北嶋 廣敏(きたじま ひろとし、1948年(昭和23年)2月… 北嶋 廣敏(きたじま ひろとし、1948年(昭和23年)2月20日 - )は、文学・美術評論家、翻訳家、文筆家。 福岡県三潴郡大木町生まれ。1971年に早稲田大学第一文学部仏文科を卒業。コピーライターをへて、文筆家。はじめ塚本邦雄論やフランス文学の翻訳をしていたが、のち雑学書などを多く執筆するようになる。
職業が文筆家:523人
北嶋 廣敏(きたじま ひろとし、1948年(昭和23年)2月… 北嶋 廣敏(きたじま ひろとし、1948年(昭和23年)2月20日 - )は、文学・美術評論家、翻訳家、文筆家。 福岡県三潴郡大木町生まれ。1971年に早稲田大学第一文学部仏文科を卒業。コピーライターをへて、文筆家。はじめ塚本邦雄論やフランス文学の翻訳をしていたが、のち雑学書などを多く執筆するようになる。
細谷 亮太(ほそや りょうた、1948年 - )は、日本の小… 細谷 亮太(ほそや りょうた、1948年 - )は、日本の小児科医、文筆家。専門は、小児がん・小児のターミナルケア・育児学。 山形県河北町に生まれる。実家は医院であった。東北大学医学部を卒業後は聖路加国際病院小児科に勤めた。1978年 - 1980年にテキサス大学M・D・アンダーソン病院がん研究所で勤務した(帰国後は聖路加国際病院に復職)。2022年現在は聖路加国際病院小児科顧問を務める。 趣味として俳句を嗜む。細谷喨々の俳号を持ち石川桂郎に師事した。俳誌『一葦』(主宰:島谷征良)同人。[要出典] 仏教にも精通しており、四国八十八箇所札所の歩き遍路などもしている[要出典]。
早川 義夫(はやかわ よしお、1947年12月15日 - )… 早川 義夫(はやかわ よしお、1947年12月15日 - )は、日本のシンガーソングライター、著述家。1960年代後半にロックバンド、ジャックスのメンバーとして活動。解散後はソロとして活動を継続している。東京都千代田区出身。和光学園高校卒業、和光大学中退。血液型はB型。 中学時代、日劇ウエスタンカーニバルで尾藤イサオのステージ(演奏:ジャッキー吉川とブルーコメッツ)を見て、ロックに目覚める。 1965年、高校時代に同級生2人と「ナイチンゲイル」というバンドを結成。この頃、メジャーデビュー前のザ・スパイダースを見て、刺激を受ける。大学進学後、バンド名をジャックスと改め、ライブ活動を始める。1967年にメンバーが交替し、早川義夫、木田高介、水橋春夫、谷野ひとしの4人編成となる。
野邊地えりざ(のへじ えりざ、1947年〈昭和22年〉11月… 野邊地えりざ(のへじ えりざ、1947年〈昭和22年〉11月3日 - )は、東京都新宿区出身の著述家。野辺地えりざと表記されることもある。外交官の野辺地尚義の玄孫。 生後33日目に四ッ谷の聖イグナチオ教会(カトリック麹町教会)で洗礼を受けた。洗礼名はエリザベット。1881年(明治14年)に紅葉館を創設した野辺地尚義は高祖父である。 1970年(昭和45年)3月に慶應義塾大学文学部を卒業した。1973年(昭和48年」には東京こども教育センター千歳台ナーサリーを自宅に開設した。1984年(昭和59年)から仙川チャイルドファクトリーにてアートクラスを主宰している。 1993年(平成5年)から1995年(平成7年)までは夫の仕事でオランダのアムステルダムに居住し、アムステルダム市民大学にてオランダ語を、ブリティッシュ・イングリッシュ・ランゲージセンターにて英語を学んだ。
河東 哲夫(かわとう あきお、1947年〈昭和22年〉10月… 河東 哲夫(かわとう あきお、1947年〈昭和22年〉10月14日 - )は、日本の外交官、著述家。2002年(平成14年)から2004年(平成16年)までウズベキスタン駐箚特命全権大使兼タジキスタン駐箚特命全権大使。 東京都出身。武蔵高等学校を卒業後、1970年(昭和45年)東京大学教養学部を卒業して、外務省に入省する。 ハーバード大学大学院ソ連研究センター、モスクワ大学文学部への留学を経て、外務省東欧課長、在スウェーデン日本国大使館参事官、外務省文化交流部審議官、ボストン総領事、ロシア特命全権公使を経て、2002年から2004年までウズベキスタン駐箚特命全権大使兼タジキスタン駐箚特命全権大使を務めた。
森 省二(もり せいじ、1947年6月7日 - 2024年1… 森 省二(もり せいじ、1947年6月7日 - 2024年12月6日)は、日本の精神科医、文筆家。医学博士(論文博士・1980年)。 岐阜県出身。名古屋市立大学医学部卒業。1980年「偽循環病型分裂病について」で、医学博士。同大学助手、愛知医科大学講師、名古屋柳城短期大学教授、愛知みずほ大学教授を経て、澄鈴会理事・顧問、尾源研究所研究員。 故郷に戻り、地域の医療と福祉に関与する。暮らしに密着した臨床からストーリーを探り、こころの統合を目指している。
とよだ もとゆき(本名、豊田 素行、1947年 - )は、日… とよだ もとゆき(本名、豊田 素行、1947年 - )は、日本の著述家。現在はフリーのライターとして活動。 東京都台東区出身。東京都立石神井高校卒業、早稲田大学第一文学部(人文専修)卒業。 二つ目の出版社で労働争議を経たあとは、IT系分野で書籍、雑誌の編集に携わる。ソフトバンク出版部(現SBクリエイティブ)では、コンピュータゲーム情報誌「BEEP」の創刊編集長を務める。 2000年から数年間、シニア向けWEBサイト「スローネット」編集長(その間、京都在住)として「スローワーク」を提唱。その傍らで著述に従事。 企業に編集者として所属した時代は「深海 遙」(ふかみ はるか)名で、著書を上梓。
植西 聰(うえにし あきら、1947年 - )は、東京都出身… 植西 聰(うえにし あきら、1947年 - )は、東京都出身の日本の著述家、心理カウンセラー。 学習院高等科、同大学(経営心理学を研究)卒業後、資生堂に勤務(1982年退職)。1986年頃から心理学と心理療法に自他の体験から得た人生哲学を加えた独自の「成心学」理論を体系化し、その考えのもとにカウンセリング活動を展開。1995年、産業カウンセラーの資格を取得。「心が元気になる」をテーマとした著述活動をおこなっている。
浅見 雅男(あさみ まさお、1947年 - )は、日本の編集… 浅見 雅男(あさみ まさお、1947年 - )は、日本の編集者、著述家。 東京都生まれ。1970年慶應義塾大学経済学部卒業。文藝春秋に入社、多くの書籍(文春新書ほか)・雑誌の編集に携わりつつ、皇族、華族制度を軸とした近現代史の研究・著述に従事している。同社の役員を務め、2009年に退職した。 森村誠一の担当編集者だった時期があり、森村の作品『太陽黒点』の主人公・浅見隆司のモデルとなった。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
立川 珠里亜(たちかわ じゅりあ、1947年 - )は、米国… 立川 珠里亜(たちかわ じゅりあ、1947年 - )は、米国在住の国際弁護士、文筆家。 聖心インターナショナルスクールを経て、国際基督教大学とカリフォルニア大学サンタバーバラ校を卒業。1973年に東京大学で修士号を取得後、博士課程に進学。1975年にカリフォルニア大学ロサンゼルス校で修士号を取得。1978年にロヨラ大学で法学博士号を取得。1981年、米国カリフォルニア州の司法試験に合格する。その後、PAUL,HASTINGS,JANOFSKY & WALKERを皮切りに4箇所の法律事務所で国際部長や主任を歴任、2002年よりTACHIKAWA & ASSOCIATES法律事務所主任を歴任する。語学に堪能で日本語・英語・中国語を流暢に話すことが出来る国際人である。
長浜 浩明(ながはま ひろあき、1947年〈昭和22年〉 -… 長浜 浩明(ながはま ひろあき、1947年〈昭和22年〉 - )は、建築設備家[要出典]、文筆家。 群馬県太田市生まれ。1971年東京工業大学工学部建築学科卒。1973年同大学大学院修士課程環境工学専攻修了後、(株)日建設計入社。建築の空調・衛生設備設計に従事。2008年退社、執筆活動を始める。 一級建築士、技術士、公害防止管理者、企業法務管理士。
山崎 章郎(やまざき ふみお、1947年 - )は、日本の医… 山崎 章郎(やまざき ふみお、1947年 - )は、日本の医師、文筆家。 福島県生まれ。1975年、千葉大学医学部卒業、同大学病院第一外科勤務。1984年、千葉県八日市場市(現匝瑳市)市民病院消化器科医長。1991年、聖ヨハネ会桜町病院ホスピス科部長。2005年、在宅診療専門診療所ケアタウン小平クリニック院長。1991年、『病院で死ぬということ』で日本エッセイストクラブ賞受賞。同作は1993年に市川準監督で映画化された。
池上 千寿子(いけがみ ちずこ、1946年11月21日 - … 池上 千寿子(いけがみ ちずこ、1946年11月21日 - )は、日本の女性史家、性科学者、文筆家、翻訳家。 北海道生まれ。1965年に東京教育大学附属高等学校(現・筑波大学附属高等学校)卒業。1969年東京大学教養学部教養学科アメリカ科卒業。 育児雑誌編集長、1972年『アメリカ女性解放史』を刊行、1982年ハワイ大学環太平洋性・社会研究所研究員、『シングル・マザー』を刊行し、この言葉を広めた。 フェミニスト的な著書などを刊行したのち、1992年「HIVと人権・情報センター」東京支部代表、東京都エイズ専門家会議委員。 1994年エイズ予防啓発団体「ぷれいす東京」代表(のちNPO)、日本性教育協会理事、2000年厚生労働省エイズ対策研究事業主任研究者、慶應義塾大学非常勤講師、厚生科学審議会感染症分科会エイズ専門委員、厚生労働省エイズ発生動向調査委員会委員。
清水 英雄(しみず ひでお 1946年9月2日 - )は、講… 清水 英雄(しみず ひでお 1946年9月2日 - )は、講演家、詩人、著述家。 東京都中野区上高田(童謡「たきび」 作詞 巽聖歌 発祥の地)生まれ。 中野区立上高田小学校、早稲田中学、早稲田高等学校(橋本喜典の薫陶を受け短歌雑誌「まひる野」入会)、早稲田大学卒、1973年早稲田大学大学院文学研究科(社会学)修士課程修了。大学院在学中、第7次「早稲田文学」(理事長 石川達三、 発行責任者 新庄嘉章、 編集長 立原正秋)編集・営業・事務に従事。財団法人地域開発研究所、参議院議員丸谷金保公設第一秘書、城野宏経済研究所(脳力開発インストラクター)を経て、1983年株式会社ヒューマンウェア研究所創設。 有賀燈(ありがとう)乃會会長、一般社団法人太平洋協会理事、「富士」短歌会会員。
高橋輝次(たかはし てるつぐ、1946年 - )は、編集者、… 高橋輝次(たかはし てるつぐ、1946年 - )は、編集者、文筆家。 三重県伊勢市に生まれ、神戸市で育つ。1968年に大阪外国語大学英語科卒業後、協和銀行勤務。 1969年に創元社に入社するも1992年には病気のために退社し、フリーの編集者となる。古本についての編著をなす。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
柴崎 信三(しばさき しんぞう、1946年 - )は、日本… 柴崎 信三(しばさき しんぞう、1946年 - )は、日本のジャーナリスト、著述家。 東京都に生まれる[要出典]。 1969年、慶應義塾大学法学部政治学科を卒業して、日本経済新聞社に入社した。社会部記者、編集委員、文化部長、日本経済新聞論説委員兼編集委員などを歴任する。2007年に退社した。 退社後、ジャーナリストと美術方面での著作活動のほか、獨協大学、白百合女子大学、文化学園大学で美術文化や比較社会史などを講じた。 大学設置・学校法人審議会、著作権審議会各委員、国立大学法人筑波大学経営協議会委員、学校法人獨協学園理事、独立行政法人国民生活センター理事などを務めた[要出典]。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
夏村 波夫(なつむら なみお、1946年 - )は、日本の文… 夏村 波夫(なつむら なみお、1946年 - )は、日本の文筆家。 静岡県生まれ。成蹊大学卒業後、出版社に勤務。1981年、企画集団・波乗社設立(坂崎重盛設立)に参加。
緒方修(おがた おさむ、1946年- )は、日本のラジオディ… 緒方修(おがた おさむ、1946年- )は、日本のラジオディレクター、プロデューサー、文筆家。 熊本県生まれ。中央大学卒、文化放送記者・ディレクター、プロデューサーを経て1999年より沖縄大学教授。早稲田大学講師など、東アジア共同体研究所理事。
大窪 一志(おおくぼ かずし、1946年 - )は、日本のフ… 大窪 一志(おおくぼ かずし、1946年 - )は、日本のフリー編集者、著述家、翻訳家、左翼活動家。 神奈川県生まれ。東京大学文学部哲学科卒業。実存哲学を専攻。 筑摩書房、日本生協連広報室などの編集者を経てフリーの編集者・著述家として活動する。
千葉 憲昭 (ちば のりあき、1946年 - ) は、日本の… 千葉 憲昭 (ちば のりあき、1946年 - ) は、日本のエレクトロニクス分野の著述家。 1969年福岡工業大学工学部電子工学科卒。1969年北海道総務部電子計算課技師を経て1984年よりエレクトロニクス分野の著術家として独立。 1997年北海道大学工学部非常勤講師兼任 (14年間) この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
織田 紘二(おりた こうじ、1945年3月1日 - )は、日… 織田 紘二(おりた こうじ、1945年3月1日 - )は、日本の伝統芸能の制作者、演出家、脚本家、著述家。国立劇場(現・日本芸術文化振興会)で43年間勤務し、主に歌舞伎の制作・演出に携わった。2006年に日本芸術文化振興会理事に就任。現在、日本演劇協会専務理事、日本舞踊協会副会長などを務める。 1945年3月1日、北海道勇払郡安平村(現・安平町)字追分に、織田要と妻ミイの次男として生まれた。父の要は地元追分町の町会議員を40年間務め、町議会議長を務めた。 地元の追分高校を卒業後、1963年4月、國學院大學文学部日本文学科に入学。同大学では西角井正慶、高崎正秀、岡野弘彦、三隅治雄らから教えを受けた。
小田 豊二(おだ とよじ、1945年 - 2025年)は、日… 小田 豊二(おだ とよじ、1945年 - 2025年)は、日本の文筆家、インタビュアー。 満洲国ハルビン市生まれ。早稲田大学第一政治経済学部経済学科卒業。出版社、デザイン事務所勤務後、井上ひさしの「こまつ座」創立に参加、機関誌「the座」編集長。 1992年より聞き書きの活動を始める。 2025年に死去。訃報は同年8月13日に発表された。
畑田 国男(はただ くにお、本名:畑田 国雄、1944年(昭… 畑田 国男(はただ くにお、本名:畑田 国雄、1944年(昭和19年)10月11日 - 1996年(平成8年)3月11日)は、日本の漫画家、著述家。 漫画集団、日本漫画家協会、東横沿線を語る会、ドラフト会議倶楽部、箸ばみの会、日本三大協会、姉妹型の会、三姉妹クラブ、東横文化研究会、各会員。 岡山県生まれ、東京都出身。 慶應義塾大学経済学部を卒業後、同大学院経済学専攻に進み、1967年に博士課程修了。在学中、漫画研究会に所属し、鈴木義司に師事した。大沢商会広告課を経て漫画家専業となる。 漫画家としては主に「悪魔」をモチーフとしたイラスト・漫画作品を『SFアドベンチャー』や『週刊ベースボール』などに掲載していた。
高橋 秀元(たかはし ひではる 1944年5月13日-)は、… 高橋 秀元(たかはし ひではる 1944年5月13日-)は、日本の編集者、著述家。 編集工学研究所特別研究員、松岡正剛とともに『 遊 』出版メンバー。 主な仕事は『情報の歴史』(NTT出版)『解釈の冒険 情報とシステム』(NTT出版)「『生命・AI・物語』 / 情報編集としての物語を考える」(記号学会)「 九州大学『 空海の言語論にふれる 』」「 編集学校 輪読座 『 聖徳太子と日本唯識を読む』」『反構造としての笑い-破壊と再生のプログラム』(NTT出版 )中でも執筆の『滑稽と烏滸』は山口昌男が高く評価。 岡山県、大連出身。父の転勤により大連で生まれる[要出典]。早稲田大学文学部東洋史。 取材先の中村元東京大学インド哲学研究室にて資料書籍閲覧自由の許可をもらう。
松岡 正剛(まつおか せいごう、1944年〈昭和19年〉1月… 松岡 正剛(まつおか せいごう、1944年〈昭和19年〉1月25日 - 2024年〈令和6年〉8月12日)は、日本の実業家、編集者、著述家。株式会社松岡正剛事務所代表取締役、編集工学研究所所長、ISIS編集学校校長、連志連衆會理事、角川武蔵野ミュージアム初代館長。 京都府京都市出身。東京大学客員教授、帝塚山学院大学教授を歴任。 雑誌編集、書籍や映像の企画・構成など多方面で活躍。各界の研究者と交流し、情報文化の考察を深め、独自の日本文化論も展開する。著書に『知の編集術』『日本数寄』(2000年)、書評『千夜千冊』(2006年)など。 京都の呉服屋に生まれる。3歳の時、父親の仕事の都合で東京府日本橋区日本橋芳町に転居。
北出 明(きたで あきら、1944年〈昭和19年〉– )は、… 北出 明(きたで あきら、1944年〈昭和19年〉– )は、日本の著述家、フリーライター。第2次世界大戦中、ナチスによる迫害から逃れたユダヤ人難民の安全な亡命に尽力した日本人について研究し、本に著している。元国際観光振興会(JNTO)職員。東京都在住。 1966年(昭和41年)頃、国際観光振興会(日本政府観光局こと、現在の国際観光振興機構、JNTO)で勤務していた北出は、日本交通公社から出向中だった大迫辰雄と出会う。それから20年後、『日本交通公社七十年史』を読んでいる時に、偶然JTBのユダヤ人輸送についての記述を見つけた。これをきっかけに、北出が海外勤務を終えた1998年に大迫を取材。そこで見たアルバムに、大迫がジャパン・ツーリスト・ビューロー(現:日本交通公社、JTB)時代に助けたユダヤ人難民の写真があったことで、北出はユダヤ人を助けた日本人について関心を寄せるようになる。
阿羅 健一(あら けんいち、 1944年〈昭和19年〉 - … 阿羅 健一(あら けんいち、 1944年〈昭和19年〉 - )は、日本の文筆家・近現代史研究家。 「百人斬り訴訟を支援する会」会長を経て、「中国の抗日記念館の不当な写真の撤去を求める国民の会」会長、主権回復を目指す会顧問、「田母神論文と自衛官の名誉を考える会」顧問を務める。 宮城県仙台市出身。宮城県仙台第二高等学校、東北大学文学部卒業。1966年からキングレコードに勤務し、1984年にフリーとなる。 主に『正論』『諸君!』などにおいて論文を発表している。その一方で『全貌』『月曜評論』『旬刊 世界と日本』などでは著述の際に畠中秀夫というペンネームも使っていたことが後から判明し、秦郁彦は同一テーマについて本名とペンネームを使って書き分けていたことについて意図を図りかねている。 『正論』1986年(昭和60年)5月号から翌年5月号までの13回の連載をまとめたものが、『聞き書 南京事件 日本人の見た南京虐殺事件』(図書出版社)として出版された。
小泉 武夫(こいずみ たけお、1943年8月27日 - )は… 小泉 武夫(こいずみ たけお、1943年8月27日 - )は、日本の農学者、発酵学者、文筆家。東京農業大学名誉教授(農学博士)。専門は、発酵学、食品文化論、醸造学。 福島県小野町の造り酒屋で、6人きょうだいの末っ子として生まれた。幼少時は走り回って囲炉裏の灰に突っ込んだこともあるほどヤンチャで、火傷を防ぐため祖母が柱に帯でつないだこともあったが、右手に身欠き鰊、左手に味噌を持たせると泣き止み、それらをしゃぶっている間は大人しかったという。実家には家族や従業員ら毎食20人分を用意する大きな台所があり、小学生の頃には鰹節を削ったり、ぬか床の手入れをしたりしていた。小学校4年の時、母が亡くなり落ち込んでいたのを見た父から、寂しさを紛らわさせるため専用の台所と調理用具一式を与えられ、料理にのめり込んだ。
鈴木 邦男(すずき くにお、1943年〈昭和18年〉8月2日… 鈴木 邦男(すずき くにお、1943年〈昭和18年〉8月2日 - 2023年〈令和5年〉1月11日)は、日本の政治活動家、「一水会」名誉顧問、思想家、文筆家、プロレス評論家、河合塾講師。 ほか、「ヘイトスピーチとレイシズムを乗り越える国際ネットワーク」(のりこえねっと)共同代表。コリア国際学園後援会発起人。 1943年、福島県郡山市に生まれる。税務署勤務だった父親の都合で、秋田県、宮城県と、高校生の頃まで東北地方を転々とする。横手に住んでいたときは、ジャーナリストのむのたけじがよく家に来ていた。 生長の家との関わりは、母親が病気になったとき、伊藤邦典(のちに全国学協と楯の会)の父親である生長の家の地方講師の祈祷によって、治癒したことがきっかけで、以降、鈴木家では母親が熱心な信者となった。
重松 宗育(しげまつ そういく、1943年 - )は、臨済宗… 重松 宗育(しげまつ そういく、1943年 - )は、臨済宗妙心寺派の僧侶、英米文学研究者、翻訳家、著述家。英訳を通して欧米への禅の紹介に努める。 長く静岡大学でアメリカ文学を教え、1985年から1986年にかけフルブライト研究員として、サンディエゴ州立大学、カリフォルニア大学デーヴィス校を拠点に、アメリカ各地で講演を行う。1987年、アメリカン・ポエトリー・リビュー賞(ワシントンDC)を受賞した。 静岡県清水市(現静岡市)生まれ。東京外国語大学(英米語科)卒業、京都大学大学院修士課程を修了。静岡女子大学(現静岡県立大学)講師、静岡大学人文学部講師、助教授を経て、教授。2001年、関西医科大学教授として医学英語、こころのセミナーなどを担当し、2006年退職。
石山 茂利夫(いしやま もりお、1943年 - 2009年)… 石山 茂利夫(いしやま もりお、1943年 - 2009年)は、日本の新聞記者、文筆家。 早稲田大学政経学部卒、1967年読売新聞社入社。浦和支局を振り出しに社会部記者、日曜版編集部次長、文化部次長、新聞監査委員会委員などをへて退職。
遠藤 哲夫(えんどう てつお、1943年 - 2022年6月… 遠藤 哲夫(えんどう てつお、1943年 - 2022年6月4日)は、日本の著述家、プランナー、フリーライター。新潟県南魚沼郡六日町(現南魚沼市)出身。六日町立六日町中学校を経て新潟県立六日町高等学校卒業、法政大学中退。「大衆食の会」代表。編集プロダクション「アルシーヴ社」監査役。通称「エンテツ」「大衆食堂の詩人」。 1943年に新潟県南魚沼郡六日町で生まれ、1962年に上京して法政大学に通う(同大学は中退)。1971年より食品・飲食店のプランナーの道へ進み、独自の料理論・文化論を展開した料理評論家の江原恵の影響を受け、江原との共同活動等を行う。 1995年に『大衆食堂の研究 』を三一書房から刊行する。
安達 史人(あだち ふみと、1943年 - 2024年9月3… 安達 史人(あだち ふみと、1943年 - 2024年9月30日)は福井県出身のブックデザイナー、編集者、著述家。 「木の聲舎」代表。武蔵野美術大学機関誌「武蔵野美術」の元編集主幹兼アートディレクター。元武蔵野美術大学講師。 「あらちふみと」「森 魚名」名義での著書・寄稿も存在する。 東京芸術大学美術学部芸術学科卒業。
奥成 達(おくなり たつ、1942年6月30日 - 2015… 奥成 達(おくなり たつ、1942年6月30日 - 2015年8月16日)は、日本の詩人、ジャズ評論家、著述家、漫画原作者、編集者、作詞家、トランペット奏者。 東京都品川区大井出身。東京都立城南高等学校卒業。雑誌記者、タウン誌編集長、青山学院大学文学部講師を歴任。 さまざまな種類の活動を通して、日本のサブカルチャー界に、広い人脈を築いた。タモリの「密室芸」の命名者である。 また、様々な別名を用いて執筆活動を行った。自身のペンネーム「異魔人」。また高橋肇との共同ペンネーム「影山勲」。弟の奥成繁(久保田呉春)との共同ペンネーム「山口泰」。妻はイラストレーターのながたはるみ。 2015年8月16日、腎盂癌のため死去した。
小椋 一葉(おぐら かずは、1942年4月10日 - )は、… 小椋 一葉(おぐら かずは、1942年4月10日 - )は、日本の文筆家。本名・美子。 岐阜市生まれ。1966年京都大学教育学部卒、70年同大学院教育社会学修士課程修了。 心理相談室、愛知県立大学助手を経て文筆家。 民間伝承や神社分布、祭神の分析等から古代史の謎に迫る斬新な方法で、黎明期の歴史の暗部に新たな光を当てたシリーズ<伝承が語る古代史>で脚光を浴びる。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ:作家)。
長宗我部 友親(ちょうそがべ ともちか、1942年〈昭和17… 長宗我部 友親(ちょうそがべ ともちか、1942年〈昭和17年〉3月22日 - 2025年〈令和7年〉10月11日)は、日本のジャーナリスト、著述家。戦国大名・長宗我部元親の実弟である親房(島親益)から17代目の長宗我部家当主。 高知市上町に生まれる。 早稲田大学を卒業後、1968年(昭和43年)共同通信社に入り、経済部長、そして2002年(平成14年)常務監事を歴任した。2004年(平成16年)に退任。 自身の家系である長宗我部氏に関する著書がある。 高知で好きな場所は浦戸城のあった浦戸であると述べている。また、武家の末裔ながら刀剣類を「恐ろしい存在」と述べ、「うちは先祖である盛親が六条河原で打ち首になったこともあり、私は刀を見ると寒気がします。
ルネ・ヴァン・ダール・ワタナベ(1942年3月 - 2011… ルネ・ヴァン・ダール・ワタナベ(1942年3月 - 2011年11月22日)は、日本の占星術師、著述家である。東京深川出身。本名は渡辺幸次郎(わたなべ・こうじろう)。 学習院中等科・高等科を経て、学習院大学文学部国文学科卒業(心理学専攻を希望していたものの、当時、学習院大学には心理学科が無かったため、他大学の講義をもぐり聴講したという)。その後、ロンドン大学に留学して心理学を専攻。 帰国後、コピーライターを経て『non-no』創刊と同時に西洋占星術のページを受け持つ。 ルネ・ヴァンダール・ワタナベは師匠から名前を決められる時に、マドモアゼル・愛とジャンケンで勝ったから、ルネ・ヴァンダール・ワタナベになったと言われる。
佐古 利南(さこ としなみ、1942年〈昭和17年〉2月23… 佐古 利南(さこ としなみ、1942年〈昭和17年〉2月23日 - )は、日本の教育者、著述家。 1942年(昭和17年)2月23日、佐古利正の長男として、山口県岩国市に生まれた。 山口県立岩国高等学校卒業後、早稲田大学教育学部に進学し、1965年(昭和40年)に卒業。同年、山口県の公立高校に教諭として採用され、日本史を教えた。部活動では弓道部の顧問を預かり、昭和58年(1983年)開催の第38回国民体育大会で優勝に導いた。山口県立防府高等学校教頭、山口県立山口高等学校教頭、山口県立宇部中央高等学校校長を歴任し、2002年(平成14年)に定年退職した。 2004年(平成16年)、岩国掃除に学ぶ会を設立し代表世話人となる。
ひの まどか(1942年2月10日 - )は、日本の音楽家、… ひの まどか(1942年2月10日 - )は、日本の音楽家、文筆家。 東京府生まれ。本名は桜井(稲留)尚子。日本女子大学附属高等学校、東京藝術大学器楽科卒、東京ゾリステンに入団、ヴァイオリンを弾く一方で作曲家の伝記などの執筆活動を行う。執筆にあたっては現地調査を行っていた。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:音楽)。
宇野 正美(うの まさみ、1942年〈昭和17年〉 - )は… 宇野 正美(うの まさみ、1942年〈昭和17年〉 - )は、国際時事問題と「ユダヤ問題」を専門にした講演者、著述家、陰謀論者。株式会社リバティ情報研究所及び中東問題研究センターの創設者。 大阪市生まれ。1964年、大阪府立大学経済学部卒業。19歳の時に聖書と出会う。大学時代は学生運動(50年分裂)の指導者であり、共産主義にかぶれていた時期がある。大学卒業後は大阪市立天王寺商業高等学校で日本史の教師として11年勤務。33歳で高校教師を退職し、1975年に「中東問題と聖書研究センター」を大阪で設立、イスラエルのメナヘム・ベギン首相とメッセージ交換(下記参照)、サダト大統領暗殺を予想するなど注目を浴びる(1980年)。
岩田 誠(いわた まこと、1942年 - )は、日本の医師・… 岩田 誠(いわた まこと、1942年 - )は、日本の医師・神経生理学者・文筆家、東京女子医科大学名誉教授。 東京生まれ。東京大学医学部卒、1976年医学博士。パリ大学医学部等留学後、東京大学医学部助教授、1994年東京女子医科大学医学部長、神経内科主任教授、同大学脳神経センター長、2008年退任、東京女子医科大学名誉教授、メディカルクリニック柿の木坂院長。1998年『見る脳・描く脳』で毎日出版文化賞受賞。
野村 圭佑(のむら けいすけ、1942年 - 2006年)は… 野村 圭佑(のむら けいすけ、1942年 - 2006年)は、日本のナチュラリスト・文筆家。 東京生まれ。早稲田大学第一法学部卒業。自然が回復した工場跡地を利用したトンボ公園の実現のための活動や荒川・隅田川の自然回復に取り組む。 2000年『まわってめぐってみんなの荒川』で産経児童出版文化賞受賞。
久保井 規夫(くぼい のりお、1942年(昭和17年) - … 久保井 規夫(くぼい のりお、1942年(昭和17年) - )は、元大阪府公立学校の教諭、政治活動家、著述家。アジア民衆歴史センター(APHC)主宰。2013年5月23日に外務省の渡航自粛要請を無視して竹島に強行上陸したことで知られる。 香川県仲多度郡琴平町生まれ。香川大学教育学部卒業。教諭として大阪府内の公立小中学校で勤務。2003年3月に退職。桃山学院大学元非常勤講師だが、韓国のメディアでは「元桃山学院大学教授」「桃山学院大学の久保井規夫元名誉教授」などと報じられることもある。 もともと日本共産党北摂地区委員会に所属しており、1970年1月29日、大阪府吹田市立岸部小学校に勤務中、同和教育をめぐって部落解放同盟大阪府連合会吹田光明町支部書記長から顔面を殴打され、同人を傷害罪で刑事告訴した。
川村 二郎(かわむら じろう、1941年11月8日 - 20… 川村 二郎(かわむら じろう、1941年11月8日 - 2020年9月29日)は、元朝日新聞記者の文筆家。 東京生まれ。鎌倉学園高等学校卒業。慶應義塾大学経済学部卒業。『週刊朝日』編集長、朝日新聞編集委員などをへて文筆家。在職中よりエッセイストとして活動。2008年初の本格的な著書として白洲正子の伝記を上梓した。2009年度より文教大学で講師を務めていた。 2020年9月29日、肺がんのため死去。78歳没。
岡部 牧夫(おかべ まきお、1941年8月8日 - 2010… 岡部 牧夫(おかべ まきお、1941年8月8日 - 2010年12月6日)は、日本の文筆家、歴史学者。 東京市渋谷区代々木生まれ。本名・岡部 長興(おかべ ながおき)。太平洋戦争中は新潟県小出に疎開し、戦後は神奈川県で母方の祖父・岩崎輝弥が経営していた子安農園に住んだ。森村学園小学校、成蹊中学、成蹊高校から1965年に成蹊大学政治経済学部卒業。中学・高校教員、雑誌『アルプ』編集委員を経て、1971年に長野県諏訪郡富士見町へ移住し、自然や環境についての文筆活動を行った。さらに、高校時代の恩師である荒井信一に誘われたのがきっかけで、日本近現代史研究、特に植民地支配や天皇制についての研究を進めた。1993年から串田孫一らとともに財団法人自然保護助成基金の評議員を務めた。
高木 桂蔵(たかぎ けいぞう、1941年8月 - )は日本の… 高木 桂蔵(たかぎ けいぞう、1941年8月 - )は日本の著述家、ジャーナリスト、教育者、文化人類学者・民俗学者・社会学者(華僑論)。静岡県立大学名誉教授、東方工商専科学校名誉教授、東方技術学院名誉教授、東方設計学院名誉教授。 東京プレスセンター株式会社編集長、静岡県立大学国際関係学部教授、国際ことば学院外国語専門学校校長などを歴任した。 広島県尾道市に生まれる。1966年に早稲田大学政治経済学部政治学科を卒業後、イギリス領香港に渡航し、1968年から香港日文専科学校にて日本語講師を務める。専科学校講師と並行して、香港中文大学大学院新亜研究所にて中国の少数民族や華僑についての研究を行い、1970年に同大学院を修了した[要出典]。
本多 信一(ほんだ しんいち、1941年4月17日 - 20… 本多 信一(ほんだ しんいち、1941年4月17日 - 2024年10月9日)は、日本の著述家、コンサルタント(中小企業診断士)。 1941年東京都生まれ、杉並区阿佐ヶ谷育ち。私立城北高等学校を経て、1965年中央大学法学部を卒業する。時事通信社を経て、1971年に現代職業研究所を設立する。そこで「内向型人間のお仲間」のため「個人のための無料職業&人生相談業」を行い、これを天職と考えているが、2013年時点で体調不良により相談は休業している。
三上 治(みかみ おさむ、1941年4月9日 - )は、日本… 三上 治(みかみ おさむ、1941年4月9日 - )は、日本の編集者・文筆家・評論家、元政治運動家。 本名・味岡修。三重県出身。 三重県四日市市生まれ。三重県立四日市高等学校卒業。1960年、中央大学法学部政治学科に入学し、安保闘争に参加。1962年、再建された社会主義学生同盟の全国委員長になる。1966年、中央大学中退、第二次ブントに加わり、全共闘運動やベトナム反戦闘争にも加わる。1969年、ブント内部の党派闘争で統一派として赤軍派と対立する。 1969年4月28日の沖縄闘争で指名手配され、9月に逮捕。1970年、いったん保釈されるが、保釈取り消しで東京拘置所に入所。この間、神津陽と共に共産主義者同盟叛旗派をつくり、同派のリーダーとなる。
備仲 臣道(びんなか しげみち、1941年3月21日 - )… 備仲 臣道(びんなか しげみち、1941年3月21日 - )は、日本の著述家・在野史家。日朝関係史に造詣が深い。
西村 勇(にしむら いさむ、1941年1月31日 -)は、日… 西村 勇(にしむら いさむ、1941年1月31日 -)は、日本の医師、著述家。元通産官僚・特許庁審査官。 名古屋大学工学部を卒業し、通商産業省に入省して官僚生活を送った後、金沢大学で医学を学んで医師免許を取得し、へき地医療に身を投じたという特異な経歴を持つ。 2012年10月1日、それまで赴任した医師が3代連続して1年以内に職を辞していた秋田県北秋田郡上小阿仁村の上小阿仁国民健康保険診療所の所長に就任し、話題となったが、わずか1か月で、体調不良を理由に辞意を表明した。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。