芥川 耿子(あくたがわ てるこ、1945年3月 - )は、日… 芥川 耿子(あくたがわ てるこ、1945年3月 - )は、日本のエッセイスト、児童文学者、詩人。 芥川比呂志・瑠璃子夫妻の三女として神奈川県藤沢市鵠沼に生まれ、祖父・芥川龍之介の未亡人である祖母・文の寵愛を受けて育つ。4歳で東京都目黒区に転居する。小学校時代、肺門リンパ腺炎で1年間休学する。当時は病弱でいじめを受ける。1958年、女子美術大学附属中学校に入学。女子美術大学附属高等学校を経て女子美術大学造形科を卒業する。23歳でデザイナー本村弘と結婚、のち一男一女を儲ける。 子育ての傍ら、詩や童話や随筆を発表する。さらに、ワイドショーの司会者や美術番組の聞き手、CMソングの作詞者、CFのモデルを務めるなど、テレビの世界でも活躍する。
木村 晋介(きむら しんすけ、男性、1945年1月24日 -… 木村 晋介(きむら しんすけ、男性、1945年1月24日 - )は、日本の弁護士(東京弁護士会所属)、エッセイストである。木村晋介法律事務所所長。 長崎市生まれ。東京都立杉並高等学校、中央大学法学部卒業。 大学在学中は親友の椎名誠(作家)や沢野ひとし(イラストレーター)らと克美荘で共同生活を送る。 大学卒業の1967年に22歳で司法試験合格し、司法修習22期(同期に弘中惇一郎や筒井信隆)を経て1970年に弁護士登録。独立して木村晋介法律事務所を開設。 2025年発売の椎名誠「続々失踪願望。」において前立腺がんステージ4であることを告白している。 消費者問題、犯罪被害者問題、環境問題、プライバシー問題に造詣が深く、オウム事件では坂本弁護士一家救出運動に尽力した。
大和久勝(おおわく まさる、1945年- )は、教育エッセイ… 大和久勝(おおわく まさる、1945年- )は、教育エッセイスト、元小学校教師。 東京生まれ。1968年早稲田大学教育学部卒業。2005年まで東京都の小学校教諭。國學院大學講師を経て、日本生活指導研究所所長。教育エッセイスト。
沢野 ひとし(さわの ひとし、本名:沢野 公。1944年12… 沢野 ひとし(さわの ひとし、本名:沢野 公。1944年12月18日 - )はイラストレーター、エッセイスト、絵本作家。愛知県名古屋市出身。さわのひとし名義でも活動している。椎名誠の著書ほか数多くの本の挿絵を担当。 千葉県千葉市立千葉高等学校では椎名誠と同級生であった。法政大学に進学するが中退。 20代で椎名誠、木村晋介らと克美荘での共同生活に参加する。こぐま社に15年間の勤務の後、独立。 椎名、目黒考二らが雑誌「本の雑誌」を創刊後は、その表紙・本文イラストを一手に引き受けている。 その細長い手足や目付きなどから、椎名誠や目黒考二などの友人からは、ワニ目画伯と呼ばれている。 第22回講談社出版文化賞さしえ賞受賞。
宮内 勝典(みやうち かつすけ、1944年10月4日 - )… 宮内 勝典(みやうち かつすけ、1944年10月4日 - )は、日本の小説家、エッセイスト。早稲田大学、大阪芸術大学の教授を歴任。世界各地を渡り歩き、経験と想像力をもとにスケールの大きな小説世界を構築。人はいかに「アイデンティティー」という名のくびきから逃れられるかという問いを根底に創作を重ねてきた。 終戦前年に旧満洲国のハルビンにて生まれ、終戦後の引き揚げにより鹿児島県指宿市旧山川町で育つ。鹿児島県立甲南高等学校に進学し、部活動の文学部(文芸部)に所属。1963年に鹿児島県立甲南高等学校を卒業し、働きながら国内を4年かけて放浪。1967年にアメリカ合衆国へ渡り、カリフォルニアとニューヨークで2年ずつ暮らした後、ヨーロッパからインドへの旅を経て日本に帰国。
村瀬 春樹(むらせ はるき、1944年8月19日 - )は、… 村瀬 春樹(むらせ はるき、1944年8月19日 - )は、日本のエッセイスト。神奈川県横浜市生まれ。1964年、早稲田大学政経学部新聞学科に入学し、独立プロダクションの反戦映画製作などに関わる。大学卒業後、1970年から、パートナーのゆみこ・ながい・むらせとともに吉祥寺でライブハウス「ぐゎらん堂」を主宰(ぐゎらん堂は1985年に閉店)。1979年、通信販売会社に入社。1980年にハウスハズバンド(主夫)となり、のちに『怪傑!ハウスハズバンド』(1984年)を刊行。住宅、家族等をテーマにエッセイを執筆。
椎名 誠(しいな まこと、1944年6月14日 -)は、日本… 椎名 誠(しいな まこと、1944年6月14日 -)は、日本の作家、エッセイスト。 東京写真大学中退。流通業界誌編集長を経て、『さらば国分寺書店のオババ』でデビューし、その後『アド・バード』(日本SF大賞)『武装島田倉庫』『銀天公社の偽月』などのSF作品、『わしらは怪しい探検隊』シリーズなどの紀行エッセイ、『犬の系譜』(吉川英治文学新人賞)『岳物語』『大きな約束』などの自伝的小説、『犬から聞いた話をしよう』『旅の窓からでっかい空をながめる』などの写真エッセイと著書多数。映画『白い馬』では、日本映画批評家大賞最優秀監督賞ほかを受賞した。 また日本各地、世界各地の特に辺境に頻繁に赴き、多くの旅行記と映像記録を発表しており、紀行作家、旅行家としての面も大きい。
奥本 大三郎(おくもと だいさぶろう、1944年3月6日 -… 奥本 大三郎(おくもと だいさぶろう、1944年3月6日 - )は、日本のフランス文学者、エッセイスト。埼玉大学名誉教授。NPO日本アンリ・ファーブル会理事長、虫の詩人の館(ファーブル昆虫館)館長。 大阪府大阪市生まれ。貝塚市出身。大阪府立岸和田高等学校から東京大学文学部仏文学科卒、同大学院修了。1988年横浜国立大学助教授を経て、1990年埼玉大学教養学部教授。2009年同大学名誉教授、2010年より大阪芸術大学文芸学科教授。2014年退職。 1991年より2010年まで日本昆虫協会会長。2002年より日本アンリ・ファーブル会理事長、ファーブル昆虫館「虫の詩人の館」館長。
伊藤 玄二郎(いとう げんじろう、1944年2月10日 – … 伊藤 玄二郎(いとう げんじろう、1944年2月10日 – )は、編集者・エッセイスト。かまくら春秋社代表取締役、星槎大学教授。日本ペンクラブ会員、鎌倉ペンクラブ会長。 神奈川県鎌倉市出身。中央大学法学部政治学科卒業。河出書房新社勤務を経て、里見弴の勧めを受けて1970年かまくら春秋社を設立、月刊「かまくら春秋」を創刊。1989年、「かまくら春秋」にて、NTT全国タウン誌フェスティバル・タウン誌大賞を受賞。ポルトガル国立リスボン工科大学客員教授。早稲田大学客員教授、関東学院大学教授、2014年星槎大学教授。2004年、ポルトガル政府よりエンリケ航海王子勲章コメンダドール章を受章。2019年、神奈川文化賞受賞。
筒井 ガンコ堂(つつい がんこどう、本名:筒井 泰彦(つつい… 筒井 ガンコ堂(つつい がんこどう、本名:筒井 泰彦(つつい やすひこ) 1944年 - )は、日本の編集者、エッセイスト。 佐賀県杵島郡北方町(現武雄市北方町)出身。京都大学法学部卒業。卒業後、平凡社に入社。2年目に雑誌『太陽』編集部に配属され嵐山光三郎と席を並べる。嵐山が編集長となったときにはデスクに指名された。その後、平凡社が経営危機に見舞われると、嵐山光三郎らと青人社の創立に参加。『DoLiVe 月刊ドリブ』の2代目編集長となる。 その後、佐賀新聞社で文化部長・論説委員・社長室長を歴任を経て、福博総合印刷が発行した「FUKUOKA STYLE」の編集長を務めた。 筒井ガンコ堂のペンネームで食に関するエッセイなどを執筆している。
結城 信孝(ゆうき のぶたか、1944年 - )は、日本のジ… 結城 信孝(ゆうき のぶたか、1944年 - )は、日本のジャーナリスト、文芸評論家、アンソロジスト、エッセイストである。日本推理作家協会会員。父は作家の結城信一。 東京都目黒区出身。立教大学経済学部卒業。1967年、ベースボールマガジン社に入社。「週刊ベースボール」「相撲」編集部に所属。1973年、内外タイムス社に入社。編集局に勤務し、文化、芸能、スポーツ、ギャンブル等の記者をつとめるかたわら、文芸評論家として活動。新聞・雑誌で書評を連載。文庫解説や作家インタビューなども手がける。 1990年退社。ギャンブル小説、ミステリを中心に、多数の小説のアンソロジーを発表している。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
塩谷 靖子(しおのや のぶこ、1943年11月 - )は、視… 塩谷 靖子(しおのや のぶこ、1943年11月 - )は、視覚障害プログラマーでありながら全盲の歌手として活躍する日本のソプラノ歌手、そしてエッセイスト。日本において話題の「千の風になって」とは異なる独自の訳による歌曲「千の風」で、昨今では人気を博する。 東京都に生まれ、1歳4ヶ月の時に東京大空襲に遭い、両親の故郷である鳥取県境港市へと移り住んだ。視力は生まれつき弱かったが最初から全盲ではなく、先天性緑内障のために、徐々に視力が衰えた後8歳の頃には完全に視力を失ってしまった。 妹と弟とがいるが、子供たちの将来を配慮した父親が東京への帰京を志し、彼女が6歳の頃、父親は単身上京して生活基盤を先に準備した。
畠山 重篤(はたけやま しげあつ、1943年10月7日 - … 畠山 重篤(はたけやま しげあつ、1943年10月7日 - 2025年4月3日)は、日本の養殖漁業家、エッセイスト、京都大学フィールド科学教育センター社会連携教授。「牡蠣の森を慕う会」」(現「特定非営利活動法人森は海の恋人」)の代表を務めた。 中国・上海に生まれる。父親は会社員だったが、第二次世界大戦終戦後、故郷の舞根()(宮城県唐桑町)へ戻り牡蠣養殖を始めた。周辺に子供が少なく、重篤は海川でハゼ釣りや小エビ捕り、山でキジを追う少年時代を送った。1962年、宮城県気仙沼水産高等学校卒業。家業である牡蠣養殖を継ぎ、北海道から種貝を取り寄せて、宮城県では初めて帆立の養殖に成功した。 日本は高度経済成長期を迎えていた1964年頃から、舞根を含む気仙沼湾沿岸では生活排水で海が汚染されて赤潮が発生するようになり、それに染まって売り物にならない「血ガキ」が相次ぎ、廃業する漁師が続出するようになった。
館 淳一(たて じゅんいち、1943年8月16日 - )は、… 館 淳一(たて じゅんいち、1943年8月16日 - )は、日本の小説家、官能小説家、雑学研究家、エッセイスト。日本文芸家クラブ会員、日本推理作家協会会員。 北海道稚内市出身。北海道札幌西高等学校、日本大学藝術学部放送学科卒業。 フリーライター、週刊誌アンカーマン(週刊プレイボーイ、週刊明星など)、フリー編集者、日本版PLAYB0Y(月刊プレイボーイ)などで生計をたてる傍らSM小説を書き、蘭光生に認められ1975年雑誌デビュー。以後、官能小説界で活動。著書は190冊(2017年6月時点)。
秋野 太作(あきの たいさく、1943年2月14日 - )は… 秋野 太作(あきの たいさく、1943年2月14日 - )は、日本の俳優、タレント、エッセイスト、瞑想者である。本名および旧芸名は津坂 匡章(つさか まさあき)。一時は津坂まさあきの名も使用していた。グランパパプロダクション所属。身長170cm、体重65kg。 東京市深川区(現・東京都江東区深川)で生まれ(「台東区上野生まれ」とする媒体もある)、生後間もなく大分県杵築市の母の実家に移り、4歳のとき東京に戻り、以降は文京区で育った。文京区立第六中学校卒、東京都立文京高等学校卒、日本大学法学部中退。文京区立第六中学校の同級生には小沢一郎と西川太一郎がいた。 日大法学部在学中の1963年に俳優座養成所第15期生として入所。
井出 彰(いで あきら、1943年 - 2022年5月8日)… 井出 彰(いで あきら、1943年 - 2022年5月8日)は、神奈川県出身の編集者、出版社経営者、エッセイスト、小説家。株式会社図書新聞代表。 神奈川県箱根町生まれ。早稲田大学卒業。 26歳の時に、日本読書新聞に入社。のち編集長も務める。 1973年に退社して、自身の出版社「三交社」を起こすが、10年後に倒産。図書新聞に編集長として入社し、1988年より代表も兼務。のち編集長からは退いた。 そのかたわら、エッセイや小説も発表。2004年には、小説「精進ヶ池へ」で第3回小島信夫文学賞奨励賞を受賞。 2022年5月8日午前6時30分、白血病のため自宅で死去。78歳没。
鶴田静(つるた しずか、1942年11月5日- )は、日本の… 鶴田静(つるた しずか、1942年11月5日- )は、日本のエッセイスト。ベジタリアン。 東京生まれ。明治大学文学部仏文科卒。1975年から77年までウィリアム・モリス研究のため英国に滞在。ベジタリアンになり、その思想と料理を研究する。 帰国後1979年、最初のエッセイを出版して以来、自然生活、環境、食文化、庭園と草花につい ての執筆、英語翻訳をする。 夫は写真家のエドワード・レビンソン(1953- )。2016年、第1回「日本ベジタリアン・アワード」大賞受賞。
坂崎 重盛(さかざき しげもり、1942年10月15日 - … 坂崎 重盛(さかざき しげもり、1942年10月15日 - )は、日本のエッセイスト。ペンネームに、坂崎ゴメン堂、波角ゴメン堂。 東京生まれ。本庄高等学校を経て、千葉大学園芸学部造園学科卒業。横浜市職員として、児童公園などの設計に参加するも1年で退職。河原淳に弟子入りした後、イラストやジャズ論評、詩作などを行う。出版社勤務を経て、1981年遊戯的出版プロデューサー集団「波乗社」を設立。 THE ALFEEの坂崎幸之助の叔父(実父の末弟)であり、一回りほど歳が上の粋人という事もあって、幸之助にとっては憧れの叔父だったという。ただし、法事を忘れたり、来ても二日酔いだったりなど、親戚は迷惑もしたという。
安西 水丸(あんざい みずまる、本名:渡辺 昇(わたなべ の… 安西 水丸(あんざい みずまる、本名:渡辺 昇(わたなべ のぼる)、1942年7月22日 - 2014年3月19日)は、日本のイラストレーター、漫画家、エッセイスト、作家、絵本作家、風俗評論家。日本スノードーム協会会長。 東京府東京市赤坂区(現在の東京都港区赤坂)生まれ。7人兄弟の末っ子で姉が5人いた。一番上の姉とは7つ離れている。生家は祖父の代から建築設計事務所を営んでいた。 1945年、重い喘息を患い、母の郷里である千葉県千倉町(現・南房総市)に移住。中学校卒業までを千倉で暮らす。その頃の体験や思い出は、初期の漫画作品、エッセイ、小説など多くの作品に登場している。「千倉」は彼にとって重要なキーワードとなっており、すべての心象のルーツであるように描かれている。
浜田 マキ子(はまだ マキこ、1942年〈昭和17年〉3月1… 浜田 マキ子(はまだ マキこ、1942年〈昭和17年〉3月19日 - 2022年〈令和4年〉5月29日)は日本の実業家・政治運動家・エッセイスト。本名:濱田 麻記子、旧姓は藤井。夫は元衆議院議員・参議院議員で弁護士の浜田卓二郎。叔父は元参議院議員・郵政大臣の植竹春彦、従兄は元衆議院議員・外務副大臣の植竹繁雄。 東京都文京区出身。父親は実業家の娘に生まれる。清明学園初等学校を経て森村学園初等科、中等科、高等科卒業。1960年4月、日本航空に入社し、国際線スチュワーデス(現・キャビンアテンダント)となる。翌1961年2月、10か月で日本航空を退社し、東京大学に入学。1965年3月、東京大学文学部東洋史学科を卒業後、植竹の秘書となるが、同年大蔵省に勤務していた卓二郎と結婚。
山下 洋輔(やました ようすけ、1942年2月26日 - )… 山下 洋輔(やました ようすけ、1942年2月26日 - )は、日本のジャズピアニスト、作曲家、エッセイスト、作家である。ひじで鍵盤を鳴らす独自の奏法[要検証 – ノート]を交えながら演奏する。
和多田 勝(わただ まさる、1942年1月20日 - 199… 和多田 勝(わただ まさる、1942年1月20日 - 1994年1月31日)は、上方噺家・エッセイスト・イラストレーター・タレント。芸名は笑福亭小つる(しょうふくてい こつる)。5代目笑福亭松鶴の孫(娘の子)で、6代目松鶴の甥にあたる。 大阪市に生まれ、生家は呉服屋、子供の頃から祖父・5代目松鶴に連れられ寄席通いをした。1947年7月に正式に5代目松鶴に入門し「笑福亭小つる」を名乗り、翌年1月に大阪市今里の双葉館で初舞台を踏む。小唄や寄席踊りで高座を勤め人気者になる。中学校卒業頃まで高座を勤め、大阪市立工芸高等学校を入学と同時にいったん廃業し学業に専念。 高校の美術油絵科を卒業後の1963年、そごう宣伝部に就職し、1970年まで勤める。
嵐山 光三郎(あらしやま こうざぶろう、1942年〈昭和17… 嵐山 光三郎(あらしやま こうざぶろう、1942年〈昭和17年〉1月10日 - 2025年11月14日)は、日本の編集者、作家、エッセイスト。本名は祐乗坊 英昭(ゆうじょうぼう ひであき)。 父は、朝日新聞社社員から、多摩美術大学の教授に転じたデザイナーの祐乗坊宣明。弟の祐乗坊進は造園コンサルタントで多摩美術大学講師。 静岡県浜松市に生まれ、1950年から東京都北多摩郡国立町(現:国立市)に育つ。国立学園小学校卒業。小学校時代の同級生に、後の外務省・軍縮大使の登誠一郎、朝日新聞社の宮本貢がいた。 桐朋中学校・高等学校を経て、1965年國學院大學文学部国文科卒業。専攻は中世文学。また、笠井叡は高校の2年後輩で、大学時代に笠井から土方巽を紹介され、金粉ショーのアルバイトをやったこともある。
生嶋 誠士郎(いくしま せいしろう、1942年(昭和17年)… 生嶋 誠士郎(いくしま せいしろう、1942年(昭和17年)- )は、日本のエッセイスト。 埼玉県草加市生まれ。都立九段高校を卒業後、早稲田大学文学部哲学科へ進学。 産経新聞記者を経て、1969年4月に日本リクルートセンター(現在のリクルート)に入社。企画制作課長、営業部長、人事教育事業部長、ニューメディア開発室長、情報通信事業担当取締役を歴任。リクルート事件時は、管理部門(広報、人事、経営企画など)担当常務。 1998年にリクルートを退社し「生嶋事務所」設立。2000年に蓼科に「生嶋山荘」を開設。2007年に『至福のとき.net』, 『蓼科山荘日記』を開設。 “人と組織、もっと楽しく”をモットーにいくつかの会社のアドバイザーやカウンセラーを経験。
大塚 清一郎(おおつか せいいちろう、1942年 - )は、… 大塚 清一郎(おおつか せいいちろう、1942年 - )は、日本の外交官、エッセイスト。外務省大臣官房文化交流部長を経て、駐スリランカ特命全権大使、駐スウェーデン特命全権大使を務めた。 東京都生まれ。高校3年次にAFSでミネソタ州の高校に1年間留学したのち、愛知県立旭丘高等学校に編入。1966年に一橋大学商学部を卒業し外務省に入省後、ミネソタ州のカールトン・カレッジに留学。 外務省アジア局外務参事官等を経て、1991年初代エディンバラ総領事に就任。スコットランドでバグパイプに惹かれ練習を開始。その後、在タイ日本国大使館公使や、外務省大臣官房文化交流部長を経て、1997年からニューヨーク総領事(大使)を務めた際に、同地でメキシカンバンド「トリオ・ロス・ディプロマティコス」を結成。
田主 誠(たぬし まこと、1942年 - 2023年3月17… 田主 誠(たぬし まこと、1942年 - 2023年3月17日)は、日本の版画家、エッセイスト。本名・誠稔=のぶとし。 1942年京都府舞鶴市生まれ。 1969年から国内の現代日本美術展、日動版画グランプリ展、シェル美術賞展、北陸中日展、日本版画展などで入選および受賞を重ねる。 1995年、ニューヨーク国際メディアフェスティバル銀賞受賞。1999年から川端康成作品シリーズを発表。 2003年〜2004年、NHK総合テレビ「4時です 上方倶楽部」にレギュラー出演し、西国札所巡礼の木版画を発表。 著書に『川端少年の歩いた道』『世界民族博物誌』『心の旅 西国三十三所』『山頭火の風景』など。また『梅棹忠夫著作集』(全23巻)など数多くの学術書の挿画装幀を手掛ける。
島村 英紀(しまむら ひでき、1941年11月23日- )は… 島村 英紀(しまむら ひでき、1941年11月23日- )は、地震学者(地球物理学者、地球科学者)、日本文藝家協会会員、評論家、エッセイスト。父は島村喜久治。母は島村千枝子。大叔母は吉行あぐり(千枝子の母の妹)。 2004年以来、現在まで武蔵野学院大学特任教授。また、CCSS(制御震源地震学国際委員会=地球内部構造を研究するための人工地震の国際学会)の委員長を1983-1989年に務めた。なお、現在に至るまで、日本人としてはただ一人の委員長である[要出典]。 1960年代の大学院生当時、プレート・テクトニクスの黎明期でプレートが生まれるところ(海嶺)も、消えるところ(海溝)も海底にあることが分かり、プレートの動きをいちばん精密に現場で知ることが出来る海底地震計を開発することを、指導教官だった浅田敏らと開始した。
砂川 しげひさ(すながわ しげひさ、1941年10月11日 … 砂川 しげひさ(すながわ しげひさ、1941年10月11日 - )は、日本の漫画家、エッセイスト。本名:砂川 恵永(すながわ しげひさ)。
雁屋 哲(かりや てつ、1941年〈昭和16年/民国30年〉… 雁屋 哲(かりや てつ、1941年〈昭和16年/民国30年〉10月6日 - )は、日本の漫画原作者、エッセイスト。のりこえねっと共同代表。本名:戸塚 哲也(とつか てつや)。別名に阿月田 伸也(あづきだ しんや)、瀬叩 龍(せたたき りゅう)、雁屋F(かりや えふ)がある。 1941年(民国30年、昭和16年)10月6日、中華民国北京特別市に誕生。終戦後に日本に引き揚げ、東京田園調布で育つ。結核性の感染症に冒されて小中学生時代は入退院を繰り返し、医者にかかる機会が多かったことから自らも医師を志望していたが、東大病院の建物の陰気さに嫌悪感を持ち、志望を変更した。東京都立小山台高等学校を経て、東京大学教養学部基礎科学科で量子力学を専攻する。
相羽 秋夫(あいば あきお、本名:澤田健一郎、1941年9月… 相羽 秋夫(あいば あきお、本名:澤田健一郎、1941年9月20日 - )は、日本の演芸評論家、放送作家、エッセイスト。大阪芸術大学芸術計画学科元教授・学科長。日本笑い学会副会長。 愛知県名古屋市出身。1966年同志社大学法学部を卒業後、松竹芸能に入社。寄席のスタッフ職員・構成作家として活動した。一時は、大村崑、正司敏江・玲児などのマネージャーを務めている。 1978年に松竹芸能から独立した後は、フリーランスの上方演芸研究家として多数の演芸評論・エッセイを執筆するかたわら、放送作家として『すてきな出逢い いい朝8時』(MBSテレビ)の構成を担当。「M-1グランプリ」では、第1回(2002年)から第6回(2007年)まで、大阪予選の審査員を務めていた。
宮沢 明子(みやざわ めいこ、1941年(昭和16年)5月1… 宮沢 明子(みやざわ めいこ、1941年(昭和16年)5月10日 - 2019年(平成31年)4月23日)は、日本のピアニスト、エッセイスト。ヨーロッパ、ニューヨーク、東京を拠点に活動し、ハイドンやモーツァルトなど古典派を中心にしたレパートリーを得意とした。長兄は法制審議会委員や日本被害者学会理事長、中央大学教授などを務めた宮沢浩一。母はピアニストの宮沢八千代。父は元富士銀行数寄屋橋支店長の宮沢義衛。 1941年5月10日に、神奈川県逗子市で生まれる。ピアニストだった母からピアノの手ほどきを受けたが、小学生のころは「身体が細いし、手が小さいし、とても神経質だからピアニストは無理」と周りに言われショックを受けていた。
島地 勝彦(しまじ かつひこ、1941年4月7日 - )は、… 島地 勝彦(しまじ かつひこ、1941年4月7日 - )は、日本の雑誌編集者・エッセイスト・バーマン。 東京都世田谷区奥沢に生まれ、4歳から岩手県一関市で育つ。岩手県立一関第一高等学校、青山学院大学卒業。 大学卒業後集英社に入社。以後長きにわたり『週刊プレイボーイ』編集者を務め、1982年に同誌の編集長に就任。「「週刊プレイボーイ」を100万部雑誌に育て上げた人物」(日経ビジネス「乗り移り人生相談」参照)として有名になった。その後『月刊プレイボーイ』『Bart』などの編集長を歴任した後、同社取締役を経て、1998年に子会社の集英社インターナショナルの社長に就任した。 2008年11月に集英社インターナショナルを退社しエッセイストに転向。
吉川 精一(よしかわ せいいち、1941年1月30日 - )… 吉川 精一(よしかわ せいいち、1941年1月30日 - )は、日本の演歌歌手、エッセイスト、アナウンサー、司会者。東京都大田区出身。クオレ・ア・ドマーニ所属。
中丸 明(なかまる あきら、1941年 - 2008年1月)… 中丸 明(なかまる あきら、1941年 - 2008年1月)は、日本のエッセイスト。日本統治時代の朝鮮の京城(現韓国ソウル市)生まれ。本名・栗原裕。同志社大学卒業。日西協会終身会員。
辻野 弥生(つじの やよい、1941年 - )は、日本のフリ… 辻野 弥生(つじの やよい、1941年 - )は、日本のフリーライター、エッセイスト。福田村事件について記録した『福田村事件 関東大震災・知られざる悲劇』の著者である。 1941年、福岡県福岡市南区に生まれる。香蘭女子短期大学卒業。1981年、千葉県流山市に移り住む。同人誌『ずいひつ流星』の主宰を務める。 1999年、福田村事件について書いてほしいという人物から資料を渡されたことで、同事件についての調査を開始した。福田村事件とは、1923年9月6日、関東大震災直後の千葉県福田村(現・野田市)において、香川県の被差別部落から来ていた15名の売薬行商団のうちの9名が、行商団を朝鮮人と決めつけた自警団によって殺害された事件である。
池内 紀(いけうち おさむ、1940年11月25日 - 20… 池内 紀(いけうち おさむ、1940年11月25日 - 2019年8月30日)は、日本のドイツ文学者、エッセイスト、翻訳家。 カフカを中心にドイツ文学の評論・翻訳が専門。旅行記や人物伝、大衆芸能と幅広く文筆活動を行う。著書に『ウィーンの世紀末』(1981年)、『海山のあいだ』(1994年)、『カント先生の散歩』(2016年)など。 兵庫県姫路市出身。姫路市立城北小学校卒業。兵庫県立姫路西高等学校卒業、東京外国語大学外国語学部卒業、1965年東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了。神戸大学講師、旧:東京都立大学助教授、1986年東京大学文学部助教授を経て、1990年に教授。定年前の1996年に早期退官。
矢崎 藍(やざき あい、1940年11月6日 - )は、エッ… 矢崎 藍(やざき あい、1940年11月6日 - )は、エッセイスト、作家。 東京都生まれ。本名・柴田竹代。 1963年(昭和38年)お茶の水女子大学国文科卒。大学卒業後は児童読物雑誌の編集者。1965年(昭和40年)、25歳のときに結婚し、同時に夫の住む豊田市に移住した。結婚後は子供が生まれるまで、愛知県立昭和高等学校において非常勤講師を務める。子育て中の10年間は専業主婦として過ごすが、1977年(昭和52年)から愛知県立足助高等学校で古典と漢文を教える非常勤講師となる。 非常勤講師として在職中の1980年(昭和55年)に短編小説集『ああ子育て戦争』がベストセラーとなり、文筆活動に入る。小説執筆のきっかけは、教育雑誌のモニターをしている際に編集担当者から勧められたことによる。
小渕 千鶴子(おぶち ちづこ、1940年(昭和15年)8月1… 小渕 千鶴子(おぶち ちづこ、1940年(昭和15年)8月16日 - )は、日本のエッセイスト、政治運動家、環境保護運動家である。
熊井 明子(くまい あきこ、1940年6月11日 - 202… 熊井 明子(くまい あきこ、1940年6月11日 - 2024年9月21日)は、日本のポプリ研究家、エッセイスト。夫は映画監督の熊井啓。 日本にポプリを紹介し、1980年代前半に起きたブームの火付け役。現在でもポプリの研究においての第一人者。実妹のハーブ研究家の桐原春子とともにハーブなどの香草にも造詣が深い。愛猫家として、猫に関するエッセイも多い。日本ペンクラブ会員。
村松 友視(むらまつ ともみ、1940年4月10日 - )は… 村松 友視(むらまつ ともみ、1940年4月10日 - )は、日本の、元編集者、作家、エッセイスト(本来の表記は村松友視。「視」の字は「示」の右に「見」)。
上村 一夫(かみむら かずお、1940年〈昭和15年〉3月7… 上村 一夫(かみむら かずお、1940年〈昭和15年〉3月7日 - 1986年〈昭和61年〉1月11日)は、日本の漫画家・イラストレーター・エッセイスト。 大正の浮世絵師と呼ばれた竹久夢二を連想させる女性像と独特の劇画タッチの画風を確立し、その作風から「昭和の絵師」とも呼ばれた。『ヤングコミック』、『週刊プレイボーイ』、『漫画アクション』、『ビッグコミック』等の雑誌を舞台に多くの連載を手がけ、最盛期には月産400枚という驚異的な執筆量をこなした。『修羅雪姫』、『同棲時代』、『しなの川』、『悪魔のようなあいつ』、『サチコの幸』など、映像化された作品も多い。 神奈川県横須賀市に生まれる。1964年、武蔵野美術大学デザイン科を卒業。
矢口 高雄(やぐち たかお、1939年10月28日 - 20… 矢口 高雄(やぐち たかお、1939年10月28日 - 2020年11月20日)は、日本の漫画家・エッセイスト。株式会社矢口プロダクション代表取締役。本名:高橋 高雄(たかはし たかお、戸籍上は「高」が異体字(はしご髙)で髙橋 髙雄)。血液型A型。 自然の中での生活をテーマにした作品を描き、代表作の『釣りキチ三平』、『幻の怪蛇バチヘビ』で、釣りとツチノコブームを起こした。 秋田県雄勝郡西成瀬村狙半内(後の平鹿郡増田町狙半内、現在の横手市増田町狙半内)出身。町の中心部から20km離れた山村に生まれ、自然に囲まれて育つ。この子供時代の生活が、後に漫画の題材となった。 4歳の時に、母親に読み聞かせてもらった宮尾しげをの『西遊記』や田河水泡の『のらくろ』で漫画に接し、以来無類の漫画好きになる。
鈴木 美智子(すずき みちこ、1939年8月28日 - 20… 鈴木 美智子(すずき みちこ、1939年8月28日 - 2025年5月12日)は、近畿を中心に活動するタレント、フリーアナウンサー、パーソナリティ、エッセイスト、朗読家、ガラスアーチスト。アナ・トーク学院学院長。未婚。A型。身長156cm。体重57kg(2014年8月時点)。大阪市在住。 大阪市阿倍野区生まれ。兄弟は兄2人、弟1人の家庭で可愛がられて育つ。帝塚山学院出身。吉本興業大阪本部所属。いつどこで年齢を聞かれようと「永遠の28歳」と答えている。 帝塚山学院中学校でコーラス部と演劇部に入っていた。宝塚ファンで、「宝塚ファンコンテスト」(毎日放送ラジオ)に出演して、黄金賞ばかりとって黄金賞大会で宝塚劇場に出た。
重金 敦之(しげかね あつゆき、1939年(昭和14年)4月… 重金 敦之(しげかね あつゆき、1939年(昭和14年)4月18日 - )は、日本のエッセイスト、食味評論家。 東京生まれ。東京都立戸山高等学校を経て、慶應義塾大学法学部政治学科卒業。朝日新聞社に入り、編集委員、常磐大学人間科学部教授(ジャーナリズム論)を経て、文芸ジャーナリスト。「週刊朝日」在籍中に池波正太郎、松本清張、結城昌治、渡辺淳一といった作家たちの担当編集者を務めた。食や酒に関する随筆を主に手がける。
2代目水谷 八重子(みずたに やえこ、1939年(昭和14年… 2代目水谷 八重子(みずたに やえこ、1939年(昭和14年)4月16日 - )は、日本の女優、歌手、演出家、エッセイスト。本名、松野 好重(まつの よしえ)。
山下 典子(やました のりこ、1939年4月5日 - )は、… 山下 典子(やました のりこ、1939年4月5日 - )は、日本のエッセイスト、アドバイザー、コメンテイター。ミス日本コンテスト関東大会委員長、山下塾主宰者。元夫は脚本家のジェームス三木。息子は俳優の山下規介。公認候補者として所属した自由連合では政策審議会審議委員を務めた。 本名、山下憲子。満洲国三江省で生まれる。1955年、岩手県立盛岡商業高等学校入学。上京後、文化服装学院在学中に三木と知り合い、1960年3月1日に結婚。ジェームス三木事務所を設立、20年間にわたって三木の秘書を務める。三木との間に二男一女を生む。 1988年秋、ごま書房から『女房学入門』を出版。この本の中で、三木の浮気相手が押しかけてきても慌てず騒がず、三木への電話の取次ぎまでした体験を語る。
片岡 義男(かたおか よしお、1939年3月20日 -)は、… 片岡 義男(かたおか よしお、1939年3月20日 -)は、日本の小説家、エッセイスト、写真家、翻訳家、評論家である。 東京生まれ。祖父の片岡仁吉は山口県の屋代島(周防大島)出身で、ハワイに移民した人物。父の定一は米国の市民権を有する日系二世 である。父は若い頃に苦学をして米本土に渡り、金銭的に余裕ができると、横浜や神戸に遊びにきていた。母は近江八幡の古くから続く数珠屋の娘で、奈良女子高等師範学校を卒業して、山口県の岩国で女学校の講師をしていた。父母は岩国で見合い結婚をして、その後アメリカに戻る予定であったが、戦争が近づいていたため、アメリカにはもどれず、母の希望で東京に出る。父は家庭内では英語しか話さず、家庭は英語と関西言葉が飛び交う場所だった。
安井 かずみ(やすい かずみ、1939年〈昭和14年〉1月1… 安井 かずみ(やすい かずみ、1939年〈昭和14年〉1月12日 - 1994年〈平成6年〉3月17日)は、日本の作詞家、訳詞家、エッセイスト、歌手。本名は漢字で一美。愛称はズズ (ZUZU)。初期のペンネームは みナみ カズみ。日本基督教団のクリスチャンでもあった(1993年受洗)。神奈川県横浜市出身。 フェリス女学院高等学校、文化学院油絵科卒業。ピアノや絵の好きな子供だった。文化学院油絵科に進んだころ、アルバイトで訳詞した「GIブルース」の大ヒットをきっかけにNHKの林叡作に勧められ、初めて作詞したのが「女の子だもん」。フェリス時代の同級生に藤村志保がいる。少女時代から絵画のほか、多数の習い事をしていた。
藤田 健次(ふじた けんじ 1939年-)は、青森県鶴田町出… 藤田 健次(ふじた けんじ 1939年-)は、青森県鶴田町出身の版画家、漫画家、エッセイスト。現代童画会会員。青森県八戸市在住。 公務員生活の合間をぬって版画家、漫画家、エッセイストとして作品を制作する。著書「看護婦のオヤジがんばる」シリーズは同名映画化され、昭和55年度文化庁優秀映画賞受賞。 1939年、青森県鶴田町生まれ。1958年、青森県立五所川原高等学校卒業。青森民友の新聞記者を経て公共職業安定所に勤務。 1999年、八戸公共職業安定所所長を最後に公務員生活を終了。 この間に版画家、漫画家、エッセイストとして活躍し、また1974年、朝日新聞に投書し、看護婦の労働条件の向上をめざして「看護婦のオヤジの会」提唱。
村上 龍男(むらかみ たつお、1939年 - )は、鶴岡市立… 村上 龍男(むらかみ たつお、1939年 - )は、鶴岡市立加茂水族館のシニアアドバイザー、エッセイスト。