向山 基生(むこやま もとき、1996年7月5日 - )は、… 向山 基生(むこやま もとき、1996年7月5日 - )は、東京都調布市出身の社会人野球選手(外野手)。NTT東日本硬式野球部所属。 第42回日米大学野球選手権、2018年ハーレムベースボールウィーク、第19回 アジア競技大会日本代表。 久慈賞受賞経験のある元社会人野球選手の向山隆康の次男として生まれる。 調布市立柏野小学校2年時より「調布リトルリーグ」で野球を始める。6年夏には「1番・三塁」で全国大会準優勝。通算40本塁打を放った。 調布市立神代中学校時代には八王子シニアに在籍し、二塁手で3年春の全国大会出場。 法政大学第二高等学校では主将を務め、3年夏の県大会5回戦で小笠原慎之介、吉田凌らを擁する東海大学付属相模高等学校に敗退。
淺間 大基(あさま だいき、1996年6月21日 - )は、… 淺間 大基(あさま だいき、1996年6月21日 - )は、東京都新宿区出身のプロ野球選手(外野手、内野手)。右投左打。北海道日本ハムファイターズ所属。 東京都新宿区立牛込仲之小学校の1年時に、軟式野球チームの「いちがやチーターズ」で投手としてプレー。6年時の2008年には、東京ヤクルトスワローズジュニアチームの一員としてNPB12球団ジュニアトーナメントへ参加した。新宿区立牛込第一中学校在学中には生徒会長を務め、「新宿シニア」で投手と外野手を兼務。3年時には、シニアリーグの全国大会で準々決勝まで進出した後に、メキシコで夏に開催された第15回AA世界野球選手権大会へ立田将太などと共に日本代表チームの一員としてに出場した。
宗 佑磨(むね ゆうま、1996年6月7日 - )は、オリッ… 宗 佑磨(むね ゆうま、1996年6月7日 - )は、オリックス・バファローズに所属する東京都武蔵野市出身のプロ野球選手(内野手)。
石川 恭子(いしかわ きょうこ、1996年5月28日 - )… 石川 恭子(いしかわ きょうこ、1996年5月28日 - )は、東京都葛飾区出身の女子ソフトボール選手(内野手)。トヨタレッドテリアーズ所属。ソフトボール日本代表。 2人の姉の影響で6歳の時にソフトボールを始める。藤村女子高等学校では、3年生の時(2014年)にキャプテンとしてインターハイ出場を果たした。高校卒業後は「東京と違う環境で」との思いから、兵庫県の園田学園女子大学に進学。不動の1番打者として、関西学生ソフトボールリーグで首位打者を獲得するなどの活躍を見せた。 2019年に日本リーグ1部のトヨタ自動車レッドテリアーズに入団。2試合目から1番打者としてレギュラーに定着すると、シーズン前半を打率トップ(.464)で折り返した。
稲村 亜美(いなむら あみ、1996年〈平成8年〉1月13日… 稲村 亜美(いなむら あみ、1996年〈平成8年〉1月13日 - )は、日本のタレント、ベースボール5選手。東京都出身。浅井企画所属。 当初は、ジャスティスジャパンエンターテイメント(旧:ジャスティスプロダクション)に所属していた。 2013年9月20日発売のFRIDAYで発表された「ミスiD2014」にて、準グランプリに相当する「ミスiD(アイドル)2014」に選出された。 2014年3月13日、日出高等学校を卒業し、同年4月1日に国士舘大学21世紀アジア学部に入学、4月14日には『週刊プレイボーイ』×グラドル自画撮り部「第1回ジガドル・グランプリ」吉田豪賞を受賞する。 2015年3月26日
海老原 一佳(えびはら かずよし、1995年9月13日 - … 海老原 一佳(えびはら かずよし、1995年9月13日 - )は、東京都昭島市出身の元プロ野球選手(外野手)。右投左打。NPBでは育成選手であった。 母方の祖父がアメリカ人のクウォーターとして出生。昭島市立拝島第一小学校の1年時に、昭島ヤングライオンズで野球を始めた。 東海大学菅生高等学校中等部時代には軟式野球部へ所属し、主将を務めたが、卒業後は系列の東海大学菅生高等学校ではなく、創価高等学校へ進学。高校時代には2年時の秋から「5番・中堅手」としてレギュラーに定着したが、春夏ともに甲子園球場への全国大会とは無縁で、卒業後に系列校の創価大学へ入学した。高校・大学の1学年先輩に、田中正義がいる。 創価大学では、1年時から東京新大学野球のリーグ戦に出場。
笹生 なつみ (さそう なつみ、1995年6月29日 - )… 笹生 なつみ (さそう なつみ、1995年6月29日 - ) は、女子プロ野球に所属していた元プロ野球選手である。千葉県出身、右投げ右打ち、内野手。 木更津モーニングスー木更津第三中学校ー木更津シニアー東関東LSレディースを経て、蒲田女子高校へ入学。蒲田女子高校時代は女子硬式野球部に所属。1番セカンドで1年生からレギュラーで出場。春の全国大会では、3試合連続ランニングホームランを打った。故障の為2年目の春の全国大会では補欠だったが、毎試合代打で出場し、全打席出塁し、打率10割だった。 2014年にディオーネでプロデビューを果たし、4月4日に初安打。2015年に東北レイアに移籍、2016年に兵庫ディオーネに復帰、同シーズンをもって現役生活を終えた。
今井 志穂(いまい しほ、1995年〈平成7年〉6月17日 … 今井 志穂(いまい しほ、1995年〈平成7年〉6月17日 - )は神奈川県藤沢市出身の元女子プロ野球選手。 小学1年生から野球を始め、藤沢市の鵠南シーガルスの選手として活躍。キャプテンを務めたことがある。4年生の時に春季大会で優勝。 蒲田女子高等学校では硬式野球部に所属した。2013年に日本女子プロ野球機構のトライアウトで合格。イースト・アストライア(現在の埼玉アストライア)に入団。 2017年には捕手としてゴールデングラブ賞、ベストナインを獲得。2019年は埼玉アストライアのキャプテンを務めた。 2019年11月1日、女子プロ野球リーグを退団することを発表した。
齊藤 大将(さいとう ひろまさ、1995年6月3日 - )は… 齊藤 大将(さいとう ひろまさ、1995年6月3日 - )は、東京都江戸川区出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。 小学校1年から投手として軟式野球(清新ハンターズ)を始め、中学校では城東ボーイズに所属した。 桐蔭学園高等学校では1年からベンチ入りした。2年夏の県大会決勝では松井裕樹擁する桐光学園高等学校と対戦したが、4回3失点で降板し敗れた。在学中は3年春の県大会優勝が最高で甲子園出場はなかった。2学年先輩に茂木栄五郎、若林晃弘、1学年先輩に山野辺翔がいる。 明治大学に進学し、1年から中継ぎとしてリーグ戦に出場し、3年夏には第29回ユニバーシアード競技大会の日本代表に選出された。4年時にエースとなり、9月30日の立教大学戦では11奪三振で完投勝利を挙げた。
笠井 駿(かさい しゅん、1995年4月20日 - )は、東… 笠井 駿(かさい しゅん、1995年4月20日 - )は、東京都出身の元プロ野球選手(内野手・外野手)、指導者。右投右打。プロでは育成選手であった。 中学時代は武蔵府中シニアに所属。国士舘高時代は、甲子園出場経験はなし。 高校卒業後は東北福祉大学へ進学し、仙台六大学野球連盟に加盟する同校の硬式野球部に入部。大学時代に、チームは3年次の第65回全日本大学野球選手権大会と4年次の第66回全日本大学野球選手権大会に2年連続で出場している。 2017年10月26日、プロ野球ドラフト会議で読売ジャイアンツから育成選手ドラフト3位指名を受け、入団。 2020年11月2日、戦力外通告が公示された。 2021年よりジャイアンツアカデミーのコーチに就任した。
甘露寺 仁房(かんろじ まさふさ、1995年〈平成7年〉2月… 甘露寺 仁房(かんろじ まさふさ、1995年〈平成7年〉2月20日 - )は、日本のプロ野球選手(内野手)。 甘露寺重房・圭郁夫妻の息子として、東京都港区に生まれる。出身の甘露寺家は名家の家格を有した堂上家の家系かつ維新後は伯爵に叙された家であり、仁房自身も小学校の課題で調べて「すごい家に生まれたんだなあ、と」思ったという。 両親がテニスプレイヤーであったことから幼少期よりテニスラケットを握っていたが、父重房がテニスボールを投げたところから野球が好きになり、中学時代に硬式クラブチームに入った。その後、吉永健太朗を追って日本大学第三高等学校に進学するが、高校三年間は公式戦に出られなかったのだという。
泉 由有樹(いずみゆうき、1994年10月10日 - )は、… 泉 由有樹(いずみゆうき、1994年10月10日 - )は、東京都墨田区出身の元女子プロ野球選手である。血液型はB型。ポジションは投手。 妹は元女子プロ野球選手の泉由希菜。 墨田区立鐘淵中学校は軟式野球部に所属し、在学中に関東中学校軟式野球大会に出場。 蒲田女子高等学校では、硬式野球部に所属。 2013年に、ノース・レイアに入団。同年は15試合に登板し、防御率3.36・1勝2敗1セーブという成績を記録した。 2014年はルーキーイヤーよりも防御率が悪化したが、一方でプロ入り初完投・完封を記録した。 2015年から、兵庫ディオーネに移籍した。移籍1年目のシーズンは、20試合の登板で防御率3.52・6勝8敗・45奪三振・37四球を記録。
金子 隆浩(かねこ たかひろ、1994年8月30日 - )は… 金子 隆浩(かねこ たかひろ、1994年8月30日 - )は、東京都足立区出身の元プロ野球選手(捕手)。 足立区立第十三中学校卒業後、東海大学付属高輪台高等学校に進学。在学中は甲子園大会には出場できなかった。 高校卒業後は付属からの推薦入学で東海大学体育学部へと進学する。東海大学硬式野球部に入部を希望していたが、同部はセレクションを通過した者でないと高校野球経験者であっても入部できないという縛りが設けられていた。金子は出身校が甲子園未出場だったために野球部への推薦枠を持っておらず、大学合格後にそれを知ったことから野球部に所属できないまま入学した。大学時代は外部のクラブチーム・REVENGE99に所属しながら野球を続け、トレーナーの勉強をおこなっていた。
鈴木 誠也(すずき せいや、1994年8月18日 - )は、… 鈴木 誠也(すずき せいや、1994年8月18日 - )は、東京都荒川区出身のプロ野球選手(外野手、指名打者)。右投右打。MLBのシカゴ・カブス所属。 妻は元新体操選手でスポーツキャスターの畠山愛理。 小学2年生の時に荒川リトルで野球を始める。中学校時代には荒川シニアに所属していた。 二松学舍大学附属高校へ進学してからは、投手として1年時の秋からエースの座を確保。2年時には、4月下旬に右太ももの肉離れを発症。同年夏の東東京大会では、本調子から程遠い状態でありながら、チームの準決勝進出に貢献。関東一高との準決勝では、5回に満塁本塁打を打たれるなど不調でチームも0-7で8回コールド負けを喫した。3年夏の東東京大会では準々決勝で谷岡竜平擁する成立学園高校と対戦したが2回途中3失点で降板。
南 要輔(みなみ ようすけ、1994年8月7日 - )は、東… 南 要輔(みなみ ようすけ、1994年8月7日 - )は、東京都青梅市出身の元プロ野球選手(内野手)。右投右打。プロでは育成選手であった。 東海大菅生高校では、3年次の夏に控えとしてベンチ入り。西東京都大会4回戦で都立片倉高校に敗れた。 高校卒業後は、明星大学に進学し硬式野球部に入部する。首都大学リーグの二部で活躍し、4年次の秋には打率.442を記録。首位打者とベストナインを獲得し、チームの二部優勝に貢献した。入れ替え戦でも、城西大学に勝ち越し9季ぶりの一部復帰を決めた。 2016年10月20日、プロ野球ドラフト会議において東北楽天ゴールデンイーグルスから育成ドラフト2巡目で指名され、支度金200万円、年俸250万円で合意、入団。
柿澤 貴裕(かきざわ たかひろ、1994年7月30日 - )… 柿澤 貴裕(かきざわ たかひろ、1994年7月30日 - )は、東京都葛飾区出身の元プロ野球選手。 現在は社会人軟式野球チームでプレーしている。 実妹は柔道選手の柿澤史歩。 小学校1年生の時に野球を始め、葛飾区少年軟式野球連盟の「フレッシュバンビ」に所属していた。小学校の時には野球だけでなく、柔道もやっていたが、「小6の時、小4の妹に抑え込みで負けてしまって、そのショックで柔道を諦めて野球に専念するようになった」ことを語っている。その後、母親の実家がある鹿児島県に移り住んだ。 神村学園中等部へ進学後は「神村学園リトルシニア」に所属し、3年生の夏に全国ベスト8入りを経験、高等部へ進学してからは1年生の秋にベンチ入りした。
佐々木 千隼(ささき ちはや、1994年6月8日 - )は、… 佐々木 千隼(ささき ちはや、1994年6月8日 - )は、東京都日野市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。横浜DeNAベイスターズ所属。 小学校2年生から日野イースタンジュニアで野球を始め、ポジションは主に三塁手、6年生からは投手も務めた。日野市立三沢中学校では軟式野球部に所属し、ポジションは投手・三塁手・外野手。都大会ベスト8が最高成績であった。 東京都立日野高等学校では硬式野球部に所属し、1年夏から控え三塁手としてベンチ入り。2年冬には東京都選抜に選出され、3年春からはチームのエースとなった。3年夏の西東京大会では、3回戦で早稲田実業を相手に延長13回221球を投げ抜き、3失点完投勝利。
坂東 瑞紀(ばんどう みずき、1994年3月15日 - )は… 坂東 瑞紀(ばんどう みずき、1994年3月15日 - )は、日本の元女子プロ野球選手(投手)、野球指導者。2024年から広島県内の女子野球チーム・はつかいちサンブレイズに所属。 尾道市内の小学校で少年野球チームに入団する。地元の公立中学校に通い、女子硬式野球部がある駒沢学園女子高校、至学館大学へ進学する。 2016年埼玉アストライアへ入団。同年途中に兵庫ディオーネへ移籍。 2018年京都フローラへ移籍。 2019年からは愛知ディオーネへ復帰した。 2020年シーズン限りで女子プロ野球を退団、2021年から始動する女子硬式クラブチーム「阪神タイガース Women」に所属することが発表された。背番号は15。
茂木 栄五郎(もぎ えいごろう、1994年2月14日 - )… 茂木 栄五郎(もぎ えいごろう、1994年2月14日 - )は、東北楽天ゴールデンイーグルスに所属する東京都小金井市出身のプロ野球選手(内野手)。
中村 沙織(なかむら さおり、1994年1月18日 - )は… 中村 沙織(なかむら さおり、1994年1月18日 - )は、日本の元女子プロ野球選手。神奈川県出身。捕手、右投げ右打ち。 蒲田女子高校出身。2011年に日本女子プロ野球機構による第3回合同トライアウトを受験し合格、2012年は、京都アストドリームスで、2013年はイースト・アストライアでプレー。同シーズン後、自由契約。
岡田 明丈(おかだ あきたけ、1993年10月18日 - )… 岡田 明丈(おかだ あきたけ、1993年10月18日 - )は、東京都練馬区出身のプロ野球選手(投手)。右投左打。 東京都練馬区の強豪・大泉第二中学校の軟式野球部で三塁手として野球を始める。中学3年の時に両親が離婚し、高校入学のタイミングで母の実家がある大阪へ転居する。 大阪商業大学高等学校で投手に転向。3年夏にストレートの球速が140km/hを記録し背番号10ながら先発を任される。準々決勝の大阪桐蔭戦で先発したが5回で0対10とコールド負けを喫し、甲子園出場はなかった。 大阪商業大学に進学し、1年春からリーグ戦に出場するも、その後3年の春まで登板機会がなかった。登板機会がなかった原因としては故障などではなく、絶対的エース(近藤大亮)を起用して好成績を残したいというチーム事情と岡田の実力不足という要因があった。
吉永 健太朗(よしなが けんたろう、1993年10月13日 … 吉永 健太朗(よしなが けんたろう、1993年10月13日 - )は、東京都日野市出身の元社会人野球選手(投手)、ベースボール5選手。右投右打。 日野市立南平小学校時に南平アトムズで野球を始める。日野市立七生中学校時には調布シニアに所属。 3年時には全国大会で春夏ベスト8の成績を残す。 2009年、日大三高に進学。1年秋よりベンチ入りし、2年生となった第82回選抜高等学校野球大会では控え投手として登板。秋からはエースとなり、第41回明治神宮野球大会ではチームを優勝に導いた。 3年時の第83回選抜高等学校野球大会ではベスト4、第93回全国高等学校野球選手権大会では優勝と結果を残した。選手権後、2011年8月28日から開催の第9回AAAアジア野球選手権大会に日本代表の一員に選ばれ、最優秀防御率賞を獲得し、オールスターチーム(ベストナイン)に選出された。
山本 泰寛(やまもと やすひろ、1993年10月10日 - … 山本 泰寛(やまもと やすひろ、1993年10月10日 - )は、東京都荒川区出身のプロ野球選手(内野手)。右投右打。中日ドラゴンズ所属。 読売ジャイアンツ(巨人)、阪神タイガース、中日ドラゴンズのセントラル・リーグ3球団に現役選手として在籍した初の人物である。妻は元毎日放送アナウンサーの辻沙穂里。愛称は「ヤス」。 台東区立根岸小学校時代に荒川ジャンプで軟式野球を始めると、荒川区立諏訪台中学校では世田谷西シニアに所属。当時は投手で、世田谷西シニア時代には全国大会での優勝を経験している。 慶應義塾高等学校1年時に投手から遊撃手へ転向すると、2年夏の全国高等学校野球選手権神奈川大会から正遊撃手に定着した。
根本 和也(ねもと かずや、1993年8月20日 - )は、… 根本 和也(ねもと かずや、1993年8月20日 - )は、神奈川県川崎市中原区出身の元プロ野球選手(捕手)。 中高大で球歴がないながらもNPB入りを目指した、異色な経歴を持つ野球選手だった。ニックネームは「ねもい」。 川崎市立東住吉小学校2年生のときから野球を始め、「木月住吉町少年野球チーム」に所属し、投手や三塁手としてプレー。6年生のときには中原区選抜選手にもなった。しかし、進学した川崎市立今井中学校に野球部がなかったため、バレーボール部に入部。セッターとして活躍し、市大会を勝ち抜き、県大会にも出場した。高校生時代からテニスを始めソフトテニス部に所属し、都内で上位の成績を収めた。一浪して一般入試で合格した立教大学でも体育会ソフトテニス部に所属。
吉本 祥二(よしもと しょうじ、1993年6月26日 - )… 吉本 祥二(よしもと しょうじ、1993年6月26日 - )は、東京都足立区出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 父親からグラブとバットを買い与えられたのがきっかけで小学校1年から野球を始め、2年から投手を勤める。中学校時代は軟式野球チームでプレーし、3年生の夏には東京都大会で優勝。都内の強豪校からの誘いもあったが、厳しい上下関係が嫌との理由から断り足立学園高に進学。1年生の夏からベンチ入りし、2年時夏の東東京予選1回戦の都科学技術高戦で先発登板し4回を投げて10奪三振でノーヒットに抑え、3回戦東洋高戦では5回をヒット1本に抑えベスト16入りするも、4回戦の修徳高戦では一転して制球に苦しみ、3回5安打を打たれて降板した。
横尾 俊建(よこお としたけ、1993年5月27日 - )は… 横尾 俊建(よこお としたけ、1993年5月27日 - )は、東京都多摩市出身の元プロ野球選手(内野手・外野手、右投右打)、プロ野球コーチ。 南鶴牧小学校3年から武蔵府中リトルで野球を始める。チームメイトには1学年先輩に南貴樹、同期に茂木栄五郎と菅野剛士、2学年後輩に石川亮、2002年から2004年の間は1学年下にクーパー・ヒュンメルがいた。横浜市立あざみ野中学校時代は中本牧シニア、相模ホワイトボーイズで捕手を務めた。 日大三高校入学後、1年の秋からレギュラーとして活躍。第82回選抜高等学校野球大会では1学年先輩の山﨑福也を擁し、4番打者として横山雄哉や有原航平などの投手から安打を量産した。興南高校との決勝では島袋洋奨から2安打を打ったが、自身のエラーが決勝点となってしまい敗れた。
野田 亮介 (のだ りょうすけ、1993年5月9日 - )は… 野田 亮介 (のだ りょうすけ、1993年5月9日 - )は、日本のプロ野球審判員。審判員袖番号は48。 日本大学第一高等学校から日本大学へ進み、学生コーチを務めた。同期に山崎晃大朗、1学年上に森脇亮介、戸根千明、1学年下に京田陽太がいた。2017年1月1日に日本野球機構審判部に入局。 (記録は2025年シーズン終了時点)
山﨑 康晃(やまさき やすあき、1992年10月2日 - )… 山﨑 康晃(やまさき やすあき、1992年10月2日 - )は、東京都荒川区出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。横浜DeNAベイスターズ所属。 エイベックス・マネジメントとマネジメント契約を結んでいた。現在はエイベックス・マネジメント・エージェンシー。 2021年開催の東京オリンピック 野球 金メダリスト。 実家が近所で幼い頃から家族ぐるみで親交のあった12歳上の森本稀哲に憧れ、小学2年生の頃に森本も所属した少年野球チームに入り野球を始める。 帝京高等学校では、2年時に第91回全国高等学校野球選手権大会、3年時に第82回選抜高等学校野球大会でいずれも準々決勝まで進出した。帝京高校では1学年上に原口文仁、2学年上には杉谷拳士と髙島祥平がいた。
桑田 真樹(くわた まさき、1992年8月10日 - )は、… 桑田 真樹(くわた まさき、1992年8月10日 - )は、独立リーグの球団に所属していた元プロ野球選手(外野手)。 父は読売ジャイアンツなどで投手として活躍した桑田真澄、叔父はプロゴルファーの桑田泉。弟はブライダルモデルでミュージシャンのMatt。 小学校4年生から軟式野球を始め、小学5年生で硬式野球に転向。中学時代はボーイズリーグに所属し、2年夏には外野手、遊撃手として全国大会でベスト16入りした実績を持つ。 桜美林高校時代は甲子園出場はなく、桜美林大4年から外野のレギュラーとして定着。 2014年10月7日にプロ志望届を提出したが、NPBのドラフト会議でどの球団からも指名されなかったことから、BCリーグの合同トライアウトを受験。
三ツ俣 大樹(みつまた たいき、1992年5月11日 - )… 三ツ俣 大樹(みつまた たいき、1992年5月11日 - )は、東京都葛飾区出身の元プロ野球選手(内野手)。右投右打。 6歳の時に、岡田彰布のサインボールでキャッチボールしたのをきっかけに葛飾アニマルズで野球を始め、中学時代は江戸川南シニアでプレーする。 修徳高では投手兼遊撃手、エースで4番として活躍。2年夏に都大会ベスト8、3年春では都大会準優勝をしており、この大会では被本塁打が2回戦の明星高校戦の1本だけという結果であり、球威・制球が抜群で非常に飛びにくい球筋であった。この大会をきっかけに少しずつブレイクしていった。3年夏には決勝戦の山下幸輝擁する関東一高戦で好投を見せる。打っては7回に逆転適時打を放つも8回に足がつってしまい降板、その後サヨナラで敗れて甲子園を逃す。
石川 柊太(いしかわ しゅうた、1991年12月27日 - … 石川 柊太(いしかわ しゅうた、1991年12月27日 - )は、東京都品川区出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。千葉ロッテマリーンズ所属。 品川区立立会小学校2年生から「元芝ハヤブサ」で野球を始め、中学までは「水神ファイターズ」で軟式野球をやっていた。 総合工科高へ進学。3年春夏ともに都大会8強入りの実績を残した。東東京大会4回戦高輪高等学校戦では5安打完封勝利を記録した。受験シーズンの頃は、周囲から石川の実力ではレギュラー昇格が無理な大学もいくつかあると見られていた。 創価大学進学後は、先輩の小川泰弘の卒業後から登板機会が増え、4年の大学選手権では初戦で高野圭佑がエースの四国学院大学に完封勝利。
小林 公太(こばやし こうた、1991年9月1日 - )は、… 小林 公太(こばやし こうた、1991年9月1日 - )は、東京都世田谷区出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。NPBでは育成選手であった。現役引退後はラーメン屋の店主を務めている。 小学生のときは世田谷ドラゴンズで主に捕手で活躍、中学時代は城南ドリームボーイズで主に内野を守った。一時は野球を諦め、騎手を目指し競馬学校へ願書を出したほどだったが、中3の夏に急に身長が伸びたため騎手の道は断念した。 2007年、多摩大聖ヶ丘高に入学後、投手に専念。3年時の夏は、西東京予選1回戦の練馬工業高戦で7回参考記録ながら11奪三振でノーヒットノーランを達成するも、続く2回戦で敗退。 2009年9月、横浜ベイスターズの入団テストを受験し、サイドスローからのストレートを武器に合格。
鈴木 昂平(すずき こうへい、1991年6月20日 - )は… 鈴木 昂平(すずき こうへい、1991年6月20日 - )は、東京都武蔵村山市出身の元プロ野球選手(内野手)、コーチ。右投右打。現在はオリックス・バファローズの育成コーチを務める。 中学生時代には東村山リトルシニアでプレー。東海大菅生高校を経て、東海大学へ進学すると、首都大学リーグ戦で遊撃手部門でのベストナイン3回、首位打者1回などの実績を残した。 大学卒業後に三菱重工名古屋へ入社。2年連続で都市対抗野球に出場。チームメイトに高木勇人がいた。 2015年のNPBドラフト会議で、オリックス・バファローズから7巡目で指名。契約金2,700万円、年俸800万円(金額は推定)という条件で入団した。三菱重工名古屋からは前年の高木に続くNPB入りで、背番号は40。
杉谷 拳士(すぎや けんし、1991年2月4日 - )は、東… 杉谷 拳士(すぎや けんし、1991年2月4日 - )は、東京都練馬区出身のYouTuber、タレント、元プロ野球選手(外野手・内野手、右投両打)、実業家。 父は元プロボクサーの杉谷満、伯父も元プロボクサーの杉谷実。 令和におけるNPB初の左右打席本塁打達成者。 練馬区立大泉第三小学校時代はツバメ野球部でプレーし、練馬区立大泉西中学校時代は東練馬シニアでプレーした。 杉谷の1歳上の兄・翔貴も進学していた帝京高校で1年生から正遊撃手を任され、甲子園には春夏通算で3度出場。 2006年夏の第88回選手権大会では準々決勝・智弁和歌山高校戦の大逆転した直後の9回裏に監督の前田三夫から度胸を買われ投手として緊急登板するも先頭打者に死球を与え、わずか1球で降板し敗戦投手となった(詳細は『第88回全国高等学校野球選手権大会智辯和歌山対帝京』を参照)。
坂本 一将(さかもと かずまさ、1990年11月16日 - … 坂本 一将(さかもと かずまさ、1990年11月16日 - )は、東京都新宿区出身の元プロ野球選手(内野手)。右投左打。NPBでは育成選手であった。現在は社会人野球・SUNホールディングスEAST硬式野球部の監督を務める。 小学校から武蔵府中シニアで野球を始めると、世界大会で優勝。新宿区立西戸山中学校時代にも、武蔵府中シニアで日本一を経験した。小中学校の1学年後輩に、長谷川潤がいる。 浦和学院高校に進学すると、2年の夏に第89回全国高等学校野球選手権大会の埼玉県代表として阪神甲子園球場に登場したが、試合には出場しなかった。3年夏には、1番打者として第90回全国高等学校野球選手権記念大会に出場。全国大会の初戦で土屋健二、筒香嘉智、倉本寿彦擁する横浜高校と対戦すると、土屋から5打数3安打を記録したが、チームは敗れた。
西野 真弘(にしの まさひろ、1990年8月2日 - )は、… 西野 真弘(にしの まさひろ、1990年8月2日 - )は、東京都江戸川区出身のプロ野球選手(内野手)。右投左打。オリックス・バファローズ所属。 南葛西小学校時代に「葛西キラーズ」で野球を始め、南葛西中学校では「浦安リトルシニア」に所属し、東海大学付属浦安高校では甲子園出場経験は無し。 国際武道大学4年生の時、千葉県大学野球リーグで春・秋の2季連続で二塁手のベストナインを獲得した。明治神宮野球大会では初戦で富士大・多和田真三郎にノーヒットノーランで敗れた。 JR東日本時代は1年目に第84回都市対抗野球大会でベスト8に進出、社会人野球ベストナインを獲得した(二塁手)。2年目には韓国で行われた第17回アジア競技大会の野球日本代表に選ばれ、4試合に出場、計8打数1安打だった。
尾崎 直輝(おざき なおき、1990年5月8日 - )は、東… 尾崎 直輝(おざき なおき、1990年5月8日 - )は、東京都日野市出身の高校野球指導者。 國學院大學久我山高等学校保健体育科教諭、國學院大學附属幼稚園教員。 國學院久我山高校時代は外野手としてプレーするも肩と腰の怪我から2年途中からは主務兼学生コーチとしてチームを支える。 高校卒業後は系列校の國學院大學に進学するが硬式野球部には入部せずに母校の國學院久我山高校の野球部にて指導に当たる。 大学卒業後は母校の國學院久我山高校に教員として赴任。2013年秋からは当時23歳ながら硬式野球部のコーチから監督に昇格し、「若い監督を指導者として育ててほしい」と学校側から要請を受けた國學院大學総監督・竹田利秋より指導法を学んだ。
井坂 肇(いさか はじめ、1990年4月4日 - )は、東京… 井坂 肇(いさか はじめ、1990年4月4日 - )は、東京都世田谷区出身の元プロ野球選手(投手)。現役引退後の2020年からは、星槎道都大学で経営学部経営学科の助教と硬式野球部のコーチを務め、2024年現在は専任講師。 東京大学から日本の独立リーグでのプレーを経験した初めての野球選手。父は映画監督の井坂聡で、父も東京大学野球部の選手だった。 小学生の頃、元東大野球部の父・聡に連れられて、明治神宮野球場で東京六大学野球を観戦したことを切っ掛けに、父と同じく東大野球部に属することを目指すようになる。小学時代はサッカー部だったが、世田谷区立深沢中学校時代から目黒西シニアで外野手として野球を始める。東京都立日比谷高等学校進学後に投手となり、2年生夏の東東京大会では第1戦で加藤正志がエースの東京実業高を相手に延長再試合に持ち込むほどの力投を見せた。
菊池 涼介(きくち りょうすけ、1990年3月11日 - )… 菊池 涼介(きくち りょうすけ、1990年3月11日 - )は、東京都東大和市出身のプロ野球選手(内野手)。右投右打。広島東洋カープ所属。 愛称は「キク」。2021年開催の東京オリンピック 野球 金メダリスト。 守備の名手として知られ、二塁手としていずれもNPB記録であるシーズン535補殺、シーズン守備率10割(無失策)、569連続守備機会無失策を記録し、10年連続でゴールデングラブ賞を受賞した。打撃面では2022年にセ・リーグ史上初となる100本塁打&300犠打を達成した。 東大和市立第三中学校時代は地元の東大和リトルシニアでプレーし、中学まで東大和市で暮らした後に、シニアの監督の勧めで長野県塩尻市にある武蔵工業大学第二高等学校へ進学。
八木 健史(やぎ たけし、1990年1月13日 - )は、東… 八木 健史(やぎ たけし、1990年1月13日 - )は、東京都八王子市出身の元プロ野球選手(捕手、右投右打)。コーチ。NPBでは育成選手であった。 八王子市立川口中学校時代は「八王子リトルシニア」でプレー。中学卒業後は工学院大附高へ進学。高校時代は捕手を務め、3年時の夏は西東京予選2回戦で八王子高に3-11で敗れた。甲子園出場経験はなし。 高校卒業後は、杏林大学へ進学するも中退。その後、社会人野球のクラブチームである横浜ベイブルースに入団。 2010年1月23日、ベースボール・チャレンジ・リーグの群馬ダイヤモンドペガサスの球団トライアウトに合格し入団。同年は、28試合に出場し打率.147に終わる。
足立 祐一(あだち ゆういち、1989年9月22日 - )は… 足立 祐一(あだち ゆういち、1989年9月22日 - )は、東京都町田市出身の元プロ野球選手(捕手)。右投右打。現在は東北楽天ゴールデンイーグルスでスカウトを務める。 小山田小3年生から「町田ライオンズ」で投手として野球を始めた。小山田中軟式野球部時代から捕手に転向した。 中学時代は小山田中軟式野球部の他、軟式野球チーム「北斗クラブ」でも正捕手を務め、3年秋には町田市少年野球連盟秋季大会中学生の部決勝にて決勝適時打をレフトに放ち優勝に貢献した。 桜美林高では2年生から「4番・捕手」として活躍し、キャプテンも務めた。2年秋には都大会で準優勝したものの甲子園への出場経験はない。 神奈川大では2年次からレギュラーとなり、4年次ではキャプテンを務めた。
遠藤 一星(えんどう いっせい、1989年3月23日 - )… 遠藤 一星(えんどう いっせい、1989年3月23日 - )は、東京都新宿区出身の元プロ野球選手(外野手、内野手)。右投左打。 新宿区立大久保小学校1年の時に野球を始め、新宿区立新宿中学校時代は川崎中央リトルシニアに所属。 駒場学園高等学校では東東京大会ベスト4が最高で甲子園出場経験はなし。3年次の2006年にはプロ志望届を提出したがプロからの指名はなかった。 進学した中央大学では1部通算64試合に出場し、199打数42安打、打率.211、1本塁打、23打点、13盗塁の成績を残した。大学の同期に澤村拓一がいる。 大学卒業後は東京ガスに入社し野球部に入部。2014年は都市対抗野球でベスト8。9月、仁川アジア大会の野球日本代表に選ばれ出場。
秋吉 亮(あきよし りょう、1989年3月21日 - )は、… 秋吉 亮(あきよし りょう、1989年3月21日 - )は、東京都足立区出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 小学1年生の時に足立ジュニアヤンガースに入団。6年生の時に関東大会優勝を果たしている。足立区立江北中学校へ進学後は、同校の軟式野球部と軟式クラブ足立ヤンガースに所属。内野手、外野手をこなしつつ、2年生の時には捕手に指名されたという。 中学卒業後は「試合に出ることを考えて選んだ」という理由として東京都立足立新田高等学校へ進学。1年時の頃から一塁手としてスタメンへ定着、後に投手へ転向しエースとして活躍。2年生の秋の大会では早稲田実業高校と対戦し1対3で敗れはしたが、中盤まで早実打線をノーヒットに抑える好投。
戸田 亮(とだ りょう、1988年9月4日 - )は、東京都… 戸田 亮(とだ りょう、1988年9月4日 - )は、東京都中野区出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 小学生時代に、鷺宮スタージョーズで野球を始める。中野区立第八中学校時代に城西シニアに所属したが、控え二塁手に甘んじ、用具係も務めていた。 大成高校への進学後は一塁手や外野手を経験したが、レギュラーの座は獲得できず、公式戦にも代打を中心に5試合出場しただけだった。 高千穂大学への進学を機に投手へ転向すると、1年生の春に、東京新大学野球の2部リーグ戦で3勝0敗、防御率1.01を記録。その後はエースとして、チームの優勝(1部リーグ昇格)に2度貢献した。2部リーグでは、通算で15勝1敗という好成績を残し、1年秋と4年春に最多勝利・最多奪三振・最優秀防御率のタイトルを獲得。
萱野 未久 (かやの みく、1988年8月27日 - ) は… 萱野 未久 (かやの みく、1988年8月27日 - ) は、日本の元女子プロ野球選手。 2014年に埼玉アストライアに入団、投手ながら本塁打も放つなど投打で活躍した。2017年には最多セーブと最多ホールドのタイトルを獲得。同年限りで引退した。
小池 翔大(こいけ しょうた、1988年6月24日 - )は… 小池 翔大(こいけ しょうた、1988年6月24日 - )は、東京都葛飾区出身の元プロ野球選手(捕手)。右投右打。 葛飾区立高砂小学校1年から投手兼捕手として野球を始める。 修徳学園中時代は、軟式野球部に所属し3年時に第25回全国中学校軟式野球大会で準優勝を果たす。 常総学院高では、1年時の秋から正捕手となり2年時の春、3年時の夏と2度の甲子園出場を果たす。高校通算7本塁打。当時から、ドラフト候補に挙げられていた。 青学大に進学すると、1年時の春季リーグからレギュラーとして出場。開幕の駒大戦でリーグ史上初となる満塁本塁打を放ちデビューを飾ると、リーグ10位となる打率.289をマーク、ベストナインを受賞した。
荒木 郁也(あらき ふみや、1988年4月25日 - )は、… 荒木 郁也(あらき ふみや、1988年4月25日 - )は、東京都江東区出身の元プロ野球選手(内野手、外野手)。右投左打。 中学時代は東京都江東区ポニーリーグの江東ライオンズに所属し、全国3位。日本大学第三高等学校では2年夏に内野手兼外野手として第87回全国高等学校野球選手権大会に出場。3年夏は西東京大会決勝にて斎藤佑樹率いる早稲田実業学校高等部に延長戦の末敗れ、甲子園出場はならなかった。 卒業後は東京六大学野球連盟所属の明治大学経営学部に進学。2年春よりレギュラーに定着。11盗塁を記録し遊撃手としてベストナインに選出された。3年秋には二塁手としてベストナインに選出。リーグ戦通算71試合出場、255打数72安打、打率.282、2本塁打、31打点、36盗塁。
平田 ブルーノ マサキ(Masaki Bruno Hirat… 平田 ブルーノ マサキ(Masaki Bruno Hirata, 1988年3月13日 - )は、ブラジルのサンパウロ州サンパウロ出身の、元野球選手(捕手)。東芝野球部に所属していた。 日系ブラジル人3世。6歳で野球を始め、14歳でボーイズリーグ世界大会にブラジル代表として出場。高校から日本に留学し、八王子高校(現在の八王子学園八王子高校)から亜細亜大学を経て東芝に入社、同社野球部に所属。パンチ力のある打撃が売り物で、入社2年目の2012年に行われた第83回都市対抗野球大会の西関東予選では7回表に代打で登場して同点ホームランを打つなどの活躍を見せている。 2012年に第3回WBCのブラジル代表に選ばれた。
齊藤 勝(さいとう まさる、1988年1月6日 - )は、東… 齊藤 勝(さいとう まさる、1988年1月6日 - )は、東京都大田区出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。 修徳高校時代は、2年時に夏の甲子園(第86回選手権大会)に出場。同大会の東東京大会(予選)で左ひざに死球を受けており、万全の状態ではないながらも2試合連続完封勝利を収めるなど、チームをベスト8進出に導いた。3年時の春は第77回選抜大会に出場したが、肩の故障もあり初戦敗退。同年夏も東東京大会準決勝で敗退した。 高校在籍時からプロ球団の複数のスカウトが指名対象として調査に動いたが、高校卒業後はセガサミーに入社、2006年から活動を開始した硬式野球部の創設メンバーとなる。4年間は故障の影響も残り目立った結果を残せずにいたが、5年目の2010年に頭角を現し、調子を崩していたエース・上津原詳に代わって投手陣を引っ張る中心選手となった。
大塚 豊(おおつか ゆたか、1987年12月20日 - )は… 大塚 豊(おおつか ゆたか、1987年12月20日 - )は、東京都江戸川区出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。日本ハムベースボールアカデミーコーチ。 小学6年生から江戸川南リトルリーグに入団し、2000年の全日本選抜大会で優勝。「3番・捕手」として活躍した。 シニアリーグでは内野手兼投手として活躍し、クリーンアップを打っていた。高校は江戸川南の先輩である小谷野栄一、高口隆行の後を追って創価高等学校に入学。 創価大学進学後は、リーグ戦で1年目に最優秀新人賞、最優秀投手賞を獲得し、2年目以降も防御率が2.02がもっとも悪い成績で他の防御率は常に0点台から1点台前半、先輩の八木智哉を抜く、23連勝のリーグ新記録を含む通算41勝1敗の圧倒的な成績を残し3度の最優秀投手賞、4度のベストナインとMVP、6度の最多勝を獲得した。