佐藤 熊治郎(さとう くまじろう、1873年(明治6年)1月… 佐藤 熊治郎(さとう くまじろう、1873年(明治6年)1月7日 - 1948年(昭和23年)9月7日)は、日本の教育者。 宮城県出身。1901年(明治34年)、東京高等師範学校文科教育学部を卒業し、北海道師範学校教諭・附属小学校主事となった。1906年(明治39年)、東京高等師範学校研究科を修了し、長野県師範学校教諭・主事に転じた。 1911年(明治44年)、広島高等師範学校教授・附属小学校主事に就任。1922年(大正11年)、教育学研究のためドイツ・イギリス・フランスに留学した。1936年(昭和11年)、退官。
政尾 藤吉(まさお とうきち、明治3年11月17日(1871… 政尾 藤吉(まさお とうきち、明治3年11月17日(1871年1月7日) – 大正10年(1921年)8月11日)は、日本の衆議院議員(立憲政友会)、駐シャム(タイ)公使。法学博士。
西久保 豊一郎(にしくぼ とよいちろう、明治2年12月6日〈… 西久保 豊一郎(にしくぼ とよいちろう、明治2年12月6日〈1870年1月7日〉 - 明治38年〈1905年〉7月12日)は、日本の陸軍軍人。階級は陸軍歩兵少佐。栄典は正六位勲四等功四級。 歩兵第50連隊第1大隊長、後備歩兵第29連隊大隊長等を務め日露戦争で勇戦、樺太の戦いに於いて戦死を遂げた。 三重県警部長従七位の西久保紀林の子として肥前国佐賀郡鍋島村八戸(現佐賀市)に生まれる。兄は西久保弘道。明治7年、父に従い東京へ移住。明治8年8月から東京芝区巴町の第一番小学鞆絵学校(後の港区立鞆絵小学校。平成3年3月閉校し現在は港区立御成門小学校)に入校する。明治10年10月に佐賀の日新小学校に転校。明治12年4月には再び父の転勤の為三重県津市養正小学校に転校する。
美濃部 俊吉(みのべ しゅんきち、明治2年12月6日(187… 美濃部 俊吉(みのべ しゅんきち、明治2年12月6日(1870年1月7日) - 1945年(昭和20年)9月26日)は、日本の農商務及び大蔵官僚、銀行家、実業家。北海道拓殖銀行頭取、朝鮮銀行総裁。 兵庫県加古郡高砂町内材木町(現高砂市材木町)で美濃部秀芳の長男として生まれる。美濃部家は代々医業の家系で、父は姫路藩の御典医でもあった漢方医だが、町内の子供たちに習字や漢字を教えて主にその月謝で生活していたため、あまり豊かでなく、母はとても知識と教養をもっており、夫の代わりに診察したり書や漢書を教えていた。美濃部はいずれ上京して勉学に励みたいと考えていたが家計の事情を抱えていたとき、彼の俊才が見込まれて援助をしてくれる素封家が4人現れたことにより、小学校、小野田中学校を経て、1885年(明治18年)上京、第一高等中学校予科に入り、医学を志してドイツ語を学ぶが第一部本科に転じて1年の英語研究をした後、帝国大学法科大学政治科入学、1893年(明治26年)7月卒業(法学士)、第百銀行へ入行しようと池田謙三に会うも曖昧な反応で、返事を待っているうちに結局、同年8月農商務省に入り商工局配属、後に同工務課長となる。
新納 忠之介(にいろ ちゅうのすけ、明治元年11月25日〈1… 新納 忠之介(にいろ ちゅうのすけ、明治元年11月25日〈1869年1月7日〉 - 1954年〈昭和29年〉4月13日)は、日本の彫刻家。号を古拙。2,631体の仏像等の多くの文化財を修理した。修理前後の写真や書面など詳細な記録を残しており現在の文化財修理の基礎を築いた。 岡倉天心は新納が仏像修復のパイオニアとしての方向性を決定づけた張本人であると言える。生涯にわたって岡倉を師と仰いで恋慕し続けてきた事は、新納に近しい人々の談で知られる所である。そうした運命の鍵となったのが明治34年(1901)から漸次開始された奈良の仏像修理事業である。奈良の修理に先んじて明治30年(1897)、東京美術学校が委託された奥州平泉・中尊寺金色堂の修理事業に新納は参加する。
藤井 啓一(ふじい けいいち、1868年1月7日〈慶応3年1… 藤井 啓一(ふじい けいいち、1868年1月7日〈慶応3年12月13日〉 - 1953年〈昭和28年〉6月18日)は、日本の弁護士、政治家。衆議院議員(山口県第一区選出、当選3回)。 山口県厚狭郡厚東村(現在の宇部市)出身。山口県平民・藤井仁介の長男。初等学を寺子屋に学び、のち漢学を修める。 1890年(明治23年)、東京法学院(現在の中央大学)を卒業。法学博士・江木衷の門下生となり、薫陶を受け、弁護士試験に合格。その後、下関市に事務所を開いた。弁護士の業務に従事。山口県弁護士会会長、山口県会議員、下関商業会議所特別議員・同顧問などに選ばれた。 1920年(大正9年)、第14回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。
イザベラ・ブラックモーア(またはブラックモア)(Isabel… イザベラ・ブラックモーア(またはブラックモア)(Isabella S Blackmore,1863年1月7日 - 1942年1月2日)は、カナダ・メソジスト教会婦人伝道会の宣教師である。 東洋英和女学校校長、山梨英和女学校校長、静岡英和女学校理事、東京女子大学理事長等を歴任した教育者。それらの功績により文部大臣から表彰を受けている。 カナダ・メソジスト婦人伝道会日本総理を務める。また、多くの社会事業に携わり、永坂孤女院を設立して運営したり、日本基督婦人矯風会理事を務めたりした。 1863年(文久2年)1月7日 カナダのノバスコシア州のオンズロー(Onslow)で父リチャード・ブラックモーア(Richard)、母マリンダ・ブラックモーア(Malinda)の娘として生まれる。
筧 馬蔵(筧 馬藏、かけい うまぞう、1862年1月7日〈文… 筧 馬蔵(筧 馬藏、かけい うまぞう、1862年1月7日〈文久元年12月8日〉 - 没年不明)は、日本の実業家、政治家。吉岡ホテル社長。 因幡国高草郡下味野村(のち鳥取県気高郡美穂村下味野、現・鳥取県鳥取市下味野)出身。筧橘五郎の四男。寺子屋式の教育を受ける。吉岡村に分家する。酒小売、質商を営む。 村区長、村評議員、村会議員、信用組合長、気高漁業、山陰倉庫各監査役等をつとめる。酒造会社を経営する。 趣味は骨董、囲碁。住所は鳥取県気高郡吉岡村大字吉岡(現・鳥取市吉岡温泉町)。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
中川 元(なかがわ はじめ、1852年1月7日(嘉永4年12… 中川 元(なかがわ はじめ、1852年1月7日(嘉永4年12月16日) - 1913年9月28日)は明治時代の日本の教育者、文部官僚。第四高等中学校(金沢大学の前身の一つ)、第五高等学校(熊本大学の前身の一つ)、第二高等学校(東北大学の前身の一つ)、仙台高等工業学校(東北大学工学部の前身の一つ)の校長を歴任した。旧名・孫一郎、号は槐陰。 信濃国飯田城下に信濃飯田藩士中川逸山の長男として生まれる。1871年藩の貢進生に選ばれ大学南校に進み、フランス語を学ぶ。文部省より出向の同校職員九鬼隆一と知遇を得る。1874年文部省に出仕し、外国語学校教授に任じらた。1878年1月にフランスに留学を命じられる。
佐藤 志津(さとう しづ、1852年1月7日(嘉永4年12月… 佐藤 志津(さとう しづ、1852年1月7日(嘉永4年12月16日) - 1919年(大正8年)3月17日)は、私立女子美術学校(現女子美術大学)第2代校長。 志津は1851年(嘉永4年)、常陸国行方郡麻生(現茨城県行方市)の医師山口舜海の長女として誕生した。1853年(嘉永6年)父舜海が佐倉藩御典医で病院兼蘭医学塾「佐倉順天堂」堂主佐藤泰然の養子となり佐藤尚中と名を改めると、志津を含め一家全員も佐藤家に入った。志津は義叔父(養祖父泰然の子)董(ただす、後に林家の養子になる)と1歳違いであったことから、董と共に漢籍を佐倉藩儒者岡本道庵に、国学を浜野末束に学んだ。 1859年(安政6年)、母方の叔母の嫁ぎ先である水戸の商家(酒造)藤枝富右衛門の家に預けられ、水戸藩武術指南役より穴沢流薙刀を習い、点茶・琴・手芸・礼儀作法を修めた。
本多 庸一(ほんだ よういつ、1849年1月7日(嘉永元年1… 本多 庸一(ほんだ よういつ、1849年1月7日(嘉永元年12月13日) - 1912年(明治45年)3月26日)は、日本のキリスト教伝道者・牧師・教育者・政治家。日本メソヂスト教会の初代監督。青森県弘前市生まれ。新島襄、植村正久、内村鑑三、新渡戸稲造と並び、明治期日本におけるキリスト教主義教育の先駆者とされる。 本多の先祖は、徳川家譜代の本多氏の流れを汲む。 弘前藩士、石高300石の本多八郎左衛門久元(1823年-1896年)と本多トモの長男として1848年(嘉永元年)に弘前城下在府町に生まれる。幼名を徳蔵と言った。祖父、東作久貞は藩の要職を歴任した人物であった。 1858年、10歳より弘前藩の藩校稽古館で漢書の素読、儒学を学んだ。
下郷 久道(しもごう ひさみち、1843年1月7日(天保13… 下郷 久道(しもごう ひさみち、1843年1月7日(天保13年12月7日) - 1898年(明治31年)5月19日)は、明治時代の政治家。実業家。貴族院多額納税者議員。 近江国坂田郡長浜(現・滋賀県長浜市)出身。1876年(明治9年)以降、南新町副戸長、同戸長、長浜町会議員のほか、大阪製紙抄造場、近江製糸所などを経営した。 1890年(明治23年)滋賀県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月29日から1897年(明治30年)9月28日まで務めた。
花岡 環(はなおか たまき 、1月7日 - )は、日本の音楽… 花岡 環(はなおか たまき 、1月7日 - )は、日本の音楽家。ピアニスト、キーボーディスト、ソングライター、編曲家。 東京音楽大学作曲専攻映画放送音楽コース卒業。 12.ヒトエに後期メンバーとして加入したのをきっかけにキーボーディストとしての活動をスタートさせる。 赤塚不二夫初のWEBアニメ、へんな子ちゃんのオープニングテーマで作曲家デビュー。さらには、作詞・編曲・レコーディング・演奏指導・アーティストのライブサポート・音楽講師など、幅広く音楽活動をしている。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:音楽)。
花輪 えみ(はなわ えみ、1月7日 - )は、日本のコラムニ… 花輪 えみ(はなわ えみ、1月7日 - )は、日本のコラムニスト、ライター、編集者である。埼玉県草加市出身。早稲田大学卒業。血液型はO型。 幼少期から千葉県習志野市で過ごす。渋谷教育学園幕張高等学校を経て、早稲田大学文化構想学部(旧・早稲田大学第二文学部)を卒業。大学在学中に濠モナシュ大学への留学を経験している。 同じく大学在学中、女性向けサイトでの編集に従事。当時の編集長であり、師匠と仰ぐ東香名子と出会う。その後、同氏に勧められて複数のWEBメディアと業務委託契約を結び、ライター業を経験した。 大学卒業後に就職した製造小売業との兼業を経て、ライターとして活動。独立後は取材記事や、マンガ書評、美容等のコラムを執筆しながら、全国から累計2万人が受講する女性限定キャリアスクール「SHElikes(シーライクス)」のライターTAも兼任し、課題の添削に取り組んでいる。
大河 望(たいが のぞむ、1月7日 - )は、日本の男性声優… 大河 望(たいが のぞむ、1月7日 - )は、日本の男性声優、歌手。埼玉県所沢市出身。血液型はA型。2022年9月より株式会社Adroaig所属。以前はアーツビジョン、キャロットハウスに所属していた。 この項目は、声優(ナレーターを含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:アニメ/PJ:アニメ/PJ:声優)。
坂本 光久 (さかもと みつひさ、1月7日 - )は、日本の… 坂本 光久 (さかもと みつひさ、1月7日 - )は、日本の音楽プロデューサー、ソングライター、ギタリスト、編曲家。東京都出身。血液型はO型。 14歳の時、実家にあったクラシックギターをきっかけに独学でギターを始める。 1999年、『YOUNG GUITAR』で開催されたギターコンテスト『GIT MASTERS』で初代チャンピオンを獲得し賞品としてCDデビューする。 2000年、アメリカの音楽学校『ミュージシャンズ・インスティチュート』に短期留学する。帰国後よりRolandなど楽器メーカーのデモンストレーションや雑誌への寄稿、ギター講師、セッションなど本格的に活動を開始する。 2004年、ギター器楽曲アルバム『GET OFF THE GROUND』を自主制作で発売。