山口 治太郎(やまぐち じたろう、1943年4月2日 - )… 山口 治太郎(やまぐち じたろう、1943年4月2日 - )は、日本の政治家。 福井県美浜町長(5期)、福井県原子力発電所所在市町協議会会長などを歴任。 福井県三方郡美浜町出身。福井県立若狭農林高等学校卒業後、1962年建設省敦賀国道工事事務所に入省。大阪国道工事事務所工務係長、福井工事事務所建設監督官等を経て、1988年7月に出身地である美浜町の収入役に就任。1997年4月に美浜町助役に就任後、1999年3月、美浜町長に初当選。2015年3月から5期目を務め、2019年の任期満了をもって引退。 一貫して原発推進の立場を取り、美浜原子力発電所の新増設や、原則40年の運転期間を延長することが決まった美浜原発3号機の再稼働にも積極的だった。
田中 節夫(たなか せつお、1943年4月 - )は、日本の… 田中 節夫(たなか せつお、1943年4月 - )は、日本の警察官僚。元警察庁長官。公益財団法人警察協会会長。 福井県鯖江市戸ノ口町出身。京都大学法学部卒。1966年警察庁入庁。警察庁長官では山本鎭彦以来となる非東大法学部出身者である。2013年、瑞宝重光章受章。 2002年退官、2006年6月から2012年6月日本自動車連盟会長、一般社団法人全日本指定自動車教習所協会連合会会長、2018年一般社団法人日本自動車運行管理協会顧問を歴任した。 2019年6月、公益財団法人警察協会会長に就任。
山口 良治(やまぐち よしはる、1943年2月15日 - )… 山口 良治(やまぐち よしはる、1943年2月15日 - )は、日本のラグビー指導者で元日本代表。 京都市立伏見工業高等学校ラグビー部総監督であり、1984年のTBS系土曜21時台のテレビドラマ『スクール☆ウォーズ』(馬場信浩原作)の主人公の滝沢賢治のモデルとなった教師でもあった(科目は体育)。福井県立若狭農林高等学校、日本大学から日本体育大学体育学部体育学科へ転入して卒業、現在は環太平洋大学の総監督を務めている。愛称は「泣き虫先生」。阪神タイガースOBの川藤幸三は高校の後輩であり親交が有り親友である。 福井県三方郡南西郷村(現・美浜町)に生まれる。 小学校1年生の時に母親と死別し、父子家庭で育つが、「いろいろな先生に大事にしてもらった」経験から教師の道を目指す。
高橋 省吾(たかはし しょうご、1943年1月26日 - )… 高橋 省吾(たかはし しょうご、1943年1月26日 - )は福井県出身の元裁判官。現在は山梨学院大学法科大学院教授及び中央大学法科大学院客員教授。
吉川 壽一(よしかわ じゅいち、1943年1月7日 - )は… 吉川 壽一(よしかわ じゅいち、1943年1月7日 - )は、日本の前衛書家、SYOアーティスト。福井県福井市出身。ソニー・クリエイティブプロダクツが著作物のマネジメントを行っている。 福井県立藤島高等学校卒業。上田桑鳩・宇野雪村・稲村雲洞・川崎一照らに師事。1964年に「奎星賞」を受賞し、以後、毎日書道展グランプリ、福井市民文化賞、毎日書道顕彰など多くの賞を受賞。「SHO家」、「SHO Artist」として国内、海外で精力的に活動し、エルメス社のスカーフのSHO作品を制作するなどその活動範囲は非常に広い。 1964年第一回個展「寿一墨象展」を手始めに、中国北京「百福萬福書法展」、パリ「SHO吉川寿一PARIS展」、東京・NHK放送センター「平成独楽吟大書法展」、「寿一SHOワールド」パリなどを開催。
高宮 建一郎(たかみや けんいちろう、1943年1月4日 -… 高宮 建一郎(たかみや けんいちろう、1943年1月4日 - 2005年10月21日)は、日本の植物学者。元東京工業大学大学院生命理工学研究科教授(生体システム専攻)。研究分野は植物生理・光合成。福井県福井市出身。
藤井 信生(ふじい のぶお、1943年 - ) は、日本の電… 藤井 信生(ふじい のぶお、1943年 - ) は、日本の電子工学者。東京工業大学名誉教授。応用科学学会会長、電子情報通信学会基礎・境界ソサイエティ会長を歴任。 福井市出身。1966年慶應義塾大学工学部電気工学科卒業。1968年東京工業大学大学院理工学研究科電子工学専攻修士課程修了。1971年東京工業大学理工学研究科電子工学専攻博士課程修了、工学博士。 アナログ回路専攻で、東京工業大学工学部助手を経て、1975年東京工業大学工学部助教授。1988年東京工業大学工学部教授。1997年電子情報通信学会基礎・境界ソサイエティ会長。 2003年東京工業大学評議員。2005年東京工業大学理工学研究科工学系長・工学部長。
帰山 栄治(かえりやま えいじ、1943年 - 2022年1… 帰山 栄治(かえりやま えいじ、1943年 - 2022年11月22日)は、日本の作曲家・編曲家。福井県大野市出身。 1962年に名古屋大学文学部に入学し、ギターマンドリンクラブに入部、後に同クラブ第6代指揮者。同期のコンサートマスターが榊原喜三である。作曲を中田直宏に師事。名古屋マンドリン合奏団の指揮者、いくつかの学生マンドリンクラブの指導、マンドリン及び合唱コンクールの審査員など。作曲作品は、マンドリン音楽のほか、ギター合奏曲、現代邦楽、室内楽、独奏曲、歌曲、合唱曲、劇音楽、舞踊音楽など百数十曲。マンドリン合奏への編曲作品も二百数十曲あり、特に、ロシア民族楽器オーケストラ曲の紹介に注目すべきものがある。
山崎 正昭(やまざき まさあき、1942年〈昭和17年〉5月… 山崎 正昭(やまざき まさあき、1942年〈昭和17年〉5月24日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の参議院議員(6期)、自由民主党福井県支部連合会長。 福井県大野市議会議員(1期)、福井県議会議員(4期)、福井県議会議長(第73代)、大蔵政務次官、参議院議院運営委員長、参議院武力攻撃事態への対処に関する特別委員長、内閣官房副長官、参議院政府開発援助等に関する特別委員長、自由民主党参議院幹事長、参議院副議長(第29代)、参議院議長(第30代)を歴任した。 福井県大野郡西谷村(現・大野市)出身。1965年、日本大学法学部政治経済学科卒業。 1975年、福井県大野市議会議員に就任。1979年、福井県議会議員に就任。
三木 勅男(みき ときお、1942年4月25日 - )は、日… 三木 勅男(みき ときお、1942年4月25日 - )は、日本の政治家・医師。旭川医科大学卒。元・福井県武生市長。 福井県出身。東京大学法学部を1968年に卒業後、旭川医科大学医学部医学科に入学。卒業後、金沢大学附属病院神経精神科医師、福井医科大学附属病院神経科精神科助手、福井大学保健管理センター助教授、福井厚生病院ストレスケアセンター所長として勤務。1997年武生市長選に出馬し、初当選。2005年5月27日まで2期務めた。2002年には市民のための行政監視官「男女平等オンブット」設立に尽力。2004年12月13日、今立町との合併協定書に調印した。 現在は、医療法人福仁会病院の医師。
奥村 正彦(おくむら まさひこ、1942年1月20日 - 2… 奥村 正彦(おくむら まさひこ、1942年1月20日 - 2021年7月31日)は、日本の演出家、映画監督。日本映画監督協会会員。 福井県勝山市出身。実家は美容院。福井県立勝山高等学校卒、1965年、日本大学芸術学部映画学科卒業後、東京映画に入社。豊田四郎、佐伯幸三、小林正樹、増村保造らに師事。助監督を経て、1982年、花王 愛の劇場『トラック母ちゃん』で監督デビューする。 その後、東京映画を退社し、フリーランスの監督として現在まで多数のTVドラマを手がける。1999年には、初の劇場映画作品『虹の岬』を発表した。
中嶌 哲演(なかじま てつえん、1942年(昭和17年) -… 中嶌 哲演(なかじま てつえん、1942年(昭和17年) - )は、日本の僧。平和運動家、反原発活動家。熊取六人衆支援者。 福井県小浜市生まれ。東京芸術大学中退。高野山大学仏教学科卒業。 高野山大学在学中、友人に半ば強引に平和講習に連れて行かれ、1963年に広島原爆の男性被爆者と出会ったのを機に、小浜で被爆者を訪ね歩いて、広島から呼んだ専門医の診察を受けてもらうなど、被爆者支援の活動を始める。また、日本宗教者平和協議会にかかわった。 1968年に帰郷。1994年の被爆者援護法制定まで26年間、被爆者支援を目的に毎月6日と9日に明通寺周辺3集落(約80戸)で托鉢を続けた 。 1968年に小浜市に原発4基の建設・誘致の計画が持ち上がり、1969年に地元漁協による「内外海原発設置反対推進協議会」の活動が始まる中で、1971年暮れに同協議会の後継組織「原発設置反対小浜市民の会」を結成、事務局長を務める。
光山 勝治(みつやま しょうじ、1942年 - )は日本の漫… 光山 勝治(みつやま しょうじ、1942年 - )は日本の漫画家、元アニメーター。福井県出身。 福井市生まれ、北陸高等学校商学部卒業。学生時代より手塚治虫のアシスタントとして活動し、1961年の虫プロダクション(旧社)設立メンバーとなりテレビアニメ『鉄腕アトム』や『ビッグX』、アニメーション映画『ある街角の物語』で原画や演出を担当した。その後、村野守美と共に虫プロを離れあなぐまプロダクションに所属。 1966年に有限会社キングプロダクションを設立して独立し、1968年には石川球太の後継で『少年画報』に特撮『怪獣王子』のコミカライズを執筆する。1972年にはカナダのトロントへ渡って現地でアニメのキャラクターデザイン・原画・美術などを担当した。
高山 正行(たかやま まさゆき、1942年(昭和17年)- … 高山 正行(たかやま まさゆき、1942年(昭和17年)- )は、日本最初のプロ和太鼓奏者。越前龍天太鼓宗家。福井県福井市出身。1965年(昭和40年)、関西プロダクション株式会社(現・吉本興業ホールディングス株式会社)にスカウトされ、1966年(昭和41年)、大阪市内で、日本芸能界初となるプロ和太鼓集団・王将太鼓を結成し吉本興業舞台デビュー。一躍、看板スターとなり多くの主要舞台に立った。後年は活動の中心を北陸地方に移し、和太鼓チームの結成や指導などに数多く携わっている。福井県太鼓協会創立者。夫人は、元フジテレビアナウンサーで、元最大手ファッション誌のファッションモデル。また、大映(現・株式会社KADOKAWA)社長で映画制作者の永田雅一は夫人の叔父。
山崎 昭(やまざき あきら、1942年 - )は、日本の経済… 山崎 昭(やまざき あきら、1942年 - )は、日本の経済学者で、欧文表示は Akira Yamazaki。専門は、理論経済学・ミクロ経済学・数理経済学。学位は、経済学博士(ロチェスター大学)・経済学博士(一橋大学)。一橋大学名誉教授。 イリノイ大学シカゴ校経済学部助教授、ボン大学経済学部客員教授などを経て、一橋大学経済学部教授、慶應義塾大学経済学部特別招聘教授、明星大学経済学部教授などを歴任。元東京経済研究センター代表理事、元数理経済研究センター代表。 指導学生に、大橋和彦(一橋大学大学院教授)・原千秋(京都大学教授)・本田俊毅(一橋大学大学院教授)・長谷川かおり(東洋英和女学院大学准教授)・石川竜一郎(早稲田大学教授)・星野良明(香川大学准教授)などがいる。
牧野 百男(まきの ひゃくお、1941年(昭和16年)11月… 牧野 百男(まきの ひゃくお、1941年(昭和16年)11月18日 - )は、日本の政治家。元福井県鯖江市長(4期)、元福井県議会議員(1期)。 福井県立待村(現・鯖江市石田上町)出身。福井県立鯖江高等学校卒業。1961年(昭和36年)、福井県庁に入庁。福井県嶺南振興局長、県民生活部長や総務部長などを歴任した。2001年(平成13年)3月、福井県庁を退職。同年4月、小浜市副市長に就任した。2002年(平成14年)12月、同副市長を退任。 2003年(平成15年)4月の福井県議会議員選挙の鯖江市選挙区(定数3)に無所属で立候補しトップ当選を果たした。 同年6月から鯖江市は福井市など4市町村との合併協議を開始。
小島 幸枝(こじま ゆきえ、1941年1月20日 - 201… 小島 幸枝(こじま ゆきえ、1941年1月20日 - 2012年4月27日)は、日本の国語学者。 福井県福井市生まれ。福井大学卒業、上智大学大学院日本文学専攻博士課程満期退学。1985年「『スピリツアル修行』の国語学的研究 - 第一冊「ロザイロの観念」の翻訳」で上智大学より文学博士の学位を取得。東海学園女子短期大学助手、1974年助教授、獨協大学教授。2012年定年。1980年、金田一京助博士記念賞受賞。カトリック学術研究奨励賞受賞。
田中 三郎(たなか さぶろう、1941年 - )は、日本の外… 田中 三郎(たなか さぶろう、1941年 - )は、日本の外交官。内閣情報調査室次長や、シドニー総領事、駐キューバ特命全権大使等を歴任した。 東京生まれ。福井県立武生高等学校、東京外国語大学外国語学部英米学科を経て、オックスフォード大学哲学・政治・経済学部(Philosophy, Politics and Economics)卒業。外務省欧亜局大洋州課首席事務官、外務省情報文化局報道課外国プレス室長、外務大臣官房総務課査察室長、外務大臣官房領事移住部領事第二課長、在ハンガリー日本国大使館参事官、在英国日本国大使館参事官、在ルーマニア日本国大使館参事官、在プレトリア日本国総領事館首席領事、在ハンガリー日本国大使館公使、在英国日本国大使館広報文化センター所長、在タンザニア日本国大使館公使などを経て、1989年岐阜県国際交流センター理事長、岐阜県理事。
大谷 貴代子(おおたに きよこ 1940年(昭和15年) 1… 大谷 貴代子(おおたに きよこ 1940年(昭和15年) 12月25日 - 2012年(平成24年)4月20日)は、浄土真宗東本願寺派第25世法主で東京本願寺(現・浄土真宗東本願寺派本山東本願寺)の住職を務めた大谷光紹の妻。同派第26世法主大谷光見の母。東本願寺大御裏方。浄土真宗東本願寺派婦人会総裁。全日本仏教婦人連盟会長。 真宗誠照寺派の本山・誠照寺第28世法主の二条秀淳、木辺孝慈の娘・弘子の長女として、福井県鯖江市に生まれる。 京都女子大学文学部英文科を卒業後、1964年(昭和39年)に当時真宗大谷派の新門(法主後継者)であった大谷光紹と婚姻。翌年には長男・光見が誕生。 「改革派」が率いる真宗大谷派内局と対立してきた光紹が、1981年(昭和56年)、自身が住職を務めていた東京本願寺の宗派から離脱を東京都より認証され、1988年(昭和63年)に同寺を本山として浄土真宗東本願寺派を立ち上げると、その法主「裏方」となり、光紹逝去後は「大御裏方」として教化にあたる。
内藤 雅雄(ないとう まさお、1940年12月24日 - )… 内藤 雅雄(ないとう まさお、1940年12月24日 - )は、日本のインド史学者、東京外国語大学名誉教授。 福井県武生市に仏師の子として生まれる。福井県立武生高等学校卒、1964年東京外国語大学インド・パーキスターン語科卒、1967年東京大学大学院印度哲学修士課程修了。1969年東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所助手、84年助教授、94年教授、2002年定年退官、名誉教授、専修大学文学部教授、2011年退職。
辻 佳紀(つじ よしのり、1940年12月20日 - 198… 辻 佳紀(つじ よしのり、1940年12月20日 - 1989年4月25日)は、福井県敦賀市出身の元プロ野球選手(捕手)・コーチ、解説者。
井ノ部 康之(いのべ やすゆき、1940年4月23日 - )… 井ノ部 康之(いのべ やすゆき、1940年4月23日 - )は、日本の小説家。 1940年(昭和15年)、福井県大野市に生まれる。福井県立大野高校卒業後、東北大学文学部美学美術史学科卒業。 図書編集者の後、テレビの構成作家となり、ドキュメンタリー番組、スポーツ番組、ワイドショー番組などの台本を多数執筆。1993年には「雪炎・星と語る男たち」でギャラクシー選賞を受賞。 近年は小説・ノンフィクションの執筆に専念している。主な作品は、千家三部作「千家再興」、「千家奔流」、「千家分流」(読売新聞社)。2020年には齢80にして、「白嶺の金剛夜叉 山岳写真家 白籏史郎」(山と渓谷社)を上梓した。
川田 達男(かわだ たつお、1940年1月27日 - )は、… 川田 達男(かわだ たつお、1940年1月27日 - )は、日本の実業家。セーレン株式会社代表取締役会長・最高経営責任者、北陸電力社外取締役、ダイキン工業社外取締役、元福井商工会議所会頭(2009年3月1日 - 2019年10月31日)、北陸経済連合会常任理事(元副会長)。 福井県福井市生まれ。福井県立高志高等学校、明治大学経営学部卒(土屋喬雄ゼミ)。 平成27年秋の叙勲にて、旭日中綬章を受章 。創業120年を超える地元大手企業であるセーレン株式会社がかつて経営不振にあえいでいた1987年、47歳の若さで創業家から経営を託され、代表取締役に就任。 赤字続きで存続の危機にあった同社を再生させたことで知られる。
松尾 欣枝(まつお よしえ、1940年 - )は、日本の研究… 松尾 欣枝(まつお よしえ、1940年 - )は、日本の研究者。奈良女子大学名誉教授。 1940年福井県生まれ。元奈良女子大学大学院・人間文化研究科教授。福井県立若狭高等学校、奈良女子大学理学部理学科を経て、大阪市立大学大学院修了。学位:理学(博士)。卒業後は母校、奈良女子大学で助教授、教授を歴任。
村田 修(むらた おさむ、1940年 – 2025年9月9日… 村田 修(むらた おさむ、1940年 – 2025年9月9日)は、日本の水産学者。近畿大学名誉教授。近畿大学水産研究所顧問。近大マグロ考案者。 福井県小浜市出身。福井県立小浜水産高等学校(現:福井県立若狭高等学校海洋科学科)を経て、近畿大学農学部水産学科卒業後、近畿大学水産研究所教授や水産養殖種苗センター長、水産研究所所長などを歴任。水面を網で区切って行う養殖方法、小割式網イケス養殖技術の開発やブリからの採卵など、海水魚養殖研究の黎明期に中心的な役割を果たした。その後、世界初のヒラメ種苗生産や、クロマグロやクエなどの新養殖魚種の開発などに精力的に取り組み、成果をあげた。 2025年9月9日、和歌山県田辺市内の病院で肺炎により死去。
京藤 敦子(きょうとう あつこ、1940年 - )は、日本の… 京藤 敦子(きょうとう あつこ、1940年 - )は、日本のファッションモデル。1961年、ミス・インターナショナル日本代表。 1940年、福井市に生まれる。 和江商事(のちのワコール)の下着モデルとして活動したこともある。作家の北康利によると、有名だから抜擢されたのではなく、当初は無名だったが和江商事のモデルとなったことでステップアップしていった。伊東絹子(1953年、ミス・ユニバース第3位入賞)、松本千都子(1964年、ミス・ユニバース日本代表)、団令子(映画女優)や山口富美子(ミス京都)も和江商事のモデル出身である。 1961年6月14日、大阪市北区中之島のフェスティバルホールで開催された「1962年度ミス日本コンテスト」で、ミス・インターナショナル日本代表に選出される。
土田 ヒロミ(つちだ ひろみ、1939年12月20日 - )… 土田 ヒロミ(つちだ ひろみ、1939年12月20日 - )は、日本の写真家。本名は宏美。男性。大阪芸術大学写真学科客員教授。ニコンサロン運営委員。 福井県南条郡今庄町(現・南越前町)出身。福井県立武生高等学校、福井大学工学部卒。ポーラ化粧品本舗(現・ポーラ)の開発部に勤務しながら東京綜合写真専門学校に通う。1971年よりフリーとなる。東京綜合写真専門学校校長を務めた後、2000年より大阪芸術大学教授となる。教え子に岡田敦など。 「人の群れ」に対して焦点をあてた写真を多く撮る。代表作は『俗神』『砂を数える』『ヒロシマ』。
吉野 浩行(よしの ひろゆき、1939年11月2日 - 20… 吉野 浩行(よしの ひろゆき、1939年11月2日 - 2022年4月1日)は、日本の実業家。自動車エンジニア。元本田技研工業代表取締役社長。福井県出身。 旧満洲国出身。第二次大戦後、両親の故郷である福井県に引き揚げる。その矢先に大地震が福井を襲い、幼少時の生活は大変苦労したという。その後、福井県乾徳高校(現在の福井県立福井商業高校)を卒業すると、一浪して東京大学工学部航空学科に入学。元プリンス自動車の常務で、後に日産自動車の専務になる中川良一(中島飛行機出身)の講義を受け、航空学を学ぶ。将来は三菱重工か川崎重工に就職するつもりだったというが、学生時代に参加した軽飛行機の設計コンテストのスポンサーだったホンダを訪問したのを機に、卒業後1963年4月に本田技研工業に入社した。
南部 英夫(なんぶ ひでお、1939年9月7日~ )は、日本… 南部 英夫(なんぶ ひでお、1939年9月7日~ )は、日本の映画監督、脚本家。福井県武生市(現:越前市)出身。 福井県立武生高等学校、早稲田大学法学部卒業後、スライド制作会社勤務を経て、1965年に松竹大船撮影所に入社する。入社当時は、かつての最盛期には年間11億を超えた映画人口が、テレビの普及や娯楽の多様化に押されて、3億台にまで落ち込んだ映画のドン底時代だった。入社直後に給料遅配となり、自宅待機などの合理化で撮影所のスタッフは激減した。 学生時代に観た映画「にっぽん・ぱらだいす」(松竹作品)に感銘を受けていたことで、当該作品の監督である前田陽一に師事する。以降、前田作品に加えて、先輩助監督で監督に昇進した田向正健・山根成之監督などの共同脚本に参加する。
蓑輪 秀邦(みのわ しゅうほう、1939年6月6日 - )は… 蓑輪 秀邦(みのわ しゅうほう、1939年6月6日 - )は、浄土真宗の僧、哲学者、仁愛大学名誉教授。 福井県鯖江市出身。1963年京都大学文学部哲学科卒、真宗大谷派教学研究所に勤務ののち1972年郷里に帰り、仰明寺住職。同年仁愛女子短期大学助教授、80年教授、2001年仁愛大学人間学部教授、図書館長。2010年退任、名誉教授。高倉会館館長。
林ヶ谷 昭太郎(はやしがたに しょうたろう、1938年5月5… 林ヶ谷 昭太郎(はやしがたに しょうたろう、1938年5月5日 - 2017年2月26日 )は、日本出身の民族学者。カリフォルニア州立大学サクラメント校名誉教授。 福井県小浜市に生まれる。関西大学法学部第2部を卒業。語学学習に通っていた大阪YMCA所長の勧めで「日米文化の考えの違い」という論文を執筆してロックフェラー財団の懸賞に応募したところ、優等賞となり、奨学金を得て1963年8月に船で渡米した。カリフォルニア大学バークレー校国際学部を卒業する。元は国際弁護士志望だったが、奨学金が半年分しかなく、バークレー校東洋語専攻の日本人教授の助手となったことで民族学に進むこととなった。1969年、34歳でカリフォルニア大学サクラメント校の民族研究センター(Ethnic Studies Center)を設立して、教授となる。
松村 龍二(まつむら りゅうじ、1938年〈昭和13年〉2月… 松村 龍二(まつむら りゅうじ、1938年〈昭和13年〉2月25日 - 2025年〈令和7年〉9月19日)は、日本の政治家。位階勲等は従三位旭日重光章。 自由民主党・清和政策研究会(町村派)所属の元参議院議員(3期)、国土交通副大臣、文部政務次官などを歴任した。 福井県福井市生まれ。父親が中華民国で働いていた医師であったことから、太平洋戦争の終戦まで青島で育った。戦後、日本に戻り福井県勝山市に住む。1961年(昭和36年)東京大学法学部を卒業。 その後、警察庁に入庁。キャリア(警察官僚)として、外務省や総理府、防衛庁に出向もしながら、1986年(昭和61年)から岐阜県警察本部長を、1990年(平成2年)から埼玉県警察本部長などを歴任。
浜中 祥和(はまなか よしかず、1938年1月14日 - )… 浜中 祥和(はまなか よしかず、1938年1月14日 - )は、福井県出身の元プロ野球選手(内野手)・コーチ。 若狭高校では、同期のエース松井武雄を擁し1955年春夏の甲子園に連続出場。春の選抜では準々決勝に進むが、県尼崎高の今津光男投手に完封を喫する。夏の選手権は、2回戦で立命館の富永格郎投手に抑えられ敗退。同年の神奈川国体は決勝に進むが、エース高橋正勝を擁する四日市高に接戦の末に3-4で敗れ、準優勝にとどまる。 卒業後は立教大学へ進学。長嶋茂雄の2年後輩に当たり、東京六大学野球リーグでは5回優勝。1957年、1958年に全日本大学野球選手権大会連続優勝。リーグ通算37試合出場、126打数33安打、打率.262。
瞳 麗子(ひとみ れいこ、1938年1月10日 - )は、日… 瞳 麗子(ひとみ れいこ、1938年1月10日 - )は、日本の女優。福井県出身。白百合学園高等学校出身。本名は額賀 直美、旧芸名は瞳 麗香。長男はプロゴルファーの額賀靖生。長女は歌手の弘妃由美。 松竹歌劇団の戦後の第10期生。同期に女優の青江奈美がいる。卒業後は、本格的な女優として活躍する様になり、夫である俳優の倉多爽平とは、映画『あんみつ姫』での共演をきっかけに結婚。 しかし当時、瞳の父は病床にあり、式への列席が望めないことを考慮し、「テレビで姿を見て欲しい」として、当時「番組内で結婚式を挙げる」との内容で放送されていたテレビ番組『ここに幸あれ』(フジテレビ)への出演を希望。 1963年(昭和38年)3月12日に放送された同番組には佐田啓二や久我美子も出席して祝辞を述べた。
笠原 靖(かさはら やすし、1938年 - )は、日本の絵本… 笠原 靖(かさはら やすし、1938年 - )は、日本の絵本作家、イラストレーター、小説家。男性。福井県ふるさと大使。 福井県小浜市出身。明治大学法学部卒業。福井放送アナウンサー、学習研究社を経て、イラストレーターとして独立。空手(日本空手協会所属 5段)。 1990年『夏の終り』で、第7回織田作之助賞受賞。雑誌に作品を多数発表。「中学生の時には犬の言語ノートを作っていましたね。」という程の動物好きで、犬を題材とした作品を多く執筆していた。元警視庁捜査第一課長とその愛犬・フーバーの名コンビが、様々な事件を解決していく動物推理小説『名犬フーバーの事件簿』は、2008年水曜ミステリー9にて、里見浩太朗主演でテレビドラマ化された。
毛利 三彌(もうり みつや、1937年12月3日 - )は、… 毛利 三彌(もうり みつや、1937年12月3日 - )は、日本の演劇学者、成城大学名誉教授。 福井県福井市出身。東京大学文学部美学科卒業、1965年、カリフォルニア大学ロサンゼルス校大学院演劇科修了、M.A.取得、1966年秋から半年、ノルウェー国立科学研究所の奨学金を得てオスロ大学に留学、1967年成城大学専任講師、助教授、教授、文芸学部長、図書館長を務め、2008年定年退職、名誉教授。 1972年からイプセン研究の著書を刊行、1995年三部作が完結する。1986年文学博士(明治大学)。1985年、日本演劇学会河竹賞受賞、1989年、ミルウォーキー大学客員教授、1996年から2006年まで日本演劇学会会長、国際演劇学会(IFTR)理事、1997年よりノルウェー学士院会員。
大久保 泰甫(おおくぼ やすお、1937年8月28日- )は… 大久保 泰甫(おおくぼ やすお、1937年8月28日- )は、日本の法制史家。名古屋大学名誉教授。 主な研究テーマは、明治政府のフランス人法律顧問ギュスターヴ・ボワソナード(ボアソナード)(1825年-1910年)の人物・業績を中心として、「19・20世紀フランスにおける法制史、および法学・法学部の歴史」ならびに「日本近代法史、とくに、近代日本における法典編纂」等。 福井県福井市出身。1960年(昭和35年)、東京大学法学部第2類を卒業。 1961年(昭和36年)より東京大学法学部助手(いわゆる「学士助手」。指導教授は西洋法制史の久保正幡、またフランス法の野田良之の教えを受ける)。1964年(昭和39年)より名古屋大学法学部助教授を経て、1975年(昭和50年)より2001年(平成13年)まで名古屋大学教授を務めた。
時岡 忍(ときおか しのぶ、1937年6月8日 - )は、日… 時岡 忍(ときおか しのぶ、1937年6月8日 - )は、日本の政治家。初代福井県大飯郡おおい町長。 福井県大飯郡大飯町(現・おおい町)出身。1961年大阪工業大学卒業。1999年から旧大飯町長を2期務めたあと、2006年の旧名田庄村との合併で誕生したおおい町の初代町長となり、3期務めた。 2012年には、関西電力大飯発電所3、4号機における再稼働の決断に尽力した。
牧野 伸(まきの のぼる、1937年6月5日 - )は、福井… 牧野 伸(まきの のぼる、1937年6月5日 - )は、福井県出身の元プロ野球選手(投手)、プロ野球審判員。 武生高校ではエースとして1954年夏の甲子園に出場。2回戦(初戦)で新宮高の前岡勤也と投げ合い0-2で惜敗。高校同期の田中平八郎とともに、1956年に東映フライヤーズに入団。その年ルーキーながら開幕投手を務め、翌年には15勝をマークするなど将来を嘱望されていたが、3年目の1958年から調子が下がり始め、1961年オフに近鉄バファローズに移籍。1964年には久保征弘に次ぐ27試合に先発し8勝をあげるが、その後は登板機会が漸減し、1968年限りで現役を引退した。スリークォーターからのスライダー、シュートが武器。
寺島 泰(てらしま ゆたか、1937年4月10日 – 201… 寺島 泰(てらしま ゆたか、1937年4月10日 – 2019年9月12日)は、日本の環境衛生工学者。大阪産業大学教授。京都大学名誉教授。 福井県小浜市出身。1960年京都大学工学部土木工学科卒業。 1976年工学部教授に就任。専門分野は環境衛生工学。2001年、定年により退職。 2017年、瑞宝中綬章を受章。
湊谷 武雄(みなとや たけお、1937年4月9日 - )は福… 湊谷 武雄(みなとや たけお、1937年4月9日 - )は福井県出身の元プロ野球選手、横浜ベイスターズ代表取締役(1997 - 2003年)。選手時代の姓は松井。 福井県立若狭高等学校では1955年、エースとして甲子園に春夏連続出場を果たす。春の選抜では準々決勝に進むが、県尼崎高の今津光男投手に完封を喫する。同年の春季北信越地区大会県予選決勝で、武生高を相手にノーヒットノーランを達成。北信越地区大会でも決勝で大町南高を降し優勝した。同年夏の選手権では、2回戦で立命館高の富永格郎投手に抑えられ敗退。カーブ、ドロップ、シュートが武器だった。高校同期には、後にプロで同僚となる遊撃手の浜中祥和がいた。 1956年に投手として大洋ホエールズ(現・横浜DeNAベイスターズ)に入団。
吉岡 芳夫 (よしおか よしお、1937年3月 - )は、日… 吉岡 芳夫 (よしおか よしお、1937年3月 - )は、日本の工学者。現在、金沢工業大学教授。専門は、プラズマ応用、放電現象、遮断器などの電力用機器、計算機シミュレーション等。学位は工学博士。
伊藤 俊也(いとう しゅんや、1937年(昭和12年)2月1… 伊藤 俊也(いとう しゅんや、1937年(昭和12年)2月17日 - )は、日本の映画監督・脚本家。 いとう としやと紹介される場合があるが、いとう しゅんやが正しい。 福井県福井市出身。乾徳高等学校を経て、東京大学文学部卒業。 1960年、東映撮影所に入り助監督・脚本家として活動。助監督時代の映画に『河内遊侠伝』(1967年)がある。 1970年、千葉真一主演の『やくざ刑事シリーズ』の第二作『やくざ刑事 マリファナ密売組織』を野田幸男と共同監督。 1972年、梶芽衣子主演『女囚701号 さそり』を単独で監督、本人はこれをデビュー作としている。鮮烈な様式美で『女囚さそりシリーズ』としてシリーズ化されたが、先鋭的な演出がどんどんエスカレートしたこともあり第3作で降板。
田中 平八郎(たなか へいはちろう、1937年2月6日 - … 田中 平八郎(たなか へいはちろう、1937年2月6日 - )は、福井県出身の元プロ野球選手。 武生高校では1954年に夏の甲子園へ出場した。 1955年に東映フライヤーズへ入団。1956年に退団した。
児嶋 眞平(こじま しんぺい、1936年12月29日 - )… 児嶋 眞平(こじま しんぺい、1936年12月29日 - )は、日本の工学者。京都大学名誉教授。前・福井大学学長。専門は有機化学、有機金属の化学、環境化学。工学博士(京都大学、1969年)。福井県出身。 1936年京都府京都市生まれ。1944年に福井県丹生郡志津村(現・福井市)へ疎開。1955年藤島高校卒業まで清水町で育つ。1955年京都大学工学部工業化学科入学。1986年京都大学教養学部教授、1992年京都大学総合人間学部教授、1993年-96年総合人間学部長、1997年福井大学学長、現在に至る。 2012年瑞宝重光章受章。
松村 康世(まつむら やすよ、1936年10月13日 - )… 松村 康世(まつむら やすよ、1936年10月13日 - )は、福井県敦賀市出身の女優。旧芸名は松村 安子(まつむら やすこ)。身長163cm、体重54kg。 劇団くるみ座出身。趣味・特技は三味線と山歩き。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
藤枝 晃雄(ふじえだ てるお、1936年9月20日 -201… 藤枝 晃雄(ふじえだ てるお、1936年9月20日 -2018年4月26日)は、美術評論家、武蔵野美術大学名誉教授。本名は藤枝照容(ふじえだ てるかた)。 福井県越前市出身。実家は陽願寺で、シベリア抑留経験者の父を持つ。東京都立戸山高等学校、東京芸術大学美術学部卒業。卒業論文はマルセル・デュシャンについて扱い、装丁は石岡瑛子が担当した。在学中にはモダニズム詩に熱中し、北園克衛発行の「VOU」に参加。京都大学大学院を経てペンシルベニア大学大学院に留学、2002年「ジャクソン・ポロック」で大阪大学文学博士。 専攻はポロック、ブラック、草間彌生など。1960年代後半から『美術手帖』などに論評を寄せた。
河崎 義祐(かわさき よしすけ、1936年5月20日 -)は… 河崎 義祐(かわさき よしすけ、1936年5月20日 -)は、日本の映画監督。 福井県福井市生まれ。福井県立高志高校を1955年に卒業、1960年に慶應義塾大学経済学部卒業後、東宝に入社。当初は宣伝部に勤務していたが、1962年に製作部に転属。黒澤明の『どですかでん』、加藤泰『日本侠花伝』、岡本喜八『日本のいちばん長い日』、森谷司郎『大空戦』など、約40作品の助監督を務めた。1975年、『青い山脈』で監督に昇格。同作で第1回大阪市民映画祭新人監督賞を受賞した。翌1976年公開の『挽歌』では、主演の秋吉久美子がアジア映画祭主演女優賞を受賞。以降、多くのアイドル映画を手掛けた。東宝配給ながらホリ企画制作が一貫して日活へ制作外注していた山口百恵主演シリーズにも東宝監督としては初めて招かれ、『炎の舞』で日活撮影所に赴いている。
田中 和男(たなか かずお、1936年4月3日 - 2017… 田中 和男(たなか かずお、1936年4月3日 - 2017年7月8日)は、福井県出身の日本の編集者。 福井県武生市に生まれる。1955年(昭和30年)、武蔵野美術大学に入学するが学校の方針に反発し中退。その後日本文学学校で文章の基礎を学び、平凡社の雑誌『太陽』など多くの編集の仕事に携わる。 1968年(昭和43年)、自身の他にデザイナー、カメラマンらと編集プロダクション「ル・マルス」を設立し、富士ゼロックスの発行するPR誌『グラフィケーション』の編集を始める。以降、48年にわたり同誌の編集責任者を務めた。 2017年(平成29年)7月8日、大腸癌により死去。享年81歳。 美術評論家の藤枝晃雄、直木賞作家の有明夏夫とは勝山精華高等学校(現福井県立勝山南高等学校)時代の同窓。
波多野 哲朗(はたの てつろう、1936年3月15日 - 2… 波多野 哲朗(はたの てつろう、1936年3月15日 - 2020年10月2日)は、日本の映画評論家、映像作家、翻訳家。東京造形大学名誉教授、日本大学大学院芸術学研究科非常勤講師。 福井市出身。日本映像学会元会長、日本映画学会名誉顧問、日本アニメーション学会名誉会員 を務めた。 1969年から1971年まで山根貞男、手島修三とともに映画批評誌『シネマ』(誌名は『シネマ69』『シネマ70』『シネマ71』と変遷)の編集・発行に携わる。 1998年には、オートバイによるユーラシア大陸横断ツーリングを計画し、みずから隊長としてロシアのウラジオストックからポルトガルのロカ岬まで16000キロを約2か月をかけて横断に成功した。