橋詰 丈(はしづめ じょう、1996年6月12日 - )は、… 橋詰 丈(はしづめ じょう、1996年6月12日 - )は、日本、千葉県出身の自転車競技(ロードレース)選手。 2011年、トライアウトを受け、エキップアサダ強化チーム、エカーズに加入。 2012年、4月に昭和第一学園高等学校に入学。 2015年、4月に中央大学法学部に入学。
東京都:15人
橋詰 丈(はしづめ じょう、1996年6月12日 - )は、… 橋詰 丈(はしづめ じょう、1996年6月12日 - )は、日本、千葉県出身の自転車競技(ロードレース)選手。 2011年、トライアウトを受け、エキップアサダ強化チーム、エカーズに加入。 2012年、4月に昭和第一学園高等学校に入学。 2015年、4月に中央大学法学部に入学。
新城 雄大(あらしろ ゆうだい、1995年7月3日 - )は… 新城 雄大(あらしろ ゆうだい、1995年7月3日 - )は、東京都三鷹市出身の自転車競技(ロードレース)選手。キナンサイクリングチーム所属。 八重山農林高校時代から、石垣島のチームウィンドフレンドの新城貞美(新城幸也の父)らの指導を受けて自転車競技の力をつける。 2014年から那須ブラーゼンに所属しプロデビュー。2016年はエカーズに移籍。2018年にキナンレーシングチームに移籍。2022年よりキナンの主将を務める。 同姓である新城幸也とは血縁関係はない。
西村 大輝(にしむら ひろき、1994年10月20日 - )… 西村 大輝(にしむら ひろき、1994年10月20日 - )は、兵庫県出身の元自転車プロロードレース選手である。2025年よりヴィクトワール広島の監督に就任。 持病(医原性萎縮性鼻炎)が国内外で6回の改善手術を受けても治癒せず、選手として復帰するのは厳しい中、2022年6月にチームフロント陣より監督就任を打診され、年上の選手が年下の選手を気づかえるなどチーム内の雰囲気や魅力などから、やりがいを感じその場で「ぜひ、おねがいします」と承諾した。後輩と練習し指導などをする機会はあったが、役職についての正式な指導は今回が初めてとなる。チームの地元開催であるジャパンカップサイクルロードレースでの勝利を最大の目標とし、「西村が監督になってからより強く魅力的なチームになったね」と思われるのを目標としている。
馬渡 伸弥(まわたり しんや、1994年6月25日 - )は… 馬渡 伸弥(まわたり しんや、1994年6月25日 - )は、東京都出身の自転車ロードレース選手である。 中学生の頃に自宅近くの多摩湖自転車道をロードバイクで早く走る人達を見て「自分もロードバイクに乗りたい」と思ったのがプロロードレーサーを目指すきっかけだった。高校の頃にはプロを志望していたが、実績もなかったので、すぐにはプロにはなれないと考え、鹿屋体育大学へ進学し、体育学部で競技に活かせる運動生理学や栄養学を学びながら自転車競技部に所属し4年間過ごした。 プロ1年目は、チームのアシストをしながらメンバーの走りを見て学んでいる。全日本選手権で優勝できる選手になるのが次なる目標。 クライマーとして、平坦なコースより短いアップダウンを繰り返すコースを得意としている。
前田 公平(まえだ こうへい、1994年6月15日 - )は… 前田 公平(まえだ こうへい、1994年6月15日 - )は、東京都狛江市出身の自転車競技(マウンテンバイククロスカントリー、シクロクロス、ロードレース)選手である。2018年、2019年の全日本選手権自転車競技大会シクロクロスの優勝者である。 推しのアイドルは芹澤優と山下美月と齋藤飛鳥と筒井あやめである。 2011-2012年 2012-2013年 2014-2015年 2016-2017年 2017-2018年 2018-2019年 2019-2020年 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:スポーツ/PJ:スポーツ人物伝)。
樫木 祥子(かしき しょうこ、1993年11月9日 - )は… 樫木 祥子(かしき しょうこ、1993年11月9日 - )は、日本の自転車ロードレース選手。チーム・イルミネイト(2018 - 2022)、オーエンス所属。 東京都出身。日本大学第二高等学校、2016年駒澤大学文学部歴史学科卒業。ビル管理などの事業を手がける株式会社オーエンス所属。 小さい頃から水泳に取り組む。大学に進学し、トライアスロンをしたかったが、トライアスロン部がなく、代わりに自転車部に入り、ロードレースを始めた。 大学4年時、インカレロード優勝。大学卒業後、2018年から2022年までアメリカ籍のUCI女子コンチネンタルチームで活動。 2019年、アジア選手権ロードレース日本人最高位。
畑中 勇介(はたなか ゆうすけ、1985年6月21日 - )… 畑中 勇介(はたなか ゆうすけ、1985年6月21日 - )は、東京都出身の元自転車プロロードレース選手。現在はキナンレーシングチームのコーチを務めている。 八王子周辺で育ち、早くから活躍していたことから「八王子のスーパースター」、「オレ八王子」などの愛称がある。自転車以外ではヨーヨーの名人という一面を持っている。妻はサイクルライフナビゲーターの絹代。 中学生時に本格的に自転車ロードレースに興味を持ち始める。この頃から当時第一線で活躍していた栗村修と出会い、「テニスは左右非対称のスポーツだから辞めろ」と言われテニス部を辞めるなど、強い影響を受けている。 昭和第一学園高等学校を経て、チームブリヂストン・アンカーのジュニアチームに加入。
鹿沼 由理恵(かぬま ゆりえ、1981年5月20日-)は、日… 鹿沼 由理恵(かぬま ゆりえ、1981年5月20日-)は、日本の自転車競技選手。2010年バンクーバーパラリンピック日本代表。2016年リオデジャネイロパラリンピック日本代表。専門は自転車競技(ポジション/クラスタンデム(視覚障がい)ストーカーBクラス・クロスカントリースキー自転車競技)。 1981年5月生まれ。東京都町田市出身。生まれつき視覚障害(弱視)。 都立文京盲学校卒。25歳でノルディックスキー距離(クロスカントリー)に出会い、2008年から本格的に競技を始める。 2010年バンクーバーパラリンピックではクロスカントリースキー競技で5位に入賞。その後、自転車競技に転向した。 2016年、2016年リオデジャネイロパラリンピックの代表に内定されるも、大会が始まる前に腕が徐々に感覚がなくなり、末梢神経麻痺がおこった。
内田 慶(うちだ けい、1981年2月11日 - 2008年… 内田 慶(うちだ けい、1981年2月11日 - 2008年9月11日)は元競輪選手、元自転車競技選手。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第87期生。現役時代は日本競輪選手会栃木支部に所属。師匠は福田明。弟子にはアテネパラリンピック(2004年)、自転車競技・タンデムスプリント(視覚障害部門)において葭原滋男のパイロットとして同種目の銀メダル獲得に貢献した大木卓也がいる。 東京都中央区出身。埼玉県の大和田小学校2年生の時からスイミングクラブに入ってトライアスロンを始め、6年生の時に自転車競技を中心にレースに出場。学校法人石川高等学校を経て作新学院高等学校に転校し、同校を卒業。 2001年、競輪学校に入学。
吉井 功治(よしい こうじ、1970年9月24日 - )は、… 吉井 功治(よしい こうじ、1970年9月24日 - )は、東京都出身の自転車競技選手、同指導者。 東京都立駒場高等学校を経て、2浪の末、明治大学(以下、明大)商学部に入学。入学後、明大のラグビー部への入部を試みるも断られてしまう。その後、マウンテンバイクを購入する目的で自転車ショップを訪れたところ、ロードバイクが目にとまり、それを購入したことがきっかけとなり、自転車競技への道へと歩むことになった。 大学3年時に明大の自転車競技部に入部。その後、当時は受験資格の年齢上限が24歳未満という制約があったことから、最初で最後の受験機会となった日本競輪学校入学試験に失敗したため、自ら自転車チームを結成して活動することになった。
飯島 規之(いいじま のりゆき、1966年4月15日 - )… 飯島 規之(いいじま のりゆき、1966年4月15日 - )は、日本の元競輪選手、元自転車競技選手、ワイン醸造家。日本競輪学校第61期卒業。現役時は日本競輪選手会埼玉支部に在籍。 東京都で出まれ、その後は川口市、浦和市(現在のさいたま市桜区)へと移り住む。浦和市立南高等学校(現 さいたま市立浦和南高等学校)を経て日本競輪学校に第61期生として入学。同期に神山雄一郎、山田裕仁、紫原政文らがいる中で、在校成績は1勝すら挙げられなかった。 1988年5月8日花月園競輪場にでデビューし4着。初勝利は翌9日の同場。以降の競輪選手としての実績は芳しくなかったが、これは本人の脚質が競輪向きでなかったことによるもので、それでも長い間選手として活躍し続けた。
中込 由香里(なかごめ ゆかり、1965年10月30日 - … 中込 由香里(なかごめ ゆかり、1965年10月30日 - )は、女子自転車競技(MTB・クロスカントリー)選手。京都府出身。旧姓・三田村(みたむら)。 東久留米市立南中学校、東京都立保谷高等学校、東海大学体育学部社会体育学科卒業。もともとはロードの選手であったが、マウンテンバイクのクロスカントリーレースに転向後、1995年から1997の3年連続で全日本選手権を制して第一人者となる。2001年、夫の中込辰吾と共にMTBのteam Sy-Nak Specializedの発起人となり、そのベースとなるペンション「Sy-Nak Cabin」をオープンした。2003年に4度目の全日本選手権に勝利し、翌2004年のアテネオリンピック女子マウンテンバイククロスカントリー代表選手となる。
山宮 正(さんぐう ただし、1959年3月25日 - )は、… 山宮 正(さんぐう ただし、1959年3月25日 - )は、東京都目黒区出身の日本の元自転車競技選手。ベルギー居住。 東海大学付属相模高等学校を経て東海大学へ進学。同大学時代に自転車選手としてのキャリアをスタート。高校時代はサイクリング部に所属。 大学卒業後、宮田工業に入社し、「ミヤタ・レーシングチーム」に所属するが、大学の卒業旅行で訪れたイタリアで、トラックレースを観戦したことをきっかけに、海外でレース活動を行いたいとの夢が膨らみ、留学を志望していたところ、1983年、自転車ウェアの製造会社、パールイズミの支援を受けてアメリカのコロラドへと渡米。コロラドではパールイズミ社がスポンサーになっていたPedal Pushersのメンバーとして、ロッキー山脈の山岳ロードレースを中心に活動。
井上 三次(いのうえ さんじ、1948年3月10日 - )は… 井上 三次(いのうえ さんじ、1948年3月10日 - )は、東京都出身で日本競輪選手会埼玉支部に所属していた元競輪選手であり、1968年メキシコシティーオリンピックの自転車競技・日本代表選手。東京工業高等学校、法政大学出身。 大学時代は短距離種目を中心にインターカレッジ大会等で活躍。また日本短距離界の第一人者でもあった。1968年にウルグアイ・モンテビデオで開催された世界自転車選手権のアマチュア・タンデムスプリントにおいて、当時ライバルだった日本大学の班目隆雄とコンビを組んで3位入賞。班目とともに日本人選手として同大会初のメダリストとなった。また同年のメキシコオリンピックでは日本人選手としてただ一人自転車競技の代表に選ばれ、個人スプリント(二次予選敗退)と1kmタイムトライアル(19位)に出場した。
杉原 鏘一郎(すぎはら しょういちろう、1929年7月3日 … 杉原 鏘一郎(すぎはら しょういちろう、1929年7月3日 - 2006年9月19日)は、日本の元自転車競技選手。東京都八王子市出身。 八王子市千人町の自転車店に生まれる。杉原一郎の長男で、長篠の戦いにおいて武田方足軽大将として討ち死に(参考:「信長公記」長篠の戦)した杉原日向守直明(正直とも)の末裔。日向守直明の母親は豊臣秀吉の正妻高台院の生家との関連も指摘されている。武田家の滅亡後は旗本200俵で番士として徳川幕府に仕え、幕末の当主平助直養は儒学者として知られ、青木昆陽(甘藷先生)の曽孫にあたる。 立教大学在学時代、1951年に行われた第1回アジア競技大会(インド・ニューデリー)、1000mタイムトライアルで優勝。