大畑 空宇(おおはた くう、1996年10月24日 - )は… 大畑 空宇(おおはた くう、1996年10月24日 - )は、宮城県栗原市出身で、時津風部屋所属の現役大相撲力士。本名同じ。身長186.5cm、体重160.1kg、血液型はO型。最高位は西幕下31枚目(2019年3月場所・2022年1月場所)。 初めて廻しを締めたのは小学校3年生の時だが、地元の瀬峰ちびっこ相撲クラブに入って相撲を始めたのは小学校6年生の時である。中学校は相撲部のある栗原市立栗駒中学校に通った。小牛田農林高校では1年次から高校総体などの団体戦に出場し、3年次には金沢大会で個人戦ベスト32などの成績を残している。高校在学中に、相撲部の監督の大学時代の先輩が16代時津風(元幕内・時津海)という縁で時津風部屋に入門し、2014年11月場所で初土俵を踏んだ。
朝天舞 晴多(あさてんまい せいた、1981年5月23日 -… 朝天舞 晴多(あさてんまい せいた、1981年5月23日 - )は、宮城県石巻市出身で高砂部屋(入門時は若松部屋)所属の現役大相撲力士。身長170.9cm、体重116.0kg。本名は花田 晴多(はなだ せいた)。最高位は西幕下8枚目(2013年9月場所)。石巻西高出身。 高校を卒業して当時の若松部屋に入門し、2000年3月場所に初土俵を迎える。部屋の公式ホームページによると、宮城県石巻市ではただ一人の出身力士。 朝青龍の「朝」と貴乃花の本名「花田」が入っていることから、四股名はすでに横綱級と言われた。入門3年目から約9年間、元横綱・朝青龍の付け人を務めた分自分の稽古時間が減った影響で幕下昇進に7年を所要するなど出世は遅い方であった。
富士夫(ふじお、1978年(昭和53年)5月16日 - )は… 富士夫(ふじお、1978年(昭和53年)5月16日 - )は、大相撲の十両呼出である。本名は小野寺 真将(おのでら しんすけ)。宮城県気仙沼市出身。安治川部屋→伊勢ヶ濱部屋所属。血液型はO型。
五城楼 勝洋(ごじょうろう かつひろ、1973年〈昭和48年… 五城楼 勝洋(ごじょうろう かつひろ、1973年〈昭和48年〉8月18日 - )は、宮城県仙台市青葉区出身で間垣部屋に所属した元大相撲力士。1989年に初土俵を踏み、1998年7月場所では最高位となる東前頭3枚目に昇進。2005年11月場所を最後に引退し、準年寄として間垣部屋の部屋付き親方となる。2006年11月には年寄『浜風』を襲名。2007年11月に間垣部屋から佐渡ヶ嶽部屋に移籍した。 現役時代の得意手は左四つ、寄り、突き、押し。本名は小島 章朋(こじま あきとも)。 東北高等学校時代は剣道と柔道をしており共に有段の腕前だったが、間垣親方(元横綱若乃花)からの誘いを受け高校を中退して角界入りし、1989年11月場所で初土俵を踏んだ。
春日富士 晃大(かすがふじ あきひろ、1966年2月20日 … 春日富士 晃大(かすがふじ あきひろ、1966年2月20日 - 2017年3月9日)は、宮城県牡鹿郡牡鹿町(現在の石巻市)出身(以前は神奈川県川崎市川崎区)で春日山部屋(後に安治川部屋)に所属した元大相撲力士。本名は岩永 祥紀(いわなが しょうき)。現役時代の体格は177cm、144kg。最高位は東前頭筆頭(1990年1月場所)。得意手は突き、押し。血液型はO型。 引退直後は年寄・春日山 として春日山部屋の師匠だったが、2012年2月29日付けで「雷」に名跡変更し、春日山部屋付き親方として後進を指導していた。同年9月20日付けで日本相撲協会を退職。理由は、「一身上の都合」としている。 宮城県牡鹿町の生まれであるが、5歳の時に神奈川県川崎市に引っ越す。
髙望山 大造(こうぼうやま だいぞう、1957年8月15日 … 髙望山 大造(こうぼうやま だいぞう、1957年8月15日 - )は、宮城県栗原郡築館町(現在の栗原市)出身で高嶋部屋と熊ヶ谷部屋に所属した元大相撲力士。本名は蓬田 光吉(よもぎだ こうきち)。最高位は西関脇(1984年1月場所)。現役時代の体格は179cm、145kg。得意手は突き、押し、もろ差し、寄り。 現在は、年寄・高島(高嶋)である。 肉牛を飼育する農家の三男として生まれた。蓬田兄弟は全員運動神経に長けていて、長兄と弟は相撲が、次兄はバレーボールが得意であった。築館中学校に入学してから本格的に相撲を始め、中学時代は2年連続して全国中学相撲選手権大会の宮城県予選の個人戦で優勝という実績を残した。
青葉城 幸雄(あおばじょう ゆきお、1948年11月14日 … 青葉城 幸雄(あおばじょう ゆきお、1948年11月14日 - )は、宮城県仙台市太白区出身で押尾川部屋(入門時は二所ノ関部屋)に所属した元大相撲力士。本名は庄司 幸雄(しょうじ ゆきお)。現役時代の体格は181cm、152kg。得意手は左四つ、寄り、吊り。最高位は西関脇(1983年7月場所)。愛称は「土俵の鉄人」。初土俵(序ノ口)以来1630回の連続出場記録保持者であった。 中学時代はサッカー部に所属していた一方で、小学5年生の頃から自転車やサッカースパイクを買うために新聞配達を行っていた。この新聞配達を冬の雪の中でもひたすら行ったことが、健康面や精神面の修養に効果をもたらした。相撲経験は皆無であったが、横綱・大鵬のような力士になりたいと卒業直前に力士を志し、アルバイトで貯めた金で上京して大鵬が所属する二所ノ関部屋に出向き入門を許可された。
扇山 民雄(おうぎやま たみお、1938年3月27日 - )… 扇山 民雄(おうぎやま たみお、1938年3月27日 - )は、宮城県栗原郡金成町(現役当時、現・同県栗原市)出身で時津風部屋に所属した元大相撲力士。本名は高橋 民雄(たかはし たみお)。 プロレスラーとして国際プロレスに籍を置いていた時期もあり、レスラー時代のリングネームは扇山 大五郎(おうぎやま だいごろう)であった。 大相撲時代の体格は177cm、103kg。プロレスラー時代の体格は178cm、105kg。力士としての自己最高位は、東前頭5枚目(1963年1月場所・1967年1月場所)。 中学校卒業後はパン屋で働いていたが、錣山親方(元関脇・若葉山鐘)にスカウトされた事がきっかけで時津風部屋へ入門し、1955年1月場所にて16歳で初土俵を踏んだ。
伊達錦 一成(だてにしき かずなり、1937年11月12日 … 伊達錦 一成(だてにしき かずなり、1937年11月12日 - 没年不明 )は、宮城県遠田郡涌谷町出身(生まれは東京府)で出羽海部屋に所属した元大相撲力士。本名は廣瀬 一成(ひろせ かずなり)。173cm、102kg。最高位は東十両16枚目。得意技は左四つ、寄り。 入門する前は農業を営んでいた。1954年5月場所に初土俵。1963年7月場所に十両昇進。新十両の場所は8勝7敗と勝ち越すが、翌9月場所は5勝10敗と負け越し、2場所で幕下に陥落。1964年5月場所に再度十両に昇進するも、十両下位に甘んじて再び2場所で幕下に陥落。1965年5月場所限りで27歳で廃業した。
速浪 武夫(はやなみ たけお、1928年10月9日 -没年不… 速浪 武夫(はやなみ たけお、1928年10月9日 -没年不明 )は、宮城県本吉郡(現:気仙沼市)出身で伊勢ヶ濱部屋所属の元大相撲力士、国際プロレス団、アジアプロレス所属の元プロレスラー。本名は佐山 武雄(さやま たけお)。大相撲時代の四股名は速浪 武夫(はやなみ たけお)。最高位は西十両14枚目。身長175cm、体重82kg。プロレスラー時代は身長177cm、体重93kg。得意技は右四つ、下手投げ。 勤労奉仕先の工場で横綱・照國に素質を見出されて伊勢ヶ濱部屋に入門し、1944年11月場所に本名の速浪の四股名で初土俵を踏んだ。終戦直後に一旦は廃業して連合軍の関連業務に就いたが、十分に飯が食えない状況になったので、詫びを入れて復帰した。
宮城海 清人(みやぎうみ きよと、1922年10月17日 -… 宮城海 清人(みやぎうみ きよと、1922年10月17日 - 没年不明 )は、宮城県本吉郡津谷町(現役当時、現・同県気仙沼市)出身で出羽海部屋に所属した元大相撲力士。本名は高橋 清人(たかはし きよと)。最高位は西前頭15枚目(1949年10月場所)。現役時代の体格は171cm、94kg。得意手は左四つ、寄り、下手投げなど。 18歳の時に上京し、出羽海部屋へ入門。1941年1月場所で初土俵を踏んだ。同期の初土俵組には、後の横綱・鏡里や大関・松登らがいる。 因みに、当初の四股名は、出身地の宮城県本吉郡に由来する「本吉」であった。 体格にはあまり恵まれていなかったものの順調に出世し、序ノ口に付いてから約4年後の1945年6月場所で新十両に昇進。
広瀬川 惣吉(ひろせがわ そうきち、1919年2月18日 -… 広瀬川 惣吉(ひろせがわ そうきち、1919年2月18日 - 1979年8月6日)は、宮城県柴田郡柴田町出身で伊勢ヶ濱部屋に所属した元大相撲力士。本名は及川 惣吉(おいかわ そうきち)→片岡 惣吉(かたおか -)。身長180cm、体重105kg。最高位は東前頭3枚目(1952年1月場所・1953年3月場所)。 なお、四股名の表記については、「広」の字が旧字体の「廣」となっている文献も見受けられる。 17歳の時上京して角界入りし、1937年1月、元関脇・清瀬川率いる伊勢ヶ濱部屋より初土俵を踏んだ。 序二段に付いてから負け越しなしで1941年1月場所で新十両昇進、そして、1943年1月場所で入幕を果たした。
富ノ山 等(とみのやま ひとし、1914年2月10日 - 1… 富ノ山 等(とみのやま ひとし、1914年2月10日 - 1945年10月30日)は、宮城県栗原郡築館町(現栗原市)出身で花籠部屋に所属した力士。本名は佐藤 等。最高位は西前頭4枚目。身長185cm、体重116kg。 1930年、花籠部屋から初土俵を踏む。序ノ口、三段目、幕下で優勝を経験し、3年で十両に昇進した。そのあと少し出世はゆっくりとなったが、1935年1月、20歳で新入幕を果たした。「富野山」に改名した1936年5月場所自己最高位となる西前頭4枚目まで上がるが、11戦全敗で終わった。「冨ノ山」に再改名した1937年5月場所十両に落ち、一時期素行不良で破門され、幕下付出で再出発したこともあった。
青葉山 徳雄(あおばやま のりお、1913年2月4日 - 1… 青葉山 徳雄(あおばやま のりお、1913年2月4日 - 1972年3月1日)は、宮城県仙台市青葉区出身で陣幕部屋に所属した大相撲力士。本名は阿部 徳雄(あべ のりお)。最高位は西前頭4枚目。得意手は右四つ、寄り。現役時代の体格は173cm、112kg。 大坂相撲で大関だった12代陣幕に弟子入りし、1929年1月場所に初土俵を踏んだ。がっぷり四つに組まないと力が出ないタイプで、勝ち身も遅く、じっくりした相撲ぶりだったという。そのため水入りも多く、「バケツ」とあだ名された。それでも1934年5月場所に幕下で11戦全勝優勝を遂げて、翌1935年1月場所に十両昇進してからは注目も浴び、1937年5月場所に新入幕を果たした。
磐城 徳枩(ばんじょう とくまつ、1912年3月25日 - … 磐城 徳枩(ばんじょう とくまつ、1912年3月25日 - 1942年6月2日)は、昭和時代の大相撲力士。二十山部屋所属。本名は小野 徳松。197cm、113kg。最高位は十両2枚目。 宮城県亘理郡亘理町出身。二十山部屋に入門し、1929年1月、「小ノヶ嶽」(後、小野ヶ嶽)の四股名で初土俵を踏む。2m近い体格で早くから有望視された。1932年5月十両昇進。6場所連続十両の地位にあったが、1935年1月幕下に落ちた。翌5月に十両に復帰、四股名も「磐城」に改めた。十両は4場所いたが、1938年1月再び幕下に落ち、「春風」と改名。その後は幕下の地位にあった。1942年1月に廃業し、同年6月に満30歳で死去した。
綾曻 竹藏(あやのぼり たけぞう、1908年5月20日 - … 綾曻 竹藏(あやのぼり たけぞう、1908年5月20日 - 1969年7月14日)は、宮城県仙台市青葉区出身で出羽海部屋に所属した大相撲力士。本名は大場 竹藏(おおば たけぞう)。最高位は西関脇。 1908年5月20日に宮城県仙台市青葉区で生まれる。当初は、日中を仙台の税務署で勤務しながら過ごして夜は学校に通って勉強する生活(現在で言えば定時制)を送っていたが、ある日近所の好角家から体格を見出されたことで千賀ノ浦部屋へ入門、1925年1月場所で初土俵を踏んだ。 1928年に部屋ごと出羽海部屋へ移籍してからは、当時角界一の強豪とも言われていた出羽海部屋の関取から激しい稽古を受けて成長し、1931年5月場所において双葉山定次と共に新十両昇進を果たした。
桂川 質郎(かつらがわ しちろう、1907年〈明治40年〉3… 桂川 質郎(かつらがわ しちろう、1907年〈明治40年〉3月29日 - 2003年〈平成15年〉10月24日)は、宮城県名取郡(現在の名取市)出身で伊勢ヶ濱部屋(入門時は楯山部屋)に所属した大相撲力士。本名は檀崎 質郎(だんざき しちろう)。現役時代の体格は身長170cm、体重88kg。得意手は右四つ、突っ張り、吊り。最高位は、西前頭筆頭(1937年(昭和12年)1月場所)。 引退後は夢想神伝流居合の修行に没頭し、檀崎 友彰(だんざき ともあき)と名乗った。段位は居合道範士九段、杖道範士七段、剣道教士七段。 1927年(昭和2年)10月場所に於いて、20歳で初土俵。四股名ははじめ、出身地の宮城県名取郡に因んだ「名取川」を名乗った。
伊達ノ花 静(だてのはな しずか、1907年1月1日 - 1… 伊達ノ花 静(だてのはな しずか、1907年1月1日 - 1944年12月11日)は、宮城県遠田郡涌谷町出身で出羽海部屋に所属した力士。本名は深山 静。170cm、120kg。最高位は西前頭15枚目。 1923年1月初土俵、1932年2月十両昇進。1935年5月新入幕したが、わずか2場所の在位で1936年1月廃業し、茨城県日立市で割烹を経営、のちに北海道に渡ったが、戦時中に若くして亡くなった。 色白の肥満体で玉のようにきれいで(本名も女性っぽい静)、明治の横綱・小錦のようとも言われたが、小錦と違い出足に欠けて勝ち味が遅かった。
真砂石 三郎(まさごいわ さぶろう、1897年12月14日 … 真砂石 三郎(まさごいわ さぶろう、1897年12月14日 - 1944年3月7日)は、宮城県栗原郡栗駒町(現栗原市)出身で尾車部屋、峰崎部屋、片男波部屋、伊勢ノ海部屋に所属した大相撲力士。本名は石川 三郎治。174cm、85kg。最高位は東前頭5枚目。 1916年5月尾車部屋より初土俵、その後兄弟子の三杦磯と行動をともにした。1920年5月十両昇進。1922年1月入幕し、この場所は優勝旗手を務めた。立合いの駆け引きがうまく、よく言えば「後の先」、悪く言えばペテン立ちの傾向があった。1927年10月に廃業してブラジルに渡り、料理店を経営。またブラジル相撲協会を立ち上げた。 陸奥ノ山→真砂石(1924年5月)
駒泉 徳治郎(こまいずみ とくじろう、1893年4月11日 … 駒泉 徳治郎(こまいずみ とくじろう、1893年4月11日 - 1959年2月24日)は、現在の宮城県大崎市出身で井筒部屋に所属した力士。本名は高橋 徳治郎。10代大嶽。180cm、96kg。最高位は東前頭2枚目。 旧制古川中学(現・宮城県古川高等学校)を中退し、同郷の大関駒ヶ嶽國力を頼って入門。所属は井筒部屋であったが、駒ヶ嶽の内弟子であった。1911年2月初土俵、1915年1月十両昇進。1917年1月新入幕した。四つに組むと勝ちみに乏しい相撲振りであったが、上背を利しての突っ張り・叩き込み・引き落としには威力があった。1919年5月場所には横綱鳳を外掛けから浴びせ倒して現役時代唯一の金星を獲得している。
白岩 亮治(しらいわ りょうじ、1890年3月21日 - 1… 白岩 亮治(しらいわ りょうじ、1890年3月21日 - 1971年11月17日)は、宮城県桃生郡矢本町(現・同県東松島市)出身で尾車部屋に所属した大相撲力士。本名は奥田 亮二。身長173cm、体重90kg。現役引退後は、年寄として後進の指導につとめた。 19歳の時に尾車部屋へ入門し、1910年1月場所で初土俵を踏んだ。「白岩」の四股名は、故郷に大きな白い岩があったことに因む。 昇進は順調で、1915年6月場所で新十両に昇進した。その直後、師匠が亡くなり、所属力士らは峰崎部屋に預けられる。その間、1919年1月場所で新入幕した。 もろはずにかかっての押しを得意としたが、地味な取り口であった。入幕後十両に落ちることもなく、39歳まで現役で取っていたこともあり、元々の老け顔もあって周囲からは「白岩老」と呼ばれることもしばしばだった。
大戸平 吉太郎(おおとひら きちたろう、1889年2月5日 … 大戸平 吉太郎(おおとひら きちたろう、1889年2月5日 - 1963年8月7日)は、現在の宮城県石巻市出身で尾車部屋、峰崎部屋に所属した力士。本名は阿部 吉太郎(あべ きちたろう)。4代尾車。176cm、98kg。最高位は東関脇。 石巻中学校1年で同郷の尾車から勧誘され、「将来は師名を継がせる」という証文を貰って入門した。1906年5月序ノ口、1911年6月十両昇進。1912年5月新入幕、1916年5月新横綱西ノ海を破り8勝1敗1預で、翌1917年1月関脇昇進。地味な風貌であったが大錦を破ったり横綱栃木山の預かりの相撲を取るなど大物食いとして上位で活躍。1922年5月に引退し、尾車を襲名。勝負検査役や木戸部長を務め、1961年1月71歳で定年退職。
大嵜 爲之助(おおさき ためのすけ、1874年 - 1929… 大嵜 爲之助(おおさき ためのすけ、1874年 - 1929年6月23日)は、現在の宮城県大崎市出身で尾車部屋、朝日山部屋、再度尾車部屋に所属した力士。世話人。本名は佐々木 爲之助。164cm、75kg。最高位は東前頭5枚目。 1893年5月初土俵、1900年5月十両昇進。その後大坂相撲に属したが、復帰し1905年1月入幕を果たす。大砲万右エ門の太刀持ち、露払いを務め、1910年1月に廃業したが、他に適職がなく1911年2月に角界に復帰。1915年1月に引退し世話人に転じた。 荒川 爲之介→大嵜 爲之助(1898年1月場所-)
大砲 万右エ門(おおづつ まんえもん、1869年12月30日… 大砲 万右エ門(おおづつ まんえもん、1869年12月30日(明治2年11月28日) - 1918年(大正7年)5月27日)は、岩代国刈田郡三沢村(現:宮城県白石市大鷹沢三沢)出身で尾車部屋に所属した大相撲力士。第18代横綱。本名は角張 萬次(かくばり まんじ)。 明治維新直後の1869年に農家の二男として生まれる。子供の時から身体が大きく怪力で、13歳で四斗俵を左右に軽々と提げて歩いた。この恵まれた体格を持つ少年の噂を聞いた伊勢ノ海部屋の元力士の夫人に見出され、1884年の春に上京して尾車部屋へ入門した。同年5月場所、故郷に因んだ「三沢滝(みさわたき)」の四股名で初土俵を踏んだ。入門当初は「コンニャク」と揶揄されるほど足腰が弱く、初土俵から4場所連続で前相撲から抜けられなかったが、1886年6月場所、師匠の初代尾車が勧進元になった際に、ようやくお情け(いわゆる"お蔭出世")で序ノ口昇進を認めてもらい、1887年1月場所に序ノ口に上がった。
秀ノ山 雷五郎(ひでのやま らいごろう、文化5年(1808年… 秀ノ山 雷五郎(ひでのやま らいごろう、文化5年(1808年) - 文久2年5月19日(1862年6月16日))は、陸奥国本吉郡(現・宮城県気仙沼市)出身で秀の山部屋に所属した大相撲力士。第9代横綱。本名は橋本(旧姓:菊田) 辰五郎(はしもと たつごろう)。 1808年に、陸奥国本吉郡(現・宮城県気仙沼市最知川原)で海運業と農業を営む家に五男として生まれる。当時家に出入りしていた荷揚げ人の中に元力士である籬嶋がいたが、籬嶋に辰五郎の二男である源太夫が相撲の指導を受け、土地相撲の大関として活躍していたことが刺激となり、辰五郎も力士を目指すようになった。その後は家の裏にあった榎を相手に毎日ぶつかった結果、榎を枯らしてしまったと伝わる。
丸山 権太左衛門(まるやま ごんだざえもん(ごんたざえもん)… 丸山 権太左衛門(まるやま ごんだざえもん(ごんたざえもん)、1713年(正徳3年)- 1749年12月23日(寛延2年11月14日))は、仙台藩・陸奥国領出身で七ツ森部屋に所属した大相撲力士。第3代横綱。本名は芳賀 銀太夫(はが ぎんだゆう)。 陸奥国遠田郡中津山村(現・宮城県登米市米山町中津山)出身。元文年間頃に初土俵を踏む。家老衆の家来になって江戸見物に出たが、体が重く歩くのが下手だったため、二足用意した草鞋をすぐ踏み潰しては徹夜で編み直すこととなり、馬に乗せれば足が地に着いてしまうほどだった。やっとの思いで江戸に到着したが、これでは故郷に帰るのもおぼつかないために入門したと伝わる。1737年(元文2年)4月大坂堀江で行われた興行に西大関として出場。