岸 輝男(きし てるお、1940年1月11日 - )は、埼玉… 岸 輝男(きし てるお、1940年1月11日 - )は、埼玉県出身の元プロ野球選手。 大宮高校では1957年に夏の甲子園へ出場し、ベスト4まで進出。 1958年に近鉄パールスへ入団。1960年に引退。
埼玉県:3,516人
岸 輝男(きし てるお、1940年1月11日 - )は、埼玉… 岸 輝男(きし てるお、1940年1月11日 - )は、埼玉県出身の元プロ野球選手。 大宮高校では1957年に夏の甲子園へ出場し、ベスト4まで進出。 1958年に近鉄パールスへ入団。1960年に引退。
大崎 紀夫(おおさき のりお、1940年- )は、日本の詩人… 大崎 紀夫(おおさき のりお、1940年- )は、日本の詩人、紀行作家、俳人。 埼玉県戸田市生まれ。1963年東京大学文学部仏文科卒、朝日新聞社入社。出版部門を長く経験する。1995年『俳句朝日』編集長。1996年『短歌朝日』創刊編集長となり、『俳句朝日』と編集長を兼任する。1999年退社、顧問となる。2000年「ウェップ俳句通信」編集長。2001年結社「やぶれ傘」を創刊、主宰。釣りに関する著作も多い。
岡田 純也(おかだ じゅんや、1939年12月12日 - )… 岡田 純也(おかだ じゅんや、1939年12月12日 - )は、日本の児童文学研究者・作家、京都女子大学名誉教授。 埼玉県立浦和高等学校卒業、立教大学卒、同大学院、米国パシフィック・ウェスタン大学(ディプロマ・ミル)で学術博士。京都女子大学児童学科教授。附属小学校長を兼務。2010年定年、名誉教授。湯布院こども童話館館長。日本児童文芸家協会監事。日本児童図書評議会会員。
根岸善雄(ねぎし よしお、1939年12月10日 - 202… 根岸善雄(ねぎし よしお、1939年12月10日 - 2022年1月16日)は、日本の俳人。 埼玉県羽生市出身。早稲田大学大学院商学研究科修士課程中退[要出典]。水原秋桜子に師事。1973年「馬酔木」同人[要出典]。公益社団法人俳人協会名誉会員[要出典]。
小島 敏男(こじま としお、1939年〈昭和14年〉11月1… 小島 敏男(こじま としお、1939年〈昭和14年〉11月11日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属。立正大学名誉教授。 文部科学副大臣(第2次小泉改造内閣・第3次小泉内閣)、防衛庁長官政務官(第1次小泉第1次改造内閣)、外務大臣政務官(第1次小泉内閣)、衆議院環境委員長、同北朝鮮による拉致問題等に関する特別委員長、衆議院議員(4期)、埼玉県議会議長、埼玉県議会議員(4期)、熊谷市議会議長、熊谷市議会議員(3期)などを歴任。 熊谷市議会議員3期・同議長、埼玉県議会議員4期・同議長を経て、1996年の第41回衆議院議員総選挙に立候補するものの落選。1999年1月、中島洋次郎の議員辞職に伴い、同月21日付で繰上当選。
亀田 信夫(かめだ のぶお、1939年9月22日 - )は、… 亀田 信夫(かめだ のぶお、1939年9月22日 - )は、埼玉県大宮市(現在のさいたま市大宮区)出身の元プロ野球選手。 大宮高校では1957年に夏の甲子園へ4番打者として出場し、ベスト4まで進出。 1958年に国鉄スワローズへ入団。1965年に引退。
村松 克己(むらまつ かつみ、1939年〈昭和14年〉9月1… 村松 克己(むらまつ かつみ、1939年〈昭和14年〉9月10日 - 2001年〈平成13年〉12月1日)は、日本の俳優。埼玉県川口市出身。別表記:村松 克巳。 早稲田大学教育学部卒業。 1966年、岸田森、悠木千帆(後の樹木希林)らと共に劇団「六月劇場」を結成。「演劇センター68」(「六月劇場」、「自由劇場」、「発見の会」の3劇団の連合組織)を経て1971年、「黒色テント六八/七一」(後の劇団黒テント)の創立に参加。以後劇団の中心メンバーとして活動する傍ら、主に脇役として様々の映画、テレビドラマに出演した。 2001年12月1日午前8時55分、胃癌のため埼玉県川越市の病院で死去。62歳没。
斎藤 次郎(さいとう じろう、1939年9月3日 - )は、… 斎藤 次郎(さいとう じろう、1939年9月3日 - )は、日本の教育評論家、漫画評論家、漫画原作者。個人紙『まんがコミュニケーション』主宰。斉藤次郎と表記される場合もある。 埼玉県飯能市生まれ。1963年法政大学文学部日本文学科卒業。子ども調査研究所を経て、教育評論活動を開始。真崎守の漫画『共犯幻想』『寂光院蝉しぐれ 甦春記・京都大原』『紫陽花寺・流謫 甦春記・鎌倉明月院』では原作者を担当。『COM』で漫画評を連載し、村上知彦や米澤嘉博らの「私語り」漫画論に大きな影響を与えたとされる。1987年から、子供や子供文化に係るミニコミ誌『三輪車疾走』『子どもプラス』『子どもプラスmini』の編集代表を務める。
小島 卓(こじま すぐる、1939年(昭和14年)8月22日… 小島 卓(こじま すぐる、1939年(昭和14年)8月22日 - )は、日本の政治家。元埼玉県白岡市長(3期、白岡町長時代を含む)、自民党白岡支部長。白岡町議会議員(3期)を歴任した。 埼玉県南埼玉郡白岡町高岩に生まれた。白岡町立篠津小学校、白岡町立篠津中学校(現白岡市立篠津中学校)卒業。1958年3月、埼玉県立不動岡高等学校卒業。同年4月、埼玉県信用農業協同組合連合会(JA埼玉県信連)に就職する。1996年3月、同団体を退職。1998年5月、株式会社埼玉県農協総合情報センターの代表取締役に就任。1999年3月、同職を退任。 1999年4月から白岡町議会議員を3期務めた。 2008年11月16日に行われた白岡町長選挙に無所属で立候補し初当選。
笠原 章平(かさはら しょうへい、1939年7月21日 - … 笠原 章平(かさはら しょうへい、1939年7月21日 - )は、日本のハンマー投選手。 1964年東京オリンピックに出場した。 埼玉県比企郡竹沢村(現在の小川町)出身、埼玉県立松山高等学校に入学。兄が松山高校の陸上部元主将であった縁で、陸上部に属することとなった。ハンマー投げは高校在学中から始め、県大会優勝やインターハイ準優勝といった成績を残した。 中央大学に進学。1962年(昭和37年)に中央大学を卒業し、東急電鉄に入社、実業団チームに属する。1964年(昭和39年)8月の記録会で、自己最高記録(65m01)を出す。1964年東京オリンピックのハンマー投で出場するが、予選落ち。後年の取材によれば「周囲の期待を裏切ってしまったという申し訳なさから、東京五輪出場の話題は長く封印してきた」という。
飯島 澄男(いいじま すみお、1939年5月2日 - )は、… 飯島 澄男(いいじま すみお、1939年5月2日 - )は、日本の物理学者および化学者。埼玉県越谷市出身。文化功労者、恩賜賞・日本学士院賞受賞者、文化勲章受章者。日本学士院会員。名古屋大学高等研究院アカデミー会員、名古屋大学特別招聘教授。名城大学終身教授。NEC特別主席研究員。 カーボンナノチューブの発見(1991年)と電子顕微鏡による構造決定の功績で、世界的に有名になった。金の原子がアメーバのように動く金超微粒子の“構造ゆらぎ”現象を発見(1984年)。ノーベル化学賞・物理学賞の有力候補とも見られている。 名城大学終身教授、NEC特別主席研究員をはじめ多数の職を現職で兼任する。 ナノ科学、物性物理、材料科学、電子顕微鏡学、結晶学
若秩父 髙明(わかちちぶ こうめい、1939年3月16日 -… 若秩父 髙明(わかちちぶ こうめい、1939年3月16日 - 2014年9月16日)は、埼玉県秩父郡高篠村(現:埼玉県秩父市)出身で花籠部屋に所属した大相撲力士。本名は加藤 髙明(かとう こうめい)。最高位は西関脇(1963年7月場所・同年9月場所)。現役時代の体格は175cm、150kg。得意手は左四つ、吊り、寄り。 本名は周囲から「たかあき」と読まれることが多いそうだが、本名・四股名共に読みは「こうめい」である。 1939年3月16日に埼玉県秩父郡高篠村(現:埼玉県秩父市)の大日本帝国陸軍軍人の家に長男として生まれる。小学生の頃から大食いで体格が大きくなり、高篠中学校では相撲部に所属して毎日一升の飯を食い、秩父郡の相撲大会で活躍した。
萩原 津年武(はぎわら つとむ、1939年1月1日 - )は… 萩原 津年武(はぎわら つとむ、1939年1月1日 - )は放送作家。埼玉県熊谷市生まれ。法政大学英米文学科卒。株式会社トマホーク代表取締役でもある。
坪井龍文 (つぼい たつふみ、1939年-)は、日本の防衛官… 坪井龍文 (つぼい たつふみ、1939年-)は、日本の防衛官僚。元内閣安全保障室長。 東京都出身。埼玉県立熊谷高等学校を経て、1962年、東京大学法学部卒業。防衛庁人事局人事第一課長、防衛庁人事局長を経て1992年~1993年の間防衛研究所所長、1993年~1995年、内閣官房内閣安全保障室室長兼内閣総理大臣官房安全保障室長を務める。その他、防衛省職員生活協同組合理事長、公益財団法人埼玉学生誘掖会代表も務める。2009年春の叙勲で瑞宝重光章受章。
高屋 俊夫(こうや としお、1938年12月28日 - )は… 高屋 俊夫(こうや としお、1938年12月28日 - )は、埼玉県大宮市(現在のさいたま市大宮区)出身の元プロ野球選手(投手)。 大宮高校から1957年に国鉄スワローズへ入団。同期に村田元一、茂木忠之がいる。1年目から一軍で登板し、3年目の1959年には自己最多の25試合(うち先発2試合)に登板した。1960年までで通算32試合に登板したが、主にビハインドの場面で投げることが多く、勝利することはできなかった。 監督が宇野光雄から砂押邦信に交代した1961年にはイースタン・リーグで最多勝を獲得したが、一軍で登板することはなくこの年限りで引退した。
塚田 千裕(つかだ ちひろ、1938年11月23日 - 20… 塚田 千裕(つかだ ちひろ、1938年11月23日 - 2022年8月3日)は、元ブラジル駐箚特命全権大使、元迎賓館館長。埼玉県出身。 埼玉県に生まれる。埼玉県立熊谷高等学校、東京大学法学部卒業。1977年、在ブラジル日本国大使館(一等書記官、参事官)。 1981年、外務省経済局調査官、外務省中南米局中南米第一課長。1983年、大蔵省国際金融局外資課長。 1985年、在オーストリア日本国大使館公使、国際原子力機関総会日本政府代表代理。 1987年、在リオデジャネイロ日本国総領事館(総領事)。1989年、コロンビア国駐箚特命全権大使。 1993年、法務省入国管理局長。1995年からブラジル国駐箚特命全権大使。
上田 惇生(うえだ あつお、1938年11月9日 - 201… 上田 惇生(うえだ あつお、1938年11月9日 - 2019年1月10日)は、日本の経営学者。ものつくり大学名誉教授、立命館大学客員教授、ドラッカー学会代表。 埼玉県出身。埼玉県立浦和高等学校を経て、1964年慶應義塾大学経済学部卒。経団連会長秘書、国際経済部次長、広報部長、ものつくり大学教授(マネジメント、社会論)を経て、同大学名誉教授。立命館大学客員教授。ピーター・ドラッカー自身からもっとも親しい友人、日本での分身とされてきた。ドラッカー学会代表のほかに、渋沢栄一賞選考委員、埼玉ちゃれんじ企業経営者選考委員会代表も務める。ドラッカー経営思想の普及によりベスト・リスクマネジャー・オブ・ザ・イヤー2001(リスクマネジメント協会)受賞。
山崎 正之(やまざき まさゆき、1938年6月18日 - 1… 山崎 正之(やまざき まさゆき、1938年6月18日 - 1991年11月20日)は、埼玉県出身のプロ野球選手(投手、外野手)。 法政第一高校では、1956年夏の甲子園都予選で準々決勝に進むが、エース並木輝男を擁する日大三高に敗退。卒業後は法政大学へ進学。東京六大学野球リーグでは、4年生時の1960年春季リーグにおいて、1年下の新山彰忠と投の二本柱を組んで優勝を飾り、自身もベストナインに選ばれた。同年の全日本大学野球選手権大会でも、決勝で同志社大のエース山尾孝雄に投げ勝ち、法大の初優勝に貢献。リーグ通算36試合12勝8敗、防御率2.50、87奪三振。同期に捕手の鈴木孝雄、一塁手の田中和男、外野手の山本一義がいる。
飯塚 繁雄(いいづか しげお、1938年〈昭和13年〉6月8… 飯塚 繁雄(いいづか しげお、1938年〈昭和13年〉6月8日 - 2021年〈令和3年〉12月18日)は、日本の人権活動家。北朝鮮による拉致被害者である田口八重子の長兄。「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会」(通称、「家族会」)の代表を務めた。 1938年(昭和13年)6月8日、東京市神田区(現・東京都千代田区神田)で生まれる。疎開で各地を転々とし、終戦後は埼玉県川口市へ転居した。1954年(昭和29年)、15歳で家計を支えるため民生デイゼル工業株式会社(現・UDトラックス株式会社)へ入社し、機械技術者となるため埼玉県立川口工業高等学校定時制課程に入学、昼は働いて夜は学校へ通う生活を送る。1955年(昭和30年)8月、17歳の時に末妹の八重子が生まれた。
今泉 幸雄(いまいずみ ゆきお、1938年1月1日 - 20… 今泉 幸雄(いまいずみ ゆきお、1938年1月1日 - 2009年1月26日)は、昭和期の日本のプロ野球選手。ポジションは捕手、内野手。背番号44。日本大学鶴ヶ丘高等学校、日本大学卒業。 埼玉県入間郡鶴ヶ島町(現在の同県鶴ヶ島市)出身日本大学鶴ヶ丘高等学校→高橋ユニオンズ・トンボユニオンズ・高橋ユニオンズ→日本大学 高校在学中に高橋ユニオンズの入団テストを受け合格。高校に通学しながらプロ野球選手として活躍する異色の経歴を持つ。現役時代は日本初の300勝投手・スタルヒン投手ともバッテリーを組むが、高校卒業と同時に高橋ユニオンズの球団合併に伴い引退し、日本大学に進学。プロ経験者のため大学リーグではプレーできなかったが、高木時夫(中日)、宮田征典(巨人)らとともに野球部で大学生活を送った。
石川 勝夫(いしかわ かつお、1937年(昭和12年)12月… 石川 勝夫(いしかわ かつお、1937年(昭和12年)12月14日 - )は、日本の政治家。元埼玉県蓮田市長(2期)。 埼玉県蓮田市出身。埼玉県立浦和商業高等学校卒業。1957年(昭和32年)、日本交通公社に勤務。1980年(昭和55年)、同公社代理店サントラベルを設立した。 政界入り後、蓮田市議会議員、同市議会議長を経て、1990年(平成2年)に蓮田市長に初当選。1994年(平成6年)に再選。1998年(平成10年)、元蓮田市食生活改善推進員協議会会長の樋口曉子に敗れ落選した。 市長退任後は、社会福祉法人清勝会の理事長に就任した。2002年(平成14年)の市長選でも樋口に敗れた。
鳥羽 博道(とりば ひろみち、1937年10月11日 - )… 鳥羽 博道(とりば ひろみち、1937年10月11日 - )は、日本の実業家。株式会社ドトールコーヒー創業者・名誉会長。 有限会社ドトールコーヒー代表取締役社長、東京マグナ株式会社代表取締役社長、株式会社マドレーヌコンフェクショナリー代表取締役社長などを歴任した。 埼玉県深谷市生まれの実業家。有限会社としてドトールコーヒーを設立し代表取締役社長に就任。その後、株式会社化し、代表取締役社長、代表取締役会長に就任。そのほか、東京マグナやマドレーヌコンフェクショナリーにおいても代表取締役社長に就任。その後、ドトールコーヒーの代表権を返上して経営の一線を退き、取締役も退任。代表権のない名誉会長に就任。なお、ドトール・日レスホールディングスの大株主でもある。
田口 文章(たぐち ふみあき、1937年5月18日 -201… 田口 文章(たぐち ふみあき、1937年5月18日 -2011年9月11日 )は、日本の生物学者。 埼玉県出身、埼玉県立春日部高校卒。1959年北里衛生科学専門学院卒業、1965年ペンシルベニア大学教養学部微生物学科卒業。北里大学衛生学部微生物学教室助手を経て、1977年に同大学衛生学部教授となった。アメリカ合衆国のウイスター研究所、フランスのパスツール研究所、ドイツのロベルト・コッホ研究所などへ留学し、1979年同大学院教授を併任。2003年より同名誉教授、微生物管理機構理事長となった。H2J株式会社取締役、特定非営利活動法人燃料電池・水素エネルギーネットワークの顧問などを勤める。 シロアリから分離させた水素生成菌やパンダの糞から分離した廃棄物処理菌など、地球環境へ配慮した微生物の有効利用研究の第一人者として知られ、2009年10月1日、同研究でイグノーベル賞・生物学賞を受賞した。
高木 時夫(たかぎ ときお、 1937年4月21日 - 20… 高木 時夫(たかぎ ときお、 1937年4月21日 - 2006年1月23日)は、埼玉県出身の元プロ野球選手(捕手)・コーチ。 浦和高校時代はサッカーをしていたこともあった。捕手として1954年秋季関東大会県予選決勝に進むが、浦和商に惜敗。高校卒業後は日本大学へ進学し、東都大学リーグでは在学中3度の優勝を経験。宮田征典とバッテリーを組み、1959年秋季リーグの優勝に貢献。リーグ通算31試合出場、73打数20安打、打率.274、0本塁打、6打点、ベストナイン1回受賞。大学同期に会田豊彦・黒木基康(大洋)・笹木士朗(日本鋼管)らがいた。大学卒業後は富士製鐵釜石に入社し、1961年に常磐炭砿の補強選手として都市対抗に出場。
武藤 博(むとう ひろし、1937年〈昭和12年〉4月20日… 武藤 博(むとう ひろし、1937年〈昭和12年〉4月20日 - )は、日本の政治家。埼玉県・旧上福岡市の最後の市長である。 埼玉県浦和市生まれ、6人兄弟の次男。父は浦和市議会議員、浦和市収入役を務めた。 元大蔵・財務事務次官、元日本銀行副総裁で、2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会事務総長及び理事の武藤敏郎は弟。 1955年3月、浦和市立高等学校卒業。父病気のため高校卒業後は東京都内で3年間の修業を積んだ後、地元で浴場を開業した。1966年、上福岡に支店を出したことを契機に転居。PTA活動などをきっかけに市議会議員へ。 1979年4月、統一地方選挙上福岡市議会議員選挙に無所属で立候補し初当選。
新井 弘治(あらい こうじ、1936年〈昭和11年〉11月2… 新井 弘治(あらい こうじ、1936年〈昭和11年〉11月23日 - )は、日本の政治家。元埼玉県上尾市長。 埼玉県北足立郡大石村(現・上尾市)出身。埼玉県立川越農業高等学校中退。 中退後は、農業に従事後、実業家に転身した。 1979年(昭和54年)、父の死去に伴い、上尾市議会議員選挙に立候補して初当選を果たした。1983年(昭和58年)、再選を果たした。 1987年(昭和62年)埼玉県議会議員に当選。3期務めた。 1996年(平成8年)、現職の荒井松司と新人1人を破って、上尾市長に当選した。 ※当日有権者数:-人 最終投票率:43.02%(前回比:-pts) 第35代市議会議長など新人2人との争いとなったが、これを破って再選を果たした。
藤原 弘(ふじわら ひろし、1936年 <昭和11年> 11… 藤原 弘(ふじわら ひろし、1936年 <昭和11年> 11月16日 - 2009年 <平成21年> 6月6日)は、日本の政治家、元地方公務員。北海道根室市市長(1998年-2006年)。旭日小綬章受章者。位階は正六位。 埼玉県出身、埼玉県立熊谷高等学校卒、北海道大学水産学部卒。 1959年(昭和34年)- 北海道庁に入庁する。1980年(昭和55年)- 同庁後志支庁水産課長に就任する。 1985年(昭和60年)- 同庁水産部漁政課長就任にする。1988年(昭和63年)- 同庁水産部技監に就任する。 1989年(平成元年)- 同庁根室支庁長に就任する。1991年(平成3年)- 同庁水産部長に昇格する。
伊藤 ミカ(いとう みか、1936年11月1日 - 1970… 伊藤 ミカ(いとう みか、1936年11月1日 - 1970年1月11日)は、日本の元体育教師、前衛舞踏家。元伊藤ミカ・ビザール・バレエ・グループ代表。 『O嬢の物語』の舞踊化を始めとし、肌の露出・緊縛など、性的な要素を前面に押し出した舞踊を次々と計画・出演し、賛否両論ながら大きな話題を呼んだ。しかし、知名度が高まりつつあったさなか一酸化炭素中毒のため急死した。 戸籍名は伊藤君子、旧姓は川島。1958年に伊藤文學と結婚し伊藤姓となる。 埼玉県の農家に生まれ、小学生の時に叔父夫婦の養女となる。埼玉県立久喜高等学校を卒業後、1955年に日本女子体育短期大学へ進学。高校では体操部に所属、短大では徒手体操を学んだ。
田中 美代子(たなか みよこ、1936年10月18日 - 2… 田中 美代子(たなか みよこ、1936年10月18日 - 2023年12月21日)は、日本の文芸評論家。本名は木暮美代子。 埼玉県秩父市出身。早稲田大学文学部仏文科卒業。1965年に『文学者』に発表した「三島由紀夫小論」で注目される。 田中が郵送した『文学者』を読んだ三島は書簡を返信し、新潮文庫版『獣の戯れ』の解説執筆を要請し、以後も『午後の曳航』や『天人五衰』などの文庫解説を書き、講談社版『三島由紀夫短篇全集』全6巻の解説を担当。新潮社での旧版『三島由紀夫全集』編纂も務めた。 三島からは「真のリズール(文学作品を深く読解する者・精読者)」と呼ばれて信頼されたが、生前の直接の面会はなかった。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
金子 國義(かねこ くによし、1936年7月23日 - 20… 金子 國義(かねこ くによし、1936年7月23日 - 2015年3月16日)は、日本の画家。
福島 郁夫(ふくしま いくお、1936年7月11日 - )は… 福島 郁夫(ふくしま いくお、1936年7月11日 - )は、埼玉県出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。 埼玉県立熊谷高等学校から1955年に東映フライヤーズへ入団。1年目は1勝しか挙げられなかったものの、2年目の1956年に35試合登板し、13勝を挙げた。1957年からは登板数が一桁に減り、勝利を挙げることができず1960年に引退した。引退後は帰郷して、地元の百貨店に勤務した。 長嶋茂雄が高校時代に唯一打った本塁打が福島からである(埼玉県営大宮公園野球場で行われた全国高等学校野球選手権の南関東大会1回戦・当時千葉県立佐倉第一高等学校(現千葉県立佐倉高等学校)対熊谷高校戦)。 選手でありながら、スコアラーも務めており、昼は練習に励み、夜になるとスコアラーの業務を務めていた。
清水 マリ(しみず まり、1936年〈昭和11年〉6月7日 … 清水 マリ(しみず まり、1936年〈昭和11年〉6月7日 - )は、日本の声優、女優、YouTuber。埼玉県浦和市(現:さいたま市浦和区)出身。81プロデュース所属。父親は俳優の清水元。本名は山内 鞠(やまのうち まり)。 第2子として埼玉県浦和市(現:さいたま市浦和区)で誕生。4歳上の兄がおり、その兄はNHKディレクターの清水満。 浦和市立仲本小学校、浦和市立原山中学校、埼玉県立浦和西高等学校卒業。 中学1年時に父・清水元の劇団で『ピノキオ』の舞台を上演することになったが、劇団に子役がいなかったため、マリがピノキオ役で出演することになり、それがきっかけで役者の道に進む。父親は役者になることについては反対していた。
浅見 敏夫(あさみ としお、1936年5月27日 - )は、… 浅見 敏夫(あさみ としお、1936年5月27日 - )は、埼玉県出身の元競艇選手。 息子の昌克・宗孝は現役のボートレーサー。 進学校・浦和西高校から埼玉大学に進学したが、1年後に上智大学へ転入。上智大も父親の病気の為に中退し、競艇選手の道を選ぶ。 1959年11月に連合会養成6期生として選手登録され、彦坂郁雄・岡本義則・高田登らと共にデビュー。同年夏には5期生として北原友次、加藤峻二がデビューしている。 モットーが「レースはケンカ」と少々荒かったが、闘志剥き出しの豪快なレースぶりから「ダンプ」と呼ばれ、多くのファンから共感を呼んだ。 コーナーでの突っ込みは攻撃的で、ホームプールの戸田では1967年の関東地区選手権競走で記念初優勝を飾るなど7度の優勝を記録。
薗田 稔(そのだ みのる、1936年〈昭和11年〉4月27日… 薗田 稔(そのだ みのる、1936年〈昭和11年〉4月27日 - 2024年〈令和6年〉12月31日)は、日本の神職、宗教学者。秩父神社元宮司。京都大学名誉教授。 宗教学や民俗学の視点を入れた神道研究、日本宗教史研究を行う。2002年5月、京都・賀茂御祖(下鴨)神社糺森研修道場において、上田正昭らとともにNPO法人社叢学会を設立した。 埼玉県秩父市出身。埼玉県立熊谷高等学校を経て、1960年に東京大学文学部宗教学科を卒業、1965年に同大学院博士課程満期退学。1972年に國學院大學文学部講師、1974年に同助教授、1981年に同教授、1991年に京都大学教養部教授、のち京都大学総合人間学部教授、2003年に國學院大學神道文化学部特任教授、皇學館大学大学院特任教授を歴任。
帯津 良一(おびつ りょういち、1936年2月17日 - )… 帯津 良一(おびつ りょういち、1936年2月17日 - )は、日本の医師、著述家、帯津三敬病院名誉院長。 埼玉県川越市生まれ。東京都立小石川高等学校を経て、1961年に東京大学医学部医学科を卒業。医学博士。東京大学医学部第三外科、東京都立駒込病院外科医長などを経て、1982年、埼玉県川越市に帯津三敬病院を設立。西洋医学に中国医学や代替療法を取り入れ、医療の東西融合という新機軸を基に、がん患者などの治療に当たる。人間をまるごと捉えるホリスティック医学の第一人者として、日本ホリスティック医学協会会長・現名誉会長、日本ホメオパシー医学会理事長、国際生命情報科学会(ISLIS)会長、その他数多くの団体の役職なども務める。
松崎 明(まつざき あきら、1936年〈昭和11年〉2月3日… 松崎 明(まつざき あきら、1936年〈昭和11年〉2月3日 - 2010年〈平成22年〉12月9日)は、日本の労働運動家。革マル派副議長。鉄道労連(後にJR総連)副委員長、東鉄労(後のJR東労組)委員長を務め、JR東労組会長、顧問を務め、事実上JR東労組のトップだった。 埼玉県出身。埼玉県立川越工業高等学校卒。愛称は松っつあん。 国鉄動力車労働組合(動労)元委員長を務め、全日本鉄道労働組合総連合会(JR総連)・東日本旅客鉄道労働組合(JR東労組)顧問を務めていた。 なお、元革命的労働者協会活動家の松崎重利は実父が同様に日本国有鉄道(国鉄)職員で姓が同じであるが、縁戚関係はなく政治活動面においても無関係である。
小澤 さとる(おざわ さとる、1936年2月3日 - )は、… 小澤 さとる(おざわ さとる、1936年2月3日 - )は、漫画家。埼玉県川口市出身。北海道函館市在住。本名:小沢暁。別名:小沢さとる・北沢力。代表作に潜水艦漫画『サブマリン707』、アニメ化された『青の6号』など。名義に「小澤さとる」と「小沢さとる」があるが意図して少年向けには「小沢さとる」を、青年向けには「小澤さとる」を使用している。海洋SF漫画の先駆者で、多くの漫画家・アニメーターに影響を与えている。ヒット商品となった「ロボダッチ」や「チョロQ」の開発にも携わり、生みの親として知られる。 1950年代半ば、高校在学中にアルバイトを探していた際、知り合いの編集者に「君、器用だから やってみないか」と手塚治虫のアシスタント業務を紹介され、「製図ができるならベタも塗れるだろう」とアシスタントを務める。
大野 元昭(おおの もとあき、1936年(昭和11年)1月2… 大野 元昭(おおの もとあき、1936年(昭和11年)1月28日 - )は、日本の実業家。ライオンズクラブ元国際理事。ゼネラル・サービス元代表取締役社長。大野電機鋳造所元代表取締役社長。祖父は川口市議会元議員の大野元次郎。長男は第61代埼玉県知事の大野元裕。 埼玉県川口市出身。川口市長を務めた大野元美の長男として生まれる。1958年(昭和33年)慶應義塾大学文学部を卒業し、同年4月家業である大野電機鋳造所入社。同年12月専務取締役を経て、1975年(昭和50年)9月代表取締役社長に就任。 1970年(昭和45年)6月ゼネラル・サービス代表取締役社長、1977年(昭和52年)4月日装代表取締役会長に就任。
大野 松茂(おおの まつしげ、1936年(昭和11年)1月1… 大野 松茂(おおの まつしげ、1936年(昭和11年)1月15日 - )は、日本の政治家。衆議院議員(4期)、内閣官房副長官、埼玉県議会議員(2期)、狭山市長(3代)を歴任。狭山市名誉市民。現在は西武文理大学の特命教授である。 埼玉県入間郡入間川町(現・狭山市)に生まれる。大野家は、慶長年間から続く精農家。古くから「花屋」の屋号で知られ、地域からの信頼の厚い旧家であった。1954年3月、埼玉県立川越農業高等学校(現・埼玉県立川越総合高等学校)卒業。以後、家業の農業と資産管理業に従事し、地元の青年団活動にも参加した、1974年1月、狭山市立中央公民館館長。1979年4月、第9回統一地方選挙埼玉県議会議員選挙に無所属(新自由クラブ推薦)で出馬し初当選。
船戸 安之(ふなと やすゆき、1935年10月20日 - 1… 船戸 安之(ふなと やすゆき、1935年10月20日 - 1990年5月7日)は日本の作家。 埼玉県本庄市生まれ。早稲田大学第一文学部国文科卒、同大学院日本文化研究科修士課程修了。埼玉県立熊谷高等学校教師などを務め、1972年小説『蔡琰』で第3回埼玉県文学賞受賞。詩集に『喝采』、評論に「野坂昭如の文体」「野坂昭如と親族」などがある。1988年私小説「ハホー・ピュッ」にて第19回埼玉文芸賞。船戸鏡聖(あきまさ)のペンネームもある。
持田 直武(もちだ なおたけ、1935年10月16日 - )… 持田 直武(もちだ なおたけ、1935年10月16日 - )は、日本のジャーナリストである。NHK解説委員、解説主幹を歴任。 埼玉県立熊谷高等学校、東京大学文学部仏文科卒、東京大学新聞研究所修了。1960年NHK入局。NHK横浜放送局記者を経て、1964年より外信部記者。その間1968年-1969年サイゴン特派員、1969年-1971年メキシコシティー特派員、1975年-1978年ソウル特派員、1984年-1985年ニューヨーク特派員、1985年-1987年ワシントン支局長。その後、1987年NHK解説委員、1990年-1995年解説主幹を歴任。
蜷川 幸雄(にながわ ゆきお、1935年10月15日 - 2… 蜷川 幸雄(にながわ ゆきお、1935年10月15日 - 2016年5月12日)は、日本の演出家、映画監督、俳優。桐朋学園芸術短期大学名誉教授。
南 良和(みなみ よしかず、1935年〈昭和10年〉10月8… 南 良和(みなみ よしかず、1935年〈昭和10年〉10月8日 - )は、日本の写真家。日本写真家協会会員。 埼玉県秩父市出身。東京綜合写真専門学校卒業。幼い頃に喘息を患い引きこもりがちだったが、父親からカメラを渡され、中学生の時から写真を初め、1955年頃から地元の子供や若者、山村風景などをテーマに撮影を続ける。その後東京で写真を学び、故郷に戻る。 自分の地域の慣習や慣習に興味を持ち、年々白黒で写真を撮り、時間の経過とともに観察する変化を注意深く観察し、追跡している。
秋山 武司(あきやま たけし、1935年9月29日 - )は… 秋山 武司(あきやま たけし、1935年9月29日 - )は、埼玉県出身の元プロ野球選手(投手)。 松山高校から1953年に大映スターズに入団。1954年に2勝を挙げるものの、勝ち星はその2勝のみに終わり、1956年に引退。
関口 安義(せきぐち やすよし、1935年9月23日 - )… 関口 安義(せきぐち やすよし、1935年9月23日 - )は、日本近代文学の研究者。都留文科大学名誉教授。
関口 正巳(せきぐち まさみ、1935年8月13日 - )は… 関口 正巳(せきぐち まさみ、1935年8月13日 - )は、埼玉県出身の元プロ野球選手。 熊谷商工高校から1954年に入団。 1955年に大洋ホエールズへ移籍。1958年に再び読売ジャイアンツへ移籍し、同年退団した。
森田 斌(もりた さかん、1935年4月27日 - 2011… 森田 斌(もりた さかん、1935年4月27日 - 2011年6月17日)は、埼玉県出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ。 川越工業高から東芝へ入社するが退社し、中央大学に進学。中大には1年下に小栗秀夫、若生照元(大洋)両投手がおり、外野手としての出場が多かった。東都大学リーグでは、同期の桑田武らと共に1958年春季で5年ぶりの優勝に貢献。同年の大学全日本選手権では、決勝で立大に惜敗し準優勝。大学卒業後は川崎トキコを経て、1962年に大洋ホエールズへ入団。2年目の1963年に21試合登板で2勝を挙げるが、その後は登板機会に恵まれず1964年限りで現役を引退。 引退後は大洋の二軍投手コーチ(1965年, 1967年 - 1968年)・二軍投手コーチ補佐(1966年)を務め、在任中は東大出身プロ野球選手第1号で1年目の新治伸治を指導。
福島 義久(ふくしま よしひさ、1935年〈昭和10年〉3月… 福島 義久(ふくしま よしひさ、1935年〈昭和10年〉3月26日 - 1996年〈昭和10年〉5月6日)は、日本の経済学者。専門は国際経済学、国際貿易論。 1935年に埼玉県北葛飾郡松伏領村(現・松伏町)に生まれる。1953年に埼玉県立本庄高等学校を卒業、1958年に横浜市立大学商学部経済学科を卒業、1961年に慶應義塾大学大学院経済学研究科修士課程を修了、そして1964年に同博士課程を単位取得退学する。1961年に慶應義塾大学商学部副手、1962年に同助手、1968年に同助教授、1977年に同教授となる。国際経済学会に所属し、幹事と理事を務めた。 大学院では山本登の指導を受け、副手となってからは白石孝の指導を受けた。
栃木 孝惟(とちぎ よしただ、1935年2月3日 - )は、… 栃木 孝惟(とちぎ よしただ、1935年2月3日 - )は、日本の国文学者。専門は日本中世文学、特に軍記物語。千葉大学名誉教授。 東京府下谷区生まれ。埼玉県立浦和高等学校を経て、1959年東京大学文学部国文科卒業、1966年、同大学院博士課程単位取得満期退学。1968年千葉大学講師、1970年同助教授、1980年同教授。1998年、定年の1年前に退官、名誉教授、清泉女子大学教授。2005年、清泉女子大学を退職。
飯山 平一(いいやま へいいち、1935年2月3日 - )は… 飯山 平一(いいやま へいいち、1935年2月3日 - )は、埼玉県南埼玉郡春日部町(現:春日部市)出身の元プロ野球選手。 春日部高校から1954年に毎日オリオンズへ入団。 1956年に高橋ユニオンズへ移籍し、1957年は合併した大映ユニオンズに在籍し同年引退。