杉山 奈津子(すぎやま なつこ、1982年7月18日 - 2… 杉山 奈津子(すぎやま なつこ、1982年7月18日 - 2025年1月27日)は、日本の医療・勉強・育児に関する著作家、学習塾経営者、イラストレーター、心理カウンセラー、講演家。静岡県静岡市生まれ、東京大学薬学部卒業。AERA.dotにて『東大卒ママ』コラムを連載していた。 静岡雙葉中学校・高等学校を経て、東京大学薬学部を卒業。 中学で双極性障害とうつ病を併発。うつ病の本を書きたく国立大学に行こうと思うようになり、数学の偏差値29から予備校へ行かず独学で一浪して、東京大学理科二類に合格。進学振分け試験の全科目で「優」を取る。 薬学部を選択したのは、薬が脳にどのように作用するのか勉強をしたかった、薬剤師になれば本を書きながらも生きていけると考えたから。
石川 雅俊(いしかわ まさとし、1979年12月21日 - … 石川 雅俊(いしかわ まさとし、1979年12月21日 - )は、日本の医師、実業家、政治活動家、投資家、大学教授、経営コンサルタント。学位は博士(医療福祉経営学)(国際医療福祉大学・2012年)。まめクリニックグループ代表。KPMGヘルスケアジャパン株式会社マネージャー、国際医療福祉大学大学院医療経営管理分野准教授、厚生労働省医政局総務課課長補佐などを歴任した。 1979年、静岡県湖西市生まれ。2005年、筑波大学医学専門学群卒業。卒後臨床研修を経てKPMGヘルスケアジャパン株式会社に参画、2012年よりマネジャー。2014年より国際医療福祉大学大学院医療経営管理分野准教授、厚生労働省医政局総務課長補佐、ハーバード大学武見フェローを経て現職。
原田 陽介(はらだ ようすけ 1976年-)は、日本のCMデ… 原田 陽介(はらだ ようすけ 1976年-)は、日本のCMディレクター、演出、フィルムディレクター。 1976年 静岡県焼津市生まれ。武蔵野美術大学短期大学部デザイン科卒。 開高健、山口瞳らが設立した広告会社サン・アドの演出家としてキャリアを始め、2013年独立。THE OCTOPUS所属。 代表的な作品として、2007年チャットモンチーの楽曲「さらば青春」と「卒業って出会いだ」というメッセージで高校生のリアルな表情を描いたリクルートの「卒おめ」CMや、2012年尾崎豊が生前に個人的な思いや創作のアイデアを書きためていた直筆のキャンパスノートの中身を、肉声と未発表音源で描いたコクヨCampusのCM。
久保田 有一(くぼた ゆういち、1973年 - )は、日本の… 久保田 有一(くぼた ゆういち、1973年 - )は、日本の脳神経外科医。医学博士(東京女子医科大学)。 留学時の経験から、NCSE(非痙攣性てんかん重積状態)の診断・治療の普及に努めている[要出典]。 東京女子医科大学附属足立医療センター 副院長 脳神経外科教授・診療部長 1973年静岡県生まれ。山形大学医学部卒業後、東京女子医科大学脳神経センター脳神経外科に入局。国立精神・神経センター 武蔵病院(現・国立精神・神経医療センター)にて、てんかん学・てんかん外科について習得、その後アメリカ・クリーブランド病院てんかんセンターに留学し、翌年、卒業。その後フランス、マルセイユにあるティモン病院神経生理部門客員研究員として深部電極の研究を行った。
七尾 与史(ななお よし、1969年6月3日 - )は日本の… 七尾 与史(ななお よし、1969年6月3日 - )は日本の推理作家、歯科医師。静岡県浜松市出身、浜松市中区在住。血液型はA型。
佐倉 淳一(さくら じゅんいち、1964年 - )は、日本の… 佐倉 淳一(さくら じゅんいち、1964年 - )は、日本の小説家、精神科医。
石森 久嗣(いしもり ひさつぐ、1962年5月3日 - )は… 石森 久嗣(いしもり ひさつぐ、1962年5月3日 - )は、日本の政治家、医師。元衆議院議員(1期)。国会議員時代は民主党に所属した。 慶應義塾高等学校ではアメリカンフットボール部所属。1987年、慶應義塾大学法学部政治学科卒業。慶應義塾大学では蹴球部に所属し、3年生の時に、上田昭夫監督下で日本選手権優勝のメンバーである(背番号16)。 1994年、北里大学医学部卒業。2005年、栃木県済生会宇都宮病院脳神経外科医長。 2005年の第44回衆議院議員総選挙で落選した水島広子の後継として民主党公認の栃木1区の候補者となる。2009年の第45回衆議院議員総選挙では、「格差社会にドクターストップ」のスローガンを掲げて出馬、自由民主党の船田元を破り初当選した。
宇山 一朗(うやま いちろう、1960年 - )は、日本の外… 宇山 一朗(うやま いちろう、1960年 - )は、日本の外科医。藤田医科大学教授。専門は、上部消化器官の外科的治療に関する研究。腹腔鏡下手術による胃切除術で胃の全摘に世界で初めて成功した。
荒井 千暁(あらい ちあき、1959年 - )は、日本の医師… 荒井 千暁(あらい ちあき、1959年 - )は、日本の医師、文筆家。労働評論家。 千暁は著作に限定したペンネーム。 静岡県静岡市生まれ。新潟大学医学部卒業。東京大学大学院医学系研究科修了。医学博士。専門は内科呼吸器病学、心療内科/臨床心理学、労働衛生。
浅利 幸彦(あさり ゆきひこ、1956年9月30日 - )は… 浅利 幸彦(あさり ゆきひこ、1956年9月30日 - )は、日本の歯科医師、予言研究家。 静岡県沼津市出身。東京歯科大学卒業。ノストラダムスの予言について研究し、これらに関連する著作などもある。すべての著作においてノストラダムスの予言は全四行詩一事件解釈としている。
楠山 俊介(くすやま しゅんすけ、1954年(昭和29年)6… 楠山 俊介(くすやま しゅんすけ、1954年(昭和29年)6月4日 - )は、日本の政治家、歯科医師。 2012年から2016年まで、静岡県下田市長を1期務めた。また、2023年4月より下田市議会議員(1期目)を務める。 静岡県下田市出身。下田市立朝日小学校、下田市立下田中学校、静岡県立下田北高等学校、城西歯科大学(現・明海大学)歯学部卒業。1982年(昭和57年)3月、下田市吉佐美に歯科医院を開業する。並行して1993年(平成5年)、下田青年会議所理事長。1994年(平成6年)、下田を中心に南豆地域の活性化を目的とした任意団体「下田にぎわい社中(現:NPO法人下田にぎわい社中)」の設立に参画、2006年(平成18年)に同代表理事。
山本 和利(やまもと わり、1954年 - )は、日本の医師… 山本 和利(やまもと わり、1954年 - )は、日本の医師・医学者、松前町立松前病院事業管理者、札幌医科大学名誉教授。 静岡県西伊豆町出身。1972年沼津東高校卒業。1978年自治医科大学卒業、研修後、静岡県内の地域医療に7年間従事。1987年自治医科大学地域医療学教室助手。いくつかの総合病院内科医長を経て、91年自治医科大学総合医学第一講座講師。93年自治医科大学医学博士。1994年京都大学医学部総合診療部講師。カナダでEBMの教育法について学ぶ。1999年札幌医科大学地域医療総合医学講座教授。 2019年4月より町立松前病院の事業管理者。病院経営、研修医の指導のほか、同病院の常勤医として診療にも当たる。
寺﨑 浩子(てらさき ひろこ、1954年 - )は、日本の医… 寺﨑 浩子(てらさき ひろこ、1954年 - )は、日本の医師、医学者。名古屋大学未来社会創造機構特任教授。名古屋大学第11代眼科学教授。名古屋大学名誉教授。前日本眼科学会理事長。医学博士(名古屋大学)。1999年に、名古屋大学医学部初の女性教授となる。寺崎浩子と表記されることがある。 静岡市生まれ。1973年、静岡県立静岡高等学校卒業。1980年、金沢大学医学部卒業。1984年、名古屋大学大学院医学研究科修了。静岡済生会総合病院勤務。1997年、ハーバード大学網膜硝子体メディカルフェローシップ修了。ハーバード大学客員講師。1998年、名古屋大学医学部眼科学助教授。1999年、名古屋大学大学院医学系研究科 頭頸部・感覚器外科学講座 感覚器障害制御学教授。
姫野 友美(ひめの ともみ、1954年〈昭和29年〉 - )… 姫野 友美(ひめの ともみ、1954年〈昭和29年〉 - )は、日本の医師、著述家。医学博士。 静岡市生まれ。静岡県立静岡高等学校卒業。高校時代は女子バレー部主将。東京医科歯科大学医学部卒業。九州大学医学部付属病院心療内科、北九州市立小倉病院、麻生飯塚病院、愛風会さく病院、Mayo clinic Emergency Room(U.S.A) Visiting Clinician、東京都立広尾病院麻酔科、東邦大学大橋病院、木原病院、東京顕微鏡院附属診療所、テーオーシービル診療所、女性のための生涯医療センターViVi勤務を経て、2005年、ひめのともみクリニック開設。2006年〜2021年 日本薬科大学漢方薬学科教授。
土田 博和(つちだ ひろかず、1949年10月31日 - )… 土田 博和(つちだ ひろかず、1949年10月31日 - )は、日本の医師、政治家、映画監督。フジ虎ノ門グループ代表、医療法人社団青虎会理事長、社会福祉法人博友会理事長。参議院議員を1期務めた。
岩﨑 甫(いわさき まさる、1947年5月3日 - )は、… 岩﨑 甫(いわさき まさる、1947年5月3日 - )は、日本の医師・医学者。専門は先進的医療技術開発、医薬品開発、消化器外科。山梨大学副学長。山梨大学融合研究臨床応用推進センター センター長・特任教授。 東京大学医学部卒後10年、同大附属病院第2外科で研鑽を積んだのち、山梨医科大学附属病院で10年間消化器外科医として腕を振るった。当時世界的な隆盛を見せていた拡大根治手術に情熱を傾けたが大きな成績向上を果たせず、限界を感じていたところに、外資系医薬品開発会社から声がかかり、民間へ転出。18年間開発者として過ごしたのち、再び山梨大学に戻り、副学長(融合研究臨床応用推進センター、先端応用医学講座特任教授を兼務)として先進的医療技術開発、医薬品開発を牽引する。
大久保 満男(おおくぼ みつお、1942年2月24日 - )… 大久保 満男(おおくぼ みつお、1942年2月24日 - )は、日本の歯科医師。元日本歯科医師会会長。NPO法人ハート・リング運動 特別顧問。 1960年、静岡県立静岡高等学校卒業。1966年、日本大学歯学部卒業。1967年、歯科大久保医院を開設。1980年、静岡県立静岡北養護学校医。1985年~1988年、静岡市歯科医師会会長、1991年~1994年日本歯科医師会公衆衛生委員会委員、2000年~2006年、静岡県歯科医師会会長。2000年~2003年、日本歯科医師会理事を経て、2006年~2015年、同会長。日本歯科医師連盟会長、財団法人8020推進財団 理事長など要職を歴任。2009年、経済危機克服のための「有識者会合」メンバー。
永田 俊彦(ながた としひこ、1937年12月5日 - 20… 永田 俊彦(ながた としひこ、1937年12月5日 - 2010年9月6日)は、日本の医学者・精神科医。専門は精神病理学。元順天堂大学医学部教授。学位は、医学博士。 1965年、東京医科歯科大学医学部神経精神医学教室に入局し、島崎敏樹教授、宮本忠雄助教授のもとで学んだ。村上靖彦、市橋秀夫、中安信夫らと共に日本の精神病理学第3世代を代表する人物である。主として統合失調症の研究を行った。 1937年12月5日、静岡市生まれ。1957年、静岡県立静岡高等学校卒業。1964年、東京医科歯科大学医学部卒業。1965年4月、東京医科歯科大学医学部神経精神医学教室入局、1965年10月、関東労災病院神経科勤務、1967年1月、私立多摩湖病院勤務、1972年7月、成増厚生病院勤務、1975年1月、同愛記念病院神経科勤務。
加藤 健三(かとう けんぞう、1924年(大正13年)11月… 加藤 健三(かとう けんぞう、1924年(大正13年)11月28日 - )は、日本の医師。内科医。専門は循環器内科。旧姓、山田。元宮内庁皇太后宮侍医長。医学博士(東京大学)。 侍医、また侍医長として昭和天皇や香淳皇后の治療に当たった。 静岡県島田市出身。静岡県立静岡中学校に学ぶ。1948年(昭和23年)、東京大学医学部卒業。1949年(昭和24年)、東京大学医学部左々、美甘内科教室勤務。1952年(昭和27年)、東京大学助手。1955年(昭和30年)、関東逓信病院内科勤務。1957年(昭和32年)、医学博士(東京大学)。1964年(昭和39年)、佐々木研究所附属杏雲堂病院内科勤務。1976年(昭和51年)、銀座菊池病院内科勤務。
磯貝 元(いそがい はじめ、1919年(大正8年) - 20… 磯貝 元(いそがい はじめ、1919年(大正8年) - 2015年(平成27年))は、日本の医師。内科医。駒込病院副院長。医学博士。 静岡県立静岡中学校を経て、静岡高等学校 (旧制)卒業。1942年(昭和17年)、東京帝国大学医学部卒業。直ちに海軍短期現役軍医として従軍。朝鮮・元山駐在。1943年(昭和18年)1月、海軍軍医学校入学、4月卒業。海南島特別陸戦隊附、9月、第三航空艦隊附(八丈島)。1945年(昭和20年)8月、復員。上京して都立駒込病院(内山圭梧院長)に入局。伝染病患者の診療に従事。1962年(昭和37年)、アメリカ、ボルチモアのメリーランド大学ボルチモア校(英語版)に半年間海外研修。
朝比奈 一男(あさひな かずお、1908年(明治41年)12… 朝比奈 一男(あさひな かずお、1908年(明治41年)12月2日 - 1986年(昭和61年)10月23日)は日本の内科医、生理学者。元東邦大学医学部長、生理学第一講座初代教授。東邦大学名誉教授。日本で初めて脳波を記録した。旧名倭男。東京府東京市小石川区白山御殿町(現・東京都文京区白山)出身。 1934年(昭和9年)、名古屋医科大学卒業。第一内科入局(勝沼精蔵)。勝沼とともに訪独。1937年(昭和12年)10月、医学博士を授与される。1938年(昭和13年)6月、哈爾浜医科大学助教授(内科)。1941年(昭和16年)7月、名古屋帝国大学助教授(航空医学研究所・第一航空医学 勝沼精蔵)。1945年(昭和20年)12月(環境医学研究所・第4部門職業性疾患学方面 勝沼精蔵)。
藤枝 静男(ふじえだ しずお、1907年12月20日 - 1… 藤枝 静男(ふじえだ しずお、1907年12月20日 - 1993年4月16日)は、日本の作家、眼科医。本名勝見次郎。静岡県志太郡藤枝町(現・藤枝市)出身。 藤枝町市部(現在の藤枝市本町)の勝見薬局の次男として生まれ、成蹊学園から名古屋の旧制第八高等学校を経て1936年に千葉医科大学(現・千葉大学医学部)を卒業。眼科教授の伊東弥恵治(1891-1958)に師事した。勤務医生活ののち独立、1950年から浜松市で眼科医院を営む傍ら、小説を書き続けた。1968年『空気頭』で芸術選奨文部大臣賞、1974年『愛国者たち』で平林たい子文学賞、1976年『田紳有楽』で谷崎潤一郎賞、1979年には『悲しいだけ』で野間文芸賞を受賞。
川野辺 静(川野邉 静、かわのべ しづ、1907年(明治40… 川野辺 静(川野邉 静、かわのべ しづ、1907年(明治40年)9月24日 - 2003年(平成15年)4月25日)は、日本の政治家、小児科医。位階は正五位。参議院議員(1期、自由民主党)。 静岡県静岡市出身。7人兄弟の長女。不二高等女学校を経て、1930年に東京女子医学専門学校を卒業。同附属病院の小児科医局長となる。帰郷後、1935年に焼津市で小児科医院を開業、2年後には静岡市に移転。静岡大火や空襲でたびたび被災するが、恩師の吉岡彌生からの医療器具の寄付や、趣味の日本舞踊を通じて懇意にしていた尾上菊五郎(6代目)の見舞金に助けられたという。 1951年、静岡市議会議員に当選。児童福祉事業中心に活動、静岡県婦人団体連絡会の会長となる。
勝沼 六郎(かつぬま ろくろう、 1898年(明治31年)6… 勝沼 六郎(かつぬま ろくろう、 1898年(明治31年)6月26日 - 1989年(平成元年)9月3日)は、日本の医師。内科医。国立療養所中部病院長。医学博士。静岡県出身。 静岡県立静岡中学校を経て、1927年(昭和2年)、長崎医科大学卒業、助手。台湾総督府技師、愛知・西尾病院長。1933年(昭和8年)、名古屋帝国大学講師、1934年(昭和9年)、欧米出張。1938年(昭和13年)、勝沼病院長。1947年(昭和22年)4月、国立療養所大府荘長。1966年(昭和41年)4月、国立療養所中部病院長(初代)。1969年(昭和44年)、定年退官。
吉岡 彌生(よしおか やよい、新字体 : 吉岡 弥生、187… 吉岡 彌生(よしおか やよい、新字体 : 吉岡 弥生、1871年4月29日〈明治4年3月10日〉 - 1959年〈昭和34年〉5月22日)は、日本の教育者、医師。位階は正五位。勲等は勲二等。東京女医学校(現・東京女子医科大学)創立者。東京女医学校校長、東京女子医科大学学頭、至誠会会長などを歴任した。旧姓は鷲山(わしやま)。 東京女子医科大学の前身である東京女医学校、東京女子医学専門学校を創設し、女性医師の養成や医学の教育・研究の振興に尽力した。津田梅子(津田塾大学創立者)、安井てつ(東京女子大学創立者)、鳩山春子(共立女子学園創立者)、跡見花蹊(跡見学園創立者)、下田歌子(実践女子学園創立者)、横井玉子(女子美術大学創立者)などと並ぶ、日本の女子教育の基盤づくりに活躍した女性教育者である。
足立 寛(あだち かん、1842年6月14日(天保13年5月… 足立 寛(あだち かん、1842年6月14日(天保13年5月6日) - 1917年(大正6年)7月7日)は、幕末から明治にかけての医師、医学者、日本陸軍軍医、陸軍軍医学校校長。最終階級は陸軍軍医総監。字は士得。号は菊径、欲堂。妻は坪井信道の娘。 遠江国山名郡国本村(現・静岡県袋井市)生まれ。木村軍太郎に師事した後、緒方洪庵の適塾、福沢諭吉の書生として慶應義塾で学び、のちに塾長も務める。幕府の西洋医学校塾頭となる。1887年(明治20年)陸軍軍医学舎長となり、一等軍医正まで昇格する。陸軍省に出仕し、軍医総監、陸軍軍医学校長、慶應義塾医学所の設立に携わる。文部省医術開業試験委員長、文部省薬剤師開業試験委員長をつとめ、多忙を極める中、衛生学教程本を多数記す。
遠藤 繁清(えんどう しげきよ、1884年(明治17年) -… 遠藤 繁清(えんどう しげきよ、1884年(明治17年) - 1965年(昭和40年)は、日本の医師。病理医、内科医。医家に生まれる。旧姓、槇(遠藤家に婿入り)。結核病学を専門とし、自身の結核療養の経験をもとに医学書を執筆し、診療にあたった。サナトリウム療法の第一人者と称される。秩父宮雍仁親王の主治医の一人。医学博士。 静岡県立静岡中学校に学ぶ。1908年(明治41年)、東京帝国大学医科大学卒業。病理学教室を経て、1911年(明治44年)、青山内科へ移り、同年夏に自らの痰の検鏡を行い結核菌を見た。肋膜炎を発症、1ヶ月の入院を含む療養を経て、翌、1912年(明治45年)春より復職。1914年(大正3年)、伝染病研究所へ異動後、病状悪化、辞職。
小澤 勝男(おざわ かつお、 - )は、日本の医学者、医師。… 小澤 勝男(おざわ かつお、 - )は、日本の医学者、医師。専門は心臓血管外科学。静岡済生会総合病院第4代院長。医学博士(名古屋大学)。 1961年、静岡県立静岡高等学校卒業。1967年、名古屋大学医学部卒業。名古屋大学医学部第1外科、米国オハイオ州クリーブランド・クリニック人工臓器部門を経て、1981年、名古屋保険衛生大学医学部外科学助教授。1993年、静岡済生会総合病院第1医療部部長兼心臓血管外科医長。1998年、同院副院長。2001年、静岡済生会総合病院院長兼心臓血管外科科長(〜2009年)。2004年、静岡済生会看護専門学校第5代校長。東海医療工学専門学校校長などを勤めた。東海医療工学専門学校非常勤講師。
三浦 克敏(みうら かつとし、 - )は、日本の医師、医学者… 三浦 克敏(みうら かつとし、 - )は、日本の医師、医学者。浜松医科大学名誉教授。専門は病理学。医学博士(浜松医科大学)。浜松医科大学1期性・初代同窓会長。静岡市出身。 1974年、静岡県立静岡高等学校卒業。1980年、浜松医科大学医学部卒業。1984年、浜松医科大学医学研究科修了。2006年、浜松医科大学附属病院病理部長から浜松医科大学看護学科基礎看護学講座教授に就任。解剖学、病理学、医療概論の授業を担当した。2021年、浜松医科大学退職。名誉教授。 1980年〜1981年、浜松医科大学同窓会初代会長を務めた。浜松医科大学非常勤講師。本多電子技術顧問。 心臓の弁に沈着するアミロイドの分析。「超音波顕微鏡」を用いた組織の観察を行い Laboratory Investigation、Scientific Reportsなどに論文を発表。
戸塚 静海(とつか せいかい、寛政11年(1799年) - … 戸塚 静海(とつか せいかい、寛政11年(1799年) - 明治9年(1876年)1月29日)は、幕末の蘭方医。幕府奥医師。名は維泰。 寛政11年(1799年)、遠江国掛川宿の医師・戸塚隆珀の三男として生まれる。長崎の鳴滝塾で、シーボルトよりオランダ医学を学ぶ。シーボルト事件に連座。安政5年(1858年)、大槻俊斎・伊東玄朴らと図り、お玉が池種痘所設立。同年7月3日、将軍・徳川家定の急病に際し薩摩藩医より幕府医師に登用。同年11月23日、法眼に叙せられる。 文久2年(1862年)12月16日、竹内玄同とともに法印に昇叙、静春院と号す。将軍・徳川家茂の没後、和宮が静寛院宮と称したため、「静」の字を避けて杏春院と改名。