吉村 功(よしむら いさお、1941年1月25日 - )は、… 吉村 功(よしむら いさお、1941年1月25日 - )は、日本のフリーアナウンサー。元東海テレビ放送アナウンサー。 東京都中野区出身。東京都立大泉高等学校を経て、早稲田大学政治経済学部卒業。現在は岐阜県に在住。岐阜経済大学経営学部情報メディア学科非常勤講師。 少年時代、当時の自宅の近くにあった上井草球場にプロ野球の試合を観に行っていたことがあるが、ある日東急フライヤーズが来た時に、本人曰く大下弘が捨てた鼻紙を目指して吉村を含む大勢の子供たちが殺到、結局他の子に取られてしまったことで、「プロ野球に係われる仕事に就く。それなら、いつか選手と親しくなれる」とこの時子供心に誓ったという。元々アナウンサーに強い憧れを持っていたわけではなかったが、なぜアナウンサーになったのかを振り返ると「これが大きな意味を持っていたのではないか」と感じていると話している。
月岡 逸弥(つきおか いつや、1941年1月13日 - )は… 月岡 逸弥(つきおか いつや、1941年1月13日 - )は元文化放送アナウンサー。 東京都台東区出身。早稲田大学法学部卒業。 1964年、文化放送入社。1965年、「歌謡リクエスト〜東芝レコードアワー」が初担当番組。スポーツ中継(文化放送ホームランナイター、大相撲熱戦十番、近代オリンピック他)の実況を中心に担当し、野球からテニスまで16種類のスポーツ実況をこなした。報道番組「ニュース・パレード」のキャスターも担当した。後に、アナウンス部長として、後進の指導に当たる。退職後も、東京アナウンスセミナーでスポーツ中継担当アナウンサー養成のコースでの講師を務めている。 この項目は、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。
長南 敏雄(ちょうなん としお、1941年1月9日 - )は… 長南 敏雄(ちょうなん としお、1941年1月9日 - )は、元札幌テレビアナウンサー。
西橋 正泰(にしはし まさひろ、1941年1月3日 - )は… 西橋 正泰(にしはし まさひろ、1941年1月3日 - )は、NHKの元アナウンサー。 鹿児島県生まれ、大阪府で育つ。大阪府立三国丘高等学校、慶應義塾大学経済学部卒業後、1963年入局。初任地は京都で8か月間だった。 現役時代は、山口、大阪、広島、東京アナウンス室などで勤務し、放送総局アナウンス室次長、1996年より1年間アナウンス室長を歴任。役職定年後の1998年4月から『関西発ラジオ深夜便』アンカーを担当。中村宏アンカーと交替で出演してきたが、2012年3月16日深夜の放送を最後に勇退。
倉持 隆夫(くらもち たかお 1941年1月2日 - )は、… 倉持 隆夫(くらもち たかお 1941年1月2日 - )は、日本テレビ放送網の元アナウンサー。 東京都三鷹市出身。東京都立豊多摩高等学校、早稲田大学法学部卒業。早大在籍時には笹沢左保の書生を務めている。1964年4月、アナウンサーとして日本テレビに入社。徳光和夫の薦めで『全日本プロレス中継』の実況アナウンサーの一員となる。特に1976年頃からは清水一郎、徳光の後を受けたメインアナウンサーとなる。ジャイアント馬場、ジャンボ鶴田、ミル・マスカラス、ザ・ファンクスらの数々の名勝負を18年間にわたり実況。独特の「倉持節」でプロレスファンを熱狂させ、1990年の実況最後の日には試合会場でウェーブが沸き起こるほどの支持を得た。
盛山 毅(もりやま たけし、1941年(昭和16年)1月1日… 盛山 毅(もりやま たけし、1941年(昭和16年)1月1日 - )は、東京都出身の元アナウンサー。 東京都立西高等学校を経て、慶應義塾大学法学部政治学科卒業後の1964年にフジテレビへ入社。同学年で同じフジテレビアナウンサーかつ友人でもあった露木茂よりも1年遅れての入社であった。また、高校の同級生に元JR東海の葛西敬之がいる。 1960年代後半から1980年代前半にかけて数々の競馬実況を行い、1973年からは東京優駿の実況を毎年行ってきた鳥居滋夫の後を受け、1986年まで同競走の実況を務める。その間はフジテレビ競馬中継のメイン実況者として、関西テレビの杉本清と共にフジ系列の競馬中継の「顔」として君臨。
村松 賢一(むらまつ けんいち、1941年 - )はアナウン… 村松 賢一(むらまつ けんいち、1941年 - )はアナウンサー。NHKアナウンサーを経て、お茶の水女子大学文教育学部教授を務めた。
北村 元(きたむら はじめ、1941年 - )は、日本教育テ… 北村 元(きたむら はじめ、1941年 - )は、日本教育テレビ(NET)・テレビ朝日の元アナウンサー、フリーのジャーナリストである。日本大学卒業。
浪久 圭司(なみひさ けいじ、1941年(昭和16年) - … 浪久 圭司(なみひさ けいじ、1941年(昭和16年) - )は、日本のアナウンサー、朗読者、実業家。東京都出身。 生家は海苔店。早稲田高等学院を経て1964年に早稲田大学政治経済学部を卒業後、フジテレビにアナウンサーとして入社。その後、制作部門、管理部門、フジテレビ常務取締役、BSフジ社長、BSフジ代表取締役会長(2009年まで)を歴任。2010年、フジテレビの同僚に誘われて朗読への道へ。2010年、公益財団法人多摩市文化振興財団(パルテノン多摩)代表理事。2018年11月、公益財団法人多摩市文化振興財団(パルテノン多摩)代表理事を退任。 1文化放送グループのうち、文化放送とその子会社のみがフジサンケイグループに属している。
三浦 紘朗(みうら ひろあき、1941年 - )は、関西を中… 三浦 紘朗(みうら ひろあき、1941年 - )は、関西を中心に活動するフリーアナウンサー、音楽評論家。広島県・尾道市出身。 1965年ラジオ関西局アナウンサーとして入社(同期入社に小山乃里子)。主に洋楽系の音楽番組と報道を中心として出演し、親しみのある語り口とわかりやすい解説でラジオ関西の名パーソナリティーとして親しまれた。 2002年に定年退職、フリーアナウンサーになってからも、ラジオ関西を中心とした関西の放送局で番組を担当している。 80歳を迎え、2022年3月をもって「名曲ラジオ 三浦紘朗です」が終了することになり、長年続けたラジオ関西の番組からすべて降板となる(エフエム宝塚での番組は継続する)。
大塚 浩(おおつか ひろし 1940年12月12日 - )は… 大塚 浩(おおつか ひろし 1940年12月12日 - )は、東京都新宿区出身の元アナウンサー。 東洋大学経済学部経済学科卒業後、1964年4月に新潟放送へ入社。同期には上野勝、大倉修吾、平林勝芳がいる。 入社2ヶ月後の6月16日には新潟地震が発生するが、翌17日にラジオで放送された災害特別番組ではヘリコプターからの被害の状況を伝えた。 1979年には第5回アノンシスト賞ラジオCM部門で受賞。 別冊ラジオパラダイス「DJ名鑑」(1987年刊)には、「大洋ホエールズ、KUWATA BAND、井上陽水、ビートルズ、F1レースを徹底的に応援している」と紹介されている。 柔道初段(1988年の時点)。原子力発電所取材のために取得したという放射線業務従事者の資格を持っている。
露木 茂(つゆき しげる、1940年〈昭和15年〉12月6日… 露木 茂(つゆき しげる、1940年〈昭和15年〉12月6日 - )は、日本のフリーアナウンサー。 元フジテレビのエグゼクティブアナウンサー。東京国際大学特命教授・客員教授。日本記者クラブ企画委員。 TBSスパークル(旧キャスト・プラス)所属。妻は早稲田大学時代の同級生で同じ放送研究会に所属していた元NETテレビ(現在:テレビ朝日)アナウンサーの軽部和子。 東京府東京市麹町区(現在:東京都千代田区)出身。千代田区立麹町小学校、千代田区立麹町中学校、早稲田大学高等学院(早大学院)を経て早稲田大学政治経済学部経済学科に入学。高校・大学時代はボート部、大学途中でアナウンス研究会に所属(当時の会友には大沢悠里、鈴木史朗、枇杷阪明、石川顕らがいた)する。
早川 建二(はやかわ けんじ、1940年12月6日 - )は… 早川 建二(はやかわ けんじ、1940年12月6日 - )は東京都出身のラジオ日本の元アナウンサー。 立教大学経済学部経営学科卒業後、1964年当時のラジオ関東入社。ラジオ日本ジャイアンツナイターなどスポーツ中継を中心に担当。記録・データに詳しく、放送の中でも発揮していた。 鉄道、時刻表、テニスなどに造詣が深く、博識であった。 この項目は、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(アナウンサーPJ)。
柳井 恒夫(やない つねお、1940年12月5日 - )は大… 柳井 恒夫(やない つねお、1940年12月5日 - )は大阪府出身の元NHKのエグゼクティブアナウンサー。
梶 幹雄(かじ みきお、1940年〈昭和15年〉11月4日 … 梶 幹雄(かじ みきお、1940年〈昭和15年〉11月4日 - )は、日本のフリーアナウンサー。元ニッポン放送アナウンサー。 台北州(現在の台湾台北市)で生まれ、すぐに東京都に転居。東京都立第一商業高等学校を経て1965年3月に明治大学商学部商学科卒業。大学在学中はグリークラブに所属していた。 同年4月、ニッポン放送に入社。入社同期は同じ大学出身で、元同じくアナウンサーで現・フリーアナウンサーである高嶋秀武。 1968年にリリースされた高石ともやのシングル『受験生ブルース』にて、この曲中に出て来る「ラジオ講座」のアナウンサーとして出演している。 1992年、ニッポン放送を早期退社し、フリーアナウンサーに転向。
水野 節彦(みずの さだひこ、1940年11月3日 - )は… 水野 節彦(みずの さだひこ、1940年11月3日 - )は、元NHKチーフアナウンサーで、現在はフリーアナウンサー。 東京都立文京高等学校を経て慶應義塾大学経済学部を卒業後、1964年入局。現役時代はスポーツ実況などを担当していた。NHKを定年退職後は「番組出演契約」の形となり、NHKで「ラジオ深夜便」アンカーを務めた後、神奈川県藤沢市にあるNPOで、もとは亡くなった母親が立ち上げた「耳から聞く図書館」の事務局長として活動している。
峯尾 武男(みねお たけお、1940年11月2日 - )は、… 峯尾 武男(みねお たけお、1940年11月2日 - )は、NHKの元チーフアナウンサー。 東京都出身。東京都立西高等学校、東京外国語大学卒業後、1964年入局。主に地方局を中心に勤務し、大阪局で役職定年を迎えた1997年4月から「関西発ラジオ深夜便」アンカーを担当。完全定年によりフリーとなってからも関西に残り、西橋正泰アンカーと交替で出演し続けた。 高齢となったことから、2010年3月12日放送をもって13年間の担当から卒業した。
巻山 晃(まきやま あきら、1940年〈昭和15年〉10月2… 巻山 晃(まきやま あきら、1940年〈昭和15年〉10月28日 - 2022年〈令和4年〉11月26日)は元札幌テレビ放送アナウンサー。
青尾 幸(あおお さち、旧姓:南村、1940年10月20日 … 青尾 幸(あおお さち、旧姓:南村、1940年10月20日 - )は、元日本テレビアナウンサー。 主に、報道・教養番組、天気予報を担当した。皇室関連の番組を長く担当していたため、ロイヤル青尾という愛称で呼ばれることもあった。
高梨 敬一郎(たかなし けいいちろう、1940年9月28日 … 高梨 敬一郎(たかなし けいいちろう、1940年9月28日 - 2021年7月15日)は、元NHKアナウンサー。元関西国際大学教授。東京都出身。 上智大学文学部新聞学科卒業。 1963年(昭和38年)、NHK入局。 松山→福岡→静岡→仙台(1982年から)などを歴任。 NHKの報道アナウンサーとして公害問題に特に力を入れた取材を展開した。1995年のNHK大阪放送局勤務を最後に退職。その後関西国際大学・経営学部で教授に就任し、話し言葉についての講義を行うほか、各地で講演活動も行っていた。また、1996年から1997年には関西発ラジオ深夜便のアンカーも担当した。 学生時代からの趣味は、高校生の時に時刻表で高梨駅(魚沼線、1984年廃止)を見つけてそこに出かけて行ったのがきっかけで始めた鉄道旅行で、特に特急や急行を使わずに乗っていくのを好んだ。
山田 誠浩(やまだ よしひろ、1940年9月5日 - )は、… 山田 誠浩(やまだ よしひろ、1940年9月5日 - )は、元NHKエグゼクティブアナウンサーで、現在はフリーランスアナウンサー(ムーブマン業務提携)。京都市出身。 滋賀県立膳所高等学校、法政大学卒。1963年NHKにアナウンサーとして入局。山口、長野、広島、仙台、東京の各局を歴任。「大河ドラマ・おんな太閤記」、数々の「NHKスペシャル」のナレーション、「私の本棚」「ラジオ文芸館」の朗読、「ラジオ深夜便」アンカーなどを務めた。 2000年からはフリーランスアナウンサーとして「こころの時代」「知るを楽しむ」など主にNHKの番組のインタビュアー、ナレーターとして活躍している。 NHKの朗読番組「ラジオ文芸館」の演出と語りは13年にわたって担当、数多くの作品を放送すると共に、ライブの朗読にも積極的に取り組んできた。
土居 まさる(どい まさる、1940年〈昭和15年〉8月22… 土居 まさる(どい まさる、1940年〈昭和15年〉8月22日1941年〈昭和16年〉8月22日 - 1999年〈平成11年〉1月18日)は、日本のアナウンサー(文化放送 → フリー)、ディスクジョッキー、タレント、司会者。本名は平川 巌彦(ひらかわ よしひこ)。静岡県沼津市出身。 愛知県出身で、後に静岡県田方郡天城湯ヶ島町(現在の伊豆市)で育つ。実際に育った集落は賀茂郡河津町湯ヶ野温泉であり、平川家も湯ヶ野に現存している。遠い親戚筋に当たる『伊豆の踊子』の宿福田家(稲穂家)が支援をしていた育ての親であるという話があり、湯ヶ野集落でお年寄りに話を聞くと「よしひこ(土居)は子供の頃から話をするのが上手だった」などの思い出話を聞くことができる。
斉藤 安弘(さいとう やすひろ、1940年〈昭和15年〉8月… 斉藤 安弘(さいとう やすひろ、1940年〈昭和15年〉8月21日 - )は、日本のフリーアナウンサー。ニッポン放送元アナウンサー。愛称は「安弘」を音読みさせたアンコー、アンコーさん。 神奈川県横浜市出身。神奈川県立横浜平沼高等学校、中央大学法学部法律学科卒業後、1964年ニッポン放送入社(同期のアナウンサーは宮田統樹ら)。1967年スタートの同局看板番組「オールナイトニッポン」で、初代パーソナリティとして名を馳せた。同期入社の亀渕昭信とカメ&アンコーのコンビで人気を集め、「水虫の唄」を大ヒットさせるなどラジオ業界の深夜放送ブームに寄与した。 「オールナイトニッポン」降板後は『朝はおまかせアンコーです!』などワイド番組を担当したが、1986年管理部に異動、アナウンサー職を離れた。
石平 光男(いしひら みつお、1940年7月24日 - )は… 石平 光男(いしひら みつお、1940年7月24日 - )は、元NHKアナウンサー。 東京都生まれ。東京都立小石川高等学校卒業。東京大学を卒業後、NHKに入局。 最近では気象通報やラジオ深夜便内の時報ニュースなどを担当。特に気象通報のアナウンスは独特のテンポとわかりやすく丁寧な言い回しでコアなファンが数多く存在する。
加賀美 幸子(かがみ さちこ、旧姓・山田。1940年〈昭和1… 加賀美 幸子(かがみ さちこ、旧姓・山田。1940年〈昭和15年〉6月24日 - )は、日本のフリーアナウンサー、千葉市女性センター名誉館長、松下幸之助記念志財団評議員。 元NHKエグゼクティブアナウンサー(理事待遇)でNHKを代表するアナウンサーの一人であった。 夫はNHKディレクターを経て中央大学教授を務めた加賀美鉄雄。 1940年(昭和15年)、群馬県北群馬郡渋川町(現・渋川市)で生まれる。母方の伯父は渋川市長を務めた石北正司。渋川北小学校入学後、東京の小学校へ転校。東京都立駒場高等学校を経て、1963年(昭和38年)に立教大学文学部英米文学科を卒業し、NHK入局。以来定年まで一貫して東京アナウンス室勤務だった。
小林 達彦(こばやし たつひこ、1940年6月23日 - )… 小林 達彦(こばやし たつひこ、1940年6月23日 - )は、日本のアナウンサー。株式会社オフィス・コバヤシ代表取締役社長。神奈川県出身。サッカーネームは「ペレコバ」。 1963年に早稲田大学教育学部を卒業後、RKB毎日放送へ入社。1969年にニッポン放送(LF)へ移籍。野球やサッカーを中心に各種スポーツ中継の実況アナウンサーとして活躍した。 2000年の定年退社後は引き続きLFの契約アナウンサーとして活動し、2004年よりフリーアナウンサーとなる。2007年に株式会社オフィス・コバヤシを設立。 サンケイスポーツに記事を出稿することもある。 この項目は、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。
栗原 アヤ子(くりはら アヤこ、1940年6月22日 - 2… 栗原 アヤ子(くりはら アヤこ、1940年6月22日 - 2026年3月21日)は、日本のフリーアナウンサー、タレント、女優。エス・オー・プロモーションの取締役。東京都中野区出身。 夫はフリーアナウンサー、元日本教育テレビ(NET、現在のテレビ朝日)アナウンサーでエス・オー・プロモーション創業者・会長の押阪忍。長男はエス・オー・プロモーション代表取締役社長でDJの押阪雅彦(DJ OSSHY)。次男は、エス・オー・プロモーション監査役の押阪智彦。 1959年にタレントとしてデビューした。 1963年に押阪忍と結婚した。1971年、押阪忍と株式会社エス・オー・プロモーションを設立。1994年、押阪忍と「押阪忍のトークアカデミー」を開校し、副塾長となる。
小島 康臣(こじま やすおみ、1940年6月18日 - )は… 小島 康臣(こじま やすおみ、1940年6月18日 - )は、日本のアナウンサー、キャスター。 神奈川県横浜市出身。慶應義塾大学法学部卒業。 1964年4月、TBSに第9期生アナウンサーとして入社(同期には石川顯・大沢悠里・平原晋太郎・桝井論平・宇野淑子・高階玲子・二村義子・山田照子・吉野好子)。主にニュース、報道番組を担当。1964年5月ラジオ編成局実施部、1965年6月報道局ニュース部、1965年12月ニュース取材部の後、1967年11月15日アナウンサー研修室設置に伴いラジオニュース部兼アナウンサー研修室付に。1970年7月テレビ本部報道局ラジオニュース部、1972年11月テレビニュース部兼ラジオ局ラジオニュース部、1984年4月政経部、1987年7月編集部に在籍したのち、1990年6月、東京放送健康保険組合へ現職出向。
岩崎 信子(いわさき のぶこ、1940年5月26日 - )は… 岩崎 信子(いわさき のぶこ、1940年5月26日 - )は、日本のディレクター、プロデューサー、俳人、元アナウンサー。 東京府生まれ。長野県茅野市育ち。1959年長野県諏訪清陵高等学校卒業。信越放送テレビアナウンサー第一期公募試験に合格し入社。アナウンサーとしてテレビ草創期のテレビ・ラジオ番組(「日曜教室」、「暮らしのターミナル」等)担当。1981年上田放送局に転勤し、ディレクター・プロデューサーとして「カクテルトークかるいさわいろ」、「ヒーリングラジオ木の子守唄」、「ぷらっとほーむ小海線」、「里枝子の窓」等の番組を手がける。1994年俳句結社「梟」入会、矢島渚男に師事。2000年信越放送定年退職。
田口 豊太郎(たぐち とよたろう、1940年〔昭和15年〕5… 田口 豊太郎(たぐち とよたろう、1940年〔昭和15年〕5月17日 - )は、中部日本放送(CBC)の元アナウンサー。 1960年代前半頃〜1990年代前半頃にかけて、スポーツ中継を中心に活躍した。 ※いずれもCBCの番組。 この項目は、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(アナウンサーPJ)。
村田 幸子(むらた さちこ、1940年5月14日 - )は、… 村田 幸子(むらた さちこ、1940年5月14日 - )は、福祉ジャーナリスト、アナウンサー。 NHKのアナウンサーおよび解説委員を歴任。NHK退職後、福祉問題を専門に取材活動を続けている。
関口 巌(せきぐち いわお、1940年4月28日 - )は、… 関口 巌(せきぐち いわお、1940年4月28日 - )は、東京都出身の元NHKのアナウンサー。東京都立北園高等学校、東京外国語大学卒。 1963年にNHK入局。山形・青森・宮崎・鹿児島・名古屋・宇都宮・東京等の放送局でアナウンサーを担当。 宮崎・鹿児島・宇都宮では「夕べのひととき」や「FMリクエストアワー」(いずれもFM放送)を担当。リスナーから寄せられるアイドルのリクエストには応じず、リスナーに媚びない選曲と番組進行で人気を集める。 2000年4月4日から「サンセットパーク」のディスクジョッキーを担当、その途中で定年退職を迎える(2002年3月26日降板)。現在は嘱託職員(専門委員)としてラジオの「NHKニュース」「株式市況」「気象通報」、NHKワールド・ラジオ日本の「ニュース」を担当している。
小川 光明(おがわ みつあき、1940年3月26日 - )は… 小川 光明(おがわ みつあき、1940年3月26日 - )は、日本のアナウンサー。日本テレビ放送網(日テレ、NTV)に在職ののち、フリー。血液型はAB型。 中華民国上海市生まれ、兄、姉、弟2人の5人きょうだいの3番目で、父が上海で商店を経営しており、当時の生活は豊かだったが、終戦し状況が一変、翌年の春、家族で母の故郷・佐賀県江北村(現在の江北町)に引き揚げ、親戚の家に身を寄せる。引き揚げ後は耐乏生活だったが、小学5年の時に父が病気のため65歳で急死し、父の知り合いを頼り、家族で東京に東京へ転居(東京都出身)。同級生と野球に熱中し、甲子園を目指して高校野球の強豪・日大三高に行きたかったが、学費の負担を考え、東京都立赤坂高等学校へ進学。
林 紀子(はやし としこ、1940年〈昭和15年〉2月27日… 林 紀子(はやし としこ、1940年〈昭和15年〉2月27日 - 2022年〈令和4年〉1月25日)は、日本共産党所属の政治家、元アナウンサーである。参議院議員(2期)。群馬県前橋市出身。群馬大学学芸学部卒業。 1940年、職業軍人であった父の赴任先の中国東北部で生まれる。群馬大学卒業後の1962年、ラジオ関東(現・アール・エフ・ラジオ日本)に入社。労働組合の婦人部副部長を務める。その後、退職。 1974年に広島へ移り住み、新日本婦人の会広島県本部事務局長を務めた。 1983年の第13回参議院議員通常選挙に比例代表で立候補するも落選。1986年の 第14回参議院議員通常選挙比例代表でも落選となった。
八木 健(やぎ けん / やぎ たけし、1940年2月19日… 八木 健(やぎ けん / やぎ たけし、1940年2月19日 - )は、俳人で、元NHKアナウンサー。
竹脇 義果(たけわき よしみ、1940年 - )は、元アナウ… 竹脇 義果(たけわき よしみ、1940年 - )は、元アナウンサー。視覚障碍者のヨットセーリング選手でもある。 実父に東京中央放送局アナウンサーののち、フリーアナウンサーとなった竹脇昌作。実弟に俳優の竹脇無我。 青山学院大学在学中の1961年にヨット部を設立。卒業後、ラジオ関東(神奈川県)に就職し、アナウンサーの活動を開始したが、1982年、42歳で視力を失い、アナウンサーの活動を断念。その後、実弟・無我の個人芸能事務所「タケワキプロダクション」設立に尽力。無我を俳優に育てるきっかけをつくる。 1996年、日本視覚障碍者セーリング協会設立。自らも1997年、世界ブラインドセーリング選手権大会銅メダル。
岡野 忠元(1940年 - )は元テレビ東京アナウンサー。 … 岡野 忠元(1940年 - )は元テレビ東京アナウンサー。 早稲田大学文学部卒業後、1965年テレビ東京に入社。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:アナウンサー)。
島袋 秀光(しまぶくろ ひでみつ、1940年 - )は沖縄県… 島袋 秀光(しまぶくろ ひでみつ、1940年 - )は沖縄県具志川市(現うるま市)出身の元沖縄テレビ放送アナウンサー。 1964年沖縄テレビ入社。当時から報道番組担当アナウンサーとして出演し、アメリカ合衆国領・琉球政府時代から、1972年の日本国本土復帰までの激動の時代の沖縄を取材し、特に本土復帰が確定した1971年には、様々な諸問題が起きたことから、その特別番組が放送されたが、アメリカ占領時代は、アメリカ軍の厳正な検閲があり、その検閲の目を気にしながら放送を行ったという。 その後も延べにして32年間にわたってアナウンサー・解説委員など報道の第一線で活躍する傍ら琉球大学非常勤講師を務め、定年後は、沖縄県広報アドバイザーを歴任した。
河村 陽子(かわむら ようこ、1940年 - 2023年)は… 河村 陽子(かわむら ようこ、1940年 - 2023年)は元NHKアナウンサー。 1963年に慶応義塾大学を卒業してNHKへ入局した。アナウンサーとして「スタジオ102」「生活の知恵」「シルバーシート」などの司会やディレクターを担当し、後年は「ラジオ深夜便」のアンカーを務めた。 「深夜便」アンカーを卒業後、同番組の早朝コーナー「明日への言葉」のディレクター・インタビューアーを務めたほか、2010年代に放送大学「もう一度みたい名講義 ~放送大学アーカイブス~」の案内役も担当する。 2023年11月に他界して葬儀が営まれたことを、2023年11月14日23時過ぎにラジオ深夜便で須磨佳津江が報告した。
松田 輝雄(まつだ てるお、1940年 - 2025年5月9… 松田 輝雄(まつだ てるお、1940年 - 2025年5月9日)は、東京都出身のアナウンサー・樹木医。 高校時代まで東京都杉並区で育ち、早稲田大学卒業後、1963年NHK入局。宮崎局から高松局・名古屋局を経て1979年に放送センターアナウンス室に勤務。総合テレビ「にっぽん列島朝いちばん」「趣味の園芸」などの司会や、キャスターを担当した。 1996年以降はフリーランスとなり、NHK「私のガーデニング」「バロックの森」(土日のリクエストコーナーの案内役)やTBSテレビの「TBS特集『定年』」などの司会を務め、NHKで国際放送を含むラジオニュース・気象通報などを担当。また、芸能プロダクション『松田輝雄事務所』を設立した。
井上 悟(いのうえ さとる、1939年〈昭和14年〉12月2… 井上 悟(いのうえ さとる、1939年〈昭和14年〉12月24日 - )は、元RKB毎日放送のアナウンサー・ラジオプロデューサー。 福岡県甘木市(現・朝倉市)生まれ。西南学院大学文学部卒業後、1963年にRKBに入社。1978年からはマイクネームを友人の勧めで井上里瑠に改名、プロデューサーや作家のときは井上サトルとして活動。現在はRKBの系列会社であるRKB興発株式会社の代表取締役社長を務めている。 「スマッシュ!!11」時代は鼻の下にヒゲを生やしていたことから、当時はライオンパパの愛称が付いていた。また、同番組から全国に進出していったミュージシャンたちから慕われるような存在であり、中でも井上陽水からは“おやじさん”と言われていたほどだった。
小崎 愃(こざき けん、1939年12月14日 - 2018… 小崎 愃(こざき けん、1939年12月14日 - 2018年12月)は、熊本県出身のアナウンサー。 立命館大学法学部卒業後、1964年に近畿放送(KBS京都、現在の京都放送)へ入社した(同期入社は飛鳥井雅和)。主に土曜・日曜競馬中継(日曜の中継は昭和末期まではラジオでの中継であったが、テレビに移行したことでラジオの競馬中継を終了した)を担当し、エキサイトナイター・近鉄エキサイトアワー、高校野球、関西学生スポーツ中継やタイムリー10にも出演した。 特に競馬中継では、ラジオではミスターシービー(1983年)・シンボリルドルフ(1984年)、テレビではナリタブライアン(1994年)が三冠を達成した瞬間を伝えたほか、ラジオではテンポイントが出走していた第25回日本経済新春杯(1978年)を、テレビではダンスインザダーク(1995年)・サイレンススズカ(1997年)の新馬戦をそれぞれ担当した実績がある。
加治 章(かじ あきら、1939年11月21日 - )は、元… 加治 章(かじ あきら、1939年11月21日 - )は、元NHKアナウンサー。現在はNHK放送研修センター・日本語センター所属。東京都出身。 東京都立北園高等学校、東京経済大学経済学部卒業後、1963年にNHKへ入局。現役時代は秋田、旭川、新潟、福岡、仙台、甲府、東京アナウンス室などで勤務し、人気番組の司会を多く務めた。その後、川田龍平議員を応援する東京経済大学卒業生と関係者の会、「葵龍会」の会長も務めた。
武田 勝弘(たけだ かつひろ、1939年11月17日 - 2… 武田 勝弘(たけだ かつひろ、1939年11月17日 - 2012年4月6日)は、元NHKアナウンサー。 東京都出身。上智大学文学部卒業後、1963年入局。アナウンサーとして各地方勤務から、アナウンス室副部長、NHKスペシャル番組部チーフプロデューサー(兼)・福岡放送局放送部副部長、アナウンス室次長、1991年編成局アナウンス室長。 退職後は船橋市でコーラスグループ”かたくりの会を主催した。
桝井 論平(ますい ろんぺい、1939年11月15日 - )… 桝井 論平(ますい ろんぺい、1939年11月15日 - )は、日本のアナウンサー(TBS→フリー)、ナレーター。本名、桝井 貞之(ますい さだゆき)。愛称は「ロンペー」。 東京府東京市江戸川区(現:東京都江戸川区)出身。有限会社桝井論平事務所取締役会長。血液型A型。江戸川区立小岩小学校、開成中学校・高等学校を経て学習院大学政経学部卒業。テレビプロデューサー・実業家(桝井論平事務所代表取締役)の桝井あけぼのは長女。 1964年4月にTBSにアナウンサー第9期生として入社(同期には石川顯・大沢悠里・小島康臣・平原晋太郎・宇野淑子・高階玲子・二村義子・山田照子・吉野好子)。ラジオ編成局放送実施部(1964年5月)、ラジオ局放送部兼テレビ編成局アナウンス部(1966年1月)、第一制作部兼アナウンサー研修室付(1967年11月)、放送部兼第一制作部兼第二制作部兼アナウンサー研修室付(1969年3月)、ラジオ本部アナウンス室(1970年7月)、報道総局アナウンス部兼ラジオ総局情報制作局ラジオワイド部(1989年1月)、報道総局アナウンス部(1990年2月)、アナウンスセンター(1991年5月)に配属。
宇都宮 基師(うつのみや もとし、1939年(昭和14年)9… 宇都宮 基師(うつのみや もとし、1939年(昭和14年)9月27日 - )は日本のアナウンサー。南海放送で長くアナウンサーを務めた。愛媛県八幡浜市出身。通称「よもだのもっくん」。
森本 毅郎(もりもと たけろう、1939年〈昭和14年〉9月… 森本 毅郎(もりもと たけろう、1939年〈昭和14年〉9月18日 - )は、日本のフリーアナウンサー、総合司会者。元NHKアナウンサー、ニュースキャスター。番組制作会社株式会社ラダック(LADAK)の設立者。TBSラジオで30年以上続く長寿番組であり「首都圏で一番聴かれている朝の情報番組」ともなった『森本毅郎・スタンバイ!』のパーソナリティ。また、やはり30年以上の長寿番組となったTBS→BS-TBS『噂の!東京マガジン』の総合司会を務め、テレビドラマや映画などへも出演している。 東京府東京市中野区(現在の東京都中野区)で3男4女の7人きょうだいの三男として誕生。兄は評論家の森本哲郎。1944年12月、東京に戦火が落とされるのを恐れ、長野県長野市横沢町へ一家揃って疎開した。
鈴木 美智子(すずき みちこ、1939年8月28日 - 20… 鈴木 美智子(すずき みちこ、1939年8月28日 - 2025年5月12日)は、近畿を中心に活動するタレント、フリーアナウンサー、パーソナリティ、エッセイスト、朗読家、ガラスアーチスト。アナ・トーク学院学院長。未婚。A型。身長156cm。体重57kg(2014年8月時点)。大阪市在住。 大阪市阿倍野区生まれ。兄弟は兄2人、弟1人の家庭で可愛がられて育つ。帝塚山学院出身。吉本興業大阪本部所属。いつどこで年齢を聞かれようと「永遠の28歳」と答えている。 帝塚山学院中学校でコーラス部と演劇部に入っていた。宝塚ファンで、「宝塚ファンコンテスト」(毎日放送ラジオ)に出演して、黄金賞ばかりとって黄金賞大会で宝塚劇場に出た。
菊地 美智子(きくち みちこ、1939年8月21日 - )は… 菊地 美智子(きくち みちこ、1939年8月21日 - )は、元ラジオ大阪のアナウンサー。 徳島県徳島市出身。関西学院大学卒業後にラジオ大阪に入社。1962年から1985年まで23年間続いた「ハイ赤ちゃん相談室」など数々の番組に出演。また、子育ての経験を生かして番組にも出演し、著書も出版していた。 1985年には「李順子・望郷の唄・アリラン」で取材とナレーションを手掛け、その年の民放祭コンクールのラジオ教養部門で最優秀賞を受賞。 現在は別部署に所属。
松村 満美子(まつむら まみこ、1939年7月21日 - 2… 松村 満美子(まつむら まみこ、1939年7月21日 - 2020年8月1日)は、日本の社会福祉活動家・フリーアナウンサー・元NHKアナウンサー。晩年は特定非営利活動法人腎臓サポート協会の理事長を務めており、主にジャーナリスト、評論家として活動していた。 1939年、東京の四谷生まれ。1958年、千葉大学文理学部入学。大学時代は放送部と英語会話部に所属していた。同大学卒業後、1962年NHKにアナウンサーとして入局。1968年、産休中に民放に誘われNHKを退職。その後はフリーのアナウンサーとして活動。2001年、腎臓サポート協会設立の主唱者のひとりとして代表に就任。2005年7月、特定非営利活動法人認可後、理事長に就任。