石原 裕次郎(いしはら ゆうじろう、1934年〈昭和9年〉1… 石原 裕次郎(いしはら ゆうじろう、1934年〈昭和9年〉12月28日 - 1987年〈昭和62年〉7月17日)は、日本の俳優、歌手、実業家。兄は、芥川賞を受賞した小説家で政治家の石原慎太郎。 石原プロモーション創立者で、初代代表取締役社長兼会長。ヨットマンとしても活動していた。昭和を代表する俳優・タレントとされている。2000年に発表された『キネマ旬報』の「20世紀の映画スター・男優編」で日本男優の2位、同号の「読者が選んだ20世紀の映画スター男優」では第6位になった。2014年に発表された『キネマ旬報』の『オールタイム・ベスト 日本映画男優・女優』では日本男優の14位となっている。 1934年(昭和9年)12月28日(金曜日)に父石原潔(山下汽船社員、愛媛県出身)、母光子(広島県宮島の出身)のもと、兵庫県神戸市須磨区で誕生。
小川 欽也(おがわ きんや、1934年12月28日 - 20… 小川 欽也(おがわ きんや、1934年12月28日 - 2024年12月10日)は、日本の映画監督、脚本家、俳優、映画プロデューサーである。監督としての別名に三川 和久(みかわ かずひさ)、小川 卓寛(おかわ たかひろ)、小川 和久(おかわ かずひさ)、上田 光生(うえだ みつお)があり、俳優としては姿 良三(すがた りょうぞう)、脚本家としては水谷 一二三(みずたに ひふみ)と名乗る。成人映画の黎明期からの映画作家として知られ、異分野で活躍する山本晋也を除けば、成人映画の世界で長く現役として作品を発表し続けた人物であった。監督作は400本を超える。 1934年(昭和9年)12月28日、京都府京都市下京区烏丸通綾小路下ルに生まれる。
湯浅 実(ゆあさ まこと、本名・湯浅 實(読みは同じ)、19… 湯浅 実(ゆあさ まこと、本名・湯浅 實(読みは同じ)、1934年12月21日 - 2019年8月3日)は、日本の俳優。満洲国生まれ。身長168cm、体重70kg。東京都立大学中退。 NHK俳優養成所を卒業後、演劇集団「三十人会」を結成。 1969年、劇団青年座に入団。 1975年から1982年まで『中学生日記』で風間先生を演じた。 近藤芳正とは師弟関係にある。 2000年、紀伊國屋演劇賞受賞。 病気療養していたが、2019年8月3日2時3分(JST)、誤嚥性肺炎のため入院先の東京都内の病院で逝去。84歳没。
平良 進(たいら すすむ、1934年12月18日 - 202… 平良 進(たいら すすむ、1934年12月18日 - 2024年1月27日)は、沖縄県出身の俳優、演出家。ACO沖縄所属。劇団「綾船」主宰。妻は女優の平良とみ。
菅 貫太郎(すが かんたろう、1934年12月12日 - 1… 菅 貫太郎(すが かんたろう、1934年12月12日 - 1994年3月22日)は、日本の俳優。本名は同じ。愛称はスガカン。 秋田県湯沢市出身。秋田県立湯沢高等学校卒業、中央大学中退。劇団俳優座出身。田村企画を経て、東映俳優センターに所属していた。 高校卒業後、中央大学に進むが中退。 1957年(昭和32年)に俳優座養成所に第9期生として入所。 1960年(昭和35年)に座員となり、「セチュアンの善人」で初舞台を踏む。 1971年(昭和46年)に菅孝行作の「はんらん狂騒曲」上演を禁じた俳優座幹部と対立、中村敦夫、原田芳雄、市原悦子らと共に、俳優座劇場で同作の造反公演劇団を行い、退団した。 劇団在籍中から、映画やテレビドラマにも出演。
藤村 俊二(ふじむら しゅんじ、1934年〈昭和9年〉12月… 藤村 俊二(ふじむら しゅんじ、1934年〈昭和9年〉12月8日 - 2017年〈平成29年〉1月25日)は、日本の俳優、声優、タレント、振付師、実業家。神奈川県鎌倉市出身。愛称は「おヒョイ(さん)」。俳優事務所、有限会社O’hyoi & Sons(オヒョイアンドサンズ)所属。 実父はスバル興業社長2代目や国際宣伝企業株式会社常務を務めた藤村一良。兄に藤村哲司、妹に晴美、弟に藤村和三郎、藤村良典(後にキョードー東京関連会社キョードー横浜の会長を務めた)、藤村和良がいる。父は1904年6月東京生まれで、1923年に慶応義塾商業を卒業後旭硝子に入り日本油化工業の課長を務め、1946年からスバル興業専務となった。
丸山 博一(まるやま ひろかず、1934年11月20日 - … 丸山 博一(まるやま ひろかず、1934年11月20日 - 2023年9月29日)は、日本の俳優、演出家。東宝専属で劇団「東宝現代劇75人の会」メンバー。舞台演劇を中心に活動していた。秋田県出身。身長167センチメートル、血液型O型。 1934年(昭和9年)、秋田県秋田市土崎港新柳町生まれ。1953年(昭和28年)秋田県立秋田高等学校を卒業。大学受験に失敗した浪人中にルネ・クレマン監督のフランス映画『禁じられた遊び』に強く感銘を受けて映画監督に憧れるようになる。志望先を変更して1954年(昭和29年)、早稲田大学第一文学部文学科演劇専攻を受験、合格して同年、入学する。大学の入学式当日に早大演劇研究会に入会した。
中川 謙二(なかがわ けんじ、1934年〈昭和9年〉11月1… 中川 謙二(なかがわ けんじ、1934年〈昭和9年〉11月16日 - )は、日本の俳優・声優。東京府東京市(現:東京都)出身。本名同じ。早稲田大学卒業。プロダクション・タンクなどに所属していた。趣味は社交ダンス、ボウリング。 舞台、映画からアニメやラジオの声優、CMまで幅広くこなす。 一時期、中川謙一名義で出演した作品もある。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
新間 正次(しんま しょうじ、1934年〈昭和9年〉11月3… 新間 正次(しんま しょうじ、1934年〈昭和9年〉11月3日 - )は、日本のタレント、ラジオパーソナリティ、俳優、リポーター、元政治家、元参議院議員。元民社党愛知県連副委員長。愛称は「新間ちゃん」。 長男は教育芸人(教育エンターテイナー)の新間竹彦。新日本プロレス専務やスポーツ平和党幹事長を務めた新間寿は従兄弟で、父の弟の新間信雄の息子である。 愛知県蒲郡市出身(出生は豊橋市)。靴屋「早稲田堂」を経営する新間邦次の三男として生まれる。邦次はスパイクシューズを作っていた。1945年6月の豊橋空襲で靴屋と自宅が焼失したため、蒲郡へ移住した。愛知県立蒲郡高等学校卒業、高校時代は生徒会長を務めた。高校時代の先輩の勧めでNHK名古屋放送劇団に入団。
小瀬 朗(おせ ろう、1934年10月27日 - )は、日本… 小瀬 朗(おせ ろう、1934年10月27日 - )は、日本の俳優。東京府(現:東京都)八王子市出身。本名は小瀬 元三郎。
三保 敬太郎(みほ けいたろう、1934年10月17日 - … 三保 敬太郎(みほ けいたろう、1934年10月17日 - 1986年5月16日)は、東京都出身の作曲家、編曲家、ジャズピアニスト、レーシングドライバー、俳優、映画監督。 妻はボーカリストの宮崎正子。 鮎川義介の懐刀で満州重工業開発理事や日本コロムビア社長などを歴任した三保幹太郎の息子。高校時代から、ピアニストの守安祥太郎に師事し、在学中の1950年に「クール・ノーツ」でプロデビュー。慶應義塾大学卒業後は、トミー・パーマー・オーケストラなどでピアニストとして活動。1959年4月、前田憲男、山屋清と「モダンジャズ3人の会」を結成。同年『モグラの唄』で芸術祭奨励賞受賞。1961年、日本ジャズ界の作・編曲分野に大きく貢献し、2度目の芸術祭奨励賞を受賞。
久木 念(ひさき ねん、1934年10月16日 - )は、日… 久木 念(ひさき ねん、1934年10月16日 - )は、日本の俳優、声優。神奈川県出身。 中央大学卒業。馬場企画を経て、清野事務所所属。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
入江 洋佑(いりえ ようすけ、1934年10月1日 - 20… 入江 洋佑(いりえ ようすけ、1934年10月1日 - 2019年8月5日)は、日本の俳優。東京市本郷(現在の東京都文京区本郷)出身。 都立小石川高校卒業。俳優座養成所第3期生。養成所卒業後の1954年、劇団三期会(後の東京演劇アンサンブル)設立に参加し、劇団の主要メンバーとして活躍する。 この間の1952年、東映映画『泣き虫記者』で映画デビュー。大映映画『秘密』(1952年)『続十代の性典』(1953年)などに出演し大映と契約。『赤線地帯」(1956年、溝口健二監督)や『地上』(1957年、吉村公三郎監督)、『浮草』(1959年、小津安二郎監督)などに出演して印象深い演技を残す。 1960年代からは舞台を中心に活動、またテレビにも創成期から出演していた。
筒井 康隆(つつい やすたか、1934年〈昭和9年〉9月24… 筒井 康隆(つつい やすたか、1934年〈昭和9年〉9月24日 - )は、日本の小説家、劇作家、俳優。ホリプロ所属。身長166cm。大阪府大阪市出身。日本芸術院会員。 大阪市に生まれた。天王寺動物園長だった父の影響を受け、幼い頃から博物的な世界に憧れを持つ。同志社大学に入学し、美学・美術史を専攻。 1965年に東京に転居し、本格的な作家活動を展開、第一短編集『東海道戦争』(1965年)を刊行した。同年、『時をかける少女』『48億の妄想』では、現実と非現実をつなぐ幻想のリアリズムによる、無気味なナンセンスSFのジャンルを開拓。『ベトナム観光会社』(1967年)と『アフリカの爆弾』(1968年)で直木賞候補となる。
睦 五朗(むつみ ごろう、1934年9月11日 - )は、日… 睦 五朗(むつみ ごろう、1934年9月11日 - )は、日本の俳優・声優。本名:中西 清二(なかにし せいじ)、旧表記:睦 五郎。昭和九年会のメンバー。北斗七星プロジェクト所属。趣味はガーデニング、ゴルフ、麻雀。
大月 ウルフ(おおつき ウルフ、1934年8月27日 - )… 大月 ウルフ(おおつき ウルフ、1934年8月27日 - )、本名:ウルフ・ゲオルギー=ヘミング(Ulf Georgii-Hemming)は、日本の俳優。日本名は大月良雄(おおつき よしお)。青山学院大学卒業。
天田 俊明(あまだ としあき、1934年〈昭和9年〉8月22… 天田 俊明(あまだ としあき、1934年〈昭和9年〉8月22日 - )は、日本の俳優、声優。 群馬県伊勢崎市出身。 群馬県立前橋高等学校卒業。高校時代は野球部に所属し、中利夫は2年後輩だった。 1954年、ドラマグループ21世紀所属。1958年、TBS放送劇団6期生。 1960年にフリーランスとなり、富士放送プロに所属。 代表作である『七人の刑事』初代メンバーの最後の存命者である。 長男は天田暦。お笑いコンビ「(株)あまつか笑事」(2013年解散)の天田太郎は甥にあたる。叔父は図案家の小和田倉司。 声優としてはジョン・ヴォイトが持ち役である。 『七人の刑事』で共演した堀雄二のことを実の父のように慕っていたという。
丹羽 又三郎(にわ またさぶろう、1934年8月20日 - … 丹羽 又三郎(にわ またさぶろう、1934年8月20日 - )は、日本の俳優。2014年よりOKエンターテイメント所属。本名は中村 進()。昭和30年代後半の大映時代劇映画の主演級スター。また昭和40年代テレビ特撮番組の悪の幹部役の怪優としても知られている[要出典]。 東京市芝区芝浦町(現、東京都港区芝浦)出身。明治学院高等学校、明治学院大学文学部卒業。過去には太平洋テレビジョン、さむらいプロに所属していた。 冷蔵船用冷蔵庫を製作していた父の一人息子として生まれる。大学在学中の1954年、俳優を志し、松竹音楽学校附属研究所に入り、同年7月、新東宝に入社。中村 又三郎の芸名で、『地獄屋敷』でデビューしたのち、数本の映画に出演したが、社内事情のため、1956年に新東宝を退社する。
新田 昌玄(にった しょうげん、本名での読み:にった まさは… 新田 昌玄(にった しょうげん、本名での読み:にった まさはる、1934年〈昭和9年〉8月13日 - 2004年〈平成16年〉11月18日)は、徳島県海部郡木頭村(現:那賀郡那賀町)出身の日本の俳優、声優。旧芸名:新田 昌(にった あきら)。 徳島県立城東高等学校卒業。慶應義塾大学法学部中退。 劇団文化座を経て、1960年から劇団民藝に所属。舞台活動の傍ら、映画、テレビでも主に脇役・敵役として活躍。 2004年11月18日、食道癌のため東京都渋谷区の病院で死去。70歳没。
たてかべ 和也(たてかべ かずや、1934年7月25日 - … たてかべ 和也(たてかべ かずや、1934年7月25日 - 2015年6月18日)は、日本の俳優、声優、芸能プロモーター。本名は立壁 和也(読みは同じ)で、1970年代までは本名で活動していた。血液型はA型。設立時より死去するまでケンユウオフィス取締役を務めていた。
本多 一夫(ほんだ かずお、1934年7月11日 - )は、… 本多 一夫(ほんだ かずお、1934年7月11日 - )は、日本の劇場経営者、実業家、俳優である。本多劇場グループ代表として、下北沢が「演劇の街」と呼ばれるようになった契機を作った。社団法人日本劇団協議会顧問。東京都世田谷区在住[要出典]。息子は本多劇場総支配人の本多愼一郎。 北海道札幌市に生まれ、1953年(昭和28年)に北海道立伏見高校(現・北海道札幌啓北商業高等学校)を卒業後、北海道放送(HBC)の演劇研究所で学んだ後に上京した。 初めは俳優として活動し、映画俳優として新東宝に入社、1955年(昭和30年)の「新東宝ニューフェイス 第4期生」となった。新東宝ニューフェイスの同期には、女優・三ツ矢歌子、原知佐子、万里昌代、北沢典子、浅田勝子らがいた。
米倉 斉加年(よねくら まさかね、1934年〈昭和9年〉7月… 米倉 斉加年(よねくら まさかね、1934年〈昭和9年〉7月10日 - 2014年〈平成26年〉8月26日)は、日本の俳優・演出家・絵本作家・絵師。 福岡県福岡市(現在の同市中央区)出身。福岡市立警固中学校、福岡県立福岡中央高等学校卒業。高校ではバスケットボール部で主将を務めバスケットボールで西南学院大学への推薦を受けるも、当時はバスケットボールで生きる道はなく、役者として生きる道を選択する。戸籍上は正扶三(まさふみ)であったが、小学生の頃から「斉加年」と名乗り続け、改名し戸籍上も「斉加年」(1983年)となる。 推薦を断り一浪し、西南学院大学文学部英文科入学。演劇部で演劇に没頭する。1954年には、中退し単身東京へ。
大矢 兼臣(おおや かねおみ、1934年6月23日 - )は… 大矢 兼臣(おおや かねおみ、1934年6月23日 - )は、日本の男性俳優、声優。 東京都出身。東京都立八潮高等学校、明治学院大学卒業。劇団15人会、1956年に劇団文化座に入団し、1963年に劇団群像座に移る。1965年1月の時点では同劇団の代表。2012年2月まで東京俳優生活協同組合に所属していた。 声域はハイバリトン。方言は名古屋弁。特技は三味線、新内浄瑠璃、櫓(和船)。趣味は水泳、卓球。
団 巌(だん いわお、1934年6月22日 - 2003年1… 団 巌(だん いわお、1934年6月22日 - 2003年1月)は、日本の俳優。本名、久野 義雄。別名義、団 巌(だん がん)。 大阪府大阪市出身。早稲田大学第一文学部演劇学科卒業。サンプロモーションに所属していた。 1959年、大学を卒業。同年、東映東京撮影所に入社し、製作助手を経て製作主任となる。 1968年、東映を退社して俳優に転向。テレビドラマ『キイハンター』では複数回登場するなど、映画やテレビドラマで悪役を中心に活動した。 2003年1月、心筋梗塞のため死去。68歳没。晩年は古巣の東映東京撮影所に所属していた。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
林 彰太郎(はやし しょうたろう、1934年6月21日 - … 林 彰太郎(はやし しょうたろう、1934年6月21日 - 2000年代)は、日本の俳優。京都府京都市北区出身。本名は高橋 徹(たかはし とおる)。別名は池 徹(いけ とおる)。 京都府立山城高校卒業後、同志社大学経済学部に進学するが1958年に中退し、松竹俳優養成所に入る。同年、池 徹の芸名で『七人若衆大いに売り出す』で映画初出演。1960年に東映へ移籍し、林 彰太郎と改名。東映京都撮影所を拠点に活動した。 嶋田景一郎・坂口祐三郎と共に三野郎として売り出されていた。身長180cmの体格を活かし、時代劇・アクション映画・ヤクザ映画などの脇役を演じてきた。晩年は東映太秦映画村の俳優養成所で講師として後進の育成に当たった。
平松 慎吾(ひらまつ しんご、1934年6月15日 - 20… 平松 慎吾(ひらまつ しんご、1934年6月15日 - 2022年1月23日)は、日本の男性俳優。本名は石井 政治 福岡県出身。福岡県立嘉穂高等学校卒業。 劇団同人会、劇団葦、劇団東芸を経て、劇団NLTに所属。 2022年1月23日、誤嚥性肺炎で死去。87歳没。 妻は声優の信澤三惠子。
浅香 春彦(あさか はるひこ、本名:猪股 稔(いのまた み… 浅香 春彦(あさか はるひこ、本名:猪股 稔(いのまた みのる)、1934年6月10日 - )は、日本の俳優。旧芸名・別名:朝香 春彦(読みは同じ)。 京都府出身。立命館大学卒。1957年にミスター平凡コンテストで準ミスターを受賞。
鈴木 智(すずき とも、1934年6月7日 - 2018年7… 鈴木 智(すずき とも、1934年6月7日 - 2018年7月10日)は、宮城県出身の俳優。劇団民藝所属。 東京都立明正高等学校(現在の東京都立芦花高等学校)出身。1956年、『遠い凱歌』で初舞台を踏み、映画やテレビドラマにも出演した。身長190cm。特技は狂言。2018年7月10日午前11時、両肺の胸膜炎・呼吸不全のため東京・世田谷区内の病院で死去した。享年84歳。
岡本 四郎(おかもと しろう、1934年5月20日 - )は… 岡本 四郎(おかもと しろう、1934年5月20日 - )は、日本の俳優・声優。福岡県出身。西南学院大学卒。 1959年に東映と契約し}、『おれたちの真昼』でデビュー。 1964年に東映との契約が終了し劇団民藝に入団。1969年10月に六芸社所属となる。 特技は博多弁。三枚目や朴訥な人物などに扮し、脇役として活動した。
高見 のっぽ(たかみ のっぽ、以前の芸名:高見 映(たかみ … 高見 のっぽ(たかみ のっぽ、以前の芸名:高見 映(たかみ えい)、本名:高見 嘉明(たかみ よしあき)、1934年〈昭和9年〉5月10日 - 2022年〈令和4年〉9月10日)は、日本の俳優、作家。京都府京都市右京区出身。 『なにしてあそぼう』(NHK教育テレビジョン、1966年 - 1970年)『できるかな』(NHK教育テレビジョン、1970年 - 1990年)にて、一切喋らないキャラクター「ノッポさん」を務め上げ、放送終了後も「ノッポさん」の愛称で親しまれた。 京都府京都市右京区太秦の役者長屋に生まれ、4歳から東京府東京市向島区(現在の東京都墨田区)に育つ。6人兄弟の第4子。 父・嘉一(芸名は柳妻麗三郎(やなづま れいざぶろう)、松旭斎天秀(しょうきょくさい てんしゅう)、チャーリー高見など)は芸人、奇術師、俳優、工場長と様々な職業を経験し、太平洋戦争後、芸人に復帰した人物。
高見 のっぽ(たかみ のっぽ、以前の芸名:高見 映(たかみ … 高見 のっぽ(たかみ のっぽ、以前の芸名:高見 映(たかみ えい)、本名:高見 嘉明(たかみ よしあき) 1934年5月10日 - )は、日本の俳優、作家。京都府京都市右京区太秦出身。
白木 みのる(しらき みのる、1934年〈昭和9年〉5月6日… 白木 みのる(しらき みのる、1934年〈昭和9年〉5月6日 - 2020年〈令和2年〉12月16日)は、日本の俳優、実業家。本名は柏木 彰()。愛称は「ベイビー」。小柄な体と甲高い声で、個性派として人気を集めた。 島根県八束郡八束村(後の同郡八束町、現在の松江市八束町)の大根島出身。幼少期に、父の仕事の関係で日本と満洲を往復して育った。3歳の頃に肝炎を患った影響で脳下垂体の機能が低下し、発育不全となる。また、小柄な体躯を活かせる騎手を夢見るが挫折する。 絵のコンクールで入賞したことをきっかけに美術を進路に定め、絵の具代を稼ぐために地元ののど自慢大会や、ラジオの素人参加番組で賞金を得ることを思い立つ。
宝田 明(たからだ あきら、1934年4月29日 - )は、… 宝田 明(たからだ あきら、1934年4月29日 - )は、日本の映画俳優、タレント、声優、司会者である。
向 精七(むかい せいしち、1934年4月8日 - 没年不明… 向 精七(むかい せいしち、1934年4月8日 - 没年不明)は、日本の元俳優。東京都出身(北海道出生)。東京都立小石川工業高等学校卒。 旧芸名・別名:向井 精七、向井 正人、向 正人。東宝株式会社などに所属していた。 俳優引退後は東京調布市でカラオケ専門のスナックバー「カフェ&キッチン ムカイ」のマスターを務めた。 すでに故人であるとされているが、正式な没年月日、没年齢、死因などは判明していない。
大村 文武(おおむら ふみたけ、1934年3月24日 - )… 大村 文武(おおむら ふみたけ、1934年3月24日 - )は、日本の俳優。東京市小石川区出身。本名同じ。 1956年に明治大学文学部演劇科を卒業し、東映ニューフェイスの第3期生となる。同期には里見浩太朗・桜町弘子・大川恵子らがいた。主演作は『月光仮面』シリーズのみで、1966年に退社。フリーとなりテレビドラマへ進出。悪人役をメインとした。その後は群馬県でスナック・喫茶店等を経営し、1989年には村西とおる率いるダイヤモンド映像でAV監督として活動した。 2013年に発売された『'60年代 蘇る昭和特撮ヒーロー』では連絡先不明としており、消息は明らかになっていない。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。
原 哲男(はら てつお、1934年〈昭和9年〉3月21日 -… 原 哲男(はら てつお、1934年〈昭和9年〉3月21日 - 2013年〈平成25年〉1月11日)は、日本のお笑い芸人、俳優。本名:柳原 哲也。吉本興業所属。 熊本県熊本市上近見町に生まれる。九州学院高等学校卒業後、剣戟の「富士川昇一座」に入って、九州を巡業する。また「島陽之助一座」にも籍を置いた。 1953年、大阪に出て、「堀江洋子一座」に入る。その後、ストリップ劇場のコメディアンに転向して、新世界のジャンジャン横丁にあった「温泉劇場」などに出演していたが、生活に困窮し、堀江洋子一座で一緒で「島陽之助一座」にいたころからの旧知の島田洋之介に誘われ1963年、吉本興業に入社する。 以後、吉本新喜劇で活躍、1969年には座長に就任、『てなもんや三度笠』では、毎回CM時に藤田まこと、白木みのると掛け合いで登場し、レギュラー出演していた。
北川 陽一郎(きたがわ よういちろう、1934年〈昭和9年〉… 北川 陽一郎(きたがわ よういちろう、1934年〈昭和9年〉3月20日 - )は、日本の俳優。本名・旧芸名は細川 隆一(ほそかわ りゅういち)。北海道小樽市出身。 日本大学芸術学部中退。 1950年代後半ごろに東宝の専属俳優となって、本名の細川隆一名義で数多くの作品に出演した。専属制度が崩壊した1971年以降は北川陽一郎と芸名を付け、エヌ・エー・シーの専属として主にテレビで活動する。 その後、活動の拠点を北海道に移し札幌市に「NACタレントセンター札幌」を開設、1980年には劇団「劇団道」を創設する。 2005年にNACタレントセンター札幌を「北海道俳優養成所」と独立改称し、現在代表、主宰を務めている。
勝部 義夫(、1934年〈昭和9年〉3月19日 - 2023… 勝部 義夫(、1934年〈昭和9年〉3月19日 - 2023年〈令和5年〉5月)は、日本の元俳優。島根県大田市波根町出身。日本大学芸術学部映画科卒業。 1953年、大学入学と同時に帝国劇場の研究生となり、翌年に正式な劇団員となる。 1955年に東宝専属となり、1956年に公開された東宝配給作品『白夫人の妖恋』(豊田四郎監督)でデビュー。 その後も多数の作品でバイプレイヤーとして活躍。合計327本の映画に出演。書籍『ゴジラ大百科 [メカゴジラ編]』では、「決定打的な役はないが、常に何らかのかたちで画面に登場してくる不思議な俳優」と評している。 テレビドラマでも『ウルトラセブン』の準レギュラー・ウエノ隊員をはじめ多数の作品に出演。
小島 秀哉(こじま ひでや、1934年〈昭和9年〉3月19日… 小島 秀哉(こじま ひでや、1934年〈昭和9年〉3月19日 - 2012年〈平成24年〉7月17日)は、日本の俳優。本名、小嶋 秀哉(読み同じ)。広島県呉市出身。松竹・関西演劇部所属。桃山学院高等学校卒業。血液型B型。 曾我廼家十吾に弟子入り。 1953年に松竹新喜劇へ入団し、「藤山寛美に次ぐナンバー2」と目された。 1977年に退団後、小沢昭一主宰の芸能座に参加。なお、退団は藤山との不仲が噂されたが、藤山の娘・直美主演の舞台に数多く出演していた(2009年の松竹新喜劇結成60周年記念公演にも出演)。 1978年、『ダイナマイトどんどん』で野球の試合前に「ダイナマイト〜!」と気合を入れる主人公の相棒・留吉役で出演。
佐藤 允(、1934年〈昭和9年〉3月18日 - 2012年… 佐藤 允(、1934年〈昭和9年〉3月18日 - 2012年〈平成24年〉12月6日)は、日本の俳優。身長173 cm、体重71 kg。 佐賀県神埼郡神埼町(現:神埼市)出身。日本大学第三高等学校卒業。息子は映画監督の佐藤闘介。 4歳の頃に父が戦死し、教員の母の手一つで育てられた。なお佐藤の父親は生前、陸軍の久留米連隊に所属しており、後年に役者として軍人を演じる際は幼少期に見た父親の立ち居振る舞いが大いに影響されているとのこと。 高校卒業後、1953年に俳優座養成所に第4期生として入団。同期には宇津井健・佐藤慶・仲代達矢・中谷一郎らがいる。なお、佐藤、仲代、中谷の3人は、後年に岡本喜八の「喜八一家(ファミリー)」の一員と見なされた。
椙山 拳一郎(すぎやま けんいちろう、1934年3月10日 … 椙山 拳一郎(すぎやま けんいちろう、1934年3月10日 - 2015年4月)は、日本の俳優である。本名は杉山 健一郎(読み同じ)、初期芸名は杉山 健(すぎやま けん)、杉山 拳一郎(本名と読み同じ)。「椙山挙一郎」は誤り。 1934年(昭和9年)3月10日、東京府東京市芝区新橋(現在の東京都港区新橋)に生まれる。 1949年(昭和24年)4月、当時日本橋兜町にあり、戦後男女共学になった東京都立紅葉川高等学校に入学、1952年(昭和27年)3月、同校を卒業、同年4月に明治大学法学部に進学する。同学在学中は演劇活動を行っていたが、健康上の理由で満21歳になる1955年(昭和30年)に同学を中途退学した。
ケーシー 高峰(ケーシー たかみね、1934年〈昭和9年〉2… ケーシー 高峰(ケーシー たかみね、1934年〈昭和9年〉2月25日 - 2019年〈平成31年〉4月8日)は、日本のコメディアン、タレント・俳優。本名:門脇 貞男(かどわき さだお)。主なギャグに、インターンからUターンして、セニュール、グラッチェ、よし子、などがある。 白衣姿で黒板やホワイトボードを用いる医事漫談の創始者だった。『笑点』など、テレビのお笑い/寄席番組でも人気を博した。俳優としても活躍した。シングル、アルバムもリリースしている。 山形県最上郡最上町出身。母方は先祖代々医師の家系であり、母・シヅエは生涯現役で診察を務めた産婦人科医であり、ケーシーの姉も医師、父は海外出張の多い商社マンで、レコードの収集家だった。
財津 一郎(ざいつ いちろう、1934年〈昭和9年〉2月22… 財津 一郎(ざいつ いちろう、1934年〈昭和9年〉2月22日 - 2023年〈令和5年〉10月14日)は、日本の俳優、コメディアン、歌手。 本名:財津 永栄(ざいつ ながひで)、旧芸名:財津 肇メ。熊本県熊本市出身。熊本県立済々黌高等学校卒業。 財津家は神武天皇の時代から続くというほどの名家であった。父親は農林省(現:農林水産省)の役人で、3人兄弟の末っ子として東京に住んでいた、父が日中戦争で中国大陸へ出征したため、1944年に一家は故郷の熊本へ疎開した。 1947年に、阿蘇にある財津家の土地を守るために阿蘇郡黒川村(現・阿蘇市)へ移住、学校もそれまで通っていた済々黌中学校から阿蘇農業高等学校(現・熊本県立阿蘇中央高等学校)へ転校した。
長門 裕之(ながと ひろゆき、1934年〈昭和9年〉1月10… 長門 裕之(ながと ひろゆき、1934年〈昭和9年〉1月10日 - 2011年〈平成23年〉5月21日)は、日本の俳優。昭和時代の日活映画の「青春スター」。(今村昌平監督と組んだ)『にあんちゃん』で1959年(昭和34年)のブルーリボン男優主演賞受賞。『豚と軍艦』『秋津温泉』などで主演。テレビドラマなどでも活躍。俳優の津川雅彦は実弟。 歌舞伎俳優の沢村国太郎を父に、女優のマキノ智子を母に、本名 加藤 晃夫(かとう あきお)として、京都府京都市中京区で誕生。両親もそうだが、祖父は「日本映画の父」と呼ばれる牧野省三、狂言作者の竹芝伝蔵、叔父に加東大介、叔母に沢村貞子がいるという演劇・映画などを本業とする芸能一家の一員として誕生。
世志 凡太(せし ぼんた、1934年1月4日 - 2025年… 世志 凡太(せし ぼんた、1934年1月4日 - 2025年11月18日)は、日本のソングライター(作詞家・作曲家)、俳優、コメディアン、演出家、音楽プロデューサー。本名は市橋健司(いちはし・けんじ)。東京都豊島区出身。芸名は、フランス語の「C'est si Bon.」(セシボン・「とってもいい」の意)から来ている。事実上の内縁関係にあった女優の浅香光代と35年間生活を共にしていた。浅草喜劇人協会会長。 18歳の時からアルバイトでバンドに加わって進駐軍のキャンプを回り、1957年に「原信夫とシャープス&フラッツ」にベーシストとして参加。渡邊プロに所属しバンドマンとしての活動他に同時期にコメディアンとして朝日放送の「てなもんや三度笠」などのテレビ番組、ハナ肇とクレージーキャッツ主演の映画、東宝・松竹の喜劇映画、NHKの音楽番組等に出演する。
児玉 清(こだま きよし、1934年1月1日 - 2011年… 児玉 清(こだま きよし、1934年1月1日 - 2011年5月16日)は、日本の俳優、タレント、テレビ司会者、作家。東京府東京市滝野川区(現在の東京都北区)出身。学習院大学文学部ドイツ文学科卒業。本名は北川 清(きたがわ きよし)。出生名および旧芸名は小玉 清(こだま きよし)。 元児玉清事務所代表取締役。事務用品の販売・卸会社の株式会社チカダ元専務取締役。妻は元女優の北川町子。長男は元タレントで児玉清事務所代表取締役兼事務用品の販売・卸会社の株式会社チカダ代表取締役社長の北川大祐。 俳優業・司会業で人気を博した他、書評や政治評論でも存在感を示し、後者では保守の立場から日本の現状への憂いなどを綴った文章を度々寄稿していた。
関根 信昭(せきね のぶあき、1934年〈昭和9年〉1月1日… 関根 信昭(せきね のぶあき、1934年〈昭和9年〉1月1日 - 2021年〈令和3年〉11月20日)は、日本の声優、俳優。東京府(現・東京都)出身。81プロデュース最終所属。 東京都立第四商業高等学校出身で高校の演劇部の後輩には富田耕生、古川登志夫がいる。 母校に通って来て、セット、小道具などの作り方を熱心に指導していた。 NHKの俳優養成所の研究生を経て、東京放送劇団5期生。 初仕事は刑事物のドラマの脱獄した犯人役の足だった。 1966年5月から日本点字図書館の朗読奉仕者をしていた。 同放送劇団解散後、関根が図書館の朗読奉仕者をしていたことを知っていた人物から「こういう仕事なんだが、やってくれないだろうか」と打診が来たのが副音声だった。
田中 浩(たなか ひろし、1934年〈昭和9年〉1月1日 -… 田中 浩(たなか ひろし、1934年〈昭和9年〉1月1日 - 1993年〈平成5年〉1月2日)は、日本の俳優。本名は同じ。 京都府出身。京都商業高等学校卒業。オフィス青柳、ファミリープロに所属していた。 父は昭和初期から中期にかけて活躍した俳優・寺島貢、母は昭和初期の女優・対馬ルイ子。 東宝を経て三船プロダクションに入社し、殺陣師・久世竜に師事。当時は同社製作の映画・テレビのほぼすべてに脇役で出演しており、斬られ役などとして重用されていた。退社後は各社のテレビドラマ・映画に出演したが、アクション作品でのやくざ役、時代劇での悪代官役など悪役が多く、1979年の『戦国自衛隊』では武田信玄を演じた。一方、「わんぱくでもいい、たくましく育ってほしい」のキャッチコピーで知られる丸大食品のCMに長らく出演していたことから、その知名度は高かった。
山谷 初男(やまや はつお、1933年〈昭和8年〉12月19… 山谷 初男(やまや はつお、1933年〈昭和8年〉12月19日 - 2019年〈令和元年〉10月31日)は、日本の俳優。本名:山谷 八男。旧芸名:山谷 初夫。舞プロモーションに所属。秋田県仙北郡角館町(現:仙北市)出身。秋田県立角館北高等学校(現:秋田県立角館高等学校)卒業。役者仲間からは「はっぽん」の愛称で親しまれた。 八か月の早産で産まれたことから、八男と名付けられたが、生死が危ぶまれていた中、奇跡的に生き続けたため、もう一つの名前として「初男」を与えられている。その「はつお」から「ハツ坊」「ハッポ」というあだ名がつけられた。 高校卒業後に画家を目指して上京。当初は中野の通信学校に入っていたが、昼は代々木の予備校、夜は阿佐ヶ谷の絵の学校にも通う。
宍戸 錠(ししど じょう、(英:Joe Shishido)1… 宍戸 錠(ししど じょう、(英:Joe Shishido)1933年〈昭和8年〉12月6日 - 2020年〈令和2年〉1月18日)は、日本の俳優・タレント・司会者。血液型はB型。宍戸錠事務所所属。愛称は「エースのジョー」。 妻はエッセイスト、宍戸游子。宍戸開は長男、宍戸史絵(現・紫しえ)は長女、郷鍈治は実弟、ちあきなおみは義妹(実弟・郷鍈治の妻)。大阪府桜宮(現在の大阪市都島区)出身。宮城県白石高等学校卒業、日本大学藝術学部演劇科中退。 父の左義右は1898年9月、現在の福島県伊達市に生まれた。兄に義一郎がいた。錠によれば母の文は神奈川県横浜市出身だが、母親自身の話では父(錠の祖父)が台湾総督の副官であり、台湾で生まれ、父の転勤で日本へ戻り、静岡県浜松市で育ったと述べている。