福島 資剛(ふくしま もとたけ、1944年7月21日 - )… 福島 資剛(ふくしま もとたけ、1944年7月21日 - )は、日本の元俳優である。 長野県松本市出身。明治大学卒業。 大学在学中にアルバイトを兼ねて劇団民芸に大道具係として入団。その後、俳優を志すようになり劇団青俳に移籍する。 1972年、青俳同期であり親友でもあった戸野広浩司の事故死に伴い『快傑ライオン丸』のタイガージョー / 虎錠之介役の依頼を受けたものの一度は辞退。最終的に同期生で戸野広と親交が深かった俳優・狭間鉄の勧めを受ける形で演じることを承諾し、第42話「殺しの流れ者 キルゴッド」より虎錠之介役で出演する。しかし乗馬が得意だった戸野広と違い福島は全く馬に乗れなかったため、福島に交替後の錠之介は乗馬のシーンが無くなった。
丸岡 奨詞(まるおか しょうじ、1944年7月19日 - )… 丸岡 奨詞(まるおか しょうじ、1944年7月19日 - )は、日本の俳優。本名、丸岡 将一郎(まるおか しょういちろう)。円企画所属。 東京都出身。日本大学藝術学部中退。 1966年、東宝演劇部に入り俳優として活動を開始する。翌年には現代演劇協会附属演劇学校に入学。その後、劇団雲の座員に昇格する。1975年、演劇集団 円の創立に参加。後進の育成にも携わり、仲谷昇の死去後は、円の俳優養成機関である、円・演劇研究所の所長に就任している。 1973年、本名の「丸岡 将一郎」名義で『ジャンボーグA』(毎日放送)にレギュラー出演し、以降もテレビドラマ・映画で主に脇役として多数の作品に出演。2時間ドラマへの出演は多数にのぼる。
大田黒 武生(おおたぐろ たけお、1944年6月27日 - … 大田黒 武生(おおたぐろ たけお、1944年6月27日 - )は、日本の俳優、声優。東京都世田谷区出身。劇団ぐるうぷ観覧車所属。1969年から1983年まで劇団NLTに所属していた。LSラブサウンド湘南代表。 身長172cm。体重53kg。別名は太田黒 武生。 藤沢市立湘洋中学校、神奈川県立茅ヶ崎高等学校、日本大学芸術学部演劇学科卒業。 日本新劇俳優協会、日本音楽著作家連合、さかき作詞作曲研究会会員。 1983年から1996年まで株式会社「広宣」で勤務。1998年より「TF株式会社」へ入社。
三田村 周三(みたむら しゅうぞう、1944年6月15日 -… 三田村 周三(みたむら しゅうぞう、1944年6月15日 - )は、北海道出身の俳優。 劇団三田村組主宰。バウスプリット株式会社所属。 北海道札幌南高等学校、舞台芸術学院卒業。劇団地球座を経て、1971年に劇作家・金杉忠男と出会い、金杉が率いる劇団中村座に入団。以降、1990年の同劇団解散まで全ての作品に出演する。現在も主に舞台を中心に活動する一方、映画やテレビドラマなどにも度々出演している。 舞台では自身の劇団の他、MODEや星屑の会などに中心俳優として客演。テレビドラマではフジテレビ系『イマジン』で、主演の深田恭子の隣に住むおじさん役を演じ、毎回数分の出演ながら強い印象を残した。
平泉 成(ひらいずみ せい、1944年〈昭和19年〉6月2日… 平泉 成(ひらいずみ せい、1944年〈昭和19年〉6月2日 - )は、日本の俳優、ナレーター。本名及び旧芸名、平泉 征七郎(ひらいずみ せいしちろう)。一時期の芸名は、平泉 征(ひらいずみ せい)。愛称は、成さん。 愛知県額田郡宮崎村(後の額田町、現・岡崎市)出身。額田町立宮崎小学校、額田町立宮崎中学校、愛知県立岡崎商業高等学校卒業。アミ企画、新倉事務所、北川事務所、ライトハウスを経て、グリーンランド所属。 父は炭焼き職人、母は助産婦。高校卒業後、名古屋市内のホテルにベルボーイとして勤務。ホテル勤務時代の先輩の紹介で、市川雷蔵と知り合う。1964年、市川の紹介で大映京都第4期ニューフェイスに27人の1人として選ばれる。
マイク眞木(マイク まき、1944年4月27日 - )は、日… マイク眞木(マイク まき、1944年4月27日 - )は、日本の俳優、フォーク歌手。本名、眞木 壮一郎 (まき そういちろう)。真木と表記される場合もあるが、正確には眞木である。日本大学藝術学部放送学科卒業。東京都出身。
鵜澤 秀行(うざわ ひでゆき、本名:鵜沢 秀行、1944年4… 鵜澤 秀行(うざわ ひでゆき、本名:鵜沢 秀行、1944年4月27日 - )は文学座所属の俳優。東京都出身。身長168cm、体重75kg。日本大学卒業。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
マイク眞木(マイク まき、1944年4月27日 - )は、日… マイク眞木(マイク まき、1944年4月27日 - )は、日本の俳優、フォーク歌手。本名は眞木 壮一郎(まき そういちろう)。活動の初期においてはマイク真木とする表記を用いていたが、後には眞木と改めた。日本大学藝術学部放送学科卒業。東京都港区赤坂出身。身長170cm。 少年期から音楽に熱中しており、中学生の頃には地元のクラブに演奏に来ていたザ・ドリフターズのファンであったことを後年、『ドリフ大爆笑』(144回、1992年)の「雷様コント」にゲスト出演した際に語っている。 また、舞台美術家の父の影響もあり、幼い頃から模型作りが好きで、部屋中には模型やプラモデルだらけだった。高校3年生の頃には自宅近所のTBSの美術部で特撮のアルバイトをしていたこともある。
倉石 一旺(くらいし かずお、1944年4月19日 - )は… 倉石 一旺(くらいし かずお、1944年4月19日 - )は、日本の俳優、声優。本名及び旧芸名:倉石 和旺。 長野県出身。長野県長野高等学校卒。劇団俳優座養成所第15期生(同期は地井武男、夏八木勲、林隆三、前田吟、村井国夫、竜崎勝)。劇団雲、さち子プロ、村上事務所、東京俳優生活協同組合に所属していた。
松田 章(まつだ あきら、1944年4月19日 - )は、日… 松田 章(まつだ あきら、1944年4月19日 - )は、日本の男性俳優。旧芸名は松田 章生。宮崎県出身。日本大学芸術学部卒業。身長166cm、体重72kg。夢工房所属。
成川 哲夫(なりかわ てつお、1944年4月15日 - 20… 成川 哲夫(なりかわ てつお、1944年4月15日 - 2010年1月1日)は、日本の元俳優。国際空手道連盟玄制流成道会前会長(創師)。本名同じ。別名伍代 勝也、伍代 達弘。妻は元女優で、成道会会長の成川昭子(旧姓:関口)。 東京都千代田区飯田橋出身。法政大学第二高等学校卒業、法政大学経済学部中退。 父親は不二家の調理部で、フランス料理のコック長であった。1歳のころに東京都日野市に引っ越すが、父親の通勤に不便なため、小学4年時に狛江市に転居。 法政大学在学中より東映演技研修所に入り、1967年3月、『悪魔くん』(NET)第22話ほか数本の作品にテスト出演。同年、第8期東宝ニュータレントに合格し、数本の舞台出演を経て1968年放送の『東京バイパス指令』(日本テレビ)で正式にデビューした。
原田 大二郎(はらだ だいじろう、1944年〈昭和19年〉4… 原田 大二郎(はらだ だいじろう、1944年〈昭和19年〉4月5日 - )は、日本の俳優。本名同じ。 神奈川県横浜市生まれ、山口県育ち。明治大学法学部卒業。文学座出身。プロデューサープレイヤー、舞プロモーションを経て、個人事務所ロビンフッド・アーチスツを設立。俳優・歌手の高橋元太郎の所属事務所アネモイエンタテインメントに所属(メンバー)している。 2001年から2010年までは明治大学特別招聘()教授として朗読を指導していた。妻は英文学者で第5代東洋学園大学元学長の原田規梭子。女優で元AKB48の岩田華怜は大姪(姉の孫)。 横浜で生まれ。2歳のとき、山口県に住む伯父の養子となる。上関町八島、田布施町城南(現在・宿井)、平生町佐賀、光市脇田(現在・光井4丁目)などに居住した。
倉石 功(くらいし いさお、1944年4月1日 - )は、日… 倉石 功(くらいし いさお、1944年4月1日 - )は、日本の俳優。長野県長野市出身。日本大学芸術学部中退。所属事務所は手力プロダクション。長男はファッションデザイナーの倉石一樹。 長野中央高等学校(現在の長野日本大学中学・高等学校)在学中の1961年、ミスター平凡コンテストに応募しグランプリを獲得。その後、大映に第16期ニューフェイスとして入社。1963年の映画『停年退職』でデビュー。その後『高校三年生』などで主演。1965年より大映テレビ室製作のテレビドラマ『東京警備指令 ザ・ガードマン』にメンバー最年少の杉井隊員役でレギュラー出演した。 1969年、大映を退社し劇団欅に入団。1974年に、『ザ・ガードマン』の共演者だった宇津井健の仲立ちにより老舗料亭「土筆亭(つくしてい)」の令嬢:吉田秀子と交際期間半年で結婚。
石田 太郎(いしだ たろう、本名:石田 弦太郎(いしだ げん… 石田 太郎(いしだ たろう、本名:石田 弦太郎(いしだ げんたろう)。1944年3月16日 - 2013年9月21日)は、日本の男性俳優、声優、僧侶。別名義として本名のほか、石田 絃太郎(いしだ げんたろう)を1980年代の一時期に使用していた。京都府京都市出身。 父は俳優の石田茂樹。妻は女優の立花房子。 上智大学外国語学部イスパニア語学科中退。 劇団雲、劇団昴、野間事務所、オフィスPSCなどを経て、最後はグランパパプロダクションに所属していた。 浄土真宗本願寺派の僧侶でもあり、石川県金沢市乗敬寺の住職も務めた。 2013年9月21日午後1時頃、フジテレビ系で放送された連続ドラマ『独身貴族』第1話の収録において、神奈川県相模原市緑区の城山スタジオにて水着姿でプールに入っての撮影後、突然意識を失って倒れた。
十五代目 片岡 仁左衛門(じゅうごだいめ かたおか にざえも… 十五代目 片岡 仁左衛門(じゅうごだいめ かたおか にざえもん 1944年3月14日 - )は、歌舞伎役者、俳優。屋号は松嶋屋。定紋は七つ割丸に二引、替紋は追っかけ五枚銀杏。歌舞伎名跡「片岡仁左衛門」の当代。
前田 吟(まえだ ぎん、1944年(昭和19年)2月21日 … 前田 吟(まえだ ぎん、1944年(昭和19年)2月21日 - )は、日本の俳優。本名及び旧芸名は前田 信明(まえだ のぶあき)(出生時の姓は不明。詳しくは後述)。ティー・アーティスト所属。次男(前妻の連れ子)は俳優の前田淳、四男は競技ダンス選手の前田亨。 1963年4月、劇団俳優座養成所15期生となる。同期に地井武男、原田芳雄、夏八木勲、小野武彦、村井国夫、林隆三、高橋長英、秋野太作、浜畑賢吉、竜崎勝、栗原小巻、太地喜和子、赤座美代子、三田和代ら、錚々たるメンバーが並ぶ、花の15期の一人であった。 1964年、『判決』第1シリーズ・第105話「沖縄の子」(NET)で、本名の前田信明で芸能活動を始めた。
竹脇 無我(たけわき むが、1944年2月17日 - 201… 竹脇 無我(たけわき むが、1944年2月17日 - 2011年8月21日)は、日本の俳優。本名同じ。
清水 綋治(しみず こうじ、1944年〈昭和19年〉2月11… 清水 綋治(しみず こうじ、1944年〈昭和19年〉2月11日 - )は、日本の俳優。京都府京都市左京区出身。活動屋所属。元妻は女優の大谷直子。娘は女優の華子。 実家は東映の京都撮影所や松竹の京都撮影所のある太秦、父は映画プロデューサーという環境で育ち、少年時代から映画などに出演。 京都府立嵯峨野高等学校を卒業後、俳優座養成所の第14期生となる。同期は串田和美、吉田日出子、佐藤信、樋浦勉、原田芳雄、新橋耐子、有川博、辻萬長など。 文学座の研究生を経て1966年夏に「劇団自由劇場」を串田、吉田、佐藤ら14名と共に旗揚げ。その後、佐藤と黒色テント68/71(現・黒テント)の設立にも関わるなど、いわゆるアングラ演劇で活躍。
辻 萬長(つじ かずなが、1944年〈昭和19年〉2月9日 … 辻 萬長(つじ かずなが、1944年〈昭和19年〉2月9日 - 2021年〈令和3年〉8月18日)は、日本の俳優、声優。本名同じ。名の読みは「かずなが」だが、俳優仲間から「ばんちょうさん」と呼ばれ、自己紹介でも時折「ばんちょう」と名乗っていた。 佐賀県佐賀市神野町出身。佐賀県立佐賀高等学校卒業。テコジャパンエージェンシー、おぎいくこ事務所、こまつ座を経て、ワタナベエンターテインメント所属。 豆腐屋を営む両親のもとに長男として生まれる。 高校の演劇部では舞台装置の図面を書くなど裏方として活動していたが、徐々に演じる方にも興味を持ち、役者としても出演するようになる。 1962年、高校卒業。同年、劇団俳優座付属俳優養成所に14期生として入所(同期には佐藤信、串田和美、吉田日出子、清水綋治、新橋耐子、有川博がいる)。
黒沢 年雄(くろさわ としお、1944年〈昭和19年〉2月4… 黒沢 年雄(くろさわ としお、1944年〈昭和19年〉2月4日 - )は、日本の俳優・歌手・タレント。本名・旧芸名(2000年に改名)、黒沢 年男(読み同じ)。株式会社プロダクション・クロ代表取締役。弟は黒沢博(寺内タケシとバニーズ&ヒロシ&キーボー元メンバー)。妻は街田リーヌ(本名・街子、旧姓・宮崎)、娘は元女優の黒沢レイラ(旧芸名・三井万裕美、本名・裕美)。 神奈川県横浜市西区出身。日本大学高等学校中退。 父はボイラー技士。四人兄弟の長男(博は三男)。 小学生の頃に好きだった巨人の選手(川上哲治、青田昇ら)に憧れて野球選手になると決心して野球を始め、日本大学横浜学園(日本大学中学校)進学後も高校生時代まで野球部に所属。
黒沢 年雄(くろさわ としお、1944年2月4日 - )は、… 黒沢 年雄(くろさわ としお、1944年2月4日 - )は、日本の俳優・歌手。本名・旧芸名(2000年に改名)、黒沢 年男(読み同じ)。株式会社プロダクション・クロ代表取締役。神奈川県横浜市西区出身。日本大学高等学校中退。弟はくろさわ博(元ヒロシ&キーボー)。妻は街田リーヌ(本名・街子、旧姓・宮崎)、娘は黒沢レイラ(旧芸名・三井万裕美、本名・裕美)。
井上 茂(いのうえ しげる、1944年2月2日 - )は、日… 井上 茂(いのうえ しげる、1944年2月2日 - )は、日本の俳優、演出家、殺陣師。大阪府出身。表現集団・茂組代表。元:ピラニア軍団。兄はタレントのゆうき哲也。 興國商業高校卒業後の1963年に原健策に弟子入りし、翌年に東映京都テレビプロダクションに入社。10年間所属した後、東京に進出し田村企画に所属。川谷拓三の影響でピラニア軍団に入団。その後は京都に戻る。2004年に表現集団・茂組を結成。
和田 浩治(わだ こうじ、1944年1月28日 - 1986… 和田 浩治(わだ こうじ、1944年1月28日 - 1986年7月6日)は、1960年代から1980年代前半にかけて活躍した日本の俳優。本名、和田 愷夫(ひでお)。ホリプロに所属していた。 茨城県水戸市に、ジャズピアニスト・和田肇 の次男として生まれる。東洋音楽学校声楽科在学中の1959年、当時人気の石原裕次郎に似ていることからスカウトされ、日活に入社し、同年の『無言の乱斗』に主演し、映画デビューする。 翌1960年から、石原裕次郎(タフガイ)、小林旭(マイトガイ)、赤木圭一郎(クールガイ)とともに「ダイヤモンドライン」を結成。(やんちゃガイ)と称され、「愚連隊シリーズ」や「小僧シリーズ」に次々と主演する。
江守 徹(えもり とおる、本名:加藤 徹夫〈かとう てつお〉… 江守 徹(えもり とおる、本名:加藤 徹夫〈かとう てつお〉、1944年〈昭和19年〉1月25日 - )は、日本の俳優、声優、タレント、ナレーター、劇作家、演出家、翻訳家。文学座所属。身長171cm、体重75kg。血液型はA型。 芸名は、フランスの俳優・劇作家モリエールから。文学座に入所当時、文学座では同じ苗字を持つ二人の俳優がすでに演劇界に知られており(加藤和夫、加藤武)、加藤姓が多いため自身で芸名を考えたところ、はじめ「もりえるい」という芸名を思いついたが安直なため却下し、文字を分解した「えもり」、かつ本名の「徹」の字が入る「えもりとおる(江守徹)」という芸名をそのまま名乗ることにしたのが由来である。
片岡 五郎(かたおか ごろう、1944年1月24日 - 20… 片岡 五郎(かたおか ごろう、1944年1月24日 - 2025年12月30日)は、日本の俳優・タレント。本名は品川 光雄(しながわ みつお)。旧姓及び旧芸名は片岡 光雄(かたおか みつお)。妻は美容家のマダム路子、義理の息子にお笑いコンビ・品川庄司の品川祐がいる。 法政大学卒業。俳優座養成所の第15期生で、大学時代から『青春とはなんだ』などの青春ドラマで活躍。 1970年代から1990年代にかけてはその強面とドスの聞いた声から悪役としてもブレイク。時代劇の悪代官や刑事ドラマの凶悪犯などで出演している。1980年代前半は日活ロマンポルノ作品にも度々出演した。当初『太陽にほえろ!』には山東昭子と共にセミレギュラーとして出演予定であったが、山東が議員になったことでセミレギュラーとしてではなく、後に犯人役などで同番組に出演することになった。
荒木 一郎(あらき いちろう、1944年1月8日 - )は、… 荒木 一郎(あらき いちろう、1944年1月8日 - )は、日本の俳優、歌手、音楽プロデューサー、実業家、小説家、マジック評論家、カードマジック研究家。
古谷 一行(ふるや いっこう、1944年〈昭和19年〉1月2… 古谷 一行(ふるや いっこう、1944年〈昭和19年〉1月2日 - 2022年〈令和4年〉8月23日)は、日本の俳優、歌手。本名:古谷 一行(ふるや かずゆき)。フロム・ファーストプロダクション所属。 1970年代から2000年代にかけて、数多くのサスペンスドラマで主演を務め、人気を博した。 東京都出身。大塚の写真館の長男。東京都立板橋高等学校を経て、弁護士を目指して、中央大学法学部卒業。 大学在学中、俳優座養成所第16期を経て俳優生活を開始。 1977年からの『横溝正史シリーズ・名探偵金田一耕助シリーズ』などでの主人公・金田一耕助役を一貫して演じ、当たり役となる(2019年12月21日には、NEWSの加藤シゲアキが金田一耕助を演じる『悪魔の手毬唄〜金田一耕助、ふたたび〜』に磯川常次郎警部役で出演し、加藤と古谷の新旧金田一役俳優の共演が実現。
国分 二郎(こくぶ じろう、1944年 - 1983年)は、… 国分 二郎(こくぶ じろう、1944年 - 1983年)は、日本の俳優である。本名は森 達也(もり たつや)。初期には本名あるいは森 竜也(もり たつや)の表記でもクレジットされた。 第二次世界大戦の末期である1944年(昭和19年)、静岡県三島市に生まれる。本名は「森達也」であるが、映画作家の森達也(1956年 - )とは生年も出生地も異なり、別人である。 1960年(昭和35年)前後、千葉県習志野市の東邦大学付属東邦高等学校に進学するも、やがて同校を中途退学し、東京都渋谷区千駄ヶ谷の日本デザインスクールに籍を置き、インテリアデザインを学ぶ。俳優を志して「グループ虹の会」に入会し、演劇の芝居稽古に参加した。
仲野 文梧(なかの ぶんご、1943年12月18日 - )は… 仲野 文梧(なかの ぶんご、1943年12月18日 - )は、日本の俳優、声優、ソングライター、歌手である。早稲田大学教育学部英語英文学科卒。1963年に劇団「民藝」入団、1970年退団。現在、有限会社グルー所属の俳優である。音楽事務所はサニープラニング。 東京都出身。早稲田大学教育学部英語英文学科卒。1963年に劇団「民藝」に入り、1970年退団。現在、有限会社グルー所属の俳優。 作詞家、作曲家として、ジュディ・オング、郷ひろみ等にも作品を提供。音楽事務所はサニープラニング。 デュエット曲「東中野は初恋の街」は、自身の作詞・作曲で、女優の山口いづ世(女優の斎藤こず恵(NHK朝のドラマ「鳩子の海」主役)の母)とデュエットで歌っている。
清水 幹生(しみず みきお、1943年12月14日 - )は… 清水 幹生(しみず みきお、1943年12月14日 - )は、日本の俳優。兵庫県出身。文学座所属。玉川大学卒。 身長175cm。体重65kg。 旧芸名は清水 幹雄。
松川 勉(まつかわ つとむ、1943年12月12日 - )は… 松川 勉(まつかわ つとむ、1943年12月12日 - )は、日本の元俳優。本名同じ。 東京都出身。身長172cm、体重62kg。慶應義塾大学法学部法律学科卒業。オフィスC&Pに所属していた。 高校時代よりアルバイトでモデルとして活動。1962年、松竹の社員にスカウトされ、1963年公開の松竹映画『歌え若人達』で主演デビュー。大学3年時に正式に芸能界入りを決意して俳優座養成所に第16期生として入る。 1967年の養成所卒業後は、作家の三島由紀夫率いる浪曼劇場に所属し、『三原色』で初舞台。舞台公演以外にも、数々の映画、テレビドラマで活躍した。 テレビドラマでは、1967年の『文五捕物絵図』(NHK)で文五の配下となって協力する大工の三次役でレギュラー出演。
青山 良彦(あおやま よしひこ、本名同じ、1943年12月7… 青山 良彦(あおやま よしひこ、本名同じ、1943年12月7日 - )は、東京都出身の俳優。 東京都千代田区神田須田町出身。学習院初等科、中等科、高等科第2学年終了後の1962年に大映演技研究所に16期として入り、大映からニューフェイスとしてデビュー。1964年、TBSのドラマ『父子鷹』(国際放映制作)に出演した後、同年『十七才は一度だけ』より大映にて本格デビュー。その後大映を経て、プランニング・メイに所属。 なお、近衞甯子(甯子内親王)、久邇朝宏(久邇宮)は学習院初等科時代の同級生。 『泥棒番付』(1966年)で勝新太郎と共演して以来、2年間ほど半ば押しかけのように、付き人のような感じで勝に付き、以後勝のことを「オヤジ」と呼ぶほどの濃い付き合いが続いていたという。
車 だん吉(くるま だんきち、1943年12月6日 - )は… 車 だん吉(くるま だんきち、1943年12月6日 - )は、日本のタレント・俳優・漫画家。本名:白沢 力(しらさわ つとむ)。浅井企画所属。愛称は、だんちゃん。 東京都、現在の江東区生まれ、千葉県佐倉市在住。立正大学経済学部卒業。身長177cm。 1966年3月、大学卒業後に左とん平に弟子入りしたところ、左に浅井企画を紹介され、事務員として入社。萩本欽一が主宰していた劇団・東京新喜劇の劇団員だったいわたがん太(のちに岩がん太→岩だん吉と改名)とコンビを組むことになり、芸人に転身した。コント55号の弟分として「コント0番地」を名乗っていた。当時の芸名はたんくだん吉で、はかま満緒の命名による。これは「顔がマンガみたいだから」との理由で、『タンクタンクロー』と『冒険ダン吉』からのもじりである。
太地 喜和子(たいち きわこ、1943年12月2日 - 19… 太地 喜和子(たいち きわこ、1943年12月2日 - 1992年10月13日)は、日本の俳優。旧芸名は志村 妙子(しむら たえこ)。東京都中野区出身。本名は同じ表記で、読みは「たいじ きわこ」。 父親は和歌山県新宮市の出身。父は東京都の土木局に勤務していた。太地は自身の出生について「自分はさる事情から、生後すぐ実母との別離を余儀なくされ、養父母の元に引き取られたと高校在学中に知った」と談話している。 新宿区立牛込仲之小学校、千代田女学園中学校卒。松蔭高等学校在学中の1959年に、東映ニューフェイスの第6期に合格。同期には千葉真一・亀石征一郎・真山知子・茅島成美・新井茂子・都築克子らがいる。東映と専属契約し、当初は志村 妙子(しむら たえこ)名義で同社作品に出演していた。
佐藤 博(さとう ひろし、1943年11月5日 - )は、日… 佐藤 博(さとう ひろし、1943年11月5日 - )は、日本のフォークシンガー、俳優、放送作家。福島県福島市生まれ。福島高校卒。 愛称はガン(GUN、GWAN、ぐぁん)。愛称の由来は、鳩が豆鉄砲をくらったような目をしているので、鉄砲=ガンと林隆三によって名付けられた。同音の病気にならないように願をかけているとも言われる。 初期のころには俳優としても、フォークシンガーとしても佐藤博での表記であったが、同姓同名のミュージシャンがいたため、2000年よりアメリカ進出とアジアっぽい響きを取り入れ、GWANをミドルネームとして、『佐藤GWAN博』を正式名称としている。 仕事の内容によって名前を使い分けており、別に放送作家としての活動に雁田昇(かりたのぼる)の名前を使う。
横光 克彦(よこみつ かつひこ、本名:武藤 勝彦、むとう か… 横光 克彦(よこみつ かつひこ、本名:武藤 勝彦、むとう かつひこ、1943年11月4日 - )は、日本の俳優、元政治家。
河原崎 建三(かわらさき けんぞう、1943年11月3日 -… 河原崎 建三(かわらさき けんぞう、1943年11月3日 - )は、日本の俳優。本名同じ。アネモイエンタテインメント所属(メンバー)。 四代目河原崎長十郎の子として東京都武蔵野市で育つ。早稲田大学卒業。 父である四代目河原崎長十郎の前進座の子役として舞台に立ち、1968年に映画『愛奴』で俳優デビュー。 2000年より東京都在住。東京と山梨県甲州市塩山を行き来している。 特技は日本舞踊、長唄、狂言。趣味は読書、バロック音楽を聞くこと、絵を描くこと。 妻は女優の大川栄子。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
斉藤 真(さいとう しん、1943年10月19日 - )は、… 斉藤 真(さいとう しん、1943年10月19日 - )は、日本の俳優。本名同じ。 東京都出身。早稲田大学第一文学部卒業。劇団俳小代表。 1967年、劇団俳優小劇場に入団。『わが心高原に』で初舞台を踏み、役者としての第一歩を歩みだす。同劇団の解散後、早野演劇研究所を経て、1973年に早野寿郎を中心に旗揚げした劇団俳小に参加。役者の傍ら同劇団の代表も務めている。 『快傑ズバット』(東京12チャンネル)では東条刑事役でレギュラー出演したほか、『特捜最前線』(テレビ朝日)など、東映作品を中心にテレビドラマの出演も多い。谷崎潤一郎の『痴人の愛』を映画化した『ナオミ』(1980年、東映セントラルフィルム)では主演を務めた。
明石 勤(あかし つとむ、1943年10月7日 - )は、日… 明石 勤(あかし つとむ、1943年10月7日 - )は、日本の俳優。本名同じ。 秋田県出身。秋田県立大館鳳鳴高等学校卒業。田中プロモーションに所属していた。 高校卒業後に俳優を目指して上京。1965年、劇団世代に入団。 1969年、新藤兼人監督による松竹映画『かげろう』に出演。 1970年に同じく新藤によるテレビ映画『愛妻物語』(東京12チャンネル)の主役に抜擢されたことがきっかけで注目され、同年の花王 愛の劇場『波の塔』(TBS)で、桜町弘子演じるヒロインの相手役で出演。当時の紹介記事では「ごまかしの利かない性格なので、ドラマの中で愛の告白をするのは気が重いです」と述べている。 以後、1974年の昼ドラ『君待てども』(東海テレビ)で、三浦真弓演じるヒロインの従兄弟である伊吹武夫役でレギュラー出演するなど、テレビドラマを中心に活動した。
浜田 光夫(はまだ みつお、1943年〈昭和18年〉10月1… 浜田 光夫(はまだ みつお、1943年〈昭和18年〉10月1日 - )は、日本の俳優。日活の黄金期を支えた看板俳優の一人。本名は浜田 斌(はまだ あきら)。 東京都牛込区(現・新宿区)白銀町出身。玉川学園小学部、中学部、高等部卒業、日本大学芸術学部中退。アートプロモーション所属。 父は生後1ヶ月のときに結核で死去、母の手ひとつで育てられる。生まれた当初つけられた名前は「斌(あきら)」であったが、後に姓名判断に凝っていた母の薦めで、知人により「光曠」と改名された。戸籍名は「斌」のままである。 小学生のときに、兄弟のいない息子を気遣った母の計らいで、バイオリン教室へ通うことになる。また、当時通っていたバイオリン教室の生徒が出演していた音楽映画『ここに泉あり』にその生徒のうちの1人として出演している。
林 隆三(はやし りゅうぞう、1943年9月29日 - 20… 林 隆三(はやし りゅうぞう、1943年9月29日 - 2014年6月4日)は、日本の俳優及びナレーター。女優の青木一子は元妻。女優・声優の林真里花は長女、元俳優の林征生は長男。元自民党参議院議員・元山形県金山町長の岸宏一は従兄弟。東京都新宿区四谷生まれ。 1961年に立教高等学校(現・立教新座高等学校)中退後、1963年俳優座の俳優養成所に入り(第15期生)、1966年卒業。「三期会(現・東京演劇アンサンブル)」を経て、何本か端役でテレビドラマに出演した後、1970年に木下恵介・人間の歌シリーズ『俄』(TBS)に初主演。平賀源内の青春時代を描いた『天下御免』のヒットにより人気を得る。1974年には映画『妹』(藤田敏八監督)で秋吉久美子と共演し、その演技は注目を集める。
高月 忠(たかつき ちゅう、1943年9月22日 - )は、… 高月 忠(たかつき ちゅう、1943年9月22日 - )は、日本の俳優。北海道函館市柏木町出身。北海道函館中部高等学校、日本大学芸術学部演劇学科卒業。 四男一女の三男として生まれる。父親は元NHKアナウンサーで北海道大学の教授。 大学在学中に劇団を設立するが失敗し赤字を負う。偶然知り合ったプロデューサーの誘いで1964年4月に東映東京撮影所に入社。1966年頃までは死体役や通行人役を演じていたが、1967年にテレビドラマ『ジャイアントロボ』にレギュラー出演して以降はヤクザ映画などの脇役として活躍。テレビにおいても東映の刑事ドラマや特撮番組に数多く出演。大部屋俳優から始まり、長きに渡り東映所属の俳優として活動。
小野寺 昭(おのでら あきら、1943年〈昭和18年〉9月1… 小野寺 昭(おのでら あきら、1943年〈昭和18年〉9月19日 - )は、日本の俳優、元大阪芸術大学短期大学部客員教授。本名は同じ。柊企画を経て、フロム・ファーストプロダクション所属。 北海道帯広市出身。北海道帯広三条高等学校卒業。 もともと引っ込み思案の恥ずかしがり屋で、人前で何かをすることが苦手だった。地方公務員の父親がアマチュア劇団を主宰しており、舞台を覗いた時に、普段できないことをお芝居という力を借りて別人になってできることに興味を持ち俳優を志す。高校時代に演劇部の部長として『夕鶴』の与ひょう役を演じ、高校演劇コンクールで地区代表に選ばれて北海道大会に出場した。高校卒業後、東京で児童劇団を主宰していた父親の元劇団仲間を頼って、上京する。
柴田 侊彦(しばた てるひこ、1943年9月18日 - )は… 柴田 侊彦(しばた てるひこ、1943年9月18日 - )は、日本の俳優、声優。本名は同じ。 東京都出身。日本大学藝術学部演劇科卒業。山口事務所、旅人プロに所属していた。 劇団俳優座養成所の第15期生。姉は宮口二郎の妻でもあった女優の弓恵子。父親の潮万太郎(2000年死別)、兄の柴田昌宏も元俳優である。 名悪役として活躍した父の潮、姉の弓、義兄の宮口と比べると薄幸な役柄を演じる機会が多く、1970年代から1990年代にかけての時代劇や刑事ドラマでは、やむなく犯罪に走ってしまう犯人役や被害者役を数々の作品で演じた。 声優業では、海外ドラマ『大草原の小さな家』でのマイケル・ランドン演じた父チャールズの吹き替えが特に知られる。
金子 達(かねこ たつ、1943年9月7日 - )は、日本の… 金子 達(かねこ たつ、1943年9月7日 - )は、日本の男性俳優、声優。東京都出身。 中央大学文学部卒業。 かつてはテアトル・エコー、劇団銅鑼、プロダクション・タンクに所属していた。 特技・資格は英語教諭免許(中学1級・高校2級)、床掃除(ポリッシャー操作・モップ扱い)、中型自動車免許。 太字はメインキャラクター。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。 この項目は、声優(ナレーターを含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:アニメ/PJ:アニメ/PJ:声優)。
津村 鷹志(つむら たかし、1943年8月25日 - )は、… 津村 鷹志(つむら たかし、1943年8月25日 - )は、日本の俳優、声優。本名及び旧芸名は津村 秀祐(つむら ひですけ)。身長172cm。父親は元朝日新聞記者で映画評論家の津村秀夫。法学博士津村秀松は祖父。叔父は詩人の津村信夫。 東京都港区出身。学習院高等科、 慶應義塾大学文学部仏文学科卒業。 大学卒業後、出版社に勤めるが間もなく退社。 1968年に劇団雲に入団。同年、松竹映画『爽春』で映画デビュー。1969年、『天と地と』でテレビドラマデビュー。1973年、『ウルトラマンタロウ』にレギュラー出演。 1975年、劇団雲の分裂に伴い演劇集団 円に参加。1979年の『草燃える』へのゲスト出演がきっかけとなり、『瀬戸内少年野球団』以降は篠田正浩監督の作品に常連出演するほか、個性派俳優として活動。
大 佳央(だい かおう、本名:小西 幸男(こにし ゆきお)、… 大 佳央(だい かおう、本名:小西 幸男(こにし ゆきお)、1943年8月12日 - )は、日本の俳優。兵庫県尼崎市出身。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。 初代:砂川啓介(1961年4月3日 - 1969年10月1日)2代目:佐久間俊直(1963年10月2日 - 1967年4月1日)3代目:岡田祥造(1967年4月6日 - 1969年10月4日)4代目:向井忠義(1969年10月6日 - 1973年3月30日)5代目:小西幸男(1969年10月7日 - 1971年4月3日)6代目:輪島直幸(1971年4月5日 - 1978年3月23日)7代目:川原洋一郎(1973年4月2日 - 1974年3月29日)8代目:瀬戸口清文(1974年4月2日 - 1987年4月4日)9代目:天野勝弘(1987年4月6日 - 1993年4月5日)10代目:佐藤弘道(1993年4月5日 - 2005年4月2日)11代目:小林よしひさ(2005年4月4日 - 2019年3月30日)12代目:福尾誠(2019年4月1日 - 2023年4月1日)13代目:佐久本和夢(2023年4月3日 - )
小沢 直平(おざわ なおへい、1943年8月4日 - )は、… 小沢 直平(おざわ なおへい、1943年8月4日 - )は、日本の俳優。大判社所属。 本名、旧芸名:小沢 直好。別名:おざわ なおへい。 身長168.5cm。体重60kg。血液型O型。 東京都杉並区出身。東京都立豊多摩高等学校、山野美容専門学校卒。 1956年3月、劇団ひまわりに入団し、1964年10月に退団。その後は日芸企画に所属していた。現在は東京吉祥寺で剪画教室を経営。 美容師免許取得。趣味は絵画、版画。特技は剪画、落語。
田村 正和(たむら まさかず、1943年〈昭和18年〉8月1… 田村 正和(たむら まさかず、1943年〈昭和18年〉8月1日 - 2021年〈令和3年〉4月3日)は、日本の俳優。京都府京都市右京区太秦生まれ。東京都世田谷区育ち。成城大学経済学部卒業。最終所属は自身の個人事務所である新和事務所。 阪東妻三郎の三男で、長兄の田村高廣、弟の田村亮と共に、「田村三兄弟」と呼ばれるが、実際には次兄の田村俊磨を含め4兄弟である。異母弟に俳優の水上保広。家族は妻(一般人女性)と娘。 父・阪東妻三郎が建てた阪妻プロダクションの跡地に建つ東映京都撮影所近くの京都太秦に生まれる。その後同じ京都の嵯峨野に移住した。小学4年生(9歳)の時に父・阪東妻三郎を亡くすが、翌年小学5年生の時に世田谷・成城へ移住。
峰岸 徹(みねぎし とおる、1943年7月17日 - 200… 峰岸 徹(みねぎし とおる、1943年7月17日 - 2008年10月11日)は、日本の俳優。本名は、峰岸 知夫()。東京都出身。元妻は藍とも子、血液型はO型。最後の所属事務所はアクトレインクラブ。 東京都出生、中央区立泰明小学校3年生時に日本橋浜町へ引っ越す。戦後、銀座で料亭「竹水」を営む母に育てられ、虚弱体質の少年だったが、ジェームズ・ディーンと石原裕次郎に憧れて俳優を志す。 幼少期より落語にも魅せられ、よく母に人形町末広亭などの方々の寄席へ連れて行ってもらっていた。 1962年に峰 健二の芸名で東宝映画『高校生と女教師・非情の青春』でデビュー。当時、六本木野獣会(渡辺プロダクションの渡辺晋社長が当時話題を呼んだ六本木族にならって若手スターの話題作りのためにプロデュースした集団)に属し、日本橋浜町の自宅には頻繁にメンバーの面々が集うほど慕われた存在であった。