鈴木 啓太(すずき けいた、1981年7月8日 - )は、静… 鈴木 啓太(すずき けいた、1981年7月8日 - )は、静岡県清水市(現:静岡市清水区)出身の元プロサッカー選手、実業家。現役時代のポジションはミッドフィールダー(MF)。元日本代表。 妻は女優、ファッションモデルの畑野ひろ子。サッカー選手の水野和樹および水野晃樹は従兄弟。日本プロサッカー選手会元副会長。マネジメントでは株式会社ラボーナ所属。かつてセント・フォースのアスリート部門「ゾーン」に所属していた。 2000年の入団以来、浦和レッズ一筋でプレーしたバンディエラ。2015年10月にアスリートの腸内細菌データをベースにヘルスケア・フードテック事業を展開するAuB(オーブ)株式会社を設立。 小学生時代は清水FCに所属し、1993年の第17回全日本少年サッカー大会で準優勝を経験。
池田 昇平(いけだ しょうへい、1981年4月27日 - )… 池田 昇平(いけだ しょうへい、1981年4月27日 - )は、静岡県静岡市清水区出身の元プロサッカー選手(DF)。 清水エスパルスユースから2000年、清水エスパルスに入団。同年、アジアカップウィナーズカップ決勝のアル・ザウラーSC戦では決勝点を決めて優勝に貢献した。身体能力の高さとマンツーマンでの強さを買われ、チームの守備の要として活躍するとともにアジアユースやワールドユースの代表に選出される。2003年にはJリーグフェアプレー個人賞を受賞。アテネオリンピック予選では活躍を見せたが、本大会は故障により出場できなかった。 2005年、守備補強を図るサンフレッチェ広島へ期限付き移籍。序盤はレギュラーとして活躍するも、小村徳男とジニーニョの前に徐々に出番を失い、西河翔吾の台頭で構想外となった。
藤ヶ谷 陽介(ふじがや ようすけ、1981年2月13日 - … 藤ヶ谷 陽介(ふじがや ようすけ、1981年2月13日 - )は、静岡県浜松市中央区出身の元プロサッカー選手。ポジションはゴールキーパー。 幼少時は父親の影響で野球をやっていた。小学校3年次に中ノ町小学校へ転校したが中ノ町サッカースポーツ少年団の指導者でもあった担任教員に誘われてサッカーを始める。同少年団ではフォワードからゴールキーパーまで全てのポジションを経験した。小学校4年次には浜松市の選抜チームである浜松JFCにゴールキーパーとして選出され、以後重要な試合の際はゴールキーパーとして試合に出た。進学先の天竜中学校サッカー部以降はゴールキーパーに専念。中学生の頃は静岡県西部選抜にも選抜され少しずつゴールキーパーとしてプレーする面白さを感じたという。
河村 優(かわむら ゆう、1980年12月1日 - )は、静… 河村 優(かわむら ゆう、1980年12月1日 - )は、静岡県焼津市(旧・志太郡大井川町)出身の元Jリーグのサッカー選手(FW)。
渡辺 誠(わたなべ まこと、1980年9月25日 - )は、… 渡辺 誠(わたなべ まこと、1980年9月25日 - )は、元プロサッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはMF。
小池 良平(こいけ りょうへい、1980年8月24日 - )… 小池 良平(こいけ りょうへい、1980年8月24日 - )は、静岡県出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはミッドフィールダー。 静岡学園高校を卒業後、1999年にJ2リーグの大分トリニータに入団。5月22日のサガン鳥栖戦で途中出場でデビューした。しかし、その後は出場機会が無く、2000年のシーズン終了後に退団した。
森 勇介(もり ゆうすけ、1980年7月24日 - )は、静… 森 勇介(もり ゆうすけ、1980年7月24日 - )は、静岡県清水市(現:静岡市清水区)出身の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはディフェンダー(サイドバック)。 中学時代は清水エスパルスジュニアユースチームに所属。清水東高校時代は高林佑樹と同級生で同卒業後1999年にヴェルディ川崎(現・東京ヴェルディ)へ入団。 2001年、当時J2のベガルタ仙台へ移籍し、右サイドバックのレギュラーとしてチームのJ1昇格に貢献。だが、警告・退場が多いため2002年のシーズン途中で安藤正裕と入れ替わるかたちで選手登録を抹消され事実上の解雇となった。 その後、京都パープルサンガを経て2005年に川崎フロンターレに移籍。
中馬 健太郎(ちゅうまん けんたろう、1980年6月27日 … 中馬 健太郎(ちゅうまん けんたろう、1980年6月27日 - )は、静岡県出身のサッカー指導者。
川村 淳一(かわむら じゅんいち、1980年6月24日 - … 川村 淳一(かわむら じゅんいち、1980年6月24日 - )は、静岡県沼津市出身の元サッカー選手。現役時代のポジションは、ミッドフィールダー、フォワード。 1999年、東海大学第一高校からJリーグ・ヴィッセル神戸へ入団。神戸では3年間プレーした。 2002年、JFL・ジヤトコサッカー部へ移籍。しかし2003年を以てチームが解散し退団。その後、ジヤトコのサポーターが中心となって設立したFCイースタン04へ加入。 2005年、地元の沼津香陵クラブ(のちのアスルクラロ沼津)へ移籍。コーチ兼任でプレーしていたが、JFLに昇格した2014年からは選手専任となった。同年シーズン終了後、現役を引退した。
鎌田 安啓(かまた やすひろ、1980年6月11日 - )は… 鎌田 安啓(かまた やすひろ、1980年6月11日 - )は静岡県浜松市出身の元サッカー選手。現役時のポジションはMF。
高林 佑樹(たかばやし ゆうき、1980年5月22日 - )… 高林 佑樹(たかばやし ゆうき、1980年5月22日 - )は、元プロサッカー選手。ポジションはミッドフィルダー。
市川 大祐(いちかわ だいすけ、1980年5月14日 - )… 市川 大祐(いちかわ だいすけ、1980年5月14日 - )は、静岡県清水市(現・静岡市清水区)出身の元サッカー選手。ポジションはディフェンダー。日本代表にも選出され、2002 FIFAワールドカップに出場した。「17歳322日」という日本代表最年少出場記録を持つ(2019年時点)。 清水のジュニアユース時代の1995年に開催されたメニコンカップ クラブユース東西対抗戦に出場して最優秀選手を獲得。また、ユース年代の日本代表に選出された。 Jリーグデビューは、静岡県立清水工業高等学校2年から3年に進級する17歳のときで、1998年3月21日の日本平スタジアムでのコンサドーレ札幌戦。同年11月14日のジェフユナイテッド市原戦で初ゴールを決めた。
和田 雄三(わだ ゆうぞう、1980年5月2日 - )は、静… 和田 雄三(わだ ゆうぞう、1980年5月2日 - )は、静岡県富士市出身の元プロサッカー選手である。現役時代のポジションは左サイドのミッドフィールダー、ディフェンダー。静岡学園高等学校出身。現在は清水エスパルスのサッカー指導者である。 清水エスパルスユース在籍中の1998年に第2種登録選手として1998年5月16日ナビスコカップ・コンサドーレ札幌戦でトップデビューを果たし、この年のリーグ戦で13試合に出場した。ユースの同期には市川大祐、平松康平、谷川烈がいる。 清水で試合出場がなくなり、2000年にJ2・大分トリニータに期限付き移籍、2001年に完全移籍した。現役最後となった2003年シーズンは期限付き移籍でヴァンフォーレ甲府でプレーした。
谷川烈(たにかわ つよし、1980年4月25日 - )は、静… 谷川烈(たにかわ つよし、1980年4月25日 - )は、静岡県静岡市出身のサッカー選手。ポジションはMF、DF。エリースFC東京所属。
平松 康平(ひらまつ こうへい、1980年4月19日 - )… 平松 康平(ひらまつ こうへい、1980年4月19日 - )は、静岡県静岡市清水区興津出身の元プロサッカー選手、ポジションはミッドフィルダー(MF)。常葉学園橘高校出身。 現在は、障がい福祉施設運営会社の代表取締役。また、障がい福祉事業以外に、飲食、輸出入、農業事業の法人を設立。 1999年に清水エスパルスユースよりトップチームに昇格。ミスター・エスパルスこと澤登正朗の後継者としてサポーターや澤登本人から期待され続け、2001年には、当時の日本代表監督であったフィリップ・トルシエにより日本代表候補合宿にも招集された。チームが残留争いに巻き込まれた時期には、救世主的働きで幾度と無くスタジアムを沸かせている。
大塚 智之(おおつか ともゆき、1980年2月15日 - )… 大塚 智之(おおつか ともゆき、1980年2月15日 - )は、日本の元プロサッカー選手。 静岡県出身で、小学校時代は埼玉県の尾山台イレブンスポーツ少年団に所属。その後日本大学豊山高等学校から日本大学に進学し、JAPANサッカーカレッジを経て東京ベイFCに所属した。その後はドイツ4部リーグのTSGヴァッテンバッハ、FSVドゥルンベルクでの活躍を経て、2008年からJFL所属のFC琉球に移籍。2008年12月15日、FC琉球との契約を満了した。 2009年よりグランセナ新潟FCのスタッフを務める。 2011年よりASジャミネイロでプレー。 2022-モノリスFC監督
石川 竜也(いしかわ たつや、1979年12月25日 - )… 石川 竜也(いしかわ たつや、1979年12月25日 - )は、静岡県藤枝市出身の元サッカー選手。ポジションはディフェンダー(左サイドバック、センターバック)。 西益津小のスポーツ少年団、西益津中サッカー部を経て静岡県の名門藤枝東高校に入学した。高校2年より左サイドバックとしてプレーするようになる。 高校卒業後は筑波大学に進学。同期に羽生直剛、平川忠亮、鶴見智美がいる。在学中にU-19、U-20日本代表に選ばれ、AFCユース選手権1998にはレギュラーとして出場、1999 FIFAワールドユース選手権 ナイジェリア大会にはチームで唯一の大学生選手として参加し、準優勝に貢献。イングランド戦では間接フリーキックからのゴールも記録した。
大石 鉄也(おおいし てつや、1979年11月26日 - )… 大石 鉄也(おおいし てつや、1979年11月26日 - )は静岡県出身の元プロサッカー選手。 静岡学園高校から1998年に川崎フロンターレに加入。川崎が提携していたブラジルのグレミオへの留学を加入1年目に経験した。2002年、期限付き移籍でヴァンフォーレ甲府に加わり、同年のJ2リーグ戦で29試合に出場した。期限付き移籍期間を延長して2003年も甲府に在籍。2004年に川崎に復帰したが、公式戦出場のないまま同シーズン限りで契約満了となった。 現役引退後はコナミスポーツクラブに入社し、スポーツ施設の運営とサッカー指導に携わる。 2017年に右肘をトミージョン手術をした経験を持つ。
野澤 洋輔(のざわ ようすけ、1979年11月9日 - )は… 野澤 洋輔(のざわ ようすけ、1979年11月9日 - )は、静岡県静岡市葵区出身の元サッカー選手。株式会社アルビレックス新潟代表取締役社長。現役時代のポジションはゴールキーパー(GK)。 静岡大学附属小学校・中学校出身。クラブチームでは当初はFWをやっていたものの、小学校5年生時より監督からGKをやらされたのがきっかけでGKとなった。高校2年生になるまではバスケットボールのインターハイの優勝経験を持つ父の影響もありバスケットボールも並行して行っていた。日本大学三島高校時代には静岡県選抜にも選ばれていたが、高校2年生時から本格的にサッカーのみに集中し始めたという。 1998年に清水エスパルスに入団するも真田雅則が正GKとして定着しており出番に恵まれなかった。
河村 崇大(かわむら たかひろ、1979年10月4日 - )… 河村 崇大(かわむら たかひろ、1979年10月4日 - )は、日本の元サッカー選手。ポジションはミッドフィールダー(主にボランチ)。静岡県島田市出身。夫人はフリーアナウンサーの伊藤由希子。 現在はサッカースクールSKYのコーチを務め、子供たちの指導にあたる。
小野 伸二(おの しんじ、1979年9月27日 - )は、静… 小野 伸二(おの しんじ、1979年9月27日 - )は、静岡県沼津市出身の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはミッドフィールダー(MF)。元日本代表。 FIFAワールドユース準優勝、FIFAコンフェデレーションズカップ2001準優勝、日韓ワールドカップGL1位通過、UEFAカップ優勝、アジア年間最優秀選手賞を受賞。FIFA世界大会、UEFAクラブ国際大会のすべてに出場した唯一の日本人選手。 小学生時代から「天才」と呼ばれ地元の沼津では名前を知られていた。10人兄弟の内で6番目の子で、貧しい母子家庭で育ち、小学生時代はサッカー少年団にも入っていなかったが、小野が一人でサッカーをしているのを見た少年団の監督から「お金(月会費等)はいらないからぜひ入ってくれ」と勧誘され、小学3年生のころに入団した。
藤田 健(ふじた けん、1979年8月27日 - )は、静岡… 藤田 健(ふじた けん、1979年8月27日 - )は、静岡県浜松市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。 1998年に河村崇大らと共に磐田ユースから昇格(ただしプロではなくアマチュア登録)。[要出典]わずか数ヶ月で「進路変更のため」退団。その後ブラジルへ留学、元磐田の先輩である鈴木将方の所属する浜松のフットサルクラブでのプレーを経て、2000年オフに甲府のセレクションに合格[要出典]し、プロサッカー選手となった。 た当初はサイドバックなどでプレーしていた[要出典]が、次第に倉貫一毅らと共に甲府の上位進出に貢献した。2002年から10番を着用、2010年のシーズンを最後に戦力外通告。 2011年、リーガ・インドネシアのトップ・リーグ、インドネシア・スーパーリーグのスリウィジャヤFCのテストに参加していたが、契約には至らなかった。
加藤 知弘(かとう ともひろ、1979年8月22日 - )は… 加藤 知弘(かとう ともひろ、1979年8月22日 - )は、静岡県藤枝市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。 静岡産業大学を卒業後、デンソーサッカー部(後のFC刈谷)に加入。2010シーズン終了後に現役を引退し、FC刈谷の監督に就任。 2013シーズン終了後に監督を退任。 2014年、藤枝MYFCのコーチに就任。 2015年、静岡産業大学サッカー部のコーチに就任。
池端 陽介(いけはた ようすけ、1979年6月7日 - )は… 池端 陽介(いけはた ようすけ、1979年6月7日 - )は、静岡県浜松市出身のサッカー選手。ポジションはDF、FW。 清水商業高校時代は小野伸二、平川忠亮とともに活躍。 1998年にサンフレッチェ広島に入団した。同期入団は、大久保誠、石川裕司、植田元輝、大畑隼哉、行友亮二、秋元雅博、山下一弥。U-19日本代表に選ばれるが、直後に靭帯を切断という不運に見舞われる。その後、川島眞也の成長もあり事実上構想外になっていたところへ、以前より能力を高く評価していたヴェルディ川崎から打診があり、2000年にV川崎へ期限付き移籍した。しかし、1stステージは4試合出るものの、2ndステージでは構想外となってしまった。
高原 直泰(たかはら なおひろ、1979年6月4日 - )は… 高原 直泰(たかはら なおひろ、1979年6月4日 - )は、静岡県三島市出身の元サッカー選手、サッカー指導者、サッカークラブ代表者。ポジションはフォワード。沖縄SV株式会社CEO。元日本代表。 Kリーグ時代の登録名は高原(ハングル: 다카하라)。 血液型はB型。アルゼンチンから日本に復帰した2002年にはJリーグMVPとJリーグ得点王を獲得。2006年FIFAワールドカップ出場。 静岡県立清水東高等学校を卒業。同校在学中は全国高等学校サッカー選手権大会の出場はならなかった。1998年にジュビロ磐田に加入し、3月21日の開幕戦(京都戦)で途中出場。 2001年、J1リーグ1stステージ第13節横浜F・マリノス戦で優勝を決める延長Vゴールをあげた。
太田 恵介(おおた けいすけ、1979年4月24日 - )は… 太田 恵介(おおた けいすけ、1979年4月24日 - )は、静岡県静岡市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはFW。福岡大学サッカー部でコーチを経て現在、佐賀県の龍谷高校サッカー部監督を務めている。 福岡大学在学中の2001年にユニバーシアード北京大会で日本代表に選出され、チームの優勝に貢献。2002年、その年J2に降格したばかりの福岡に入団した。2004年4月24日の大宮戦にて、古賀誠史からのフリーキックを得意の頭で合わせゴールを決めた際、ポストに腹部を強打し脾臓損傷という全治3ヶ月以上の大怪我を負うが同年8月1日の横浜FCより戦線復帰。2005年チームはJ1復帰を果たしたが、本人はJ1でプレーする事無く同年に戦力外通告を受ける。
土屋 慶太(つちや けいた、1978年12月19日 - )は… 土屋 慶太(つちや けいた、1978年12月19日 - )は、日本の元サッカー選手、現サッカー指導者。静岡県清水市(現・静岡市)出身。 清水市立江尻小学校(現・静岡市立清水江尻小学校)に入学後、江尻サッカースポーツ少年団でサッカーを始め、地元の小学生選抜チームである清水FCにも選出される。清水市立第一中学校(現・静岡市立清水第一中学校)、静岡県立清水東高等学校を経て、信州大学の教育学部に進学する。 大学卒業後の2001年、ドイツに渡り、1.FCザールブリュッケンや1.FCライムスバッハでプレーをし、2003年にチェコ2部リーグのボヘミアンズ・プラハに移籍する。2004年、ドイツに戻ったあと、1.FCライムスバッハやEGCヴィルゲスで選手としてプレーをしながら下部組織の指導に携わり、ドイツC級とB級(UEFA-B級)指導者ライセンスを取得する。
坂本 紘司(さかもと こうじ、1978年12月3日 - )は… 坂本 紘司(さかもと こうじ、1978年12月3日 - )は日本の元プロサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー、フォワード。 静岡学園高校三年生の秋、高校選手権静岡予選で挙げた13得点の記録は未だに破られていない。全国大会では準決勝まで進むが、中村俊輔がいた桐光学園にPK戦の末敗れた。大会後の日本高校選抜では北嶋秀朗と2トップを組んだ。セゾンFC・静岡学園高の同期に倉貫一毅がいる。 高校卒業後はジュビロ磐田に入団したが、出場機会に恵まれないまま2000年に湘南ベルマーレに移籍した。 元々はフォワードの選手であり、湘南移籍後もオフェンシブなポジションで出場していたが、2006年よりボランチで出場するようになり、2007年は前年に主将として出場していた佐藤悠介が東京ヴェルディ1969に移籍したこともあり、ボランチに固定されることとなった。
山崎 光太郎(やまざき こうたろう、1978年10月19日 … 山崎 光太郎(やまざき こうたろう、1978年10月19日 - )は、静岡県出身の元プロサッカー選手。ポジションはFW。 静岡県立清水東高等学校では一学年下の高原直泰と前線でコンビを組んだ。激戦区の静岡から高校選手権へ出場する機会はなかったものの、全国区のスタープレイヤーであり、高原と同学年の「天才」小野伸二は「僕らの高校時代、光太郎さんは本当に神様でした」と語っている。 1994年、カタールで行われたAFC U-17選手権にU-17日本代表のキャプテン(背番号10番)として出場。準決勝オマーン戦では1-3で敗色濃厚の試合終盤8分間に2ゴールを決めて同点に追いつき、高原の延長ゴールデンゴールにつなげた。
唐紙 学志(からかみ さとし、1978年8月28日 - )は… 唐紙 学志(からかみ さとし、1978年8月28日 - )は、静岡県静岡市出身のサッカー審判員。元国際審判員。 静岡南高校を経て静岡産業大学卒業。大学はサッカーの強豪として知られるが、サッカー部ではプレーはしていないという。大学卒業後の2002年11月に1級審判員に登録され、2003年より日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)の副審、2007年よりJ2リーグ主審として登録、7試合を担当した。佐藤隆治、井上知大とともに、2007年に新規登録された主審の中では若い年齢の審判だったが同年8月にJリーグの担当から外れ、主に日本フットボールリーグ (JFL) で主審を務めた。2009年よりJ2リーグ副審に復帰し、2010年からはJ1の副審も担当している。
島津 虎史(しまづ とらし、1978年8月20日 - )は、… 島津 虎史(しまづ とらし、1978年8月20日 - )は、静岡県浜松市出身の元サッカー選手。ポジションはゴールキーパー。 高校卒業後、当時JFLの大分トリニータに加入が内定していたが、チームの方針転換で白紙になる。ドイツ留学、桐蔭横浜大学を経て2003年に当時J2のヴァンフォーレ甲府に入団。 甲府時代は出場機会に恵まれず、徳島にシーズン途中で移籍。正GKの地位を奪う。ムードメーカーで、チーム内に「島津軍団」ができるほど。その人柄から、2006年は選手会長を務め、2007年はキャプテンに就任した。 2008年シーズン終了後、戦力外通告を受けた。2009年3月11日、ジェフユナイテッド市原・千葉への加入が発表されたものの出場機会は無く、シーズン終了後、契約満了により、千葉を退団。
山崎 哲也(やまざき てつや、1978年7月25日 - )は… 山崎 哲也(やまざき てつや、1978年7月25日 - )は、静岡県静岡市出身のサッカー指導者・元プロサッカー選手。現役時代のポジションはディフェンダー。 実兄は東北楽天ゴールデンイーグルスに在籍していた元プロ野球選手の山崎隆広。 静岡学園高校から1997年にモンテディオ山形に加入。1999年に大分トリニータに移籍し、契約満了となる2004年まで6年に渡ってプレー。2005年からはセレッソ大阪に移籍したが、3年目の2007年は公式戦出場無しに終わり、シーズン終了後に契約満了によりC大阪を退団した。 2008年、古巣・大分に4年振りに復帰。翌2009年は当初は選手としての契約更新がされていたが、同年1月31日に本人の希望により現役を引退し、大分のアシスタントコーチに就任。
川島 眞也(かわしま しんや、1978年7月20日 - )は… 川島 眞也(かわしま しんや、1978年7月20日 - )は、静岡県静岡市出身のサッカー指導者、元プロサッカー選手。ポジションはディフェンダー。日本サッカー協会公認A級ジェネラルライセンス保有。 清水市立商業高校から1997年にサンフレッチェ広島に加入。同期入団は若井研治、廣池寿、松岡祐弥、安武亨、岩村貴久、荒木亮次。CBとして徐々に出場機会を得て、4年目の2000年にはFWとしても出場。しかし定位置確保には至らず、2001年にSBにコンバートされる。同年7月に浦和レッドダイヤモンズへレンタル移籍されるも、出場機会は全く与えられなかった。 翌2002年に広島へ復帰。主力CBとして評価されていたが徐々に出場機会がなくなり、同年9月にアビスパ福岡へレンタル移籍し、翌年2003年に完全移籍した。
岡本 淳一(おかもと じゅんいち、1978年6月28日 - … 岡本 淳一(おかもと じゅんいち、1978年6月28日 - )は、静岡県出身のサッカー指導者、元サッカー選手。ポジションはミッドフィールダー、フォワード。
内藤 修弘(ないとう のぶひろ、1978年5月25日 - )… 内藤 修弘(ないとう のぶひろ、1978年5月25日 - )は、静岡県出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはミッドフィールダー。 静岡学園高校を卒業後、1997年にJリーグの清水エスパルスに入団。3月26日、Jリーグカップ・ジェフユナイテッド市原戦でデビューした。しかし、その後は出場機会が無く、1999年のシーズン終了後に退団した。
飯塚 浩記(いいづか ひろき、1978年4月4日 - )は、… 飯塚 浩記(いいづか ひろき、1978年4月4日 - )は、静岡県出身の元サッカー選手。ポジションはミッドフィールダー。 高校時代は静岡学園高校でプレーし、2年次の第74回全国高等学校サッカー選手権大会では優勝(鹿児島実業高校との両校優勝)した。高校を卒業した1997年に、同級生の山崎哲也と共に、ジャパンフットボールリーグのモンテディオ山形に加入。クラブは、1997年に5位、1998年に3位の成績を残し、1999年に新しくできたJリーグ・ディビジョン2に加盟。飯塚は1999年にJ2で5試合に出場し、1999年の終わりに引退した。
川口 剛史(かわぐち つよし、1978年2月22日 - )は… 川口 剛史(かわぐち つよし、1978年2月22日 - )は、静岡県磐田市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはGK。JFL・FCマルヤス岡崎のGKコーチ。 近畿大学卒業後の2000年、本田技研工業サッカー部(現 Honda FC)に入団。以後、2001年に入団した中村元とは熾烈な正GK争いを繰り広げていた。 特に2007年の第87回天皇杯では正GKとしてJリーグ勢(東京ヴェルディ、柏レイソル、名古屋グランパスエイト)をほぼ完封し、チームのベスト8に貢献した(失点は柏からの2失点と、準々決勝で敗れた鹿島からの1失点のみ)。 2009年から、Honda FCのGKコーチに就任。同年4月に、選手兼GKコーチとして現役復帰した。
平山 智規(ひらやま とものり、1978年1月9日 - )は… 平山 智規(ひらやま とものり、1978年1月9日 - )は、静岡県浜北市(現・浜松市浜名区)出身の元プロサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー。愛称はヒラ、シューシャ。 様々なキックを蹴り分けられる、精度の高い左足を持つ左サイドアタッカー。クラブではプレイスキックも担当する。 東海大一中から静岡北高を経て、1996年に柏レイソルへ練習生として入団。ブラジルのジュベントスへ留学を経験した後、3年目の1999年途中からチームでポジションを掴み始め、同時にシドニー五輪予選を戦うU-22代表にも招集された。2000年末には、トルシエ監督の日本代表合宿にも招集された。2003年8月のナイジェリア戦を前に、負傷により辞退した奥大介(横浜F・マリノス)に代わって代表に招集されたが、試合出場の機会はなかった。
塩川 岳人(しおかわ たけと、1977年12月17日 - )… 塩川 岳人(しおかわ たけと、1977年12月17日 - )は、元プロサッカー選手、サッカー指導者。ポジションはMF(両サイド)。 両サイドのMFをこなす選手であるが、元々はFWの選手であり、大分トリニータ時代はFWとして出場していた。さらに、チームによってはDFとしての起用もあるが、スピードを生かしたサイド攻撃を期待されるプレースタイルは変わりがない。横浜では試合出場数は少なかったが、シーズン中の徳島移籍までの2シーズンで選手会長を務めた。 また、山形で初めてプロ選手として指導を受けた石崎信弘とは同時に大分に移籍した。その後、塩川は石崎を離れて川崎に移籍したが、2001年途中には石崎が川崎監督に就任し、合計で7シーズンにわたって石崎の下でプレーしている。
大石 玲(おおいし りょう、1977年7月13日 - )は、… 大石 玲(おおいし りょう、1977年7月13日 - )は、静岡県清水市(現・静岡市清水区)出身の元サッカー選手。現役時代のポジションは、DF。 清水商業高校を卒業後、清水エスパルス、水戸ホーリーホックなどでプレー、Jリーグ2試合に出場した。 この項目は、サッカー選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:サッカー/PJサッカー選手/PJ女子サッカー)。
深澤 仁博(ふかさわ まさひろ、1977年7月12日 - )… 深澤 仁博(ふかさわ まさひろ、1977年7月12日 - )は、静岡県沼津市出身の元サッカー選手。 静岡学園高等学校卒業。1996年に横浜マリノス(1998年から横浜F・マリノス)に入団。その年の8月からJリーグ海外留学制度の適用を受けてアルゼンチンのCAリーベル・プレートで1年間技術研修を受け、1997年6月に横浜Mへ復帰。その後1999年1月から半年、スペインのテネリフェに留学した後、三たび横浜F・マリノスに復帰するが、横浜FMではスタメンに定着できず、リーグ戦は13試合出場3ゴールに留まる。 2000年6月よりアルビレックス新潟に期限付き移籍で加入し、翌年も期間を延長し、2002年より完全移籍。
森川 拓巳(もりかわ たくみ、1977年7月11日 - )は… 森川 拓巳(もりかわ たくみ、1977年7月11日 - )は、静岡県浜松市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはディフェンダー(DF)。 静岡学園高等学校時代からDFとしてサッカーを続け、同高校3年時に出場した1995年度の第74回全国高等学校サッカー選手権大会では、同学年の石井俊也や2学年下の南雄太とともに活躍し、準決勝では東福岡高等学校にPK戦で勝利し、決勝では鹿児島実業と引き分けて両校優勝に輝いた。 1996年、高校卒業と同時にJリーグの柏レイソルに入団。同年にリーグ戦初出場を記録し、公式戦出場がなかった2年目の1997年にはシーズンオフにブラジルへの3ヵ月留学へ派遣 されるなど、若手DFとしてクラブから期待され、翌1998年にはリーグ戦の半数以上に当たる20試合に出場するまでの成長を見せた。
入江 徹(いりえ とおる、1977年7月8日 - )は、静岡… 入江 徹(いりえ とおる、1977年7月8日 - )は、静岡県静岡市出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。選手時代のポジションはディフェンダー。 2007年シーズンオフに所属していたガンバ大阪から戦力外通告を受け、この年をもって現役を引退。 引退後の2008年からアルビレックス新潟のアカデミーや女子チームを指導した(指導チーム・役職は#指導歴を参照)。 2015年には自身が監督を務めていた新潟U-18をチーム初となるプレミアリーグ昇格へ導いた。 2019年末に新潟を退団。新潟U-18の監督時にトップチーム昇格を果たした選手として宮崎幾笑、長谷川巧、岡本將成、本間至恩、藤田和輝がいる。 2020年からはファジアーノ岡山のアカデミーを指導し、同年末に退団した。
村松 大介(むらまつ だいすけ、1977年6月8日 - )は… 村松 大介(むらまつ だいすけ、1977年6月8日 - )は、静岡県出身のサッカー指導者。JFA 公認S級コーチ。
桜井 孝司(さくらい たかし、1977年5月4日 - )は、… 桜井 孝司(さくらい たかし、1977年5月4日 - )は、静岡県出身の元サッカー選手。 1995年の第74回全国高等学校サッカー選手権大会では、南雄太、石井俊也、塩川岳人、森川拓巳らと共に全国優勝を果たした。 卒業後横浜フリューゲルスに入団。程なくアルゼンチンのクラブ・デ・ヒムナシア・イ・エスグリマ・ラ・プラタにサッカー留学を行った。帰国した翌年の1999年元日の天皇杯優勝を最後にチームは消滅。1999年はコンサドーレ札幌と契約したが、旧フリューゲルス選手の中では契約先が最後に決まった選手である。 現在は㈱ラベッタの代表として、サッカースクールの運営・コーチ・全国各地で行われるサッカークリニックなどサッカーの普及活動を行っている。
朝比奈 伸(あさひな しん、1976年8月20日 - )は、… 朝比奈 伸(あさひな しん、1976年8月20日 - )は、静岡県藤枝市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはディフェンダー(センターバック)。 同志社大学から1999年にガンバ大阪へ入団。手薄なセンターバックの即戦力として期待されるが、在籍した4年間でリーグ戦出場は16試合にとどまった。 2003年にサガン鳥栖へ完全移籍。2004年シーズンのキャプテンを務めた。鳥栖では2年間主力として活躍するも、戦力外通知を受ける。 2005年からは当時九州リーグのロッソ熊本へ入団し、初代主将を任され、JFL昇格に貢献。 2007年は関西リーグのバンディオンセ神戸へ所属。2008年にTDKへ加入。
村主 博正(すぐり ひろまさ、1976年7月29日 - )は… 村主 博正(すぐり ひろまさ、1976年7月29日 - )は、静岡県袋井市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはミッドフィルダー。 磐田東高校を卒業した1995年に本田技研工業に加入。1998年、同年よりJリーグに加盟したコンサドーレ札幌に移籍。2000年6月にヴェルディ川崎、2001年に大宮アルディージャ、2003年にサガン鳥栖に移籍。鳥栖からの期限付き移籍により2005年9月から同シーズン末までアビスパ福岡でプレー。2007シーズンをもって現役引退した。 2008年より、浜松開誠館高校サッカー部コーチに就任。2012年からはFC岐阜コーチ、ヘッドコーチを、2014年からFC町田ゼルビアコーチ、ヘッドコーチを経て2020年から松本山雅FCコーチに就任。
久保山 由清(くぼやま よしきよ、1976年7月21日 - … 久保山 由清(くぼやま よしきよ、1976年7月21日 - )は、静岡県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはFW。 横浜フリューゲルス入団当初はトップ下として活躍。ジーニョが出場停止時に背番号10を背負うなど、クラブから期待された選手であった。 後にFWとして起用され、頭角を現し始めた1998年にクラブが消滅するという決定が下される。横浜Fの最後の試合となった天皇杯決勝清水エスパルス戦で持ち前の反転の速さを生かし芸術的なターンで戸田和幸を翻弄しゴールを決めている。 クラブ消滅に伴い、1999年に清水エスパルスに移籍。チーム最多の年間12得点を挙げ2ndステージ優勝に大きく貢献。
西澤 明訓(にしざわ あきのり、1976年6月18日 - )… 西澤 明訓(にしざわ あきのり、1976年6月18日 - )は、静岡県清水市(現:静岡市清水区)出身の元サッカー選手。日本サッカー協会登録仲介人。現役時代のポジションはフォワード。 セレッソ大阪における森島寛晃との名コンビ で著名な、日本サッカーを代表するフォワードのひとりであった。現在セレッソ大阪でアンバサダーを務める。 静岡県清水市 (現静岡市清水区) に生まれ育ち、清水市立入江小学校在学中に清水FCに入団し、センターフォワードとしてプレーした。この時のチームメートのひとりに山西尊裕がいた。この頃「ニッコ」という愛称を「ニコニコしているから」という理由で山西に付けられた。 清水市立第八中学校を経て1992年に静岡県立清水東高等学校に入学してサッカー部に入部した。
佐藤 由紀彦(さとう ゆきひこ、1976年5月11日 - )… 佐藤 由紀彦(さとう ゆきひこ、1976年5月11日 - )は、静岡県富士市出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはミッドフィールダー(MF)。 小学1年生の時にサッカーを始める。1992年に清水市商高へ進学。柔らかいボールタッチと卓越したパスセンスを武器に、1993年の高円宮杯及び選手権を制した。1994年には背番号10を付け、総体優勝と高円宮杯を連覇。高円宮杯では両大会とも自身の得点が決勝点となった。さらに国体でも連覇を経験。 1995年に高校を卒業し、鳴り物入りで清水エスパルスに入団。しかし、クラブにとって絶対的存在のMF澤登正朗とポジションが重なったことに加え、「地元出身のスター候補」という周囲からの扱いも重荷になり、ベンチ入りも中々出来ずにいた。