清水 脩(しみず おさむ、1911年11月4日 - 1986… 清水 脩(しみず おさむ、1911年11月4日 - 1986年10月29日)は、日本の作曲家。カワイ楽譜(現:カワイ出版)元社長。大阪府大阪市天王寺区出身。 1932年(昭和7年)大阪外国語学校(新制大阪外国語大学の前身、現:大阪大学外国語学部)のフランス語科を卒業後、1938年(昭和12年)に東京音楽学校(現:東京芸術大学)選科に入学、橋本國彦に作曲、細川碧らに理論を学ぶ。1939年(昭和14年)、第8回音楽コンクール作曲部門で「花に寄せたる舞踏組曲」が1位入選、1950年(昭和25年)「インド旋律による四楽章」が芸術祭管弦楽曲に入選、1953年(昭和28年)に「交響曲第1番」で第1回尾高賞の佳作に入選、1955年(昭和30年)に歌劇「修禅寺物語」で伊庭歌劇賞および毎日音楽賞を受賞。
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安寿吉(An Su Kil, アン・スギル、1911年11月… 安寿吉(An Su Kil, アン・スギル、1911年11月3日 - 1977年4月18日)は、韓国の小説家。号は南石。安は幼年期を間島で過ごした。間島は朝鮮独立運動の盛んな場所であったため、安は亡国人の苦しみを特に目の当たりにしていたのだろう。安の文学は、亡国という苦しみをひとつのテーマに置いている。 1911年11月3日、咸鏡南道咸興市に生まれる。父は安鎔浩、母は金淑卿の2男1女の長男。父の安鎔浩は間島の龍井にある光明高等女学校の校監を務めていた。安が5歳のとき、興南市西湖里に引越し、ここで戸籍を登録したので、原籍は興南市である。興南市の小学校に通い、13歳で満州の間島に引っ越す。間島中央学校を卒業し、再び咸興市に戻り、1926年3月、咸興高等普通学校に入学する。
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天満 和人(てんまん かずと、1911年〈明治44年〉11月… 天満 和人(てんまん かずと、1911年〈明治44年〉11月3日 - 没年不明)は、日本の実業家、医師。産婦人科、天満医院長。米子ゴルフ倶楽部社長。 鳥取県米子市出身。山内定次郎の二男。9歳の頃に天満徳次郎の養嗣子となる。米子中学校(現・米子東高校)在学中に養父が亡くなり、養母により育成される。 松山高等学校理科乙類を卒業。1937年、大阪帝国大学を卒業。大阪帝国大学講師として8年間在職し、1943年に徳島医学専門学校教授、産婦人科を担当し、医育の傍ら教育に専念する。 1945年に大戦に応召、軍医少尉に任官、鳥取陸軍病院に勤務する。その間養母の死、徳島大空襲羅災等重なる災厄のため帰郷する。1946年に現地において産婦人科医院を開業する。
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藤尾 純(ふじお じゅん、1911年11月3日 - 1987… 藤尾 純(ふじお じゅん、1911年11月3日 - 1987年3月12日)は、日本の俳優。大阪府大阪市南区心斎橋筋(現在の同市中央区)出身。本名:藤尾 徳二(ふじお とくじ)。女優の中原早苗は長女だが、早苗が幼少の頃に家を出たため、藤尾の妻・南部雪絵が1人で育てた。娘婿は映画監督の深作欣二で、孫の深作健太も映画監督である。 中外商業高等学校(現在の兵庫県立尼崎北高等学校)中退。1927年、諸口十九一座に入団し、京都座で初舞台を踏む。その後、榎本健一らの浅草カジノ・フォーリー、ムーランルージュ新宿座などで活躍した。 戦後、新風ショウを結成。喜劇の脇役として親しまれた。また、戦前から東宝の映画を中心に数多くの作品に出演していたが、1965年、東京映画製作の映画『大勝負』を最後に映画界を離れ、舞台に専念した。
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小寺 明(こてら あきら、1911年11月2日 - 2001… 小寺 明(こてら あきら、1911年11月2日 - 2001年9月28日)は、日本の化学者。専門は、高分子化学。東京教育大学名誉教授。理学博士(東京帝国大学)。東京生。 この他に、東京教育大学理学部長、東京教育大学評議員、中央大学法学部通信教育課程兼任講師、日本化学会副会長、日本学術会議議員を歴任。
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植村 鷹千代(うえむら たかちよ、1911年11月2日 - … 植村 鷹千代(うえむら たかちよ、1911年11月2日 - 1998年2月26日)は、日本の美術評論家。 旧高取藩主植村家壺子爵の子として、奈良県高市郡高取町に生まれる。1932年大阪外国語学校仏語部卒。日本外事協会、南洋経済研究所を経て、1939年日本大学芸術科講師、1943-1945年同盟通信社に勤務。1939年から美術評論活動を開始。戦後、日本アバンギャルド美術家クラブ結成に参加、前衛美術論を展開した。現代美術研究所主宰。1971年高齢者を対象に設立されたサロン・デ・ボザール会長に就任。1977年紫綬褒章受勲。
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佐々野 利彦(ささの としひこ、1911年(明治44年)11… 佐々野 利彦(ささの としひこ、1911年(明治44年)11月2日 - 1975年(昭和50年)7月12日)は、日本の体操競技選手で、指導者も務めた。日本オリンピック委員会常任委員、日本体操協会副会長。 長崎県南松浦郡福江町(現・五島市)出身。日本体育会体操学校(現・日本体育大学)卒業。1932年ロサンゼルスオリンピックに出場した。 1964年東京オリンピックでは日本体操チームの総監督を務め、技の難度を示す「ウルトラC」という言葉を普及させたとする説がある。 1975年7月12日、肝臓癌のため順天堂大学医学部附属順天堂医院で死去。63歳没。同年7月28日、岸記念体育会館の地下講堂で日本体操協会・日本オリンピック委員会・日本体育大学など7団体による合同告別式が行われた。
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大山 信郎(おおやま のぶろう、1911年11月1日 - 2… 大山 信郎(おおやま のぶろう、1911年11月1日 - 2009年2月13日)は、日本の医学者、医学博士。東京教育大学学長を務めた。 愛知県出身。1937年に東京帝国大学医学部医学科を卒業。 東京帝国大学副手、山梨県立医学専門学校眼科部長、国立盲教育学校教授などを経て、1951年に東京教育大学教授に就任し、1974年3月から1978年3月までに学長を務めた。1972年4月に教育学部長を経て、1978年3月には名誉教授に就任。 1983年4月に勲二等瑞宝章を受章。 2009年11月26日に死去。97歳没。
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磯野 誠一(いその せいいち、1910年〈明治43年〉11月… 磯野 誠一(いその せいいち、1910年〈明治43年〉11月29日 - 2004年〈平成16年〉)は、日本の法学者。民法、法社会学を専攻し、東京教育大学文学部教授などを歴任した。 1910年、東京に生まれる。旧制武蔵高校を経て東京帝国大学法学部に進む。1934年に卒業後同大学院に進学し民法を専攻、1939年に修了した。大学院修了後、地租改正資料整備会委員になり、同年10月から、国際文化振興会で、『英文日本百科事典』の編集に携わる。1941年に社会事業研究所に入所し、1943年から日本敗戦まで、北京近郊河北口の西北研究所員として、モンゴルで調査研究をした。敗戦のためウランバートルで抑留生活を送る。
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下村 治(しもむら おさむ、1910年(明治43年)11月2… 下村 治(しもむら おさむ、1910年(明治43年)11月27日 - 1989年(平成元年)6月29日)は、日本の経済学者、大蔵官僚。池田勇人内閣で高度経済成長のプランナーを務めた。 1910年(明治43年)に佐賀県佐賀郡北川副村(現・佐賀市)に生まれる。旧制佐賀中学校、旧制佐賀高等学校文科甲類を経て、1930年に東京帝国大学経済学部へ進学。 1933年、高等試験行政科試験に合格、1934年、東大経済学部を卒業し大蔵省に入省。配属先は専売局。理財局金融課を経て1936年ニューヨーク駐在。1959年退官までの間に経済安定本部物価政策課長、日本銀行政策委員などを歴任したが、病気がちなこともあり大蔵省内ではいわゆる“傍流”にあった。
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長浜 藤夫(ながはま ふじお、1910年11月27日 - 1… 長浜 藤夫(ながはま ふじお、1910年11月27日 - 1983年8月1日)は、日本の俳優。長濱 藤夫と表記されることもある。本名は竹村 時之(たけむら ときゆき)。 1910年(明治43年)11月27日、石川県金沢市千日町に生まれる。旧制麻布中学校を経て東京高等造園学校(1942年消滅、東京農業大学造園学科の前身)を卒業。 1931年(昭和6年)、新興劇協会に入り、久保栄(1900年 - 1958年)が演出を務めた舞台『青酸加里』で初舞台を踏み、新劇俳優として活躍する。1934年(昭和9年)、山田耕筰(1886年 - 1965年)が主宰する楽劇金曜会、1937年(昭和11年)には新築地劇団、1942年(昭和17年)には瑞穂劇団へ転々とした。
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梅沢 伊勢三(うめざわ いせぞう、1910年11月27日 -… 梅沢 伊勢三(うめざわ いせぞう、1910年11月27日 - 1989年10月6日)は、国文学者、俳人。 埼玉県生まれ。本籍宮城県。1943年東北帝国大学法文学部日本思想学科卒。1962年「古事記及び日本書紀の研究 記紀両書の成立過程に関する文献学的並びに思想史的分析」で東北大学文学博士。1945年東北帝大助手、1952年教員となり宮城県立仙台図南高校(現仙台市立仙台大志高等学校)教諭、1963年宮城工業高等専門学校教授、76年定年退官、名誉教授、1978年東北福祉大学教授。83年退職。俳人として号を一栖。1933年「馬酔木」所属、59年「河」同人。1967年「澪」を創刊し、主宰。
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西園寺 不二男(さいおんじ ふじお、1910年11月26日 … 西園寺 不二男(さいおんじ ふじお、1910年11月26日 - 1986年5月31日)は、日本の銀行家。西園寺家第39代当主。 1910年11月26日、東京府にて宮内省の官僚・西園寺八郎の三男として誕生。1935年、東京帝国大学経済学部を卒業し日本銀行に入行。 兄の公一がゾルゲ事件に連座して廃嫡されたことによって新たに西園寺家の相続人となったが、1946年の父・八郎の死後、襲爵手続きは行わなかった。なお、華族制度は翌1947年に廃止された。 第二次世界大戦後は、日銀資金局復興金融課長等を務め、1952年に日銀を退職し、同年8月、義父・鮎川義介が経営権を持っていた中小企業助成銀行(現・三井住友銀行)の頭取に就任。
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野村 かつ子(のむら かつこ、1910年11月26日 - 2… 野村 かつ子(のむら かつこ、1910年11月26日 - 2010年8月21日)は、日本の社会運動家。生活協同組合の組織など、消費者運動に取り組んだ。 京都市西陣の商家、稲垣家に生まれ、カツと名付けられる。姉・貞(後の鑓田貞子)の影響もあり、早くからキリスト教に傾倒する。 京都府立京都第一高等女学校(京都府立鴨沂高等学校の前身)から、同志社女子専門学校(同志社女子大学の前身)英文科に進み、賀川豊彦、中島重などの薫陶を受ける。 女専在学中に同志社大学法学部の学生だった野村治一と結婚。かつ子は1931年に女専を卒業し、夫との間に長女と長男をもうけた。夫・治一は、同志社大学法学部に助手として残り、やがて助教授に昇任したが、1937年に肺結核のため他界した。
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黒金 泰美(くろがね やすみ、1910年〈明治43年〉11月… 黒金 泰美(くろがね やすみ、1910年〈明治43年〉11月25日 - 1986年〈昭和61年〉10月11日)は、日本の大蔵官僚、政治家。衆議院議員、内閣官房長官。1981年勲一等瑞宝章受章。父親は戦前の立憲民政党代議士の黒金泰義。 山形県米沢市出身(北海道生まれ)。旧制武蔵高校を経て、東京帝国大学法学部に入学。肺結核に罹患し4年間、病床で過ごしたため、ひとの倍をかけ大学を卒業する。 高等文官試験に一番で合格し、1935年に大蔵省に入省。理財局属。戦後、津島寿一、池田勇人両蔵相の秘書官を務める。父の死後は、米沢に近い赤湯町(現・南陽市)出身の結城豊太郎が後見役を担ったほか、郷里の偉材である池田成彬とも接する機会が多かった。
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大野 市郎(おおの いちろう、1910年(明治43年)11月… 大野 市郎(おおの いちろう、1910年(明治43年)11月25日 - 1988年(昭和63年)2月9日)は、昭和期の実業家、政治家。衆議院議員(7期)。 新潟県長岡市で大野屋旅館主・大野甚松の孫として生まれた。新潟県立長岡中学校[要出典]を経て1932年(昭和7年)兵庫県立神戸高等商業学校卒業。箱根富士屋ホテルに勤めた。 1936年(昭和11年)静岡県熱海市でホテル大野屋を開業した。1940年(昭和15年)父から大野屋本店社長を継承した。熱海市会議員を務め、1950年(昭和25)熱海商工会議所会頭に就任した。日本温泉協会会長などの役職も務めた[要出典]。 佐藤栄作の秘書を経て1952年(昭和27年)自由党から第25回衆議院議員総選挙に旧新潟3区から出馬して初当選。
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山崎 斉(山崎 齊、やまざき / やまさき ひとし、1910… 山崎 斉(山崎 齊、やまざき / やまさき ひとし、1910年(明治43年)11月25日 - 没年不詳)は、昭和期の農林技官及び官僚、政治家。参議院議員(1期)、林野庁長官。板垣退助先生顕彰会創立発起人兼顧問。 高知県香美郡徳王子村(大忍村、徳王子村、香我美町を経て現香南市香我美町徳王子)で、山崎栄の二男として生まれる。1933年(昭和8年)東京帝国大学農学部林学科を卒業した。 農林省に入省し、営林署技師、大館営林署長、農林技官、林野庁林産課長、同業務課長、同計画課長、同指導部長などを歴任し、林野庁長官に1958年(昭和33年)6月から1961年(昭和36年)7月まで在任して退官した。 1962年(昭和37年)7月の第6回参議院議員通常選挙に全国区から自由民主党公認で出馬して当選し、参議院議員に1期在任した。
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前田 佳都男(まえだ かづお、1910年11月24日 - 1… 前田 佳都男(まえだ かづお、1910年11月24日 - 1978年1月4日)は、日本の政治家。位階は従三位、勲等は勲一等。参議院議員(4期)。参議院副議長(第13代)。科学技術庁長官(第26代)。息子は法務大臣を務めた前田勲男。 和歌山県出身。東京法学院卒で伊那合同銀行取締役を務めた前田友次郎の長男。旧制和歌山県立伊都中学より旧制浪速高等学校文科甲類を経て1934年東京帝国大学法学部政治学科卒業。 逓信省に入省後、イギリス、アメリカ、フランス、ドイツなどに留学を経験し1937年小倉郵便局長、1943年貯金局企画課長、郵務局逓送課長、郵務局次長などを歴任し、1955年大阪郵政局長を最後に退官。政界入りを目指し翌年の参議院選挙に和歌山県地方区から自由民主党公認で立候補し初当選。
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森田 雄蔵(もりた ゆうぞう、1910年(明治43年)11月… 森田 雄蔵(もりた ゆうぞう、1910年(明治43年)11月23日 - 1990年(平成2年)1月29日)は日本の小説家。 1910年(明治43年)11月23日に東京府京橋で生まれる。1935年(昭和10年)に法政大学文学部英文学科を卒業する。 戦後、本格的な作家活動に入り、1953年(昭和28年)に『はがゆい男』で第30回芥川賞候補になる。 『法政文学』『一座』『小説と詩と評論』などに小説を発表し、1958年(昭和33年)に『岳父書簡撰』を発表、1967年(昭和42年)に代表作『料亭の息子』を発表する。 また、丹羽文雄の後を受けて、全国同人雑誌作家協会会長を務めたほか、木々高太郎主宰の同人誌『小説と詩と評論』を継承し、新人作家の発掘に貢献した。
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江下武二(えした たけじ、1910年(明治43年)11月22… 江下武二(えした たけじ、1910年(明治43年)11月22日 - 1932年(昭和7年)2月22日)は、大日本帝国陸軍の軍人。最終階級は工兵伍長。佐賀県神埼郡蓮池村(現:佐賀市蓮池町)大字古賀1010番地あるいは佐賀県杵島郡大町村大字福母杵島炭砿126舎出身で爆弾三勇士の一人。 親の事業の失敗から佐賀県東松浦郡相知村(現・唐津市相知町)字久保や小城郡の別府、杵島郡の福母に転住。炭鉱を転々とし、少年期から杵島炭鉱で働く。父も兄二人も久留米歩兵連隊に入営した軍人一家で武二は海軍志望だったが、1931年(昭和6年)、父兄と同様に久留米工兵第18連隊に入営。翌年には混成旅団工兵中隊に編入され、陸軍一等兵として第一次上海事変に出征。
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江上 不二夫(えがみ ふじお、1910年11月21日 - 1… 江上 不二夫(えがみ ふじお、1910年11月21日 - 1982年7月17日)は日本の生化学者。戦後日本の生化学を牽引した一人。日本学術会議会長、国際生命の起源学会会長等を務めた。東京生まれ。考古学者江上波夫は兄。
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守山 義雄(もりやま よしお、1910年(明治43年)11月… 守山 義雄(もりやま よしお、1910年(明治43年)11月21日 - 1964年(昭和39年)8月27日)は、日本のジャーナリストである。 大阪市に生まれ、大阪外国語学校(後の大阪外国語大学、現在は大阪大学に統合)ドイツ語学部に入学する。1931年(昭和6年)に卒業後は大阪朝日新聞に入社し、社会部に所属した。1939年(昭和14年)には第二次世界大戦直前下にあったナチス・ドイツのベルリン特派員となり、同年9月に大戦が勃発した際にはヨーロッパの戦線報道に携わる。 翌1940年(昭和15年)6月にはナチス・ドイツ軍に入り、終戦直前の1945年(昭和20年)7月まで従軍した。その後は帰国および復員し、1949年(昭和24年)より朝日新聞大阪本社の社会部長を経て1951年(昭和26年)にはサンフランシスコ平和条約の講和講義の報道にあたる。
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長谷川 政友(はせがわ まさとも、1910年(明治43年)1… 長谷川 政友(はせがわ まさとも、1910年(明治43年)11月20日 - 1980年(昭和55年)3月14日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員。 福井県大野郡上庄村木本(現大野市)出身。政治家を目ざして16歳で上京し、苦学して1935年(昭和10年)日本大学法文学部政治科を卒業した。 北海道庁嘱託、同農林主事を歴任。1942年(昭和17年)に応召し、終戦により1945年(昭和20年)に復員した。1947年(昭和22年)4月、第23回衆議院議員総選挙で福井県全県区から民主党公認で出馬して当選し、衆議院議員に1期在任した。この間、1948年(昭和23年)に政治資金に関する問題で衆議院不当財産取引調査特別委員会に証人喚問された。
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渕 通義(淵、ふち みちよし、1910年(明治43年)11月… 渕 通義(淵、ふち みちよし、1910年(明治43年)11月20日 - 1994年(平成6年)2月10日)は、昭和期の農学者、政治家。衆議院議員、農学博士。 宮崎県児湯郡都農村(現都農町)で生まれた。1931年(昭和6年)宮崎高等農林学校林学科を卒業した。 東京帝国大学農学部嘱託、全国木材組合連合会常務理事、日本林業技術協会理事、日本農業経済研究所長、財団法人東京植物科学研究所理事長などを務めた。 1942年(昭和17年)4月の第21回衆議院議員総選挙で宮崎県から東方会所属で出馬(非推薦)して落選。1946年(昭和21年)4月の第22回衆議院議員総選挙で宮崎県全県区に出馬して落選。1947年(昭和22年)4月の第23回総選挙で宮崎県第1区に日本自由党公認で出馬して落選。
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海老沢 有道(えびさわ ありみち、1910年(明治43年)1… 海老沢 有道(えびさわ ありみち、1910年(明治43年)11月20日 - 1992年(平成4年)1月3日)は、日本の歴史学者。専門は、キリスト教・キリシタン史。文学博士(東京大学)。元立教大学文学部史学科教授。窪田幸夫の別名もある。 兵庫県尼崎市生まれ。1934年(昭和9年)立教大学文学部史学科卒業。卒業論文は、「京都南蛮寺建立考」。同志社高等女学部で教員を務める。1943年(昭和18年)応召入隊し、1946年(昭和21年)に復員する。 1949年(昭和24年)聖心女子大学教授、1960年(昭和35年)立教大学文学部史学科教授、立教大学ラテンアメリカ研究所・所長。キリシタン音楽史の研究を始めた、同僚の皆川達夫の指導も行った。
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木内 信蔵(きうち しんぞう、1910年11月19日 - 1… 木内 信蔵(きうち しんぞう、1910年11月19日 - 1993年4月7日)は、日本の地理学者。専門は人文地理学。東京大学名誉教授。 東京出身。浦和高等学校卒、東京帝国大学理学部地理学科卒。大学院、理学部助手、講師を経て、1949年に東京大学教養学部助教授。1950年「都市の地理学的研究」で東京大学より理学博士の学位を取得。1954年、教養学部に人文地理学教室を創設。1956年に教授。1971年、定年退官、名誉教授、成城大学教授。1975年、ジョージ・デビッドソン賞受賞。1981年、定年退任。1959年、ベルリン地理学協会から日本人初のカール・リッター賞を受けた。
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太田 一夫(おおた かずお、1910年11月19日 - 19… 太田 一夫(おおた かずお、1910年11月19日 - 1990年11月3日)は、日本の政治家、労働運動家。衆議院議員(5期、日本社会党)。保革を問わず「いっぷさん」と親しまれた。 愛知県矢作町大字渡(現岡崎市渡町字宮西)生まれ。碧海郡矢作高等小学校(現岡崎市立矢作中学校)を経て、1927年(昭和2年)に上京。東京市下谷区の岩倉鉄道学校(現岩倉高等学校)に入学。下谷区坂本町4丁目にあった東京朝日新聞の新聞販売店で住み込みで働きながら、昼間は学校に通う。1929年(昭和4年)10月、同校を首席で卒業。12月、名古屋鉄道に入社。 1945年(昭和20年)12月10日、名古屋鉄道労組を結成。1948年(昭和23年)8月、名古屋鉄道労組書記長、私鉄中部地連書記長に就任。
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大島 博光(おおしま ひろみつ、1910年11月18日 - … 大島 博光(おおしま ひろみつ、1910年11月18日 - 2006年1月9日)は、日本の詩人、翻訳家である。
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野中 五郎(のなか ごろう、1910年(明治43年)11月1… 野中 五郎(のなか ごろう、1910年(明治43年)11月18日 - 1945年(昭和20年)3月21日)は、日本の海軍軍人。特攻兵器「桜花」を擁する神雷部隊指揮官として九州沖航空戦に参加。最終階級は戦死による二階級特進で海軍大佐。海兵61期卒。
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菊川 多賀(きくかわ たか、1910年11月16日 - 19… 菊川 多賀(きくかわ たか、1910年11月16日 - 1991年1月15日)は、北海道出身の日本画家。本名は孝子。日本画家の菊川三織子は姪。日本美術院同人。日本美術院評議員。勲四等瑞宝章受章者。 1910年に北海道で生まれる。豊水小学校卒業後北海高等女学校に進むが、一家の東京転居に伴い麹町高等女学校に転校、病気のため中退。父の友人であった日本美術院同人の清原斎に師事して絵を学んだ。戦後は堅山南風に師事。女性群像や歌舞伎・文楽などを題材とした作品を残した。日本美術院同人として、院展で院賞、文部大臣賞、総理大臣賞の各賞を受賞した。
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籠山 京(篭山 京、かごやま たかし、1910年11月15日… 籠山 京(篭山 京、かごやま たかし、1910年11月15日 - 1990年6月16日)は、日本の衛生学者。 長崎県南高来郡小浜町(現・雲仙市)出身。1934年慶應義塾大学医学部卒。1938年「煖房に関する衛生気象学的研究」で医学博士。慶大講師、満鉄衛生研究所員、1944年同衛生試験所長。引き上げ後、中央労働学園大学教授、法政大学教授、1952年北海道大学教授。1969年上智大学教授。1981年定年、名誉教授。社会保障制度審議会委員など。1976年、著書の『戦後日本における貧困層の創出過程』について日本生活学会賞受賞、1983年勲二等瑞宝章受勲。著作集全8巻がある。 貧困層を調査、最低生活費について研究した。
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品川 司(しながわ つかさ、戸籍名:藤戸 光秀、旧名:韓 光… 品川 司(しながわ つかさ、戸籍名:藤戸 光秀、旧名:韓 光秀、1910年〈明治43年〉11月15日 - 1992年〈平成4年〉12月3日)とは、朝鮮忠清南道燕岐郡出身の政治運動家、平和運動家、頭山満門下の右翼である。 私財をつぎこんで授産所や診療所の運営を行っていた。 原水協に先んじて、原水爆実験禁止運動を手がけて、100万人の署名運動を起こした。 世論新聞社社主、平和公論社社主、財団法人平和厚生会理事長、国民民主党総裁、日本民主党総裁。 自称していた略歴は下記の通り。 本籍東京都、広島県出身。1938年誠進會設立、1940年専修大学経済専科卒。1945年国弘通信社社主、誠進會を政経社に改組。
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清井 正(きよい ただし、1910年(明治43年)11月14… 清井 正(きよい ただし、1910年(明治43年)11月14日 - 2006年(平成18年)12月13日)は、日本の農林官僚。農林事務次官。東京都出身。 東京帝国大学法学部卒業後、農林省入省(米穀部嘱託)。林野庁林政部長、食糧庁総務部長、農業改良局長を経て、1953年(昭和28年)水産庁長官、1954年(昭和29年)食糧庁長官、1956年(昭和31年)に農林事務次官に就任。 1957年(昭和32年)に退官後、日本穀物検定協会会長、農林漁業金融公庫総裁、農業信用保険協会理事長、日本中央競馬会理事長、東京都競馬社長、同会長を歴任した。
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小野 達郎(おの たつろう、1910年11月14日 - 19… 小野 達郎(おの たつろう、1910年11月14日 - 1994年11月30日)は、日本の経営者。山形県出身。 1934年に東京帝国大学法学部法律学科を卒業し、1941年に日本製鋼所に入社。 1961年11月に取締役に就任し、1965年11月に常務、1967年11月に専務を経て、1969年11月に副社長に就任し、1973年11月には社長に昇格。1979年6月には相談役に就任。 1976年4月に藍綬褒章を受章し、1983年11月に勲三等旭日中綬章を受章。 1994年11月30日心不全のために死去。84歳没。
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平田 寛(ひらた ゆたか、1910年11月14日 - 199… 平田 寛(ひらた ゆたか、1910年11月14日 - 1993年9月23日)は、日本の西洋科学史家。早稲田大学名誉教授。日本科学史学会会長。 古代ギリシャの科学技術を研究し、西洋の科学史の文献の翻訳により、日本の科学史研究に貢献した。また日本科学史学会の発起人となり、その創立にも尽力した。 平田内蔵吉・平田晋策(『新戦艦高千穂』の著者)は父の従兄弟であり、内蔵吉の孫である平田オリザは縁戚にあたる。
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塩野 孝太郎(しおの こうたろう、1910年 <明治43年>… 塩野 孝太郎(しおの こうたろう、1910年 <明治43年> 11月13日 - 1989年 <平成元年> 11月20日)は、日本の経営者。塩野義製薬社長、会長を務めた。位階は正四位。 大阪府出身。1934年に神戸商業大学を卒業し、同年に塩野義製薬に入社。 1937年に取締役に就任し、1941年に専務を経て、1953年10月には社長に就任した。1982年6月から会長を務めた。 1971年11月に藍綬褒章を受章し、1981年4月に勲二等瑞宝章を受章。 1989年11月20日呼吸不全のために死去。79歳没。死没日付をもって正四位に叙された。
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花岡 堅而(はなおか けんじ、1910年11月12日 - 1… 花岡 堅而(はなおか けんじ、1910年11月12日 - 1997年4月22日)は、日本の医師。日本医師会会長、長野大学理事長、長野五輪招致委員会の自然保護専門委員長などを務めた。 長野県南安曇郡穂高町(現・安曇野市)生まれ。旧制松本中学校(現・長野県松本深志高等学校)、旧制松本高等学校理科甲類を経て、1936年に新潟医科大学(現・新潟大学医学部)を卒業し、同大学の生化学教室や産婦人科教室で勤務した。1941年、岡谷市立岡谷病院の産婦人科医長に就任し、1943年から軍医として中国北部で従軍。終戦後の1946年に復員して新潟大学の産婦人科教室に戻り、翌1947年に岡谷病院の産婦人科医長に復職している。
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喜多野 徳俊(きたの のりたか、1910年〈明治43年〉11… 喜多野 徳俊(きたの のりたか、1910年〈明治43年〉11月12日 - 2005年〈平成17年〉7月30日)は、昭和〜平成期に活躍した医師、郷土史家。奈良地方の郷土史を記録する多くの著作や中世地誌の現代語訳を残した。京都府京都市出身。 1910年(明治43年)11月12日、父・竹澤徳蔵、母うめの五男、竹澤徳俊として生まれる。 1935年(昭和10年)、名古屋医科大学を外科学専攻にて卒業し、同年名古屋大学医学部助手としての勤務を始める。同年末、奈良市中筋町で病院を経営する喜多野義夫との養子縁組およびその長女、文子との縁談が持ち込まれる。医学者としての研究継続を望んでいた徳俊は逡巡したが、学位論文完成までは研究を続けること、その後は奈良で喜多野病院を継ぐが、家業の耳鼻咽喉科だけでなく、徳俊の専門であった外科の診療も行うことなどを条件に、縁談は進められることとなった。
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野原 覚(野原 覺、のはら かく、1910年11月12日 -… 野原 覚(野原 覺、のはら かく、1910年11月12日 - 1999年4月6日)は、日本の政治家。日本社会党所属の衆議院議員(4期)。 長崎県出身。1938年(昭和13年)、立命館大学専門部法律科卒業。 大阪府にて教職に就き、大阪教職員組合執行委員長、大阪府労組連合協議会議長、日本教職員組合近畿地区協議会委員長などを歴任。 1953年の第26回衆議院議員総選挙において、左派社会党より旧大阪府第1区から立候補し初当選、以後当選4回。社会党左派に属し、党中央委員、遊説部長、国会対策副委員長、書記長などを経て、大阪府連合第一地区協議長、日本農民組合大阪府連顧問、党本部近畿圏整備副委員長に就任したほか、議院運営委員会理事、公職選挙法に関する調査特別委員会理事等も務めた。
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藤沢 武夫(藤澤 武夫、ふじさわ たけお、1910年11月1… 藤沢 武夫(藤澤 武夫、ふじさわ たけお、1910年11月10日 - 1988年12月30日)は、日本の実業家。自動車メーカーの本田技研工業(ホンダ)に代表される工業系の企業で経営面を務めることが多かった。 本田宗一郎と共にホンダを世界的な大企業に育て上げた。本田宗一郎の名参謀と言われ、本田は藤沢に実印と会社経営の全権を委ね、自らは技術者に徹していた。 劇作家で舞台演出家の藤沢文翁は孫にあたる。 1910年(明治43年)、東京府東京市小石川区中富坂町(現・東京都文京区小石川)で父秀四郎、母ゆきの間に生まれる。藤沢家は現在の茨城県結城市で代々漢方医を務める名家だったが、藤沢の祖父の代で廃業となり、秀四郎は上京した。
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西村 幸生(にしむら ゆきお、1910年11月10日 - 1… 西村 幸生(にしむら ゆきお、1910年11月10日 - 1945年4月3日)は、1930年代の日本を代表する職業野球選手(投手)。三重県宇治山田市大世古町(現:伊勢市大世古二丁目)出身。 主戦投手として、大学野球の関西大学、職業野球の大阪タイガース(現在の阪神タイガース)といった名門チームの黄金時代を築き、初代巨人キラーとしても知られる。現在では、「酒仙投手」と呼ばれることも多い。甥の西村隆明 は、伊勢市内で鰻料理店を営んでいる。 1917年に入学した宇治山田市第七尋常小学校(現在の伊勢市立厚生小学校)で野球を始め、1923年に三重県立宇治山田中学校(現在の三重県立宇治山田高等学校)に進学して野球部に入部するとたちまちエースになり、その後主将を任された。
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桶谷 繁雄(おけたに しげお、1910年11月10日 - 1… 桶谷 繁雄(おけたに しげお、1910年11月10日 - 1983年2月12日)は、日本の金属学者、科学・社会評論家。 東京工業大学名誉教授。専攻は金属結晶学。 桶谷清吉の長男として東京・浅草に生まれ、花柳界の中心地で育った。 暁星中学校で吉田健一と同級生。東京高校理科乙類で級長。このとき、同学年の理科甲類の級長が糸川英夫だったが、糸川の首席は「余力のあるトップ」で桶谷より遥かに優秀だったという。 東京帝国大学工学部冶金学科卒業後、フランス政府招聘留学生として1935年にブザンソン大学物理研究所に留学し、2年の滞在後、東大工学部副手を経て、1942年に東京工業大学助教授となる。 1949年にパリのフランス国立中央科学研究所研究員として再度留学。
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梶木 隆一(かじき りゅういち、1910年11月10日 - … 梶木 隆一(かじき りゅういち、1910年11月10日 - 2012年5月6日)は、日本の英語学者。東京外国語大学名誉教授。 東京生まれ。東京帝国大学卒業。1955年東京外国語大学教授、1973年定年、名誉教授となり明星大学教授、駿台予備学校でも英語を教えた。語学教育研究所理事長(1980年4月~1986年3月)、大学英語教育学会会長などを歴任。大学、高校入試の英語教科書を数多く著し、受験英語に活躍、また英語の辞書も編纂した。 2012年5月6日に心不全で死去。101歳没。 この項目は、言語学に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキポータル 言語学)。
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高岩 肇(たかいわ はじめ、1910年11月9日 - 200… 高岩 肇(たかいわ はじめ、1910年11月9日 - 2000年1月28日)は、日本の脚本家。 東京生まれ。慶應義塾大学卒。在学中から小説『季節の展望』『素質』『新三田派』を発表した。1939年の映画『若き日の感激』で脚本を担当。以後シナリオ作家として活動し、1951年から東映や大映を中心に映画脚本を執筆した。 2000年1月28日、腎不全のため死去。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
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大後 美保(だいご よしやす、1910年(明治43年)11月… 大後 美保(だいご よしやす、1910年(明治43年)11月8日 - 2000年(平成12年)7月25日)は、日本の農学者、気象学者である。東京府(現在の東京都)出身。 牛込中里(新宿区)にて生まれ、東京帝国大学(現在の東京大学)に入学する。大学時代は農学部に在籍し、1935年(昭和10年)に卒業した。卒業後は中央気象台(現在の気象庁)に入庁し、産業気象の要員や後に技手として活動した。大学で学んだ農学と気象について学び、主に気候による農作物への影響を研究する。その後は気象台に所属する技術官の養成所や気象技師、古巣の東京大学農学部の講師を務めた。1946年(昭和21年)に同課長に就任し、同時に農学博士の称号を得た。
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桑沢 洋子(くわさわ ようこ、1910年11月7日 - 19… 桑沢 洋子(くわさわ ようこ、1910年11月7日 - 1977年4月12日)は、20世紀の昭和時代に活動した日本のファッションデザイナー。桑沢デザイン研究所および東京造形大学の創立者で、服飾から生活全般にわたる分野において「産業デザイン」を提唱した。桑澤洋子と表記されることもある。 東京市神田区東紺屋町(現在の東京都千代田区)に出生。神田高等女学校(現在の神田女学園高等学校)卒業後、1928年に女子美術学校(現在の女子美術大学)師範科西洋部へ入学、1932年に卒業。卒業後は東京社に就職するが、1933年に新建築工芸学院へ入学しバウハウスの思想に触れた。写真家の田村茂と1934年に結婚するも、1951年に離婚。
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安本 和夫(やすもと かすお、1910年 <明治43年> 1… 安本 和夫(やすもと かすお、1910年 <明治43年> 11月7日 - 1989年 <平成元年> 7月7日)は、日本の経営者。トーメン社長、会長を務めた。山口県出身。位階は従四位。 1935年に大阪商科大学を卒業し、同年に東洋綿花(のちのトーメン)に入社。1961年5月に取締役に就任し、1963年11月に常務、1965年6月に専務を経て、1969年11月に副社長に就任し、1971年6月には社長に昇格。1977年6月から1978年6月までに会長を務めた。 1972年4月に藍綬褒章を受章し、1982年4月に勲二等瑞宝章を受章。 1989年7月7日肺炎のために死去。78歳没。死没日付をもって従四位に叙された。
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飯島 藤十郎(いいじま とうじゅうろう、1910年〈明治43… 飯島 藤十郎(いいじま とうじゅうろう、1910年〈明治43年〉11月7日 - 1989年〈平成元年〉12月4日)は、日本の実業家。山崎製パンの創業者である。 東京府北多摩郡三鷹村に生まれる。16歳で父親を亡くし、旧制中学を中退して新宿中村屋へ勤める。1931年に中村屋を辞して、現在の東京学芸大学にあたる東京府豊島師範学校二部に入学する。後に、中村屋の店主相馬愛蔵の影響でクリスチャンになり、2人の弟とともにキリスト教の洗礼を受ける。 豊島師範学校卒業後、東京市内の第一寺島小学校に赴任。赤坂中之町小学校の体育主任であった際、同僚の女性に結婚を申し込むも、小学校教師である事を理由に女性の家族から反対された事から、中等教員検定試験に合格し、東京府立航空工業学校体操教師になる。
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佐伯 富(さえき とみ、1910年11月6日 - 2006年… 佐伯 富(さえき とみ、1910年11月6日 - 2006年7月5日)は、日本の東洋史学者。専門は、宋代より清代に至る中国近世史。学位は、文学博士。京都大学名誉教授。 1910年、香川県三豊郡萩原村(現:観音寺市大野原町)で生まれた。旧制香川県立三豊中学校を経て、旧制第六高等学校に入学。第六高等学校で、生涯にわたって薫陶を受ける宮崎市定と出会った。1931年、京都帝国大学文学部に入学、東洋史を専攻する。六高から転任していた宮崎の指導を再び受けることになった。1935年、京都帝国大学文学部史学科を卒業し、同大学大学院に進学。同時に、東方文化学院京都研究所研究嘱託となった。 1940年、京都帝国大学人文科学研究所助手に採用。
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向井 長年(むかい ながとし、1910年11月6日 - 19… 向井 長年(むかい ながとし、1910年11月6日 - 1980年6月23日)は、日本の労働運動家、政治家、参議院議員(4期)。 1910年、奈良県宇陀郡室生村に生まれる。1932年日本大学法律学科卒業。はじめ東邦電力に入社、奈良支店に配属、戦後は関西電力に属す。日本電気産業労働組合(初代書記長は佐々木良作)が結成されると関西地方本部委員長に就任するが、後に電産執行部の路線を批判して脱退。関西電力労働組合を結成して初代委員長となる。 奈良総評議長4期を経験し、1959年7月の参院選全国区に日本社会党から立候補し初当選(連続4回)。 1960年1月前年に社会党から離党した旧右派系(西尾派、河上派の一部)による民主社会党結成に参加。
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