藤島 秀憲(ふじしま ひでのり、1960年10月9日 - )… 藤島 秀憲(ふじしま ひでのり、1960年10月9日 - )は、日本の歌人。 埼玉県上尾市出身。城西大学附属川越高校、法政大学経営学部卒業。歌誌「心の花」所属。佐佐木幸綱に師事。2002年、「路地生活者」で第48回角川短歌賞佳作。2007年、落語を引用しながら短歌に使われる日本語オノマトペを考察した『日本語の変容と短歌-オノマトペからの一考察』により、第25回現代短歌評論賞を受賞。2010年、老父母の介護や自らの失業などの日常をユーモラスに描いた第一歌集『二丁目通信』により、第54回現代歌人協会賞および第18回ながらみ書房出版賞を受賞。2014年、父の介護と死、長年住んだ家への訣別を描いた第二歌集『すずめ』により、芸術選奨新人賞および第19回寺山修司短歌賞を受賞。
三田 完(みた かん、1956年3月18日 - )は、日本の… 三田 完(みた かん、1956年3月18日 - )は、日本の小説家、俳人。
見目 誠(けんもく まこと、1952年〈昭和27年〉8月27… 見目 誠(けんもく まこと、1952年〈昭和27年〉8月27日 - 2013年〈平成25年〉7月14日)は、日本の翻訳家、俳人、詩歌研究家。埼玉県生まれ。1976年学習院大学文学部卒。同大学院仏文科博士課程単位取得退学。その後高校教諭をしながら、文筆・翻訳活動を行った。日本フランス語フランス文学会、日本翻訳家協会、俳人協会、国際俳句交流協会会員。「馬酔木」、「関西文学」同人。 東京都立九段高等学校、学習院大学を経て、学習院大学大学院でフランス文学を専攻する。高校時代より中原中也、ボードレール、ランボーなどを愛読した。 大学時代には松尾芭蕉に傾倒する。大学院生時代に尾崎放哉の詩に出会う。 大学院退学後、教職に就く傍ら当時海外で知られていなかった日本文学の仏訳に取り組む。
秋尾 敏(あきお びん、1950年4月29日 - )は、埼玉… 秋尾 敏(あきお びん、1950年4月29日 - )は、埼玉県吉川市出身の俳人、俳論家。本名は河合章男。全国俳誌協会会長(5代目)、現代俳句協会副会長。父は俳句結社「軸」を主宰した河合凱夫。 1950年、埼玉県吉川町(現・吉川市)に生まれ、千葉県野田市に育つ。埼玉県立春日部高等学校、埼玉大学教育学部国語国文学科卒業、図書館情報大学大学院博士前期課程 、筑波大学大学院博士後期課程修了、修士(図書館情報学)、博士(情報学)。 1971年、「軸」に入会して俳論を連載する。1991年、第11回現代俳句評論賞受賞。1992年「軸」同人。1999年、凱夫の死去に伴い「軸」主宰を継承。元・大妻女子大学社会情報学部非常勤講師、日本女子大学人間社会学部・家政学部非常勤講師、メディア教育開発センター客員助教授。
王 紅花(おう こうか、1948年6月23日 - )は、歌人… 王 紅花(おう こうか、1948年6月23日 - )は、歌人。本名は松平美津。歌人・画家の松平修文は夫。 埼玉県児玉郡上里町生まれ。埼玉県立熊谷女子高等学校を経て、ロサンゼルス市立大学卒業。 大学在学中に作歌を始め、「ロッキー短歌」「潮音」に出詠。1971年、大学を卒業し、帰国。1978年、松平修文と結婚。1979年2月、個人誌「夏暦」を創刊。1982年、個人誌と同じタイトルの歌集『夏暦』を上梓。 2017年、夫である松平修文が死去。2025年に刊行された歌集のタイトル『緑色の人』は松平のことを指す。
大崎 紀夫(おおさき のりお、1940年- )は、日本の詩人… 大崎 紀夫(おおさき のりお、1940年- )は、日本の詩人、紀行作家、俳人。 埼玉県戸田市生まれ。1963年東京大学文学部仏文科卒、朝日新聞社入社。出版部門を長く経験する。1995年『俳句朝日』編集長。1996年『短歌朝日』創刊編集長となり、『俳句朝日』と編集長を兼任する。1999年退社、顧問となる。2000年「ウェップ俳句通信」編集長。2001年結社「やぶれ傘」を創刊、主宰。釣りに関する著作も多い。
根岸善雄(ねぎし よしお、1939年12月10日 - 202… 根岸善雄(ねぎし よしお、1939年12月10日 - 2022年1月16日)は、日本の俳人。 埼玉県羽生市出身。早稲田大学大学院商学研究科修士課程中退[要出典]。水原秋桜子に師事。1973年「馬酔木」同人[要出典]。公益社団法人俳人協会名誉会員[要出典]。
綾部 光芳(あやべ みつよし、1934年10月17日 - )… 綾部 光芳(あやべ みつよし、1934年10月17日 - )は、日本の歌人。響短歌会主宰。歌誌「響」(隔月刊)編集人。日本短歌協会副理事長。現代短歌協会会員。日本歌人クラブ会員。埼玉県歌人会理事。牧水研究会会員。埼玉県飯能市出身。 1934年10月17日、埼玉県飯能市に生まれる。現在は埼玉県秩父市在住。大野誠夫に師事し、多大な影響を受ける一方で、斎藤茂吉、若山牧水あるいは日本の古典、仏教、文化財などにも傾倒し、幻想と写実の間を漂うような独自の世界を創造し、2012年にはいくつかの例外を除き、一首のなかに一ヶ所のみ漢字を記した短歌を収録した前代未聞の歌集『水月』を上梓するなど、実験的な活動を行うなどして注目されている。
筒井 富栄(つつい とみえ、1930年6月22日 - 200… 筒井 富栄(つつい とみえ、1930年6月22日 - 2000年7月23日)は歌人。 1930年、物理学者・筒井俊正の長女として東京都に生まれる。1943年に跡見高等女学校に入学するが、戦時下のため山梨県甲府市に疎開し、山梨県立第一高等女学校(現山梨県立甲府西高等学校)に転校。終戦後は東京転入規制のため、埼玉県浦和市立高等女学校(現さいたま市立浦和高等学校)に転校する。 1948年に住友銀行東京支社に入社し秘書を務めるが、社会人になってまもなく脊椎カリエスに罹り、2年間寝たきりの生活を送った。快癒後始めた染色を通じて荻野須美子と知己を得、1956年、歌誌「近代」(1963年に「個性」と改題)に入会、加藤克巳に師事する。
河合 凱夫(かわい がいふ、1922年3月8日 - 1999… 河合 凱夫(かわい がいふ、1922年3月8日 - 1999年7月29日)は、埼玉県出身の俳人。本名・由男、旧姓・戸張。別号に鳴弦楼。 北葛飾郡三輪野江村(現吉川市)生まれ。小学校時代、担任の導きで「桜草」に入会し岡安迷子の指導を受ける。1936年、千葉県立野田農学校(現在の千葉県立清水高等学校)在学中に「南柯」(渡辺志豊主宰)野田支部の句会に参加。1940年、戸張錦秋の名で「南柯」同人となる。のち上京して日本専売公社に勤めながら中央大学夜間学部に通い、「南柯」芝支部を結成して支部長となる。1942年専売公社を退職、大学も中退し陸軍予備士官学校に進む。 戦後は「野ぶどう」を主宰、「花俳句」(高梨花人主宰)や「東虹」(大野我羊主宰)を経て1963年に中島斌雄の「麦」入会、1965年同人。
金子 兜太(かねこ とうた、1919年(大正8年)9月23日… 金子 兜太(かねこ とうた、1919年(大正8年)9月23日 - 2018年(平成30年)2月20日)は、埼玉県出身の日本の俳人。現代俳句協会名誉会長。日本芸術院会員。2008年、文化功労者に選出される。小林一茶、種田山頭火の研究家としても知られる。 加藤楸邨に師事した。「寒雷」所属を経て「海程」を創刊し、主宰した。戦後の社会性俳句運動、前衛俳句運動において理論と実作の両面で中心的な役割を果たし、その後も後進を育てつつ第一線で活動した。上武大学文学部教授、現代俳句協会会長などを歴任した。 埼玉県比企郡小川町の母の実家で、父・金子元春と母・はるの長男として生まれる。父の元春は開業医で、「伊昔紅(いせきこう)」の俳号を持つ俳人である。
馬場 移公子(ばば いくこ、1918年12月15日 - 19… 馬場 移公子(ばば いくこ、1918年12月15日 - 1994年2月17日)は、埼玉県出身の俳人。本名は新井マサ子。第25回俳人協会賞受賞。 埼玉県秩父生まれ。実家は蚕種屋。旧制秩父高等女学校(現秩父高等学校)卒。1940年結婚。1944年、夫の戦死により実家に戻り、養蚕をして暮らした。1946年、金子兜太の父、金子伊昔紅の指導を受け「馬酔木」に投句、水原秋桜子に師事。馬醉木賞を受賞。「馬酔木」を代表する女性俳人として活躍した。代表句「いなびかり生涯峡を出ず住むか」など。秩父のひそやかな暮らしのなかで独特の孤独感のある句を作った。1985年『峡の雲』により第25回俳人協会賞受賞。1994年、75歳で没。
小島 慶三(こじま けいぞう、1917年(大正6年)3月11… 小島 慶三(こじま けいぞう、1917年(大正6年)3月11日 - 2008年(平成20年)8月30日)は、日本のエコノミスト、思想家、教育者、実業家、官僚、政治家、俳人。参議院議員(1期)。
常見 千香夫(つねみ ちかお、1908年(明治41年)10月… 常見 千香夫(つねみ ちかお、1908年(明治41年)10月31日 - 1988年(昭和63年)1月4日)は、埼玉県浦和町(現・さいたま市)出身の歌人。 旧制浦和中学校(現埼玉県立浦和高等学校)、東京薬学専門学校(現東京薬科大学)卒業。 浦和中学校在学中、加藤克巳らとともに、「菁藻」にて同校教諭であった高橋俊人に学ぶ。1927年(昭和2年)、村野次郎主宰の「香蘭」入社。1933年、「短歌至上主義」創刊に参加。 1940年、伝説的な合同歌集『新風十人』(八雲書林)に参加。参加者は、常見のほかに五島美代子、筏井嘉一、加藤将之、佐藤佐太郎、斎藤史、館山一子、坪野哲久、福田栄一、前川佐美雄であった。 戦後1946年、加藤克巳、大野誠夫と「鶏苑」を創刊するが、1953年廃刊、以後作歌生活を断った。
斎藤 茂八(齋藤 茂八、さいとう もはち、1885年〈明治1… 斎藤 茂八(齋藤 茂八、さいとう もはち、1885年〈明治18年〉9月18日 - 1964年〈昭和39年〉8月19日)は、日本の地方政治家、薬剤師、俳人。埼玉県熊谷町長・熊谷市長を務めた。位階は従六位。勲五等瑞宝章。 幼名は清治、俳号は「紫石」。 埼玉県大里郡熊谷町鎌倉町(現・熊谷市)で斎藤今助の長男として生まれた。実家は薬種商だった。 旧制埼玉県立熊谷中学校(現・埼玉県立熊谷高等学校、1902年卒業)を経て、旧制千葉医学専門学校薬学科(現・千葉大学薬学部薬学科)を卒業し家業を継いだ。 1912年(明治45年)青年組織壬子倶楽部を結成し政治活動を始めた。1913年(大正2年)から熊谷町会議員に2期在任。
穂積 歌子(ほづみ うたこ、文久3年8月24日(1863年1… 穂積 歌子(ほづみ うたこ、文久3年8月24日(1863年10月6日) - 昭和7年(1932年)1月31日)は、日本の歌人。夫は法学者の男爵穂積陳重。父は「日本経済の父」子爵・渋沢栄一。 武蔵国榛沢郡血洗島村(現埼玉県深谷市血洗島)の豪農渋沢市郎右衛門の嫡男だった栄一と最初の妻・千代の長女として生まれる。明治15年(1882年)、旧宇和島藩伊達家家令を務めていた西園寺公成のとりなしで、同藩士族の穂積陳重に嫁ぎ、長男・穂積重遠(結婚翌年に誕生)を始めとする4男3女を産み育て(1人夭折)「良妻賢母の鑑」といわれた。婦人会活動も盛んで、大日本赤十字社や愛国婦人会の会員だったほか、慈恵委員慈恵会では幹事、出征軍人家族慰問婦人会では理事を務めた。
中島 歌子(なかじま うたこ、1845年1月21日(弘化元年… 中島 歌子(なかじま うたこ、1845年1月21日(弘化元年12月14日) - 1903年(明治36年)1月30日)は、日本の歌人。和歌と書を教える私塾「萩の舎」を主宰し、明治時代の上流・中級階級の子女を多く集め、成功した。歌人としてより、樋口一葉、三宅花圃の師匠として名を残している。 1845年1月21日(弘化元年12月14日)、武蔵国入間郡森戸村(現・埼玉県坂戸市)に生まれる。父・中島又衛門は農民ながら村名主であり豪商。母・福島いく(幾子)の実家も江戸通いの船で商売をしていた幕府御用達の豪商で、いくは川越藩の奥に仕えていたこともある。 歌子が生まれてほどなく江戸の牛込揚場町に移り住む。歌子の親戚(『坂戸人物誌』)や藤井公明(『続樋口一葉研究』)によると、両親は小石川安藤坂の伝通門前にあった水戸藩御用達宿「池田屋」の加藤佐右衛門の夫婦養子となり(形式上の養子であり実質上は買収)、1850年代に家族で小石川の屋敷に居住するようになる。