栗田 伸一(くりた しんいち、1959年4月10日 - 20… 栗田 伸一(くりた しんいち、1959年4月10日 - 2004年6月26日)は、滋賀県栗太郡栗東町(現・栗東市)出身の騎手、調教助手。実父は騎手、調教師の栗田勝。母方の祖父は調教師の武田文吾。 音無秀孝・安達昭夫・田中剛・菅沼輝正と同期で、名伯楽武田文吾の孫、名騎手栗田勝の息子とあってデビュー時から注目を集める。伸一は中学の最終学年になった頃、勝に「体も小さいし、一つ自分もやってみよう」かと相談すると、勝は特に賛成も反対もしない代わりに「ただやるつもりであればきちんとやれ」といった意味のことを言ったため、伸一の進路は決まった。1979年3月3日の阪神第1競走アラブ系4歳以上オープンを、1977年最優秀アラブ馬に選ばれた伊藤修司厩舎のミサキシンボルで初騎乗初勝利。
森安 輝正(もりやす てるまさ、1959年3月15日 - )… 森安 輝正(もりやす てるまさ、1959年3月15日 - )は、千葉県印旛郡富里町(現・富里市)出身の元騎手・元調教助手。 旧名および現名「菅沼 輝正」〈すがぬま てるまさ〉。 ラッカセイ農家を営む両親の下で幼少期は幸せに暮らしていたが、森安が小学校に入学した頃、父が悪い仲間と共に賭博と女を覚えてしまい、家に金を入れず遊び歩くようになってしまう。 小学校3年生であった森安は近くの牧場でバイトし、バイト代500円を毎日母親に渡していたが、4年生になった頃には遂に母親が小さかった弟と一緒に出て行ってしまう。 森安はバイトで自分の生活費を稼いでほぼ一人暮らしの状態になってしまうが、ギャンブルで競馬が好きな父が自分の土地を切り開き、競走馬の牧場を初めることになり、父と一緒に働き始める。
田原 成貴(たばら せいき、1959年1月15日 - )は、… 田原 成貴(たばら せいき、1959年1月15日 - )は、日本の元騎手、元調教師、現競馬評論家。 島根県鹿足郡柿木村(現吉賀町)出身。卓越した騎乗技術と端正な容姿で、騎手時代には「天才」、「競馬界の玉三郎」と呼ばれた。騎手通算8649戦1112勝(うち重賞65勝、GI級15勝)。1983年・1984年のJRA全国リーディングジョッキー(年間最多勝利騎手)。騎手引退後の1999年より調教師として活動を始めたものの、2001年に銃砲刀剣類所持等取締法違反・覚せい剤取締法違反容疑で逮捕されたため調教師免許を剥奪された。以降も薬物所持、傷害などで複数回に渡って逮捕されており、JRAから無期限の関与停止処分を言い渡されている。
安藤 光彰(あんどう みつあき、1959年1月5日 - )は… 安藤 光彰(あんどう みつあき、1959年1月5日 - )は、日本中央競馬会(JRA)・栗東トレーニングセンター所属の元騎手の調教助手。2007年2月までは笠松競馬場所属、同年3月から2009年1月までは美浦トレーニングセンター・菊川正達厩舎所属の騎手だった。笠松競馬所属時の勝負服の服色は胴紫、白山形一本輪、袖黄。愛知県一宮市出身。JRA騎手の安藤勝己は実弟、長男・安藤洋一は大井競馬場所属の騎手。また、JRA騎手の太宰啓介は娘婿(洋一の義理の兄)にあたる。 出生から幼少時までの姓は「北浦」であったが、中学3年生のときに両親が離婚、母親に引き取られ「安藤」姓となる。両親はのちに復縁したが、復縁時には逆に父親が安藤籍に入ったため、本名は現在でも「安藤光彰」である。
東田 幸男(ひがしだ ゆきお、1958年11月6日 - )は… 東田 幸男(ひがしだ ゆきお、1958年11月6日 - )は、北海道新冠郡新冠町出身の元騎手・現調教助手。 競馬と全く関係のない家に生まれ、学校に行く途中の近道で放牧地を通ると馬が寄ってきたが、恐怖から逃げ回るなど、競馬にも全然興味がなかった。 中学校2年生の時に姉の嫁ぎ先の牧場でアルバイトをしたのが馬との出会いになり、1974年には栗東・布施正調教師にスカウトされ、姉の助言もあって騎手の道へ進む。 布施の弟弟子の二分久男厩舎に短期騎手候補生として入門し、1981年3月1日に同厩舎からデビューすると、同日の阪神第5競走障害5歳以上未勝利・シンパアーフルで初騎乗初勝利を飾った。同日は宮徹も達成しており、1979年の栗田伸一・溝橋秀吉以来2年ぶりとなったが、その後にJRAの新人騎手が同日に初騎乗初勝利を達成したのは、2021年の小沢大仁・永野猛蔵まで40年間も現れなかった。
安藤 賢一(あんどう けんいち、1958年9月29日 - )… 安藤 賢一(あんどう けんいち、1958年9月29日 - )は、北海道亀田郡大野町(現・北斗市)出身の元騎手・調教助手。 増沢末夫・村本善之と同郷で、中学時代の同級生には須藤一夫ばんえい競馬馬主協会理事がいる。 馬事公苑では田原成貴・嘉堂信雄・昆貢と同期になり、1978年に騎手免許を取得。 1年目の1978年は3月5日の阪神第6競走3歳新馬・バンブーデイシス(15頭中9着)で初騎乗を果たし、9月23日の阪神第9競走4歳以上300万下・トキツコーターで初勝利を挙げる。トキツコーターとのコンビでは初勝利から3連勝するなど、同年は5勝をマーク。 2年目の1979年には2月10日の中京で初の1日2勝、7月7日・8日の阪神で初の2日連続勝利を挙げるなど、初の2桁となる22勝をマーク。
今浪 隆利(いまなみ たかとし、1958年9月20日 - )… 今浪 隆利(いまなみ たかとし、1958年9月20日 - )は、日本中央競馬会(JRA)栗東トレーニングセンターの須貝尚介厩舎に所属していた元厩務員。 ゴールドシップやソダシといったGI優勝馬を手がけ、厩務員としてJRA・GI10勝を挙げた。 1958年、福岡県北九州市出身。実家が小倉競馬場の付近にあり、幼い頃から父親に競馬場へ連れて行ってもらったり、中央競馬で厩務員をしていた叔父によく馬を見せてもらったりしていた。中学生の頃に初めて馬に携わる仕事をしようと思うようになり、その後高校中退を経て、1973年に名古屋競馬場で騎手見習いとなった。しかし調教師との折り合いがつかず騎手の道を断念。その後、中央競馬で職に就きたいと考えたことから、北海道にある優駿牧場での1年半ほどの勤務を経てJRAの厩務員となり、1976年より叔父に紹介されていた内藤繁春調教師(当時)のもとで働き始めた。
西山 茂行(にしやま しげゆき、1958年〈昭和33年〉4月… 西山 茂行(にしやま しげゆき、1958年〈昭和33年〉4月15日 - )は、日本の実業家、馬主。 愛称は、「しげちゃん」。 西山牧場創業者で大馬主でもあった西山正行の息子。成蹊中学校、成蹊高等学校を経て、成蹊大学法学部卒業。 2025年12月まで西山興業グループ代表を務める。西山興業は、オーシャンヴェールリゾート(南房パラダイス、館山カントリークラブ、館山ファミリーパーク、館山グランドホテル、いこいの村たてやま)、金融、レストランなどを展開している。オーシャンヴェールリゾートについては2012年4月以降は館山カントリークラブのみの営業となっている。2025年12月に代表取締役社長を勇退。代表権を持たない取締役となった。
松島 正昭(まつしま まさあき、1958年2月23日 - )… 松島 正昭(まつしま まさあき、1958年2月23日 - )は、日本の実業家、馬主。 長女の松島悠衣は一口馬主クラブ「インゼルレーシング」の代表、次男の松島鴻太は元ラグビー選手。 マツシマホールディングス(旧カミッグ・京都マツダ)の創業経営一族である。京都府出身で、同志社大学を卒業後、1985年に株式会社京都マツダに入社。1998年、代表取締役社長に就任。人材育成にも力を入れ、2007年度の関西経営品質賞ポテンシャル賞を受賞、2010年度関西経営品質賞奨励賞を受賞する。 2016年、武豊プロデュースによるトータルボディーコンディショニング施設、テイクフィジカルコンディショニングジムをオープンする。
土屋 薫(つちや かおる、Kaoru Tsuchiya Ha… 土屋 薫(つちや かおる、Kaoru Tsuchiya Hawley、1958年1月20日 - )は、地方競馬の浦和競馬場、大井競馬場所属、そしてアメリカ合衆国ケンタッキー州の元騎手である。 埼玉県出身、血液型はAB型。地方競馬教養センター短期騎手課程生。所属厩舎だった土屋登元調教師は実父、同じ浦和競馬場に所属していた土屋千賀子元調教師は姉。配偶者は、カナダスポーツ殿堂博物館、アメリカ競馬名誉の殿堂博物館、カナダ競馬名誉の殿堂にて殿堂入りをした騎手のサンディー・ホーリー。 勝負服の柄は胴白・左青たすき、袖赤。 浦和市立南高等学校(現・さいたま市立浦和南高等学校)卒業後に地方競馬教養センターに入所。
安西 美穂子(あんざい みほこ、1957年 - )は、日本の… 安西 美穂子(あんざい みほこ、1957年 - )は、日本のエッセイスト、元馬主。本名、野田口 美穂子。東京都出身。成蹊大学文学部英文科卒。 5年間のOL生活ののちコピーライターに転身。「オグリキャップの歌」の作詞・プロデュースを手がけたことをきっかけに競馬界に参入。競馬雑誌や新聞に数々のコラムを連載。ファンクラブ「おうちへ帰ろうCLUB」を主宰。みずから「前世はチンギス・カンだったんじゃないかって思うくらい、馬の気持ちを自分のことのように感じられる」と喧伝している。 競走馬・ハルウララの元馬主としても有名であった。が、同馬はそのまま競走馬を引退。引退後はホースセラピー施設を立ち上げるためとして2006年にハルウララを勝浦の牧場に預託したが、2009年に同馬は北海道へ送られて日高の牧場を転々とするなど、長期間消息不明の状態におかれた末、2013年12月からは千葉県のマーサファームに預託したが、その半年後から預託料の払込が途絶え、最終的には2014年2月に所有権を手放している。
飯田 正剛(いいだ まさたけ、1956年11月26日 - )… 飯田 正剛(いいだ まさたけ、1956年11月26日 - )は、日本の実業家、馬主。 千葉県出身。麻布大学を卒業し獣医師資格を取得。父・飯田正の跡を継ぎ、千代田牧場(北海道日高郡新ひだか町)の代表取締役を務める。 日本中央競馬会(JRA)所属調教師の国枝栄と親交がある。国枝厩舎の入口には、開業直前に飯田が贈ったジョッキー像が飾られている。 JRAに登録する馬主でもある。勝負服の柄は黄、黒蛇目散、黄袖。かつては黄、青蛇目散、袖青縦縞であったが、父・正の没後に服色を引き継いでいる。以前の正剛の服色は、妻の良枝、次いで息子の貴大が使用している。冠名は特に用いない。 勝負服の柄は黄、黒蛇目散、黄袖、冠名はかつては「チヨダ」を用いていたが、後年は使用していない。
笹田 和秀(ささだ かずひで、1956年9月29日 - )と… 笹田 和秀(ささだ かずひで、1956年9月29日 - )とは、日本中央競馬会 (JRA) ・栗東トレーニングセンターに所属する調教師である。 主な管理馬に2011年の優駿牝馬(オークス)優勝馬エリンコートがいる。 妻・笹田淑(旧姓・伊藤。伊藤雄二の実娘)はJRA初の女性調教助手として知られる。舅は伊藤雄二。ニュージーランドでデビューし現在は地方競馬の兵庫県競馬組合の騎手である笹田知宏は次男。 広島県福山市出身。父は地元の福山競馬で馬主資格を持っていた。盈進高校時代はサッカーで広島県選抜に選ばれるなど活躍し、その後拓殖大学に進学。在学中、中央競馬の厩務員に嫁いでいた従姉から、大卒の厩舎関係者が増加していることを聞かされ、もともと馬好きであったことから、大学卒業後の1980年に従姉の夫が勤めていた栗東・島崎宏厩舎に厩務員として入った。
的場 文男(まとば ふみお、1956年(昭和31年)9月7日… 的場 文男(まとば ふみお、1956年(昭和31年)9月7日 - )は、大井競馬場東京都騎手会に所属していた元騎手。 「鉄人」「大井の帝王」の愛称で親しまれ、地方競馬全国リーディングを2回(2002年、2003年)、大井競馬リーディングを21回(1983年、1985年 - 2004年)獲得し、多くの重賞タイトルを手中に収めた。 大井競馬場所属調教師の的場直之は甥、同厩舎所属厩務員の的場勝之は長男、佐賀競馬の元調教師の的場信弘は兄(直之の父)にあたる。一方、日本中央競馬会(JRA)所属の元騎手で現調教師の的場均、その息子でJRA所属騎手の的場勇人らとは同姓だが血縁関係はない。 家具の一大生産地である大川市で家具運送業を営んでいた家の四男に生まれる(兄2人は運送業を継ぎ、三男が信弘、四男が文男)。
高岡 秀行(たかおか ひでゆき、1956年4月29日 - )… 高岡 秀行(たかおか ひでゆき、1956年4月29日 - )は滋賀県出身の元騎手、元調教師。ホッカイドウ競馬からシンガポールターフクラブに移籍した。 滋賀県立八日市高等学校卒業後、2年間の浪人生活を送るも、大学受験に失敗。その後は縁もゆかりもない北海道へ渡る。 牧場でアルバイトをするうちに騎手を志すようになり、1979年にデビュー。23歳と遅咲きながら通算524勝を挙げ、1992年に引退。 1993年からは調教師に転身し、2000年には年間54勝でリーディングトレーナーとNARグランプリの最優秀調教師賞を受賞。 ホッカイドウ競馬ではJRA1勝を含む通算356勝を挙げたが、2002年に3人の日本人スタッフを引き連れてシンガポールターフクラブへ移籍。
加藤 和宏(かとう かずひろ、1956年3月4日 - )は、… 加藤 和宏(かとう かずひろ、1956年3月4日 - )は、日本中央競馬会(JRA)美浦トレーニングセンターに所属する調教師、元騎手。 1975年に中央競馬で騎手デビュー。所属する二本柳俊夫厩舎の主戦騎手として2年連続のJRA年度代表馬となったホウヨウボーイや、東京優駿(日本ダービー)優勝馬シリウスシンボリなど4頭の八大競走・GI級競走優勝馬に騎乗、またフリーとなってからもエリザベス女王杯に優勝したホクトベガなどに騎乗した。2005年に騎手を引退し、調教師に転身。主な管理馬にオーストラリアのGI競走オールエイジドステークスに優勝したハナズゴールがいる。 JRA元騎手で調教師の加藤士津八は長男。他に息子の1人が小島太厩舎の厩務員をしていた。
林 正道(はやし まさみち、1956年2月8日 - )は、日… 林 正道(はやし まさみち、1956年2月8日 - )は、日本の実業家、馬主。 1979年に日興不動産株式会社、次いで1999年に日興証券株式会社に入社。2001年に不動産業務室長、翌年4月に日興コーディアル証券株式会社不動産業務室長となり、同年6月にシンプレクス・インベストメント・アドバイザーズを設立した。 日本中央競馬会(JRA)に登録する馬主としても知られる。勝負服の柄は海老、黒縦縞、冠名は特に用いない。 GI競走こそ未勝利であるが、初年度の所有馬から重賞勝ち馬が3頭現れるなど、活躍馬の多い相馬眼の持ち主である。
根本 康広(ねもと やすひろ、1956年1月31日 - )は… 根本 康広(ねもと やすひろ、1956年1月31日 - )は、日本中央競馬会 (JRA) の元騎手、元調教師。美浦トレーニングセンターに所属していた。 1977年に騎手デビュー。当初は障害競走で活躍し、1981年までにバローネターフ、ナカミショウグンといった騎乗馬で中山大障害3勝を挙げる。1985年秋の天皇賞においてギャロップダイナに騎乗し、「皇帝」と称されていた本命馬シンボリルドルフを破り、GI競走初制覇。1986年にはメリーナイスで朝日杯3歳ステークスを、翌1987年には東京優駿(日本ダービー)を制した。1997年に騎手を引退し、1998年より調教師として美浦トレーニングセンターに厩舎開業。
石崎 隆之(いしざき たかゆき、1956年1月29日 - )… 石崎 隆之(いしざき たかゆき、1956年1月29日 - )は、地方競馬の船橋競馬場に所属していた元騎手である。同じ船橋競馬所属の元騎手・調教師の石崎駿は長男。 船橋の名門・出川己代造厩舎から騎手デビュー。同期に川崎の原三男調教師などがいる。1973年の初騎乗以来伸び悩んでいたが、結核や骨折を克服して地方競馬の全国リーディングを通算10回、1990年より始まったNARグランプリ最優秀騎手賞は創設以来2002年まで一貫して受賞し続けるなど、南関東公営競馬のみならず全国の地方競馬を代表するトップジョッキーである。日本国内では佐々木竹見、的場文男と並ぶ6,000勝ジョッキーの一人。 中央競馬にも積極的に参戦し、1994年にワールドスーパージョッキーズシリーズで優勝。
矢内 博(やうち ひろし、1956年1月10日 - )は、船… 矢内 博(やうち ひろし、1956年1月10日 - )は、船橋競馬場所属の元騎手、現調教師。最終所属は凾館一昭厩舎。北海道苫小牧市出身、血液型A型。騎手時代の勝負服の柄は胴白・赤玉霰、袖桃。 凾館政一厩舎から騎手デビュー。1972年10月20日ヒサヤマヨシで初騎乗。同日イクセルプリンスで初勝利。 1999年6月13日3回東京8日目第9競走菖蒲ステークス15番人気アスキットマジックで中央競馬初騎乗(15頭立て13着) 調教師転身のため、2008年5月31日付けで騎手引退。 地方通算成績は10023戦891勝・2着939回・3着1002回・勝率8.9%・連対率18.3% 中央競馬通算2戦0勝 2008年5月21日調教師試験に合格し、同年6月1日付けで調教師免許取得。
西内 荘(にしうち そう、1956年 - )は、日本中央競馬… 西内 荘(にしうち そう、1956年 - )は、日本中央競馬会(JRA)・栗東トレーニングセンター内で活動する日本の装蹄師。 西内は開業装蹄師であるため、JRA職員ではないが、「カリスマ装蹄師」の異名を持つ。また芸能事務所であるパールダッシュに所属していたが、現在はPR会社である株式会社H.M.Eに所属している。 スポーツニッポン大阪版の土曜日紙面でコラム「カリスマ装蹄師のささやき」や、競馬のおはなしでコラムを連載中。 高知県香美郡野市町(現・香南市)出身。 父が馬主をしていたことから幼少より競馬に親しんでおり、中学生の時に同郷の福永洋一がニホンピロムーテーを菊花賞馬に導いた騎乗を見て騎手に憧れ、父が馬を預けていた栗東・中村好夫調教師に弟子入りするが減量苦で断念する。
南田 美知雄(みなみだ みちお、1955年9月30日 - )… 南田 美知雄(みなみだ みちお、1955年9月30日 - )は、熊本県天草郡(現・天草市)出身の元調教師、元騎手、元調教助手。 次男の雅昭は元騎手で、現在は萩原清厩舎の調教助手。 実家はみかん園で、競馬と無縁の環境で育った。 高校3年生の時に公務員試験を受けに上京した際、新横浜で働いていた義兄に競馬場に連れて行かれ、義兄から「おめえ体ちっちゃいから、馬に乗る仕事でもしたらどうだ?」と言われたのが騎手を目指すきっかけとなった。義兄の同級生が中山・中野吉太郎調教師の娘と結婚していた縁で、1974年に中野厩舎に騎手候補生として入門。馬も触ったこともなかった南田は右も左も分からず、毎日草むしりや靴磨きなどの下働きをし、乗馬苑では「お前は田舎に帰った方がいい」と言われていた。
泉 一郎(いずみ いちろう、1955年8月31日 - )は、… 泉 一郎(いずみ いちろう、1955年8月31日 - )は、日本の実業家、馬主。 京都府京都市下京区に本社を置く、不動産業の株式会社ハウスプラザの代表取締役を務める。 1955年、香川県出身。龍谷大学出身で、在籍していた野球部ではピッチャーを務めていた。卒業後は会社勤めをしていたものの、馬主になるために起業を志し、1985年に株式会社ハウスプラザを設立した。 日本中央競馬会(JRA)および地方競馬全国協会(NAR)に登録する馬主としても知られる。勝負服の柄は白、青襷、冠名には苗字「泉(イズミ)」と、息子の名前に由来する「ジョー」を組み合わせた「イズジョー」を用いる。当初は組合馬主「昴ホースクラブ」の名義を用いていたが、後に個人名義に変更している。
三木 正浩(みき まさひろ、1955年7月26日 - )は、… 三木 正浩(みき まさひろ、1955年7月26日 - )は、日本の実業家、投資家、馬主。 靴小売業会社ABCマートの創業者で、イーエムプランニング会社代表を務める。国内有数の資産家としても知られる。 三重県伊勢市で生まれた。実家は不動産業や飲食業を営む。享栄高等学校卒業後、愛知県名古屋市の東邦学園短期大学卒業。 1985年、28歳の時に東京の早稲田で、靴と衣料品の輸入販売商社株式会社国際貿易商事を設立。翌年、買い付けのために訪れたロンドンで、ブーツブランド「HAWKINS(ホーキンス)」の日本代理店契約に成功し、国内総代理店となる。低価格を実現するために、調達ルートを自前で開拓し、韓国や中国などの工場を探し出し、中間業者に支払うマージン削減にも成功した。
増田 雄一(ますだ ゆういち、1955年3月16日 - )は… 増田 雄一(ますだ ゆういち、1955年3月16日 - )は、日本の実業家、馬主。 1981年、ハーネス加工業を手がける城北工業を名古屋市西区に創業したのち、1990年、愛知県小牧市に株式会社ジェディックをハーネス部門を独立させる形で創業した。以降、代表取締役社長を務める。 日本中央競馬会(JRA)に登録する馬主としても知られる。勝負服の柄はかつては黒、白星散、黒袖白縦縞であったが、白黒のためレース中に見分けが付かなくなってしまうこともあり、現在の青、袖桃一本輪、黄鋸歯形に変更した。冠名には「言葉の響き」に由来し「サウンド」を用いるが、冠名のない所有馬もいる。 馬主となったきっかけは、学校の先輩で、ラインクラフトなどを所有する冠名「ライン」の馬主、大澤繁昌と同じ会社に入ったことだといい、先に取得した大澤に影響を受けて自身も取得したという。
河内 洋(かわち ひろし、1955年2月22日 - )は、日… 河内 洋(かわち ひろし、1955年2月22日 - )は、日本中央競馬会(JRA)に所属していた元調教師、元騎手。 1974年に中央競馬でデビュー。関西新人賞を受賞するなど早くから頭角を現し、1980年には全国リーディングジョッキー(年間最多勝利騎手)となる。以後1985年、1986年と三度その座に就いた。短距離路線整備の黎明期にマイルGI競走で3勝を挙げたニホンピロウイナー、中央競馬史上初の牝馬三冠馬メジロラモーヌ、「アグネス一族」と称された母仔三代にわたる4頭のクラシック優勝馬など数々の活躍馬の手綱をとり、2000年には史上5人目の五大クラシック完全制覇を達成。2001年には史上3人目、関西所属騎手としては史上初の通算2000勝を達成した。
田島 信行(たじま のぶゆき、1955年2月1日 - )は、… 田島 信行(たじま のぶゆき、1955年2月1日 - )は、京都府出身(鹿児島県姶良郡牧園町生まれ)の元騎手・現調教助手。 同姓の騎手・田島良保の実家が近所にあり、血縁関係は無いが、その活躍に触発されて騎手を志す。中学校在学中に京都に移り、京都・服部正利調教師の内弟子となる。 中学校卒業後は馬事公苑騎手養成長期課程に入所し、修了後の1973年に服部厩舎からデビュー。 1973年3月3日の阪神第5競走4歳200万下・ニホンピロスピードで初騎乗を果たすが、福永洋一のホリタエイカンにアタマ差2着で初騎乗初勝利はならなかった。同31日の阪神第1競走3歳未勝利・ニホンピローヒルで初勝利を挙げ、7月28日の小倉で1日3勝、9月29日・30日の阪神で初の2日連続勝利、11月24日の中京では1日2勝を記録。
鮫島 一歩(さめしま いっぽ、1954年4月12日 - )は… 鮫島 一歩(さめしま いっぽ、1954年4月12日 - )は、日本中央競馬会 (JRA) ・栗東トレーニングセンターに所属していた元調教師。 なお、佐賀競馬所属の元騎手・調教師である鮫島克也、およびその息子でJRA所属の騎手である鮫島良太・克駿兄弟とは血縁関係はない。 父は南日本新聞の記者で、競馬とは無縁の家庭で育つ。鹿児島南高等学校ではサッカー部に入ったが、1年生の夏休みに馬術部が鹿児島国体の強化校として指定され、好奇心で入部すると3年生の時にインターハイ団体で優勝する。監督は鹿児島市で上村乗馬苑を経営し、のちに冠名「トシ」で知られた馬主の上村叶。高校卒業後はブラジルで酪農をやる夢を抱き、北海道江別市の酪農学園大学に進学すると、また馬に乗りたいと再び馬術部に入部。
稲葉 的海(いなば まとみ、1953年12月27日 - )は… 稲葉 的海(いなば まとみ、1953年12月27日 - )は、北海道旭川市出身の元騎手・調教助手。 中学の途中から宝塚市立宝塚第一中学校に転校し、栗東・日迫清厩舎の門下生となる。在学中は仕事と学業の両立が辛かったが、卒業後に馬事公苑で長期講習を受け、同期に安田隆行・伊藤稔がいる。 1974年3月に日迫厩舎からデビューし、同期は伊藤のほか、岩元市三・佐々木晶三・西園正都・寺田雅之・出口隆義・池添兼雄・佐野清広・河内洋・秋山忠一がいた。 同2日の中京第1競走4歳未勝利・キーホープ(10頭中4着)で初騎乗を果たすと、同日の第5競走5歳以上200万下・ハリーファックスで初勝利を挙げる。1年目の同年から2桁の10勝をマークし、3年目の1976年まで3年連続2桁勝利を記録。
斎藤 仁作(さいとう にさく、1953年10月26日 - 1… 斎藤 仁作(さいとう にさく、1953年10月26日 - 1987年4月26日)は日本中央競馬会の騎手。山形県出身。埼玉県立与野高等学校卒業。古賀一隆厩舎に所属していた。 1978年に騎手デビュー。同期には安藤賢一現調教助手や嘉堂信雄現調教助手、田原成貴元騎手、昆貢現調教師らがいる。 平地競走初騎乗は1978年4月16日、中山競馬第5競走のカワイオーザで、15頭立ての2着。 障害競走初勝利は1978年9月10日の東京競馬第3競走のバロンスポートで挙げた。 1987年4月26日の東京競馬場での障害未勝利戦でグリーンイールに騎乗してのレース中、障害飛越の際に落馬し、東京都立府中病院に収容されるも、脳挫傷、肋骨骨折、右肺血胸のため、その日のうちに死去。
坂本 東一(さかもと とういち、1953年8月27日 - )… 坂本 東一(さかもと とういち、1953年8月27日 - )は、ばんえい競走の調教師、元騎手。青森県つがる市出身。血液型O型。 1975年、5月3日騎手としてデビュー。所属は梨本照夫厩舎。5月11日にヤマトニシキで初勝利。 1983年8月17日に通算100勝、1989年11月27日に通算500勝、1995年8月28日に通算1000勝を達成した。 2003年、1月6日にばんえい史上3人目となる通算2000勝を達成した。 2007年、12月19日に2007年度第3回調教師・騎手免許試験新規合格者が発表され、調教師試験に合格したことが明らかになった。12月30日の騎乗が引退レース。 2008年、1月1日付で調教師免許が交付され、4月1日付で厩舎を開業。
飯田 雄三(いいだ ゆうぞう、1953年7月31日 - )は… 飯田 雄三(いいだ ゆうぞう、1953年7月31日 - )は、日本中央競馬会(JRA)・栗東トレーニングセンターの元調教師。山口県出身。 酪農学園大学で馬術部に所属し、馬と接していくうちに競馬の世界に興味を持つようになりアルバイトで道営競馬のゲートや写真判定の係を担当した。大学馬術部の同期にのちに増本豊厩舎でともに働く鮫島一歩調教師がいる。 大学卒業後、牧場勤務を経て栗東トレセンの増本勇厩舎の厩務員となり、1977年11月から増本豊厩舎で調教助手を担当。1999年の高松宮記念優勝馬マサラッキなどの馬に携わった。 2000年にJRA調教師免許試験に合格し、翌2001年3月から厩舎を開業した。 2014年9月14日の阪神1Rの勝利でJRA通算200勝を達成。
加用 正(かよう ただし、1953年5月17日 - )は、神… 加用 正(かよう ただし、1953年5月17日 - )は、神奈川県横浜市南区出身の元騎手・元調教師。 動物が好きな母の影響で、小さい頃から生き物は身近な存在であり、イヌ、ネコ、ハトなども家にいて、加用も自然と動物が好きになった。兄2人は大学に通っていたが、加用は魅力を感じず「早くから手に職を持ちたい」と探していたところ、馬事公苑騎手課程を紹介するテレビを見たことで騎手を志す。父には反対されたが、母の後押しもあって、関東学院附属中学校卒業後に馬事公苑騎手課程へ入所。馬に乗った瞬間は感動し、目線が高くなって景色が変わり「自分が大好きな馬に乗っているんだ」と思うと、嬉しくなった。 馬事公苑2年次より京都・谷八郎厩舎の下で研修に入るが、書類上は八郎の義父である谷栄次郎厩舎であった。
南井 克巳(みない かつみ、1953年1月17日 - )は、… 南井 克巳(みない かつみ、1953年1月17日 - )は、日本中央競馬会 (JRA) の元騎手、元調教師。京都府京都市生まれ、愛知県刈谷市育ち。名騎手として知られ、騎手としての成績は13120戦1527勝。 名が示す通り、巳年の生まれ。元騎手で調教助手の南井大志は長男。 1953年に京都府京都市伏見区に生まれた。4歳時に転居した愛知県刈谷市の祭り「万燈祭り」で饗される古式競馬に惹かれ、騎手に憧れるようになる。刈谷市立小垣江小学校、刈谷市立依佐美中学校を卒業。なお、15歳年下の熊沢重文も南井と同じく小垣江小学校と依佐美中学校を卒業している。中学校卒業後、刈谷市に隣接する豊明市にある中京競馬場の厩舎に通い、工藤嘉見調教師に声を掛けられると、日本中央競馬会馬事公苑の長期騎手課程を受講したのち、1970年に騎手見習いとして入門する。
池添 兼雄(いけぞえ かねお、1952年10月22日 - )… 池添 兼雄(いけぞえ かねお、1952年10月22日 - )は、JRAの・栗東トレーニングセンターに所属していた元騎手、元調教師。長男は騎手の池添謙一、次男は調教師の池添学、謙一のバレットを務める娘(3番目の実子で長女)がいる。 1974年3月、栗東・大久保石松厩舎所属で騎手デビュー。4月大久保正陽厩舎となる。 1979年7月23日、長男・謙一が誕生する。 1981年10月、フリーとなる。 1992年2月、騎手を引退する(通算成績1587戦185勝)。3月、鶴留明雄厩舎の調教助手となる。 1997年、調教師免許を取得する。 1999年3月、厩舎開業。 2023年2月28日をもって調教師を引退した。
二ノ宮 敬宇(にのみや よしたか、1952年9月5日 - )… 二ノ宮 敬宇(にのみや よしたか、1952年9月5日 - )は、日本中央競馬会 (JRA) ・美浦トレーニングセンターに所属していた元調教師。神奈川県川崎市出身。東京農業大学卒業。 高校大学時代は馬術部に所属していた。大学時代はアメリカ競馬も見たという。大学卒業後は川崎市内でサラリーマンとして働いていた。 1978年、美浦・橋本輝雄厩舎の調教助手となり、ホースマンとしてのスタートを切る。助手としての代表馬は1987年の東京優駿を制したメリーナイスで、同厩舎の屋台骨を支える敏腕として活躍。 1990年、調教師免許を取得し厩舎を開業する。8度目の挑戦での合格であった。 1994年、優秀調教師賞 (関東) を初めて受賞する。
飯塚 知一(いいづか ともかず、1952年1月31日 - )… 飯塚 知一(いいづか ともかず、1952年1月31日 - )は、日本の実業家、馬主。 東京都港区に本社を置く、物流コンサルタントを手がける株式会社シンコーの代表取締役を務める。 日本中央競馬会(JRA)および地方競馬全国協会(NAR)に登録する馬主として知られる。勝負服の柄は青、黄縦縞、袖黄一本輪で、冠名には「シャドウ」を用いる。また、2026年まで新潟馬主協会の会長理事を務めていた。競馬に興味を持ったきっかけは、1971年のヒカルイマイが勝った東京優駿(日本ダービー)や、学生時代にWINS渋谷へ向かう人々を見たことだという。 引退競走馬への関心が強く、「引退馬の余生を考えよう実行委員会」を主宰し、2015年には新潟競馬場で企画展『引退馬の余生を考えよう』を開催した。
櫻井和男(さくらいかずお1952年- )は日本のスポーツ指導… 櫻井和男(さくらいかずお1952年- )は日本のスポーツ指導者。島根県出身。かつて、陸上競技の砲丸投の選手であった。 1980年 美濃加茂高等学校野球部顧問になる。直後に同部は夏の岐阜大会で優勝。第62回全国高等学校野球選手権大会に出場した。 1990年、夏の岐阜大会で2度目の優勝。第72回全国高等学校野球選手権大会に出場した。 1995年、ゴルフ部監督に就任した。ゴルフ部では服部真夕、宅島美香など、5名のプロゴルファーを育てた。2009年のトキめき新潟国体では、岐阜県選抜女子団体チームを率いて優勝を果たした。 2012年、地元岐阜で行われた国民体育大会の女子団体でも優勝した。2013年3月、美濃加茂高校を定年退職した。
田中 清隆(たなか きよたか、1951年12月16日 - )… 田中 清隆(たなか きよたか、1951年12月16日 - )は、千葉県銚子市出身の元騎手・元調教師。 調教師としての主な管理馬にシンコウウインディ、グルメフロンティア、レディパステル、ホエールキャプチャなどがいる。 舅は元騎手・調教師の今津福松。 銚子商業卒業後は銚子信用金庫に入社したが、小柄かつ敏捷であったことから、競馬好きの上司に騎手になることを勧められた。数々の厩舎へ入門願いの電話を掛けた末、中山・野平省三厩舎に入門を認められ、1971年から1974年まで候補生として4年間を過ごす。 1975年に騎手免許を取得し、師匠の野平省が前年に死去していたため、跡を継いでいた野平祐二厩舎からデビュー。
東 信二(あずましんじ、1951年11月24日 - )は、東… 東 信二(あずましんじ、1951年11月24日 - )は、東京都豊島区池袋出身の元騎手・現競馬評論家。 生家は池袋駅の近くで自転車を預かる仕事と碁会所を営んでおり、7人兄弟の末子(姉5人と兄1人)として生まれる。 少年時代は歌手を志し、中学校卒業を前にした進路決定の際に母親にそのことを打ち明けるが、姉に「あんたの声じゃ無理」と言われ、目標を騎手に切り替える。東には中学2年時に林間学校で訪れた霧ケ峰高原の牧場で乗馬を経験し、夢中になったことがあった。1967年に馬事公苑騎手養成長期課程に17期生として入所し、同期には小島貞博・吉沢宗一などがいた。 3年間の講習を経て騎手試験に合格し、1970年に中山競馬場白井分場・境勝太郎厩舎からデビュー。
小島 貞博(こじま さだひろ、1951年11月10日 - 2… 小島 貞博(こじま さだひろ、1951年11月10日 - 2012年1月23日)は、日本中央競馬会 (JRA) に所属した騎手、調教師。 騎手時代の主な騎乗馬に、1982年の最優秀障害馬キングスポイント、1992年のクラシック二冠を制したミホノブルボン、1994年の優駿牝馬(オークス)優勝馬チョウカイキャロル、1995年の東京優駿(日本ダービー)優勝馬タヤスツヨシなどがいる。騎手通算4722戦495勝。戦後デビューの騎手の内、平地・障害それぞれの最高級競走である日本ダービーと中山大障害で2勝ずつを挙げている唯一の騎手である。 2003年より調教師として栗東トレーニングセンターに厩舎を開業。2005年の中山大障害に優勝し、同年の最優秀障害馬に選出されたテイエムドラゴンなどを管理した。
藤沢 和雄(ふじさわ かずお、1951年9月22日 - )は… 藤沢 和雄(ふじさわ かずお、1951年9月22日 - )は、中央競馬(JRA)・美浦トレーニングセンターに所属していた元調教師。調教師として1570勝をあげた名伯楽として知られており、1993年から2009年までの間に、12度のJRA賞最多勝利調教師を獲得した。 戸籍上の表記は藤澤 和雄だが、JRAでは旧字体等での登録が認められていないため、新字体の「藤沢」に修正して登録、引退後の活動名も修正名義としている。ただし、一部媒体では旧字体の名義を使用することもある。 なお、同姓の調教師・藤沢則雄(栗東所属)との区別のため、競馬新聞・スポーツ新聞等では「藤沢和」と表記されていた(両者に血縁関係はない)。
小林 薫(こばやし かおる、1951年9月4日 - )は、日… 小林 薫(こばやし かおる、1951年9月4日 - )は、日本の俳優、馬主。ニコフイルム所属。 京都府生まれ。京都府立洛東高等学校卒業。1971年から1980年まで唐十郎が主宰する状況劇場に在籍。退団の際、その才能を惜しんだ唐が説得のために包丁持参で小林の住むアパートを訪れるも、危機を感じた小林が先に逃げ出して説得は失敗、そのままうやむやのうちに退団を認めたというエピソードがある[出典無効]。 役者以外にも、声優としてアニメ映画『もののけ姫』や『ゲド戦記』に出演し、ドキュメンタリー番組『美の巨人たち』(テレビ東京)ではナレーションも務めている。 糸井重里とは30年来の友人である。 1984年に中村久美と結婚するが、1995年に離婚。
吉田晴哉(よしだ はるや、1951年5月27日 - )は、日… 吉田晴哉(よしだ はるや、1951年5月27日 - )は、日本の競走馬生産者。 競走馬生産牧場の追分ファーム代表を務める。息子の吉田正志は一口馬主のG1レーシング代表。 少年時代は獣医師を志したが「獣医学よりも一般教養を身につけるべきだ」と父善哉の反対に遭い、早稲田大学政治経済学部政治経済学科に入学。卒業後は住友銀行(現・三井住友銀行)に勤めたが1975年に退社し、父のもとで働くことを決めた。善哉がアメリカ合衆国ケンタッキー州に開設したフォンテンブローファームで1年間働いた後、日本へ帰国。社台グループの各部署を転々とした後、1978年から東京事務所に勤務。社台レースホースの発展に貢献した。善哉の死後、相続した追分町(現・安平町)の土地に追分ファームを開設し、現在に至る。
宗石 大(むねいし だい、1951年1月1日 - )は、日本… 宗石 大(むねいし だい、1951年1月1日 - )は、日本の騎手(高知競馬場)、調教師(高知競馬場)。高知県香美郡土佐山田町(現・香美市)出身。 1951年1月1日、高知県香美郡土佐山田町(現・香美市)出身。生家は農家で、農耕馬や競走馬を飼っていた。エンタツ・アチャコや藤山寛美に憧れて漫才師を志したが伝手がなかったため断念し、大工を目指して職業訓練校に通った。しかし経済的な事情から職業訓練校に通えなくなり、体が小さいことを活かして金を稼ごうと騎手になることを決意。「一発試験」と呼ばれる試験に合格し、騎手免許を取得した。騎手としては1万回以上騎乗し、1000を超える勝利を挙げた。このことについて宗石は、「下手くそに1万回も乗せてくれたのは義理と人情みたいなものだったから、私も義理と人情が大事の人間になっちゃった」と述べている。
湯窪 幸雄(ゆくぼ さちお、1950年11月9日 - 202… 湯窪 幸雄(ゆくぼ さちお、1950年11月9日 - 2026年1月21日)は、鹿児島県姶良郡牧園町(現在の霧島市)出身の日本中央競馬会 (JRA) の元騎手、元調教師。 実家が馬の生産牧場(湯窪牧場)を経営しており、幼いころから多くの馬と共に育ち慣れ親しんできた。そのため湯窪は競馬にも大きな興味を抱いていたが、高校在学中に父親が本人に内密で競馬の馬術の試験を応募しており、これを受験したところ合格したことから競馬界への参入と騎手への道を決めたという[要出典]。 1968年3月、鹿児島県から関西に上京して栗東トレーニングセンター所属であった柏谷富衛調教師に騎手候補生として師事し、1970年3月1日開催の京都競馬場第7レース「5歳以上100万下」にてセブンバンコク(3着)の騎手としてプロデビューを果たし、同年4月18日の京都競馬場第8レース「5歳以上オープン」にリキエイカンで出走して自身初勝利を収める。
浅沼 廣幸(あさぬま ひろゆき、1950年10月5日 - )… 浅沼 廣幸(あさぬま ひろゆき、1950年10月5日 - )は、日本の皮膚科医師、馬主。 1950年、北海道札幌市出身。北海道大学医学部を卒業したのち、1983年に浅沼皮膚科医院を千歳市に開院した。その後医療法人社団「廣仁会」を設立し、2016年に退任するまで理事長を務めた。同年末には末期のすい臓がんで余命宣告を受け、また2018年の正月には脳梗塞となったが、現在はどちらからも快復している。 日本中央競馬会(JRA)に登録する馬主としても知られる。勝負服の柄は水色,黄星散,黄袖水色一本輪、冠名には医療用語で「皮膚科」を意味する「Derma」より「デルマ」を用いる。 馬名には世代ごとにシリーズを設けており、これまでは「日本の神様」「日本の妖怪」「相撲の決まり手」などのテーマから冠名と組み合わせて命名している。
佐々木 一夫(ささき かずお、1950年9月28日 - 20… 佐々木 一夫(ささき かずお、1950年9月28日 - 2008年9月28日)は、ホッカイドウ競馬の元調教師(元騎手)。勝負服の柄は黄・胴赤一本輪、袖緑・黄一本輪。北海道函館市出身、身長158センチ、体重52キロ、血液型B型。函館工業高等専門学校卒業。 1969年4月29日函館競馬ツワイメリーでレース初騎乗。同年5月9日、函館競馬場でアツカシに騎乗し、初勝利。以来、1994年に引退するまでホッカイドウ競馬で数々の名馬に騎乗し、通算9510戦1539勝を記録。重賞も通算86勝を挙げた。 1995年3月31日に調教師免許を取得し、1996年に厩舎を開業。同年4月17日に調教師として管理馬を初出走。同年5月15日には調教師として初勝利。
中島 敏文(なかじま としふみ、1950年7月29日 - )… 中島 敏文(なかじま としふみ、1950年7月29日 - )は、広島県高田郡吉田町(現・安芸高田市)の元騎手・元調教師である。 実父・中島時一も元騎手、中島啓之は実兄。 父・時一は戦前の騎手・調教師で、牝馬のヒサトモで1937年の東京優駿をレコードタイムで制覇している。父母の疎開先の広島で生まれ、時一のダービー優勝時には啓之と敏文はまだ生まれていなかった。 1968年に京都・上田武司厩舎の騎手候補生となり、1969年3月にデビュー。同期には田村正光、上野(伊藤)清章、須貝四郎、楠孝志、内田国夫、西浦勝一がいる。同1日の京都第5競走障害5歳以上未勝利・フェアダッシュで初騎乗を果たすが、落馬で競走中止というほろ苦いデビューとなった。
棚網 基己(たなあみ もとみ、1950年6月28日 - 20… 棚網 基己(たなあみ もとみ、1950年6月28日 - 2024年5月8日)は、日本の実業家、馬主。 幻冬舎の創設に携わり、取締役会長を経て監査役を務めていた。 1950年、東京都出身。角川書店の編集者として勤めていた見城徹が1993年に独立、幻冬舎の創業に際し支援を行い、取締役会長に就任した。2000年11月より同社取締役副社長、2004年6月より同社監査役を務めていた。2024年5月8日、肝細胞癌のため死去。73歳没。 日本中央競馬会(JRA)および地方競馬全国協会(NAR)に登録していた馬主としても知られた。勝負服の柄は青、赤ダイヤモンド、白袖赤一本輪、冠名には「オリエンタル」を用いた。1988年に馬主資格を取得。