山口 竣平(やまぐち しゅんぺい、2006年1月15日 - … 山口 竣平(やまぐち しゅんぺい、2006年1月15日 - )は、日本の陸上競技選手。石川県金沢市出身。早稲田大学スポーツ科学部在学中。 中学校は津幡町立津幡南中学校、高校は 佐久長聖高等学校出身。 全国高等学校駅伝競走大会には3年連続で出場した。1年時は7区を走り区間5位だった。2年時は4区を区間2位で走ったが倉敷高校の桑田駿介に離され、優勝を逃した。3年時は3区を走り、日本人1位の区間3位のタイムをマークした。佐久長聖高校は5区を走った佐々木哲が51年ぶりに区間新記録を更新する活躍もあり大会新記録で3度目の優勝を飾った。2年時の全国男子駅伝では4区で区間新記録をマークして大会MVPを受賞し、3年時は3区で区間賞の活躍で優勝に貢献した。
山本 修二(やまもと しゅうじ、1996年8月17日 - )… 山本 修二(やまもと しゅうじ、1996年8月17日 - )は、日本の陸上競技選手。専門は長距離種目。広島県出身。遊学館高校、東洋大学出身。旭化成陸上競技部所属。東洋大学OBでマツダに所属する山本憲二、東洋大学で選手として活躍した山本信二は実の兄。 全国高校駅伝では2年・3年とエース区間の1区を務める。3年時には区間14位。 2人の兄を追うかたちで東洋大学に進学。1年時から同学年の小笹椋と共に頭角を表し、2015年4月に10000mで29分12秒72、10月に5000mで14分10秒56の自己記録をマークする。第92回箱根駅伝では小笹とともにメンバー入りし、優勝争いのなか8区を走ったが区間9位に留まり、チームは準優勝に終わった。
神保 祐希(じんぼ ゆうき、1995年12月2日 - )は、… 神保 祐希(じんぼ ゆうき、1995年12月2日 - )は、日本の陸上競技選手。専門は短距離走。100mで11秒61(ジュニア日本歴代5位)、200mで23秒65(ジュニア日本歴代4位)の自己ベストを持つ。 白山市立美川中学校、石川県立金沢二水高等学校、筑波大学卒業。 陸上競技は小学2年生の時に地元の陸上クラブに入って始めた。 2012年6月、インターハイ北信越大会の100m、200m、400mを自己ベストで制して3冠を達成。7-8月のインターハイは400mで2位入賞を果たすが、100mは準決勝全体10位タイ、200mは準決勝全体9位で決勝進出を逃した。10月の国民体育大会少年A400mはインターハイに続き2位で、全国タイトル獲得まであと一歩だった。
五郎谷 俊 (ごろうたに しゅん、1993年3月31日 - … 五郎谷 俊 (ごろうたに しゅん、1993年3月31日 - )は、日本の陸上競技選手である。長距離種目を専門とする。遊学館高校と東洋大学の卒業を経て、コモディイイダに所属する。 2022年以降はトレイルランに転向している。
宮島卓哉(みやじま たくや、1991年12月12日‐ )は、… 宮島卓哉(みやじま たくや、1991年12月12日‐ )は、日本の陸上競技選手。専門は円盤投。石川県出身。 石川県立羽咋高等学校普通科を卒業後、近畿大学理工学部に進学。卒業後、VOLVERへ入部。 現在M25円盤投げマスターズ日本記録保持者兼VOLVER投擲ブロック長
山本 憲二(やまもと けんじ、1989年11月17日 - )… 山本 憲二(やまもと けんじ、1989年11月17日 - )は、日本の陸上競技選手。専門は長距離走・マラソン。広島県出身。遊学館高校、東洋大学出身。マツダ所属。 同じく東洋大学陸上競技部OBの山本信二、及び山本修二は実の弟である。2人は尊敬する選手として長兄である憲二の名をあげている。
鈴木 雄介(すずき ゆうすけ、1988年1月2日 - )は、… 鈴木 雄介(すずき ゆうすけ、1988年1月2日 - )は、日本の元陸上競技選手。専門は競歩。2012年ロンドンオリンピック日本代表、20Km競歩において2011年世界陸上大邱大会8位入賞、2014年仁川アジア競技大会銀メダル獲得。50km競歩において世界陸上ドーハ大会優勝などの実績を持つ。 2025年2月に山西利和が更新するまで、男子20km競歩の世界記録保持者であった。 石川県能美郡辰口町(現能美市)出身。辰口町立辰口中学校時代から陸上競技を本格的に始め、競歩選手としてスタートした。中学校時代には3000m競歩で12分42秒34、5000m競歩では21分48秒49の中学最高記録をそれぞれマークした。
上野 政英(うえの まさひで、1983年9月10日 - )は… 上野 政英(うえの まさひで、1983年9月10日 - )は、日本の陸上競技選手。専門は短距離走。石川県出身。鶴来中学校、野々市明倫高校、東海大学卒業。2007年アジア選手権男子100mの銀メダリスト。 鶴来中学校時代は野球部に所属し1番センターで活躍。ピッチャーゴロ以外はほとんど内野安打にする俊足を買われ、陸上部に借り出される[要出典]。3年時には全日本中学校陸上競技選手権大会の100mに出場し4位入賞、その後ジュニアオリンピックの100mで自身初の10秒台となる10秒97で優勝した。野々市明倫高校1年時に国体の少年B100mで優勝、2年時に高校生ながら日本選手権の100mに出場し7位入賞、国体の少年A100mで優勝、3年時にインターハイの100mと国体の少年A100mを優勝して全国2冠と国体3連覇を達成するなど、高校時代に輝かしい実績を残した。
杉林 孝法(すぎばやし たかのり、1976年3月14日 - … 杉林 孝法(すぎばやし たかのり、1976年3月14日 - )は、日本の陸上競技選手。専門は三段跳。石川県金沢市出身。星稜高等学校から筑波大学を卒業後、ミキハウスに所属したが、ミキハウスの廃部により、チームミズノアスレティックで競技を続けている。
木村 泰子(きむら やすこ、1976年1月6日 - )は、日… 木村 泰子(きむら やすこ、1976年1月6日 - )は、日本の陸上競技選手。専門は長距離走。石川県江沼郡山中町(現・加賀市)出身。山中町立山中中学校、藤花学園尾山台高等学校 (現・金沢龍谷高等学校)、京都産業大学卒業。 元5000m日本記録保持者、現5000m日本人学生記録(『日本学生』としては歴代2位)保持者、元10000m日本学生記録保持者である。 山中中学、尾山台高校の頃より全国大会に石川県代表として出場していた。1993年の高校3年時、第5回全国高校女子駅伝石川県予選で金沢高校に敗れはしたものの、尾山台は北信越地区代表として全国大会に出場することとなった。エース区間1区6kmを区間16位で走り20:21をマークし、チームは総合45位だった。
板倉 美紀(いたくら みき、1975年8月1日 - )は、日… 板倉 美紀(いたくら みき、1975年8月1日 - )は、日本の元陸上競技(競歩)選手。 石川県羽咋郡志賀町出身。金沢高校、順天堂大学卒。中学1年から陸上競技を始める。当時は中距離走選手。顧問教諭の勧めで中学2年から競歩に取り組み才能が開花。 1992年のバルセロナオリンピック日本代表選手に選ばれ、同年9月にソウルで行なわれた世界ジュニア陸上選手権では銅メダルを獲得したが、この年の12月に練習中に交通事故にあい重傷を負う。しかし、1993年には競技会に復帰した。 金沢学院大学教務助手を経て、2009年度より石川県立大聖寺高等学校講師。2009年11月29日に能美市内の会社員と結婚。 17歳3日はロンドンオリンピック で土井杏南が更新するまで20年間、日本のオリンピック陸上競技における戦後最年少出場者であった。
日向 栄次(ひなた えいじ、1974年1月10日 - )は、… 日向 栄次(ひなた えいじ、1974年1月10日 - )は、石川県出身の陸上競技選手。石川県立小松工業高等学校、東京農業大学卒業。箱根駅伝に4年連続出場し、3・4年時には2区を走り東農大の連続シード獲得に貢献した。石川県の箱根駅伝出場選手の中では史上2人目の4年連続出場を果たしている(石川県勢初の4年連続出場は、青山学院の北野勉選手が1971年~1974年に出場)。卒業後はダイエー~富士重工で息の長い活躍をし、現在はSUBARU陸上競技部のコーチを務めている。 関東インカレ2部ハーフマラソン7位:1時間6分51秒 関東インカレ2部5000m8位:14分27秒37 関東インカレ2部10000m7位:29分55秒76 箱根駅伝予選会3位:1時間1分24秒 関東インカレ2部5000m6位:14分18秒56 第7回出雲駅伝2区5位:22分57秒 父の日向孝雄、兄の日向孝一も陸上競技の経験があり、下記の結果を残している。
大森 重宜(おおもり しげのり、1960年(昭和35年)7月… 大森 重宜(おおもり しげのり、1960年(昭和35年)7月9日 - )は、日本の神職、陸上競技選手である。早稲田大学教育学部、國學院大學文学部神道学科卒、日本体育大学大学院修士課程修了。
室矢 芳隆(むろや よしたか、1930年4月6日 - 201… 室矢 芳隆(むろや よしたか、1930年4月6日 - 2019年3月23日)は、日本の中距離走選手。石川県羽咋郡中甘田村(現・志賀町)出身。 塩田を営む室矢家の7人兄弟の次男として出生する。幼少より塩田の仕事の手伝いや船の櫓漕ぎ、素潜りでの貝採りなどで足腰を鍛えた。時代が軍国主義に向かう中で室矢も旧制中学校の半ばで志願兵となった。実際に戦地へ送られることなく終戦を迎え、新制石川県立羽咋高等学校の1回生として復学した。羽咋高では1932年ロサンゼルスオリンピックに出場した広橋百合子より陸上競技の指導を受けた。元々走ることに自信を持っていた室矢は旧制中学最後の大会となる1947年(昭和22年)の全国中学陸上に800mで出場、2位に入賞した。
広橋 百合子(廣橋 百合子、ひろはし ゆりこ、1916年5月… 広橋 百合子(廣橋 百合子、ひろはし ゆりこ、1916年5月12日 - 1977年4月26日)は、走高跳を専門とする日本の陸上競技選手、学校教師。結婚後の姓は長井(ながい)。石川県羽咋郡北荘村(現・宝達志水町)出身で、大島鎌吉と並ぶ石川県初のオリンピック選手である。元日本記録保持者。 黎明期の日本女子走高跳を支えた人物で、3度オリンピック出場を目指したが、実際に出場が叶ったのは1932年ロサンゼルスオリンピックの1度であった。 1916年(大正5年)5月12日、石川県羽咋郡北荘村小川(現・宝達志水町小川)にて5人きょうだい(1男4女)の三女として生まれる。実家は照覚寺という真宗大谷派の仏教寺院で、父は僧侶、母も羽咋の寺から嫁いだ人であった。
大島 鎌吉(おおしま けんきち、1908年(明治41年)11… 大島 鎌吉(おおしま けんきち、1908年(明治41年)11月10日 - 1985年(昭和60年)3月30日)は、日本の陸上競技選手。専門は三段跳で、1932年ロサンゼルスオリンピック銅メダリストにして元世界記録保持者だった。 石川県金沢市出身。関西大学卒業。 引退後は大阪体育大学副学長(のちに名誉教授)や日本オリンピック委員会 (JOC)委員(のちに名誉委員)を務めた。 金沢市の手広く履物商を営む商家に生まれ、金沢商業学校(現・石川県立金沢商業高等学校)在学中に第四高等学校(現・金沢大学)主催の中等学校陸上競技大会の三段跳で優勝する。関西大学法律科に進学し、1928年アムステルダムオリンピックの予選会を兼ねた全日本選手権で走幅跳2位、三段跳3位となるも選に漏れた(この時選手に選ばれた織田幹雄は三段跳びで日本人初の金メダリストとなった)。
相沢 巌夫(あいざわ いわお、1906年8月29日 - 19… 相沢 巌夫(あいざわ いわお、1906年8月29日 - 1945年10月2日)は、日本の陸上競技(短距離走)選手。陸軍司政官。 石川県金沢市生まれ。金沢の第四高等学校に入学。四高在学中の192年11月3日、神宮競技大会の100m走で10秒8を出し、当時の日本記録に並んだ。 京都帝国大学法学部に進む。1927年10月9日、近畿選手権の100m走で10秒7を記録し、日本記録を更新。日本陸上競技選手権大会では1927年に200m走で日本記録(21秒9)に並び優勝。 1928年5月中旬の日本陸上競技選手権大会では200mで21秒6の日本記録を更新し2連覇、100mでも優勝した。5月下旬に開催された第1回日本学生陸上競技対校選手権大会(インカレ)で100m、200m、4x400mリレーで優勝した。
斎藤 和夫(さいとう かずお)は、日本の競歩選手・指導者。選… 斎藤 和夫(さいとう かずお)は、日本の競歩選手・指導者。選手として日本選手権優勝7回などの成績を残し、オリンピック2大会出場(1964年東京・1968年メキシコシティー)。指導者としては郷里石川県が「競歩王国」と称される土台を築いたほか、日本陸上競技連盟の競歩強化部長も務めた。「国内競歩のパイオニア」「名指導者」と評される人物である。 苗字については「齋藤」と記されるほか、「斉藤」表記も多く見受けられるが、本記事では日本オリンピック委員会(JOC)や日本陸上競技連盟での表記に従い「斎藤」とする。 石川県出身。金沢市立工業高等学校卒業。倉庫精練に所属。 もとは長距離走の選手であったが、競歩に転向。