野津 康雄(のづ やすお、1911年〈明治44年〉5月1日 … 野津 康雄(のづ やすお、1911年〈明治44年〉5月1日 - 1987年〈昭和62年〉)は、日本の実業家。株式会社岡山日日新聞社代表取締役社長、岡山放送株式会社取締役相談役などを歴任した。弟である野津克巳の孫は池田基煕(旧名・野津基弘、旧岡山藩主池田家第16代当主池田隆政の妻で昭和天皇第4皇女池田厚子の養子)である。 岡山県総社市真壁出身。國學院大學卒業。新聞聯合社に入社する。1936年、同盟通信社に入社する。1946年、時事通信社に転じ、岡山、高松、広島各支社長、本社事業本部長を経て1957年に夕刊新聞社(のちに岡山日日新聞社)代表取締役に就任する。 岡山日日新聞社代表取締役社長、会長、岡山放送取締役相談役のほか、岡山通信土木代表取締役、フジボーリング代表取締役、日本シール販売代表取締役、フジビル取締役、岡山県政経懇話会会長、瀬戸内海経済研究センター理事長、岡山商工会議所常議員、岡山県経団連常任理事、岡山経済同友会常任幹事などを歴任した。
山本 廣治(やまもと ひろじ、1911年(明治44年)5月1… 山本 廣治(やまもと ひろじ、1911年(明治44年)5月1日 - 1992年(平成4年)4月16日)は、日本の実業家。滋賀県出身。1935年(昭和10年)に日本銀行入行。東亜研究所主任研究員(交通)を経て、1945年(昭和20年)に国土計画へ入社。近江鉄道代表、西武鉄道取締役、西武バス社長などを歴任、同時に(社)東京バス協会会長、(社)日本バス協会副会長他、運輸省関連要職を務める。社主堤康次郎の衆議院議長時代は堤清二と共に議長秘書官として政治活動を支えた。 1986年(昭和59年)、勲三等旭日中綬章を受章。
小山 千鶴子(こやま ちづこ、1911年5月 - 2010年… 小山 千鶴子(こやま ちづこ、1911年5月 - 2010年3月29日)は日本の著作家、編集者。元名古屋市教育委員会委員長。 元衆議院議長で、中日新聞の前身の1紙に当たる名古屋新聞を経営した小山松寿の長女。夫は元中日新聞社社主の小山龍三。 1911年(明治44年)、名古屋市で出生。父の松寿は長野県佐久郡小諸町(現在の小諸市)出身で、実業家の山田才吉から譲り受けた中京新報を『名古屋新聞』に改題して発行元の名古屋新聞社を経営する傍ら、名古屋市会議員として政界に進出していた。1915年(大正4年)、父が第12回衆議院議員総選挙で初当選する。 東京府立第三高等女学校(都立駒場高校の前身の1校)を卒業後、父と同郷で名古屋新聞に入社した平井出龍三と結婚し、龍三は松寿の養嗣子となった。
中原 多代(なかはら たよ、1911年(明治44年)5月 -… 中原 多代(なかはら たよ、1911年(明治44年)5月 - 没年不明)は、日本の声楽家・歌手、発声法の研究者。西洋音楽・邦楽両方の歌唱にわたる研究・実践を行い、その活動が「歌詞を大切にしている声楽家」と評されている。また、日本人の特性を活かす発声法を科学的に研究し、それを生かしたボイストレーニングも行っていた。 1911年5月 横浜に生まれる。 幼少の頃から邦楽の稽古に励む一方で、家には大型オルガン・アップライトピアノ・電蓄があった。また、叔父がヴァイオリンを弾き、叔母が賛美歌を歌う一方、母は箏・三味線と、邦楽・西洋音楽の両方から影響を受けた。 1923年の関東大震災の際、神奈川県立第一高等女学校(現在の神奈川県立横浜平沼高等学校)から文化学院に転校後、同校卒業。
福島 武二(ふくしま たけじ、1910年5月31日 - 19… 福島 武二(ふくしま たけじ、1910年5月31日 - 1971年12月1日)は、日本の銀行家。阿波銀行頭取を務めた。徳島県出身。 神戸商業大学を卒業し、1934年に阿波商業銀行(のちの阿波銀行)に入行した。 1947年に取締役に就任し、1948年に常務、1965年5月に専務を経て、1967年11月には頭取に就任。 1971年12月1日腹膜炎により死去。61歳没。
阿部保(あべ たもつ、1910年5月30日 - 2007年1… 阿部保(あべ たもつ、1910年5月30日 - 2007年1月10日)は、日本の詩人、美学者、英文学者である。北海道大学の名誉教授を務めた。 阿部保は山形県に生まれた。成蹊高等学校を経て、1933年に東京帝国大学文学部美学美術史学科を卒業した。その後、聖橋高等工学校講師、日本大学講師、成蹊高等学校教授、大倉経済専門学校教授、東京経済大学教授を歴任し、1951年に北海道大学文学部教授に就任、1974年に定年退官した。退官後は東京経済大学非常勤講師を務めた。 専門は美学である。旧制高校在学中より自ら詩作を行い、第3次『椎の木』同人として百田宗治に師事した。また、エドガー・アラン・ポー、ウィリアム・ブレイクなど英語詩人の研究、翻訳も行った。
北島 義彦(きたじま よしひこ、1910年〈明治43年〉5月… 北島 義彦(きたじま よしひこ、1910年〈明治43年〉5月30日 - 1959年〈昭和34年〉1月7日)は、日本の政治家。元自由民主党都議会議員。1964年東京オリンピック大会招致実行委員長。位階は正六位。勲等は勲五等。 佐賀県小城郡小城町(現・小城市)生まれ。日本大学卒業。会社顧問、北区立赤羽小学校PTA会長などを歴任した。1943年(昭和18年)3月に東京府会議員となった。同年9月の東京都議会議員選挙に当時の王子区から立候補して初当選を果たした。柔道5段。 戦後の1946年(昭和21年)の第22回衆議院議員総選挙に東京1区から立候補したが落選した。落選後は翌1947年(昭和22年)から北区選挙区から民主党公認で都議に当選した。
沖ツ海 福雄(おきつうみ ふくお、1910年5月28日 - … 沖ツ海 福雄(おきつうみ ふくお、1910年5月28日 - 1933年9月30日)は、福岡県宗像郡(現:福岡県宗像市)出身で若藤部屋に所属した大相撲力士。本名は北城戸 福松(きたじょうと ふくまつ)。最高位は東関脇。 1910年5月28日に福岡県宗像郡(現:福岡県宗像市)で生まれる。千田川部屋(大坂相撲)に入門するが龍神事件で師匠が廃業したため、1924年5月場所から東京市内の若藤部屋に移籍した。当初は上ヶ汐の四股名だったが、1926年5月場所より沖ツ海と改名した。1931年1月場所で新入幕を果たすと、この年は1月と5月の東京場所で5勝6敗と負け越したが、3月場所は8勝3敗、10月場所は7勝4敗と勝ち越して番付を上げた。
渡辺 慧(わたなべ さとし、1910年5月26日 - 199… 渡辺 慧(わたなべ さとし、1910年5月26日 - 1993年10月15日)は、日本の物理学者(理論物理学)・情報科学者。 1910年、東京府生まれ。学習院中等科、東京高等学校を経て、1933年、東京帝国大学理学部物理学科を卒業する。在学中に理化学研究所で寺田寅彦の指導を受ける。1933年、フランス政府留学生として渡仏、パリでド・ブロイに師事し、熱力学の第二法則と波動力学の研究を始める。1937年、ライプツィヒに移り、ハイゼンベルクに原子核理論を師事する。同年、後にドイツ文学者でハワイ大学教授となるドロテア・ダウアーと結婚する。 1939年、第二次世界大戦の勃発とともにドイツを離れ、コペンハーゲンのボーアの許にしばらく滞在した後、同年12月に家族とともに帰国する。
辻井 市太郎(つじい いちたろう、1910年(明治43年)5… 辻井 市太郎(つじい いちたろう、1910年(明治43年)5月25日 - 1986年(昭和61年)9月20日)は、クラリネット奏者、指揮者、作曲家、編曲家であり、日本吹奏楽指導者協会会長、日本マーチングバンド指導者協会(JMBDA)(現日本マーチングバンド協会)会長、大阪市音楽団(現Osaka Shion Wind Orchestra)団長を務めた。 作曲家・音楽評論家・相愛大学名誉教授の辻井英世は長男、大阪音楽大学名誉教授で尼崎市吹奏楽団や近畿大学吹奏楽部など関西の著名なアマチュア吹奏楽団で指揮者をつとめた辻井清幸は次男。 明治43年(1910年)、京都府京都市に生まれる。京都両洋中学校でクラリネットと吹奏楽を学び、昭和3年(1928年)に卒業後、同年、大阪市音楽隊(昭和21年(1946年)大阪市音楽団に改称、現Osaka Shion Wind Orchestra)に入隊。
岩本 政敏(いわもと まさとし、1910年5月25日 - 没… 岩本 政敏(いわもと まさとし、1910年5月25日 - 没年不明)は、日本の経営者。文化放送社長、会長を務めた。東京都出身。 1933年に早稲田大学商学部を卒業。 日本放送協会での勤務を経て、1957年11月に日本教育テレビ(現在のテレビ朝日)に転じ、1960年11月に取締役に就任し、1965年に常務、1972年11月に専務を経て、1979年6月には文化放送社長に就任。1987年7月に会長を経て、1990年6月には相談役に就任。 1984年11月に勲三等旭日中綬章を受章。
吉永 孝雄(よしなが たかお、1910年5月24日 - 19… 吉永 孝雄(よしなが たかお、1910年5月24日 - 1992年10月17日)は日本の文楽研究家、教育者。大阪府出身。 旧制大阪府立生野中学校、大阪高等学校から東京帝国大学に進み、国文学を専攻。浄瑠璃の研究で文学博士。 大阪府立大手前高等学校などで国語科教諭として教壇に立ち、大阪府立勝山高等学校教頭、大阪府立清水谷高等学校校長を務めた。 その傍ら、文楽の研究に取り組み、番付、ちらしなど興行関係資料、ビデオテープ、レコード、新聞・雑誌の記事切抜、写真など多数の資料を収集。その一部は、園田学園女子大学近松研究所に「吉永孝雄文庫」として寄贈されている。 後年は羽衣学園短期大学教授、学長となり、文楽の教育に従事。
島田 賢一(しまだ けんいち、1910年5月24日 - 19… 島田 賢一(しまだ けんいち、1910年5月24日 - 1978年2月20日)は、日本の実業家。チッソ代表取締役社長として、水俣病患者との交渉にあたった。 和歌山県田辺市出身。1934年、東京商科大学(現・一橋大学)卒業。同年、日本窒素肥料(現・チッソ)入社。1949年、日本窒素肥料水俣工場総務部長。同年、日本窒素肥料営業部長。1950年、新日本窒素肥料営業部長。1952年、第二営業部長。1955年、繊維部長。1956年、ミナロン営業部長。1959年、取締役。1963年、常務取締役。1967年11月、副社長。 1971年5月26日に開かれた株主総会は一株運動との対決で大きな騒動となり、チッソは世論の厳しい批判を浴びた。
鈴木 鴻一郎(すずき こういちろう、1910年(明治43年)… 鈴木 鴻一郎(すずき こういちろう、1910年(明治43年)5月23日 - 1983年(昭和58年)4月22日)は、日本の経済学者。東京大学名誉教授、元金沢経済大学・帝京大学教授。専攻はマルクス経済学の経済理論。 宇野弘蔵の後継者。彼が宇野から継承した宇野経済学は伊藤誠によって引き継がれることになる。山口県山口町出身。 この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキポータル 経済学、ウィキプロジェクト 経済)。
小岩井 光夫(こいわい みつお、1910年(明治43年)5月… 小岩井 光夫(こいわい みつお、1910年(明治43年)5月22日 - 1959年(昭和34年)2月17日)は、大日本帝国陸軍の軍人。最終階級は陸軍少佐。 長野県出身。農業・小岩井鈴弥の三男として生れる。松本中学校から陸軍士官学校予科を経て、1934年(昭和9年)6月、陸軍士官学校(46期)を卒業し、同年10月、歩兵少尉に任官し歩兵第5連隊付となる。 その後、支那駐屯歩兵第1連隊付から、同連隊中隊長、第27師団参謀部付などを経て、1942年(昭和17年)3月、シンガポール攻略後の歩兵第41連隊第2大隊の大隊長となり、同年8月陸軍少佐に昇進した。 歩兵第41連隊第2大隊の大隊長としてポートモレスビー作戦に参戦し、ニューギニア戦線から帰還後参謀本部付を経て、1945年(昭和20年)6月、第96師団参謀となり終戦を迎えた。
守屋 時郎(もりや ときろう、1910年5月21日 - 20… 守屋 時郎(もりや ときろう、1910年5月21日 - 2001年6月4日)は、日本の経営者。大東京火災海上保険社長、会長を務めた。東京都出身。 1930年に慶應義塾大学経済学部経済学科を卒業し、同年に大東京火災海上保険に入社。1956年6月に取締役に就任し、1957年6月に常務を経て、1960年6月に副社長に就任し、1962年6月には社長に昇格。1970年6月に会長に就任し、1975年6月から1979年7月までに常任監査役を務めた。 1971年10月に藍綬褒章を受章し、1978年4月に勲四等旭日小綬章を受章。 2001年6月4日胃癌のために死去。91歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
大隈 信幸(おおくま のぶゆき、1910年5月20日 - 2… 大隈 信幸(おおくま のぶゆき、1910年5月20日 - 2004年2月28日)は、日本の政治家、外交官、華族(侯爵)。 貴族院議員、参議院議員(1期)、コロンビア駐箚特命全権大使、ガーナ駐箚特命全権大使などを歴任した。 東京帝国大学の経済学部に入学し、1935年に卒業した。1947年、父である大隈信常の死去にともない、爵位を襲爵し侯爵となった。 1947年2月に貴族院議員に就任したが、日本国憲法施行により貴族院が廃止されたため、3か月弱で貴族院議員としての地位を失った。また、同年4月に行われた第1回参議院議員通常選挙に全国区から立候補し、当選を果たした。参議院では民主クラブに所属した。任期満了まで2か月あまりを残し、1953年4月に議員を辞職した。
岡田 豊日(おかだ とよひ、1910年(明治43年)5月20… 岡田 豊日(おかだ とよひ、1910年(明治43年)5月20日 - 2000年(平成12年)1月27日)は、日本の昆虫学者。東京都立大学名誉教授、日本昆虫学会名誉会員、日本動物分類学会名誉会員。 日本のショウジョウバエ科昆虫の分類学的研究を進めたことで知られる。父は英文学者の岡田哲蔵、息子は地質学者の岡田昭明。 1910年5月20日、東京府麻布区笄町(現:東京都港区麻布)に生まれた。 1933年、東京帝国大学(現:東京大学)理学部動物学科に進学。丘英通に師事し、双翅目昆虫の形態学を研究。卒業後東京市水道局、日本大学第三中学校教諭を経て、東京帝国大学農学部の副手に着任。 第二次世界大戦時に台北に移り、台北帝国大学医学部助手、台湾省立衛生試験所顧問を歴任しながら研究活動を行った。
国弘 員人(くにひろ かずひと、1910年5月20日 - 2… 国弘 員人(くにひろ かずひと、1910年5月20日 - 2002年以前)は、日本の経営学者。 山口県柳井市生まれ。1934年東京商科大学卒業。増地庸治郎の指導を受けた。1940年東京外国語学校教授、1952年旧・東京都立大学教授、1961年東北大学経済学部教授、1961年「収支分岐点」で東北大学経済学博士。1974年定年退官、名誉教授、専修大学教授。81年退職。
受田 新吉(うけだ しんきち、1910年5月18日 - 19… 受田 新吉(うけだ しんきち、1910年5月18日 - 1979年9月21日)は、昭和期の政治家。位階は正三位、勲等は勲一等。衆議院議員(12期)。 山口県大島郡大島町(現周防大島町)出身。日本大学法科卒業。青年学校長、中学校校長、山口県教職員組合副委員長を経て政界入り。無所属、日本社会党(左右分裂時は右派社会党)を経て民社党結成に参加し、党中央執行委員や国会議員団長を務めた。 1963年8月、大島町公民館建設資金として10万円寄付により1964年4月18日紺綬褒章受章。 1979年、体調を崩し、声が出なくなる病に倒れたため引退を表明し、後継者に受田の元秘書で山口県議会議員の部谷孝之を指名。同年9月21日、肺癌のため茨城県新治郡桜村の筑波大学附属病院で死去した。
東伏見 慈洽(ひがしふしみ じごう、1910年〈明治43年〉… 東伏見 慈洽(ひがしふしみ じごう、1910年〈明治43年〉5月16日 - 2014年〈平成26年〉1月1日)は、日本の僧侶。旧皇族。旧華族。久邇宮邦彦王の第3王子。旧名邦英王(くにひでおう)。香淳皇后の弟。第125代天皇・明仁(上皇)は甥、第126代天皇・徳仁(今上天皇)は大甥にあたる。妻は伯爵・亀井茲常の次女・東伏見保子。元衆議院議員・亀井久興は妻の甥。後述の経緯により1931年に皇族の身分ではなくなったが、皇族出身者としては記録に残る限りで一番長寿であった人物である(死去時点で103歳7か月16日、37851日)。 1910年(明治43年)、久邇宮邦彦王の第三男子として誕生。東伏見宮依仁親王・同妃周子より実子のように可愛がられており、子女がなかった同夫妻は、邦彦王と相談の上、当時9歳であった邦英王を東伏見宮に永く預かりの形で迎えることとなり、邦英王は、1919年(大正8年)10月26日の吉辰を卜して東伏見宮邸に移った。
近盛 晴嘉(ちかもり はるよし、1910年5月16日 - ?… 近盛 晴嘉(ちかもり はるよし、1910年5月16日 - ?)は、日本のジャーナリスト、歴史家。 兵庫県出身。早稲田大学政治経済学部卒。大阪毎日新聞記者をへて、大阪読売新聞社勤務。1965年定年退職、帝塚山学院短期大学教授を務め、78年定年退職。ジョセフ彦記念会会長を務めた。
黒木 しのぶ(くろき しのぶ、1910年5月15日-1964… 黒木 しのぶ(くろき しのぶ、1910年5月15日-1964年1月15日)は、日本の女優。本名︰石崎 錦。北海道樺戸郡月形町出身。 札幌市立高等女学校(現北海道札幌東高等学校)卒業。北海タイムス(現・北海道新聞社)編集部勤務ののち上京し、銀座でホステスとして働く。1932年、スカウトされて日活太秦撮影所現代劇部に入社、同年『さらば東京』でデビュー。その後、『一九三二年の母』『霧の夜の客間』『モダン・マダム行状記』などに助演。『さらば東京』で共演した佐分利信と結婚し1934年に引退。1964年、肝臓癌で死去した。墓所は小平霊園。 『日本映画人名事典 女優編』キネマ旬報社
相沢 良(あいざわ りょう、明治43年〈1910年〉5月15… 相沢 良(あいざわ りょう、明治43年〈1910年〉5月15日 - 昭和11年〈1936年〉1月28日)は、日本の女性平和運動家、共産党活動家。 青森県南津軽郡野沢村(現在の青森県青森市)吉野田字木戸口2番地に生まれる。相沢家は3代続く藩医の家であった。家族は、父・武良、母・秀、祖母、姉・千代、妹・京、弟・企救麿。父の助手や看護婦も住み込みで働いていた。 1923年(大正12年)4月、県立青森高等女学校に進学。小学生当時の相沢良は、2つ年長の青森高女の姉・千代と同級生で仲の良い淡谷のり子が遊びに来ていて、出会っている。 1927年(昭和2年)3月卒業後、英語を習得するため黒石の親戚の家から弘前女学校に1年間通う。
田澤 巌(たざわ いわお、1910年〈明治43年〉5月15日… 田澤 巌(たざわ いわお、1910年〈明治43年〉5月15日 - 1990年〈平成2年〉6月30日)は、日本の政治学者。専門は政治思想史学、ヨーロッパの哲学史。北海道教育大学名誉教授・元旭川大学女子短期大学部学長。山形県出身。 『北海道人物・人材リスト 2004 か-と』(日外アソシエーツ編集・発行、2003年) この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
木全 竹雄(きまた たけお、1910年5月14日 - 没年不… 木全 竹雄(きまた たけお、1910年5月14日 - 没年不明)は、愛知県出身のプロ野球選手(ポジションは外野手)。
三村 二(みむら たすく、1910年5月14日 - 1980… 三村 二(みむら たすく、1910年5月14日 - 1980年9月29日)は、日本の歯学者。専門は、生体硬組織再生学。 長野県諏訪郡落合村(現・富士見町)出身。長野県諏訪中学校(現・長野県諏訪清陵高等学校・附属中学校)卒業後、1933年に東京高等歯科医学校を卒業した。その後、東京高等歯科医学校の助教授を務め、東京医学歯学専門学校医学科を卒業した。 1950年には東京医科歯科大学歯学部の教授となり、歯学部歯科薬物学講座(現・東京科学大学大学院医歯学総合研究科硬組織薬理学分野)を開設した。1965年から1968年まで東京医科歯科大学の歯学部長を務め、1969年から1973年まで新潟大学歯学部の教授を務めた。
高田 瑞穂(たかだ みずほ、1910年(明治43年)5月13… 高田 瑞穂(たかだ みずほ、1910年(明治43年)5月13日 - 1987年(昭和62年)1月10日)は、日本の近代文学者。成城大学名誉教授。 早稲田大学、お茶の水女子大学などの非常勤講師も務めた。耽美派や芥川龍之介などの研究で知られる。多くの研究書と啓蒙書、3冊の受験参考書がある。 1960年(昭和35年)9月に新塔社で刊行された『新釈 現代文』は、現代文を読むための「たった一つのこと」だけを説いた高校生、大学受験生向けの本である。約20数年間、現代国語の受験参考書としてベストセラーとなった。「たった一つのこと」とは、文脈を追跡するための「内面的運動感覚」である。論旨の展開を追跡する論理感覚とでもいうものであった。
椿 繁夫(つばき しげお、1910年5月13日 - 1991… 椿 繁夫(つばき しげお、1910年5月13日 - 1991年10月26日)は、日本の労働運動家、政治家。元参議院議員。 鳥取県東伯郡羽合町(現在の湯梨浜町出身)。13歳の頃大阪へ出て旋盤工となる。 大阪市役所職員を経て、社会大衆党公認で大阪市会議員選挙に立候補し、当選する。 戦後日本社会党結成に参加し1950年の第2回参議院議員通常選挙で参議院議員に当選(3年議員)。1952年左右分裂で社会党左派に参加。1953年の第3回参議院議員通常選挙で落選するが、社会党再統一後の1956年に第4回参議院議員通常選挙で返り咲く。通算3期務める。 日本社会党の役員としては党参議院国会対策委員長を経て、1963年河上丈太郎委員長の下で党参議院議員会長に就任。
石河 英夫(いしかわ ひでお、1910年5月12日 - 19… 石河 英夫(いしかわ ひでお、1910年5月12日 - 1998年5月29日)は、日本の会計学者。小樽商科大学名誉教授。元札幌学院大学学長。 日本会計学会理事や北海道経済学会代表理事なども務めた他、北海道大学、北見工業大学、北海学園大学、札幌大学、専修大学北海道短期大学、札幌短期大学など多くの非常勤講師も務めた。 『札幌学院 商経論集 第2巻第3号』(札幌学院大学商経学会、1986年) この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。 この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。
鈴木 與平(すずき よへい、1910年(明治43年)5月11… 鈴木 與平(すずき よへい、1910年(明治43年)5月11日 - 1993年(平成5年)5月23日)は、日本の実業家。元鈴与会長。旧名 鈴木一郎。 静岡県出身。鈴与商店社長で貴族院議員、6代目鈴木與平の長男として生まれる。清水市立清水尋常高等小学校卒業。静岡県立静岡中学校から、旧制静岡高等学校へ進んだが、2年次から旧制成城高等学校に転学し、卒業した。1935年(昭和10年)、京都大学経済学部卒業。山下汽船入社。1937年(昭和12年)4月、鈴与商店に転じ、1940年(昭和15年)5月、鈴与商店並びに鈴与倉庫、清水食品各社長に就任。同年8月、静岡鉄道監査役に選ばれ、次いで取締役となる。1944年(昭和19年)、鈴与社長。
武藤 守一(むとう しゅいち、1910年5月11日 - 19… 武藤 守一(むとう しゅいち、1910年5月11日 - 1970年9月30日)は日本の経済学者。学校法人立命館総長。立命館大学学長。 岐阜県生まれ。1936年(昭和11年)3月、立命館大学法経学部経済学科を卒業後、研究生として立命館に残る。主として金融経済論、経済政策論、経済理論を中心に研究。1941年(昭和16年)に立命館大学講師、1942年(昭和17年)に同大学助教授、1943年(昭和18年)に同大学教授に就任した。その後、同大学院経済学研究科長、経済学部長、教学部長、図書館長などを歴任。1969年(昭和44年)には立命館総長事務取扱に就任。翌1970年(昭和45年)2月1日行われた総長選挙を経て戦後長らく総長の地位にいた末川博の後を受け立命館総長となった。
福田 克己(ふくだ かつみ、1910年5月10日- 2001… 福田 克己(ふくだ かつみ、1910年5月10日- 2001年2月26日 )は、日本の経営者。徳山曹達(現在のトクヤマ)社長、会長を務めた。 山口県出身。1935年に神戸商科大学を卒業し、1937年に徳山曹達(のちのトクヤマ)に入社した。1960年11月に取締役に就任し、1970年11月に常務、1972年11月に専務を経て、1974年5月には社長に就任。1982年6月に会長に就任し、1986年6月に取締役相談役を経て、1988年6月には相談役に就任。 1988年11月に勲二等瑞宝章を受章。 2001年2月26日、心不全のために死去。90歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
竹内 照夫(たけうち てるお、1910年5月10日 - 19… 竹内 照夫(たけうち てるお、1910年5月10日 - 1982年8月23日)は、中国哲学者、北海道大学名誉教授。 東京生まれ。文芸評論家・竹内良夫は弟。東京帝国大学卒。1961年「仁の古義の研究」で東京大学より文学博士の学位を取得。北海道大学助教授、教授、関西大学教授、1978年退任。武田泰淳は友人。
清水 信一(しみず しんいち、1910年5月10日 - 19… 清水 信一(しみず しんいち、1910年5月10日 - 1969年1月10日)は、日本の宗教家。天祖光教(てんそこうきょう)の教祖である。男性。天祖光教信者からは「蔽顔の救主(べいがんのくじゅ)」と称される。 石川県江沼郡大聖寺で生まれる。 1923年8月6日(大正12年)、数え14歳の時に福井県の九頭竜川に注ぐ竹田川上流の釜ヶ淵で友人と水浴中に突然神隠しに遭い、京都の鞍馬山に入山。 30歳の初めまで、日本国内・朝鮮半島・満州を巡り、天地創造の神「天祖」より世の救いの啓示を受け、1942年(昭和17年)、愛知県東春日井郡志段味村(現・名古屋市守山区)に本部として聖地「天母里(てんぼり)」を築き、宗教法人天祖光教を設立する。
斎藤 恒行(さいとう つねゆき、1910年〈明治43年〉5月… 斎藤 恒行(さいとう つねゆき、1910年〈明治43年〉5月8日 - 1984年〈昭和59年〉11月9日)は、日本の水産学者。魚の鮮度判定指標(k値)の開発者。日本における水産科学、特に水産食品化学の権威として知られ、魚の鮮度・旨みの化学的分析に大きな功績を残した。理学博士。 1910年(明治43年)、群馬県伊香保町(現・渋川市)に生まれる。群馬県立渋川中学(現在の群馬県立渋川高等学校)、旧制成城高等学校を経て、1935年(昭和10年)北海道帝国大学理学部化学科を卒業。北大では田所哲太郎に師事。 北海道大学講師、助教授を勤めたのち、1951年(昭和26年)に北海道学芸大学教授に就任。1953年(昭和28年)に北海道大学水産学部教授となる。
中村 佐喜子(なかむら さきこ、1910年5月7日 - 19… 中村 佐喜子(なかむら さきこ、1910年5月7日 - 1999年10月10日)は、日本の翻訳家・作家。本名は石川佐喜子 北海道札幌市出身。日本女子大学英文科卒業。1942年に発表した小説『雪のりんご畑』が改造社の文芸推薦を受け、その後数作を発表。戦後は翻訳家としての活動が中心となり、数多くの英米文学の翻訳を行う。中でも角川文庫版『赤毛のアンシリーズ』は、その格調高く、且つ温かみのある訳文によって親しまれ、村岡花子訳の新潮文庫版とともにロングセラーとなった。 その他の著書に評伝『ロレンスを愛した女たち』、エッセイ『トマス・ハーディの全小説を楽しむ』などがある。
杉山 勝雄(すぎやま かつお、1910年(明治43年)5月7… 杉山 勝雄(すぎやま かつお、1910年(明治43年)5月7日 - 1965年(昭和40年)8月31日)は、日本の政治家。初代青森県むつ市長(2期)。 青森県下北郡田名部町(のち大湊田名部市、現在のむつ市)生まれ。旧制青森県立青森商業学校(現在の青森県立青森商業高等学校)を経て、1931年(昭和6年)中央大学法学部法学科卒。卒業後は、家業の製材、運輸業に従事した。1941年(昭和16年)田名部町会議員に当選。1947年(昭和22年)の青森県議会議員選挙に社会党公認で立候補したが、落選した。1948年(昭和23年)3月に町会議員を退任した。1951年(昭和26年)青森県議会議員に当選。1959年(昭和34年)4月まで2期務めた。
高祖 保(こうそ たもつ、1910年〈明治43年〉5月4日 … 高祖 保(こうそ たもつ、1910年〈明治43年〉5月4日 - 1945年〈昭和20年〉1月8日)は、日本の詩人。 1910年(明治43年)5月4日、岡山県邑久郡牛窓町(現:瀬戸内市)の素封家に生まれる。 1919年(大正8年)、前年の父の死去を機に分家し、母の実家がある滋賀県犬上郡彦根町(現:彦根市)の外馬場に移り住む。 彦根尋常高等小学校(現:彦根市立城東小学校)を卒業。 1928年(昭和3年)、滋賀県立彦根中学校(現:滋賀県立彦根東高等学校)を卒業。 1930年(昭和5年)12月、金沢の第九連隊第一中隊に、幹部候補生として入隊。 1932年(昭和7年)、母と別居し、國學院大学附属高等師範部に入学。
赤羽 末吉(あかば すえきち 、1910年5月3日 - 19… 赤羽 末吉(あかば すえきち 、1910年5月3日 - 1990年6月8日 )は、日本の舞台美術作家、絵本画家、絵本作家。
川口 敏男(かわぐち としお、1910年(明治43年)5月3… 川口 敏男(かわぐち としお、1910年(明治43年)5月3日 - 1989年(平成元年)7月16日)は日本の詩人。 1910年(明治43年)5月3日に兵庫県で生まれる。1942年(昭和17年)に法政大学文学部英文学科を卒業する。 17歳ごろから詩作を始め、百田宗治に師事して『椎の木』の同人となる。1935年(昭和10年)に『木欒』を主宰し、1937年(昭和12年)に阪本越郎らと『純粋詩』を創刊する。 1989年(平成元年)7月16日に死去、79歳。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
中江 良夫(なかえ よしお、1910年5月3日 - 198… 中江 良夫(なかえ よしお、1910年5月3日 - 1986年1月8日)は、日本の劇作家、脚本家である。 1910年(明治43年)5月3日、北海道に中江吉雄として生まれる。弟に喜劇人の佐山俊二がいる。登別市の旧制・尋常小学校を卒業し、札幌郵便局(現在の札幌中央郵便局)に就職したが、その後上京した。 さまざまな職業を経て、1940年(昭和15年)東京・新宿のムーランルージュ新宿座文芸部に入る。おなじころにNHKでラジオドラマを手がけ、中江の『かし家』が1942年(昭和17年)に発行された『放送劇名作選』(日本放送協会編、日本放送出版協会)に収録された。 1945年(昭和20年)の第二次世界大戦後、ムーランルージュで社会風俗劇『生活の河』、『にしん場』などを発表した。
大村 晴雄(おおむら はるお、1910年(明治43年)5月2… 大村 晴雄(おおむら はるお、1910年(明治43年)5月2日 - 2016年(平成28年)4月)は、日本の哲学研究者、東京都立大学名誉教授。近世哲学史専攻、ヘーゲル研究者。1970年以来、季刊誌「途上」を刊行。広く思想とキリスト教の諸問題の研究解明にたずさわった。 北海道札幌市生まれ、神奈川県出身。山形高等学校(旧制)卒、1935年東京帝国大学文学部哲学科卒。39年文部省教学局嘱託。41年府立学校教授、召集令状がきて、中国北部に送られたが、語学の才があり、暗号解読など情報の仕事を行った。1946年復員。1949年東京都立大学助教授、1968年教授、1973年定年退官、名誉教授、東洋大学教授、1981年退職。
酒井 義雄(さかい よしお、1910年〈明治43年〉5月2日… 酒井 義雄(さかい よしお、1910年〈明治43年〉5月2日 - 没年不明)は、日本のフィールドホッケー選手である。東京都出身。 明治大学に在学中の1932年ロサンゼルスオリンピックで主将を務め銀メダルを獲得。 1936年ベルリンオリンピックにも出場した。 浅川増幸 | 猪原淳三 | 宇佐美敏夫 | 小西健一 | 小林定義 | 今治彦 | 酒井義雄 | 柴田勝見 | 左右田秋雄 | 永田寛 | 中村英一 | 浜田駿吉 | 三浦四郎 | 監督: 広瀬藤四郎 伊藤赳夫 | 伊藤通弘 | 上野安夫 | 大津敏雄 | 菊池信 | 倉内大次 | 酒井義雄 | 杉山益男 | 武知治 | 田中昇 | 浜田駿吉 | 村岡敏 | 柳武彦 | 脇坂貞夫 | 監督: 石川周策
恩田 清二郎(、1910年5月1日 - 1974年11月28… 恩田 清二郎(、1910年5月1日 - 1974年11月28日)は、日本の俳優、男性声優、元活動弁士である。本名同じ。恩田 清次郎と表記に揺れがある。 1910年(明治43年)5月1日、東京府東京市浅草区に生まれる、とされている。『山形県大百科事典』(山形放送)など一部の資料には、出生地は冒頭の通りだが、生年は「明治四十年」(1907年)である旨が記されている。父は埼玉県の地主であった。旧制東京府立第三中学校(現在の東京都立両国高等学校・附属中学校)卒業。 1925年(大正14年)、映画俳優を志し、当時東亜キネマに在籍していた近藤伊与吉(1894年 - 1944年)に師事。ところが芽が出ず、間もなく俳優業を辞退して浅草電気館の活動弁士に転向し、長く活動した。
浦田 正夫(うらた まさお、1910年5月1日 - 1997… 浦田 正夫(うらた まさお、1910年5月1日 - 1997年11月30日)は、日本画家、日本芸術院会員。 熊本県山鹿市生まれ。浦田家は祖父から続く画家の家系で、伯父に高橋廣湖がいる。松岡映丘らに師事。東京美術学校日本画科卒。1973年日展文部大臣賞受賞、1978年日本芸術院賞受賞、1988年芸術院会員。1993年、勲三等瑞宝章受章。 代表作に「蔓(かずら)」、「松」など。北関東や東北の自然を描いた。
佐々木 忠義(ささき ただよし、1910年5月1日 - 19… 佐々木 忠義(ささき ただよし、1910年5月1日 - 1983年10月11日) は、日本の海洋物理学者。元東京水産大学学長。理化学研究所名誉研究員。正三位勲二等旭日重光章。 1910年、広島県生まれ。1935年、東京物理学校(現東京理科大学)卒業。1941年、北海道帝国大学理学部物理学科を卒業。 卒業後は、京城帝国大学予科講師となった。同年、同校教授に昇進。1944年より理化学研究所所員。戦後の1949年、理学博士号を取得。1953年に東京水産大学教授となり、理化学研究所主任研究員。1956年、文部省在外研究員としてパリ大学海洋研究所に派遣される。1960年に日仏海洋学会創立し、同会長となった。
原 知一(はら ともかず、1910年5月 - 2004年3月… 原 知一(はら ともかず、1910年5月 - 2004年3月31日)は、日本の歌人、作詞家。山形市出身。 1910年(明治43年)、山形市に生まれる。旧制山形中学校在学中にアララギへ入会し、結城哀草果に師事した。大谷大学予科へ進学し、1936年(昭和11年)に同大学文学部国文学科を卒業。帰郷後は国語教諭となり、宮内高等女学校(山形県立南陽高等学校の前身の一校)に在職中の1944年(昭和19年)、宮内町(現在の南陽市)出身で12月7日にフィリピンのオルモック湾で玉砕した粕川健一を顕彰する「軍神粕川少尉」の歌を作詞した。1946年、黒江太郎と共に「宮内アララギ短歌会」を結成。 1947年(昭和22年)、憲法普及会山形県支部が日本国憲法公布を記念して実施した戦前の「最上川」に代わる2代目の県民歌募集に際して生まれたばかりの長男の名義で応募した「朝ぐもの」が入選し、5月3日の憲法施行記念祝典で演奏されるがこの2代目県民歌は不評のため短期間で演奏されなくなり「最上川」が再び県民歌として返り咲いている。
江湖山 恒明(えごやま つねあき、1910年5月 - 198… 江湖山 恒明(えごやま つねあき、1910年5月 - 1989年3月13日)は、日本の国語学者。 愛媛県生まれ。旧制高知高等学校を経て、1935年東京帝国大学国文科卒。千葉高等女学校(現・千葉県立千葉女子高等学校)教師、第四高等学校教授、東京女子高等師範学校教授、お茶の水女子大学助教授、教授、1976年定年退官、名誉教授、鶴見大学教授。没後正四位。「えこやま」と濁らずに読むこともある。
久曾神 昇(きゅうそじん ひたく、1909年5月31日 - … 久曾神 昇(きゅうそじん ひたく、1909年5月31日 - 2012年9月23日)は、日本の国文学者。学位は文学博士(東北大学・1962年)(学位論文「古今和歌集成立論」)。愛知大学第9代学長。勲二等瑞宝章。 愛知県渥美郡牟呂吉田村高州(現・愛知県豊橋市高洲町)生まれ。第一高等学校を経て、1934年に東京帝国大学文学部国文学科を卒業。1938年に同大学院を退学。福岡女子専門学校教授。応召先のシンガポールで捕虜となる。 1946年に復員し、愛知大学予科教授、1949年に愛知大学教授、1970年に文学部長、愛知大学理事、1972年に学長および理事長を歴任。1984年に退任、名誉教授、勲二等瑞宝章、1985年に中華人民共和国南開大学名誉教授。