高橋 政代(たかはし まさよ、1961年(昭和36年)6月2… 高橋 政代(たかはし まさよ、1961年(昭和36年)6月23日 - )は、日本の医学者・眼科医。学位は、医学博士(京都大学)。京都大学助教授を経て、2019年7月まで理化学研究所多細胞システム形成研究センター網膜再生医療研究開発プロジェクトのプロジェクトリーダー。従来、再生不可能と考えられていた網膜再生医療技術の研究・開発に取り組んでいる。夫は京都大学iPS細胞研究所教授の髙橋淳。 笹井芳樹との共同研究で、2008年に世界で初めてヒトES細胞から神経網膜を分化誘導することに成功する。2013年にはiPS細胞による加齢黄斑変性治療の臨床試験が承認され、2014年にはイギリスのネイチャー誌が選ぶ「2014年に注目すべき5人」にも選ばれた。
中村 圭介(なかむら けいすけ、1961年6月23日 - )… 中村 圭介(なかむら けいすけ、1961年6月23日 - )は、福岡県宗像郡出身のサッカー指導者。
茨木 國夫(いばらき くにお、1961年6月23日 - )は… 茨木 國夫(いばらき くにお、1961年6月23日 - )は、呉服店、 きものサロン 和の國代表。2010年にNPO法人きもの普及協会を立ち上げる。愛称は國さん。 熊本県菊池市の着物店の長男として生まれる。熊本学園大学卒業後、大阪で修業。24歳で家業を継ぎ、3代目主人になる。1993年6月23日、パリで「きもの宣言!」。洋服を全て処分し、着物だけの生活を始める。 2003年、「きもの屋いばらき」の2号店となる「きものサロン和の國」を、熊本市内にオープンする。 2010年、「NPO法人きもの普及協会」を立ち上げ、代表理事に就任する。
梅森 徹(うめもり とおる、1960年〈昭和35年〉6月23… 梅森 徹(うめもり とおる、1960年〈昭和35年〉6月23日 - )は、日本の中央銀行員、団体役員。独立行政法人勤労者退職金共済機構理事長。 全国地方銀行協会常務理事や日本銀行名古屋支店長などを歴任。 山口県岩国市に出生。広島学院高等学校を経て、1983年(昭和58年)3月、東京大学法学部を卒業し、同年4月、日本銀行に入行。東京大学在学中には東京大学法律相談所の幹事長を務めた。 入行後、政策委員会室審議役(国会・広報総括)、企画局審議役、発券局長などを歴任。主に信用秩序維持政策や金融政策の企画に従事したほか、大蔵省銀行局への出向、イギリス留学、フランクフルト事務所等の海外勤務を経験。信用秩序維持政策においては日本長期信用銀行等の破綻処理や銀行保有株式の買入を担当した。
中島 陽典(なかじま ようすけ、1960年6月23日 - )… 中島 陽典(なかじま ようすけ、1960年6月23日 - )は、日本の俳優、演出家である。ケイセブン中村屋所属。
中村 雅史(なかむら まさし、1960年〈昭和35年〉6月2… 中村 雅史(なかむら まさし、1960年〈昭和35年〉6月23日-)は、テレビせとうちのアナウンサー。香川県高松市出身。大阪経済法科大学を卒業後、1985年TSC開局とともに入社。2007年現在、開局当時からいる唯一のアナウンサーである。 Category:テレビせとうちのアナウンサーを参照 この項目は、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(アナウンサーPJ)。
上村 建也(うえむら たつや、1960年6月23日 - )は… 上村 建也(うえむら たつや、1960年6月23日 - )は、プログラマ、ゲームミュージック作曲家で、現在は株式会社TATSUJINマーケティング責任者。兵庫県出身。 学生時代はバンドでギターを担当。同志社大学卒業後、音楽スタジオに就職するがすぐに退社、その後株式会社オルカに入社する。程なくしてオルカは倒産するも、残されたメンバーで設立されたクラックス(CRUX)に参加、『リパルス』(セガ/九娯貿易)の制作に携わる。その後、新たに設立された東亜プランに移籍し、プログラムとサウンドを担当。楽曲は特徴的なベースラインで知られた。 東亜プラン倒産後はガゼルに参加、『アクウギャレット』ではディレクターを務めるも会社が崩壊、同じく東亜プランを源流に持つケイブに合流し、取締役開発本部長に就任する。
落合 昭(おちあい あきら、1960年6月23日 - )は、… 落合 昭(おちあい あきら、1960年6月23日 - )は、日本の実業家。コナミスポーツ代表取締役社長や、同社取締役会長、日本フィットネス産業協会副会長などを務めた。2021年4月より三井住友銀行グループのSMBCベンチャーキャピタル代表取締役社長に就任。2023年6月にビジネスホテル東横イン取締役、同年11月よりユニマットライフ代表取締役社長に就任。 栃木県出身。1984年一橋大学商学部卒業、住友銀行入行。三井住友銀行赤坂法人営業部長を経て、2012年三井住友銀行新宿西口法人営業第一部長。2014年三井住友銀行執行役員東日本第二法人営業本部長。2016年からコナミスポーツクラブ代表取締役社長を務め、日本体育大学の松浪健四郎理事長との間で、スポーツ庁大学スポーツ振興の推進事業での協力・連携協定を締結するなどした。
藤原 浩(ふじわら ひろし、1960年6月23日 - )は、… 藤原 浩(ふじわら ひろし、1960年6月23日 - )は、日本の演歌歌手。本名は同じ。岡山県赤磐市(旧・赤磐郡吉井町)出身。 この項目は、歌手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ芸能人)。
高田 みづえ(たかだ みづえ、1960年6月23日 - )は… 高田 みづえ(たかだ みづえ、1960年6月23日 - )は、元相撲部屋の女将で、元歌手・元タレント。鹿児島県揖宿郡頴娃町(現・南九州市)出身。 夫は元大関の大相撲力士で元親方の若嶋津六夫(本名:日高六男)。長男は元俳優の勝信。長女はタレントのアイリ。本名は日高みづえ(旧姓:高田)。 2017年2月20日、出生から中学卒業までを過ごした南九州市の観光大使に就任した。 1960年(昭和35年)6月23日、鹿児島県指宿郡頴娃町別府にて生まれる。 1976年、フジテレビのオーディション番組『君こそスターだ!』で第18代グランドチャンピオンとなる。 1977年3月25日、シングル『硝子坂』でアイドル歌手としてデビュー。
小川 佳実(おがわ よしみ、1959年6月23日 - )は静… 小川 佳実(おがわ よしみ、1959年6月23日 - )は静岡県出身の元サッカー審判員(国際主審)。アジアサッカー連盟 (AFC) 審判部長(レフェリーディレクター)、日本サッカー協会 (JFA) 審判委員長を歴任した。 静岡県立藤枝東高等学校を経て筑波大学体育専門学群に進学。在学中は蹴球部でプレーし、帰郷後高校教諭を務める傍ら、教員チームでもプレーをした。現役引退後審判としての活動を本格化させ、1994年のヤマザキナビスコカップでは決勝の主審も務めた。 1997年3月に教員を辞め、翌月から日本サッカー協会 (JFA) の職員となり、審判部部長代理としてサッカー審判関係の取りまとめに従事(この時の業務負担の兼ね合いから1998年に審判員としての活動から退いている)。
大庭 誠司(おおば せいじ、1959年6月23日 - )は、… 大庭 誠司(おおば せいじ、1959年6月23日 - )は、日本の総務官僚。さいたま市副市長や、内閣官房内閣審議官、消防庁次長等を歴任した。 島根県松江市生まれ。松江市立雑賀小学校、島根大学附属中学校、島根県立松江南高等学校を経て、東京大学工学部卒業、自治省入省。 1989年秋田県地方課長。1992年秋田県財政課長。1996年から福島県に企画調整部参事として出向。原子力政策の見直しに当たるなどした。1997年福島県生活環境部次長。1999年福島県企画調整部長。2002年内閣官房内閣参事官(安全保障・危機管理担当)。2005年総務省自治財政局財政課財政企画官。同年さいたま市副市長。2009年消防庁消防・救急課長。
加藤 充明(かとう みちあき、1959年6月23日 - )は… 加藤 充明(かとう みちあき、1959年6月23日 - )は、静岡県出身の日本の実業家。小糸製作所専務取締役を経て、同社代表取締役社長。 明治学院大学経済学部卒。
大乃花 武虎(おおのはな たけとら、1958年6月23日 -… 大乃花 武虎(おおのはな たけとら、1958年6月23日 - )は、山梨県東八代郡八代町(現・笛吹市)出身で大鵬部屋に所属した元大相撲力士。本名は大野 久好(おおの ひさよし)。身長189cm、体重148kg。得意手は右四つ、上手投げ。最高位は西前頭13枚目(1988年3月場所)。 兄・喜夫(よしお、1956年9月生まれ)は、高砂部屋の元三段目力士・八代錦(やしろにしき、初土俵:1972年7月、引退:1978年9月)。妻は、部屋の兄弟子・翔鵬(しょうほう、最高位・十両11枚目)の妹。 八代中学校では野球部で活躍したが、相撲にも興味を持ち、山梨県大会で2位の成績を残している。中学2年生の時、大鵬親方に直接入門を志願し、上京。
伊藤 正明(いとう まさあき、1957年6月23日- )は… 伊藤 正明(いとう まさあき、1957年6月23日- )は、日本の経営者。クラレ社長、会長を務めた。兵庫県出身。 1980年に大阪大学基礎工学部を卒業し、同年にクラレに入社した。2012年に執行役員に就任し、2014年に常務を経て、2015年1月には社長に就任した。2021年1月に会長に就任した。
村上 圭子(むらかみ けいこ、1957年6月23日 - )は… 村上 圭子(むらかみ けいこ、1957年6月23日 - )は、日本の地方公務員。京都市産業観光局長等を経て、女性初の京都市副市長。
古村 敏比古(ふるむら としひこ、1957年6月23日 - … 古村 敏比古(ふるむら としひこ、1957年6月23日 - )は、東京都出身のサクソフォーン奏者。血液型はB型。 中学・高校時代はベースを弾いていたが、 友人の影響でサックスをプレイしはじめる。明治学院大学に進学しフュージョン系のバンドでプレイしながら織田哲郎らと出会う。 同大学在学中にYAMAHAのコンテスト「EastWest」に出場し、審査員をしていた鳴瀬喜博に誘われ、バックスバニーに参加、レコードデビューもバックスバニーのホーンアレンジとして果たす事になる。 金子マリ&バックスバニーのサポート、大学時代からの友人である織田哲郎や北島健二らとのユニット「織田哲郎 & 9th IMAGE」などを経て、1982年より浜田省吾の不動のライブメンバーとなる。
山口 淳二(やまぐち じゅんじ、1956年〈昭和31年〉6月… 山口 淳二(やまぐち じゅんじ、1956年〈昭和31年〉6月23日 - )は、日本の研究者。北海道大学理事・副学長。農学博士。 群馬県太田市に生まれる。埼玉県立熊谷高等学校、埼玉大学理学部生化学科を経て1986年、名古屋大学大学院農学研究科博士課程後期生化学制御専攻終了。同年、ロックフェラー大学に留学。1987年名古屋大学農学部助手、1995年同大学生物分子応答研究センター助教授、2001年北海道大学大学院理学研究科生物科学専攻教授。2014年から2016年北海道大学大学院生命科学部長。2014年から北海道大学副学長。 研究分野は植物科学、生化学で日本植物細胞分子生物学会、日本植物生理学会に所属している。
永川 英植(ながかわ えいしょく、1956年6月23日 - … 永川 英植(ながかわ えいしょく、1956年6月23日 - 1991年7月15日)は、神奈川県横浜市鶴見区出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。 横浜高ではエースとして活躍。1972年秋季関東大会に出場、準決勝では木更津中央高の古屋英夫らと投げ合い快勝。決勝に進出するが作新学院の江川卓に完封を喫する。1973年春の選抜では決勝に進み、広島商の佃正樹と投げ合う。延長11回に冨田毅(リッカー)が決勝2点本塁打、選抜初優勝を飾る。同年夏は神奈川大会準々決勝で長内孝のいた桐蔭学園に敗退。他のチームメートに一塁手の西山茂、中堅手の長崎誠(リッカー)がいた。同年の秋季関東大会でも決勝に進むが、銚子商の土屋正勝に完封負け。
髙野 由美子(たかの ゆみこ、1956年6月23日 - )は… 髙野 由美子(たかの ゆみこ、1956年6月23日 - )は、日本の実業家。宮崎県出身。株式会社オリエンタルランド代表取締役会長兼CEO(女性初)。株式会社ミリアルリゾートホテルズ代表取締役会長・元代表取締役社長。 宮崎県出身。1980年、上智大学文学部卒業。同年4月、株式会社オリエンタルランドに入社。2003年、株式会社舞浜リゾートホテルズ(現・株式会社ミリアルリゾートホテルズ)代表取締役副社長。同年6月、株式会社オリエンタルランド取締役。2005年、同社取締役執行役員。2009年、同社取締役常務執行役員、株式会社ミリアルリゾートホテルズ代表取締役社長。2015年、株式会社オリエンタルランド取締役専務執行役員。
橋本 和仁(はしもと かずひと、1955年6月23日 - )… 橋本 和仁(はしもと かずひと、1955年6月23日 - )は、日本の化学者。専門は物理化学。理学博士(1985年)。東京大学大学院工学系研究科応用化学専攻教授兼東京大学先端科学技術研究センター教授。内閣官房科学技術顧問。科学技術振興機構理事長。北海道空知郡南幌町生まれ。 半導体光触媒、有機高分子太陽電池、微生物太陽電池、無機人工光合成材料など、光エネルギーの変換、環境浄化に関し、基礎原理の追求から実社会への応用まで幅広く研究を展開している。例えば、可視光応答光触媒材料の開発と抗菌・抗ウイルス効果の検証、人工光合成無機ナノデバイスの開発、自己組織化高分子材料によるナノ構造制御と太陽電池デバイスの作成、微生物の細胞外電子移動の機構解明と微生物燃料電池、微生物太陽電池の構築などが具体的な研究課題。
星野寛(ほしの ひろし、1955年〈昭和30年〉6月23日 … 星野寛(ほしの ひろし、1955年〈昭和30年〉6月23日 - )は、日本の政治家。群馬県議会議員(7期)。過去には、第90代群馬県議会議長、群馬県議会副議長を務めた。株式会社尾瀬岩鞍リゾート代表取締役。 群馬県利根郡片品村出身。1974年(昭和49年)、群馬県立前橋高等学校卒業。1979年、早稲田大学法学部を卒業。1980年、尾瀬開発株式会社に入社。 1991年(平成3年)、沼田青年会議所理事長となり、翌年日本青年会議所「町づくりネットワーク推進委員会」副委員長、さらに翌年「環境教育プログラム委員会」委員長となった。 1995年(平成7年)、群馬県議会議員選挙に初当選。1999年に再選。2003年に3選。
西澤 洋和(にしざわ ひろかず、1955年6月23日 - )… 西澤 洋和(にしざわ ひろかず、1955年6月23日 - )は元NHKアナウンサー。 群馬県出身。群馬県立高崎高校、早稲田大学卒業後1979年入局。初任地は帯広。徳島、甲府、仙台、室蘭、東京アナウンス室、帯広、札幌、2006年室蘭局に放送部長(のち副局長)として異動し、現場を離れたがアナウンス代行を務めたこともあった。2009年函館と勤務。2013年アナウンスルームの一覧から消去される。現在は退職。
諏訪 剛(すわ たけし、1955年6月23日 -)は鹿児島県… 諏訪 剛(すわ たけし、1955年6月23日 -)は鹿児島県出身の日本の柔道家。現役時代は95kg級の選手。身長172cm。 柔道は小学校3年生の時に始めた。鹿児島実業高校2年の時に地元で開催された国体高校の部で優勝を飾った。明治大学時代は低迷していたが、京葉ガスに入社後頭角を現して、1978年の講道館杯86kg級で優勝を飾った。1979年の選抜体重別では2位だった。その後階級を95kg級に上げると、1981年の講道館杯で2位となった。1982年には嘉納杯で優勝を飾った。1983年には講道館杯で優勝した。選抜体重別では3位だったものの世界選手権代表に選ばれた。しかし、世界選手権では初戦で敗れた。
安藤 文男(あんどう ふみお、1955年6月23日 - )は… 安藤 文男(あんどう ふみお、1955年6月23日 - )は、日本の実業家。神奈川県出身。 1979年(昭和54年)関東学院大学卒、1979年(昭和54年)旧アイエックス取締役就任。1996年(平成8年)旧アイエックス代表取締役社長就任。1999年(平成11年)日本ナレッジインダストリ株式会社と株式会社アイエックスが合併。これによりアイエックス・ナレッジ株式会社となり、アイエックス・ナレッジ株式会社副社長に就任。2001年(平成13年)10月アイエックス・ナレッジ代表取締役社長就任、現在に至る この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
倉都 康行(くらつ やすゆき、1955年(昭和30年)6月2… 倉都 康行(くらつ やすゆき、1955年(昭和30年)6月23日 - )は、RPテック株式会社 代表取締役、セントラル短資FX株式会社 社外監査役、産業技術大学院大学 国際資本システム研究所 所長、山陰合同銀行 社外取締役、株式会社国際経済研究所 シニア・フェロー、国際金融評論家。 1979年東京大学経済学部卒業、東京銀行入行。ロンドンや香港など約10年間の海外での国際資本市場業務従事の後、バンカース・トラストに移籍、チェースマンハッタン銀行のマネージング・ディレクターとして資本市場部門の東京代表、チェース証券会社東京支店長などを務めた後、2001年4月に金融シンクタンクRPテック株式会社を設立、代表取締役に就任。
白岩 久弥(しらいわ ひさや、1955年6月23日 - )は… 白岩 久弥(しらいわ ひさや、1955年6月23日 - )は、京都府出身の映画監督・映画プロデューサーで、よしもとクリエイティブ・エージェンシーエグゼクティブ・スーパーバイザー。元ワイズビジョン常務取締役。元読売テレビ放送 (ytv) のチーフプロデューサー。同志社大学卒業。 1979年に読売テレビ入社。『鶴瓶上岡パペポTV』『ざまぁKANKAN!』『EXテレビ』『ダウンタウンDX』のプロデュース・演出などに携わる。 1998年に読売テレビと吉本興業が出資した制作会社ワイズビジョンに出向、松本人志の『VISUALBUM』シリーズなどをプロデュースした。 2006年映画『晴れたらポップなボクの生活』の監督などを経て、吉本興業のエグゼクティブ・スーパーバイザーに就任した。
佐々木 淳子(ささき じゅんこ、1955年6月23日 - )… 佐々木 淳子(ささき じゅんこ、1955年6月23日 - )は、日本の漫画家。血液型はAB型。 東京都目黒区出身。実家はだんご店。東京デザイナー学院アニメーション科を卒業しており、学院在籍中は漫画研究会に所属していた。アシスタントを経て、1977年、『週刊少女コミック増刊号』掲載の『キムのゆうれい』でデビュー。小学館、新書館、角川書店、あおば出版など、活動の場は幅広い。 漫画家の酒井美羽とは東京デザイナー学院で同じ科にいた。一時期は美内すずえ、樹村みのりのアシスタントを経験している。 異世界を舞台とするSFジャンルの作品を得意とし、また夢、時間がテーマの作品が多い。代表作に『ダークグリーン』など。
合原 一幸(あいはら かずゆき、1954年6月23日 - )… 合原 一幸(あいはら かずゆき、1954年6月23日 - )は、日本の工学者。 東京大学国際高等研究所ニューロインテリジェンス国際研究機構副機構長、東京大学特別教授。学位は、工学博士。福岡県出身。 福岡県出身の数理工学者。カオスニューラルネットワークの概念を提唱したことで知られる。神経回路のような複雑性を持つネットワークを対象とした、複雑系やカオス理論の知見を応用した数理モデルの研究を行っている。 実家は電気屋で、一幸で三代目にあたる。モットーは「大統領のように働き,王様のように遊ぶ」。昆虫博士になることを夢見ていたが、カナダの学会で現在の昆虫学者が脳神経科学に近い研究をしていることを知り、夢が実現していたことを知った。
山田 恵子(やまだ けいこ、1953年6月23日 - )は日… 山田 恵子(やまだ けいこ、1953年6月23日 - )は日本の女子陸上競技(短距離走)選手。 香川県綾歌郡端岡村(現:高松市国分寺町)出身。国分寺中学校、香川県立丸亀高等学校、日本体育大学卒。その後は教員となる。 高校1年生時の1969年インターハイで100メートルと200メートルの2冠を達成。3年生時の1971年にも再び100メートルと200メートルの2冠を達成し、この大会で丸亀高校は学校対抗(女子)で総合優勝した。 日本陸上競技選手権大会では1970年、高校2年生のときに100メートルと200メートルの2冠を達成。翌1971年にも2年連続で100メートルと200メートルの2冠を達成。その後、100メートルは1973年まで優勝して4連覇を達成。
菅家 一比古(かんけ いちひこ、1953年〈昭和28年〉6月… 菅家 一比古(かんけ いちひこ、1953年〈昭和28年〉6月23日 - 2021年〈令和3年〉[要出典])は、日本の社会教育家、古神道家。 一般社団法人「美し国」代表を務めて「日本蘇り運動」を展開した。 昭和53年(1979年) 財団法人民族科学研究所企画室長、安全問題研究所所長を務める。昭和58年に東京に予備校、日本学院を設立、学院長に就任した。昭和60年には教育創造研究所を設立し、本格的人間教育、社会教育に乗り出す。この頃から様々な団体で講演を重ねる。また青少年を対象とした「偉人を語る会」を立ち上げた。 平成2年(1990年)には中央大学名誉教授中西旭に出会い師事する。師の導きにより禊を実践し大自然回帰に目覚める。
大谷 直人(おおたに なおと、1952年〈昭和27年〉6月2… 大谷 直人(おおたに なおと、1952年〈昭和27年〉6月23日 - )は、日本の裁判官。第19代最高裁判所長官。勲等は桐花大綬章。 北海道赤平市出身。東京都立富士高等学校を経て、1975年(昭和50年)に東京大学法学部を卒業。司法修習29期を経て、1977年(昭和52年)に東京地方裁判所に判事補として着任して以降、刑事裁判官としてキャリアを積んできた。最高裁判所調査官、司法研修所教官、東京地裁部総括判事、最高裁判所刑事局長・人事局長、静岡地方裁判所所長、最高裁判所事務総長、大阪高等裁判所長官を歴任。 2015年より最高裁判所判事を務めており、2018年1月9日付で第19代最高裁判所長官に就任。
土屋 斗紀雄(つちや ときお、1952年6月23日 -)は、… 土屋 斗紀雄(つちや ときお、1952年6月23日 -)は、日本の脚本家・構成作家。「倉成 柊一郎(くらなり しゅういちろう)」の筆名も用いる。1995年から1999年頃まで ”土屋斗紀O”名義を用いていた時期もあった。 東京都品川区出身。小学生から高校生の頃まで広島で過ごす。成蹊大学文学部日本文学科を卒業後は約1年間会社勤め、その後シナリオ学校を経て、30歳少し前の頃に『太陽にほえろ!』のプロット募集に採用されたのをきっかけに脚本家に転身。下積み時代は、小川英に師事した。 シナリオライターとしてのデビュー作は、『太陽にほえろ!』。その後、1980年代半ばからは、テレビアニメの脚本も多数手掛けた。
沖 わか子(おき わかこ、1952年6月23日 - )は、日… 沖 わか子(おき わかこ、1952年6月23日 - )は、日本の元女優。本名は高梨 和嘉子(たかなし わかこ)。 東京都芝新橋出身。1971年当時は日本大学芸術学部に在籍していた。 父を早くに亡くし、母は新橋で割烹料理屋を営んでいた。フェリス女学院高等部在学中に「劇団メイフラワー」に入団。1970年、テレビドラマ『紅い稲妻』のヒロイン・松村奈美役で女優としてデビュー。「沖わか子」の芸名は本作の音楽担当である渡辺岳夫(「大塩潤」名義で参加)が、『紅い稲妻』の舞台である沖縄から命名した。 1971年、『仮面ライダー』第14話よりユリ役でレギュラー出演。現場では明るい性格でスタッフからの評判も良かったこともあり、最終回まで出演することとなった。
筧 文夫(かけい ふみお、1952年6月23日 - )は、大… 筧 文夫(かけい ふみお、1952年6月23日 - )は、大分県出身の元プロ野球選手(外野手)。 中津工業高から福岡工業大学に進学。福岡六大学野球リーグでベストナイン2回、敢闘賞1回。典型的な中距離打者で3割7分1厘の高打率(二塁打24、三塁打5、本塁打6)をマーク。最大の魅力は、盗塁数75個を誇る脚力。 1974年にドラフト外で日本ハムファイターズに入団。 一軍公式戦の出場がいまま、1978年に現役を引退。 この項目は、野球選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ野球選手/P野球)。
奥山 恵美子(おくやま えみこ、1951年(昭和26年)6月… 奥山 恵美子(おくやま えみこ、1951年(昭和26年)6月23日 - )は、日本の地方公務員、政治家。旧姓は熊地。 2009年から2017年まで仙台市長を2期務めた。宮城県初の女性首長、政令指定都市初の女性市長である。 1951年、秋田県秋田市生まれ。幼少期から国家公務員だった父親の転勤に伴い各地を転々とした。秋田県立秋田高等学校に入学するが、2年生のときに岩手県立盛岡第一高等学校に転校する。東北大学経済学部卒業後、東京都(世田谷区)勤務を経て、仙台市役所入庁。市役所では生涯学習課長、女性企画課長、せんだいメディアテーク館長、市民局次長、教育長を歴任。副市長に在職中の2007年、仙台市教育委員会教員採用試験の合否通知をめぐる不正問題で渦中の人となった。
大城 肇(おおしろ はじめ、1951年6月23日 -)は、日… 大城 肇(おおしろ はじめ、1951年6月23日 -)は、日本の経済学者。沖縄県副知事(2025年3月11日 - )、前琉球大学学長。専門は島嶼経済学、数理経済学。 沖縄県八重山郡竹富町の鳩間島出身。1970年3月、沖縄県立八重山高等学校卒業。1974年3月、琉球大学法文学部卒業。1977年3月、広島大学大学院経済学研究科修士課程修了。1984年4月、広島経済大学経済学部専任講師、1989年1月、同助教授。 1989年4月に琉球大学法文学部に助教授として着任し、1994年4月に教授に昇任。2004年4月には琉球大学アジア太平洋島嶼研究センター長となる。2005年12月に琉球大学学長補佐、2008年6月に副学長、2009年4月に理事・副学長を歴任した後、2013年4月から2019年3月まで2期6年にわたって琉球大学第16代学長を務めた。
貞光 紳也(さだみつ しんや、1951年6月23日 - )は… 貞光 紳也(さだみつ しんや、1951年6月23日 - )は、日本のアニメ演出家・監督。山口県防府市出身。 一家は転居が多く、防府市から静岡県磐田郡佐久間町(現・浜松市天竜区)→ 名古屋市 → 神奈川県相模原市と移っている。 荒木伸吾、金田伊功らが所属していたスタジオZおよびスタジオNo.1の出身で、『無敵超人ザンボット3』『無敵鋼人ダイターン3』や『機動戦士ガンダム』、『くじらのホセフィーナ』などではスタジオZ作画担当回の演出を担当していた。 タツノコプロ作品に関わった縁から、Production I.G設立当初から作品に参加した。主にOVA作品の監督やシンエイ動画のテレビシリーズの各話演出担当し、一時期は戸部敦夫とコンビで活動していた。
米山 好映(よねやま よしてる、1950年6月23日 - )… 米山 好映(よねやま よしてる、1950年6月23日 - )は、日本の経営者。富国生命保険会長を務めている。山梨県出身。 1969年に山梨県立甲府第一高等学校を経て、1974年に早稲田大学政治経済学部を卒業し、同年に富国生命保険に入社した。2002年に取締役に就任し、2005年7月に常務を経て、2010年7月に社長に就任。2025年4月より会長。
我喜屋 優(がきや まさる、1950年6月23日 - )は日… 我喜屋 優(がきや まさる、1950年6月23日 - )は日本の野球選手(外野手)、野球監督、教育者。沖縄県島尻郡玉城村出身で、2007年より興南高等学校野球部監督を務める。
田中 健一(たなか けんいち、1950年6月23日- )は、… 田中 健一(たなか けんいち、1950年6月23日- )は、日本の経営者。岡三証券社長を務めた。 長崎県島原市出身。1973年に長崎大学経済学部商学科を卒業し、同年4月に岡三証券に入社した。1978年にはニューヨーク大学大学院修士課程を修了。1989年6月に取締役に就任し、1997年5月に常務、1998年6月に専務、2003年10月に岡三ホールディングス取締役を経て、2004年4月に岡三証券及び岡三ホールディングス副社長に就任し、2006年6月には両会社の社長に昇格し、2014年4月までに務めた。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
倉科 遼(くらしな りょう、1950年6月23日 - )は、… 倉科 遼(くらしな りょう、1950年6月23日 - )は、日本の漫画原作者、元漫画家。 栃木県那須郡黒磯町(現:那須塩原市)出身。明治大学中退。水商売モノ(本人いわく「ネオン街モノ」)を得意としてネオン劇画の開祖とも言われる、この分野でのビッグネームである。以前は、司敬(つかさ けい)名義で劇画を執筆していた(「司敬」名義での漫画原作も存在する)。 漫画原作のほかに、本名の大場 敬司(おおば けいじ)名義で編集プロダクション「フリーハンド」及び「オフィスケイ」も経営しており、雑誌まるごと、もしくは一部を出版社から請け負っている。また、フリーハンドが中心となって自作品の舞台化も積極的に行っており、自身も製作総指揮などを務める。
中村 彰彦(なかむら あきひこ、1949年6月23日 - )… 中村 彰彦(なかむら あきひこ、1949年6月23日 - )は、日本の小説家。本名は加藤 保栄(かとう やすえい)。 栃木県栃木市出身。栃木県立宇都宮高等学校卒業、東北大学文学部国文科在学中に『風船ガムの海』で第34回文學界新人賞佳作入選(加藤保栄名義)。 大学卒業後の1973年から1991年まで文藝春秋に編集者として勤務し、お茶の水女子大学教授・外山滋比古、産業能率大学教授・安本美典らに勧められて文章論、小説論を執筆・発表、のち作家に転じた。 『週刊文春』『諸君!』『オール讀物』『別冊文藝春秋』の各編集部および文藝出版部次長を歴任。1987年、『明治新選組』で第10回エンタテインメント小説大賞を受賞。
油野 和一郎(あぶらの わいちろう、1949年〈昭和24年〉… 油野 和一郎(あぶらの わいちろう、1949年〈昭和24年〉6月23日 - )は、日本の政治家。石川県かほく市長(6期)。元河北郡七塚町長。 1968年3月、石川県立金沢桜丘高等学校卒業。1972年3月、法政大学経済学部経済学科卒業。1972年4月、金庄合繊協業組合入社。1981年4月 、油野繊維株式会社取締役就任。1992年3月、油野繊維株式会社代表取締役就任。1997年12月 、七塚町議会議員就任。2000年3月、現職町長の東与市を破って七塚町長に当選。 2004年4月11日、元高松町長の城村孝一を破ってかほく市長に当選。2008年、無投票でかほく市長再選。2012年3月18日、無投票でかほく市長3選。
服部 妙子(はっとり たえこ、1949年〈昭和24年〉6月2… 服部 妙子(はっとり たえこ、1949年〈昭和24年〉6月23日 - )は、日本の女優。本名、矢田 妙子。旧姓名は芸名と同じ。 愛知県名古屋市出身。愛知県立愛知商業高等学校卒業。どりいみい7を経て、M.M.P所属。 高校時代まで名古屋のNHK児童劇団に在籍する。 高校を卒業した1968年に上京して文学座付属演劇研究所に入所。同年のNHK劇場『芽咲く頃』で、集団就職で上京して蕎麦店で働く少女を演じてデビュー。 1969年に文学座の座員となる。同年のテレビドラマ『どくろ銭』(NET)では、高橋英樹の恋人役を演じた。当時の紹介記事では、目標とする女優として渡辺美佐子を挙げている。 以後、『地の群れ』『花の館』などの舞台に出演するが、1973年に文学座を退団してフリーとなり、『卒業旅行』(1973年)、『岸壁の母』(1976年)などの映画やテレビドラマで活動する。
石井 みどり(いしい みどり、1949年(昭和24年)6月2… 石井 みどり(いしい みどり、1949年(昭和24年)6月23日 - )は、日本の政治家。元参議院議員(2期)。 ノートルダム清心中学校・高等学校卒業、1976年(昭和51年)、鶴見大学歯学部卒業。1980年(昭和55年)、広島市内に小児歯科医院を開業する。広島県歯科医師会常務理事、日本歯科医師会常務理事、日本歯科医師連盟(日歯連)顧問、厚生労働省内で厚生科学審議会地域保健健康増進栄養部会委員、社会保障審議会介護給付費分科会委員、口腔機能向上研究班委員など歯科医師としての要職を歴任した。 2007年(平成19年)7月29日に執行された第21回参議院議員通常選挙に自由民主党公認で比例区から立候補、逆風により苦戦した自民党において初当選した。
大旺 吉伸(だいおう よしのぶ、1949年6月23日 - )… 大旺 吉伸(だいおう よしのぶ、1949年6月23日 - )は、富山県新湊市八幡町(現・同県射水市八幡町)出身で二子山部屋に所属した大相撲力士。本名は荒谷 邦治(あらたに くにはる)。身長186cm、体重106kg。最高位は東前頭4枚目(1975年1月場所)。得意手は右四つ、上手投げ、吊り。 「そっぷ型」力士の典型とされた。 1964年、15歳で角界入り。同年11月場所で初土俵を踏み、翌年3月場所にて、「若神(わかじん)」の四股名で序ノ口に付いた。 その後、「大旺」→「威光(いつひかり)」と2度改名したが、1972年3月場所で「大旺」に再改名してからは廃業までそのまま通した。 新十両昇進は、1972年5月場所。
平林 孝一(ひらばやし こういち、1949年6月23日 - … 平林 孝一(ひらばやし こういち、1949年6月23日 - )は、長野県上田市出身のプロゴルファー。 19歳で初めてクラブを握り、1977年にプロテスト合格。 1978年の美津濃プロ新人では松岡金市・池田富茂・青木基正・市川良翁・藤木三郎を抑えて渡辺三男の2位に入り、1979年の関東プロでは初日に波多野修・山田健一・小林富士夫・草壁政治・中嶋常幸・日吉稔・日吉定雄と並ぶ7位タイでスタートする。 1984年のNST新潟オープンでは初日を河野高明・尾崎健夫・新井規矩雄・井上幸一・藤木三郎・栗原雅樹と共に67の6位タイでスタートし、2日目も栗原と共に67で安田春雄・飯合肇に次ぐ3位タイに着けた。 1985年の日本プロでは初日を佐野修一・鈴村照男・入野太・岩下吉久と並んでの4位タイでスタートし、1998年の全日空オープンを最後にレギュラーツアーから引退。
王 紅花(おう こうか、1948年6月23日 - )は、歌人… 王 紅花(おう こうか、1948年6月23日 - )は、歌人。本名は松平美津。歌人・画家の松平修文は夫。 埼玉県児玉郡上里町生まれ。埼玉県立熊谷女子高等学校を経て、ロサンゼルス市立大学卒業。 大学在学中に作歌を始め、「ロッキー短歌」「潮音」に出詠。1971年、大学を卒業し、帰国。1978年、松平修文と結婚。1979年2月、個人誌「夏暦」を創刊。1982年、個人誌と同じタイトルの歌集『夏暦』を上梓。 2017年、夫である松平修文が死去。2025年に刊行された歌集のタイトル『緑色の人』は松平のことを指す。
新井 昌則(あらい まさのり、1948年6月23日 - )は… 新井 昌則(あらい まさのり、1948年6月23日 - )は、埼玉県大里郡岡部町(現・深谷市)出身の元プロ野球選手(内野手)・コーチ。 深谷商では3年次の1966年に夏の甲子園西関東大会県予選準々決勝へ進出するが、川越工に敗退、甲子園には届かなかった。同年の第1次ドラフト3位で大洋ホエールズに入団し、俊足好打の内野手と期待されるが、5年間で僅か2試合にしか出場できずほとんど二軍暮らしで終わった。 1972年に佐藤元彦との交換トレードで、ロッテオリオンズへ移籍。1973年に初安打を放つと、1974年には一軍に定着し、内野ならどこでも守れるユーティリティプレイヤーとして起用され91試合に出場。6月1日の近鉄戦(川崎)で神部年男から初本塁打を記録。