万里 昌代(ばんり まさよ、本名:英 昌代、1937年3月2… 万里 昌代(ばんり まさよ、本名:英 昌代、1937年3月29日 - 不明)は、日本の女優。関東州大連出身。神奈川県横浜市育ち。 柔道教師の父を持ち幼い頃日本へ引揚の形で帰国。横浜の関東学院高等学校在学中に家庭よみうりのカヴァーガールになったのがきっかけで新東宝にスカウトされる。高校卒業後の1956年に、新東宝の四期スターレットとして入社。同期に北沢典子、三ツ矢歌子、原知佐子、朝倉彩子らがおり、小柄ながらも美人グラマー女優として人気を博した。1958年には『スター毒殺事件』で初主演。 1961年8月に新東宝が倒産したため、9月に大映へ移籍。翌年には市川雷蔵主演の『婦系図』でお蔦役を演じ知名度を得る。
雪村 いづみ(ゆきむら いづみ、1937年〈昭和12年〉3月… 雪村 いづみ(ゆきむら いづみ、1937年〈昭和12年〉3月20日 - )は、日本の歌手、女優、画家。一般社団法人日本歌手協会相談役。本名は朝比奈 知子(あさひな ともこ)。愛称は本名から「トン子」「トンちゃん」。 1937年(昭和12年)3月20日、東京府東京市目黒区大岡山(現在の東京都目黒区大岡山)に商社員の朝比奈愛三とその妻千恵子の長女として生まれる。 父・愛三は事業の傍らハワイアンバンド「カルア・カマアイナス」に参加する熱心な音楽家でもあり、幼少期のいづみは戦時下においてもモダンな音楽に日常的に接して育った。1946年(昭和21年)、いづみが9歳の時、当時通信社に勤務していた父・愛三が自殺。
伊藤 牧子(いとう まきこ、1937年3月17日 - )は、… 伊藤 牧子(いとう まきこ、1937年3月17日 - )は、日本の女優、声優。東京市四谷区(現・東京都新宿区)出身。 東京都立戸山高等学校、早稲田大学教育学部歴史科卒業。 教員志望であったが、母親が新劇好きだった影響で学生劇団自由舞台に参加。自由舞台に入った理由は高校時代の先輩が在籍していたことから。 自由劇場の舞台を鑑賞した母親から「教師より俳優になった方が良いんじゃないかしら」と言われたことでプロの俳優となることを決める。1958年10月、NHKが設立した俳優養成所に入所。1960年、劇団三十人会の創立に参加し、1973年に同劇団が解散した後はフリーで活動。 夫は劇団俳優座の加藤剛。加藤とは「自由舞台」以来の付き合いである。
白木 万理(しらき まり、1937年2月23日 - )は、東… 白木 万理(しらき まり、1937年2月23日 - )は、東京都世田谷区出身の女優。本名は山口 澄子。旧芸名は白木マリ。
小林 千登勢(こばやし ちとせ、本名:山本 千登勢(やまもと… 小林 千登勢(こばやし ちとせ、本名:山本 千登勢(やまもと ちとせ)、1937年2月13日 - 2003年11月26日)は、日本の女優、タレント。夫は山本耕一。愛称は「おっかさん」。 朝鮮京畿道京城府(現:大韓民国ソウル特別市)生まれ。戦後に福岡県八幡市(現:北九州市八幡東区)に引き揚げ、のちに東京へ移る。 共立女子高等学校卒業後、文学座の研究生となり、1958年にNHKと専属契約を結ぶ。清純さの中にどこか哀愁を漂わせ、「鈴を張ったような」と形容された大きな目の美貌で人気を集め[要出典]、馬渕晴子と冨士眞奈美と合わせて「NHK三人娘」と呼ばれ、テレビ草創期のスターとなった。 1965年、俳優の山本耕一と結婚。
江利 チエミ(えり ちえみ、本名:久保 智恵美(くぼ ちえみ… 江利 チエミ(えり ちえみ、本名:久保 智恵美(くぼ ちえみ)、1937年〈昭和12年〉1月11日 - 1982年〈昭和57年〉2月13日)は、昭和期に活躍した日本の歌手・女優・タレント。 1937年(昭和12年)1月11日(月曜日)、東京市下谷区(現・東京都台東区入谷)に3男1女の末娘として生まれる。血液型はA型。 父・久保益雄は福岡県田川郡添田町の出身。独学でクラリネット奏者になったが、軍事徴用での工場の作業で指の先を痛め、以降再び独学でピアノ弾きに転向したりと、ともかく「音楽センス」の素晴らしい人だったと言われており、智恵美が生まれた頃は船のバンドマスター、吉本興業に所属していた。益雄はバンドマスターを経て吉本所属(東京吉本)の大スター、柳家三亀松(三味線漫談)の相三味線やピアノ伴奏を務める。
有沢 正子(ありさわ まさこ、1937年1月6日 - )は日… 有沢 正子(ありさわ まさこ、1937年1月6日 - )は日本の女優。本名は篠山正子。大映時代は山内敬子を名乗る。
沢 たまき(さわ たまき、本名:山本 昌子 - やまもと ま… 沢 たまき(さわ たまき、本名:山本 昌子 - やまもと まさこ、1937年1月2日 ‐ 2003年8月9日)は、日本の歌手、女優、政治家。歌手や女優などの芸能活動の後、政界に転身し参議院議員を務めた。
水野 久美(、1937年〈昭和12年〉1月1日 - )は、日… 水野 久美(、1937年〈昭和12年〉1月1日 - )は、日本の女優・タレント。本名は五十嵐 麻耶。高瀬プロダクションを経てオフィスPSCに所属。 新潟県三条市出身。実家は写真館を経営。新潟県立三条東高等学校卒業。 実家の隣が「三条座」という劇場であったことから、江利チエミや美空ひばりのショーや歌舞伎の演目などを観劇しているうちに役者を志すようになった。シェイクスピア悲劇『リア王』のコーディリア姫役を中学で演じ、本物の涙を流す演技をしたことでますます「舞台への思い」が強くなり、高校在学中には演劇部に所属し、『源氏物語』の「末摘花」などの発表会では3年連続でヒロイン役を演じたほか、ティーンエイジャー向け雑誌・ジュニアそれいゆ主催によるミス・ジュニアそれいゆで1位に選出された。
アンジェラ浅丘 ( - あさおか、1936年(昭和11年)1… アンジェラ浅丘 ( - あさおか、1936年(昭和11年)12月14日 - )は、昭和期の女優・ダンサー。本名は三瀬 美絵子。大分県別府市生まれ。いとこに應蘭芳。 日劇ミュージックホールのいわゆる第2期黄金時代(1957年〜1972年頃)のスターとなった。映画にも出演している。プロ野球選手の佐藤道郎と結婚し、ともに「酒・アンジェラ」というバーを経営したこともあったが、のち離婚する。 田中小実昌は「アンジェラ浅丘の縦長ヘソはセクシー」と書いている。1969年、『血と薔薇』第3号のモデルを務める(撮影は篠山紀信)。
峯 京子(みね きょうこ、1936年11月12日 - )は、… 峯 京子(みね きょうこ、1936年11月12日 - )は、日本の女優。東京都出身。本名は成田美智子。
馬渕 晴子(まぶち はるこ、1936年〈昭和11年〉11月2… 馬渕 晴子(まぶち はるこ、1936年〈昭和11年〉11月2日 - 2012年〈平成24年〉10月3日)は、日本の女優。東京都出身。身長159cm、体重40kg。夫は井上孝雄(1994年死別)。次男は陶芸家の井上恵介。本名は井上明子(いのうえ はるこ)。 東京都立明正高等学校(現・東京都立芦花高等学校)在学中に日活にスカウトされ、1954年『女人の館』でスクリーンデビュー。1957年、NHK専属女優となり、小林千登勢・冨士眞奈美と「NHK3人娘」と呼ばれて人気を博す。 1960年に俳優の井上孝雄と結婚したことで一時芸能界を離れるが、1966年の『記念樹』で復帰する。 日本人女優として初めてヌードグラビアを披露しており、『アサヒカメラ』誌上での見事なヌードは話題を呼んだ。
弓 恵子(ゆみ けいこ、1936年10月22日 - 2024… 弓 恵子(ゆみ けいこ、1936年10月22日 - 2024年8月17日)は、日本の女優。本名:安藤 瑛子(あんどう えいこ)(旧姓:柴田)。東京府東京市(現:東京都世田谷区)出身。プロダクション・タンク所属。 父は、大映の名脇役・潮万太郎(2000年死別)。弟の柴田昌宏も元俳優、柴田侊彦も俳優。俳優の宮口二郎(1995年死別)の妻でもあった。 1955年、立教女学院高等学校在学中に光丘ひろみの芸名で東宝『赤いカンナの花咲けば』でデビュー。 1959年より、父の潮万太郎と同じく大映に所属。父親との縁から伊藤大輔監督に可愛がられ、弓恵子の芸名をつけてもらう。 1960年に出演した『東海道ちゃっきり娘』で人気を獲得し、以降も『磯しぶき源太』『この青年にご用心』などでコンスタントに活躍。
白川 由美(しらかわ ゆみ、1936年〈昭和11年〉10月2… 白川 由美(しらかわ ゆみ、1936年〈昭和11年〉10月21日 - 2016年〈平成28年〉6月14日)は、日本の女優。東京都品川区出身。セブンス・アヴェニュー最終所属。 頌栄女子学院中学校・高等学校卒業。夫は俳優の二谷英明、長女は元女優でトライグループ代表取締役社長の二谷友里恵。 頌栄女子学院高等学校の卒業間際に森永製菓のキャンペーンガール「森永スイート・ガール」に応募して採用される。1956年、スカウトにより東宝に入社。清楚で整った顔立ちから「日本のグレース・ケリー」のキャッチフレーズで、同年の三船敏郎主演の映画『ならず者』で映画デビュー。 『サザエさん』シリーズ、『サラリーマン出世太閤記』シリーズや、1956年『空の大怪獣 ラドン』のヒロインをはじめとする特撮ものなど幅広い作品に出演。
山本 嘉子(やまもと よしこ、1936年〈昭和11年〉10月… 山本 嘉子(やまもと よしこ、1936年〈昭和11年〉10月16日 - )は、日本の女優、声優。東京都出身。オフィス薫所属。夫は俳優の近藤洋介。 日本大学芸術学部卒業。 大学在学中の1958年3月、TBS放送劇団に6期生として入団。同期には貴家堂子や白川澄子がいる。それ以前は劇団山王に所属していた。 その後は青年工房、中川プロ、土の会、赤坂プロダクション、江崎プロダクション、サンエース企画に所属していた。 本人によると、「自然にアテる」ことができ、素直にやっているのがいいという役柄を担当することが多かった。また、悲劇的状況に追いやられる役を演じる機会も多いといい「(自身の声が)不安定な声、少し怯えたような声、色気のない声だから。
白石 冬美(しらいし ふゆみ、1936年〈昭和11年〉10月… 白石 冬美(しらいし ふゆみ、1936年〈昭和11年〉10月14日 - 2019年〈平成31年〉3月26日)は、日本の声優、女優、ラジオパーソナリティ、タレント。 静岡県出身。生まれは中華民国北平市(現・北京市)。最終所属は賢プロダクション。 1936年、4人姉妹の長女として北平市(現・北京市)に生まれる。父は医師であった。家族と共に中国より引き揚げて静岡県に暮らす。幼い頃から読書好きであり、物語の世界に入り込んだり、空想を巡らせるのが楽しかったという。学校では放課後の演劇部に熱心なくらいだったという。ミッションスクールの静岡雙葉学園へと進み、在学中から中村錦之助の時代劇に憧れて育った。静岡雙葉高等学校中退後、松竹歌劇団の入団試験に応募して合格を果たし上京するが、自身の未熟さを痛感して入団から3か月後に、新たに基礎から学ぶべく東宝芸能学校の演技科へと席を移した。
松村 康世(まつむら やすよ、1936年10月13日 - )… 松村 康世(まつむら やすよ、1936年10月13日 - )は、福井県敦賀市出身の女優。旧芸名は松村 安子(まつむら やすこ)。身長163cm、体重54kg。 劇団くるみ座出身。趣味・特技は三味線と山歩き。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
沢 阿由美(さわ あゆみ、1936年9月14日 - )は、日… 沢 阿由美(さわ あゆみ、1936年9月14日 - )は、日本の女優。東京都出身。本名は中村 泰子。別芸名に中村 恭子(なかむら きょうこ)。 立教女学院高等学校卒業。1955年に松竹演技研究所に入り、1960年2月に現代劇場に入団。1963年2月に劇団新劇場の所属となる。その後は松竹芸能、新国劇、劇団鮎、衣笠プロダクションなどに所属した。創成期のテレビドラマに数多く出演した。
有田 麻里(ありた まり、1936年9月13日 - 2009… 有田 麻里(ありた まり、1936年9月13日 - 2009年12月3日)は、日本の女優、声優。東京都出身。身長166cm、体重55kg。 静岡県立清水東高等学校卒業。現代演劇協会附属研究所を経て、劇団雲に入団し、深沢 英子(ふかざわ えいこ)の芸名で俳優活動をスタートする。1975年、演劇集団 円の結成に参加。有田麻里に改名し、舞台を中心にテレビドラマなどでも活躍する。2006年、夫である俳優・平野稔と共に円を退団し、LLC平野企画の創立に参加。 2009年12月3日、膵臓癌により死去。73歳没。
三ツ矢 歌子(みつや うたこ、1936年8月1日 − 200… 三ツ矢 歌子(みつや うたこ、1936年8月1日 − 2004年3月24日)は、日本の女優。 大阪府堺市東区出身。プール学院高等学校卒業。血液型A型。本名は小野田 宇汰子。夫は小野田嘉幹。平田昭彦は義弟(夫の実弟)、音羽美子は義妹(夫の妹)、久我美子は義妹(義弟の妻)、野平ゆきは義子(息子の妻)。 学生時代の同級生には坂本スミ子がいた。 1955年、学生時代の女友達が内緒で新東宝の新人募集に応募書類を送ったところ、合格。第4期スターレットとして入社(同期は北沢典子、原知佐子、万里昌代、朝倉彩子など)。 1956年の『君ひとすじに』で銀幕デビューを果たし、池内淳子、久保菜穂子と「新東宝現代劇の女優三羽烏」と呼ばれ、1961年の倒産まで出演を続けた。
大川 恵子(おおかわ けいこ、1936年7月26日 - )は… 大川 恵子(おおかわ けいこ、1936年7月26日 - )は、日本の元女優。愛知県名古屋市出身。本名は加古 啓子(かこ ひろこ)。愛知県立刈谷高等学校卒業。 1955年に名鉄デパートに入社するが、月刊誌『平凡』主催「ミス平凡」に選ばれ、1956年に東映ニューフェイスの第3期生となる。同期には里見浩太朗・桜町弘子・大村文武らがいた。芸名は当時の東映社長の大川博が命名したものである。黄金期の東映時代劇でお姫様女優として活躍。『姫君一刀流』は唯一の主演作である。1962年、時代劇ブームの去る前にサラリーマンと結婚、引退し映画界を去る。以降、マスコミに出ることはない。 1959年(昭和34年)3月2日から6日まで開催された「ベルリン日本映画芸術の日」と3月6日から11日まで開催された「ミュンヘン日本映画見本市」に出席のため同3月1日、芦川いづみ(日活)、大空眞弓(新東宝)、小山明子(松竹)、司葉子(東宝)、若尾文子(大映)ら他の映画会社代表女優たちと共に東映代表女優としてドイツへ出発。
中原 ひとみ(なかはら ひとみ、1936年〈昭和11年〉7月… 中原 ひとみ(なかはら ひとみ、1936年〈昭和11年〉7月22日 ‐ )は、日本の女優。本名:土家 里子。愛称は「バンビ」。東京市(現東京都台東区)出身。アズユー所属。夫は江原真二郎。長男は土家歩、長女は土家里織。 共立女子高等学校中退。東映ニューフェイス第1期生として、東映へ入社。同期には山本麟一・高田敏江・南原宏治らがいる。1954年、映画『魚河岸の石松 女海賊と戦う』でデビュー。 『純愛物語』で原爆の後遺症で短い生涯を閉じるヒロインを演じ、1957年のキネマ旬報ベストテン第2位に入った。1958年6月25日、世界三大映画祭の一つ第8回ベルリン国際映画祭に出席のためドイツのベルリンへ出発。
大城 美佐子(おおしろ みさこ、1936年7月8日 - 20… 大城 美佐子(おおしろ みさこ、1936年7月8日 - 2021年1月17日)は、沖縄民謡の歌手、女優。 「沖縄民謡の重鎮」、「沖縄民謡の偉大なる唄い手」、「民謡界のベテラン」、「沖縄民謡のレジェンド」などと称された。 大阪市大正区に生まれ、沖縄県名護市辺野古で育つ 。10代半ばから料亭で働き、当時人気があった沖縄民謡の唄者、嘉手苅林昌(かでかる・りんしょう)と小浜守栄(こはま・しゅえい)の熱烈なファンになる。当時は女性が三線を弾くことが良しとされなかった時代だったが、自らの耳で唄と三線を覚える。 知名定繁(知名定男の父)に弟子入りして民謡の道に進む。1962年にシングル『片思い』でデビュー。その後、三線を抱えて東京、神奈川、大阪など長らく彷徨し、沖縄に戻ってくる。
清水 マリ(しみず まり、1936年〈昭和11年〉6月7日 … 清水 マリ(しみず まり、1936年〈昭和11年〉6月7日 - )は、日本の声優、女優、YouTuber。埼玉県浦和市(現:さいたま市浦和区)出身。81プロデュース所属。父親は俳優の清水元。本名は山内 鞠(やまのうち まり)。 第2子として埼玉県浦和市(現:さいたま市浦和区)で誕生。4歳上の兄がおり、その兄はNHKディレクターの清水満。 浦和市立仲本小学校、浦和市立原山中学校、埼玉県立浦和西高等学校卒業。 中学1年時に父・清水元の劇団で『ピノキオ』の舞台を上演することになったが、劇団に子役がいなかったため、マリがピノキオ役で出演することになり、それがきっかけで役者の道に進む。父親は役者になることについては反対していた。
川口 知子(かわぐち ともこ、1936年5月21日 - 19… 川口 知子(かわぐち ともこ、1936年5月21日 - 1969年1月19日)は、1960年代に文学座で活動した、日本の新劇女優。テレビ・ドラマや映画にも出演し、1960年には日本映画製作者協会新人賞を受賞した。 東京、銀座で、両親とも長唄の師匠という家に生まれる。 親類の田村秋子に影響を受け、女優を志し、共立女子学園高等部を卒業して俳優座養成所に入った(川口は、田村秋子の姪とする記述と、従妹とする記述がある)。 1959年に俳優座養成所を卒業し、文学座に入って研究生となり、同年9月の公演『黄色と桃色の夕方』で大役に抜擢された。 1960年には、映画『赤坂の姉妹より 夜の肌』に、映画初出演にして淡島千景、新珠三千代とともに主演し、この年の日本映画製作者協会新人賞を受賞した。
横山 通乃(よこやま みちの、1936年〈昭和11年〉4月1… 横山 通乃(よこやま みちの、1936年〈昭和11年〉4月16日 - )は、日本の女優。本名及び旧芸名、横山 道代(よこやま みちよ)。東京府出身。中山昭二は元夫。東京都立桜町高等学校卒業。 高校卒業後、小牧バレエ団、石井みどり舞踏団を経て、1954年、東京放送劇団に第5期生として入団。同年に『ヤン坊ニン坊トン坊』でデビュー。 里見京子・黒柳徹子と「三人娘」と呼ばれて人気を得る。 1958年に劇団を退団し東宝に入社 。同年に『奴が殺人者だ』で映画デビュー。その後は芸映に所属。 映画では若い頃は岡本喜八作品、壮年期以降は市川崑作品の常連。伊丹十三作品にも複数回起用されていた。 21世紀を目前に、「まだまだ道の途中」の意を込めて本名の横山道代から横山通乃へと改名。
柳川 慶子(やながわ けいこ、本名;本郷 慶子、1936年〈… 柳川 慶子(やながわ けいこ、本名;本郷 慶子、1936年〈昭和11年〉4月11日 - )は、日本の女優。京都府京都市出身。 夫は俳優の本郷淳、息子は俳優の本郷弦。父は記録映画作家の柳川武夫、義父は本郷新。同志社大学文学部中退。 俳優座養成所第8期生(同期には水野久美、三木弘子、青樹知子がいた)。 1958年、岡本喜八監督にスカウトされて『結婚のすべて』でデビュー。同年、東宝へ入社。 1963年に東宝を退社すると、劇団雲を経て、1975年の演劇集団 円設立参加以来、同所に所属。 ※ 以下、公式ページを参照。
南條 瑞江(なんじょう みづえ、1936年2月15日 - 2… 南條 瑞江(なんじょう みづえ、1936年2月15日 - 2021年7月13日)は日本の女優。大阪府出身。宝井プロジェクトに所属していた。 京都女子大学文学部卒業。ABC放送劇団出身。新国劇座員を経て、1987年9月に新国劇が解団した後、新国劇の中堅メンバー18人で「劇団若獅子」を結成した。 特技は、日本舞踊、長唄、関西弁。 2020年末より手術療養していたが、2021年7月13日に亡くなった。享年85歳。葬儀は近親者のみで執り行われた。本人の公式Facebookを通して同年7月21日、娘が発表した。
浦路 洋子(うらじ ようこ、1936年1月28日 - )は、… 浦路 洋子(うらじ ようこ、1936年1月28日 - )は、日本の女優。 以下に日本映画データベースに従い公開日、作品名、製作会社、役名を記載。作品数は本表における便宜上、暫定的なもの。
野際 陽子(のぎわ ようこ、1936年〈昭和11年〉1月24… 野際 陽子(のぎわ ようこ、1936年〈昭和11年〉1月24日 - 2017年〈平成29年〉6月13日)は、日本の女優・アナウンサー・司会者・歌手・ナレーター・声優。特技は英語・フランス語。最後の所属事務所はラヴァンス。本名は同じ。 石川県河北郡津幡町で生まれ、富山県富山市で育ち、3歳から東京都杉並区天沼で育った。杉並区立杉並第五小学校、立教女学院中学校・高等学校、立教大学文学部英米文学科卒業。大学時代は初代ミス立教に選ばれ、ESSの英語劇セクションと劇団テアトルジュンヌに所属し、四大学英語劇大会など数々の作品に出演。大学時代の同期には俳優の高橋悦史、元プロ野球選手の杉浦忠や長嶋茂雄、アナウンサーの政田一喜や押阪忍がいる。
湯川 れい子(ゆかわ れいこ、1936年〈昭和11年〉1月2… 湯川 れい子(ゆかわ れいこ、1936年〈昭和11年〉1月22日 - )は、日本の音楽評論家、作詞家、女優。 本名・湯野川和子(ゆのかわ かずこ)が田村駿禮(たむら たかのり)と結婚して田村和子になる。のちに離婚するが本名は田村和子のままにしている。吾妻麗子名義で女優として活動したこともある。山形県米沢市育ち。 東京府東京市目黒区芳窪町(現:東京都目黒区東が丘)に出生。父は海軍大佐・湯野川忠一。忠一の従妹(父・湯野川忠世の妹の娘・礼子)は山本五十六の妻。海軍大将・黒井悌次郎は大叔父(父方の祖母の弟)。米沢藩家老・千坂高房は母方の祖先。その他、父方の曾祖父の湯野川忠国は漢学者。父方の祖父の湯野川忠世は全国農事会本部幹事でラ・フランスを日本に紹介した人物。
叶 順子(かのう じゅんこ。本名:吉田順子(旧姓・中沢)、1… 叶 順子(かのう じゅんこ。本名:吉田順子(旧姓・中沢)、1936年1月21日 - )は、日本の女優。東京都中野区野方出身。 スッポン料理店主の娘として育ち、都立北野高校を卒業。1954年、ミス資生堂に選ばれ、同社に入社して勤務。その美貌を目にした同社の美容部長・藤原あき(後の参議院議員)の推薦で1956年、第10期ニューフェイスとして大映に入社。同期に田宮二郎がいた。 1957年、「朝の口笛」でデビュー。「透明人間と蝿男」に主演。1959年、島耕二監督の「細雪」の四女役を演じスターの仲間入り。以後、京マチ子、山本富士子、若尾文子の三大女優に次ぐスター女優として売り出され活躍。 1963年7月、人気のピークで引退。
大森 暁美(おおもり あけみ、1936年〈昭和11年〉1月8… 大森 暁美(おおもり あけみ、1936年〈昭和11年〉1月8日 - )は、日本の女優である。本名:椎名 暁美。宮城県大崎市古川(旧・古川市)出身。身長160cm、血液型はB型。特技はジャズダンス。東京理科大学名誉教授の大森英樹は実弟。作家の大森黎は実姉。 短大生だった19歳の時にスカウトされて日活に入社する。 テレビドラマ初出演は1957年である。 翌年から始まった『バス通り裏』にレギュラー陣の1人として出演する(十朱幸代や岩下志麻らを世に出した人気ドラマだった)。番組が終了すると活動の中心を舞台へ移し、子ども向けミュージカルで歌って踊り、1年に200本もの舞台をこなしていたという。 私生活では28歳で結婚、30代半ばで劇団を辞めて一時休業(子供はいない)。
原 知佐子(はら ちさこ、本名:実相寺 知佐子(じっそうじ … 原 知佐子(はら ちさこ、本名:実相寺 知佐子(じっそうじ ちさこ)、旧姓名・旧芸名:田原 知佐子(たはら ちさこ)、1936年〈昭和11年〉1月6日 - 2020年〈令和2年〉1月19日)は、日本の女優。夫は実相寺昭雄。現代制作舎所属。 高知県高岡郡高岡町(現在の同県土佐市)出身。高知県立高知追手前高等学校卒業、同志社大学文学部美学美術学科中退。 高岡第一小学校に在学中、教師から「この子は宝塚に入ったらいい」と薦められ、芸能界に憧れる。 高岡中学校を経て、1954年に高等学校を卒業。宝塚歌劇団と松竹歌劇団を受験するが落ちてしまい、「芸能人の多い京都ならばコネで潜り込めるかも」と思い立ち、大学に入学。
中島 そのみ(なかじま そのみ、1936年1月2日 - 20… 中島 そのみ(なかじま そのみ、1936年1月2日 - 2023年2月26日[要出典])は、日本の歌手、女優。長野県小県郡丸子町(現・上田市)出身。本名:近藤宏子(旧姓:岩下)。夫はテレビプロデューサーの近藤洲弘。 1954年、長野県丸子実業高等学校(現在の長野県丸子修学館高等学校)を卒業。兄を頼って上京し、ドレスメーカー女学院に入学。ジャズ喫茶に出入りするうちに、ウエスタン歌手に転向し、チャック・ワゴン・ボーイズに加入。その個性的な声色と唱法により頭角を表す。 1956年1月、小坂一也の紹介で日本コロムビアから『テキサスの恋唄』でソロ・デビュー。小坂一也とワゴン・マスターズやスイング・ウエストと共演。
飛鳥 みさ子(あすか みさこ、1935年12月13日 - 1… 飛鳥 みさ子(あすか みさこ、1935年12月13日 - 1998年7月9日)は、日本の元女優である。本名は犬飼 淑乃(いぬかい よしの)。 1935年(昭和10年)12月13日、愛知県挙母市(現在の同県豊田市)に生まれる。 1954年(昭和29年)、神奈川県立横須賀大津高等学校を卒業後、東宝舞踊学校へ入所。1955年(昭和30年)4月、第10期東宝ニューフェイスとなり、東宝と専属契約を結ぶ。翌1956年(昭和31年)1月22日に公開された本多猪四郎監督映画『若い樹』で映画デビューを果たし、以後、ジャンルを問わず多くの作品に出演。特に、1958年(昭和33年)1月6日から放映された菊田一夫原作のテレビドラマ『人知れずこそ』(KRテレビ系列)では、同じく東宝の専属俳優だった大塚国夫と主役を務め、一躍話題となった。
青山 京子(あおやま きょうこ、1935年11月23日 - … 青山 京子(あおやま きょうこ、1935年11月23日 - 2020年1月12日) は、1950年代から1960年代にかけて活動していた日本の女優。本名・小林 みどり(こばやし みどり)。東京都世田谷区出身。夫は俳優・歌手の小林旭。 香蘭女学校中等科卒業後、玉川聖学院高等部在学中の1952年に、東宝の丸山誠治監督作品『思春期』に登場する女子高校生役のオーディションを受け、2000人の中から合格し、本名の中西みどり名義でデビューした。映画公開後に青山京子と改名。同年に退学処分となったために、文化学院へ転校して卒業。 東宝の5期ニューフェイスとして演技の勉強を続け、1953年以降50本余の東宝作品に出演した。
浜 木綿子(はま ゆうこ、1935年10月31日 - )は、… 浜 木綿子(はま ゆうこ、1935年10月31日 - )は、日本の女優。元・宝塚歌劇団雪組トップ娘役。
白坂 道子(しらさか みちこ、1935年10月28日 - )… 白坂 道子(しらさか みちこ、1935年10月28日 - )は、日本の女優、声優、ナレーター。北海道札幌市出身(岩見沢市、または小樽市出身とする文献もある)。81プロデュース所属。 北海道札幌南高等学校卒業後、NHK札幌放送劇団に入る。1957年のラジオドラマ『赤い石』で、同年度の芸術祭文部大臣演技奨励賞を受賞。そのことがきっかけで、東京放送劇団に移る。その後プロダクションエム・スリーに所属した。この間俳優座養成所第13期生として入所し、3年間演技の基礎を学んでいた。 近年は朗読を中心に活動を続けている。 特技は東北弁。趣味はシャンソン。 札幌市立豊水小学校(現:札幌市立資生館小学校)時代の5年生の時に、卒業式で在校生総代として祝辞を読む時の皆から募集した祝辞の作文をはっきりと大きい声で、皆の前で聞こえるように読む課題で、子供たちにコンクールをしていた。
九條 今日子(くじょう きょうこ、1935年10月22日 -… 九條 今日子(くじょう きょうこ、1935年10月22日 - 2014年4月30日)は、日本の女優、演劇、映画プロデューサー。東京都麻布出身。女優時代の芸名は九条映子(九條映子)。本名:寺山 映子(てらやま えいこ)。1963年から1970年まで寺山修司と婚姻関係にあった。
高美 アリサ(たかみ ありさ、1935年10月12日 - )… 高美 アリサ(たかみ ありさ、1935年10月12日 - )は、日本の歌手、女優である。 静岡県出身。1951年4月に藤枝南女子高等学校(現藤枝順心中学校・高等学校) 普通科に入学し、2年後の1953年4月には松竹歌劇団に入学した。1956年に松竹歌劇団を卒業し、同年歌手デビューを果した。 歌い手の登竜門である日劇ミュージックホールを皮切りに、テレビやステージに多数出演した。なお、芸名の「高美アリサ」の名付け親は、フランス文学者の内村直也である。 歌手としては、1957年にポリドール・レコード(日本グラモフォン株式会社)に入社し、映画「太陽はひとりぼっち」主題歌「太陽はひとりぼっち」、映画「刑事」主題歌「死ぬほど愛して」、「夕焼けのトランペット」、「月光のノクターン」、「別れ」、「アモーレ・ミオ」などをレコーディングした。
芦川 いづみ(あしかわ いづみ、1935年10月6日 - )… 芦川 いづみ(あしかわ いづみ、1935年10月6日 - )は日本の元女優。本名:伊藤 幸子(旧姓:芦川)。日活の黄金期を代表する女優として知られる。 東京市北区滝野川田端町で生まれる。後に神奈川県横浜市鶴見区矢向に移り住み、矢向小学校に通った。1944年空襲が激しくなったため、神奈川の桜井村(現在の小田原市栢山)に集団疎開し、戦後になって戻った。1952年に法政大学潤光女子高校を中退し、松竹歌劇団付属松竹音楽舞踊学校に入学する。同期に野添ひとみ、山鳩くるみらがいた。このとき芸名を「芦川いづみ」とする。 1953年にファッション・ショー出演中に松竹の川島雄三監督に認められ、川島監督の『東京マダムと大阪夫人』でデビューする。
丘 さとみ(おか さとみ、本名;菱田 美恵子〈ひしだ みえこ… 丘 さとみ(おか さとみ、本名;菱田 美恵子〈ひしだ みえこ〉・渡辺美恵子〈わたなべ みえこ〉、1935年〈昭和10年〉9月15日 - 2024年〈令和6年〉4月24日)は、日本の女優。兵庫県宝塚市出身。 1953年3月、尼崎市立尼崎高等学校在学中にディズニー映画『シンデレラ(シンデレラ姫)』の日本公開を記念して行われたRKOラヂオ映画社と毎日新聞社主催の「日本シンデレラ姫コンテスト」に応募し、ミス・シンデレラの栄冠に輝く。その副賞で1953年3月20日から4月4日まで渡米し、ディズニー撮影所や女優・アン・ブライスの自宅などを訪問したり、ケーリー・グラントとの2度に亘る会食やソニア・ヘニーのアイスショー観覧といったハリウッド見学に招待されている。
吉行 和子(よしゆき かずこ、1935年〈昭和10年〉8月9… 吉行 和子(よしゆき かずこ、1935年〈昭和10年〉8月9日 - 2025年〈令和7年〉9月2日)は、日本の女優、エッセイスト、俳人。東京府(現:東京都)出身。 父は作家の吉行エイスケ、母は美容師の吉行あぐり。兄は作家の吉行淳之介、妹は詩人の吉行理恵。 2歳で小児喘息を患い、病弱な子ども時代を過ごす。1948年3月、千代田区立番町小学校卒業。 父は和子が4歳のときに死去、母は美容師として働いていたため、ひどい喘息の発作が起こると、岡山県の祖父の元に預けられていた。 1954年、女子学院高等学校を卒業。なお、卒業前に劇団民藝付属水品研究所を受験して入所。女優になるつもりはなく、絵を描くことや裁縫は得意だったことから「衣装係にでもなれれば」と思って受験したところ、思いがけず女優候補として採用された。
中原 早苗(なかはら さなえ、1935年7月31日 - 20… 中原 早苗(なかはら さなえ、1935年7月31日 - 2012年5月15日)は、東京市四谷区(現:東京都新宿区)出身の女優。本名:深作 早苗。夫は映画監督の深作欣二、同じく映画監督の深作健太は長男である。 父は戦前東宝で活躍した藤尾純だが、早苗が幼少の頃に家を出てしまい、母で舞台女優だった南部雪枝が1人で育てた。 国本女子高等学校卒業。在学中の1953年に『村八分』(近代映画協会・現代ぷろだくしょん)にて主演級の役でデビュー。現代ぷろだくしょんに入ると、設立メンバーの山村聡の家に住み込んで女優としての所作を学ぶ。『蟹工船』に出演するなど独立プロ系の作品で活躍後、母と知り合いの水の江瀧子にスカウトされ、1955年に日活と契約(年間6本で1本当たり20万円と高額の条件であった)。
朝丘 雪路(あさおか ゆきじ、1935年7月23日 - )は… 朝丘 雪路(あさおか ゆきじ、1935年7月23日 - )は、日本の女優・タレント・歌手。本名;加藤 雪会(かとう ゆきえ)。旧姓・勝田。
悠木 圭子(ゆうき けいこ、1935年7月21日 - 202… 悠木 圭子(ゆうき けいこ、1935年7月21日 - 2026年3月3日)は、日本の作詞家、元女優。女優名は藤田佳子。親類に女優の葉山葉子がいる。山口県防府市生まれ。八代亜紀の大ヒット曲『なみだ恋』、『おんなの夢』、香西かおりの大ヒット曲『浮雲』の作詞や田川寿美を見出し大歌手にまで育成したことで知られる。 最初の夫は俳優の山田真二だったが、のち離婚。その後、作曲家の鈴木淳と再婚した。 芸能界入りしたのは16歳だが、藤田佳子の芸名で女優として「十代の秘密」でデビュー。1954年に大映入り。出演作には「婦系図 湯島の白梅」、「霧の音」、「夜の蝶」、「細雪」、「大奥」などがある。京マチ子、若尾文子、山本富士子や市田ひろみらと共演している。
白川 澄子(しらかわ すみこ、1935年6月26日 - 20… 白川 澄子(しらかわ すみこ、1935年6月26日 - 2015年11月25日)は、日本の声優、女優。 『サザエさん』の中島弘役、『ドラえもん(テレビ朝日版第1期)』の出木杉英才役など、アニメ黎明期より端正な少年役を演じて長期レギュラー出演していた。 東京府(現東京都)出身。放送劇が好きであり、慶應義塾大学文学部卒業後、TBS放送劇団に入団。その後、青年工房、富士放送プロ、土の会、七の会、劇団河に所属していた。 2015年11月25日午後10時頃、クモ膜下出血のため東京都杉並区内の自宅で死去、80歳没。11月26日、『サザエさん』12月6日放送分の収録に出演する予定であったが、集合時間を過ぎても現場に姿を見せず、連絡も取れなかったことから、アニメスタッフがマネージャーや白川の実弟と一緒に自宅アパートを訪れたところ、風呂場の浴槽で顔が水に浸かった状態で倒れ亡くなっているのが発見された。
吉田 妙子(よしだ たえこ、1935年6月13日 - )は、… 吉田 妙子(よしだ たえこ、1935年6月13日 - )は、沖縄県具志川村(現:うるま市)出身の女優。 1950年、劇団「あさひ座」で舞台デビュー。「ときわ座」を経て親泊興照、鉢嶺喜次が率いる「珊瑚座」に入団。 多くの舞台、映画、テレビ、ラジオなどのメディアに出演しており、沖縄では平良とみ、平良進らと並んで有名な役者である。
花形 恵子(はながた けいこ、1935年6月2日 - 201… 花形 恵子(はながた けいこ、1935年6月2日 - 2015年1月12日)は、日本の女優、声優、児童文学作家。東京府(現・東京都)出身。81プロデュース最終所属。夫は俳優の篠原大作(2016年死去)。 日本女子大学附属高等学校卒業。1954年4月、劇団ぶどうの会に入団。フェデリコ・ガルシーア・ロルカ原作の『ベルナルダ・アルバの家』のアデラで初舞台。1961年2月、ぶどうの会を脱退し、山田肇、篠原大作、松村彦次郎などともに劇団風を創立。同人舎プロダクション、東京俳優生活協同組合、ぷろだくしょんバオバブ、アーツビジョンを経て、81プロデュースに所属していた。 夫の篠原大作とともに「ふたり朗読館」を主宰して朗読の分野でも活動。