竹上 裕子(たけがみ ゆうこ、1960年〈昭和35年〉3月6… 竹上 裕子(たけがみ ゆうこ、1960年〈昭和35年〉3月6日 - )は、日本の政治家、教育者。 衆議院議員(1期)、愛知県議会議員(1期)を務めた。 栃木県宇都宮市出身。1978年3月、栃木県立宇都宮中央女子高等学校卒業。1982年3月、宇都宮大学教育学部中学校教員養成課程国語科卒業。 1982年4月から、結婚による中断を挟み、栃木県と愛知県にて34年半、公立小中学校(国語科)の教員を務め(豊橋市立青陵中学校、豊橋市立南稜中学校、豊橋市立本郷中学校、豊橋市立羽田中学校、豊橋市立章南中学校など)、2020年3月定年退職。以降、夫の家業である有限会社竹上豆腐店を手伝う。 2021年9月、あいちトリエンナーレ「表現の不自由展・その後」に端を発した愛知県知事・大村秀章へのリコール署名運動をきっかけとして、名古屋市長・河村たかしが代表を務める減税日本の政策に共鳴し、政治活動を開始。
簗瀬 進(やなせ すすむ、1950年〈昭和25年〉4月23日… 簗瀬 進(やなせ すすむ、1950年〈昭和25年〉4月23日 - )は、日本の元政治家、弁護士、教育者。昭和音楽大学学長。衆議院議員(2期)、参議院議員(2期)、栃木県議会議員(2期)を歴任。 1950年4月23日、宇都宮市一条に生まれる。1966年3月、宇都宮市立一条中学校卒業。1969年3月、栃木県立宇都宮高等学校卒業。1974年3月、東北大学法学部卒業。 1978年4月、栃木県庁入庁。司法試験合格。なお、北側一雄は司法修習33期の同期生。 1990年、第39回衆議院議員総選挙に森山欽司の後継者として自由民主党公認で出馬して初当選(当選同期に岡田克也・佐田玄一郎・藤井裕久・鈴木俊一・亀井久興・中谷元・森英介・福田康夫・石原伸晃・河村建夫・小林興起・塩谷立・古屋圭司・細田博之・小坂憲次・山本拓など)。
松本 哲男(まつもと てつお、1943年(昭和18年)7月2… 松本 哲男(まつもと てつお、1943年(昭和18年)7月29日 - 2012年(平成24年)11月15日)は日本画家、教育者。栃木県佐野市生まれ。日本美術院理事。 宇都宮大学教育学部美術科卒業。高等学校美術教諭を経て、今野忠一に師事。宇都宮文星短期大学特任教授を経て、1999年(平成11年)から2002年(平成14年)まで文星芸術大学教授。後、特任教授。1993年(平成5年)4月から東北芸術工科大学芸術学部美術科助教授、1996年(平成8年)4月から同教授。2006年(平成18年)4月から2011年(平成23年)3月まで同学長。同年4月から名誉学長となっていた。 2012年(平成24年)11月15日に呼吸不全のため死去。
平野 彧(ひらの いく、1929年 - 2007年)は、日本… 平野 彧(ひらの いく、1929年 - 2007年)は、日本の教育者・教育評論家。 栃木県宇都宮生まれ。栃木県立宇都宮中学校(現・栃木県立宇都宮高等学校)卒業。栃木県の小学校国語教員、宇都宮市立平石南小学校教諭、1959年藤岡町立赤麻小学校教諭、1975年三鴨小学校教諭、86年赤麻小学校校長。91年退職。作文教育に力を入れた。
遠藤 豊(えんどう ゆたか、1925年3月25日 - 200… 遠藤 豊(えんどう ゆたか、1925年3月25日 - 2001年3月26日)は、日本の教育者、自由の森学園の創設者。 栃木県矢板市生まれ。1946年栃木師範学校(宇都宮大学)卒業、1947年に栃木県の中学の理科教師として教員生活をスタートさせる。栃木県矢板中学校・船生中学校教諭、宇都宮大学附属学校教官などを経て、1962年明星学園小中学校教諭。1975年明星学園小中学校校長。1985年自由の森学園を創立し、学園長となる。 2001年3月26日、心不全のため死去。
片柳 鴻(かたやなぎ こう、1920年10月8日 - 201… 片柳 鴻(かたやなぎ こう、1920年10月8日 - 2019年8月15日)は、日本の教育者、芸術家。創美学園(現:学校法人片柳学園)の創立者、同学園理事長。1985年4月29日、藍綬褒章受章。 2017年4月29日、旭日小綬章受章。 学生時代を経て、東京芝浦電気(現:東芝)に勤務していたが、学生教育を志して依願退職し、1947年に絵画と洋裁を専門とする学校「創美学園」を立ち上げた。 創美学園は日本電子工学院などを経て、大学や専門学校などを運営する片柳学園となり、教育機関の経営者としての手腕と貢献が認められて1985年に藍綬褒章を授与された。2008年に学者や研究者を奨励する目的で設立された片柳コンピュータ科学賞へ資金提供するなど、理想の教育を目指して教育環境の充実に務めていた。
井深 大(いぶか まさる、1908年(明治41年)4月11日… 井深 大(いぶか まさる、1908年(明治41年)4月11日 - 1997年(平成9年)12月19日)は、日本の電子技術者、実業家、教育者、弁理士。位階は正三位。 栃木県上都賀郡日光町(現在の日光市)出身。盛田昭夫とともにソニーの創業者の一人。 祖先は会津藩の家老であり、親戚には飯盛山で自刃した白虎隊の井深茂太郎や明治学院総理を歴任した井深梶之助、ハンセン病に一生を捧げカトリック看護師協会の会長を歴任した井深八重がいる。日露間で樺太・千島交換条約が締結された後、祖父基が公務員として千島列島を巡回し、明治11年に占守島を訪れているが、その際に現地で撮影された集合写真に収まっていた吏員の一人が祖父基であることを後に井深大自身が確認している。
大橋 喜美(おおはし きみ、1905年(明治38年)1月29… 大橋 喜美(おおはし きみ、1905年(明治38年)1月29日 – 1999年(平成11年)6月1日)は、日本の教育者、政治家。衆議院議員(1期)。 栃木県鹿沼市出身。1925年、東京女子高等師範学校文科卒。島根県立浜田高等女学校、滋賀県大津市高等女学校の教員を経て、結婚により宮崎県延岡市に移る。夫の死後、故郷の鹿沼へ戻り、栃木県立鹿沼高等女学校講師になる。 1946年の第22回衆議院議員総選挙では宮崎県から日向民主党公認で立候補して初当選した。当選後は国民協同党に入るが、翌1947年の第23回衆議院議員総選挙では宮崎1区から民主党公認で立候補したが落選。1949年の第24回衆議院議員総選挙では選挙区を栃木1区に移して立候補したが落選した。
柴田 徳次郎(しばた とくじろう、1890年12月20日 -… 柴田 徳次郎(しばた とくじろう、1890年12月20日 - 1973年1月26日)は、日本の右翼で教育者。国士舘創立者。正四位勲二等、瑞宝章受章。経済学博士。
上沢 謙二(うえざわ けんじ、1890年11月21日 - 1… 上沢 謙二(うえざわ けんじ、1890年11月21日 - 1978年7月7日)は、日本の児童文学者童話作家教育者である。 1890年に栃木県上都賀郡東大芦村(現 鹿沼市)に生まれる。地元の引田尋常小学校および高等科を卒業して上京。日本銀行に見習いとして採用される。1907年、日本基督教団日本橋教会で洗礼を受け、以後、キリスト者の道を歩む。1919年に結婚した後に日本銀行を退職、アメリカ合衆国へ留学する。1923年にワシントン州立大学教育学部卒業後、帰国。子供之友編集主任、日本キリスト教文化協会長などを歴任する。1938年、洗足幼稚園の経営を引き継ぐが、戦局の悪化に伴い1944年に休園。やがて1945年3月の東京大空襲により幼稚園が焼失し、郷里に疎開させていた家族のもとへ戻る。
阿久津 謙二(あくつ けんじ、1883年(明治16年)9月2… 阿久津 謙二(あくつ けんじ、1883年(明治16年)9月22日 - 1965年(昭和40年)12月26日)は、日本の英語教育者。東京商科大学(現一橋大学)専門部教授を務めた。 栃木県下都賀郡稲葉村の農家の二男として生まれる。1902年栃木県立中学校(現栃木県立栃木高等学校)卒業。1910年ミネソタ大学卒業、LLB(法学士)。 栃木県立中学校教諭、栃木県立商業学校(現栃木県立宇都宮商業高等学校)教諭を経て、1914年広島県立広島商業学校(現広島県立広島商業高等学校)教諭。1918年山口高等商業学校(現山口大学)教授。同年東京高等商業学校(現一橋大学)教授。 1920年東京商科大学(現一橋大学)予科教授、中央大学予科講師。
川俣 英夫(かわまた ひでお、1856年5月11日〈安政3年… 川俣 英夫(かわまた ひでお、1856年5月11日〈安政3年4月8日〉 - 1924年〈大正13年〉1月23日)は、現在の栃木県那須烏山市出身の医師、教育者。 1856年4月下野国烏山藩に生まれる。14歳のとき、烏山藩学校に入門。横浜の高島学校、修文館を経て東京英語学校(後の東京大学予備門)に入学。帝国大学医学部別科、東亜医学校をへて1880年(明治13年)東京府医学開業試験に合格し、郷里にて開業する。烏山町町議会議員、烏山町長を歴任する。医師として万民公平の観点から、貧困者の積極的治療を行う傍ら、地域教育の重要性を真摯に考え、県立中学校の設立を栃木県に誓願するも、却下されてしまう。その後、私財を投じて私立烏山学館(後の私立烏山中学校をへて、栃木県立烏山中学校から、現在の栃木県立烏山高等学校の前身)を設立。
小島 憲之(こじま のりゆき、1855年8月2日〈安政2年6… 小島 憲之(こじま のりゆき、1855年8月2日〈安政2年6月20日〉- 1918年〈大正7年〉8月15日)は栃木県出身の建築家であり教育者。アメリカのコーネル大学建築学部を卒業、日本人で初めて建築の学士号を取得したとされる。旧制第一高等学校などで図学や英語を教え、多くの後進を育てた。東京芸術大学構内に残る赤レンガの建物(旧東京図書館書籍庫)は小島の作品である。 下野国河内郡雀宮(後の栃木県宇都宮市)で幕臣・小島信民の家に生まれる。旧名は作次郎、兄は信之。 明治維新後、横浜で外国人に英語を学び、1870年(明治3年)、大学南校に入学、アメリカ人教師ハリスに認められる。1873年(明治6年)学校を中退、ハリス、箕作佳吉とともにアメリカに渡り、ハートフォード中学に入学。