和泉 雅子(いずみ まさこ、1947年〈昭和22年〉7月31… 和泉 雅子(いずみ まさこ、1947年〈昭和22年〉7月31日 - 2025年〈令和7年〉7月9日)は、日本の女優、歌手、冒険家。東京都出身。血液型はA型。愛称はマコ、マー坊。 1989年5月10日、海氷上からでは日本人女性として、初めて北極点到達を果たした。 東京都中央区銀座の三原橋のたもとにあった、寿司割烹の「太泉(たいせん)食堂」を営む和泉宗太郎と母満代の長女として生まれた。弟は夫妻の長男で、和泉寿時。和泉家は、江戸時代は代々幕府御用達の家具商を務めた。また、戦国武将の竹中半兵衛の末裔に当たる。明治維新後は谷中霊園で和泉家石材店を開業した。築地で鮪を扱う親戚がいたため、父は分家して魚介類の卸売業に転じ、魚河岸で鮪を商った後、場外で煮干し屋を営み、戦後は三原橋に土地を購入して店を開いた。
山崎 照朝(やまざき てるとも、Terutomo Yamaz… 山崎 照朝(やまざき てるとも、Terutomo Yamazaki、1947年7月31日 - 2025年6月22日)は、日本の武道家・空手家・キックボクサー・ジャーナリスト・歌手。空手道段位 : 七段。身長177cm、62kg。異名は極真の龍・天才。 空手道の一つの理想的な組手を、フルコンタクト空手で示したことにより、歴史に残る空手家だと評価されている。アメリカ合衆国の武道雑誌『ブラックベルト』にもその名は刻まれており、真剣を思わせる切れ味鋭い技で、自らは傷を負わずに対戦相手をバッサリ斬ってとるファイティングスタイルから、キックボクシングでも幻の名選手と評され、異なる格闘技で一時代を築いた強豪である。
井上 博(いのうえ ひろし、1947年7月27日 - 197… 井上 博(いのうえ ひろし、1947年7月27日 - 1970年3月31日)は、日本のシンガーソングライター、ベーシストであり、はしだのりひことシューベルツの元メンバーとしても知られる。 京都府京都市北区紫竹西高縄町出身。同志社大学工学部に在学していた。身長176cm。特技はスポーツ(ヨット、水泳、スキー、柔道、サッカー)。 同志社大学在学中、1967年2月に、石塚成孝、後にはしだのりひことシューベルツのメンバーとなる越智友嗣と共にフォークグループ「ザ・ヴァニティー」結成。1968年9月に、コロムビアから「愛に吹く風」でデビュー。 1968年8月、京都での第3回関西フォークキャンプに参加する。同年4月、東芝レコードから「あなただけに」(杉田二郎作詞・作曲)でソロデビューしていた杉田二郎(当時、第1次ジローズとして活動)と一緒に同曲を歌った。
藤島 新(ふじしま しん、1947年7月22日 - )は、日… 藤島 新(ふじしま しん、1947年7月22日 - )は、日本の歌手。 長崎県平戸市出身。本名・藤島三男。上智大学外国語学部英語学科卒業。上智大学グリークラブ(男声合唱団)所属。大学在学時にジァンジァンでシャンソン歌手としてソロデビューした。 一般公募でNHKのヤング101の第二期生のオーディションを受け、約3000人の応募者の中から選ばれた15人の合格者の1人として、1971年7月7日に晴れてNHK総合テレビジョンの音楽番組『ステージ101』にレギュラーとして初出演した。番組オリジナルソングの一つである「愛の限界」(岡田富美子作詞・東海林修作曲)を歌い、高く甘い歌声で人気を得て「101のプリンス」「ヤングのプリンス」と呼ばれた。
安岡 力也 (やすおか りきや、1947年〈昭和22年〉7月… 安岡 力也 (やすおか りきや、1947年〈昭和22年〉7月19日 - 2012年〈平成24年〉4月8日) は、日本の俳優・ロック歌手・キックボクサー・タレント。シャープ・ホークスのボーカル。イタリア名:リカルド・ニコ・バレンティーノ(安岡力也は日本国籍名)。身長187cm、体重108kg、血液型はO型。イタリア・ジェノヴァもしくは宮城県仙台市出身。埼玉県行田市育ち。長良グループ所属。 デビュー以来、本名の「安岡力也」名義で活動していたが、「安岡リキヤ」と表記していた時期もある。2001年、離婚を機に姓のない芸名「力也」に改名したが、2010年からは再び「安岡力也」名義で活動した。子は俳優の安岡力斗。
元谷 芙美子(もとや ふみこ、1947年7月8日 - )は、… 元谷 芙美子(もとや ふみこ、1947年7月8日 - )は、日本の実業家、歌手。アパホテル株式会社取締役社長。アパリゾート株式会社代表取締役社長。株式会社SHIFT社外取締役。株式会社ティーケーピー社外取締役。 福井県福井市出身。本人の話では「のしイカみたいにしんなりして出てきた」。未熟児として生まれ、間もなく死ぬだろうと周囲に思われていたが、なんとか生き延びる。1歳のときに福井地震で生家が倒壊したが、気絶して倒れたところに落ちてきた観音開きになった仏壇に守られて助かる。元谷はこれらの出来事から、「1歳までに2回死にかけて、すでに一生分の厄落としをしてる」と考えている。 お茶の水女子大学に進学すること、学校教員になることを夢見ていたが、父親が鉛中毒で倒れたため、福井県立藤島高等学校卒業後は福井信用金庫に就職。
瀬川 瑛子(せがわ えいこ)、1947年〈昭和22年〉7月6… 瀬川 瑛子(せがわ えいこ)、1947年〈昭和22年〉7月6日 - )は、東京都渋谷区出身の演歌歌手。父は歌手の瀬川伸。本名は清水 瑛子(しみず えいこ、旧姓・瀬川)。所属事務所はクラウンミュージックと業務提携をしている。 物心ついた頃に世田谷区の一軒家に住んでいたが、父が引っ越し好きであったため、小学生時代に目黒区に移り、さらに中学入学する頃に品川区に転居した。品川区立日野中学校(現・品川区立日野学園)(その後、転校したのか、品川区立浜川中学校卒業とされる)を経て、町田学園高等学校(現・品川エトワール女子高等学校)卒業。 父は股旅歌謡やマドロス歌謡で人気を博し、紅白歌合戦出場歴もある瀬川伸。父は娘を流行歌手に育てるべく、瀬川が5歳の頃から歌のレッスンをした。
葵 司朗(あおい しろう、1947年7月3日 - )は日本の… 葵 司朗(あおい しろう、1947年7月3日 - )は日本の歌手、音楽教室講師。愛知県岡崎市出身。1987年にヒットした「男と女のラブゲーム」を日野美歌とデュエットしたことで知られる。 本名は杉浦隆だが、芸名に用いた ″葵″ は徳川家康の生誕の地が自身の出身地と同じ岡崎市だったことに由来する。 コロムビア歌謡コンクールの東海地区で優勝し、全国大会では11位となる。19歳で上京し、キングレコードからシングル「豊橋の女」でデビューするが、なかなかヒットには恵まれなかった。一時は歌手を諦めかけ成田空港の税関でアルバイトをしていたが、歌うことを諦めきれず、30歳を過ぎたころ再び音楽の世界に戻る。 「男と女のラブゲーム」は、1986年に ″タケダ胃腸薬21″ のCMソングとしてサビの部分が流され話題を呼ぶ。
加賀城 みゆき(かがじょう みゆき、本名:北村 和江(きたむ… 加賀城 みゆき(かがじょう みゆき、本名:北村 和江(きたむら かずえ)、1947年6月26日 - 1991年10月22日)は、日本の演歌歌手。石川県金沢市出身。 1965年「コロムビア全国歌謡コンクール」に石川県代表として出場し、4位入賞。1966年デビュー曲「おさらば故郷さん」が大ヒット曲になる。1968年作曲・編曲家の桜一平(現・我修院達也)に実演用25人編成フルバンドの譜面の編曲を依頼、それを機に我修院達也より歌のレッスンやアドバイスを受けるようになる。1975年、ビクターレコードに移籍する。1991年に癌が見つかり同年44歳で死去した。 この項目は、歌手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ芸能人)。
秋元 順子(あきもと じゅんこ、1947年6月21日 - )… 秋元 順子(あきもと じゅんこ、1947年6月21日 - )は、日本の女性歌手。東京都江東区深川生まれ。 高校卒業後、石油会社で働きながら、ハワイアンバンドで音楽活動を行うが、結婚後ほどなくして主婦業に専念。 以後は主婦業や子育てをしながら夫の家業である花屋を手伝い、その後子育てから手が離れた40歳頃に昔のバンド仲間から誘われ音楽活動を再開。 2004年4月(57歳)、ソロ歌手として「マディソン郡の恋」を徳間ジャパンからインディーズ発売。同曲の評判が口コミで広がり、「有線お問合せランキング」で異例の連続1位を獲得。これが関係者の目に止まり、翌2005年7月に58歳でキングレコードよりメジャーデビューを果たした。
三田 明(みた あきら、1947年〈昭和22年〉6月14日 … 三田 明(みた あきら、1947年〈昭和22年〉6月14日 - )は、日本の歌手、俳優。東京都昭島市出身。本名・辻川 潮(つじかわ うしお)。太陽企画所属。 清純な風貌と美声で1960年代を中心にヒットを飛ばした。また、『長七郎江戸日記シリーズ』など時代劇を中心に俳優としても活動している。 父は長崎県、母は山口県徳山市(現・周南市)出身で、父が徳山の土木関係の会社に勤めていたときに母と知り合い結婚。4年後、二人で関西に移り、その後東京へ出て大工となる。この間、母は8人の子供を生み、東京で生まれたのが潮(明)。父の仕事は不安定で、人を集めて酒をよく飲み、母や子供にもよく手を出し生活も苦しかったという。
六本木 じろう(ろっぽんぎ じろう、1947年6月9日 - … 六本木 じろう(ろっぽんぎ じろう、1947年6月9日 - )は、東京都板橋区出身の歌手である。本名は川崎 俊夫(かわさき としお)。 週に3〜4回のボランティア活動(仕事でお世話になった港区と渋谷区を主とした、特養ホームやデイサービスセンター他への訪問)を中心とする歌唱活動やYOUTUBE(エムむすび)でのビデオレター活動、自らのこれまでの経験やネットワーク、そして保有する宅地建物取引士やビル経営管理士の資格をもとに、若手の経営者や起業家を支援する活動を行っている。 中央大学商学部を卒業後、1971年森ビル株式会社に入社。入社後、経理、貸室営業、不動産交渉、ビルマネージメント、コンサルタント業務、リゾート開発、商業ビル開発及び運営等の諸業務を担当。
泉 ちどり(いずみ ちどり、本名:中山 淑子(なかやま よし… 泉 ちどり(いずみ ちどり、本名:中山 淑子(なかやま よしこ)、1947年6月5日 - 2021年1月24日)は、演歌歌手。 東京都杉並区出身。小学校2年の時に東宝芸能学校児童科に入る。 藤村女子高等学校卒業。高校卒業後、作曲家・野崎眞一に師事。 1969年に「緋ざくら仁義」でデビューし、その後は任侠路線や「浪花節だよ人生は」の競作などで人気を博した。 特技は日本舞踊、剣道。 2021年1月24日17時15分、肝臓がんのため、東京都内の病院で死去。73歳没。
佐藤 博(さとう ひろし、1947年(昭和22年)6月3日 … 佐藤 博(さとう ひろし、1947年(昭和22年)6月3日 - 2012年(平成24年)10月26日)は、日本のシンガーソングライター、ピアニスト、キーボーディスト、シンセサイザープログラマー、作曲家、編曲家、レコーディング & ミキシング・エンジニア、マスタリング・エンジニア、音楽プロデューサー。鹿児島県川辺郡知覧町(現南九州市)生まれ。京都府育ち。日本のトップ・キーボーディストとして知られる。 1947年6月3日、真宗大谷派の寺の長男として鹿児島県の知覧にて生を受け、2年後の1949年に京都の寺に移住する。中学時代の14歳の頃になると「寺の住職になるという家業を継ぐしかなく、職業選択の自由も許されないのか」と自問し、世の中への怒りや人間社会の偽善性や生きることへの希望も見失う精神的ブラックホールの真っ只中にいた。
塩見 大治郎(しおみ だいじろう、1947年6月2日 - )… 塩見 大治郎(しおみ だいじろう、1947年6月2日 - )は、日本の歌手。 1967年、同志社大学に在学中、杉田二郎(12弦ギター)、細原徹次郎(ベース)とフォーク・バンド「ジローズ」を結成してギターを担当。彼等はシングル一作を発表して1968年に解散。 CBS・ソニーレコードから歌手としてソロ活動を開始。1970年1月から放送が開始されたNHK総合テレビジョンの音楽番組『ステージ101』に、レギュラー出演グループ「ヤング101」の第一期生として出演。1974年の番組終了までヤング101に在籍した数少ないメンバーの一人で、同年3月31日の最終回ではヤング101代表として挨拶した。一方、ソロ活動を継続してシングル3作を発表した。
白井 光子(しらい みつこ、1947年(昭和22年)5月28… 白井 光子(しらい みつこ、1947年(昭和22年)5月28日 - )は、日本の声楽家(メゾソプラノ、ソプラノ、アルト)、音楽教育者。主にドイツ歌曲の歌唱で国際的に高い評価を得ている。ソプラノとメゾの両方の声域を持ち、アレッサンドロ・スカルラッティ、J.S.バッハ、モーツァルト、ルイ・シュポーア、シューベルト、シューマン、ヴォルフ、ブラームス、マーラー、ベルク、シェーンベルク、ヴェーベルンなどドイツ・オーストリアを中心に音楽史全般にわたる幅広いレパートリーを持つ。レコーディングも非常に数多い。 長野県南佐久郡臼田町(現:佐久市)生まれ。1972年(昭和47年)武蔵野音楽大学卒業後、3か月でドイツ語を学び、同年に奨学金でシュトゥットガルト音楽大学に留学。
森 進伍(もり しんご、1947年5月22日 - )は、日本… 森 進伍(もり しんご、1947年5月22日 - )は、日本のものまねタレント、歌手。本名は胡濱 勲(えびすはま いさお)。広島県高田郡甲立(現・安芸高田市)出身。森進一のモノマネで知られている。 1967年、17歳のとき、広島の生家から家出。東京・本郷の旅館の下働きをしながら歌の勉強を続ける。その後、ミシンや雑誌のセールスマンの傍ら、新宿で流しをする。 1970年に作曲家の勧めで、讀賣テレビ放送『全日本歌謡選手権』に出場、初代10週連続勝ち抜きグランドチャンピオンとなり、胡浜 三郎(えびすはま さぶろう)の芸名で歌手デビュー。東芝レコードより「女のまごころ」をリリースし、40万枚のヒットとなる。
藤原 誠(ふじわら まこと、1947年5月11日 - 没年不… 藤原 誠(ふじわら まこと、1947年5月11日 - 没年不明〈一説に2002年5月13日〉)は、日本の歌手。東京都府中出身。 東京都府中市に生まれる。小学校5年生よりフルートを習う。神奈川県立川崎高等学校時代にビッグバンドを組織。バンドの中心人物として活動を行っていたが、親の転勤により福岡県立小倉高等学校へ転校。 横浜国立大学工学部造船科へ進学。在学中には友人らと「KNACK」というバンド名でジャズ・ロックのコンボを組み、横須賀の米軍キャンプなどで演奏を行う。 1968年、グヤトーン全国ロックコンテスト優勝。翌年にはヤマハ・ライト・ミュージック・コンテストのロック部門で第2位を受賞。 学園紛争を逃れて大学4年生で中退。
柴 俊夫(しば としお、1947年4月27日 - )は、日本… 柴 俊夫(しば としお、1947年4月27日 - )は、日本の俳優・歌手・司会者。東京都台東区浅草[要出典]出身。身長180cm、体重74kg、血液型A型。本名と旧芸名 : 柴本 俊夫。ケイダッシュ所属[4]。
伊奈 かっぺい(いな かっぺい、本名:佐藤 元伸〈さとう も… 伊奈 かっぺい(いな かっぺい、本名:佐藤 元伸〈さとう もとのぶ〉、1947年〈昭和22年〉4月16日 - )は青森県を中心に活動するローカルタレント、パーソナリティ、ラジオ・CMディレクター、詩人、イラストレーター、シンガーソングライター。有限会社おふぃす・ぐう所属。 青森県弘前市出身。青森県立弘前南高等学校、青森短期大学商経科を卒業した。この間、演劇を志しNHK放送劇団に入団。短大卒業後、弘前市の陸奥新報社に入社するも、入社当日に整理部に配属され、午後6時出社を言い渡されて「そんなのやってらんねーや」と思い即日退職。1968年、青森放送に履歴書をレタリング文字で書き応募したのが目にとめられ、入社。
千 昌夫(せん まさお、本名:阿部 健太郎(あべ けんたろう… 千 昌夫(せん まさお、本名:阿部 健太郎(あべ けんたろう)、1947年4月8日 - )は、日本の演歌歌手、実業家。血液型はO型。
伊東 ゆかり(いとう ゆかり、1947年〈昭和22年〉4月6… 伊東 ゆかり(いとう ゆかり、1947年〈昭和22年〉4月6日 - )は、日本の歌手、女優。 本名:伊東 信子(いとう のぶこ)。 東京都品川区出身。父親は沖縄県出身。関東学園女子高等学校(現・関東国際高等学校)卒業中退。1960年代から1970年代に掛けて一世を風靡した和製ポップス歌手の一人。歌手として音楽番組への出演やコンサート活動のほか、女優業もおこなう。 幼少期から進駐軍キャンプで唄い始め、11歳のとき(1958年6月)「かたみの十字架/クワイ河マーチ(映画『戦場にかける橋』テーマソング」)でキングレコードより本格デビュー。 その後、一時芸能活動を休止するが、渡辺プロダクションに移籍し活動を再開。
中本 マリ(なかもと マリ、1947年〈昭和22年〉3月26… 中本 マリ(なかもと マリ、1947年〈昭和22年〉3月26日 - )は、日本のジャズ、フュージョン、ポピュラー歌手。 1947年3月26日宮城県仙台市に生まれる。3歳のときからピアノとクラシック・バレエを学び、10歳のときに東北児童合唱団に所属した。1962年、東邦音楽大学付属高校声楽科入学する。ワタナベプロ所属の4人組女性コーラスグループ「ザ・スカーレット」でプロ活動も始める。 1970年、ジャズ・ヴォーカルに転向し、赤坂の高級クラブ、「VIPA ROOM」で歌い始め、1973年アルバム『アンフォゲッタブル』でソロデビューする。スリー・ブラインド・マイス レーベルで3人目の女性ジャズシンガーだった。
梶 芽衣子(かじ めいこ、1947年3月24日 - )は、日… 梶 芽衣子(かじ めいこ、1947年3月24日 - )は、日本の女優・歌手。本名および旧芸名、太田 雅子(おおた まさこ)。 東京都千代田区神田出身。 幼い頃はシャイで人見知り。両親の勧めで中高時代はバスケットボール部に所属し、友人を作る楽しさ、グループの一員となる喜びを味わったという。八雲高校在学中に銀座でモデルにスカウトされる。その後、高橋圭三の事務所「圭三プロダクション」に所属し、高橋司会の『おのろけ夫婦合戦』(日本テレビ)でアシスタントを務めたことが切っ掛けで1965年、高校卒業と同時に日活に入社。同年に映画『悲しき別れの歌』で本名の太田雅子でデビューし、石原裕次郎・小林旭・松原智恵子・吉永小百合らが主演する映画で助演していた。
平野 レミ(ひらの レミ、1947年(昭和22年)3月21日… 平野 レミ(ひらの レミ、1947年(昭和22年)3月21日 - )は、日本の料理愛好家、タレント、シャンソン歌手。戸籍名:和田 レミ(わだ レミ、旧姓:平野)。父はフランス文学者の平野威馬雄。夫はイラストレーターの和田誠。長男はTRICERATOPSの和田唱。長男の妻は女優の上野樹里。次男の妻はモデルで食育インストラクターの和田明日香。祖父は日本美術史家で法律家のヘンリイ・パイク・ブイ。
湯原 昌幸(ゆはら まさゆき、1947年3月5日 - )は、… 湯原 昌幸(ゆはら まさゆき、1947年3月5日 - )は、日本の歌手、俳優、レポーター、司会者、パネラーなどをこなすマルチタレント。本名は桜井 昌幸。茨城県牛久市出身。日本大学鶴ヶ丘高等学校卒業、日本大学芸術学部放送学科中退。血液型B型。妻は、タレント・女優・歌手の荒木由美子。所属事務所はハブ・マーシー。 湯原は、母・吉の(よしの)と母子で生活していたため、荒木由美子は湯原との結婚と同時に芸能界から引退し専業主婦になり(1990年代まで主婦タレントとしてCMなどに出演することはあった)、母と同居することになる。結婚して2週間後、母が糖尿病からくる足にできた血栓のため入院。退院後は荒木による食事療法が始まったが、5年後の1988年、幼稚園児になっていた長男が、母の奇行を荒木に告げ、湯原の耳にも入る。
森本 和子(もりもと かずこ、1947年3月2日 - )は、… 森本 和子(もりもと かずこ、1947年3月2日 - )は、日本の歌手。愛媛県宇和島市出身。 作曲家・遠藤実に師事し、日本マーキュリーレコードから「三吉馬子唄」でデビュー。そのあとポップスに路線変更し、1965年に日本コロムビアから「素敵な彼氏」を発表。1970年に日本ビクターから発売したみなみらんぼう作詞作曲の「酔いどれ女の流れ歌」で名前が知られるようになった。 知人の紹介で大学を出たばかりのみなみと出会い、自分の曲がびっしり書いてあるノートを見せてもらった中で、森本が気に入った『酔いどれ女の流れ歌』を歌いたいと懇願し、レコード化が実現した。この曲が売れたことにより、森本の生活は一変したという。
古都 清乃(こと きよの 1947年2月27日 - )は、日… 古都 清乃(こと きよの 1947年2月27日 - )は、日本の演歌歌手である。1947年(昭和22年)栃木県で生まれるが、小学5年生のとき群馬県太田市の叔母の下に移る。県立太田女子高在学中に東京の歌謡学院の広告を見て、家出同然に上京。とあるソノシート専門のレコード会社で歌った歌がビクターレコード社に認められ、歌謡界入りを果たす。 和歌山県和歌山市の商店街・歓楽街である「ぶらくり丁商店街」を舞台とした「和歌山ブルース」は、カラオケブームに乗って大ヒットとなり、和歌山県での人気・知名度は特に根強い。この曲は発売から52年を迎えた2020年までに累計100万枚のミリオンセラーに近づく売り上げで、超ロングセラーとなっている。
井上 順(いのうえ じゅん、本名同じ、1947年〈昭和22年… 井上 順(いのうえ じゅん、本名同じ、1947年〈昭和22年〉2月21日 - )は、日本のタレント、歌手、俳優、コメディアン。東京都渋谷区生まれ・在住。一時は井上 順之(いのうえ じゅんじ)の芸名も使用していた。身長171cm。血液型はAB型。 東京都渋谷区の代々木公園前で馬場を営む家の3人兄弟の末子として生まれる。麻布龍土町で育った。祖父は日本で初めて競走馬を輸入し、富ヶ谷で「井上馬場」を経営していた。父は馬場専属の獣医師である。 父の影響もあり、幼少期は獣医に憧れていた。 渋谷区立大和田小学校、渋谷区立松濤中学校卒業。小学校の時分は映画が好きで、当時は保護者同伴の場合には小学生は無料であったため、父に相当する年齢の男性に付いて入館し、数多く鑑賞したという。
奥村 チヨ(おくむら チヨ、1947年〈昭和22年〉2月18… 奥村 チヨ(おくむら チヨ、1947年〈昭和22年〉2月18日 - )は、日本の元歌手。本名は金野 智代(こんの ちよ、旧姓・奥村)。夫は作曲家の浜圭介。女優の麻生祐未は姪にあたる。 千葉県野田市で生まれ、3歳から大阪府池田市で育つ。母親は山口県出身。夙川学院高等学校在学中に知人が応募したオーディションに合格し、1回限りで小野薬品のドリンク剤「リキ・ホルモ」のCMソング「昨日、今日、明日」を歌い好評を得て、卒業後の1965年(昭和40年)に東芝レコードから「あなたがいなくても / 私を愛して」でデビューする。和製シルヴィ・ヴァルタンとして売り出され、魅惑的で甘えた雰囲気の歌唱で注目を集める。 黛ジュン、小川知子と「東芝三人娘」を結成。
小牧 まり(こまき まり、1947年2月7日 - )は、日本… 小牧 まり(こまき まり、1947年2月7日 - )は、日本の歌手。 東京都出身。東京藝術大学声楽科卒業。カンツォーネを中心にポピュラーソングを歌い始める。 その後、NHK教育『なかよしリズム』にレギュラー出演。同時に、キングレコード専属となり、童謡を中心に『河村光陽童謡名曲集』『赤い鳥傑作集』などの作品をリリース。その他、TV・CM・舞台などにも出演。主な出演に、舞台『小さなエバ・歌のステージ』、ミュージカル『小さなエバ』『さすらいのジェニー』など。 この項目は、歌手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ芸能人)。
弘田 三枝子(ひろた みえこ、本名:竹永 三枝子〈たけなが … 弘田 三枝子(ひろた みえこ、本名:竹永 三枝子〈たけなが みえこ〉、1947年〈昭和22年〉2月5日 - 2020年〈令和2年〉7月21日)は、日本の歌手。愛称は、MICO(ミコ)、(パンチの)ミコちゃん。 歌唱力とパンチの効いた歌声で、洋楽をカバーした和製ポップスを歌ってヒットをさせ、和製R&B娘とも評された。後のミュージシャン(都はるみ、南沙織、大瀧詠一、山下達郎、竹内まりや、桑田佳祐ら)に多大な影響を与えた。 世田谷区立三宿小学校の生徒だった頃から劇団こまどりに入り、幼稚園の頃FENのラジオに魅せられて歌手になることを決意。母の協力のもと、7歳の頃から自らの意思でティーブ釜萢の「日本ジャズ学校」に週1回バスで通い、英語の発音の基礎からスパルタ教育を受け、8歳から進駐軍のキャンプで歌っていたともいい、駒沢学園女子中学校の1年生の頃からは本格的に進駐軍キャンプでポップスやジャズなどを歌っていた。
西郷 輝彦(さいごう てるひこ、1947年〈昭和22年〉2月… 西郷 輝彦(さいごう てるひこ、1947年〈昭和22年〉2月5日 - 2022年〈令和4年〉2月20日)は、日本の歌手、俳優。鹿児島県鹿児島郡谷山町(現:鹿児島市)出身。血液型はA型。 歌手としては、橋幸夫・舟木一夫と共に昭和歌謡の「御三家」の1人として人気を博した。芸名は維新の三傑の一人西郷隆盛にちなむ。 母親の実家は日向国飫肥藩の家老職の家柄で幼少の頃から芸事に傾倒し、小学生時代は剣舞や絵画を習ったり、近所の子供を集めては自身で作った紙芝居を披露したり、地元の慈眼寺公園でチャンバラごっこに明け暮れる少年だった。中学に入ると主としてスポーツに力を入れ、野球、テニス、バレーなど、あらゆるスポーツをそつなくこなす少年であった。
多田羅 迪夫(たたら みちお、1947年(昭和22年)2月1… 多田羅 迪夫(たたら みちお、1947年(昭和22年)2月1日 - )は、日本の声楽家(バリトン、バスバリトン)・オペラ歌手・公演監督・指揮者・音楽教育者。 香川県坂出市に生まれる。香川県立坂出高等学校卒業。1969年(昭和44年)東京藝術大学音楽学部声楽科卒業、1971年(昭和46年)同大学院修士課程音楽研究科(オペラ専攻)修了。同年、日本人による日本語の創作オペラを掲げた「こんにゃく座」の結成に加わり、1972年(昭和47年)まで所属。しかし「もっと発声の技術を磨きたい」との思いを募らせ、中山悌一の下で「一から勉強し直しました」という。1972年(昭和47年) - 1973年(昭和48年)尚美高等音楽院非常勤講師。
布谷 文夫(ぬのや・ふみお、1947年1月25日 - 201… 布谷 文夫(ぬのや・ふみお、1947年1月25日 - 2012年1月15日)は、日本のロックシンガー。ブルース・クリエイションやDEWといったバンドを経てソロとなった。 1947年1月25日、北海道函館市出身。専修大学経営学部在学中の1966年に友人と東京R&B5を結成し、音楽活動を始める。東京R&B5は翌年の1967年に解散するが、その後、大瀧詠一らと共に『タブー』というバンドを結成。 1968年にザ・ジャガーズの弟分バンドだったビッキーズに参加、『東京R&B天国』(東京12チャンネル)の「R&B天国アマチュアバンドコーナー」に出演して5週連続勝ち抜きを果たす。この番組の賞品がサーフボードであったが、本人はサーフィンをやらなかった為、人に譲渡したという。
伊東 きよ子(いとう きよこ、1947年1月24日 - )は… 伊東 きよ子(いとう きよこ、1947年1月24日 - )は、日本の歌手。北海道札幌市出身。1967年の『花と小父さん』(はなとおじさん)のヒットで知られる。 1964年、青山学院高等部を卒業後、宝塚音楽学校へ入学。 東宝のインターナショナル・ダンシング・チームのオーディションに合格し、6月にはミュージカル『ノー・ストリングス』にダンサーとして出演するがアキレス腱炎のため踊りを断念。宝塚音楽学校を退学する。 当時日本の若者の間で流行していたフォーク・ソングに注目、歌手への転身を決め、1965年12月19日に日本劇場で開催された『第一回フォークソングフェスティバル』で歌手としての初舞台を踏んだ。 翌1966年5月に来日したアメリカの人気グループ、ニュー・クリスティー・ミンストレルズ(英語版)のオーディションに合格、正式メンバーとなる。
堀 光一路(ほり こういちろ、1947年1月22日 - )は… 堀 光一路(ほり こういちろ、1947年1月22日 - )は、日本の元歌手・カスタムペインター。東京都新宿区百人町出身。 錦城学園高等学校卒業後は印刷関連の写真修正を行う会社に就職。この時に得たエアブラシの技術が後にカスタムペインターになるきっかけの一つとなる。同時期に歌手活動を開始。20代の頃は主にディスコや米軍キャンプでのバンド活動やヤマハポピュラーソングコンテストへの参加、そして全日本トライアル選手権などのモータースポーツにも参加する。また、歌手活動としては自身の音楽のジャンルとは違うが、CMソングや『無敵超人ザンボット3』の主題歌や『機動戦士ガンダム』の挿入歌などのアニメソングも歌っていた。
2代目浅野 梅若(あさの うめわか、1947年(昭和22年)… 2代目浅野 梅若(あさの うめわか、1947年(昭和22年)1月22日 - 、旧芸名および本名・浅野 和子(あさの かずこ))は、日本の民謡歌手。梅若流梅若会の2代目宗家。 秋田県由利郡下郷村(後に、由利郡東由利村、同郡東由利町を経て、現在は由利本荘市東由利下郷)生まれ。 1962年に初代梅若の内弟子入りし、浅野和子を名乗る。1973年より初代梅若の養女となり、芸名が本名となった。2008年に2代目梅若を襲名し、現在は、梅若流梅若会の現宗家。 昭和38年、初代浅野梅若に入門。昭和42年には、第18回民謡民踊全国大会で優勝。 昭和48年、初代梅若の養女となる。 昭和54年には、「浅野和子 秋田を唄う」をリリース。
S-KEN(エスケン、1947年1月17日 - )は、日本の… S-KEN(エスケン、1947年1月17日 - )は、日本の音楽プロデューサー、歌手、作家、レーベル&サウンドプロデューサー、イベントプロデューサー、DJ。 東京都大田区大森生まれ。本名 田中 唯士(たなか ただし)ワールドアパート取締役会長。 71年、作曲者としてポーランド音楽祭に参加。世界放浪後、音楽雑誌の編集者として75年ヤマハ音楽振興会の海外特派員として渡米。ニューヨークに滞在中、CBGBなどのニューヨークパンクロックシーンに刺激を受けて東京に帰国後、伝説のパンクムーブメント『東京ロッカーズ』を牽引。アーティストとしてはデビュー·アルバム『魔都』(81年)、セカンドアルバム『ギャングバスターズ』 (83年)を経て、パンク、ファンク、ブガルー、レゲエなどをハイブリッドさせた自身のバンドs-ken & hot bombomsを結成、80年代のクラブシーンを代表するエポックなイベント『Tokyo Soy Source』に参加しつつ4枚のアルバムを発表。
遠藤 賢司(えんどう けんじ、1947年1月13日 - 20… 遠藤 賢司(えんどう けんじ、1947年1月13日 - 2017年10月25日)は、茨城県ひたちなか市出身のシンガーソングライター・ミュージシャン。自称「純音楽家」。愛称は「エンケン」。 主に扱う楽器はアコースティックギター、エレクトリックギター、ブルースハープ。ほかにも、ウクレレ、ピアノ、ドラムなどの楽器を演奏する。自身のほぼ全ての楽曲の作詞、作曲も手がける。 『guts』1969年11月25日号の「ビッグ・アンケート '70フォークはどうなる?」という特集で、エイプリル・フール時代の細野晴臣が、アンケート1「あなたは1970年のフォーク・ソングがどうなると思いますか?」という質問に対して「ロックの影響を大きく受けたフォークが出てくるのではないか。
高田 美和(たかだ みわ、1947年〈昭和22年〉1月5日 … 高田 美和(たかだ みわ、1947年〈昭和22年〉1月5日 - )は、日本の女優、歌手。京都府京都市出身。オフィス天童所属。 本名:梶浦 美知子(かじうら みちこ)。血液型はA型。父は往年の時代劇スター・高田浩吉。俳優の大浦龍宇一は甥にあたる。日本大学鶴ヶ丘高等学校卒業。 同志社女子中学校卒業後、京都女子高校に入学。その後、日本大学鶴ヶ丘高等学校に転校。高校1年生だった1962年、大映に入社し、同年三隅研次監督『青葉城の鬼』でデビュー。以後、『座頭市兇状旅』『舞妓と暗殺者』『大魔神』『眠狂四郎勝負』などの時代劇で可憐な娘役として活躍する一方、『高校三年生』『青いくちづけ』『十七才は一度だけ』『わが愛を星に祈りて』『限りある日を愛に生きて』などの映画にも清楚な現代娘の役で多数主演。
ケイコ・ボルジェソン(keiko borjeson、1947… ケイコ・ボルジェソン(keiko borjeson、1947年 - )は東京出身、スウェーデン在住のジャズピアニスト、ヴォーカリスト。夫はバイオリニストのホーカン・ボルジェソン。 1947年、東京、麻布生まれ。東洋英和女学院、桐朋学園大学ピアノ科卒業。安川加寿子に師事。1973年、室内音楽を学ぶため、イタリアへ留学。1976年、アメリカのハリーフィールド・ミュージックスクールにおいてポピュラージャズ、ボーカルを専攻。1984年、中国遼寧大学客員教授、中国瀋陽音楽院大学客員教授。 1989年、「モントレー・ジャズフェスティバル」出場。1990年、ホワイトハウスより招待(アメリカン・ヘリテイジ・デー)を受ける。
小宮 圭子(こみや けいこ、1947年(昭和22年) - )… 小宮 圭子(こみや けいこ、1947年(昭和22年) - )は、日本のソプラノ歌手。四国二期会正会員。元徳島文理大学音楽学部非常勤講師。武蔵野音楽大学音楽学部卒業。徳島県阿波市出身。 徳島県阿波市出身。徳島県立阿波高等学校卒業。高校卒業後は武蔵野音楽大学音楽学部声楽コースに進学し、大学を卒業後は四国二期会に所属した。 四国二期会では1996年(平成8年)の「カルメン」と「フィガロの結婚」、1997年(平成9年)の「魔笛」でそれぞれ音楽監督を務め、「カヴァレリア・ルスティカーナ」のサントゥッツァ役などでオペラに出演した。 また徳島文理大学音楽学部非常勤講師や徳島県立名西高等学校芸術科講師などを務めたほか、徳島県内で日本クラシック音楽コンクール等の審査員や合唱団の指導を務めた。
草下 實(くさか みのる、1947年 - )は、日本のテノー… 草下 實(くさか みのる、1947年 - )は、日本のテノール歌手。鳴門教育大学名誉教授。姫路大学教育学部特任教授。東京芸術大学音楽学部声楽科卒業。
神谷 幸一(かみや こういち、1947年 - )は、日本の沖… 神谷 幸一(かみや こういち、1947年 - )は、日本の沖縄県出身の沖縄民謡歌手、三線奏者。琉球國民謡協会会長。沖縄市・コザで民謡酒場「花ぬ島」を主宰し、沖縄民謡の普及・後進育成に取り組んでいる。 1947年、沖縄県うるま市に生まれる。10代の頃から独学で三線を始め、高校時代にはアマチュア民謡大会で第3位に入賞した。その後、亀谷朝仁に師事し、本格的に沖縄民謡を学んだ。 1960年代から歌手活動を続け、沖縄民謡を中心とした舞台・ラジオ・イベントへ出演。コザに民謡酒場「花ぬ島」を開き、県内外の演奏家や愛好家が集う拠点として活動している。 また、神谷幸一民謡研究所および黄金島うた謡会を主宰し、後進の育成を行うとともに、琉球國民謡協会会長として沖縄民謡の保存・継承活動にも携わっている。
広瀬 敏郎(ひろせ としろう、1947年-)は、日本の歌手で… 広瀬 敏郎(ひろせ としろう、1947年-)は、日本の歌手である。主にシャンソン、カンツォーネを歌う。 兵庫県印南郡志方町(現・加古川市)出身。志方町立志方中学校、兵庫県立加古川東高等学校卒業後、歌手を志し18歳で上京。声楽を立川清登に師事、シャンソンを石井好子、深緑夏代に学ぶ。 1972年、日本シャンソンコンクール第3位入賞、1973年、カンツォーネコンクール第3位入賞。 現在は東京を拠点に、コンサート、ライブハウスへの出演を精力的にこなしている。また2度のパリ公演のほか、毎年7月のNHKホールでのパリ祭出演など、フランス関係の行事にも多数出演。後進の指導にも携わっている。これまでに5枚のCDアルバムを発表。
小林 啓子(こばやし けいこ、1946年12月10日 - )… 小林 啓子(こばやし けいこ、1946年12月10日 - )は、日本のフォーク歌手、ラジオパーソナリティ。 東京都生まれ。作家の小林信彦は従兄弟。 聖心女子学院初等科・中等科・高等科を卒業後、聖心女子学院英語専攻科在学中からプロ活動を開始。1968年(昭和43年)、TBSラジオ・MBSラジオ『雪印 チーズパーティーNo.1』のテーマソング『ふとした時に』(作詞・井上頌一/作曲・吉村英世)を、石岡宏とデュエットで発表。 1969年、キングレコードより『こわれた愛のかけら』でデビュー。同年結成されたNHKのヤング101に第一期生として加入して、NHK総合テレビジョンの音楽番組『ステージ101』に1970年1月10日の第一回放送から出演した。
佐々木 新一(ささき しんいち、1946年12月3日 - 2… 佐々木 新一(ささき しんいち、1946年12月3日 - 2022年5月12日)は、日本の演歌歌手である。本名:佐々木 新市。既婚。 青森県南津軽郡藤崎町出身。 1946年(昭和21年)12月3日、母は津軽民謡の二代目・津軽家すわ子、父は津軽三味線演奏者の佐々木繁月という民謡一家に生まれる。 1963年(昭和38年)、青森市立第一高校2年生の時に上京、作曲家の桜田誠一の門下生となる。 1965年(昭和40年)5月、キングレコードより『若さの世界』でデビュー。当時のニックネームは“ニューワン”。 1966年(昭和41年)1月リリースの『あの娘たずねて』が大ヒット、ミリオンセラーとなる。 2012年、同じキングレコード所属歌手の鏡五郎、池田輝郎とともに、平均年齢64.7歳のユニット"佐田鏡五一郎"(さだかがみ ごいちろう)を結成。
倍賞 美津子(ばいしょう みつこ、1946年〈昭和21年〉1… 倍賞 美津子(ばいしょう みつこ、1946年〈昭和21年〉11月22日 - )は、日本の女優・歌手。茨城県出身。事務所はロータス・ルーツ。 5人兄弟姉妹の三女(姉2人と兄と弟がいる4番目)として誕生する。疎開先の茨城県で生まれ、4歳のとき、東京都北区滝野川に戻り、北区立紅葉中学校卒業後、1962年に松竹音楽舞踊学校に入学した。小学校と中学校の同級生に落語家の三代目柳家権太楼がいる。[要出典] 1965年3月、松竹音楽舞踊学校を卒業。同年、松竹歌劇団に第18期生として入団。学校生時代の舞台実習を経て、同年、グランドレビュー「東京踊り」でデビュー。同年、SKD新人賞と奨励賞を受賞した。浅草国際劇場を中心に歌とダンスで活動を始め、舞台ではジリオラ・チンクェッティの「ナポリは恋人」やフランス・ギャルの「夢見るシャンソン人形」を歌った。
有田 弘二(ありた こうじ、本名:伊藤 浩二。1946年11… 有田 弘二(ありた こうじ、本名:伊藤 浩二。1946年11月22日 - 2020年11月9日)は、愛知県名古屋市出身の日本の歌手である。 室内装飾デザイナーを志し上京するも、名付け親でもあるコメディアン藤村有弘の付き人となった。1964年暮れには和田香苗に師事し、翌年の1965年6月「孤独の太陽」でデビューした。この曲は大ヒットを飛ばし、低音ムードの歌唱が注目され、日本コロムビアの売れっ子歌手として活躍した。 2020年11月9日に死去。74歳没。[要出典] 梶光夫・安達明・有田弘二 青春歌謡のスターがCD-BOXで復活 http://shop.columbia.jp/shop/picup/seisyun_star.aspx