斉藤 日出治(さいとう ひではる、1945年12月7日 - … 斉藤 日出治(さいとう ひではる、1945年12月7日 - )は、日本の経済学者、元大阪産業大学教授。専門は社会経済学。 長野県伊那市生まれ。長野県諏訪清陵高等学校を経て、1968年東京外国語大学インド・パキスタン学科卒業、1975年名古屋大学大学院経済学研究科博士課程満期退学。平田清明に師事。1995年「物象化世界のオルタナティブ -現代資本主義と言語・情報・記号」で経済学博士(名古屋大学)。大阪産業大学経済学部助教授、教授。副学長をへて2016年退職。
小林 秀明(こばやし ひであき、1945年(昭和20年)12… 小林 秀明(こばやし ひであき、1945年(昭和20年)12月 - )は、日本の外交官。東宮侍従長、タイ駐箚特命全権大使、赤坂迎賓館館長などを歴任した。現在は帝京大学冲永総合研究所教授。長野県出身。 長野県長野高等学校、1968年(昭和43年)東京大学法学部を卒業し、外務省に入省した。
飯島 勲(いいじま いさお、1945年〈昭和20年〉10月1… 飯島 勲(いいじま いさお、1945年〈昭和20年〉10月13日 - )は、日本の議員秘書、国家公務員。内閣官房参与。 内閣総理大臣秘書官(政務担当)、厚生大臣秘書官、郵政大臣秘書官、衆議院議員公設秘書、自由民主党秘書会副会長などを歴任した。 2013年(平成25年)には、阿部守一長野県知事より長野県県政参与を委嘱された。 駒沢女子大学人文学部客員教授(2007年〜2011年)、学校法人松本歯科大学常務理事、松本歯科大学歯学部特任教授。 小泉純一郎の初当選時から議員秘書、小泉の内閣総理大臣在任中は内閣総理大臣秘書官を務めた。表彰歴には永年秘書衆議院議長表彰、永年公務員内閣総理大臣表彰などがある。
六代目(四代目)月の家 圓鏡(つきのや えんきょう、1945… 六代目(四代目)月の家 圓鏡(つきのや えんきょう、1945年9月11日 - )は、長野県出身の落語家。出囃子∶「木曽節」。本名∶日吉 正。落語協会所属。 長野県下伊那郡売木村生まれ、東京都大田区蒲田育ち。東京都立大森高校卒業、東京理科大学理学部中退。 1966年2月、五代目月の家圓鏡に入門、1970年10月に前座名「月の家杵助」として楽屋入り。初高座は人形町末廣。 1972年4月に二ツ目昇進、橘家舛蔵に改名。1974年、第3回放送演芸大賞最優秀ホープ賞を受賞。 1982年4月に三遊亭小歌、柳家さん枝、林家えび蔵、林家ばん平、金原亭駒三らとともに真打昇進。初代月の家小圓鏡に改名。1999年4月に六代目月の家圓鏡を襲名した。
友野 宏(ともの ひろし、1945年7月13日 - )は、日… 友野 宏(ともの ひろし、1945年7月13日 - )は、日本の実業家。長野県出身。住友金属工業の最後の社長で、新日鐵住金初代社長兼COO・相談役を経て、社友。元日本経団連副会長。 京都大学工学部を経て、京都大学大学院工学研究科修士課程修了。1971年、住友金属工業に入社。1979年にスイス連邦工科大学工学博士号を取得。2005年、社長に就任。2012年10月、新日本製鐵と住友金属工業の経営統合により発足した新日鐵住金の代表取締役社長兼COOに就任した。しかし、会長兼CEOの宗岡正二とともに、前身企業からのトップ在任期間が長きにわたることから、2014年4月1日付で代表権のある副会長に就任し、翌年には相談役に退いた。
昔昔亭 桃太郎(せきせきてい ももたろう、1945年5月20… 昔昔亭 桃太郎(せきせきてい ももたろう、1945年5月20日 - 2025年12月28日)は、落語芸術協会所属の落語家。長野県小諸市出身。本名∶柳澤 尚心。出囃子∶『旧桃太郎の唄』。 長野県更級農業高等学校を卒業した[要出典]。 1965年6月、5代目春風亭柳昇に入門、前座名は「昇太」。1969年4月、二ツ目に昇進し、「春風亭とん橋」と改名。1972年、「笑橋」と改名。[要出典] 1981年10月、真打に昇進し、「3代目昔々亭桃太郎」と改名[要出典]。昔々亭桃太郎を名乗った落語家が何人いたか正確な数は不明だが、本人は「初代は鬼が島に行った人で、自分は三代目」と発言している(落語芸術協会のホームページや、本人のサインでは三代目となっている)。
吉沢 秀和(よしざわ ひでかず、1945年5月13日 - 2… 吉沢 秀和(よしざわ ひでかず、1945年5月13日 - 2025年1月2日)は、長野県出身のプロ野球選手(投手)。1967年までの登録名は吉沢 勝。 実家は長野県で農家を営んでおり、親族がいたことから下宿して進んだ北海高等学校では2年生の時、控え投手として1962年の春夏の甲子園に出場。春の選抜では1回戦で御所工に敗退、吉沢の登板はなかった。夏の選手権では準々決勝に進み、伊藤久敏投手を擁する久留米商と対戦。先発した3年生エース松谷栄司が5回に負傷退場し、吉沢は急遽リリーフに立つが、9回に3点を取られ逆転負け。苦い甲子園デビューとなった。同年の岡山国体では1回戦で先発。作新学院の八木沢荘六、加藤斌に投げ勝ち完封勝利を飾る。
今井 務(いまい つとむ、1945年4月29日 - )は、長… 今井 務(いまい つとむ、1945年4月29日 - )は、長野県出身の元プロ野球選手(一塁手、外野手)。 岡谷工高では投手であったが、打撃面で高く評価されていた。1963年に高校を中退し、大洋ホエールズに入団。1965年には一軍に上がり、10月27日の最終戦ではサンケイを相手に一塁手、七番打者として初の先発出場を果たす。この試合では石戸四六から4打数2安打を記録した。その後はイースタン・リーグで本塁打王や打点王を獲得するものの、一軍ではあまり出場機会に恵まれなかった。 1970年、東映フライヤーズに移籍。主に代打として起用され、同年は打率.261、2本塁打を記録。翌1971年は自己最多の58試合に出場。
一條 孝夫(いちじょう たかお、1945年〈昭和20年〉4月… 一條 孝夫(いちじょう たかお、1945年〈昭和20年〉4月25日 - )は、日本近現代文学研究者、帝塚山学院大学名誉教授。 長野県松本市生まれ。1970年信州大学人文学部国文科卒、1973年旧・東京都立大学大学院国文学修士課程修了。1987年帝塚山学院短期大学専任講師、1989年助教授、1995年教授、1998年帝塚山学院大学文学部教授、リベラルアーツ学部教授。2013年退任、名誉教授。 大江健三郎を中心に研究。
小田切 康彦(おたぎり やすひこ、1945年〈昭和20年〉4… 小田切 康彦(おたぎり やすひこ、1945年〈昭和20年〉4月23日 - )は、日本の政治家、実業家。 長野県宮田村長(3期)、宮田村副村長、ルビコン常務執行役員、ルビコン電子専務取締役、秋田ルビコン専務取締役、韓国信英取締役副社長などを歴任。 長野県上伊那郡宮田村大久保区出身。長野県伊那北高等学校を経て、1968年(昭和43年)3月、日本大学法学部法律学科を卒業。同年4月、窪田建設株式会社に入社。翌1969年(昭和44年)10月にルビコン株式会社に入社。ルビコン入社後、ルビコン総務部長、韓国信英取締役副社長、秋田ルビコン専務取締役、ルビコン電子専務取締役、ルビコン常務執行役員などを歴任。この他、宮田村消防団第3分団第2部部長、宮田村氏子総代会会長、宮田村大久保区長を務めた。
永井 正夫(ながい まさお、1945年4月7日 - )は、日… 永井 正夫(ながい まさお、1945年4月7日 - )は、日本の映画プロデューサー。 長野県生まれ。長野県上田高等学校を経て明治大学文学部演劇学専攻卒業。舞台での仕事から、映画に関わり、助監督、監督を経て、プロデューサー。また、うえだ城下町映画祭自主制作映画コンテストの審査員を務め、審査員賞として、名を冠した「永井正夫賞」が設定されている。
矢羽 勝幸(やば かつゆき、1945年3月25日 - )は、… 矢羽 勝幸(やば かつゆき、1945年3月25日 - )は、日本の俳文学者。専門は近世中期・後期の俳諧、特に小林一茶、加舎白雄の研究で知られる。小林一茶研究の第一人者である。二松学舎大学文学部客員教授。俳文学会常任委員。 長野県小県郡県村西海野(現・東御市)生まれ。長野県屋代高等学校を経て、1969年、國學院大學文学部日本文学科卒業。1980年、『一茶全集』(共編・信濃毎日新聞社)により文部大臣賞、毎日出版文化賞受賞。長野県内各地の高校教諭を務めたのち、1985年、国立長野高専専任講師(のち助教授)、1988年、上田女子短期大学助教授(のち教授)、1992年、二松学舎大学文学部助教授、1994年、同教授。
丸山 寿一(まるやま じゅいち、1945年2月23日 - )… 丸山 寿一(まるやま じゅいち、1945年2月23日 - )は、日本のアルペンスキーヤー。 長野県出身。1968年の冬季オリンピックで男子滑降に出場した。
宮 淑子(みや よしこ、1945年2月18日 - 2015年… 宮 淑子(みや よしこ、1945年2月18日 - 2015年4月4日)は、フリージャーナリスト、女性学者。 長野県飯田市生まれ。『月刊教育の森』編集部員を経てフリージャーナリスト。女性問題・教育問題・医療問題のルポ、評論、講演を行うほか、シャンソン歌手としてもリサイタルを行っていた。埼玉女子短期大学非常勤講師(女性学)。 2015年4月4日、膵臓がんのため死去。70歳没。
伊藤 眞(いとう まこと、1945年2月14日 - )は、日… 伊藤 眞(いとう まこと、1945年2月14日 - )は、日本の法学者。専門は民事訴訟法・民事執行法・民事保全法・倒産法・裁判法。東京大学名誉教授。早稲田大学客員教授。日本大学客員教授。日本学士院会員。三ヶ月章門下。弟子に菱田雄郷など。 長野県上田市生まれ。新訴訟物理論を提唱した三ヶ月章を師に持ちながら、実務の採用する旧訴訟物理論に立脚し理論を展開。 資格試験予備校「伊藤塾」の塾長である、伊藤真(いとう まこと)とは別人である。
本間 千代子(ほんま ちよこ、1945年1月29日 - )は… 本間 千代子(ほんま ちよこ、1945年1月29日 - )は、日本の歌手・女優。本名同じ。長野県上伊那郡伊那町(現:伊那市)生まれ、生後8ヵ月から東京都杉並区高井戸育ち。身長162cm、体重45kg、B83cm、W53cm、H84cm(1964年4月)。夫は音楽プロデューサーのひのきしんじ。 父は日本銀行勤務で、二男二女の次女として、戦時疎開先の長野県上伊那郡伊那町(現:伊那市)で生まれる。本間家は佐渡本間氏の出で、現在の新潟県柏崎市で先祖代々地主を務めた。また、酒田本間氏とも同族の関係になる。終戦後の同年10月に東京都杉並区西荻窪に移り、近くの「かしの実幼稚園」に入る。そのころから歌に興味を持ち、NHK「うたのおばさん」として知られ、後に参議院議員を務めた安西愛子から童謡を習う。
日野 茂(ひの しげる、1945年1月11日 - )は、長野… 日野 茂(ひの しげる、1945年1月11日 - )は、長野県松本市出身(中国・旅順生まれ)の元プロ野球選手(内野手)・コーチ・監督。 教師であった両親の下で旅順に生まれ、父は生死不明のまま母と日本に引き上げる。 千葉に移り住むと、県立船橋高校卒業後の1963年に中央大学へ進学し、東都大学リーグでは2度の優勝を経験。2年次の1964年からレギュラーとなり、同年の春季リーグではベストナイン(遊撃手)に選出される。2年先輩の武上四郎と二遊間、1年上の川島勝司と三遊間を組むこともあり、同期の高橋善正・高畠導宏と共に中大の黄金期を支えた。リーグ通算86試合出場、308打数81安打、打率.263、5本塁打、33打点。
瀬戸 剛(せと ごう、1945年1月3日 - 2020年7月… 瀬戸 剛(せと ごう、1945年1月3日 - 2020年7月15日)は、日本の彫刻家。本名の読みは「せと つよし」。長野県上伊那郡辰野町出身。父である瀬戸團治も彫刻家で、剛はその4男である。
谷川 彰英(たにかわ あきひで、1945年 - )は、日本の… 谷川 彰英(たにかわ あきひで、1945年 - )は、日本の教育学者、ノンフィクション作家。地名作家。筑波大学名誉教授。 長野県松本市生まれ。長野県松本深志高等学校を経て、1968年東京教育大学教育学部卒業。1974年同大学院教育学研究科博士課程満期退学。千葉大学助教授を経て、筑波大学教授。国立大学の法人化に伴って国立大学法人筑波大学理事・副学長に就任。1996年柳田国男の教育思想研究で博士(教育学)の学位を取得。2009年、定年退職と同時にノンフィクション(地名)作家に転身。谷川健一から「日本地名研究所」を引き継ぎ、地名などに関する多くの本を執筆するとともに、NHKの「ネーミングバラエティ日本人のおなまえ!」など各種番組に出演。
三浦 久(みうら ひさし、1945年 - )は、日本の男性フ… 三浦 久(みうら ひさし、1945年 - )は、日本の男性フォークシンガー、翻訳家。ボブ・ディランやブルース・スプリングスティーン、レナード・コーエンの歌詞対訳、評論・研究書の翻訳などでも知られる。 千葉県生まれ、長野県上伊那郡辰野町育ち。長野県諏訪清陵高等学校卒業、カリフォルニア大学サンタバーバラ校(UCSB)卒業(宗教学)、京都大学大学院修士課程修了(仏教学)。 1963年から翌年にかけてAFS (交換留学)により米国カリフォルニア州の高校に留学し、ボブ・ディランなどのフォークソングを聴き、歌い始める。ICU国際基督教大学を中退し、1966年から再渡米しUCSBに留学。1969年に帰国後、京都でフォークシンガーとしての活動を始め、『私は風の声を聞いた』など4枚のアルバムをリリース。
長田 敏行(ながた としゆき、1945年 - )は、日本の植… 長田 敏行(ながた としゆき、1945年 - )は、日本の植物学者。2013年にイグノーベル賞を受賞した。東京大学名誉教授、法政大学名誉教授。 長野県茅野市出身。長野県諏訪清陵高等学校を経て、1968年東京大学理学部生物学科植物学専攻卒業。1973年に同大学院理学系研究科博士課程を修了し、同年より同大学教養学部基礎科学科助手となる。 以後、名古屋大学理学部生物学科助手、岡崎国立研究機構基礎生物学研究所助教授を経て、1990年に東京大学大学院理学系研究科教授に就任した。2005年には東京大学大学院理学系研究科附属植物園園長を兼任した。 2007年に東京大学を退官、同大学名誉教授となる。同年より法政大学生命科学部応用植物科学科教授に就任し、2008年生命科学部長となる。
春山 文典(はるやま ふみのり、1945年 - )は、日本の… 春山 文典(はるやま ふみのり、1945年 - )は、日本の芸術家、彫刻家。横浜美術大学元学長。日本芸術院会員。長野県小布施町出身。蓮田修吾郎に師事。
降幡 賢一(ふりはた けんいち、1945年〈昭和20年〉- … 降幡 賢一(ふりはた けんいち、1945年〈昭和20年〉- )は、日本の元新聞記者。1989年(平成元年)朝日新聞珊瑚記事捏造事件での記事を書いたことで知られる。 長野県諏訪郡下諏訪町出身。諏訪清陵高校、東洋大学社会学部を経て、東京大学新聞研究所を中退した。1969年、朝日新聞社に入社した。2010年に退社後、日本エッセイスト・クラブ理事、東京経済大学講師を務めた。 1995年のオウム真理教事件以来、オウム事件関連裁判を長期に渡って傍聴し続け、『オウム法廷』シリーズとして連載・発表した。新実智光は降幡を意識した発言をしたことがある。
竹元 正美(たけもと まさみ、1945年‐)は、日本の外交官… 竹元 正美(たけもと まさみ、1945年‐)は、日本の外交官。ホンジュラス、ウルグアイの両国で特命全権大使を歴任した。元東宮侍従。 長野県長野市生まれ。早稲田大学法学部卒業後、1970年に外務省入省。米国ドゥルー大学大学院修士号取得(国際関係論)。 外務省アメリカ局、中近東アフリカ局、経済局、韓国大使館、オーストラリア大使館、欧亜局、中近東アフリカ局勤務後、1986年に宮内庁東宮侍従。皇太子・同妃の訪米と、礼宮のブラジル訪問に随行した。 1988年、外務省経済局海洋課長。大臣官房儀典官。 1990年、儀典官として即位の礼に参列する外国人賓客の受け入れ準備に当たる。 海外勤務では、韓国大使館一等書記官、豪州大使館一等書記官、タイ大使館公使、スペイン大使館公使。
長沼 六男(ながぬま むつお、1945年 - )は、日本の映… 長沼 六男(ながぬま むつお、1945年 - )は、日本の映画カメラマン。 長野県下伊那郡上久堅村(現・飯田市)出身。長野県飯田工業高等学校卒業後、1968年に松竹撮影所に入社。1978年『新・人間失格』でカメラマンデビュー。1989年よりフリー。 『男はつらいよ 寅次郎紅の花』以後は『母べえ』(2007年)まで山田洋次作品の常連スタッフとなる。 2004年に紫綬褒章、2016年に旭日小綬章を受章。 この項目は、映画関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ映画)。
和泉家 志ん治(いずみや しんじ 1945年 - )は、日本… 和泉家 志ん治(いずみや しんじ 1945年 - )は、日本の落語家、ローカルタレント。
山浦 嘉久(やまうら よしひさ、1945年 - 2019年9… 山浦 嘉久(やまうら よしひさ、1945年 - 2019年9月15日)は、民族派の思想活動家。評論家。研究者。主に日本文明と国際政治研究を課題に活躍している。 1945年、長野県上田市に生まれる。長野県上田高等学校を経て、1969年、早稲田大学政治経済学部卒業。2019年9月15日、脳梗塞のため病院にて死去。74歳没。 学生時代から民族派学生組織『日本学生会議』議長を務め従事、卒業後も主に民族派社会運動の発展に人生を託す。その間商社業務を手がけ、欧米アジアを歴訪、国際政治、地政学、古代史、古伝などを学び「日本文明の本質と世界性」をライフワークと定める。北朝鮮事情やヤルタ会談について詳しい。文明地政学協会代表を務め同協会発行の世界戦略情報誌 みち 言論活動に従事。
田村 正勝(たむら まさかつ、1945年 - 2025年12… 田村 正勝(たむら まさかつ、1945年 - 2025年12月20日)は、日本の経済学者、早稲田大学名誉教授、一般社団法人 社会科学総合研究機構(RISS)名誉会長。難波田春夫の弟子。長野県松本市出身。 長野県松本深志高等学校卒業。1968年、早稲田大学第一政治経済学部卒業。1974年、早稲田大学大学院経済学研究科博士課程修了。1982年、早稲田大学教授。2015年、早稲田大学名誉教授。2020年、一般社団法人社会科学総合研究機構(RISS)名誉会長。2023年、瑞宝中綬章受章。 社会科学も自然科学と同様に、専門分化しながら発展してきた。これは厳密な科学であるためには、一面では不可欠な方向である。
吉田 總一郎(Soichiro "Sol" Yoshida、… 吉田 總一郎(Soichiro "Sol" Yoshida、1945年 - 2026年2月24日)は、日本の実業家、経済学者、環境学研究者、ディーゼル燃料・ディーゼルエンジン研究者。長野県長野市生まれ。 現在、長野、東京をベースに、環境、CSR、代替エネルギー、動植物性脂肪酸(油脂)分野の研究及びビジネス・アプリケーション、コンサルティング、講演、執筆活動を国際的に展開している。
山田 秀雄(やまだ ひでお、1944年12月25日 - )は… 山田 秀雄(やまだ ひでお、1944年12月25日 - )は、日本の実業家である。株式会社オリンパスの専務執行役員や副社長執行役員などを歴任した。 長野県岡谷市出身。長野県諏訪清陵高等学校卒業。1963年(昭和38年)4月、18歳でオリンパス光学工業(当時)に入社した。中央大学法学部卒業。 会津オリンパス出向を経て、1980年10月オリンパス光学工業本社に戻り経理部資金グループ配属。1989年1月同グループリーダー就任。1994年4月経理部副部長。1997年4月総務・財務部長。2002年(平成14年)6月、同社の執行役員に就任。その後は、同社コーポレートセンター長、取締役、常務執行役員を経て、2005年(平成17年)4月にはCSR本部担当、及び監査室担当となった。
高津 聖志(たかつ きよし、1944年11月16日 - )は… 高津 聖志(たかつ きよし、1944年11月16日 - )は、日本の免疫学者、富山県薬事研究所所長・富山大学客員教授・東京大学名誉教授、医学博士(大阪大学)。専門は免疫学、細胞生物学。B細胞研究における第一人者であり、アレルギーなどを抑える細胞を増やすインターロイキン-5(IL‐5)とその受容体を本庶佑と共に同定し、遺伝子を単離したことで世界的に知られる。2003年から2004年に亘って、第13代日本免疫学会会長を務めた。
山川 啓介(やまかわ けいすけ、1944年〈昭和19年〉10… 山川 啓介(やまかわ けいすけ、1944年〈昭和19年〉10月26日 - 2017年〈平成29年〉7月24日)は、日本の作詞家、脚本家。本名は井出 隆夫(いで たかお)。長野県佐久市出身(本籍は南牧村海尻)。 長野県上田高等学校、早稲田大学第一文学部卒業。血液型はO型。 山川啓介名義での作詞活動の他、本名の井出隆夫名義で「おかあさんといっしょ」をはじめとする子供番組の楽曲の作詞や人形劇の脚本、及び番組の構成を手がけていた。特に「おかあさんといっしょ」では、1982年4月から10年半放送された「にこにこぷん」、1992年10月から7年半放送された「ドレミファ・どーなっつ!」で計18年間にわたっておよそ3500話を超える脚本を執筆し、劇中歌全てを作詞した。
落合 信子(おちあい のぶこ、1944年9月18日 - )は… 落合 信子(おちあい のぶこ、1944年9月18日 - )は、タレント。元プロ野球選手・監督の落合博満の妻。声優の落合福嗣の母。 長野県飯田市出身。飯田女子高等学校卒業。血液型はA型。 高校を卒業後に上京。貴金属の販売員を経て、ホステスをしていた1980年ごろに当時ロッテオリオンズに在籍していた博満と知り合い、1984年12月に結婚(博満は再婚)、1987年に長男・福嗣が誕生した。 時間を経るとともに、博満の夫人ということ以外にも特異なキャラクターを買われ、メディアにも一人でゲストとして出演することが増えていった。一番出演が増えたのが、一連のミッチー・サッチー騒動時である。この騒動が長引くにつれ、当時の関連主要人物の一人としてテレビ番組に引っ張りだことなり、アクの強いキャラクターで、主に正論を発する役割を担った。
木下 厚(きのした あつし、1944年8月16日 - )は、… 木下 厚(きのした あつし、1944年8月16日 - )は、日本の政治家、政治評論家。元民主党衆議院議員。
あらい 汎(あらい はん、1944年7月30日 - )は、日… あらい 汎(あらい はん、1944年7月30日 - )は、日本の役者、演出家、作家。パントマイム劇団「汎マイム工房」主宰。本名は荒井 範昭(あらい のりあき)。旧劇団転形劇場 プロダクション旧ザッコ所属。 劇団、及び付属養成所の主事、東京女子体育大学非常勤講師、他劇団、養成所講師暦任。日本児童青少年演劇協同組合会員。 長野県岡谷市出身。舞台芸術学院15期卒業。下村正夫、兼八善兼に師事。新劇系劇団研究生を経て小劇団設立。児童劇団などにも関わる。パントマイムグループ「ザ・パントマ」と知り合いパントマイムとのコラボレーション作品に関わる。 銀座のシャンソン喫茶やシャンソンレストランでパントマイムを演じながら、表で看板代わりの人形ぶりを演じる。
福島 資剛(ふくしま もとたけ、1944年7月21日 - )… 福島 資剛(ふくしま もとたけ、1944年7月21日 - )は、日本の元俳優である。 長野県松本市出身。明治大学卒業。 大学在学中にアルバイトを兼ねて劇団民芸に大道具係として入団。その後、俳優を志すようになり劇団青俳に移籍する。 1972年、青俳同期であり親友でもあった戸野広浩司の事故死に伴い『快傑ライオン丸』のタイガージョー / 虎錠之介役の依頼を受けたものの一度は辞退。最終的に同期生で戸野広と親交が深かった俳優・狭間鉄の勧めを受ける形で演じることを承諾し、第42話「殺しの流れ者 キルゴッド」より虎錠之介役で出演する。しかし乗馬が得意だった戸野広と違い福島は全く馬に乗れなかったため、福島に交替後の錠之介は乗馬のシーンが無くなった。
土屋 紘(つちや ひろし、1944年7月10日 - )は、長… 土屋 紘(つちや ひろし、1944年7月10日 - )は、長野県出身の元プロ野球選手(投手)。
倉石 一旺(くらいし かずお、1944年4月19日 - )は… 倉石 一旺(くらいし かずお、1944年4月19日 - )は、日本の俳優、声優。本名及び旧芸名:倉石 和旺。 長野県出身。長野県長野高等学校卒。劇団俳優座養成所第15期生(同期は地井武男、夏八木勲、林隆三、前田吟、村井国夫、竜崎勝)。劇団雲、さち子プロ、村上事務所、東京俳優生活協同組合に所属していた。
倉石 功(くらいし いさお、1944年4月1日 - )は、日… 倉石 功(くらいし いさお、1944年4月1日 - )は、日本の俳優。長野県長野市出身。日本大学芸術学部中退。所属事務所は手力プロダクション。長男はファッションデザイナーの倉石一樹。 長野中央高等学校(現在の長野日本大学中学・高等学校)在学中の1961年、ミスター平凡コンテストに応募しグランプリを獲得。その後、大映に第16期ニューフェイスとして入社。1963年の映画『停年退職』でデビュー。その後『高校三年生』などで主演。1965年より大映テレビ室製作のテレビドラマ『東京警備指令 ザ・ガードマン』にメンバー最年少の杉井隊員役でレギュラー出演した。 1969年、大映を退社し劇団欅に入団。1974年に、『ザ・ガードマン』の共演者だった宇津井健の仲立ちにより老舗料亭「土筆亭(つくしてい)」の令嬢:吉田秀子と交際期間半年で結婚。
篠原 勝美(しのはら かつみ、男性、1944年3月25日 -… 篠原 勝美(しのはら かつみ、男性、1944年3月25日 - )は、日本の裁判官。元福岡高等裁判所長官。長野県長野高等学校、東京大学法学部卒業。
田口 成光(たぐち しげみつ、1944年2月4日 - )は、… 田口 成光(たぐち しげみつ、1944年2月4日 - )は、日本の脚本家、構成作家、プロデューサー。 長野県飯田市出身。長野県飯田高等学校を経て日本大学芸術学部を卒業後、脚本家を目指して1967年に円谷プロダクション(以下、円谷プロ)へ入社。しかし、円谷プロの意向で『ウルトラセブン』などの特撮班助監督を経験することになり、同社の作品数が激減した1960年代末に企画室の勤務へ就いた。 1971年に放映された『帰ってきたウルトラマン』で、TBSのプロデューサーだった橋本洋二から深夜に及ぶ書き直し要求を経て、第8話「怪獣時限爆弾」が初採用され脚本家としてデビュー。以降は円谷プロで企画室長として1970年代の「第2期ウルトラシリーズ」『ミラーマン』などを企画し、脚本も執筆した。
佐々木 陸海(ささき りくかい、本名:ささき むつみ、194… 佐々木 陸海(ささき りくかい、本名:ささき むつみ、1944年1月29日 - 2019年12月19日)は、日本の政治家。元衆議院議員(2期)。日本共産党書記局次長、同幹部会委員、同中央委員会事務室責任者。 長野県飯田市出身。「陸海」の名は、戦時中の1944年(昭和19年)に生まれたため、父親が「将来は陸士(陸軍士官学校)か海兵(海軍兵学校)へ進むように」と願って付けられたとされる。信州大学文理学部を卒業後、赤旗外信部記者などを経て、1993年の第40回衆議院議員総選挙で旧東京10区から立候補し初当選。1996年の第41回衆議院議員総選挙では比例区(東京ブロック)単独で立候補し再選。3選を目指した2000年の第42回衆議院議員総選挙で東京13区から立候補するも落選。
荒井 寿光(あらい ひさみつ、1944年1月10日 - )は… 荒井 寿光(あらい ひさみつ、1944年1月10日 - )は、日本の通産官僚。元通商産業審議官。 長野県中野市出身。1966年(昭和41年)4月に通商産業省入省(通商局通商政策課配属)。同期には、広瀬勝貞(通商産業事務次官、大分県知事)、林康夫(中小企業庁長官)、小林興起(衆議院議員)、北修爾、前田正博、桑原茂樹、門脇秀一(NIRA理事、造水促進センター専務理事)、長藤史郎(荏原製作所常務執行役員)、小島襄(北海道通産局長)らがいる。 特許庁長官、知的財産戦略推進事務局長を歴任。知財事務局長時代には知的財産推進計画を取りまとめるなどして、日本の知財立国政策を推進した。自ら知財評論家と名乗っており、知的財産に関する多数の著作がある。
田村 志津枝(たむら しづえ、1944年1月1日 - )は… 田村 志津枝(たむら しづえ、1944年1月1日 - )は日本のノンフィクション作家、映画研究家。中国語圏の映画字幕翻訳を多数手掛けている。夫は作家の夫馬基彦。 1944年の正月に日本統治下の台湾台南市に生まれる。父親は台南陸軍病院(中国語版)に勤務していた。小学校入学前、母親から「あなたはタンパンセンで生まれた」と聞かされ、自分は船の中で生まれたと思いこむが、これは地名の「台南市桶盤桟(中国語版)(タンパンセン)18番地」のことだった。引き揚げ後は長野県小諸市で育つ。1968年早稲田大学第一文学部ドイツ文学専修卒。 雑誌の編集、記録映画製作などに携わる。1973年新潟県中蒲原郡上杉町に中国語研修所が開所する。
犬飼 公之(いぬかい きみゆき、1944年1月 - )は、日… 犬飼 公之(いぬかい きみゆき、1944年1月 - )は、日本の日本文学研究者。専門は古代文学。宮城学院女子大学名誉教授。 長野県松本市生まれ。1964年二松學舍大学文学部卒業、1966年國學院大學大学院文学研究科修士課程修了、1972年國學院大學大学院文学研究科博士課程中退。1977年、宮城学院女子大学・女子短期大学講師、1978年同助教授、1985年同教授。1986年、「鏡の目覚書」などの業績により第三回上代文学会賞を受賞。琉球の組踊についても著書を出しており、2005年に第27回沖縄文化協会賞(仲原善忠賞)を受賞した。2011年宮城学院女子大学を定年退職、後、名誉教授。
柳沢 京子(やなぎさわ きょうこ、1944年 - )は、日本… 柳沢 京子(やなぎさわ きょうこ、1944年 - )は、日本の切り絵作家。長野県北佐久郡浅科村(現・佐久市)生まれ。 独自の切り絵創作で、日本はもとよりドイツ各地、ニューヨークなど個展多数。長野県を本来の美しい風土にしたい、と情熱を燃やし続ける。特定非営利活動法人として「ふるさと研究所」を発足。長野県のグランドデザインを描き、興す活動は、切り絵創りにも通ずる潔さがある。
仙石 正和(せんごく まさかず、1944年 - )は、日本の… 仙石 正和(せんごく まさかず、1944年 - )は、日本の工学者。新潟大学名誉教授。専門は情報通信工学、情報ネットワーク、ネットワーク工学。 長野県松本市生まれ。長野県松本県ヶ丘高等学校を経て、昭和42年新潟大学工学部電気工学科卒業。昭和47年北海道大学大学院博士課程修了、工学博士。北海道大学工学部助手、新潟大学工学部助教授を経て教授。2008年、電子情報通信学会功績賞を受賞。新潟大学副学長、理事を務めた。2014年事業創造大学院大学学長・教授。2024年、瑞宝中綬章受章。
田口 守一(たぐち もりかず、1944年 - )は、日本の法… 田口 守一(たぐち もりかず、1944年 - )は、日本の法学者。専門は刑事訴訟法。学位は、法学博士(早稲田大学・論文博士・1981年)(学位論文「刑事裁判の拘束力」)。名誉法学博士(アウグスブルク大学)。元司法試験第二次試験考査委員(2001年まで)。早稲田大学名誉教授。信州大学大学院法曹法務研究科元教授。岐阜県生まれ。
宮坂 覺(みやさか さとる、1944年 - )は、日本の近代… 宮坂 覺(みやさか さとる、1944年 - )は、日本の近代文学者。研究分野は芥川龍之介。 長野県諏訪郡原村出身。長野県諏訪清陵高等学校を経て、早稲田大学文学部国文科卒業。上智大学大学院博士課程単位取得退学。福岡女子大学講師、同大学助教授、フェリス女学院大学助教授、同大学教授、同大学文学部長、同大学学長。2013年定年退官、名誉教授。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
宮坂 勝之(みやさか かつゆき、1944年 - )は、日本の… 宮坂 勝之(みやさか かつゆき、1944年 - )は、日本の医学者・医師・麻酔科医。 長野県岡谷市出身。長野県諏訪清陵高等学校を経て、1969年信州大学医学部卒業。1970年国立小児病院(現・国立成育医療研究センター)麻酔科医員。1973年トロント大学医学部トロント小児病院(英語版)麻酔・ICUレジデント。1974年ペンシルベニア大学 医学大学院 フィラデルフィア小児病院(英語版)ICUフェロー。1975年トロント大学医学部麻酔学教室臨床講師。1976年米国小児科学会小児科専門医(FAAP)。1977年ハーバード大学マサチューセッツ総合病院集中治療部臨床フェロー、国立小児病院麻酔科医員、米国胸部疾患学会専門医(FCCP)。