内山 晶太(うちやま しょうた、1977年1月9日 - )は… 内山 晶太(うちやま しょうた、1977年1月9日 - )は、日本の歌人。千葉県八千代市出身。「短歌人」所属。 1992年より作歌をはじめる。1998年、「風の余韻」で第13回短歌現代新人賞受賞。2012年、第1歌集『窓、その他』を刊行。翌2013年、同歌集で第57回現代歌人協会賞を受賞。 短歌結社「短歌人」および、歌誌「pool」に所属。2017年、「短歌人」編集委員に就任。また、短歌同人誌「外出」(2019年創刊)メンバーでもある。2021年、総合誌『短歌』(角川文化振興財団)にて上半期の「歌壇時評」を担当。 2025年には砂小屋書房の運営するサイト「日々のクオリア」にて隔日で一首評を連載。
上崎 洋一(うえさき ひろかず、1972年5月13日 - )… 上崎 洋一(うえさき ひろかず、1972年5月13日 - )は、日本の作家、編集者、俳人。 ペンネームは日野 百草(ひの ひゃくそう)。千葉県野田市生まれ。東京都日野市在住。日本ペンクラブ広報委員会委員、現代俳句協会会員、MFA(芸術修士)。 野田市立南部中学校、常総学院高等学校卒業。デイリースポーツ、産業金融新聞、ナイタイを経て、角川書店『コンプティーク』に猿1号、上崎よーいち等の名義でパソコンゲームのリプレイ小説、アニメ、声優関係のコラムを執筆。のち『メガストア』のアニメ担当を経てコアマガジンの編集人となり、『G-type』『ティアラ!』等のアニメ雑誌や『シャルロット〜Charlotte〜』シリーズ等の原作、シナリオも手掛けた。
田中 拓也(たなか たくや、1971年12月22日 - )は… 田中 拓也(たなか たくや、1971年12月22日 - )は、日本の歌人。短歌結社竹柏会「心の花」編集委員。現代歌人協会会員。日本歌人クラブ会員。茨城県歌人協会会員。千葉県柏市生まれ。全国高校生短歌大会審査員。
松本 典子(まつもと のりこ、1970年2月6日 - )は、… 松本 典子(まつもと のりこ、1970年2月6日 - )は、歌人。千葉県鴨川市出身。 千葉県立安房高等学校、早稲田大学教育学部国語国文学科卒業後、国立能楽堂を経て国立劇場に勤務する。1997年に短歌をはじめ、同年短歌結社「かりん」入会、馬場あき子に師事。2000年、第20回かりん賞、第46回角川短歌賞受賞。2003年、第一歌集『いびつな果実』で第4回現代短歌新人賞受賞。現代歌人協会会員。日本歌人クラブ会員。日本文藝家協会会員。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
鴇田 智哉(ときた ともや、1969年5月21日 - )は俳… 鴇田 智哉(ときた ともや、1969年5月21日 - )は俳人。千葉県木更津市生まれ。上智大学文学部哲学科卒業、東洋大学大学院博士前期課程修了。1996年、「魚座」に入会、今井杏太郎に師事。2001年、「かなしみのあと」50句により第16回俳句研究賞受賞。2005年、第一句集『こゑふたつ』刊行、同句集で第29回俳人協会新人賞受賞。2006年、「魚座」終刊に伴い鳥居三朗の「雲」入会、編集長を務める。2013年、「雲」を退会し無所属。2015年、田島健一、宮本佳世乃、生駒大祐とともに季刊同人誌「オルガン」を創刊。同年、第二句集『凧と円柱』で第6回田中裕明賞受賞。 「水入れてコップの水の冬めける」「畳から秋の草へとつづく家」「人参を並べておけば分かるなり」など、師である今井杏太郎の恬淡とした句風を受け継ぎつつ、現実のパースペクティブを狂わせるような独特の作品を発表している。
小川 軽舟(おがわ けいしゅう、1961年2月7日 - )は… 小川 軽舟(おがわ けいしゅう、1961年2月7日 - )は、日本の俳人。 本名は小川浩昭(おがわ ひろあき)。千葉県千葉市生まれ。1984年、東京大学法学部卒業、日本開発銀行(現:日本政策投資銀行)に入行、全国あちこちに転勤する。 2011年、大阪の阪神電鉄に転籍。2024年現在、常務取締役。 東京大学卒業後に山本健吉の『現代俳句』を読んで俳句を志し、1986年に「鷹」に入会、藤田湘子に師事。この際に李白の七言絶句『早発白帝城』中から取った「軽舟」を号とした。 1999年、退会した小澤實の跡を継いで「鷹」編集長就任。2001年、第一句集『近所』により第25回俳人協会新人賞。 2004年、『魅了する詩型 - 現代俳句私論』で第19回俳人協会評論新人賞。
米川 千嘉子(よねかわ ちかこ、1959年10月29日 - … 米川 千嘉子(よねかわ ちかこ、1959年10月29日 - )は、日本の歌人。 千葉県野田市生まれ。千葉県立東葛飾高等学校、早稲田大学第一文学部日本文学科卒業、早稲田大学国語国文学専攻科修了。 大学在学中に武川忠一が顧問を務める「短歌研究会」に所属し、内藤明、島田修三、小島ゆかりらと活動した。1979年、短歌結社「かりん」に入会し馬場あき子に師事。「慎重、丁寧な心づかいから生れる物言いに柔軟さと芯の強さをみせる歌人」「一つの歌材に対して深く思い入り、時間をかけて自分のものにするところに信頼がもてる」とは、その馬場による米川評である。 毎日新聞、信濃毎日新聞他歌壇選者。短歌研究新人賞、現代短歌新人賞選考委員。
坂口 弘(さかぐち ひろし、1946年11月12日 - )は… 坂口 弘(さかぐち ひろし、1946年11月12日 - )は、日本の新左翼活動家、元連合赤軍中央委員会書記長(連合赤軍のナンバー3)、歌人、テロリスト。確定死刑囚。 千葉県富津市出身。中学1年の時に父親を病気で亡くす。子供の頃は日本共産党の動向に関心を持ち、60年安保においては民主社会党を支持していた。 千葉県立木更津高等学校卒業後、1965年4月に東京水産大学水産学部増殖学科(現東京海洋大学海洋科学部)に入学、水泳部に所属する。同部に所属していた川島豪に近づくためだった。当時4年生で自治会で後援会費闘争を行っていた川島を慕うようになる。その後、日韓条約反対闘争に参加し初めての集会とデモを経験。
日高 堯子(ひたか たかこ、1945年6月29日 - )は、… 日高 堯子(ひたか たかこ、1945年6月29日 - )は、日本の歌人。歌誌「かりん」編集委員。同人誌「鱧と水仙」同人。 千葉県夷隅郡中川村(現・いすみ市)に生まれる。1964年(昭和39年)、千葉県立千葉女子高等学校を卒業後、早稲田大学教育学部国語国文科に入学。1968年(昭和43年)に卒業。卒論は「堤中納言物語」に関する論文だった。 1970年(昭和45年)、日高昭二(神奈川大学教授、日本近代文学会代表理事)と結婚。1974年(昭和49年)から公立図書館に勤務し、そこで現代歌人の歌集に触れたことから、作歌活動を始める。 1979年(昭和54年)2月、歌誌「かりん」に参加し、馬場あき子に師事する。
秋葉 四郎(あきば しろう、1937年(昭和12年)5月18… 秋葉 四郎(あきば しろう、1937年(昭和12年)5月18日 - )は、日本の歌人・文芸評論家・随筆家・教育者。学位は、文学博士。短歌結社「歩道」編集長、斎藤茂吉記念館館長、日本歌人クラブ顧問(第6代会長)。千葉県出身。 第一歌集『街樹』における時代の息吹を反映した新鮮な詠風から出発し、以後現在に至るまで旺盛な作歌活動を続けている歌人。1966年(昭和41年)に「歩道」に入会し佐藤佐太郎に師事。都市風景や現代の世相を鋭敏な感覚で捉えた作品に優れたものが多く、雄渾な歌風を特色とする。また、オーロラ、鯨など、従前の歌人が対象とすることのなかった海外詠も多く、作品の幅が広い。1970年代(昭和40年代後半)から十数年間、歌人佐藤佐太郎を献身的に支え、その随聞をまとめた『短歌清話』上下二巻は、佐藤佐太郎の純粋短歌の世界を余すところなく伝える好著である。
秋元 大吉郎(あきもと だいきちろう、1927年(昭和2年)… 秋元 大吉郎(あきもと だいきちろう、1927年(昭和2年)4月16日 - 2023年(令和5年)12月19日)は、日本の政治家、俳人。元千葉県流山市長。 千葉県東葛飾郡流山町(現流山市)出身。旧制東葛飾中学校卒業。流山市議会議員1期、千葉県議会議員2期を経て、1983年(昭和58年)流山市長に当選し、2期務めた。2005年、旭日小綬章受章。 俳人としても知られ、1949年(昭和24年)蕾俳句会結成、高梨花人師より手解きを受く。日本ペンクラブ会員。 2023年12月19日、老衰のため死去。96歳没。
平野 峯郎(ひらの みねろう、1912年9月19日 - 20… 平野 峯郎(ひらの みねろう、1912年9月19日 - 2002年12月22日)は、日本の歌人。千葉県君津郡貞元村生まれ。北原白秋が主宰する多磨短歌会の会員などを経て、1952年より山本康夫に師事。君津市の鹿野山には峯郎の短歌を刻んだ歌碑が建てられている。 1912年、千葉県君津郡貞元村(現・君津市貞元)生まれ。貞元小学校および農業補習学校卒。農村地帯に生まれ、自らも農業を生業としたが、一方で1928年ごろから作歌活動を開始し、雑誌『千葉県青年処女』(千葉県連合青年団)の歌壇(伊藤公平選)や、千葉県農会機関誌『愛土』の歌壇(鈴木康文選)に短歌を投稿する。その後、1940年に北原白秋が主宰する多磨短歌会(1935年結成)の会員となる。
伊藤 源之助(いとう げんのすけ、1909年6月 - 198… 伊藤 源之助(いとう げんのすけ、1909年6月 - 1986年12月20日)は、歌人。
伊藤 公平(いとう こうへい、1901年7月28日 - 19… 伊藤 公平(いとう こうへい、1901年7月28日 - 1984年3月9日)は、日本の歌人、随筆家、小説家、教員。千葉県印旛郡八生村押畑生まれ。吉植庄亮に師事。千葉県歌人クラブでは創設以来、事務所代表を長年務めた。また、出身地である成田市をはじめ、各地で短歌教室を開き指導を続け、後進に大きな影響を与えたと評価される。 1901年、千葉県印旛郡八生村押畑(現・成田市押畑)に父総平、母よねの長男として生まれる。父の総平も歌人であった。少年時代より体が弱く、文学や絵画に親しむようになる。1919年、成田中学校(現・成田高等学校)を卒業して、國學院大學に進学。大学で佐佐木信綱、折口信夫、武田祐吉らの講義を受けて文学的素養を深めたが、同時期に絵画に傾倒し、川端画学校で油絵を学ぶ。
三橋 鷹女(みつはし たかじょ、1899年12月24日 - … 三橋 鷹女(みつはし たかじょ、1899年12月24日 - 1972年4月7日)は、千葉県出身の俳人。本名・たか子。幼名・文子。旧号・東文恵。原石鼎、小野蕪子に師事。戦後、新興俳句系の「俳句評論」等に関わる。口語を駆使した奔放な作風を開拓し、昭和期に活躍した代表的な女性俳人として中村汀女・星野立子・橋本多佳子とともに四Tと呼ばれた。 成田町(現成田市)に、助役として町の発展に貢献した三橋重郎兵衛の末子として生まれる。江戸時代後期の歌人神山魚貫と姻戚関係にある三橋家は代々和歌を嗜んでおり、鷹女は色紙や短冊や扇面などが貼り並べられた屏風を眺めながら育った。 1916年、成田高等女学校(現・成田高等学校)を卒業後、上京して次兄・慶次郎の元に寄寓。
鈴木 康文(すずき こうぶん、1896年3月5日 - 199… 鈴木 康文(すずき こうぶん、1896年3月5日 - 1997年1月27日)は、日本の歌人。千葉県匝瑳郡栄村堀川生まれ。『橄欖』主宰者の吉植庄亮に師事し、吉植の没後は『橄欖』代表となった。九十九里浜に面する農村に生まれ、農業を続けながら海と農村の歌を詠み続けた農民歌人として知られる。代表歌集に『九十九里』、『新九十九里』、『続々九十九里』などがある。 出生時の名前は鈴木義雄であり、1927年に鈴木康文(すずき やすぶみ)に改名した。歌人としての読みは康文(こうぶん)。 1896年、千葉県匝瑳郡栄村堀川(現・匝瑳市)の農家に生まれる。旧制中学校を卒業。14歳より作歌をはじめ、文芸誌の『文章世界』(博文館)、『秀才文壇』(文光堂)などに入選。
細井 魚袋(ほそい ぎょたい、1889年1月2日 - 196… 細井 魚袋(ほそい ぎょたい、1889年1月2日 - 1962年11月2日)は、日本の歌人。千葉県君津郡巌根村大字高柳字大海道(現・木更津市高柳)生まれ。尾上柴舟に師事した。 1889年、農家の三男として生まれる。千葉県立木更津中学校(現・木更津高等学校)在学中の1909年ごろより尾上柴舟に師事。1911年3月に卒業。1913年ごろより君津郡役所に勤務する。 1914年、尾上柴舟が歌誌『水甕』を創刊すると、これに参加。のちに主要同人となり、選者も務めた。 1921年、朝鮮総督府への出向が決まり、朝鮮半島に渡る。1922年、病気で入院中に、同じ病院に入院していた市山盛雄(1897-1988)と出会った。
蕨真一郎(わらび しんいちろう、1876年〈明治9年〉8月2… 蕨真一郎(わらび しんいちろう、1876年〈明治9年〉8月20日 - 1922年〈大正11年〉10月14日)は、日本の歌人・造林家。号は蕨真(けっしん)、礎山(そざん)。 上総国武射郡埴谷村(現在の千葉県山武市)出身。五代続く林業家で、県内有数の大山林地主であった。 東金の漢学者・吉井宗元の漢学塾「南総斯文学会」に学ぶ。1901年(明治34年)、同じ武射郡出身で友人であった伊藤左千夫の紹介により、正岡子規の門下生となる。子規没後の1903年(明治36年)、根岸短歌会の機関誌『馬酔木』の編集委員となる。真一郎は『馬酔木』創刊にあたっての有力な経済的支援者だった。1906年(明治42年)に埴岡短歌会を設立し、地元歌人の作品を『馬酔木』上で紹介するようになった。
香取 秀真(かとり ほつま、1874年1月1日 - 1954… 香取 秀真(かとり ほつま、1874年1月1日 - 1954年1月31日)は日本の鋳金工芸作家、歌人である。学問としての金工史を確立し、研究者としても優れた。日本における美術の工芸家として初の文化勲章を受章。東京美術学校(現在の東京藝術大学)教授、芸術院会員。 帝室博物館(現在の東京国立博物館)技芸員、国宝保存会常務委員、文化財審議会専門委員などを歴任。秀真は雅号で、本名は秀治郎。金工の人間国宝である香取正彦は長男。 千葉県印旛郡船穂村(現在の印西市)に生まれるも、5歳で佐倉の麻賀多神社の宮司、郡司秀綱の養子となる。一時両親のもとに帰るが、7歳からの10年間を佐倉で過ごす。佐倉周辺は遺跡や古い寺院が多く、秀真は、幼い頃から古代への関心を抱いていた。
伊藤 左千夫(いとう さちお、本名:伊藤 幸次郎、1864年… 伊藤 左千夫(いとう さちお、本名:伊藤 幸次郎、1864年9月18日〈元治元年8月18日〉- 1913年〈大正2年〉7月30日)は、日本の歌人、小説家。明治期に活躍した。 明治法律学校(現・明治大学)で学ぶが、眼病のため中退し帰郷。再度上京し、1889年に牛乳搾取業を始めた。 短歌に関心をもったのは1893年頃で、正岡子規の『歌よみに与ふる書』に感動、1900年に門人となった。子規没後は、根岸短歌会の中心となり、「馬酔木」「アララギ」を創刊、アララギ派の基礎を作った。1905年には、純愛小説『野菊の墓』を発表、夏目漱石にも激賞された。 晩年には、感情の直接的表現と、熱情の奔流を主張する「叫び」の説を唱えた。