内柴 正人(うちしば まさと、1978年6月17日 - )は… 内柴 正人(うちしば まさと、1978年6月17日 - )は、日本の柔道家、格闘家、柔術家。アテネオリンピック・北京オリンピック柔道男子66kg級金メダリスト。九州看護福祉大学元女子柔道部コーチ、同大学元客員教授、元キルギス柔道連盟総監督。 熊本県菊池郡合志町(現・合志市)出身、同県八代市在住。9歳で柔道を始める。そのきっかけは「兄に喧嘩で勝つ為」だった。得意技は巴投。尊敬する選手は柔道家の野村忠宏。身長157cm、体重66kg。血液型はB型。 国士舘高等学校を経て国士舘大学体育学部卒業後、旭化成に入社した。2004年に開催されたアテネオリンピックや、2008年に開催された北京オリンピックでは、それぞれ柔道男子66kg級にて金メダルを獲得した。
高橋 宏明(たかはし ひろあき、1976年4月12日 - )… 高橋 宏明(たかはし ひろあき、1976年4月12日 - )は、日本の柔道家(七段)。東京都出身。 得意技の内股や大外刈を武器に現役時代はアジア選手権優勝や全日本選手権ベスト8という成績を残し、引退した現在は講道館等の指導員を務める。娘の高橋瑠璃は2019年の世界ジュニア78㎏超級で優勝した。 東京都江戸川区出身。国士舘中学校・高等学校を経て、大学は中央大学へ。 当時の中央大学は津沢寿志監督のもと柔道部強化の盛りで、高橋らが入学した頃から全日本学生優勝大会でも上位の常連となった。また個人戦でも全日本学生体重別選手権で1995年,96年と3位に入り、4年次の1997年には決勝戦で日本大学の上口孝太を破り優勝を果たした。
堤 時貞(つつみ ときさだ、1976年4月6日 - )は、福… 堤 時貞(つつみ ときさだ、1976年4月6日 - )は、福岡県出身の日本の柔道選手である。階級は60kg級。身長162cm。 曽根中学2年と3年の時に全国中学校柔道大会の55kg級で2連覇を達成した。国士舘高校へ進むと、3年の時にはインターハイの軽量級で優勝した。1995年に国士舘大学へ進学すると、1年の時には正力杯60kg級の決勝で東海大学3年の徳野和彦に敗れるも2位となった。続くジュニア体重別では3位だったが、正力国際では決勝で日体大2年の関口幸三を破って優勝を飾った。2年の時には正力杯、講道館杯、チェコ国際でそれぞれ3位になった。世界ジュニアでは7位に終わった<3年の時には体重別で3位になるが、講道館杯では決勝で神奈川県警の徳野に敗れた。
小嶋 新太(こじま あらた、1975年4月24日 - )は、… 小嶋 新太(こじま あらた、1975年4月24日 - )は、神奈川県出身の、日本の柔道選手である。階級は100kg級。身長180cm。 弦巻中学に入学して講道学舎の所属となると、3年の時には近代柔道杯とマルちゃん杯の団体戦で2位になった。全国中学校柔道大会には都予選で国士舘中学に敗れて出場できなかった。世田谷学園高校へ進むと、1年の時には金鷲旗で3位、インターハイ団体戦では決勝で天理高校と対戦すると、大将戦で190cm、150kgの竹之下勝正に崩袈裟固で敗れて2位に終わった。全国高校選手権の団体戦では1学年上の瀧本誠や小斎武志とともに活躍して優勝した。2年の時には金鷲旗とインターハイでも優勝して、5年ぶり3度目の高校団体3冠(高校選手権、金鷲旗、インターハイ)を達成した。
石橋 千里(いしばし ちさと、1973年8月15日 -)は、… 石橋 千里(いしばし ちさと、1973年8月15日 -)は、東京都豊島区池袋出身の日本の柔道家。現役時代は66kg級の選手。身長166cm。段位は四段。現姓は通場。 小学校4年の時にロサンゼルスオリンピックで金メダルを獲得した山下泰裕をテレビで見て柔道に興味を抱き、自宅近くにあった山口香の出身道場として知られる豊道館西村道場で柔道を始めることになった。池袋中学から修徳高校に進むと、1年の時に全国高校選手権66kg級で3位となった。3年の時にはインターハイ団体戦と国体少年女子の部でそれぞれ3位になった。卒業後は埼玉大学で野瀬清喜の指導を受けたかったものの、弟の高校進学と重なったために断念して、埼玉大学とも交流のあるあさひ銀行所属となった。
鉄谷 竜三(てつや りゅうぞう、1972年4月22日 - )… 鉄谷 竜三(てつや りゅうぞう、1972年4月22日 - )は、熊本県出身の日本の柔道選手である。階級は78kg級。身長170cm。 柔道私塾の講道学舎に入るために上京すると、弦巻中学へ通うことになった。3年の時には全国中学校柔道大会の団体戦で3位になった。世田谷学園高校へ進むと、1年の時には全国高校選手権の団体戦で1年先輩の松本昌広や阿武貴宏、同級生の田辺勝とともに活躍して優勝を飾った。2年の時には金鷲旗で優勝するが、インターハイの団体戦では予選リーグで敗れて2年ぶり3度目の高校団体3冠(高校選手権、金鷲旗、インターハイ)はならなかった。全国高校選手権ではエースの田辺などとともに優勝を勝ち取った。
天野 安喜子(あまの あきこ、1970年10月31日 - )… 天野 安喜子(あまの あきこ、1970年10月31日 - )は、東京都江戸川区出身の柔道家、花火師で鍵屋15代目宗家。国際柔道連盟審判員の資格を持つ。柔道七段を取得。全日本柔道連盟審判委員会副委員長および講道館評議員を務める。日本大学大学院芸術学研究科芸術専攻博士後期課程修了。博士(芸術学)。 柔道は小学校1年の時に父親が自宅に富道館天野道場を開設したことがきっかけで、姉と共に始めた。その後、共立女子中学に進むが、「お嬢様学校」と言われるだけあって柔道とは全く関わりあいのない学校だったために、大会に出場できるように名前だけの柔道部を設置してもらった。この頃は講道館でもよく稽古を行った。また、父親がプレハブ小屋にウェイトトレーニング場を設置したこともあって、そこでよくウェイトトレーニングを積んでいた。
鈴木 香(すずき かおり、1969年11月22日 - )は、… 鈴木 香(すずき かおり、1969年11月22日 - )は、東京都江東区出身の日本の柔道家。現役時代は72kg超級の選手。身長165cm。体重95kg。得意技は寝技。妹の美佐子も72kg超級の強化選手だった。 江東区で生まれたが、幼稚園の時に千葉の松戸へ移った。松戸馬橋高校に入学した時点でかなり太っていたこともあって痩せるために柔道を始めてみたが、監督である菊川慶一の指導の下で1年もしないうちに全国高校選手権60kg超級で優勝するまでになった。2年の時には強化選手選考会72kg超級で優勝すると、福岡国際でも3位となった。3年の時には金鷲旗の女子個人戦で優勝を飾った。1988年に筑波大学に進学すると、正力杯で2連覇を達成した。
乙黒 靖雄(おとぐろ やすお、1968年7月22日 - )は… 乙黒 靖雄(おとぐろ やすお、1968年7月22日 - )は、東京都出身の日本の柔道選手(柔道家)。現役時代は60kg級の選手。身長168cm。 池内道場で柔道を始めた。三鷹市立第一中学校から東京農業大学第一高等学校へ進むが、この当時大きな実績を上げることはなかった。日本体育大学に進むと、1年の時に全日本学生柔道体重別選手権大会(正力杯)60kg級で3位になった。2年の時には全日本ジュニア柔道体重別選手権大会(新人体重別)で優勝を飾った。4年の時には講道館杯全日本柔道体重別選手権大会、全日本選抜柔道体重別選手権大会、正力杯で3位になった。正力松太郎杯国際学生柔道大会の決勝では韓国の金鐘萬と対戦すると、肘を負傷したため医師の診断を受けた。
小川 直也(おがわ なおや、1968年3月31日 - )は、… 小川 直也(おがわ なおや、1968年3月31日 - )は、日本の男性柔道家、元総合格闘家、元プロレスラー、体育学者、YouTuber。東京都杉並区出身。学位は体育学修士(筑波大学大学院・2013年)。 全日本柔道選手権では7度の優勝(山下泰裕に次ぐ歴代2位)、世界柔道選手権では100超級と無差別級の2階級制覇(1989年)を含む4度の優勝、バルセロナオリンピックでは銀メダルを獲得。現役時代はJRA職員として活躍。長男は柔道家で2018年世界柔道選手権代表の小川雄勢。 私立八王子高等学校の面接試験の際には、体格のよさを後に恩師となる面接官の小野実に見込まれて、入学したら柔道をやってみないかと問われた際に、本当はラグビーに興味を持っていたが、印象を良くするために柔道をやってみたいと答え、無事合格を果たした。
金野 潤(こんの じゅん、1967年3月20日 - )は、日… 金野 潤(こんの じゅん、1967年3月20日 - )は、日本の柔道家。選手として全日本選手権やアジア大会での優勝経験を持ち、日本大学柔道部監督および文理学部准教授を務める。 東京都文京区に生まれ幼少時に埼玉県浦和市(のちのさいたま市)へ転居し、同県川口市で成長。市立芝中学校へ入学した当初の入部第1希望は水泳部だったが、すでに水泳部が定員で空きが無かったため、第2希望の柔道部に回されたのが柔道を始めるきっかけとなった。しかし中学時代の金野は芽が出ず、周囲の部員がスムーズに昇級・昇段する中、金野は昇級審査に2回、昇段審査に3回落ちたほか、先輩部員からも柔道部特有のかわいがり(いわゆるシゴキ)を受けている。
金野 潤(こんの じゅん、1967年3月20日 - )は、日… 金野 潤(こんの じゅん、1967年3月20日 - )は、日本の柔道家(講道館5段)
北田 典子(きただ のりこ、1966年8月10日 - )は、… 北田 典子(きただ のりこ、1966年8月10日 - )は、東京都中央区出身の日本の柔道家。世田谷学園高校を経て、日本体育大学体育学部武道学科卒業。現役時代は61kg級の選手。旧姓は持田。兄は監督として母校の世田谷高学園高校を何度も全国優勝に導いた持田治也であり、また、従兄には世界選手権で2位になったことのある持田達人がいる。身長162cm。得意技は内股、小内刈。
鏑木 文隆(かぶらぎ ふみたか、1965年12月13日 - … 鏑木 文隆(かぶらぎ ふみたか、1965年12月13日 - )は、千葉県出身の日本の柔道選手である。階級は78kg級。身長171cm。 足立学園高校から日本体育大学へ進むと、1年の時に正力杯78kg級で3位になったとされている。2年の時には正力杯で3位、正力国際では決勝で東海大学3年の松田亮一に判定で敗れて2位だった。3年の時には講道館杯の決勝で福岡大学教員の高野裕光に有効で敗れた。正力杯では優勝すると、正力国際でも決勝で松田を判定で破って優勝を飾った。また、フィンランド国際とブルガリア国際でも優勝した。4年の時には正力国際の決勝でソ連のバシール・ワラエフに判定で敗れた。1988年には慶應義塾高校の体育科教員になると、講道館杯で3位になった。
山口 香(やまぐち かおり、1964年12月28日 - )は… 山口 香(やまぐち かおり、1964年12月28日 - )は、日本の柔道家(2020年8月現在、七段)、体育学者。学位は博士(生命医科学、山梨大学)、体育学修士(筑波大学大学院・1989年)。筑波大学人間総合科学学術院 人間総合科学研究群 スポーツウエルネス学教授。 1988年ソウルオリンピックで銅メダルを獲得した。全日本柔道連盟女子強化委員、日本オリンピック委員会理事、コナミ取締役、日本学術会議会員、筑波大学柔道部女子監督を歴任。得意技は小内刈。 東京都豊島区で出生し、欧州と米国が強く日本人の勝利が少なかった時期に第3回世界選手権で日本人女性柔道家として史上初の金メダルを獲得している。 現役時代は「女三四郎」と称賛された。
宮腰 裕之(みやこし ひろゆき、1960年7月21日 - )… 宮腰 裕之(みやこし ひろゆき、1960年7月21日 - )は、北海道出身の、日本の柔道選手である。階級は71kg級と78kg級。身長172cm。 国士舘高校2年の時にインターハイの中量級で2位となった。東海大学2年の時には新人体重別71kg級で同じ東海大学の久野裕久を破って優勝を飾った。4年の時には講道館杯で3位だったが、正力杯では天理大学の鴨川裕美を破って優勝した。嘉納杯では決勝で東海大学大学院の中西英敏に敗れて2位だったものの、フィンランドのユヴァスキュラで開催された世界学生では個人戦と団体戦で2冠を達成した。初開催となった正力国際でも78kg級の初代チャンピオンになった。 1983年には警視庁の所属となると、講道館杯で3位になった。
西村 昌樹(にしむら もとき、1947年6月8日 - )は、… 西村 昌樹(にしむら もとき、1947年6月8日 - )は、千葉県出身の日本の柔道家。身長185cm。体重115kg。 1966年日本大学第一高等学校卒業、拓殖大学卒業。1972年の全日本選手権3位。ミュンヘンオリンピック柔道男子重量級銅メダリスト。 (階級表記のない大会は全て重量級での成績)
小田 常胤(おだ つねたね、1892年3月10日 - 195… 小田 常胤(おだ つねたね、1892年3月10日 - 1955年2月11日)は、日本の柔道家(講道館9段)。 立ち技を中心にして隆盛を極めた大正・昭和期の講道館にあって、それまでの古流柔術等を更に発展させた常胤流と呼ばれる独自の寝技技術を構築、旧制第二高校や旧制第四高校を指導して高専柔道の発展に大きく貢献し、寝技の大家と知られた。なお、名の正確な読みは「つねたね」だが、文献によっては「じょういん」とも記されており、海外でもそちらの名がよく通っている。 山梨県南都留郡船津村(のちの河口湖町、富士河口湖町)の浅川に生まれた。当時の南都留郡には中学校が無かったため、親族を頼って静岡県立沼津中学校(のちの静岡県立沼津東高等学校)に入学し、ここで柔道を始めた。
中野 正三(なかの しょうぞう、1888年1月6日 - 19… 中野 正三(なかの しょうぞう、1888年1月6日 - 1977年12月22日)は、日本の柔道家(十段)。内股の名人として有名である。 新潟県五泉町(現:五泉市)で出生。17歳で上京し講道館に入門。また東京正規英語学校(現:正則学園高等学校)を経て日本大学殖民科で学ぶ。 自然体から左右の内股・跳腰等は後の柔道発展に大きな影響を与えた。 伝説と呼ばれるほどの中野の内股は柔道形にある後ろに崩して投げる技とは違い、腰で跳ね上げるタイプの内股であった。相手が左極端でも右極端でも、押していても引いていても投げられたという。 「新しく内股をやり始めたと言っても、その基礎は跳腰でやっていたから、そんなに苦労はなかった」、「内股は、胸と腰さえ取れば、それほど足を突っ込まなくてもかかる。
伊藤 徳五郎(いとう とくごろう、1878年(明治11年)-… 伊藤 徳五郎(いとう とくごろう、1878年(明治11年)- 1939年(昭和14年)1月22日)は、日本人の柔道家・プロレスラーである。「キューバの四天王」の一人。 ウェッブサイト "Cageside Seats" でジョン・S・ナッシュは、キューバの四天王はブラジルにおける「MMAの父」であった、との考えを述べている。 秋田県の南外(後の大仙市南外)坊田で、代々肝煎や村役人を務めてきた造り酒屋の地主・伊藤多吉の長男として生まれた。 坊田小学校を卒業し、秋田尋常中学校に進学するが同校のストライキの影響で退学し、東京の錦城中学校へと転学して卒業した。その後早稲田大学へ入学して本格的に柔道を始めるが、大学と柔道の両立に苦しみ中央大学、明治大学と転学して1902年(明治35年)に中退した。
渋谷 恒男(しぶや つねお)は、東京都出身の、日本の柔道選手… 渋谷 恒男(しぶや つねお)は、東京都出身の、日本の柔道選手である。階級は95kg超級。現役時代は身長188cm。体重120kg。 入谷中学から日大一高を経て日本大学へ進学した。1年の時から3年連続で優勝大会で3位に貢献して優秀選手にも選ばれた。3年の時には正力国際95kg超級の決勝で秋田経済法科大学3年の渡辺浩稔を腕挫腕固で破って優勝した。4年の時には優勝大会で村上修司、金野潤、持田達人などとともに活躍して優勝を飾った。一方、正力杯では3位、正力国際では決勝で世界選手権3位であるソ連のグリゴリー・ベリチェフに崩上四方固で敗れて2位にとどまった。大学を卒業後は帝京大学の教員となった。 (出典、JudoInside.com)。
中村 美里 は、日本の柔道家。柔道六段。柔道の組み手は左組み… 中村 美里 は、日本の柔道家。柔道六段。柔道の組み手は左組み。2009年、2011年、2015年世界柔道選手権大会王者。
佐藤 みずほ(さとう みずほ)は、日本の女子柔道選手である。… 佐藤 みずほ(さとう みずほ)は、日本の女子柔道選手である。東京都出身。階級は63kg級。組み手は右組み。得意技は大外刈。 藤村女子中学3年の時に全国中学校柔道大会の63㎏級に出場するが、3回戦で大成中学3年の鍋倉那美に払腰で敗れた。藤村女子高校2年の時にはインターハイの初戦で敗れた。全国高校選手権では5位となった。3年の時には東京予選決勝で敗れてインターハイには出場できなかったが、関東高校柔道大会で優勝した。2016年には三井住友海上の所属となった。2017年の実業個人選手権では決勝で会社の同期の鍋倉那美に技ありで敗れて2位だった。講道館杯では3回戦で筑波大学4年の津金恵に反則負けを喫した。2018年のアジアオープン・台北ではオール一本勝ちして国際大会初優勝を飾った。