牧野 聖修(まきの せいしゅう、1945年5月4日 - )は… 牧野 聖修(まきの せいしゅう、1945年5月4日 - )は、日本の政治家。元衆議院議員(4期)。
静岡県:2,727人
牧野 聖修(まきの せいしゅう、1945年5月4日 - )は… 牧野 聖修(まきの せいしゅう、1945年5月4日 - )は、日本の政治家。元衆議院議員(4期)。
植山 周一郎(うえやま しゅういちろう、1945年3月15日… 植山 周一郎(うえやま しゅういちろう、1945年3月15日 - )は、日本の経営コンサルタント。ヴァージン・グループ顧問を歴任。マーガレット・サッチャーとのインタビユーを実現した個人として有名で、その後、1991年から2000年までマーガレット・サッチャー日本代理人を務めた。株式会社植山事務所代表取締役社長、一橋大学、元非常勤講師。東洋大学、元客員教授。 静岡県富士宮市で本州製紙社員の家に生まれる。AFSでアメリカ合衆国イリノイ州サンドウィッチに留学後、東京都立西高等学校を経て、一橋大学商学部卒業。一橋大在学中に1年休学し西ドイツで出版社に勤務。その後、1987年にスタンフォード大学経営大学院S.E.P.修了。
宮治 昭(みやじ あきら、1945年2月7日 - )は、日本… 宮治 昭(みやじ あきら、1945年2月7日 - )は、日本の美術史家。専門は仏教美術史、インド美術史。名古屋大学名誉教授。 静岡県沼津市生まれ。1968年名古屋大学文学部美学美術史卒業。72年同大学院博士課程印度哲学中退。1969年よりインド、パキスタン、アフガニスタン、中国の仏教美術の調査を行う。 1991年に「涅槃と弥勒の図像学 インドから中央アジアへ」で名古屋大学より文学博士の学位を取得。名大文学部助手、弘前大学助教授、名古屋大学文学部助教授、教授、2007年定年退任、名誉教授、静岡県立美術館館長、2013年退職し、龍谷大学教授、龍谷ミュージアム館長。 国華特別賞(第4回)、中日文化賞、2012年に中村元東方学術賞(第22回)を受賞。
小澤 達雄(おざわ たつお、1945年〈昭和20年〉1月6日… 小澤 達雄(おざわ たつお、1945年〈昭和20年〉1月6日 - )は、MBC南日本放送の元アナウンサー。 静岡県小山町出身。中央大学卒業後の1967年(昭和42年)に入社。長年、アナウンス部長を務め、2015年(平成27年)1月頃まで在籍。「心のまま自然に」をモットーとしており、海や山が好きで、趣味は釣り。好きな色は青。MBC南日本放送在職中は、元気な時は通勤にマイカーを使用しない事を心掛けていた。 TVhテレビ北海道のアナウンサー・小澤良太は実子。 この項目は、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(アナウンサーPJ)。 Category:南日本放送のアナウンサーを参照
三上 元(みかみ はじめ、1945年1月5日 - )は、日本… 三上 元(みかみ はじめ、1945年1月5日 - )は、日本の政治家。湖西市議会議員(2期)。元静岡県湖西市長(3期)。 静岡県新所村日之岡(現・湖西市)出身。新所村立新所小学校、湖西町立岡崎小学校、湖西町立鷲津中学校を経て、静岡県立浜松北高等学校卒業。慶應義塾大学卒業。 1968年(昭和43年)、株式会社西友ストアーに就職。全西友労組中央執行副委員長(専従)を3年間務めた。1983年(昭和58年)、船井総合研究所に転職。 1992年(平成4年)5月22日、日本新党の発足時に同党に入党。1994年(平成6年)、船井総合研究所の取締役に就任。「週刊フナイFAX」の編集長と主筆を務めた。1998年(平成10年)、同所取締役を辞任。
坂本 鐵司(さかもと てつじ、1945年 - )神奈川県茅ケ… 坂本 鐵司(さかもと てつじ、1945年 - )神奈川県茅ケ崎市在住。日本の工業デザイナー。ユニバーサルデザイン研究者。静岡文化芸術大学デザイン学部教授生産造形学科学科長。司ユニバーサルデザイン研究所所長。 神奈川県茅ケ崎市在住、静岡県浜松市出身。千葉大学工学部工業意匠学科卒業。国内外のザインコンペで多くの受賞歴、日本を代表するユニバーサルデザイン、福祉用具、および住宅設備機器,のデザイナー。1970(昭和45年)東陶機器(現・TOTO)(株)デザイン部入社。1973(昭和48年)よりバリアフリー衛生設備器具の研究・開発活動に着手。 『身障者・高齢者配慮水まわり設計プランニング集』、器具の開発、及び公的なプロジェクトに参加。
内田 睦夫(うちだ むつお、1945年 - 2024年11月… 内田 睦夫(うちだ むつお、1945年 - 2024年11月10日)は、社会人野球の元選手、指導者。東京都立高島高等学校元校長。民間人校長第1号。 静岡県藤枝市出身。島田商業高校では捕手として活躍。卒業後は東海大学工学部に進む。首都大学野球リーグでは6回優勝。渡辺孝博、上田二郎らとバッテリーを組む。リーグ戦通算83試合出場、307打数107安打、打率.349、12本塁打、77打点。首位打者、MVP各1回、ベストナイン2回。 1968年に日立製作所に入社。1969年にプロ野球ドラフト会議でアトムズ(のち東京ヤクルトスワローズ)に11位で指名されたが拒否し残留。都市対抗野球大会には5年連続出場。1971年の都市対抗では大学後輩の渡辺孝博とバッテリーを組み、1回戦で本塁打を放つなど活躍。
斉藤 斗志二(さいとう としつぐ、1944年12月27日 -… 斉藤 斗志二(さいとう としつぐ、1944年12月27日 - )は、日本の政治家。衆議院議員(7期)、第65代・66代防衛庁長官を歴任。
加藤 壹康(かとう かずやす、1944年11月24日 - )… 加藤 壹康(かとう かずやす、1944年11月24日 - )は、日本の実業家。 静岡県静岡市出身。1964年、静岡県立静岡高校卒業。1968年、慶應義塾大学商学部を卒業し、同年、キリンビールに入社。アメリカのマサチューセッツ工科大学での留学とアメリカでの勤務を経て、北海道支社長、九州支社長、取締役、酒類営業本部長、常務を経て、2006年に代表取締役社長に就任し、翌年にはキリンホールディングスの代表取締役社長に就任した。社長在任時には、協和発酵の子会社化と東南アジアとオセアニアにおける大型買収を行った。2010年から2012年までに会長を務めた。2024年、旭日中綬章受章。
町村 信孝(まちむら のぶたか、1944年〈昭和19年〉10… 町村 信孝(まちむら のぶたか、1944年〈昭和19年〉10月17日 - 2015年〈平成27年〉6月1日)は、日本の政治家。
山口 芳忠(やまぐち よしただ、1944年9月28日 - )… 山口 芳忠(やまぐち よしただ、1944年9月28日 - )は、静岡県藤枝市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。選手時代のポジションはディフェンダー。1968年メキシコシティーオリンピックにおいて日本代表が銅メダルを獲得した時の選手の一人。藤枝市初代市長の山口森三は父に当たる。 静岡県藤枝市出身。藤枝東高校時代はフォワードとしてプレー。日本ユース代表に選出され、1962年、1963年のアジアユース大会に出場した。 中央大学に入学してサッカー部に入部し、ディフェンダーへ転向。4年次には主将を務め1966年の関東大学リーグ制覇に貢献した。 また大学在学中の1964年に日本代表に選出され10月16日の東京オリンピック1次リーグガーナ戦で国際Aマッチデビュー を飾り、これ以降左サイドバックのレギュラーとして定着。
左能 典代(さの ふみよ、1944年9月20日 - )は、日… 左能 典代(さの ふみよ、1944年9月20日 - )は、日本の作家で、岩茶房(がんちゃぼう)主催者。日本ナイルエチオピア学会会員、日本文芸家協会会員。 静岡県函南町生まれ。本姓は佐野。1967年、立教大学文学部英文科卒。 新潮社に勤務し、「週刊新潮」の記者となる。退社してニューヨーク大学でアメリカ文学を学ぶ。世界各地を取材し、1979年東欧に関する著書を上梓、1983年小説「ハイデラパシャの魔法」で第15回新潮新人賞を受賞。仲間と作った出版企画・制作会社「グループ・マッス」で放送局や新聞社関係の出版物も手がける。 1990年代からは中国茶の研究家となり、日中文化交流サロン岩茶房主催。2002年、日本文化振興会社会文化功労賞。
菊川 凱夫(きくがわ よしお、1944年9月12日 -202… 菊川 凱夫(きくがわ よしお、1944年9月12日 -2022年12月2日)は、静岡県藤枝市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。 静岡県立藤枝東高校時代に全国選手権大会で優勝した実績を持つ。明治大学を経て、1968年に三菱重工業サッカー部に加入し、サイドバックとして三菱黄金時代を支えた。また、1969年6月19日のボルシア・メンヒェングラートバッハ戦で日本代表として初出場した。 1974年に現役を一度引退。地元に戻り家業を継ぐ。1976年、藤枝市の志太クラブに入団。静岡県社会人サッカーリーグでプレーし、1980年には選手兼任監督に就任した。 将来の日本サッカーをリードしようと1982年に創部した中央防犯サッカー部に監督として入社。
十貫寺 梅軒(じゅっかんじ ばいけん、1944年7月26日 … 十貫寺 梅軒(じゅっかんじ ばいけん、1944年7月26日 - )は、日本の俳優。所属事務所はロットスタッフ。静岡県出身。血液型はO型、身長164cm。 資格:大型自動車・大型特殊自動車・自動二輪。 静岡県立浜松商業高等学校卒業[要出典]。 趣味はジャズ。唐十郎主宰の状況劇場で活動していた。現在もその縁で、唐演出の舞台に客演する事が多い[要出典]。 以前はサイアン・インターナショナルに所属していた。
石川 重明(いしかわ しげあき、1944年7月 - )は、日… 石川 重明(いしかわ しげあき、1944年7月 - )は、日本の元警察官僚、弁護士。静岡県出身。2002年8月2日付けで第83代警視総監に就任。2004年に同職退任後、日本道路交通情報センター理事長を務めた。父は石川高稔・元広島大学事務局長。
石井 直樹(いしい なおき、1944年(昭和19年)6月20… 石井 直樹(いしい なおき、1944年(昭和19年)6月20日 - 2024年(令和6年)2月22日)は、日本の実業家、政治家。静岡県下田市長(3期)。旭日小綬章受章。位階は従五位。 静岡県下田市出身。1963年(昭和38年)青山学院高等部卒業、1965年(昭和40年)青山学院大学中退。同年、もりおの勤務。1971年(昭和46年)下田酒販に転じ専務を務め、1984年(昭和59年)サン印刷社長。 2000年(平成12年)6月、下田市長選挙に立候補。新人2名による一騎討ちを制して初当選を果たす。その後、2004年(平成16年)6月告示の下田市長選挙に2期目を目指して立候補するも他に候補者がおらず無投票当選。
桑原 勝義(くわはら かつよし、1944年5月30日 - … 桑原 勝義(くわはら かつよし、1944年5月30日 - )は静岡県藤枝市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現・静岡県サッカー協会専務理事、日本サッカー協会理事、日本フットボールリーグ理事長。実弟は桑原隆。 1962年度高校サッカー選手権で静岡県立藤枝東高等学校が初優勝した時の中心選手。卒業後は日軽化工清水工場、名古屋相互銀行(以下、名相銀)などに所属し、1965年には日本代表に選出され国際Aマッチ2試合に出場した。 1971年、名相銀の解散で選手は引退し、銀行の仕事に専念するつもりでいたが、日本サッカー協会の幹部・長沼健に勧められ、生まれ育った静岡に日本リーグのチームをという仕事にロマンを感じ銀行職を捨て、翌1972年、前年創設された本田技研工業サッカー部に加入。
後藤 和昭(ごとう かずあき、1944年5月28日 - )は… 後藤 和昭(ごとう かずあき、1944年5月28日 - )は、静岡県三島市出身の元プロ野球選手(内野手)。
小野 登志子(おの としこ、1944年(昭和19年)4月20… 小野 登志子(おの としこ、1944年(昭和19年)4月20日 - )は、日本の政治家。元伊豆の国市長(2期)、元静岡県議会議員(3期)、元韮山町議会議員(1期)。静岡県初の女性首長である。 静岡県伊豆の国市出身。静岡県立韮山高等学校、日本大学芸術学部演劇学科・戯曲専攻卒業。大学卒業後、実家の助産院の勤務を経て、2001年(平成13年)9月、韮山町議会議員選挙に立候補し、初当選。 2003年(平成15年)4月13日執行の静岡県議会議員選挙に田方郡選挙区から自由民主党公認で出馬し、初当選。2005年(平成17年)4月1日、伊豆長岡町、大仁町、韮山町が合併して伊豆の国市が誕生する。2007年(平成19年)の県議選では伊豆の国市選挙区から出馬し、2期目の当選。
佐藤 三武朗(さとう さぶろう、1944年4月 - )は、日… 佐藤 三武朗(さとう さぶろう、1944年4月 - )は、日本の比較文学者、作家。佐野日本大学短期大学学長。日本大学名誉教授。 現在は、日本大学の顧問である。 英国留学を経て、日本大学文理学部専任講師、国際関係学部助教授、教授・学部長。日本大学評議員、日本大学理事、日本大学副総長、日本大学総長代理代行を歴任。 静岡県田方郡(現・伊豆市)生まれ。日本大学三島高等学校を経て、日本大学文理学部英文科卒、同大学院文学研究科博士課程単位取得満期退学。 1995年9月、大学設置審議会の組織審議会において日本大学大学院国際関係研究科博士後期課程(比較文学(日欧)特別研究、特別研究指導I、特別研究指導II、特別研究指導III)のDマル合と判定。
石山 喬(いしやま たかし、1944年3月9日 - )は、日… 石山 喬(いしやま たかし、1944年3月9日 - )は、日本の技術者、実業家。日本軽金属ホールディングス代表取締役社長や、同社代表取締役会長、日本アルミニウム協会会長、国立大学法人北海道大学総長選考会議議長などを務めた。 静岡県静岡市駿河区出身。静岡県立静岡高等学校を経て、1967年北海道大学工学部卒業、日本軽金属入社。1997年取締役に昇格。2001年取締役兼常務執行役員。2003年取締役兼専務執行役員。2006年取締役兼副社長執行役員。 2007年から日本軽金属代表取締役社長を務め、日本軽金属ホールディングス設立にあたり、2012年日本軽金属ホールディングス代表取締役社長に就任。2014年日本アルミニウム協会会長。
小和田 哲男(おわだ てつお、1944年〈昭和19年〉2月1… 小和田 哲男(おわだ てつお、1944年〈昭和19年〉2月1日 - )は、日本の歴史学者、文学博士。静岡大学名誉教授。日本城郭協会理事長。岐阜関ケ原古戦場記念館館長。研究分野は、日本中世史、特に戦国時代史、後北条氏、今川氏。 静岡県静岡市生まれ、東京都育ち。家族や親戚から「母方の先祖が武田家臣の馬場信春だ」と聞かされて育った。自身のYouTubeチャンネルでの発言によると、母親の旧姓が馬場であり、実家の家系図によると馬場信春の弟の家系ではないか、とのこと。幼稚園から父親の仕事のために東京で育ち、小さな頃から皇居(江戸城)を目の当たりにしていたことで城への興味が沸いたと述べている。 東京都内の千代田区立番町小学校、千代田区立麹町中学校、城北高校を経て早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業、1972年同大学院文学研究科博士課程満期退学。
江川 豪雄(えがわ ひでお、1944年 - )は、日本の実業… 江川 豪雄(えがわ ひでお、1944年 - )は、日本の実業家。元三菱航空機会長 兼 最高経営責任者。国産初のジェット旅客機を目指したMRJ開発の指揮を執った。 静岡県静岡市清水区出身。1963年、静岡県立静岡高等学校卒業。1967年、東京大学法学部卒業。同年、三菱重工業入社。ワシントン大学法学修士号取得(社費留学)。同社にて航空機部長、1999年、米国現地法人取締役社長。常務取締役兼海外戦略本部長等を歴任し、2007年、取締役副社長。2009年、三菱航空機代表取締役社長。2013年、三菱航空機会長 兼 最高経営責任者。2015年、退任。2016年、三菱重工業株式会社顧問。 三菱重工による零戦製造の伝統を受け継ぎ、世界のリージョナルジェット機市場の拡大を見越して、国産初のジェット旅客機として企画されたMRJの開発指揮を執るとともに、多くの受注実績を上げたが、最終的にMRJ(開発中止時にはスペースジェット)は製品化されなかった。
国分 二郎(こくぶ じろう、1944年 - 1983年)は、… 国分 二郎(こくぶ じろう、1944年 - 1983年)は、日本の俳優である。本名は森 達也(もり たつや)。初期には本名あるいは森 竜也(もり たつや)の表記でもクレジットされた。 第二次世界大戦の末期である1944年(昭和19年)、静岡県三島市に生まれる。本名は「森達也」であるが、映画作家の森達也(1956年 - )とは生年も出生地も異なり、別人である。 1960年(昭和35年)前後、千葉県習志野市の東邦大学付属東邦高等学校に進学するも、やがて同校を中途退学し、東京都渋谷区千駄ヶ谷の日本デザインスクールに籍を置き、インテリアデザインを学ぶ。俳優を志して「グループ虹の会」に入会し、演劇の芝居稽古に参加した。
刈屋 武昭(かりや たけあき、1944年 - )は、日本の経… 刈屋 武昭(かりや たけあき、1944年 - )は、日本の経済学者・統計学者・計量経済学者・金融工学者・リスクマネジメント学者。学位は、Ph.D.(ミネソタ大学統計学・1975年)・理学博士(九州大学・1982年)。一橋大学名誉教授、米国Institute of Mathematical Statisticsフェロー。一橋大学経済研究所教授、京都大学金融工学研究センター長、明治大学大学院グローバル・ビジネス研究科長、城西国際大学国際ビジネス・アドミニストレーション研究科教授、名古屋商科大学・企業マネジメント研究科教授を歴任。 1944年(昭和19年)生まれ、静岡県浜松市出身。浜松市立県居小学校で国学者賀茂真淵の生き方に感銘を受ける。
佐野 真樹夫(さの まきお、1943年12月20日 - )は… 佐野 真樹夫(さの まきお、1943年12月20日 - )は、静岡県出身の元プロ野球選手(内野手)。
富沢 清司(とみざわ きよし、1943年12月3日 - )は… 富沢 清司(とみざわ きよし、1943年12月3日 - )は、静岡県藤枝市出身の元サッカー選手。選手時代のポジションはフルバック(FB)。 八幡製鉄(現・日本製鉄)サッカー部に所属。19歳にして日本代表に選出された経歴を持ち、1964年の東京オリンピック、1968年のメキシコシティオリンピックに出場。国際Aマッチ通算9試合に出場し、2得点を挙げた。主にストッパーを担当し、1対1の場面における粘り強いディフェンスを得意としていた。 2009年に開催された全国健康福祉祭(ねんりんピック)の静岡県選抜チームのメンバーとして出場したと報じられた。
土屋 昭博(つちや あきひろ、1943年11月23日 - )… 土屋 昭博(つちや あきひろ、1943年11月23日 - )は、日本の数学者。名古屋大学名誉教授。専門は数理物理学。共形場理論の展開に大きな業績をあげた。 静岡県三島市生まれ。1962年愛知県立一宮高校を卒業し、京都大学理学部に進学。この頃、湯川秀樹や朝永振一郎のノーベル賞に影響を受けて物理学に関心を持ち、さらに数学への興味に転じた。1966年京都大学大学院理学研究科修士課程修了。指導教員は戸田宏教授で、西田吾郎は同期同門。1967年夏に3か月間、Frank Petersonから米東海岸でのトポロジー分野の進展についての講義を受ける。1968年初論文を出版、位相幾何学の研究から数学者としてスタートした。
濱下 武志(はました たけし、1943年11月20日 - )… 濱下 武志(はました たけし、1943年11月20日 - )は、日本の歴史学者(東アジア近代史・経済史)。静岡県立大学グローバル地域センター副センタ―長・特任教授、東京大学名誉教授。新字体で浜下 武志(はました たけし)とも表記される。
橋本 元一(はしもと げんいち、1943年10月13日 - … 橋本 元一(はしもと げんいち、1943年10月13日 - )は、日本の団体役員。第18代日本放送協会会長。元アジア太平洋放送連合会長。 静岡県浜松市出身。静岡県立浜松北高等学校、東京工業大学理工学部電子工学科卒業。1968年NHKに入局、大阪局に赴任、後に技術畑を歩み、放送の発展を陰で支えた。 2004年にNHKの不祥事が次々と発覚し、批判に晒される中での前任者海老沢勝二の辞任を受けて、2005年、NHK会長に就任。技術畑出身者としては初であり、政治部記者出身で、強権的な手法が目立った海老沢や15代会長の島桂次とは異なる、技術者らしいクリーンさ、清新さが求められた結果だった。副会長には永井多恵子が就任した。
石 寒太(いし かんた、1943年9月23日 - )は、日本… 石 寒太(いし かんた、1943年9月23日 - )は、日本の俳人。本名・石倉昌治。 静岡県田方郡生まれ。静岡県立韮山高等学校、國學院大學文学部卒業。1969年「寒雷」入会、加藤楸邨に師事。1989年、「言葉にも心にも片寄らず、炎のような情熱と人の環を大切にする」をモットーに「炎環」を創刊、主宰。毎日新聞社『俳句αあるふぁ』編集長、毎日文化センター講師、NHK俳句教室講師、朝日カルチャーセンター講師。日本文芸家協会、近世文学会、俳文学会、現代俳句協会会員。 句集に『あるき神』『炎環』『翔』『夢の浮橋』『石寒太句集』、評論に『山頭火』『宮沢賢治の俳句』『わがこころの加藤楸邨』『「歳時記」の真実』『おくのほそ道 謎解きの旅』など多数。
神田 翠月(かんだ すいげつ、1943年8月24日 - 20… 神田 翠月(かんだ すいげつ、1943年8月24日 - 2020年12月2日)は、講談師。本名:遠藤 朝子。 静岡県浜松市有玉南町生まれ。浜松市立積志中学校、静岡県立浜名高等学校卒業。 歌手を目指し上京後、1968年2月、田辺一鶴に弟子入り「小鶴」。女流講談師の草分けの一人。1971年3月二ツ目昇進。1976年5月真打昇進「はまな翠月」。 1979年神田山陽(2代目)門下に移る。 1980年9月「神田翠月」と改名。 講談協会副会長・常任理事兼監査役などを歴任。師の山陽が日本講談協会に移っても講談協会にとどまった。 2020年12月2日、がんのため千葉県船橋市の病院で死去。葬儀は近親者のみで執り行われた。
宮本 悦子(みやもと えつこ、1943年8月23日 - )は… 宮本 悦子(みやもと えつこ、1943年8月23日 - )は、日本の陸上競技(短距離走)選手。1964年東京オリンピックで女子400メートルリレー走に出場した。 出身高校は西遠女子学園高等学校(静岡県浜松市)。同校は「陸上の西遠」の名で呼ばれた陸上競技の強豪校であった。1961年のインターハイでは、100m走と200m走で優勝した。 中京大学に進学。1964年5月10日の神奈川県選手権大会の100m走で11秒8(手動計時)を記録、これは当時の日本学生記録であり、また生涯ベストタイムとなっている。1964年7月の日本陸上競技選手権大会では100m走で優勝。同年10月に開催された1964年東京オリンピックでは、400mリレー(井口任子・江副令子・宮本悦子・依田郁子)の第三走者を務めたが、予選突破はかなわなかった。
小川 郷太郎(おがわ ごうたろう、1943年7月1日 - )… 小川 郷太郎(おがわ ごうたろう、1943年7月1日 - )は日本の元外交官。イラクやアフガニスタンの復興支援のために尽力した。現在、高校生の留学を支援する財団法人エイ・エフ・エス日本協会の理事長や三井住友海上火災保険の顧問、日本国際フォーラム政策委員を務めている。 静岡県静岡市出身。静岡県立静岡高校3年の時に休学し交換留学生としてアメリカニューメキシコ州でホームステイをしながら現地の高校に通った。1968年3月、東京大学法学部を卒業後、外務省に入省。 2006年9月にイラク復興支援等調整担当大使となり、同年10月9日にヌーリ・マリキ首相に訪日の招請を行った。2007年9月イラク復興支援等調整担当を最後に退官したが、その後もイラク復興支援等調整担当大使としてイラク戦争後の経済復興に官民で取り組むイラク経済ミッションの団長としてバグダッドを訪問している。
中山 紀子(なかやま のりこ、旧姓:高木、1943年5月30… 中山 紀子(なかやま のりこ、旧姓:高木、1943年5月30日 -)は、日本のバドミントン選手。1972年全英オープンシングルスチャンピオン。ミュンヘンオリンピック(公開競技)金メダリスト。 静岡県掛川市出身。静岡県立掛川西高等学校でバドミントンを始める。日本女子体育短期大学に進学し、1962年の全日本総合バドミントン選手権大会女子シングルスと女子ダブルスで初優勝。 1966年、ニュージーランドのウェリントンで開催された第4回ユーバー杯で日本の初優勝に貢献。1969年の第5回大会、1972年の第6回大会も日本ナショナルチーム主将として優勝し3連覇を達成。 世界選手権がまだ開始されていなかった当時、個人戦の世界最高峰大会だった全英オープンでは1967年大会の女子シングルスで決勝進出を果たし、アメリカのジュディ・ハッシュマン(Judy Hashman)に5-11, 11–8, 12-10で敗れたが、同種目日本勢初の準優勝。
山口 仲美(やまぐち なかみ、1943年5月25日 - )は… 山口 仲美(やまぐち なかみ、1943年5月25日 - )は、日本の言語学者(日本語学)。勲等は瑞宝中綬章。学位は文学博士(東洋大学・1988年)。埼玉大学名誉教授、日本語検定委員会理事。文化功労者。 聖徳学園女子短期大学保育科講師、共立女子短期大学部文科講師、共立女子短期大学文科助教授、明海大学外国語学部教授、実践女子大学文学部教授、埼玉大学教養学部教授、明治大学国際日本学部教授などを歴任した。 日本語学を専攻する言語学者。古典語から現代語までの日本語の歴史を研究。特に、『ちんちん千鳥のなく声は』『犬は「びよ」と鳴いていた』『男は「よよよよよよ」と泣いていた』など、擬音語・擬態語(オノマトペ)の歴史的研究は、高く評価されている。
泉 秀樹(いずみ ひでき、1943年3月16日 - )は、日… 泉 秀樹(いずみ ひでき、1943年3月16日 - )は、日本の作家、写真家。 テレビ番組「泉秀樹の歴史を歩く」(J:COMテレビ)ナビゲーター。 静岡県浜松市生まれ。慶應義塾大学文学部卒。新聞社勤務を経て、以後、作家・写真家として活動する。 1973年、小説「剥製博物館」で第5回新潮新人賞を受賞。歴史に関する著作が多い。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
豊岡 武士(とよおか たけし、1943年〈昭和18年〉3月1… 豊岡 武士(とよおか たけし、1943年〈昭和18年〉3月13日 - )は、日本の政治家。静岡県三島市長(4期)。元静岡県議会議員(3期)。 静岡県三島市出身。三島市立東小学校、三島市立北中学校、静岡県立韮山高等学校卒業。1966年(昭和41年)3月、日本獣医畜産大学(現・日本獣医生命科学大学)卒業。同年4月、静岡県庁に入庁。初代緊急防災支援室長を務めた。 1998年(平成10年)4月から11月まで三島市役所に派遣され、企画調整部長を務めた。同年12月の三島市長選挙に落選後、翌1999年(平成11年)の静岡県議会議員選挙に出馬し初当選した。2003年(平成15年)に再選。県議時代は自由民主党に所属。
伊佐山 建志(いさやま たけし、1943年 <昭和18年> … 伊佐山 建志(いさやま たけし、1943年 <昭和18年> 3月8日 - 2024年 <令和6年> 11月18日)は、日本の通産官僚、実業家。位階は従四位。元特許庁長官。2001年より日産自動車副会長。 静岡県出身。桐朋高校を経て、東京大学法学部第2類(公法コース)卒業後の1967年に、通産省入省。貿易局貿易振興部属。1971年 ハーバード大学ケネディ・スクール修了(行政修士) 。 1981年 ジェトロニューヨーク本部産業調査員、機械情報産業局航空機武器課長、産業機械課長、大臣官房会計課長、通商政策局経済協力部長などを経て、1994年7月通商政策局次長に。その間、米通商代表部との日米自動車交渉、日米半導体交渉に当たり、またAPEC、WIPO日本代表。
鷲山 恭彦(わしやま やすひこ、1943年2月27日 - )… 鷲山 恭彦(わしやま やすひこ、1943年2月27日 - )は、日本の文学者(ドイツ文学・ドイツ社会思想)。学位は文学修士(東京大学・1970年)。公益社団法人大日本報徳社社長(第8代)、東京学芸大学名誉教授。松本亀次郎記念日中友好国際交流の会会長。 新潟大学教養部講師、東京学芸大学教育学部教授、東京学芸大学教育学部主事、東京学芸大学附属図書館館長、東京学芸大学学長(第10代)、国立大学法人奈良教育大学理事、独立行政法人国立青少年教育振興機構監事などを歴任した。 1943年、静岡県小笠郡土方村に生まれる。肺結核により中学校を1年間休学したものの、静岡県立掛川西高等学校を経て、東京大学に入学した。
大堀 隆(おおほり たかし、1943年1月27日 - )は、… 大堀 隆(おおほり たかし、1943年1月27日 - )は、日本の実業家。静岡県出身。プロ野球・横浜ベイスターズの球団社長を務め、毎年赤字経営であった横浜球団を、合理的経営とファンサービスの強化で黒字に転換した実績をもつ。[要出典]前神港魚類の社長。
井口 泰孝(いぐち やすたか、1943年1月24日 - 20… 井口 泰孝(いぐち やすたか、1943年1月24日 - 2019年12月3日)は、日本の物理化学者。工学博士。東北大学名誉教授。元八戸工業高等専門学校校長。元日本金属学会会長。 静岡県浜松市出身。1965年東北大学工学部金属工学科卒業。1967年東北大学大学院工学研究科金属工学専攻修士課程修了。1970年東北大学大学院工学研究科金属工学専攻博士課程修了、工学博士、東北大学工学部金属工学科助手。1973年東北大学工学部金属工学科講師。1974年東北大学工学部金属工学科助教授。1976年マサチューセッツ工科大学客員研究員。 1986年東北大学工学部金属工学科教授。1988年日本鉄鋼協会評議員。1994年日本金属学会理事、日本鉄鋼協会理理事。
望月 彦男(もちづき ひこお、1943年1月15日 - )は… 望月 彦男(もちづき ひこお、1943年1月15日 - )は、静岡県出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。
大橋 鎬志(おおはし こうし、1943年 - )は、日本のラ… 大橋 鎬志(おおはし こうし、1943年 - )は、日本のランドスケープアーキテクト。静岡県浜松市生まれ。ランドスケープコンサルタントのM&N環境計画研究所代表取締役。 父はオート三輪の製造販売、エンジンの設計、車体のデザイン、水冷エンジンバイク、オート三輪への丸ハンドル、ツインのヘッドライト、セルモーターの導入などの凄腕の技術者。浜松はバイクのメッカ、若き本田宗一郎 も父の工場によく来ていたという。縞志は4人兄弟の長男でエンジン音だけで車種さえ当てられる少年だった。母は教室を構えて教えるほど手芸が得意。庭には花がいっぱい育てられていた。 静岡県立浜松北高等学校時代は陸上部で三段跳びの選手。1965年千葉大学園芸学部造園学科卒業。
高橋 誠(たかはし まこと、1943年 - )は、日本の教育… 高橋 誠(たかはし まこと、1943年 - )は、日本の教育学者(博士(教育学)、東洋大学(2002年))。 株式会社創造開発研究所代表、日本創造学会フェロー(元会長・元理事長)、日本教育大学院大学名誉教授、一般社団法人日本起業アイディア実現プロジェクト理事長、NPOエコリテラシー協会理事長、経営関連学会協議会評議員をそれぞれ務める。静岡県静岡市出身。
石川 憲一(いしかわ けんいち、1943年 - )は、日本の… 石川 憲一(いしかわ けんいち、1943年 - )は、日本の工学者。金沢工業大学第5代学長・顧問・教授。工学博士(大阪大学)。専門は精密工学、振動応用、技術者教育。精密工学会フェロー・名誉会員、日本工学教育協会名誉会員、砥粒加工学会名誉会員。 静岡県生まれ。静岡県立富士高等学校を経て、金沢大学工学部精密工学科卒業・大学院工学研究科修士課程修了。同大助手を経て、1970年金沢工業大学専任講師に就任。1973年助教授、1977年教授、1984年~1989年機械工学科主任、1990年~1993年教務部長、1993年副学長を歴任した後、前学長の推薦により1994年金沢工業大学第5代学長に就任。就任当時は「最年少学長」と呼ばれた。
石川 暢子(いしかわ のぶこ、1943年 - 2012年1月… 石川 暢子(いしかわ のぶこ、1943年 - 2012年1月21日)は、日本を代表するジュエリーデザイナーの一人。独自の感性で、日本の美意識と西欧の様式美の世界をジュエリーに追い求めた。NOBUKO ISHIKAWA 創業者。 1943年、静岡県富士宮市に生まれる。1962年、静岡県立静岡高等学校卒業。1966年、東京藝術大学工芸科卒業。市川市に居を構える。1968年、東京藝術大学大学院彫金科修了。1960年代よりジュエリーのデザイン、及び制作を始める。日展入選3回(~'70)。1970年、創作グループ 閑ジュウリー(現 NOBUKO ISHIKAWA)設立。1980年、西ドイツ、オーストリア、イギリス、オーストラリア、スイス等、国際展多数招待出品。
垣見 隆(かきみ たかし、1942年〈昭和17年〉12月27… 垣見 隆(かきみ たかし、1942年〈昭和17年〉12月27日 - )は、日本の警察官僚。弁護士。元警察大学校長。静岡県浜松市出身。 東京大学法学部卒業後、警察庁に入庁。警察庁長官官房審議官(警備局担当)、警察庁長官官房長を経て、1993年(平成5年)刑事局長に就任。 一連のオウム真理教事件に対する捜査の最高責任者であった。 1995年(平成7年)警察大学校長に異動。本人は更迭と受け止めた。1996年(平成8年)、退職勧奨を受け満53歳で退官。 1999年(平成11年)に弁護士登録し、以後、住友電気工業、日本コムシス、コムシスホールディングス、熊谷組で監査役を務めた。
天野 一(あまの はじめ、1942年11月25日 - )は、… 天野 一(あまの はじめ、1942年11月25日 - )は、日本の政治家。静岡県議会議員。元静岡県議会議長。 静岡市生まれ。静岡市立城内小学校、静岡市立城内中学校を経て、1961年(昭和36年)静岡県立静岡高等学校卒業。青山学院大学経済学部卒業。静岡県の最年長県会議員。静岡市議会議員(3期)、静岡県議会議員 当選9回。静岡市葵区選出。第101代県議会議長(2008年5月から2009年5月まで)。静岡県レクリエーション協会会長、公益社団法人静岡県茶業会議所理事、静岡県人権・地域改善推進会会長。 静岡市葵区馬場町9 田辺ビル3階
伊藤 典夫(いとう のりお、1942年10月5日 - )は、… 伊藤 典夫(いとう のりお、1942年10月5日 - )は、日本の翻訳家、SF研究家、アンソロジスト。日本SF作家クラブ名誉会員。 十代で商業誌に翻訳を載せた早熟の翻訳家である。1960年代に『SFマガジン』誌に連載した「SFスキャナー」などを通じて海外SFを精力的に日本に紹介するとともに、今日にいたるまで多数の名作を翻訳して、戦後の日本におけるSFの発展に尽力した。 また、同業者の浅倉久志と共に、R・A・ラファティ、コードウェイナー・スミス、ジェイムズ・ティプトリー・Jr.といった異色の実力派作家を日本に紹介した。カート・ヴォネガット・ジュニアの作品も、浅倉と分担して翻訳・紹介した。 静岡県浜松市出身。