葛西 春香(かさい・はるか、2004年2月4日 - )は、日… 葛西 春香(かさい・はるか、2004年2月4日 - )は、日本のノルディック複合、スキージャンプ選手である。葛西優奈は双子の姉。吉泉賀子は叔母に当たるが、葛西紀明とは血縁関係はない。 北海道札幌市出身。小学校時代よりスキーを始め、札幌ジャンプ少年団に所属し、第96回全日本スキー選手権大会・女子ノルディック複合5km(2018年)で2位に入る。 札幌市立西野中学校在学時に、全日本スキー連盟が実施したノルディック複合女子強化のための第2回複合(女子)合宿に姉の優奈と共に強化選手候補として参加した。また2019年2月の「第56回全国中学校スキー大会」(新潟県・石打丸山ジャンプ競技場)では優勝した姉に次いで2位に入り、姉妹ワンツーフィニッシュを果たした。
葛西 優奈(かさい ゆうな、2004年2月4日 - )は、日… 葛西 優奈(かさい ゆうな、2004年2月4日 - )は、日本のノルディック複合、スキージャンプ選手である。東海大学付属札幌高等学校を経て早稲田大学所属。吉泉賀子は叔母(父の妹)、葛西春香は双子の妹。葛西紀明とは血縁関係はない。 2004年2月4日に北海道札幌市に生まれた。札幌ジャンプ少年団に所属した。 2018年3月末、14歳の時、名寄市で開催された第96回全日本スキー選手権大会に出場し、ノルディック複合5キロで4位となり、3位と約38秒差でメダルを逃した。翌2019年、長野県白馬村での全日本スキー選手権大会では2位となり国内初のメダル獲得を果たした。 札幌市立西野中学校を卒業後、東海大学付属札幌高等学校に所属する。
櫻井 梨子(さくらい りこ、2003年11月26日 - )は… 櫻井 梨子(さくらい りこ、2003年11月26日 - )は、北海道余市町出身のスキージャンプ選手。血液型はAB型。 余市紅志高校を経て2022年あいおいニッセイ同和損保入社。。父は、リレハンメル五輪代表の櫻井仁。2021年の第92回宮様スキー大会ノーマルヒルで高校生2年生ながら優勝。父の仁は1994年に宮様大会ラージとノーマルの2冠を果たしているので、親子2代で宮様大会を制したことになる。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:スポーツ/PJ:スポーツ人物伝)。
二階堂 蓮(にかいどう れん、2001年5月24日 - )は… 二階堂 蓮(にかいどう れん、2001年5月24日 - )は、北海道江別市出身のスキージャンプ選手である。父は元スキージャンプ選手の二階堂学。 ジュニア時代は同学年の竹花大松、小林龍尚らと競い合う。江別市立大麻東中学校2年時の2016年には雪印メグミルク杯ジュニア組を制する。 中学3年時の2016/17シーズンは9月のヒンターツァルテン大会よりFISカップに参戦し、2017年1月のオークレア大会でポイントを獲得。ジュニア世界選手権パークシティ大会に出場し、個人29位、団体4位のメンバーとなった。国内戦では宮様スキー大会ラージヒル少年組を制した。 2017年4月、下川商業高校へ入学。2017/18シーズンは7月のコンチネンタルカップクラニ大会から8戦に出場したがポイントは獲得できなかった。
岩佐 勇研(いわさ ゆうけん、1999年7月2日 - )は、… 岩佐 勇研(いわさ ゆうけん、1999年7月2日 - )は、北海道札幌市出身のスキージャンプ選手である。ノルディックスキージュニア世界選手権スキージャンプ団体銅メダリストである。姉は、同じくスキージャンプ選手の岩佐明香。 5歳で姉と一緒に競技を始めた。出身校は札幌市立藤野小学校、札幌市立藤野中学校、札幌日本大学高等学校。中学2、3年時に全国中学校スキー大会を連覇する。 2014年9月にルシュノヴで開かれたFISカップ(英語版)が初の海外遠征となり、2日間共に30位以内を獲得した。2015年は1月にコンチネンタルカップ札幌大会に初出場し、25位でポイントを獲得した。ノルディックスキージュニア世界選手権ルシュノヴ大会に出場し、スキージャンプ男子個人で18位、 団体で銅メダルを獲得した。
大井 栞(おおい しほり、 1999年6月29日 -)は、北… 大井 栞(おおい しほり、 1999年6月29日 -)は、北海道札幌市出身のスキージャンプ選手である。札幌日本大学高等学校卒業。 国際大会デビューは2014年夏のFISカップ(英語版)である。 初出場は7月12、13日に開催されたフィラッハ大会で、 9位を獲得。 ワールドカップ2014/15シーズン(英語版)の内、国内開催の札幌 、山形の大会に出場するも、一回目のみしか跳べず、ワールドカップデビュー戦の札幌では31位、 一週間後の山形では44位に終わり、ワールドカップでのポイント獲得はならなかった。次に出場したアルマトイで開催のノルディックスキージュニア世界選手権(ドイツ語版)では、個人ノーマルヒルで19位。
勢藤 優花(せとう ゆうか、1997年2月22日 - )は、… 勢藤 優花(せとう ゆうか、1997年2月22日 - )は、日本の女子スキージャンプ選手である。北海道上川郡上川町出身。 幼稚園から上川町立上川中学校までは高梨沙羅と同級生で幼馴染であった。旭川龍谷高等学校在学時中の2014年12月のリレハンメル大会でスキージャンプ・ワールドカップに初出場した(32位)。続く第2戦の札幌大会で22位に入り初ポイントを獲得した。2015年のノルディックスキージュニア世界選手権アルマトイ大会では、ワールドカップと日程が重なるため高梨が出場せず、勢藤が日本のエース格として出場し、個人7位、女子団体3位のメンバーとなった。しかし、同年のノルディック世界選手権では個人ノーマルヒルに出場し31位で2本目に進めなかった。
髙梨 沙羅(たかなし さら、1996年10月8日 - )は、… 髙梨 沙羅(たかなし さら、1996年10月8日 - )は、日本の女子スキージャンプ選手。北海道上川郡上川町出身。日本体育大学卒業。クラレ所属。 冬季オリンピック4大会(ソチ、平昌、北京、ミラノ・コルティナ)日本代表。2013年世界選手権混合団体金メダリスト、個人銀メダリスト。2018年平昌オリンピック銅メダリスト。スキージャンプ・ワールドカップで男女通じて歴代最多の63勝、男女通じて歴代最多の表彰台113回、女子歴代最多のシーズン個人総合優勝4回。2017年にはスキー界で最も権威ある賞の一つであるホルメンコーレン・メダルを受賞。 北海道上川郡上川町出身。実家はセブン-イレブン上川層雲峡店などを経営していた。
中村 直幹(なかむら なおき、1996年9月19日 - )は… 中村 直幹(なかむら なおき、1996年9月19日 - )は、北海道札幌市出身のスキージャンプ選手である。 中学、高校時代は1学年上の佐藤幸椰、同学年の小林陵侑、1学年下の伊藤将充らと競い合うが、少年組での優勝は東海大学付属第四高等学校3年時の札幌市長杯大倉山サマージャンプ大会に留まった。高校を卒業後、東海大学へ進学した。 2013年3月1日に札幌で開催されたFIS公認レースの第84回宮様スキー大会国際競技会で国際大会に初出場、36位、48位で終わる。次の大会出場の機会となった、2013年9月にルシュノヴ(英語版)でひらかれたFISカップに21位、11位と結果で応えた。 2014/15シーズンは、2015年1月16、17日の両日に札幌で開催されたコンチネンタルカップに出場し、1日目24位でポイントを獲得した。
岩佐 明香 (いわさ はるか、1996年4月12日 - )は… 岩佐 明香 (いわさ はるか、1996年4月12日 - )は、札幌市出身のスキージャンプ選手である。弟は岩佐勇研。札幌日本大学高等学校、日本大学 を経て、大林組スキー部に所属。 2011年3月9日の蔵王でコンチネンタルカップに初出場、29位に終わる。2013年9月28日から29日にルーマニアのルシュノフで開かれたFISカップ(英語版)では初日の3位から、翌日は優勝を決めた。 2014年1月のワールドカップジャンプ札幌大会では予選を通過できなかったが、翌週の蔵王でのワールドカップでは42位を記録した。ワールドカップの初ポイントは、2017年札幌大会1日目で獲得した。 ヴァル・ディ・フィエンメで開催されたジュニア世界選手権2014(ドイツ語版)では個人ノーマルヒルで4位獲得とともに、 山田優梨菜、伊藤有希、髙梨沙羅のチームで団体優勝をかざった。
渡部 陸太(わたなべ りくた、1995年7月9日 - )は、… 渡部 陸太(わたなべ りくた、1995年7月9日 - )は、北海道札幌市出身のスキージャンプ選手である。東京美装グループスキー部に所属する。 自宅がジャンプ台に近かったため、大倉山小学校よりスキージャンプを始める。 宮の森中学校より札幌日大高校に進学、高校3年時の2013/14シーズンからジュニア指定強化選手となる。この年のFISカップルシュノヴ大会に出場し、第1戦19位、第2戦5位でFISポイントを獲得、翌年1月のコンチネンタルカップ札幌大会に出場するが、ポイントを獲得できなかった。 2014年4月、日本大学に入学する。2014/15シーズンはコンチネンタルカップ札幌大会を含む4戦に出場するが、いずれもポイントを獲得できなかった。
佐藤 幸椰(さとう ゆきや、1995年6月19日 - )は、… 佐藤 幸椰(さとう ゆきや、1995年6月19日 - )は、北海道石狩市出身のスキージャンプ選手である。札幌日本大学高等学校を経て雪印メグミルクスキー部所属。 高校時代は全国高等学校スキー大会3連覇や、宮様スキー大会2年連続完全制覇など多くの記録を達成し、2014年4月に雪印メグミルクに入社した。 ワールドカップデビューは2015年1月23日の大倉山ジャンプ競技場で行われた札幌大会で、39位だった。翌日は43位だった。同年のジュニア世界選手権では個人戦4位、団体戦6位となった。 2015/16シーズンは、ニジニ・タギル大会で初めてワールドカップ遠征組に選ばれた。 2017/18シーズンは、ニジニ・タギル大会からワールドカップ遠征組入りし、2月のヴィリンゲン・ファイブ(ヴィリンゲンでの予選と本戦5回のジャンプの合計得点を競う大会)以降は遠征組に定着した。
渡部 弘晃(わたなべ ひろあき、1991年9月18日 - )… 渡部 弘晃(わたなべ ひろあき、1991年9月18日 - )は、北海道岩見沢市出身の元スキージャンプ選手である。東京美装グループスキー部に所属した。 幼馴染がジャンプをしていたのがきっかけで、岩見沢第一小学校より当時隣町であった栗沢町(現・岩見沢市)の美流渡ジャンプ少年団に所属しスキージャンプを始める。 岩見沢緑中学3年時の2006/07シーズンからジュニア指定強化選手となる。雪印杯ジュニア組および宮様スキー大会ラージヒル少年組を優勝する。FISカップを兼ねた山形市長杯に出場し、27位でFISポイントを獲得する。 2007年4月、札幌日大高校に入学する。2008/09シーズンはコンチネンタルカップを兼ねるHTBカップ国際スキージャンプ競技大会に出場し、19位でポイントを獲得。
平山 友梨香(ひらやま ゆりか、1990年11月16日 - … 平山 友梨香(ひらやま ゆりか、1990年11月16日 - )は、北海道枝幸郡枝幸町出身の女子スキージャンプ選手である。北海道尚志学園高等学校卒、北翔大学短期大学部卒。信託ホーム所属。 スキージャンプ・ワールドカップ この項目は、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル スポーツ/プロジェクト スポーツ人物伝)。
竹田 歩佳(たけだ あゆか、1990年1月23日 - )は、… 竹田 歩佳(たけだ あゆか、1990年1月23日 - )は、北海道出身の元女子スキージャンプ選手である。札幌日本大学高校卒業。デンソー北海道勤務。 2018年3月にジャンプスキー競技を引退。
伊藤 謙司郎(いとう けんしろう、1990年1月8日 - )… 伊藤 謙司郎(いとう けんしろう、1990年1月8日 - )は、北海道下川町出身の元スキージャンプ選手。 スキージャンプの指導に力を入れている下川町に生まれる。元ジャンパーの父である伊藤敏光に影響を受け、5歳からジャンプを始めた。下川町立下川小学校、同下川中学校、下川商業高校を経て、2008年4月土屋ホーム入社。業績悪化による支援の縮小のため、 木下監督、伊東大貴とともに10月限りで退社。12月いっぱいまで支援を受けた後、木下監督、伊東とともに2009年1月1日からはサッポロスキッド名義で活動した(大会に出場するための暫定的な措置で、山田いずみ、渡瀬あゆみもサッポロスキッドの名義を借りていたことがある)。
伊東 大貴(いとう だいき、1985年12月27日 - )は… 伊東 大貴(いとう だいき、1985年12月27日 - )は、日本の元スキージャンプ選手で、現在は指導者である。北海道下川町出身。オリンピック5大会(2006トリノ、2010バンクーバー、2014ソチ、2018平昌、2022年北京)日本代表。2014年ソチオリンピック団体銅メダリスト。2013年世界選手権混合団体金メダリスト。 元々はアルペンスキーをやっていたが、小学生の時にジャンプ競技に興味を持ち、親の目を盗んでジャンプを始める。 中学組で圧倒的な強さを見せていた2000年には1月10日のHBCカップジャンプ競技会で、歴代最年少の14歳と14日でラージヒルの公式試合に出場し25位となっている。
安川 友貴(やすかわ ゆうき、1984年3月28日 - )は… 安川 友貴(やすかわ ゆうき、1984年3月28日 - )は北海道出身のスキージャンプ選手及び指導者。身長178cm 体重63kg。 札幌市立琴似小学校-札幌市立琴似中学校-札幌日大高校-日本大学-新潟県立新井高等学校教諭、全日本スキー連盟スキージャンプナショナルジュニアチームコーチ 札幌日大高校時代に若手のホープとして全日本ジュニア代表入り。2001年12月から翌年1月にかけて海外遠征に参加してスキージャンプ・コンチネンタルカップに出場。12月21日のプレダッツォ(イタリア)ではスキージャンプ・ワールドカップに出場した(50位)。 2002年ノルディックスキージュニア世界選手権では20位。インターハイでは2年連続3位となった。
渡瀬 雄太(わたせ ゆうた、1982年8月8日 - )は、日… 渡瀬 雄太(わたせ ゆうた、1982年8月8日 - )は、日本、札幌市出身のスキージャンプ選手。身長178cm 体重63kg。2014年ソチオリンピック日本代表。 札幌日大高時代に若手のホープとして日本代表入り、日本のジャンプ界を代表する選手と期待された。雪印入部後は伸び悩んでいたが、2007年頃から復調を見せた。2016年3月に現役引退。 元日本代表で、女子全日本チーム監督の渡瀬弥太郎(元雪印乳業)は実父、女子日本代表の渡瀬あゆみ(サッポロスキッド)は実妹。
重松 健太郎(しげまつ けんたろう、1979年1月3日 - … 重松 健太郎(しげまつ けんたろう、1979年1月3日 - )は北海道出身の元スキージャンプ選手。吉岡和也や山田いずみと同学年。 札幌市立新陵中学校-札幌日大高校-日本大学-東京美装。2001年ユニバーシアード代表。2006/2007シーズン終了後現役引退。
金子 祐介(かねこ ゆうすけ、1976年4月18日 - )は… 金子 祐介(かねこ ゆうすけ、1976年4月18日 - )は、北海道札幌市出身の元スキージャンプ選手、指導者。2005年から2012年まで札幌大倉山ジャンプ競技場のバッケンレコード(145.0m)を保持していた。 札幌市立盤渓小学校、札幌市立宮の森中学校、札幌日大高、日本大学を経て現在東京美装興業所属。父親の金子茂も元ジャンパーである。 2005年3月25日に札幌大倉山で行われた伊藤杯シーズンファイナル大倉山ナイタージャンプ大会で2本目に145.0mという驚異的バッケンレコード(ジャンプ台記録)を記録、2002年に原田雅彦が記録したそれまでの記録141.0mを4m更新した。なお、本人曰く目が悪くて暗い着地斜面が見えず、気がついたら一番下の笹(=距離の目安を示すためにランディングバーンに笹を一列に挿して線を作っている)を越えて飛んでいたとのこと。
佐藤 昌幸(さとう まさゆき、1975年5月7日 - )は北… 佐藤 昌幸(さとう まさゆき、1975年5月7日 - )は北海道余市町出身の元スキージャンプ選手。 余市西中学校-余市高校-NTT東日本北海道 母方の伯父に笠谷昌生、笠谷幸生がいる。 船木和喜とは同学年で小学生のころからライバルであった。高校時代はインターハイ2連覇など船木よりも注目されていたが社会人では差をつけられた。
船木 和喜(ふなき かずよし、1975年4月27日 - )は… 船木 和喜(ふなき かずよし、1975年4月27日 - )は、F.I.T所属のスキージャンプ選手。北海道余市郡余市町生まれ。北照高等学校(小樽市)卒業。 日本代表として冬季オリンピック2大会(1998年長野、2002年ソルトレイクシティ)、世界選手権5大会に出場。長野オリンピックで団体ラージヒルおよび個人ラージヒルの2種目で金メダル、個人ノーマルヒルで銀メダルを獲得している。この他、世界選手権で金メダル1個、銀メダル3個を獲得、1997-98シーズンにスキージャンプ週間で日本人初の総合優勝、スキージャンプ・ワールドカップの総合成績で2位などの成績を残している。1999年にスキー界で権威のあるホルメンコーレン・メダルを受章。
笠間 法考(かさま のりたか、1974年3月21日 - )は… 笠間 法考(かさま のりたか、1974年3月21日 - )は、北海道上川町出身の元スキージャンプ選手。現在は上川町議会副議長。 上川ジャンプ少年団でジャンプを始め、上川町立上川中学校―札幌日大高校―日本大学―東京美装で競技を続ける。 2000年3月、26歳で引退。地元上川町で父の経営する建設会社に入社。その傍ら上川ジャンプ少年団のコーチとして勢藤優花を指導。 2008年4月、上川町議会議員選挙に無所属で立候補しトップ当選。同議会中最年少の議員である。 2006年3月4日、道路交通法違反(信号無視、酒気帯び運転)で現行犯逮捕された。
宮平 秀治(みやひら ひではる、1973年12月21日 - … 宮平 秀治(みやひら ひではる、1973年12月21日 - )は、日本、北海道小樽市出身の元スキージャンプ選手。小樽向陽中学校、北海道小樽工業高等学校を経てミズノで活躍した。ソルトレイクシティオリンピック日本代表。ノルディックスキー世界選手権銀メダリスト。
上杉 宏樹(うえすぎ ひろき、1972年9月17日 - )は… 上杉 宏樹(うえすぎ ひろき、1972年9月17日 - )は、北海道出身の元スキージャンプ選手。父は元ノルディック複合全日本チーム監督の上杉尹宏。 東海大四高卒業後北海道東海大学へ進学、雪印乳業へ就職。 同学年に葛西紀明や吹田幸隆がいる。
吹田 幸隆(ふきた ゆきたか、1972年8月28日 - )は… 吹田 幸隆(ふきた ゆきたか、1972年8月28日 - )は、北海道出身の元スキージャンプ選手。 札幌市宮の丘小学校―宮の丘中学校 - 札幌日大高 - 日本大学 - 北海道拓殖銀行 - 雪印乳業 10歳のときジャンプ競技を始める。同い年に葛西紀明がおり、影に隠れた形であったが着実に実力を蓄え、大学時代には全日本学生のタイトルやユニバーシアードで2大会連続の優勝を経験。1995年たくぎんに入社するが翌1996年同部の廃部に伴い雪印乳業に移籍。1998年の長野オリンピックにはテストジャンパーとして参加した。2000年3月9日の蔵王国際ジャンプNHK杯では当時のパッケンレコードを記録するなど長距離ジャンパーとして活躍。
葛西 紀明(かさい のりあき、1972年〈昭和47年〉6月6… 葛西 紀明(かさい のりあき、1972年〈昭和47年〉6月6日 - )は、北海道上川郡下川町出身のスキージャンプ選手。東海大学付属第四高等学校(現:東海大学付属札幌高等学校)から地崎工業(現:岩田地崎建設)、マイカル(現:イオンリテール)を経て、2018年2月現在は土屋ホームに選手兼任監督として所属。血液型はAB型。 16歳時の1988年より日本代表として国際大会に出場し、1992年アルベールビルオリンピックに19歳で初出場。以来、リレハンメル、長野、ソルトレイクシティ、トリノ、バンクーバー、ソチ、平昌と史上最多計8回の冬季オリンピックに出場。2001年下川町町民栄誉賞受賞。2016年ホルメンコーレン・メダル受賞。
野呂田 義一(のろた よしかず、1972年3月9日 - )は… 野呂田 義一(のろた よしかず、1972年3月9日 - )は、北海道小樽市出身の元スキージャンプ選手。 小樽ジャンプ少年団から小樽桜陽高校を経て1990年デサント入社。 1994年から登録名を野呂田 喜克援としていた。 1998年1月11日のワールドカップラムソー大会で日の丸飛行隊が上位6人中5人を占めたときに5位タイとなった。(ワールドカップでの自己最高位) 2003年3月現役を引退し八木弘和が設立したクラブチームWSCシュピッツのコーチに就任。 2015年に株式会社ecoaハウス(通称:神出設計エコアハウス)入社。戸建て住宅の営業マンとして勤務している。
岡部 孝信(おかべ たかのぶ、1970年10月26日 - )… 岡部 孝信(おかべ たかのぶ、1970年10月26日 - )は、日本の元スキージャンプ選手で、現在は指導者である。駒大岩見沢高校から北海道拓殖銀行を経て、雪印メグミルクスキー部に所属する。 北海道上川郡下川町出身、下川町町民栄誉賞受賞者。 1995年サンダーベイ世界選手権個人ノーマルヒル、1998年長野オリンピック団体の両金メダリスト。 高校時代は後輩の東輝や葛西紀明の陰に隠れる存在で、北海道拓殖銀行入社後の1993年に日本代表入り。 翌年のリレハンメルオリンピックではラージヒル団体で銀メダルを獲得。団体ではドイツのイェンス・バイスフロクに次いで全選手で二番目の合計得点を記録した。 翌1995年には世界選手権サンダーベイ大会でノーマルヒルチャンピオンとなる。
斉藤 浩哉(さいとう ひろや、1970年9月1日 - )は、… 斉藤 浩哉(さいとう ひろや、1970年9月1日 - )は、雪印乳業所属のスキージャンプ選手で、2003年に引退し現在は指導者。北海道余市郡余市町の出身。同学年に岡部孝信がいる。 スキージャンプの盛んな余市町にあって10歳のときにジャンプを始めた。余市町立沢町小学校、余市町立西中学校、余市高校を経て1989年4月に雪印乳業に入社。 現役時代は「教科書」とも評された基本に忠実な、安定したジャンプスタイルで、1997年-1998年シーズンには3度あった日本のW杯表彰台独占において唯一3度全てで表彰台に上がり(1月1日・ガルミッシュ=パルテンキルヒェン:1位船木、2位原田、3位斉藤。1月11日・ラムソー:1位原田、2位船木、3位斉藤。
東 昭広(ひがし あきひろ、1968年7月2日 - )は、日… 東 昭広(ひがし あきひろ、1968年7月2日 - )は、日本のスキージャンプ選手。 双子の兄東和広、弟の東輝とともに「東三兄弟」と呼ばれた。小柄ながら豪快なジャンパーとして活躍し、選手生命は長かった。北海道余市郡仁木町出身。北海道余市高等学校卒業。日本空調サービスで監督として後進を指導し、名伯楽として活躍するが2003年監督を辞任した。 双子の兄和広、弟輝は小学生の頃から全日本クラスの大会で優勝し活躍していたが、昭広は目立った実績を挙げていない。しかし、社会人になってからは著しい進歩を遂げ、一発屋として活躍し、飛距離は抜群であった。素質的には優れたものがあり、期待されていたが怪我が多いため外国では目立った戦績は残していない。
原田 雅彦(はらだ まさひこ、1968年5月9日 - )は、… 原田 雅彦(はらだ まさひこ、1968年5月9日 - )は、北海道上川郡上川町出身の雪印乳業所属の元スキージャンプ選手、指導者、解説者。血液型A型。1998年長野オリンピックスキージャンプ団体金メダリスト。1993年及び1997年ノルディックスキー世界選手権スキージャンプ個人金メダリスト。 小学校3年生時からスキージャンプを始め、上川中学校時代に全国中学選手権で2度優勝。東海大学付属第四高等学校(現東海大学付属札幌高等学校)でインターハイ優勝。卒業後、1987年に雪印乳業入社。 日本代表入りし、1990年代以降、日本を代表するスキージャンプ選手となる。1991年に世界選手権に初出場。日本人の中でも早くからV字ジャンプに取り組み、そこから頭角を現した。
桜井 仁(さくらい ひとし、1967年〈昭和42年〉11月1… 桜井 仁(さくらい ひとし、1967年〈昭和42年〉11月17日 - )は、北海道余市町出身の元スキージャンプ選手。 余市町立余市西中学校→北海道余市高等学校→北海道拓殖銀行(1986年入部)→東洋実業グループ 1994年リレハンメルオリンピックスキージャンプ日本代表(出場は無し)。1999年に現役引退した。 北海道拓殖銀行スキー部廃部後は全日本のコーチも務め、その後余市町教育委員会の職員となり、余市ジャンプ少年団のコーチも務める。 スキージャンプ・ワールドカップ1992年12月20日札幌・大倉山での15位が最高位である。 この項目は、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル スポーツ/プロジェクト スポーツ人物伝)。
川崎清司(かわさき せいじ、1966年4月23日 - )は、… 川崎清司(かわさき せいじ、1966年4月23日 - )は、北海道小樽市出身の元スキージャンプ選手。身長 180cmと、日本人としては大柄なジャンパーだった。 小樽市立住吉中学校、小樽北照高等学校から近畿大学を経て1989年東洋実業グループ入社した。同期で入社したジャンプ選手に竹内卓哉、二階堂学がいる。社会人になってから成績が振るわなかった為、1990年から当時注目され始めたV字スタイルに転向、日本人初のV字ジャンパーとなった。1994年に現役引退した。
上原子 次郎(かみはらこ じろう、1966年3月19日 - … 上原子 次郎(かみはらこ じろう、1966年3月19日 - )は、北海道出身の元スキージャンプ選手。 札幌第一高等学校-専修大学-国土計画 スキージャンプ・ワールドカップでの自己最高位は1991年札幌大会での16位。 1992年のアルベールビルオリンピックでノーマルヒル28位、ラージヒル25位、団体4位の成績を残した。 大学1年生で全日本学生選手権(インカレ)を制したが、その後はあまり成績を残せなかった。 クラシカル時代、スキーを平行に揃えることが出来ず、両足を開いてかつ段違いにしていた空中フォームが特徴だった。V字スタイルへの転向にいち早く成功したことによりオリンピック代表に選ばれた。 1994年3月現役引退後はリゾート事業を手掛ける国土計画の社業に専念。
須田 健仁(すだ けんじ、1966年2月26日 - )は、北… 須田 健仁(すだ けんじ、1966年2月26日 - )は、北海道小樽市出身の日本の元スキージャンプ選手。 小樽市立松ヶ枝中学校、北海道余市高等学校卒業。1984年東京美装興業入社。中学、高校時代は目立った実績は無かったが、社会人になって頭角を現す。1984年-1985年シーズンは誕生日の関係で各大会少年組にエントリーしたが、ここで優勝を重ねた。 ワールドカップに1990年から1998年まで参戦、通算12回ベスト10に入った。最高位は1994年3月のスウェーデンのエルンシェルツビクで行われた大会のノーマルヒル2位。 1992年のアルベールビルオリンピックに出場し、上原子次郎、原田雅彦、葛西紀明と共に団体4位になった。
坂口 昇平(さかぐち しょうへい、1964年10月20日 -… 坂口 昇平(さかぐち しょうへい、1964年10月20日 - )は北海道出身の元スキージャンプ選手。 札幌陵北中学校→北海高等学校→雪印乳業。1994年現役引退。
佐藤 晃(さとう あきら、1964年7月19日 - )は、北… 佐藤 晃(さとう あきら、1964年7月19日 - )は、北海道京極町出身の元スキージャンプ選手。 駒澤大学附属岩見沢高等学校卒業後、東京美装興業に所属した。 1988年のカルガリーオリンピックの日本代表に選ばれて田尾克史、田中信一、長岡勝と共に団体出場したが11ヶ国中11位に終わった。個人では70m級で11位、90m級では38位となり日本勢4人の中で最も上位だった。また、1985年ノルディックスキー世界選手権の団体では渡瀬弥太郎, 西方千春, 秋元正博と共に6位となった。スキージャンプ・ワールドカップで10位以内に入ったことはわずか1回であるがその1回は1987年1月24日札幌大会での優勝である。
田尾 克史(たお かつし、1963年5月1日 - )は、北海… 田尾 克史(たお かつし、1963年5月1日 - )は、北海道出身の元スキージャンプ選手、指導者。血液型はB型。愛称は「じぃじ」 札幌市立山の手小学校3年生の時にジャンプを始め、札幌琴似中学校-北海高校を経て1982年雪印乳業に入社。 1988年のカルガリーオリンピック日本代表。 1990年3月現役引退し一時期社業に専念していたが1992年からコーチに復帰、1998年には同チーム監督に就任。 一方で全日本ジャンプチームのコーチも務め、2003年9月にはチーフコーチに就任。2004年-2005年はヘッドコーチを務める。 これに関連して2004年から雪印チーム監督を富井啓介に交代、自らはアドバイザーに就任。
川端 隆普美(かわばた たかふみ、1954年6月26日 - … 川端 隆普美(かわばた たかふみ、1954年6月26日 - )は日本の元スキージャンプ選手。名前は隆普実という表記も見られる。北海道出身。 北照高等学校→明治大学→北海道拓殖銀行 北照高校在学時、1972年札幌オリンピックにテストジャンパーとして参加した。 高校時代から多くのタイトルを獲得、明治大に進学して全日本学生スキー選手権で3年連続優勝を記録した。これは菊地定夫に次いで2人目の記録である。 1978年のノルディックスキー世界選手権(フィンランド・ラハティ)では70m級40位、90m級41位であった。また、1980年のレークプラシッドオリンピックで70m級29位、90m級32位の成績を残した。
伊藤 高男(いとう たかお、1952年11月5日 - 202… 伊藤 高男(いとう たかお、1952年11月5日 - 2021年7月29日)は、日本の元スキージャンプ選手。 北海高校-専修大学-国土計画-水戸スキークラブ 1976年のインスブルックオリンピックに出場し70m級24位、90m級22位の成績を残した。 ノルディックスキー世界選手権には2回出場。1974年のファルン大会では90m級で51位に終わる。1978年のラハティ大会では70m級37位、90m級42位だった。 1973年のスキーフライング世界選手権では転倒して非公認ながら当時の世界記録に相当する176mを飛んだ経験もある。同大会で転倒し、鎖骨を骨折した。 1978年には大倉山で4連勝(ただし間に70m級の試合を挟んでいる)を記録した。
角田 幸司(かくた こうじ、1951年10月11日 - )は… 角田 幸司(かくた こうじ、1951年10月11日 - )は、日本の元スキージャンプ選手。 札幌商業高校(現在の北海学園札幌高等学校)→1970年雪印乳業入社 1976年インスブルックオリンピックに出場し70m級24位の成績を残した。1981年に現役引退した後はコーチとして後進を指導した。
沢田 久喜(さわだ ひさよし、1947年12月2日 - )は… 沢田 久喜(さわだ ひさよし、1947年12月2日 - )は北海道羽幌町出身の日本の元スキージャンプ選手。 北海道羽幌高等学校→明治大学→雪印乳業 羽幌高校時代、羽幌炭鉱の笠谷昌生に指導を受けて才能が開花、笠谷幸生らの次代を担う人材として期待された。現役当時、高校、大学時代は国内では無敵で、史上最強とも言われ、オリンピックの日本人初優勝も期待されたが、大学4年から不振に陥り、オリンピック出場を逃した。 1977年現役引退し雪印乳業コーチに就任、1980年4月から1984年3月まで同監督を務めた。また、1985年からは全日本のコーチを務めた。
杉本 政徳(すぎもと まさのり、1946年2月6日 - )は… 杉本 政徳(すぎもと まさのり、1946年2月6日 - )は、北海道小樽市出身の元スキージャンプ選手。 北海道小樽潮陵高等学校→早稲田大学→国鉄北海道 1968年グルノーブルオリンピックの代表に選ばれたものの、競技では補欠に回り出場しなかった。
板垣 宏志(いたがき ひろし、1945年4月27日 - )は… 板垣 宏志(いたがき ひろし、1945年4月27日 - )は、北海道出身の元ノルディック複合・スキージャンプ選手。北海道小樽潮陵高等学校、明治大学商学部卒業後、国土計画入社。 1968年グルノーブルオリンピックから3大会連続出場。グルノーブルオリンピックは複合で出場し、得意のジャンプで2位につけたがクロスカントリーでは30位のタイムでトータル10位。 1972年札幌オリンピックでは笠谷幸生、金野昭次、青地清二、藤沢隆らと共に“7人の侍”と呼ばれたジャンプメンバーの1人で、70m級ジャンプは前日にメンバーが7人から4人に絞られ出場できなかったが、90m級ジャンプでは70m級銅メダルの青地に代わって出場。
金野 昭次(こんの あきつぐ、1944年9月1日 - 201… 金野 昭次(こんの あきつぐ、1944年9月1日 - 2019年9月5日)は、北海道札幌市西区出身の元スキージャンプ選手。母方の血縁に大倉山ジャンプ競技場初代バッケンレコード保持者の浜謙二がいる。 小学3年生の時にスキージャンプを始める。北海高校から日本大学に進学し、同大スキー部監督の八木祐四郎の指導を受ける。卒業後は北海道拓殖銀行に入行。 1968年グルノーブルオリンピックで五輪初出場。しかし、70m級で24位、90m級で20位に終わる(4年後に札幌オリンピックの開催が決まっていた日本は、この大会に過去最高の62選手を送り込んだが、メダルはおろか6位入賞すら果たせなかった)。 1972年の札幌オリンピックで2度目の五輪出場を果たし、70m級で銀メダルを獲得。
笠谷 幸生(かさや ゆきお、1943年8月17日 - 202… 笠谷 幸生(かさや ゆきお、1943年8月17日 - 2024年4月23日)は、日本のスキージャンプ選手。 北海道後志支庁余市郡大江村(現・仁木町)出身。余市高校、明治大学を卒業。ニッカウヰスキーに所属していた。2003年紫綬褒章。2018年文化功労者。兄は同じくスキージャンプ選手の笠谷昌生。 4歳の頃から遊びとしてジャンプを始める。仁木中学校3年生の頃には兄に連れられて羽幌炭鉱、明治大学合同の合宿に参加、ここで大人顔負けのジャンプを見せ、「仁木から(兄に続いて)再び神童が現れた」と言われた。 1959年に北海道余市高等学校に入学するがスキー部の方針で高校選手権に出場できず、その怒りを闘争心に変えてこのシーズンのあらゆる大会の少年組を勝ち続けて翌1960年の新潟県高田市(現・上越市)での全日本選手権に出場、この大会で3位に入ったほかこの年から海外遠征をこなすようになり、1963年2月22日の第2回STV杯ジャンプ大会では日本人2人目の100mジャンパーとなる(同大会で直前に菊地定夫が初の100mジャンパーとなっている)など一気に日本を代表するジャンパーへと成長を遂げた。
藤沢 隆(ふじさわ たかし、1943年2月7日 - )は、1… 藤沢 隆(ふじさわ たかし、1943年2月7日 - )は、1960年代に活躍した北海道余市郡余市町出身の元ノルディック複合及びスキージャンプ選手。余市高校、早稲田大学を経て国土計画に所属。 1964年のインスブルックオリンピックにノルディック複合の選手として出場し、個人20位の成績を残した。 1966年にノルウェーのオスロで行われたノルディックスキー世界選手権個人90m級(現在のラージヒル)でビョルン・ヴィルコラに次ぐ銀メダルを獲得、世界選手権で日本人初のメダリストとなった。同選手権の70m級(現在のノーマルヒル)では16位。 1968年のグルノーブルオリンピックにスキージャンプの選手として出場。
益子 峰行(ましこ みねゆき、1942年8月6日 - )は、… 益子 峰行(ましこ みねゆき、1942年8月6日 - )は、北海道出身の元スキージャンプ選手。 札幌商業高等学校-駒澤大学-北海道拓殖銀行 札幌オリンピックでは代表に選ばれ、開会式で旗手を務めたものの競技では出番はなく、チームマネージャー的な役割を果たした。1974年ノルディックスキー世界選手権代表となり70m級31位だった。 札幌オリンピックで補欠に決まった後、笠谷幸生のサポートに徹して、殺到するカメラマンとの距離を作り金メダルの陰の立役者となった。笠谷とは青森での大会で日本酒とメザシを肴に打ち解け、以来「あの笠谷さんが唯一いうことを聞いた人」と呼ばれた。