井上 ヨシマサ(いのうえ ヨシマサ、1966年7月18日 -… 井上 ヨシマサ(いのうえ ヨシマサ、1966年7月18日 - )は、日本の作曲家・編曲家・シンガーソングライターである。兄は作曲・編曲家、音楽プロデューサーとして活動している井上日徳。東京都出身。
東京都:134人
井上 ヨシマサ(いのうえ ヨシマサ、1966年7月18日 -… 井上 ヨシマサ(いのうえ ヨシマサ、1966年7月18日 - )は、日本の作曲家・編曲家・シンガーソングライターである。兄は作曲・編曲家、音楽プロデューサーとして活動している井上日徳。東京都出身。
末村 謙之輔(すえむら けんのすけ、Suemura Kenn… 末村 謙之輔(すえむら けんのすけ、Suemura Kennosuke、1966年1月29日 - )は、日本のゲームミュージック作曲家、編曲家。東京都中野区出身。 中学生の頃からバンド活動を始め、20歳の時に渡米しミュージシャンズ・インスティチュート(MI)に留学。同時に作曲・オーケストレーションなどを学ぶ。帰国後はサウンドクリエイターとして、ゲームミュージック・劇伴音楽を中心に活動。1996年には収録スタジオであるスタジオPJを設立。 2009年にバンダイナムコエンターテインメントから発売された『スーパーロボット大戦K』で作曲を担当した一部のオリジナルBGMに、他社制作のゲームの楽曲の盗用が発覚し、開発チーム及びメーカー側が公式に謝罪する事態となった。
高橋 利光(たかはし としみつ、1965年11月26日 - … 高橋 利光(たかはし としみつ、1965年11月26日 - )は、東京都葛飾区亀有出身のミュージシャン、編曲家、レコーディングディレクター。血液型はA型。 幼少期からのピアノ演奏の学び、東京電機大学高等学校、武蔵大学在籍時のバンド活動を経て、1988年にパブリック・イメージに入社し、月光恵亮に師事。鷹羽仁(たかば・ひとし)という名義で横関敦のツアーマネージャーを筆頭に、ZIGGY、COBRA、LINDBERGのレコーディングディレクター、田村直美などの編曲を手掛ける。「鷹羽仁」の由来は本名の光の部分を外して捩ったものである。 パブリック・イメージ離脱以後の2001年には長年の友人だった小野瀬雅生らと「小野瀬雅生ショウ」を結成しミュージシャンとしての活動を開始、壷井彰久の率いるKBBにも加入。
梶浦 由記(かじうら ゆき、1965年〈昭和40年〉8月6日… 梶浦 由記(かじうら ゆき、1965年〈昭和40年〉8月6日 - )は、日本の作詞家、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー。東京都生まれ、ドイツ育ち。 所属事務所はスペースクラフトプロデュースを経て、2018年6月以降はFictionJunction Music。また、HIGHWAY STARとも業務提携している。アニメやゲームを中心として、映画、CM、テレビ番組、ミュージカルなどの分野でも活動している。 東京都内で生まれ、小学校3年から中2までをドイツで過ごし、高校時代からは帰国子女として東京都内で暮らしている。1981年(昭和56年)、高校は東京都立国立高等学校(国立市に所在)へ進学。この時代に、アマチュアのガールズバンド「15 SAND(いちごさんど)」にキーボーディストとして加入する。
岩代 太郎 (いわしろ たろう、1965年5月1日 - )は… 岩代 太郎 (いわしろ たろう、1965年5月1日 - )は、日本の作曲家、編曲家、ピアニスト、音楽プロデューサー。 東京都出身。世田谷区育ち。教育者岩代吉親を祖父に、作曲家の岩代浩一を父に持つ。 和光小学校、和光中学校を卒業。中学3年生の夏から本格的に作曲とピアノのレッスンを始め、東京都立芸術高等学校に入学。高校卒業後、1浪ののち、東京藝術大学音楽学部作曲科に入学する。1989年に東京藝術大学音楽学部作曲科を首席卒業、1991年に同大学院修士課程を首席修了する。南弘明、近藤譲、松下功、黛敏郎に師事した。大学院在学中、サクソフォーン奏者雲井雅人の演奏からサクソフォーンのための作曲を思いつき、寺山修司の詩「世界のいちばん遠い土地へ」(『寺山修司少女詩集』角川文庫所収)からの霊感を受けて、寺山の詩をタイトルとするサクソフォーン協奏曲を書き始める。
杉山 洋介(すぎやま ようすけ、1964年11月23日 - … 杉山 洋介(すぎやま ようすけ、1964年11月23日 - )は日本のソングライター、編曲家、音楽プロデューサー。東京都練馬区出身。法政大学第一高等学校(現・法政大学高等学校)卒業、法政大学中退。 1984年7月1日、ロックバンド「SALLY」のリーダー、ギター、ボーカルとしてデビュー。同バンドメンバーの加藤喜一と共同名義・YOSUKE & KEACHで数々の曲を生む。しかし、メンバー間の音楽性の違い、スタッフや音楽業界からの扱いに徐々に不満が募り、軋轢が生じ始める。1985年12月4日、SALLYは話し合いの末解散を決定。1986年3月25日、文化放送で受け持っていたラジオ番組「ナマいきSALLYは絶快調」エンディングにて解散宣言をした。
藤井 理央(ふじい りお、1964年11月11日 - )は、… 藤井 理央(ふじい りお、1964年11月11日 - )は、日本のキーボーディスト、編曲家、音楽プロデューサー。男性。
亀田 誠治(かめだ せいじ、1964年6月3日 - )は、日… 亀田 誠治(かめだ せいじ、1964年6月3日 - )は、日本の音楽プロデューサー、作詞家、作曲家、編曲家、ベーシスト。ロックバンド東京事変のメンバー。妻はシンガーソングライターの下成佐登子。 1964年、両親が仕事で駐在していたときにアメリカ合衆国のニューヨークにて誕生。生後1年で日本に帰国。両親は栃木県の出身。 3歳のとき、ピアノを習い始める。大阪の千里山に引っ越し、吹田市立千里第三小学校に入学。小学5年生の時にたまたま自宅にあったクラシックギターでビートルズをコピーしたことをきっかけにギター教室に通うが、6年生になると東京の江古田に引っ越すことになり、ギターはそれきりになる。東京では趣味はBCL(海外短波放送受信)と全米TOP40という洋楽のヘビーリスナーになる。
松本 晃彦(まつもと あきひこ、Akihiko Matsum… 松本 晃彦(まつもと あきひこ、Akihiko Matsumoto、1963年2月14日 - )は、日本の作曲家、編曲家、音楽プロデューサー。
大門 一也(だいもん かずや、1962年〈昭和37年〉10月… 大門 一也(だいもん かずや、1962年〈昭和37年〉10月23日 - )は、東京都出身の歌手、作曲家、編曲家。本名は同じであるが読みは「おおかど かずや」。 1988年、徳間ジャパンコミュニケーションズよりデビュー。 1990年より作曲・編曲家としても活動を始め、郷ひろみや光GENJIなどに楽曲を提供した。 1998年、田中昌之と共に『ウルトラマンガイア』の主題歌を担当。同年『快進撃TVうたえモン』に出演し、クリスタルキングでかつて田中と共にツインボーカルを務めたムッシュ吉﨑の代役として『北斗の拳』の主題歌「愛をとりもどせ!!」もライブで歌唱した。 1999年、Project DMMを結成。多くの楽曲で作曲や編曲も手掛けている。
櫻 康(さくら やすし、Yasushi Sakura、本名:… 櫻 康(さくら やすし、Yasushi Sakura、本名:小野寺 康(おのでら やすし)、1962年2月25日 - )は、日本の作曲家、編曲家、ギタリスト。東京都中野区出身。武蔵野音楽学院プロ養成科卒業。 漫画『3D-boys』の登場人物である佐久良康(さくらやすし)のモデルである。 歌物のポップ・ミュージックとCDによるサウンドドラマの劇伴音楽を手掛ける。特に漫画家内田一奈作品において、『INNOCENT』『ぼくはこのまま帰らない』の劇中音楽や挿入歌を手掛ける。またポリスターから発売された『ナーシサス・ブラックII』では主題歌を作曲。その他、劇団芝居の劇中音楽や歌手への楽曲提供を手掛けている。
HIROSHI(ひろし)あるいはピアニスターHIROSHI(… HIROSHI(ひろし)あるいはピアニスターHIROSHI(本名: 吉田 洋、1961年8月10日 - )は、日本のピアニスト、作曲家、編曲家。右手と左手で違う曲を同時演奏できる得意技を持つ。 血液型はO型。『ピアニスター』とは、「ピアニスト」と「スター」をかけあわせた造語である。 東京都出身。武蔵高等学校を経て、1986年に東京芸術大学音楽学部楽理科卒業。音楽学を小泉文夫・服部幸三、ピアノを松浦豊明・堀江孝子・野村真理の各氏に師事。在学中より各種音楽雑誌において、演奏や編曲のノウハウに関する執筆活動を開始する傍ら、クラシック音楽から演歌まで、ジャンルの垣根を超えた演奏が出来るピアニストとして活動。
松本 孝弘(まつもと たかひろ、1961年〈昭和36年〉3月… 松本 孝弘(まつもと たかひろ、1961年〈昭和36年〉3月27日 - )は、日本のギタリスト、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー。ロックユニットB'zのギタリストで、リーダーも務める。主に「Tak Matsumoto」(タック・マツモト)という名義を使用している。 所属事務所はVERMILLION。所属レーベルはVERMILLION RECORDS。 B'zとしての活動に並行してソロ作品や、他アーティストへの楽曲提供やギター演奏での参加も行なっている。1999年からはギブソンから世界で5人目、日本人では初となるギブソン・レスポールのシグネチュア・アーティストに選ばれている。2010年に発売したラリー・カールトンと共演したアルバム『TAKE YOUR PICK』が、『第53回グラミー賞』最優秀ポップ・インストゥルメンタル・アルバムを受賞した。
宮川 彬良(みやがわ あきら、1961年2月18日 - )は… 宮川 彬良(みやがわ あきら、1961年2月18日 - )は、日本の作曲家、編曲家、ピアニスト。本名:宮川 晶(読み同じ)。大阪芸術大学音楽学科元客員教授。 東京都出身。父は宇宙戦艦ヤマトなどを手がけた作曲家の宮川泰。妻はヴァイオリニストの森由利子。次女は女優の宮川安利。所属はスタジオオーデュボン、フェイス音楽出版。 姉と妹がいる宮川家の長男として誕生する。和光高等学校卒業、東京芸術大学音楽学部作曲科中退。 ジャパンアクションクラブ (JAC)、宝塚歌劇団、劇団四季など、多くのミュージカル音楽や、東京ディズニーランドのショー音楽なども手掛けている。宮川によると、本国のスコアのクオリティの高さは勿論のこと『キッズ・オブ・ザ・キングダム』の編曲作業の際、25分のショーでコーラスグループが、30曲近くを巧みに歌い繋ぐという物に単調なコーラスばかりを見てきた日本のアレンジャーにはカルチャーショックだったと回想している。
田口 智治(たぐち ともはる、1960年10月27日 - )… 田口 智治(たぐち ともはる、1960年10月27日 - )は、日本のキーボード奏者、ピアニスト、オルガニスト、作曲家、編曲家。1980年代に活躍したC-C-Bのメンバー。身長169.5cm。 C-C-B解散後、音楽活動を続ける傍ら、地元である東京都足立区を中心にボランティア活動に参加した。 田口が高校時代に在籍していたバンド。後にC-C-Bとして共に活動する渡辺英樹がベーシストとして在籍しており笠浩二もドラマーとして在籍していた。1996年に発売した渡辺、田口らのバンドTHE GATESの1stアルバム『もんだらけ』収録の【全裸を許さない頭の社会に対するカラダ達の反抗】はステーションの楽曲『もしもおまえが天使なら』が元になっている。
朝川 朋之(あさかわ ともゆき、1960年9月21日 - )… 朝川 朋之(あさかわ ともゆき、1960年9月21日 - )は、日本の作曲家、編曲家、ハープ奏者。東京都生まれ。フェイス・ミュージック(フェイス音楽出版)所属。日本作編曲家協会(JCAA)理事。JASRACメンバー。 ※オフィシャルサイトなどを参考。 4才よりエレクトーンと作曲、6才よりピアノを始める。以後15才までの間にヤマハの音楽使節として、アメリカ、メキシコ、西ドイツ、香港、シンガポール、インドネシアの各国へ派遣されている。 ハープを始めたのは26歳からとかなり遅く、大学もハープ科ではなくオルガン科だった。 作曲を矢代秋雄、佐藤眞、永冨正之、ピアノを高良芳枝、坂弘子、仙石浩之、エルンスト・ザイラー、パイプオルガンを秋元道雄、酒井多賀志、ハープを景山真菜に師事した。
土橋 安騎夫(どばし あきお、1960年9月19日 - )は… 土橋 安騎夫(どばし あきお、1960年9月19日 - )は、日本の音楽プロデューサー、作曲家、編曲家、キーボーディスト。ロックバンドであるレベッカのメンバー。 東京都三鷹市出身。血液型AB型。立教大学卒業。父親は脚本家の土橋成男。母親は障害児早期教育者の土橋とも子。
石黒 彰(いしぐろ あきら、1960年7月13日 - )は、… 石黒 彰(いしぐろ あきら、1960年7月13日 - )は、日本のキーボーディスト、マニピュレーター、作曲家、編曲家。東京都生まれ。東京都立府中東高等学校、国立音楽大学作曲科卒業。 音楽との出会いは、4歳から受けていたピアノのレッスンであった。中学校時代にポール・マッカートニーの 「Jet」 に衝撃を受けたことがプロを目指すきっかけ。中学校時代にはかぐや姫のコピーバンドを結成し、ボーカルとギターを担当していた。高校時代はハードロックやプログレッシブ・ロックを愛聴していた。その影響から、音楽学校出身であったキース・エマーソンに憧れ、国立音楽大学に進学した。大学卒業後にはジャズやフュージョンに興味を持ち、ジャズ理論などを学んだ。
溝口 肇(みぞぐち はじめ、1960年4月23日 - )は、… 溝口 肇(みぞぐち はじめ、1960年4月23日 - )は、日本のチェリスト、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー。東京都出身。東京都立狛江高等学校を経て、東京芸術大学音楽学部器楽科チェロ専攻卒業。元妻は作曲家の菅野よう子。 作曲家として自らの作品を発表し、チェリストとしてソロライブを数多く行う一方、映画やテレビドラマ、アニメの劇伴を多数手がけている。特に著名なものとして『世界の車窓から』のテーマ曲が挙げられる。また、スタジオ・ミュージシャンとして、クラシック音楽、J-POP、ロックなど幅広いジャンルで伴奏を担当する。 所有している楽器は、1723年のアレキサンドロ ガリアノ(ナポリ)で「アンジェラ」と命名して愛用している。
楠瀬 誠志郎(くすのせ せいしろう、1960年2月9日 - … 楠瀬 誠志郎(くすのせ せいしろう、1960年2月9日 - )は、日本の シンガーソングライター、作曲家、編曲家、ボイストレーナー、発声表現研究家。レッスンスタジオ・Breavo-para主宰。東京都小金井市出身。実弟は、元サッカー選手、サッカー指導者の楠瀬直木。 高校在学中にCMソングを手掛け、プロの音楽家としてキャリアをスタート。学生時代に村上"ポンタ"秀一に弟子入りし、以後幅広くミュージシャンと親交を深めた。他のアーティストのコンサートツアーやレコーディングにコーラスとして参加する傍ら、自身の作曲や他者への楽曲提供も行うようになったく。 1986年にシンガーソングライターとして、CBS・ソニーからメジャー・デビュー。
清水 信之(しみず のぶゆき、1959年12月14日 - )… 清水 信之(しみず のぶゆき、1959年12月14日 - )は、日本のキーボーディスト、作曲家、編曲家。ギタリストでもあり、ベースやドラムスなども演奏する。元妻は歌手の平松愛理。 幼少時よりピアノを習う。なお、小学生の時にピアノを習っていた同級生が後のギタリスト・鳥山雄司である。 東京都立松原高等学校に在学中、後輩のEPO、佐橋佳幸らとバンド活動を行う傍ら、松岡直也に師事。清水がラテン系のアレンジに強い理由は、この頃の経験によるものだといわれている。 17歳で「紀ノ国屋バンド」に加入、アルバム『SWEET SENSATION』でデビューするも解散。その後、当時の所属事務所「アワ・ハウス」(山下達郎、大貫妙子らが在籍)の新人、竹内まりやのサポートに駆り出される。
佐橋 俊彦(さはし としひこ、1959年11月12日 - )… 佐橋 俊彦(さはし としひこ、1959年11月12日 - )は、東京都出身の作曲家・編曲家である。フェイス音楽出版所属。 幼少時代はベートーベンの『運命』等のクラシック音楽を聞き、少年時代は『サンダーバード』や『ウルトラセブン』などの劇伴に感銘を受ける。自身の作品の中でもそのテイストを盛り込んだものも多い。 中学校時代には紀行作家の稲葉なおとらと共に、4人編成のバンド「イナバンド」としての活動を行っていた。また、稲葉とは2人が中学2年の時に、当時の人気ラジオ番組『ハローパーティー』にも出演した。この頃の彼は沢田研二の大ファンであった。 その後、東京都立武蔵村山高等学校を経て、東京芸術大学音楽学部作曲科に入学した後は小林秀雄、黛敏郎に師事。
国府 弘子(こくぶ ひろこ、1959年8月26日 - )は、… 国府 弘子(こくぶ ひろこ、1959年8月26日 - )は、日本のジャズ・ピアニスト、作曲家、編曲家。 川崎市文化大使、埼玉入間市文化創造施設のアドバイザー、平成音楽大学、尚美学園大学客員教授、CNNj放送番組審議会委員。 ジャズをメインとしているが、ジャンルにとらわれず、クラシック音楽やラテン音楽、ブラジル音楽、ブルース等も積極的に取り入れている。 夫はキーボーディストの大坪稔明。 国立音楽大学ピアノ科在学中にジャズに目覚め卒業後単身渡米。ジャズ界の重鎮バリー・ハリスに師事。帰国後1987年にJVCと契約、デビュー・アルバム『More Than You Know』を発表、メジャー・デビュー、2017年現在23枚のアルバムを国内外で発表。
栗原 正己(くりはら まさき、1959年8月16日 - )は… 栗原 正己(くりはら まさき、1959年8月16日 - )は、日本の作曲家、編曲家、ベーシスト、リコーダー奏者。 東京都西多摩郡瑞穂町出身、武蔵野美術大学造形学部視覚伝達デザイン学科卒。後述するように多岐に亘っての音楽活動で知られるが、近年は栗コーダーカルテットでのライブや作品発表を主としている。ゴーストのギタリストである栗原ミチオは弟[要出典]。 1980年代中期に編曲家兼CM作曲家としてキャリアをスタートさせ、ヤマハポピュラーソングコンテスト出場曲やさねよしいさ子のデビュー・アルバムなどに携わる。作曲家としても2008年までの間に500本以上のCM音楽を制作した。 1992年冬、フランス・ブリュッヘンや吉沢実に影響を受けリコーダーを手にする。
斎藤 ネコ(さいとう ネコ、1959年5月29日 - )は、… 斎藤 ネコ(さいとう ネコ、1959年5月29日 - )は、日本のヴァイオリニスト、作曲家、編曲家。 『斎藤ネコカルテット』リーダー。東京都渋谷区出身。本名:斎藤毅(さいとう たけし)。 数多くのCM音楽、歌手の作曲、編曲、アルバムプロデュースを手がけクラシックからハードロックまで幅広く網羅。「斎藤ネコカルテット」のリーダーとして、精力的にライブ活動もしている。日本作編曲家協会元理事、日本音楽著作権協会正会員。 数多くのオリジナル・アルバムにおいて、編曲、ヴァイオリニストとして参加。 毎年開催される弾き語りコンサート『猫森集会』(2001年までは『101人コンサートスペシャル』)のオールリクエストのプログラムでは、キーボードの石井AQを含めた3名だけで演奏を行っている。
住吉 中(すみよし あたる、1958年12月28日 - )は… 住吉 中(すみよし あたる、1958年12月28日 - )は、日本のベーシスト、作曲家、編曲家、音楽プロデューサーである。東京都世田谷区出身。本名は、金田一 中(きんだいち あたる)。 4才からクラシックピアノを始め、13才の頃からロックに傾倒しギターを始めるが16歳のときにベースギターに転向してプロミュージシャンへの道を目指し始める。東京都立千歳丘高等学校に進学し、その後20才の時にシンガーソングライターである高橋研のツアーメンバーオーディションに合格し、プロデビューを果たした。 プロデビュー後は、安部恭弘、麗美などのツアーに参加していた。1997年から1999年までは久保こーじ率いるバンド「No! Galers」のベース担当として活動した。
布川 俊樹(ぬのかわ としき、1958年7月29日 - )は… 布川 俊樹(ぬのかわ としき、1958年7月29日 - )は日本のギタリスト、作曲家、編曲家。東京都生まれ。 東京学芸大学教育学部附属高等学校、東京工業大学工学部社会工学科卒業。ミッキー・カーチスのバンドでプロ・デビュー。1985~87年、MALTAHit&Runに参加。1985年、自己のグループVALISを結成し、六本木ピットインを中心として活動。1991年、ファーストCD『ヴァリス(日本クラウン)』をリリース。1993年、布川俊樹モデルというシグネチャー・モデル・ギターがアリア (楽器ブランド)より発売される。2003年3月~6月、VALIS解散ツアーを行い、解散。 VALIS解散後、2004年6月、納浩一、山木秀夫とギタートリオアルバム『ブラッド・トリオ』をリリース。
斎藤 誠(さいとう まこと、1958年1月3日 - )は、日… 斎藤 誠(さいとう まこと、1958年1月3日 - )は、日本の音楽家・シンガーソングライター・ギタリスト・編曲家・音楽プロデューサー。所属レコード会社はエイベックス。 東京都生まれ。青山学院大学卒業。愛称は、誠ちゃん。 青山学院大学在学中に先輩の桑田佳祐や原由子らと知り合って音楽活動を開始、1983年にアルバム『LA-LA-LU』でシンガーソングライターとしてデビューした。サザンオールスターズのサポートギタリストとしても活躍している。 影響を受けた音楽家はビートルズ、ポール・マッカートニー、マウンテン、エリック・クラプトン、クリーム、デレク・アンド・ドミノスなど。主に1960年代から1980年代の洋楽を聴いたことが自身の音楽性を形成するきっかけとなった。
カワノ ミチオ(1957年9月9日 - )は、日本のドラマー… カワノ ミチオ(1957年9月9日 - )は、日本のドラマー、ソングライター、編曲家。センスカンパニー所属。 1996年に「MAGRITTE VOICE」、2002年に「Rough Diamonds」を結成。ありましののプロデュースのほか、様々なアーティストの楽曲を手がけ、ドラマーとして福山雅治、尾崎亜美、杏子、Every Little Thingなどのレコーディング・ライブツアーに参加。名義は作家時は「カワノミチオ」、演奏者時は「河野 道生」。
久米 大作(くめ だいさく、1957年7月23日 - )は、… 久米 大作(くめ だいさく、1957年7月23日 - )は、日本のキーボーディスト、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー。愛称は大ちゃん。
福田 裕彦(ふくだ やすひこ、1957年5月3日 - )は、… 福田 裕彦(ふくだ やすひこ、1957年5月3日 - )は、日本の音楽プロデューサー及び作曲家・編曲家、キーボーディスト。東京都板橋区出身。早稲田大学第一文学部卒業。株式会社大頭(だいず)代表取締役。 東京都立竹早高等学校卒業後の1976年、早稲田大学第一文学部に進学。1978年には、YAMAHA東京支店主催のバンドコンテスト「EAST WEST '78」決勝大会に「夢職人」として出場、優秀賞を受賞する。 早稲田大学卒業後の1980年にベーシスト鳴瀬喜博(現・カシオペア)、ドラマー岡井大二(元・四人囃子)らと結成したバンド「QUYZ」のキーボーディストとしてプロデビュー。 翌1981年、ギタリスト山岸潤史のソロアルバム『ALL THE SAME』にセッション・ミュージシャンとしてレコード・デビュー[要出典]。
川井 憲次(かわい けんじ、Kenji Kawai、1957… 川井 憲次(かわい けんじ、Kenji Kawai、1957年〈昭和32年〉4月23日 - )は、日本の作曲家、編曲家。 ニックネームは「かーいさん」で、自らを「かーい」と称することに由来する。インストゥルメンタルバンドであるfox capture planのカワイヒデヒロは甥。 品川区立城南中学校卒業、東京都立城南高等学校卒業、東海大学工学部原子力工学科中退、尚美音楽院中退。 サントラ界の大御所として知られており、アニメ、ドラマ、映画、ゲーム等、幅広いメディアミックス作品で活動している。川井によれば、その作品のヴィジュアルから音を引き出していくため、何も無い状態から楽曲を作ることは苦手と述べている。
本多 俊之(ほんだ としゆき、1957年4月9日 - )は、… 本多 俊之(ほんだ としゆき、1957年4月9日 - )は、日本のジャズサクソフォーン奏者、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー。東京芸術大学客員教授。東京都三鷹市出身。父はジャズ奏者・評論家の本多俊夫(モンティ本多)。 成蹊中学校・高等学校、成蹊大学経済学部卒業。父親の影響で中学生時代からサクソフォーンを吹き始め、高校生の時にはジャズクラブで奏者の一員として活動する。しかし、父は俊之が音楽の道へ進むことには反対していたといい、死去するまで認められることはなかった。 大学在学中に初のリーダー・アルバムをリリース。その後は国内外問わず数多のミュージシャンと共演し、日本を代表するサクソフォーン奏者に数えられる。
見岳 章(みたけ あきら、1956年11月11日 - )は日… 見岳 章(みたけ あきら、1956年11月11日 - )は日本の作曲家・編曲家・音楽家。 東京都出身。見岳アキラとの表記もある。妻は元歌手の中山恵美子。 1979年に土屋昌巳らとともに一風堂を結成。一風堂ではキーボードとヴァイオリンを担当。1982年に発売した『すみれ September Love』がカネボウ化粧品のキャンペーンソングとなり、オリコンチャート2位とヒットする。一風堂はメンバーの脱退が相次ぎ見岳は土屋とともに最後まで残ったものの、1984年に解散。 1983年にソロ活動を開始し、シングル「君は完璧さ」、アルバム『Out of Reach』をリリースした。 一風堂解散後は作曲家・編曲家としての活動が中心となる。
向谷 実(むかいや みのる、1956年10月20日 - )は… 向谷 実(むかいや みのる、1956年10月20日 - )は、日本のキーボーディスト、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー、実業家、タレント。東京都世田谷区出身。 フュージョンバンド・カシオペアの元キーボード奏者(1977年-2012年)、およびかつしかトリオのキーボード奏者(2021年-)。鉄道関連事業を行っている株式会社音楽館代表取締役社長。 1977年、ネム音楽院(現:ヤマハ音楽院)エレクトーン科在籍中であった20歳の時に、当時まだアマチュアバンドであったカシオペアにキーボーディストとして加入。1979年にカシオペアはメジャーデビューし、2006年の活動休止までリーダーの野呂一生と共に29年間歩み、カシオペアのサウンドを支えてきたが、6年後の2012年に活動再開する際に脱退した。
奧 慶一(おく けいいち、1955年10月14日 - )は、… 奧 慶一(おく けいいち、1955年10月14日 - )は、日本のキーボーディスト、作曲家、編曲家。滋賀県出身。「or-lab.」主宰。 東京藝術大学音楽学部附属音楽高等学校、東京藝術大学音楽学部作曲科卒業、東京藝術大学大学院修士課程中退。 大学院在学中に郷ひろみのバックバンドに参加、1979年8月25日にロックバンド「スペクトラム」の一員としてデビュー。1981年3月21日、アルバム『Misty Morning』でソロデビュー。 スペクトラムの解散後、スタジオ・ミュージシャンとして多数のレコーディング・セッションに参加、また他アーティストの楽曲の作曲や編曲を行い、映像作品の音楽を手掛ける。 2005年4月より洗足学園音楽大学音楽・音響デザインコースの客員教授を務める。
鈴木 行一(すずき ゆきかず、1954年2月11日 - 20… 鈴木 行一(すずき ゆきかず、1954年2月11日 - 2010年9月6日)は、日本の現代音楽の作曲家・編曲家。 東京都生まれ。東京都立両国高等学校を経て1975年東京藝術大学音楽学部作曲科に入学。1983年東京藝術大学大学院作曲研究科修了。作曲を原博、宍戸睦郎、尾高惇忠、松村禎三、黛敏郎に師事。2010年9月6日、自宅にて心不全のために急逝。 妻は、東京芸術大学作曲科(尾高惇忠門下)出身の作曲家鈴木理恵子。
大澤 健一 (おおさわ けんいち、1954年1月1日 - )… 大澤 健一 (おおさわ けんいち、1954年1月1日 - )は、日本の指揮者・テューバ奏者・編曲家。吹奏楽分野で活動。 東京都新宿区出身。玉川学園を経て国立音楽大学卒業。 国立音楽大学でテューバ・編曲・器楽指導法を学ぶ。国立音楽大学3年生より東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団テューバ奏者となり武岡賞受賞して卒業。各プロオーケストラで演奏活動、東京佼成ウインドオーケストラにて、桂冠指揮者、フレデリック・フェネルと共演した事が機になり、指揮者として活動。 指揮法を高階正光、クルト・レーデル、フレデリック・フェネル、湯浅雄二に師事。 2005年より国立音楽大学のウインドアンサンブル研究会の常任指揮者として、定期演奏会を指揮。
清水 昭 (しみず あきら、1953年 - ) は、日本の合… 清水 昭 (しみず あきら、1953年 - ) は、日本の合唱指揮者、編曲家。東京都合唱連盟副理事長。日本合唱指揮者協会理事長(2016年 - )。 東京都出身。早稲田大学高等学院、早稲田大学理工学部機械工学科を卒業。大学在学中から指揮者を目指し、指揮法をウグリン・ガーボルと手塚幸紀に、合唱指揮を関屋晋に、ピアノを三井光子に師事した。 現在、15団体の常任指揮者として活動する傍ら、客演指揮者、講習会講師、コンクールの審査員なども手掛ける。また、合唱曲のレパートリーの拡充のため、ポピュラー音楽の合唱編曲を中心として編曲家としても活動している。 2016年、日本合唱指揮者協会理事長に就任。
大浜 和史(おおはま かずふみ、1952年9月6日 - )は… 大浜 和史(おおはま かずふみ、1952年9月6日 - )は日本の作曲家、編曲家、ベーシスト、ピアニスト、シンセシスト。 元日本シンセサイザー・プログラマー協会(JSPA)代表理事。NPOサウンドクリエイター理事長。 国立音楽高校作曲科、国立音楽大学器楽科(コントラバス専攻)を卒業。高校3年生時にプロ活動を開始。以後、バンド活動の他、作曲や編曲提供、レコーディング・ステージミュージシャン、電子楽器開発、MIDI検定企画設立に携わる。CMソング制作、携帯着信音開発、音楽講師等、幅広く活動。ハーレーダビッドソン新宿支部長。 現在はバンドマンがメインの活動。PENGUIN(b)、LONG VACATION(大瀧詠一トリビュートバンド)(pf)、September 6(b)、佐藤龍一&The Dragon(b、pf)、THE DIGGERS(key)、つのだ☆ひろ&スペースバンド(key)のメンバー。
村松 邦男(むらまつ くにお、1952年3月17日 - )は… 村松 邦男(むらまつ くにお、1952年3月17日 - )は、日本のギタリスト、作曲家、編曲家、歌手。シュガー・ベイブの元メンバー。 東京都出身。東京都立文京高等学校在学時、アマチュア・バンド(主にマイク・ブルームフィールドやジェフ・ベックなどのコピーバンド)を結成する。リーダー、ベーシストを務める。学園祭等のライブに出演した。 1972年に山下達郎、大貫妙子らとシュガー・ベイブを結成、リードギターを担当する。1975年にシングル「DOWN TOWN」とアルバム『SONGS』を発表、収録曲「ためいきばかり」では作詞・作曲・ボーカルも担当。1976年解散した。 解散後は編曲家としての活動を中心に、大瀧詠一の要請で『多羅尾伴内楽団Vol.2』(1978年)、『A LONG VACATION』(1981年)等、ナイアガラ・レーベル関係の作品の殆どにリードギターで参加する。
後藤 次利(ごとう つぐとし、1952年2月5日 - )は、… 後藤 次利(ごとう つぐとし、1952年2月5日 - )は、日本のベーシスト、作曲家、編曲家、音楽プロデューサーである。
鈴木 茂(すずき しげる、1951年12月20日 - )は、… 鈴木 茂(すずき しげる、1951年12月20日 - )は、日本のギタリスト・作曲家・編曲家。 はっぴいえんど、ティン・パン・アレーなどのメンバーとしてギターを担当した。 東京都世田谷区奥沢の自動車修理工場で育つ。中学生でギターを始め、中学時代に最初のバンド「CIA」を結成する。「奥沢にギターの上手い奴が居る」と聞いた立正高校に通っていた兄の同級生の柳田ヒロから誘われて、柳田ヒロの兄、柳田優が主催していた立教大学の音楽イベント「PEEP」のオーディションに参加し、そこで細野晴臣や林立夫、小原礼らと知り合う。1968年、林立夫、小原礼らとともにスカイを結成。1969年に細野晴臣に誘われはっぴいえんどに加入しギターを担当、「花いちもんめ」などの楽曲ではボーカルを務め、バンドの解散後に細野らとキャラメル・ママを結成、ティン・パン・アレーへと発展させる。
船山 基紀(ふなやま もとき、1951年1月13日 - )は… 船山 基紀(ふなやま もとき、1951年1月13日 - )は、東京都出身の作曲家、編曲家、キーボーディスト、音楽プロデューサー。
前田 俊明(まえだ としあき、1949年10月16日 - 2… 前田 俊明(まえだ としあき、1949年10月16日 - 2020年4月17日)は、日本の作曲家、編曲家。 東京都台東区下谷生まれ。明治大学付属明治高等学校から明治大学に進学し、在学中は明治大学マンドリン倶楽部に所属。古賀政男・舩木謙一・猪俣公章に師事。 1981年(昭和56年)山川豊「函館本線」で第23回日本レコード大賞・新人賞、受賞。第12回日本歌謡大賞・放送音楽新人賞受賞。 1990年(平成2年)伍代夏子「忍ぶ雨」で第21回日本歌謡大賞・放送音楽賞受賞。 1992年(平成4年)藤あや子「こころ酒」で第34回日本レコード大賞歌謡曲演歌部門・編曲賞受賞。 1998年(平成10年)川中美幸「二輪草」で第40回日本レコード大賞・編曲賞受賞など。
都倉 俊一(とくら しゅんいち、1948年〈昭和23年〉6月… 都倉 俊一(とくら しゅんいち、1948年〈昭和23年〉6月21日 - )は、日本の作曲家、編曲家。第23代文化庁長官。元日本音楽著作権協会(JASRAC)会長。元エスワン・カンパニー経営者。シュン・トクラ名義でも活動している。 東京都出身。4歳のころからバイオリンを習う。父都倉栄二が外交官であったことから、7歳の時にドイツに渡り、小学校の時は、ボンのアメリカンスクールで音楽の基礎を学ぶ。12歳になり帰国。学習院中等科の同級生には元総務大臣の鳩山邦夫、元日本郵政社長の長門正貢、元朝日新聞編集委員の萩谷順などがいる。中学校卒業後に再びドイツに渡り、高校ではベルリンのギムナジウムに通って、「ビートキャッツ」というバンドで活動。
所 太郎(ところ たろう、1948年〈昭和23年〉4月11日… 所 太郎(ところ たろう、1948年〈昭和23年〉4月11日 - )は、東京都出身のテレビリポーター、元ギタリスト、歌手(ザ・リガニーズ、シュリークスメンバー)、ラジオパーソナリティ、編曲家。東大寺学園中学校・高等学校(同期に北岡伸一)、早稲田大学卒業。 1990年代からワイドショーリポーターとして異なる局の番組を同時に受け持つなど精力的に活動している。
吉野 金次 (よしの きんじ、1948年 - )は、日本のレ… 吉野 金次 (よしの きんじ、1948年 - )は、日本のレコーディング・エンジニア、編曲家。 東京都出身。東京都立葛西工業高等学校電子科卒業。 1967年に東芝音楽工業の録音部に入社。ザ・ランチャーズの喜多嶋修と共に匿名ユニット「ジャスティン・ヒースクリフ(Justin Heathcliff)」を結成。同名アルバムを発表するも不発に終わる。 1970年、仕事をめぐり上司と衝突し、録音部からの配転を命ぜられ、クビに近い形で退社する。その後、かつての仕事仲間である細野晴臣に誘われてはっぴいえんどの『風街ろまん』にミキサーとして参加。以降、日本では初となるフリーのエンジニアとして活動。 松本隆に対して専業作詞家になることを勧めたのも吉野で、1974年に当時自らが担当していたアグネス・チャンのオリジナル・アルバム『アグネスの小さな日記』の収録曲の作詞を松本に依頼した。
南郷 達也(なんごう たつや、1947年8月11日 - )は… 南郷 達也(なんごう たつや、1947年8月11日 - )は、東京都江戸川区出身の作曲家、編曲家。日本作曲家協会理事。 明治大学マンドリン倶楽部OB。同サークルの創設者である古賀政男に感化され、音楽制作を始めた。 その後、演歌・歌謡曲の編曲家として活動。美空ひばり「みだれ髪」、ちあきなおみ「紅とんぼ」、氷川きよし「最後と決めた女だから」、石川さゆり「大阪のおんな」、石原詢子「おんなの涙」などのヒット曲がある。 本格的な演歌にしたいというスタッフの意向により、コンピュータゲーム『アイドルマスター シンデレラガールズ』に起用されたこともある。 シングル表題曲は太字 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、音楽関係者(バンド等)に関連した書きかけの項目です。
深町 純(ふかまち じゅん、1946年〈昭和21年〉5月21… 深町 純(ふかまち じゅん、1946年〈昭和21年〉5月21日 - 2010年〈平成22年〉11月22日)は、日本の作曲家・編曲家・キーボーディスト・シンセサイザー奏者。東京都出身。一部の作品で馬場 浩の名を使用。 3歳よりピアノを習い始め、高校時代にはオペラの指揮や演出を手がける。東京都立大泉高等学校卒業。東京芸術大学作曲科を卒業直前に中退。 1971年(昭和46年)、ポリドールより1stアルバム『ある若者の肖像』でデビュー。以降は作曲、編曲やプロデュース、テレビ番組やCM、映画音楽を手掛けるほか、フュージョンのキーボーディストとして活動。 シンセサイザーにも造詣が深く, 1970年代初頭から数々のアルバムでシンセサイザーを使用している。