卒業後プロの道に入る。その後テナーサックスのソロプレイヤーとなる。 1974年にクリアトーンズ・オーケストラを結成し、その指揮者として活動。
小島 秀夫(こじま ひでお、1941年8月13日 - 202… 小島 秀夫(こじま ひでお、1941年8月13日 - 2022年5月13日)は、日本のヴァイオリニスト、指揮者。広島県広島市出身。元広島交響楽団首席コンサートマスター。 広島市東雲に生まれ、3歳の頃に広島市への原爆投下で被曝する。流しのギターに憧れを抱いて楽器をせがんでいたところ、学校の先生の勧めで8歳の頃よりヴァイオリンを始める。中学時代はスポーツに夢中になり、一時期楽器から離れるが、高校は広島音楽高等学校に進学。 高等卒業後、武蔵野音楽大学で福元裕、ヴォルフガング・シュタフォンハーゲンに師事。大学卒業後、1964年にNHK交響楽団に入団。ベルリン国立音楽大学室内楽科へ入学し、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団第1コンサートマスター、レオン・シュピーラー(フィンランド語版)に師事。
秋山 和慶(あきやま かずよし、1941年1月2日 - )は… 秋山 和慶(あきやま かずよし、1941年1月2日 - )は、日本の指揮者。東京交響楽団桂冠指揮者、バンクーバー交響楽団桂冠指揮者、広島交響楽団終身名誉指揮者。日本指揮者協会会長(第5代)。
星出 豊(ほしで ゆたか、1941年〈昭和16年〉 - )は… 星出 豊(ほしで ゆたか、1941年〈昭和16年〉 - )は、日本の指揮者。東京声専音楽学校(現:昭和音楽大学)オペラ研究科修了。昭和音楽大学名誉教授。日本オペラ振興会指揮者。
山岸 宜公(やまぎし よしゆき、1940年12月5日 - 2… 山岸 宜公(やまぎし よしゆき、1940年12月5日 - 2018年2月25日)は、日本のチェロ奏者、指揮者。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:音楽)。
佐藤 征一郎(さとう せいいちろう、1940年(昭和15年)… 佐藤 征一郎(さとう せいいちろう、1940年(昭和15年)10月15日 - )は、日本の声楽家(バス、バスバリトン)、オペラ歌手、音楽教育者、合唱指揮者。 宮城県仙台市生まれ。神奈川県立川崎高等学校 卒業。1967年(昭和42年)東京芸術大学音楽学部声楽科卒業。1970年(昭和45年)同大学院修士課程修了。大学院在学中に第132回芸大オーケストラ定期公演(指揮:山田一雄)ベートーヴェン『第九』バス独唱で音楽界にデビュー。1969年(昭和44年)二期会(指揮:若杉弘)ワーグナー『ラインの黄金』ファフナーでオペラデビュー。その後、読売日本交響楽団第58回定期演奏会(指揮:若杉弘)ベルリオーズ『ファウストの劫罰』ブランデルや、同年帰国した小澤征爾指揮による日本フィルハーモニー交響楽団第180回東京定期演奏会 モーツァルト『コジ・ファン・トゥッテ』(演奏会形式)に出演 したほか、二期会を中心に1971年(昭和46年)2月までの約2年間に計14本 ものプロダクションに出演している。
飯守 泰次郎(いいもり たいじろう、1940年〈昭和15年〉… 飯守 泰次郎(いいもり たいじろう、1940年〈昭和15年〉9月30日 - 2023年〈令和5年〉8月15日)は、日本の指揮者。 満洲国・新京生まれ。父は裁判官の飯守重任、兄はロゴデザイナーの飯守恪太郎。文部大臣、最高裁判所長官を歴任した田中耕太郎は伯父。母方の祖父母に日向輝武、林きむ子。 桐朋学園大学指揮科卒業。斎藤秀雄に師事。アメリカ留学中にミトロプーロス国際指揮者コンクールに入賞。のちにカラヤン国際指揮者コンクールに入賞。 ドイツでの活動が長くバイロイト音楽祭の音楽助手をつとめる。またマンハイム、レーゲンスブルクなど各地の歌劇場で活動をする。ドイツでの活動を継続出来るよう朝比奈隆が一度助けてくれたという逸話がある。
小林 研一郎(こばやし けんいちろう、1940年(昭和15年… 小林 研一郎(こばやし けんいちろう、1940年(昭和15年)4月9日 - )は、日本の作曲家、指揮者。愛称は「(炎の)コバケン」、通称「炎のマエストロ」。 福島県石城郡小名浜町(合併により磐城市、いわき市へと変遷)生まれ。高校の体育教諭の父・正毅と小学校教諭の母・喜代子の長男として生まれる。父親は若い日に音楽家になることを目指したが挫折、家には多くの楽譜や音楽書籍があった。小学校3、4年生の頃、ラジオから流れてきたベートーヴェンの交響曲第9番を聴いて感動し、父親の持っている楽譜を見ながら独学で楽典の勉強を開始。小学5年生の時には、石川啄木の短歌「東海の小島の磯の白砂にわれ泣きぬれて蟹とたはむる」によるピアノ伴奏付きの歌曲を作曲するほどの腕前になる。
手塚 幸紀(てづか ゆきのり、1940年1月18日 - 20… 手塚 幸紀(てづか ゆきのり、1940年1月18日 - 2020年10月27日)は、日本の指揮者。 東京都生まれ。東京芸術大学でフルートと指揮を専攻。1967年、民音コンクールで第1位に入賞。 1970年、日本フィルハーモニー交響楽団指揮者。その後、大阪フィルハーモニー交響楽団指揮者、京都市交響楽団正指揮者、新日本フィルハーモニー交響楽団指揮者を務めた。 1987年から1992年まで群馬交響楽団常任指揮者、1996年から2000年まで神奈川フィルハーモニー管弦楽団常任指揮者を歴任した。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:音楽)。
浅井 敬壹(あさい けいいち、1939年10月24日 - )… 浅井 敬壹(あさい けいいち、1939年10月24日 - )は、日本の合唱指揮者である。血液型はB型。日本合唱指揮者協会相談役。2006年より2014年まで全日本合唱連盟理事長を務め、現在は名誉会長。 2歳から8歳までを満州国(現:吉林省)にて過ごす。終戦に伴い日本に引き揚げ、その後は京都府京都市で育つ。京都市立堀川高等学校を経て同志社大学法学部卒業。在学中は同志社グリークラブに所属し、学生指揮者を務めていた。 大学卒業後は民間企業に勤務する一方で、1963年(昭和38年)、ロシアから来日した当時「世界一」と謳われたインスブルック合唱団の演奏会を聴き、「この合唱団のレベルが世界一だとするならば、(京都エコーを)十年間で世界一にできるのではないか」と感じ、「千年の古都・京都に世界一の合唱団を」との理想を掲げ、合唱団京都エコーを設立。
須田 くにお(すだ くにお、1939年7月24日 - )は、… 須田 くにお(すだ くにお、1939年7月24日 - )は、福島県福島市渡利地区在住の合唱指揮者、作曲家。代表作に混声合唱組曲「安積野」や「日本楽器の為の四重奏」、福島大学学生歌「今日の世紀に」等がある。 福島県立福島商業高等学校卒業。古関裕而の後輩に当たる。東京で下総皖一に作曲を師事。 福島アカデミー音楽学院を経営するかたわら、飯野中学校の客演講師や福島市の第九のためのコール・フロイデなどで、福島県の合唱の発展に尽くす。山形交響楽団もブラームスやモーツァルト等のレパートリーの指揮者陣に属する。
甲斐 靖文(かい やすふみ、1939年6月30日 - )は、… 甲斐 靖文(かい やすふみ、1939年6月30日 - )は、大分県別府市生まれの日本の作曲家・編曲家・明治大学マンドリン倶楽部音楽監督・常任指揮者・OB会会長。古賀政男音楽文化振興財団理事。 1958年、明治大学法学部入学、明治大学マンドリン倶楽部に入部する。1962年に卒業後、大学の先輩にあたる古賀政男に作曲を、佐伯亮に編曲を師事する。 1965年に日本コロムビアに専属作曲家として迎えられ、藤山一郎・島倉千代子・都はるみ・舟木一夫・大川栄策・ペギー葉山・大月みやこ・キム・ヨンジャなどの楽曲、日本相撲協会練成歌(作曲)、器楽曲アルバム、カラオケなどを合わせると、これまでに6,000曲以上の楽譜を制作。
木村 吉宏(きむら よしひろ、1939年- 2021年2月2… 木村 吉宏(きむら よしひろ、1939年- 2021年2月24日)は、日本の指揮者。大阪市音楽団(現、Osaka Shion Wind Orchestra )の団長を務めた。元大阪市音楽団団長、広島ウインドオーケストラ名誉音楽顧問。 大阪音楽大学(クラリネット専攻)卒業。クラリネットを中尾信二郎、大橋幸男、ルドルフ・イエッテルに師事。指揮は朝比奈隆の薫陶を受ける。1962年4月大阪市音楽団入団以来、同楽団コンサートマスター、バイス・コンダクターを経て、1985年4月に第5代団長に就任。その後、2002年まで名誉指揮者を務めた。 1971年にはモーツァルテウム音楽院国際セミナー(ザルツブルク)に参加した。
汐澤 安彦(しおざわ やすひこ、1938年9月3日 - 20… 汐澤 安彦(しおざわ やすひこ、1938年9月3日 - 2025年1月7日)は、日本の指揮者。新潟県上越市出身、東京吹奏楽団名誉指揮者、東京音楽大学名誉教授。本名、飯吉靖彦。 これまで、新星日本交響楽団など全国各主要オーケストラを指揮しているが、特に吹奏楽での活動が顕著であり、東京吹奏楽団、シエナ・ウインド・オーケストラ、東京佼成ウインドオーケストラ、東京アカデミック・ウインドオーケストラ(現:ジャパンスーパーバンド)、フィルハーモニア・ウィンド・アンサンブル(現:ニューフィルハーモニア・ウィンド・オーケストラ)、東京音楽大学シンフォニックウインドアンサンブル、その他多くのアマチュア吹奏楽団を指揮し、演奏会、録音など幅広く演奏活動を行った。
三林 輝夫(さんばやし てるお、1938年〈昭和13年〉7月… 三林 輝夫(さんばやし てるお、1938年〈昭和13年〉7月2日 - 2025年〈令和7年〉11月14日)は、日本の声楽家(テノール)、音楽教育者、合唱指揮者、公演監督。 新潟県出身。1961年(昭和36年)東京芸術大学音楽学部声楽科卒業、1963年(昭和38年)同校声楽専攻科修了。木下保、渡邊高之助、古沢淑子に師事。デビューは1963年の東京労音のオペラ『フィガロの結婚』でのバジリオ役で、これ以降二期会や東京室内歌劇場他で数多くのオペラ、オペレッタ、創作歌劇に活躍している。 また、日本におけるフランス歌曲の第一人者として十数回にわたるリサイタルで高い評価を得ている。日本歌曲の演奏でも、その明瞭なディクションと深い表現には定評があり「ビロードのような」と定評のある美しい声を披露してきた。
天野 守信(あまの もりのぶ、昭和13年〈1938年〉 - … 天野 守信(あまの もりのぶ、昭和13年〈1938年〉 - 平成16年〈2004年〉7月16日)は、日本の合唱指揮者。広島県廿日市町(現廿日市市)出身。崇徳高校グリークラブの創立者、初代指揮者・音楽監督を務めた。 広島県立国泰寺高校在学中に合唱をはじめ、同志社大学ではグリークラブに所属。当時同志社グリークラブ常任指揮者だった福永陽一郎に師事。多田武彦とも親交が生まれた。 卒業後、旧丸善石油に就職。この頃から母校国泰寺高校合唱部で合唱を教え始め、その後、山陽女子高校音楽部や九州産業大学グリークラブでも合唱指導を行う。昭和43年(1968年)に崇徳学園の英語教師として就職。すぐにグリークラブを創立し、その指導に当たる。
石井 眞木(いしい まき、1936年5月28日 - 2003… 石井 眞木(いしい まき、1936年5月28日 - 2003年4月8日)は、日本の作曲家、指揮者。東京府出身。父は舞踊家の石井漠、同じく作曲家の石井歓は兄、石井五郎は叔父。 幼少より、父の舞踊音楽を担当した縁で伊福部昭の薫陶を受ける。11歳よりヴァイオリンを学ぶ。1952年国立音楽大学付属高等学校ピアノ科に入学、学外で作曲を池内友次郎に、ピアノをL.コハンスキに、指揮法を渡邉暁雄に師事する。1955年に卒業後、伊福部昭に作曲を学ぶ。1958年、ベルリンに留学し、国立ベルリン音楽大学作曲科でボリス・ブラッハー、ヨーゼフ・ルーファーらに師事、十二音技法など最先端の音楽技法を学ぶ。1961年ダルムシュタット国際現代音楽祭で「9奏者のための前奏と変奏」が初演される。
保科 洋(ほしな ひろし、1936年1月31日 - )は、日… 保科 洋(ほしな ひろし、1936年1月31日 - )は、日本の作曲家、編曲家、指揮者。 東京都生まれ。1960年東京芸術大学作曲科卒。作曲を長谷川良夫、指揮法を渡邉暁雄に師事。卒業作品にて第29回毎日コンクール作曲部門(管弦楽)で第1位受賞。以後作曲活動の傍ら、東京音楽大学、愛知県立芸術大学、兵庫教育大学で教鞭をとり、兵庫教育大学名誉教授。作陽音楽大学客員教授、浜松アクト音楽院音楽監督を歴任。日本バンドクリニック委員会名誉顧問。作品は管弦楽曲、オペラ、室内楽、ミュージカルなど幅広く、吹奏楽では日本を代表する作曲家の一人。 管弦楽分野では、1966年より岡山大学交響楽団の常任指揮者となり、同団を全国的な水準へ押し上げた。
櫛田 胅之扶(くしだ てつのすけ、1935年11月19日 -… 櫛田 胅之扶(くしだ てつのすけ、1935年11月19日 - )は、日本の作曲家・編曲家・指揮者。 京都府立桃山高等学校、京都教育大学卒業。専攻は数学であった。在学中より福本正に作曲を学び、卒業後、本格的に作曲活動を開始する。伝統的な邦楽を基調とした日本的な作風で知られ、国内外で高い評価を得ている。 また、より広い作曲活動を求め、絵画・建築・写真・映像などの分野との一体化による、構造的芸術の創造を目指して取り組んでいる。作曲・編曲・指揮といった音楽分野を越えて、イヴェント・コーディネーターとして広く活躍している。 2000年代以降は、ジャズ楽曲を吹奏楽用に編曲した作品をウィンズスコアより発表しており、編曲家としての新たな一面を見せるなど、精力的な活動を展開している。
小澤 征爾(おざわ せいじ、1935年〈康徳2年 / 昭和1… 小澤 征爾(おざわ せいじ、1935年〈康徳2年 / 昭和10年〉9月1日 - 2024年〈令和6年〉2月6日)は、日本の男性指揮者。1973年からボストン交響楽団の音楽監督を29年間務め、2002年 - 2003年のシーズンから2009年 - 2010年のシーズンまでウィーン国立歌劇場音楽監督を務めた。 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団名誉団員、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団名誉団員、ボストン交響楽団桂冠音楽監督、セイジ・オザワ 松本フェスティバル総監督、小澤征爾音楽塾塾長・音楽監督、新日本フィルハーモニー交響楽団桂冠名誉指揮者など。 1935年満洲国奉天省奉天市(現:中華人民共和国遼寧省瀋陽市)で生まれる。
玉置 勝彦(たまき かつひこ、1935年7月30日 - 20… 玉置 勝彦(たまき かつひこ、1935年7月30日 - 2014年9月21日)は、日本のヴィオラ奏者、指揮者、教育者。 東京藝術大学器楽科卒業、同専攻科修了。国内外各地のオーケストラでヴィオラ奏者を務め、ニュルンベルク交響楽団と東京フィルハーモニー交響楽団では首席奏者を歴任した。独奏や室内楽の分野においても、多岐にわたる演奏活動を展開した。1995年には、アルフレッド・ショッパー、デトマール・テツラフ、小林仁らと室内楽グループ「ニュールンベルグ・ムジーク・コレーゲン」を結成。国内各地で演奏会を開催したほか、ドイツとオーストリアへの演奏旅行も行った。 指揮法を渡邉暁雄に師事し、指揮者としても国内各地のプロオーケストラと共演した(日本フィルハーモニー交響楽団、東京都交響楽団、東京交響楽団など。
岡崎 光治(おかざき みつはる、1935年6月26日 - 2… 岡崎 光治(おかざき みつはる、1935年6月26日 - 2018年12月6日)は、日本の作曲家・指揮者。日本作曲家協議会会員、日本電子音楽協会理事、仙台電子音楽協会代表、仙台作曲家集団所属、宮城県芸術協会参事、NHK仙台放送局合唱団音楽監督。常盤木学園高等学校音楽科講師。
若杉 弘(わかすぎ ひろし、1935年5月31日 - 200… 若杉 弘(わかすぎ ひろし、1935年5月31日 - 2009年7月21日)は、日本の指揮者。父は、外交官の若杉要で、ニューヨーク総領事(1937年 - 1940年)を経て、日米開戦時の駐米公使(1941年 - 1943年)を務めた。妻は、メゾソプラノ歌手の長野羊奈子。 1935年、東京府生まれ。幼少時からピアノを学ぶ一方、演劇、オペラ、バレエに親しみ、高校時代には二期会などのオペラ団体でピアノ伴奏の経験を積んだ。 慶應義塾幼稚舎、慶應義塾普通部、慶應義塾高等学校を経て、慶應義塾大学経済学部に入学し、経済学を学びつつ学内の合唱サークル「混声合唱団楽友会」に所属した。音楽への思いを断ち切れずに慶大を中退し、1956年に東京芸術大学に入学し直した。
前田 昭雄(まえだ あきお、1935年4月18日 - )は、… 前田 昭雄(まえだ あきお、1935年4月18日 - )は、音楽学者、指揮者、ウィーン大学名誉教授。シューマン研究の第一人者。 東京生まれ。東京大学文学部哲学科で美学を学び、1958年東京大学大学院修士課程修了。1961年よりウィーン大学哲学科で音楽学を専攻、同時にウィーン国立音楽大学でハンス・スワロフスキーに指揮法を師事。1967年博士論文 ‘’ N.A.Porpora als Instrumentalkomponist ‘’ (器楽作曲家としてのN.A.ポルポラ)で哲学博士を取得。1972年よりチューリッヒ大学にて日本学講師と音楽学非常勤講師を務め、1986年西ドイツ学士院連合の『シューマン全集』の編修主幹を担当し、1987年ハイデルベルク大学にて教授資格(Habilitation)取得。
渡邊 學而(わたなべ がくじ、1935年〈昭和10年〉2月9… 渡邊 學而(わたなべ がくじ、1935年〈昭和10年〉2月9日 - 2025年〈令和7年〉4月4日)は、日本の音楽評論家、合唱指揮者。新字体で渡辺学而または渡邊学而と記載されることがある。 東京教育大学附属高等学校を経て、1959年(昭和34年)3月、慶應義塾大学経済学部卒業。在学中は慶應義塾ワグネル・ソサィエティー男声合唱団の学生指揮者を務めた。同年4月日本ビクター株式会社へ就職したが1961年(昭和36年)10月に同社退職。同年よりヴォイストレーナーとして学習院輔仁会音楽部男声合唱団の指導に携わり、1962年(昭和37年)から1972年(昭和47年)まで前田幸市郎とともに男声合唱団の常任指揮者を務めた。