清水 建宇(しみず たてお、1947年 - )は元実業家(豆… 清水 建宇(しみず たてお、1947年 - )は元実業家(豆腐店経営)、元朝日新聞論説委員。 北海道札幌市出身。北海道札幌南高等学校、神戸大学経営学部卒業後の1971年4月、朝日新聞入社。佐賀支局、西部本社社会部を経て1981年東京本社に異動、警視庁記者、宮内庁記者を担当の後、出版局に移り「週刊朝日」副編集長、「論座」編集長などを歴任。2003年論説委員に就任。また、テレビ朝日のニュース番組「ニュースステーション」にて、の間、コメンテーターも務めた。2007年定年退職。朝日新聞社が発行する『大学ランキング』の編集長を1994年の創刊以来、2008年版まで続けていた。現在は、スペインのバルセロナで2010年に開店した豆腐店を営んでいるが、体力の衰えを感じて、2021年1月に全国豆腐連合会を通じて後継者を募り店舗を譲った。
太田 英昭(おおた ひであき、1946年(昭和21年)12月… 太田 英昭(おおた ひであき、1946年(昭和21年)12月22日 - )は、日本のテレビプロデューサー、実業家。フジ・メディア・ホールディングス社長、産経新聞社会長を務めた。一般社団法人ジャパンフォワード推進機構代表理事。勉強会「立志塾」主宰。 北海道千歳市出身。中央大学法学部卒業後、フジテレビジョン入社。社会教養部に配属される。同期に山田良明(共同テレビジョン社長)、久保田榮一(扶桑社・育鵬社社長)。吉田填一郎(日本テレビアナウンサー)は大学の同期。 『小川宏ショー』(アシスタントディレクター)、『おはよう!ナイスディ』(チーフディレクター)、『なんてったって好奇心』(チーフプロデューサー)、『ザ・ノンフィクション』(立ち上げ)など情報番組の制作に携わる。
中尾 則幸(なかお のりゆき、1946年(昭和21年)12月… 中尾 則幸(なかお のりゆき、1946年(昭和21年)12月19日 - )は、日本の政治家、実業家。北海道メディアポート代表取締役。参議院議員(1期)を務めた。 北海道早来町(現安平町)生。北海道苫小牧東高等学校、早稲田大学第一文学部卒業後、札幌テレビ放送に入社。プロデューサーを務める。 1992年、第16回参議院議員通常選挙に北海道選挙区から立候補し、初当選。当初は日本社会党会派に所属したが、1995年北海道知事選挙で新進党・社会党が推薦する前副知事の堀達也ではなく、自民党・自由連合が推薦し、新党さきがけが支持する伊東秀子を金田誠一と共に支援したため、党より除名処分を受ける。その後は新党護憲リベラルに所属。
関 寛(せき ひろし、1946年11月4日 - )は、日本の… 関 寛(せき ひろし、1946年11月4日 - )は、日本の実業家。2026年現在中道リース株式会社代表取締役会長。また同社の筆頭株主でもある。 北海道帯広市出身。1965年3月、北海道帯広三条高等学校を卒業。1970年3月、北海学園大学法学部卒業。 1970年4月、帯広市役所に入所する。1986年帯広市市民公室秘書課長となる。1990年3月、帯広市役所を退職する。 1990年4月、岳父・中道昌喜が創業した中道リース株式会社の常務取締役社長室室長に就任する。1991年4月、同社専務取締役に就任する。1992年4月、同社代表取締役副社長となる。 1994年4月、中道リース株式会社代表取締役となる。
新蔵 博雅(しんくら ひろまさ、1946年10月16日 - … 新蔵 博雅(しんくら ひろまさ、1946年10月16日 - )は、日本の経営者。北海道文化放送社長を務めた。北海道函館市出身。 函館東高校を経て、1972年に早稲田大学第一文学部ロシア文学科を卒業し、同年に北海道新聞社に入社した。政治部記者として主に自民党を担当し、ワシントン特派員、帯広報道部長、旭川支社長、編集局長を歴任。2004年6月に取締役に就任し、2005年6月に常務、2006年6月に専務を経て、2008年6月から2013年6月までに北海道文化放送社長を務めた。 2010年4月から2012年3月までに日本民間放送連盟副会長を務めた。
小野木 聖二(おのき せいじ、1946年8月21日 - 20… 小野木 聖二(おのき せいじ、1946年8月21日 - 2019年10月21日) は、日本の技術者、実業家。アズビル代表取締役社長や、同社代表取締役会長、日本電気制御機器工業会会長、日本電気計測器工業会会長などを歴任した。藍綬褒章受章。 北海道帯広市生まれ。1970年北海道大学工学部応用物理学科卒業、山武ハネウエル入社。 1988年山武ハネウエルアドバンステクノロジーセンター所長。1994年山武ハネウエル工業システム事業部システム開発統括部長。1996年山武ハネウエルア取締役。2000年山武産業システム代表取締役社長。2003年執行役員常務アドバンスオートメーションカンパニー社長。 2004年から代表取締役社長兼執行役員社長を務め、社名をazbilに変更した。
島崎 憲明(しまざき のりあき、1946年8月19日 - )… 島崎 憲明(しまざき のりあき、1946年8月19日 - )は、日本の実業家。長く住友商事に勤め、代表取締役副社長を経て特別顧問となっているのをはじめ、様々な企業や団体の役員を歴任している。 北海道網走支庁(後のオホーツク総合振興局)の、後の湧別町に生まれた。先祖は、旧・高岡藩から屯田兵として北海道に入植した一族であるという。 北海道湧別高校まで地元で過ごした後、小樽商科大学商学部に進み、智明寮で寮生活を送りながらバスケットボールに打ち込み、さらに応援団長なども務めた。 1969年に小樽商科大学を卒業して、住友商事に入り、大阪で経理畑を経験した後、東京勤務を経て、ニューヨーク駐在員として8年間勤務した。
水元 尚也(みずもと たかや、1946年7月3日 - 200… 水元 尚也(みずもと たかや、1946年7月3日 - 2007年8月13日)は、日本の実業家。北海道北見市出身。日本で最初の地ビール(オホーツクビール)会社を作った。 水元が元々北見日独協会の事務局も担当し、北見市の国際交流事業に参加。ドイツのビールを視察後、ビール研究会を立ち上げ、事務局も担当。1991年はまなす財団の協力を得て、北見まちおこしの一環として、地域ビール構想報告書をまとめた。それがのちのオホーツクビール設立に繋がった。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
平松 庚三(ひらまつ こうぞう、1946年1月6日 - )は… 平松 庚三(ひらまつ こうぞう、1946年1月6日 - )は、日本の実業家。小僧com取締役会長。群馬県みなかみ町在住。株式会社ライブドアホールディングス代表取締役社長、弥生株式会社代表取締役会長、株式会社セシール取締役、小僧com代表取締役会長などを歴任した。 1946年1月6日北海道函館市で生まれ、埼玉県立大宮高等学校を卒業して早稲田大学第二文学部を中退し、1973年にアメリカン大学コミュニケーション学部ジャーナリズム学科を卒業した。在学中に読売新聞ワシントン支局でアルバイト勤務して渡邉恒雄と知り合う。 1973年ソニー株式会社、1973年から1978年ソニーコーポレーション・アメリカ、1978年から1983年ソニー本社海外事業部、1983年から1986年ソニーPC事業部、1986年アメリカン・エキスプレス・インターナショナルジャパン、1986年から1990年パブリッシングディレクター、1990年から1992年アメリカン・エキスプレス・インターナショナルジャパン副社長、1992年株式会社IDGコミュニケーションズジャパン代表取締役社長、1998年AOLジャパン株式会社代表取締役社長America Online, Inc.副社長、2000年インテュイット日本法人株式会社代表取締役社長兼CEO インテュイット副社長。
石田 建昭(いしだ たてあき、1946年1月2日 - )は日… 石田 建昭(いしだ たてあき、1946年1月2日 - )は日本の実業家。東海東京フィナンシャル・ホールディングス代表取締役社長、東海東京証券代表取締役会長。元中部経済同友会代表幹事。 北海道函館市で船員の子として生まれる。北海道函館中部高等学校を経て、1968年小樽商科大学商学部卒業、東海銀行(現三菱UFJ銀行)入行、内田橋支店配属。1980年加州東海銀行出向。1987年国際財務開発室長。1992年欧州東海銀行頭取。1994年東海銀行取締役。1996年東海銀行常務取締役。1998年東海投信投資顧問取締役社長。2001年欧州東海銀行会長。2002年UFJインターナショナル会長。2003年UFJインターナショナル社長。
東原 俊郎(ひがしはら としろう、1946年(昭和21年) … 東原 俊郎(ひがしはら としろう、1946年(昭和21年) - )は、日本の実業家。東原興産代表取締役社長、札幌ばんけい代表取締役社長、太陽育成会理事長。 北海道深川市生まれ。札幌光星高等学校を経て、1966年(昭和41年)札幌短期大学商学科卒業。当初はトランペット奏者を志していたが、22歳のときに父が急逝し、家業の土建業を継ぐ。しかし結局会社は2年後に倒産してしまい、昼間はダンプカーの運転手、夜はススキノでトランペットを吹き、夜中にまたダンプカーで土砂運びという生活を30代後半まで続けた。 1988年(昭和63年)パチンコ産業の太陽グループ代表取締役社長・太陽流通代表取締役社長。1994年(平成6年)東原興産代表取締役社長。
アト゚イ(Atuy、本名:豊岡征則(とよおか まさのり)、1… アト゚イ(Atuy、本名:豊岡征則(とよおか まさのり)、1945年11月18日 – )は、アイヌ人実業家・作曲家・作詞家。別名はサンニョアイノ(考える人)、愛称はポンニー(小さな木の人)という。 「アト゚イ」は、「アトゥイ」と書くこともできるが、本人は「ト゚」を使った表記を一貫して使っている。 1945年(昭和20年)、北海道釧路支庁白糠町生まれ。アイヌ人が多く住む集落で育ち、アイヌ人のアイデンティティを持つ。母はアイヌ人、父は非アイヌ人だがアト゚イ出生前に姿を消した。小学生の頃には漁船に下働きとして乗り組み、櫓のこぎ方もそこで覚えた。アイヌの出自のために和人の子供から差別を受けることに我慢できず、小学校に通うのをやめた。
和多田 進(わただ すすむ、1945年10月5日 - 201… 和多田 進(わただ すすむ、1945年10月5日 - 2016年6月22日)は、日本のジャーナリスト、編集者、実業家。晩聲社創立者、週刊金曜日初代編集長・社長。筆名に轍寅次郎(わだち とらじろう)。 1945年、北海道十勝管内幕別町札内に生まれる。中学3年の時、60年安保闘争のデモに参加。北海道帯広柏葉高等学校時代に民青同盟に加入し、1963年、日本共産党入党(党費滞納を理由に30代半ばで除名)。 1968年に法政大学社会学部を卒業し、サイマル出版会、総合雑誌「時代」編集部を経て、1972年徳間書店グループの現代史出版会の設立に参加。1976年にルポルタージュ専門の出版社「晩聲社」を創立する。1988年、編集プロダクション「鐵五郎企画」を創設。
岸本 純幸(きしもと すみゆき、1945年8月24日 - 2… 岸本 純幸(きしもと すみゆき、1945年8月24日 - 2025年5月7日)は、日本の実業家。JFEエンジニアリング代表取締役社長兼最高経営責任者を務めた。 北海道名寄市出身。1970年北海道大学大学院工学研究科修了、日本鋼管入社。1991年日本鋼管福山製鉄所製銑部長。1995年日本鋼管福山製鉄所原価総括部長。1997年日本鋼管取締役福山製鉄所副所長に昇格。1999年日本鋼管常務取締役福山製鉄所長。2000年日本鋼管執行役員専務。2002年日本鋼管代表取締役執行役員副社長。2003年JFEスチール代表取締役副社長。2005年JFE物流代表取締役社長。2008年からJFEエンジニアリング代表取締役社長兼CEOを務め、一般職の廃止を行うなどした。
前田 勝敏(まえだ かつとし、1945年5月7日 - )は、… 前田 勝敏(まえだ かつとし、1945年5月7日 - )は、日本の実業家。ホーマック(後のDCMホーマック)元会長兼社長・DCM Japanホールディングス(後のDCMホールディングス)初代社長・DCM Japan初代社長。北海道釧路市出身。 ホーマック初のプロパー社長で、カーマ(後のDCMカーマ)・ダイキ(後のDCMダイキ)との経営統合による持株会社・DCM Japanホールディングス(後のDCMホールディングス)の初代社長となった。 しかし、DJHDの社長就任後、ホーマックの取引先やホーマック関連会社役員によるインサイダー事件が発生し、久田宗弘副社長(当時、カーマとDCM Japanの2社の社長を兼任)を後継に指名し、DJHDの社長を引責辞任した。
近藤 龍夫(こんどう たつお、1945年3月21日 - 20… 近藤 龍夫(こんどう たつお、1945年3月21日 - 2025年11月28日)は、日本の実業家。北海道電力の社長、会長を経て、現在名誉顧問。第7代北海道経済連合会会長。元公益社団法人北海道観光振興機構会長。 北海道札幌市生まれ。父親は鉱山技師。原子力発電環境整備機構理事長を務めた近藤駿介は実兄。北海道名寄高等学校を経て、北海道札幌南高等学校卒業後、北海道大学工学部で黎明期にあった原子力教育を受ける。北大工学部電気工学科卒業後、1969年北海道電力入社。若手時代にアメリカの原子力発電所での実務研修を受け原子力運営課長を経て、泊発電所長、理事苫小牧支店長、取締役事業推進部長などを歴任し、2004年から取締役社長、原子力発電を重視する経営路線を強め泊原発3号機の建設推進や原価の見直しによる「本格改定」で2度の電気料金値下げやオール電化住宅の普及を主導した。
小野塚 勝(おのづか まさる、1945年1月20日 - )は… 小野塚 勝(おのづか まさる、1945年1月20日 - )は、日本の企業経営者。北海道テレビ放送(HTB)の元アナウンサー・報道局長・解説委員。
磯田憲一(いそだ けんいち、1945年 - )は、日本の元地… 磯田憲一(いそだ けんいち、1945年 - )は、日本の元地方公務員、社会起業家、市民活動家。元北海道副知事で、北海道農業企業化研究所理事長などを務める。北海道旭川市出身。 北海道富良野高等学校卒業。1967年明治大学法学部卒業。1967年北海道庁に入庁。1988年北海道庁企画振興部地域振興室振興課課長補佐。1989年同渡島支庁地方部長。1991年同生活福祉部生活文化課課長。1994年同企画振興部企画室参事。1996年同企画振興部対策室室長。1997年同総合企画部政策室室長。1999年同上川支庁支庁長。2000年総合企画部長。2001年北海道副知事。2003年2月に北海道庁を辞職し、堀達也知事退任の後を受けて、第15回統一地方選挙の北海道知事選挙に出馬。
磯田憲一(いそだ けんいち、1945年 - )は、日本の元地… 磯田憲一(いそだ けんいち、1945年 - )は、日本の元地方公務員、社会起業家、市民活動家。元北海道副知事で、北海道農業企業化研究所理事長などを務める。北海道旭川市出身。
河内 孝夫(かわうち たかお、1944年11月21日 - )… 河内 孝夫(かわうち たかお、1944年11月21日 - )は、日本の実業家、馬主。 北海道函館市にある宿泊施設・湯の川プリンスホテル 渚亭などを運営する株式会社湯の川プリンスホテルの代表取締役会長を務める。 1944年生まれ。北海道函館中部高等学校を卒業後、21歳の時に他界した先代から事業を引き継ぎ、1972年に湯の川プリンスホテルを創立した。その他、函館湯の川温泉協同組合理事長、社団法人函館観光協会副会長、函館商工会議所観光サービス部会長などを歴任。 2016年、湯の川プリンスホテルの社長職を息子の昌貴に譲り、代表取締役会長に就任した。 日本中央競馬会(JRA)および地方競馬全国協会(NAR)に登録する馬主としても知られる。
吉澤 慶信(よしざわ よしのぶ、1944年11月15日 - … 吉澤 慶信(よしざわ よしのぶ、1944年11月15日 - )は、日本の地方公務員、経営者。元北海道副知事、元北海道庁経済部長。瑞宝中綬章受章。 AIR DO(北海道国際航空)取締役会長。 北洋銀行常勤監査役、元北海道副知事、元北海道経済部長を歴任。1999年、北海道庁経済部次長時代に、経営破たんした苫小牧東部開発株式会社の再建を託され、社長として赴任、任期の2001年まで黒字経営を続けた。この経営力・手腕がかわれ北海道経済界の強い推挙により、AIR DO会長に就任した。 高橋はるみの後援会長を務めていた。
菊池 育夫(きくち いくお、1944年 - )は日本の経営者… 菊池 育夫(きくち いくお、1944年 - )は日本の経営者。北海道新聞社の元代表取締役社長。北海道上磯町(現在の北斗市)出身。 前任社長東功の抜擢で社長に就任し、機構改革による人員整理などに取り組んだ。しかし、菊池体制下の北海道新聞は、北海道警裏金事件に関係する記事ねつ造事件の処理などをめぐって、道警との癒着が指摘されるなどの不祥事が続いた。
長沼 修(ながぬま おさむ、1943年(昭和18年)7月19… 長沼 修(ながぬま おさむ、1943年(昭和18年)7月19日 - )は、日本の実業家で、元・北海道放送(HBC)プロデューサー。同局で常務取締役、代表取締役社長、会長を歴任した後に、2010年から2017年まで札幌ドームの運営会社(株式会社札幌ドーム)の代表取締役社長を務めた。 北海道安平郡早来町(現在は安平町)生まれ。父親は北海道庁の農林技師で、戦後現在の札幌市西区琴似に転居。母方の曽祖父は明治初期に琴似に入植した屯田兵であった。北海道札幌西高等学校から北海道大学農学部を経て、ラジオ・テレビ兼営局のHBCへ1967年に入社した。 地元で最も早く設立された民放局でもあるHBCとの縁は、大学生時代に在籍していたオーケストラ部での活動にまで遡る。
木村 昌平(きむら しょうへい、1943年5月2日 - 20… 木村 昌平(きむら しょうへい、1943年5月2日 - 2018年7月21日)は、日本の経営者。セコム社長を務めた。北海道釧路市出身。 北海道釧路湖陵高等学校を経て、同志社大学文学部に入学。演劇活動に熱中し、映画監督に憧れていた。1966年に大学を卒業し、セコムに入社。 1975年2月に取締役に就任し、1988年2月に常務、1995年6月に専務を経て、2002年4月に社長に就任。2005年4月に会長に就任。2016年6月に相談役に就任。40歳代の初め頃には、セコム創業者の飯田亮から「俺が興味があるのは、お前がどこまで成長するかだ」と言わしめた人物であった。 社外では全国警備業協会4代目会長、空港保安事業センター評議員、日本救急医療財団理事、日本情報システムユーザー協会常任理事、中央大学大学院客員教授などを歴任した。
尾﨑 晌(おざき しょう、1943年1月8日 - )は、日本… 尾﨑 晌(おざき しょう、1943年1月8日 - )は、日本の実業家、合気道家。合気道八段。 北海道紋別郡湧別町出身(出生地は札幌市)。北海道湧別高等学校時代はバスケットボール部に所属し全道大会に出場している。演劇部にも所属していた。駒澤大学文学部社会学科に入学し合気道部に入部。駒大合気道第四代主将、全国学生合気道連盟副委員長を務めた。大学卒業後、東京テレビ映画社(TBS映画社→TBSビジョン(TBS-Ⅴ)→現在のTBSスパークル)に入社し、番組宣伝を担当するかたわら「ポーラテレビ小説」の丘みつ子、音無美紀子、五十嵐めぐみらを育てた。 松竹映画の「女咲かせます」では松坂慶子、「柔道一直線」では桜木健一、日本テレビの「太陽にほえろ!」では小野寺昭、「ありがとう」第一シリーズ(婦人警官編)では、水前寺清子、和泉雅子、山形勲らに合気道を指導している。
加森 公人(かもり きみひと、1943年 - )は、日本の実… 加森 公人(かもり きみひと、1943年 - )は、日本の実業家。加森観光取締役相談役。元代表取締役社長。 1943年、北海道札幌市に生まれる。札幌北高校を卒業、同高校時代の修学旅行で後楽園遊園地のジェットコースターに乗ったことをきっかけに遊園地好きとなり、その後の遊園地開発へと繋がる。 大学は教師を志望し東京教育大学を第一志望としていたものの不合格となり、1968年に学習院大学経済学部を卒業、立教大学大学院ホテル観光学科修了。大学卒業後は日本ケーブル浦安工場に出向し索道の安全輸送について学んだ後、大学院修了後に父の加森勝雄が第三セクター方式で設立した「登別温泉ケーブル」に就職。夏の濃霧の頃が事実上のオフシーズンになっていたさなか「のぼりべつクマ牧場」の運営にたずさわり、ヒグマを飼育し観光客を呼び込むとともにヒグマの人工飼育や計画出産への挑戦、博物館の建設、ヒグマに芸を覚えさせてのショーの開催といったヒグマに特化した積極策を取り、クマ牧場の収益を元手に札幌市の都心で中古ビルを買収し収益を強化した。
木村 輝美(きむら てるみ、男性、1943年(昭和18年) … 木村 輝美(きむら てるみ、男性、1943年(昭和18年) - )は、日本の実業家。ロジネットジャパン代表取締役社長。 北海道紋別郡遠軽町生まれ。1962年(昭和37年)札幌通運入社。1967年(昭和42年)北海学園大学経済学部2部卒業。1996年(平成7年)札幌通運取締役総務部長に就任。同社取締役自動車部長、同社取締役管理部長など経て、1999年(平成11年)同社常務取締役。2001年(平成13年)同社専務取締役。2003年(平成15年)同社代表取締役専務。2004年(平成16年)に同社代表取締役社長に就任。2005年(平成17年)にロジネットジャパンを設立し、同社代表取締役社長に就任。2013年(平成25年)札幌通運代表取締役社長を退任。
伊東 英幸(いとう ひでゆき、1943年(昭和18年))は、… 伊東 英幸(いとう ひでゆき、1943年(昭和18年))は、日本の実業家。ダスキン代表取締役会長。 北海道美唄市生まれ。北海道美唄東高等学校卒。1968年(昭和43年)ダスキン入社。長年、営業畑を歩み、経理部門や生産部門の業務に携わった。1998年同取締役。2001年(平成13年)同常務取締役。2002年(平成14年)ダスキン代表取締役社長に就任。2009年(平成21年)から現職。 『北海道人物・人材情報リスト2004 あ-お』(日外アソシエーツ編集・発行、2003年)
三井 辨雄(みつい わきお、1942年〈昭和17年〉11月2… 三井 辨雄(みつい わきお、1942年〈昭和17年〉11月24日 ‐ 2021年〈令和3年〉4月2日)は、日本の政治家、実業家、薬剤師。 衆議院議員(4期)、国土交通副大臣(菅直人第1次改造内閣・菅直人第2次改造内閣)、厚生労働大臣(第15代)などを歴任し、青山会(樽床伸二グループ)代表世話人を務めた。報道等では新字体で三井 弁雄(みつい わきお)の表記も用いられる。 北海道札幌市生まれ。札幌市立柏中学校、北海高等学校、昭和薬科大学薬学部卒業。薬剤師免許を取得し、1967年登録。1975年、三井薬品株式会社を設立し、同社代表取締役に就任。その後医療法人交雄会の理事長に就任し、北海道内に3病院・2介護福祉施設を開設。
鶴羽 樹(つるは たつる、1942年2月11日 - )は、日… 鶴羽 樹(つるは たつる、1942年2月11日 - )は、日本の実業家。ツルハ創業家3代目で、ツルハホールディングス代表取締役社長を経て、同社取締役会長。北海道旭川市出身。ツルハ代表取締役社長の鶴羽順は次男。 1960年大阪商業大学商経学部入学。1964年に卒業し、電子部品商社の大都商事(現・ダイトロン)入社。1976年クスリのツルハコントロールセンター(現・ツルハ)入社。1978年取締役に昇格。1994年専務取締役。1996年代表取締役専務。1997年から代表取締役社長を務め、2005年には持株会社として改組したツルハホールディングスの代表取締役社長に就任。積極的なM&Aを進め、売上高5000億円が軌道に乗った2014年に、ツルハホールディングス代表取締役会長及びツルハ代表取締役会長に退いた。
常本 秀幸(つねもと ひでゆき、1941年(昭和16年)11… 常本 秀幸(つねもと ひでゆき、1941年(昭和16年)11月18日 - )は、日本の工学者、元地方公務員・実業家。工学博士(北海道大学)。元北見工業大学学長。北見工業大学名誉教授・信州大学教授。専門は、機械工学。 北海道旭川市出身。1964年(昭和39年)北海道大学工学部を卒業し、いすゞ自動車に入社。1975年(昭和50年)いすゞ自動車退職。1974年(昭和49年)北見工業大学工学部助教授。1983年(昭和58年)北見工業大学工学部教授。同学生部長。同保健管理センター所長。同副学長を経て、2002年(平成14年)北見工業大学7代学長に就任。2008年(平成20年)北見工業大学退官。信州大学工学部教授。
鈴木 輝志(すずき てるし、1941年10月23日 - 20… 鈴木 輝志(すずき てるし、1941年10月23日 - 2020年)は、日本の経営者。札幌テレビ放送社長を務めた。 北海道出身。1960年に札幌北高等学校を卒業し、同年に札幌テレビ放送に入社。2002年に専務に就任し、2005年6月には社長に就任。2009年6月に会長に就任。
菅原 義正(すがわら よしまさ、1941年5月31日 - )… 菅原 義正(すがわら よしまさ、1941年5月31日 - )は、日本のレーシングドライバー、実業家。北海道小樽市出身。 日本レーシングマネージメント(JRM)株式会社取締役会長・チームスガワラ前代表。長男はヤマハ発動機のデザインに関わるGKダイナミックス株式会社代表取締役の菅原義治、次男はクロスカントリードライバーで現チームスガワラ代表の菅原照仁。 日本のレース文化草創期からプライベーターとして自動車レースで活躍し、1970年代にはいち早くラリーレイド(クロスカントリー)に挑戦するなど、日本のモータースポーツのパイオニアの一人である。サーキットでもオフロードでも、小排気量車で大排気量車を追い回すのを身上とした。
藤倉 肇(ふじくら はじめ、1941年〈昭和16年〉4月7日… 藤倉 肇(ふじくら はじめ、1941年〈昭和16年〉4月7日 - 2016年〈平成28年〉7月3日)は、日本の実業家、政治家。夕張市長(1期)、夕張市議会議員(1期)。北海道夕張市出身。 1941年に、夕張市高松二区で生まれる。夕張北高校卒業後、横浜ゴムで働きながら日本大学経済学部二部を卒業。その後、十勝ヨコハマタイヤ・北海道ヨコハマタイヤ販売の2社の社長を務める。特に北海道ヨコハマタイヤ販売社長在任時には、系列販売会社として全国最下位近くだった売上高を在任中にトップにまで引き上げた実績を持つ。前任市長の後藤健二とは高校の同級生である。 2007年4月22日実施の北海道夕張市市長選では、連合の支持を受け優勢が伝えられていたものの、羽柴秀吉に追い上げを許しており、危機感を抱いた陣営は、投票日の3日前に、表向きは自主投票であった公明党とその支持母体である創価学会に支援を要請。
嶋村 輝郎(しまむら てるお、1941年3月18日 - )は… 嶋村 輝郎(しまむら てるお、1941年3月18日 - )は、日本の実業家。ニコン代表取締役社長を務めた。全国発明表彰発明実施功績賞受賞。 北海道旭川市出身。1960年北海道旭川西高等学校卒業。1964年東北大学理学部物理学科卒業、日本光学工業(現ニコン)入社。1979年精機事業部精機営業部第二販売課長。1985年精機事業部精機営業部グループマネージャー。1995年取締役精機事業部長に昇格。1997年常務取締役精機事業本部長。1999年精機カンパニープレジデント。2001年から代表取締役社長兼COOを務め、収益性の確保にあたった。2002年度全国発明表彰発明実施功績賞受賞。
佐野 力(さの ちから、1941年2月15日 - )は、日本… 佐野 力(さの ちから、1941年2月15日 - )は、日本の実業家。日本オラクル設立者で、同社代表取締役会長兼最高経営責任者や、オラクル本社のシニア・バイス・プレジデントを務めた。 北海道夕張郡栗山町生まれ。実家は写真館。父は19歳で室蘭港を出てシンガポールでイギリス人から写真技術を学んだ人物で、その影響から海外で働きたいという気持ちが強まった。 1963年小樽商科大学商学部卒業。大学では応援団や柔道部に所属。学業では「社長と副社長では天と地の差がある」という伊藤森右衛門教授から大きな影響を受けたという。 大学卒業後日本IBM入社。中国事業開発部長、西部営業本部長を経て、1988年エス・アンド・アイ代表取締役社長。
梅原 一剛(うめはら いちごう、1940年12月13日 - … 梅原 一剛(うめはら いちごう、1940年12月13日 - )は、日本の実業家。東急ホテルズ代表取締役社長や、ザ・キャピトルホテル東急代表取締役社長、国際ホテル・レストラン協会(IHRA)副会長などを務めた。 北海道函館市出身。1965年横浜国立大学経済学部卒業、東京急行電鉄入社。アメリカ合衆国での開発にあたり、ワシントン大学研究員、ロンドン大学ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス研究員等を経て、1995年パン・パシフィック・ホテル・アンド・リゾーツプライベートリミテッド取締役社長に就任。1999年東京急行電鉄取締役調査役に昇格。2005年東急ホテルズ代表取締役社長。2008年東急ホテルズ取締役会長。
浜本 孝久(はまもと たかひさ、1940年12月5日- )は… 浜本 孝久(はまもと たかひさ、1940年12月5日- )は、日本の経営者。北海道テレビ放送社長、会長を務めた。北海道旭川市出身。 1964年に早稲田大学法学部を卒業し、同年に朝日広告通信社に入社した。1969年3月に北海道テレビ放送に転じ、1992年6月に取締役に就任し、1996年6月に常務を経て、1999年6月に社長に就任。2005年6月に会長に就任し、2006年6月に取締役相談役を経て、2007年6月には相談役に就任。 2012年11月に旭日小綬章を受章した。
大久保 尚武(おおくぼ なおたけ、1940年3月16日 - … 大久保 尚武(おおくぼ なおたけ、1940年3月16日 - )は、積水化学工業相談役・元社長・会長。北海道出身。 北海道札幌南高等学校10期生。東京大学法学部卒業後、1962年同社に入社。1989年取締役、1993年常務取締役、1997年専務取締役、1999年1月に副社長、同年6月から代表取締役社長。2009年より代表取締役会長を経て、2017年現在・現職。 1960年ローマ五輪ボート競技、舵手付きフォア(4+)に出場した経歴を持ち(敗者復活戦敗退)、現在、公益社団法人日本ローイング協会(旧名:日本ボート協会)の会長を務める。 2021年4月の春の叙勲で旭日重光章受章。
野又 肇(のまた はじめ、1940年(昭和15年) - )は… 野又 肇(のまた はじめ、1940年(昭和15年) - )は、日本の経済学者・学校経営者。 学校法人野又学園2代理事長・社会福祉法人貞信福祉会初代理事長。北海道函館市出身。父は函館大学創立者の野又貞夫。子に野又淳司。
川村 隆(かわむら たかし、1939年12月19日 - )は… 川村 隆(かわむら たかし、1939年12月19日 - )は、日本の実業家。元東京電力ホールディングス取締役会長。元みずほフィナンシャルグループ社外取締役。元日立製作所取締役・代表執行役会長兼執行役社長、同相談役。元日本経済団体連合会(経団連)副会長。 父親は英文学者で元北海道大学教授の川村米一 北海道札幌西高等学校を経て、1962年3月東京大学工学部電気工学科卒業。在学中は原子力発電の研究に従事した。1962年4月、日立製作所入社。 日立では電力設計部に所属。1972年に主任技師となり、関西電力姫路第二発電所の火力6号機(略称「姫6」)、中国電力島根原子力発電所1号機などの開発に従事。東京本社火力技術本部を経て、1991年に日立工場副工場長となり、翌年工場長に就任。
木村 勇市(きむら ゆういち、1939年 - )は、日本の実… 木村 勇市(きむら ゆういち、1939年 - )は、日本の実業家。元キムラ社長、元ジョイフルエーケー社長。北海道小樽市生まれ。 北海道札幌東高等学校卒業後、関西大学商学部卒業。大学卒業後、黒田商店に入った後の1963年、家業の木村金物店(現キムラ)に入社。1974年、父・正二を継ぎキムラ社長に就任。社長就任後、ホームセンター事業に進出し、2001年には、大手ホームセンターであるジョイフル本田やアークランドサカモトと共にジョイフルエーケーを立ち上げた。2002年、キムラ会長に就任。
蛇川 忠暉(じゃがわ ただあき、1938年6月29日 - )… 蛇川 忠暉(じゃがわ ただあき、1938年6月29日 - )は日本の技術者、実業家。トヨタ自動車取締役副社長を経て、トヨタ自動車が新たに子会社化した日野自動車で代表取締役社長や代表取締役会長として同社の再建にあたった。日本科学技術連盟理事長、型技術協会会長なども歴任。デミング賞本賞、大倉喜七郎賞受賞。 北海道小樽市生まれ。北海道札幌西高等学校を経て、1961年北海道大学工学部機械工学科卒業、トヨタ自動車工業(現トヨタ自動車)入社。1988年取締役に昇格。1994年常務。1996年専務。1999年取締役副社長。2001年相談役に退いた。 2001年からトヨタ自動車が子会社化した日野自動車の代表取締役社長を務め、経営危機にあった同社を、外部出身者として改革により再建を行って、赤字からの回復を達成。
松谷 克(まつや まさる、1938年4月26日 - 2024… 松谷 克(まつや まさる、1938年4月26日 - 2024年12月13日)は、日本の実業家。 日本紙パルプ商事代表取締役社長、同社代表取締役会長、日本洋紙代理店会連合会会長などを歴任した。旭日中綬章受章。 北海道出身。1957年北海道函館中部高等学校卒業。 1962年北海道大学経済学部卒業、日本紙パルプ商事入社。1993年に取締役札幌支店長に就任し、1999年には常務東京本店新聞用紙営業本部長兼印刷・情報用紙営業本部長、2001年には代表取締役専務名古屋支店長と要職を歴任。 2003年に代表取締役社長に就任し、7年務めて2010年に代表取締役会長に就任。同年旭日中綬章を受章し、2011年に帝国ホテルで叙勲御礼の会が行われた。
大 公一郎(だい こういちろう、1938年4月1日 - 20… 大 公一郎(だい こういちろう、1938年4月1日 - 2021年6月22日)は、日本の実業家。あらた代表取締役会長や、生活協同組合コープさっぽろ生協会会長、全国化粧品日用品卸連合会会長、札幌市社会福祉協議会会長などを歴任した。 北海道函館市生まれ。1957年北海道函館東高等学校卒業。1961年一橋大学商学部卒業、レナウン商事入社。1963年に父・總一郎が経営する生活雑貨・化粧品卸の大加十全堂入社。1967年大加十全堂取締役営業部長に昇格。1969年、道内の卸売他社と合併して発足したダイカの専務取締役。1979年ダイカの代表取締役社長に就任、物流強化により業容の拡大を進めた。 1980年北海道卸粧業連合会副理事長。
下妻 博(しもづま ひろし、1937年1月13日 - 201… 下妻 博(しもづま ひろし、1937年1月13日 - 2015年11月15日)は、日本の実業家。鹿島アントラーズ・エフ・シー取締役。元住友金属工業代表取締役社長。 北海道旭川市出身。1960年東京大学文学部社会学科を卒業し、同年、住友金属工業(現・日本製鉄)に入社。主に営業畑を歴任し、1989年に取締役経営企画部長就任。その後常務・専務・副社長を経て、2000年、社長に就任した。鉄鋼不況で株価が額面割れするなど住金の経営危機を乗り切るべく、2002年に新日本製鐵(新日鉄)、神戸製鋼所と三社間資本提携を締結。海外戦略では同年にイギリス・オランダ系の鉄鋼メーカー、コーラスと技術提携を結んだ。 住金の業績悪化の要因となっていた和歌山製鉄所は上工程部門を住金鋼鉄和歌山とし分社。
沢 邦彦(さわ くにひこ、1936年6月3日 - )は、日本… 沢 邦彦(さわ くにひこ、1936年6月3日 - )は、日本の実業家。富士電機ホールディングス代表取締役社長や、電気学会会長、富士通取締役、日本原子力発電取締役、月島機械取締役、パナソニック電工取締役などを歴任した。 1955年北海道室蘭清水丘高等学校卒業。1959年北海道大学工学部電気工学科卒業、富士電機製造入社。1987年富士電機取締役。1991年富士電機常務取締役。1994年富士電機専務取締役。1995年富士電機代表取締役副社長。1998年富士電機代表取締役社長、富士通取締役。2000年電気学会会長。2002年室蘭市ふるさと大使。2003年日本原子力発電取締役。2006年富士電機ホールディングス相談役、月島機械取締役。
今野 勉(こんの つとむ、1936年(昭和11年)4月2日 … 今野 勉(こんの つとむ、1936年(昭和11年)4月2日 - )は、日本の演出家、プロデューサー、脚本家、実業家。文化功労者。 株式会社東京放送での勤務を経て、株式会社テレビマンユニオン取締役、武蔵野美術大学造形学部教授などを歴任した。 秋田県河辺郡仁井田村(のちの秋田市)出身。4歳から高校卒業まで北海道夕張市で育つ。今野の小学生時代は終戦直後の混乱期で、教育も大きな変遷の時を迎えていた。特にレコードを使用した国語の授業や、誰かが読んだ詩を皆んなでリフレインしたりする全く新しい形式による教育を自著、今野勉のテレビズム宣言においてこう回想している。『ア、人生っていうのは、相当自由にやって許されるんだなっていうのが突然わかった。
松田 昌士(まつだ まさたけ、1936年1月9日 - 202… 松田 昌士(まつだ まさたけ、1936年1月9日 - 2020年5月19日)は日本の実業家、会社経営者。従三位。東日本旅客鉄道(JR東日本)社長、同社会長を歴任。北海道北見市出身。 井手正敬、葛西敬之と共に「国鉄改革3人組」と称され、日本国有鉄道(国鉄)の分割民営化に尽力した。北海道大学名誉博士。 「国鉄改革3人組」の筆頭として、国鉄分割民営化に尽力した。民営化後は、JR東日本の社長・会長として経営を掌握。 また、道路関係四公団民営化に委員として参画する等、当時の内閣総理大臣・小泉純一郎が主導した聖域なき構造改革路線において、民営化の代表的な成功例の立役者の一人とされた。 2008年、日本経済新聞『私の履歴書』に寄稿し、国鉄民営化の経緯を赤裸々に語っている。
大西 敬三(おおにし けいぞう、1935年10月1日 - 2… 大西 敬三(おおにし けいぞう、1935年10月1日 - 2018年2月3日)は、日本の経営者、工学博士。日本製鋼所社長を務めた。北海道札幌市出身。 1960年に北海道大学工学部冶金工学科を卒業し、同年に日本製鋼所に入社。1989年に取締役に就任し、1991年に常務、1993年に専務を経て、1994年に副社長に就任し、1995年に社長に昇格。2001年に相談役を経て、2009年に名誉顧問に就任。1975年から1977年までに室蘭工業大学で非常勤講師、1989年から1991年までに客員教授を務め、日本防衛装備工業会会長も務めた。 2005年に旭日中綬章を受章した。 2018年2月3日病気のために死去。