廣田 誠(ひろた まこと、1962年(昭和37年) - )は… 廣田 誠(ひろた まこと、1962年(昭和37年) - )は、日本の経済学者。専門は近代日本経済史・経営史・商業史。大阪大学大学院経済学研究科教授。博士(経済学)。 1962年(昭和37年)、静岡市生まれ。1980年(昭和55年)、静岡県立静岡高等学校卒業。和歌山大学経済学部卒業。大阪大学大学院経済学研究科博士後期課程単位取得退学。博士(経済学)。大阪大学経済学部助手、下関市立大学経済学部講師、神戸学院大学経済学部講師、同助教授、同教授を経て、大阪大学大学院経済学研究科教授。
神谷 和也(かみや かずや、1957年7月20日 - )は、… 神谷 和也(かみや かずや、1957年7月20日 - )は、日本の経済学者。東京大学名誉教授、神戸大学経済経営研究所元教授。専門はミクロ経済学と数理計画法。特に非凸技術下における一般均衡の存在証明は国際的にも高く評価されており2000年度には中原賞を受賞した。Ph.D(イェール大学、1986年)。 1957年静岡県生まれ。浜松北高等学校卒業後は京都大学経済学部に進学した。当時の京都大学経済学部にはミクロ経済学やマクロ経済学の基礎的な授業がなかったため、神谷は不動点計算法や微分位相幾何学といった高等数学を独学し、工学部への転学を希望したが、事務員の手違いにより転学ができず、経済学の道へと進むこととなった。
田畑 伸一郎(たばた しんいちろう、1957年(昭和32年)… 田畑 伸一郎(たばた しんいちろう、1957年(昭和32年) - )は、日本の経済学者、ロシア研究者。北海道大学名誉教授。北海道大学スラブ研究センター長、ロシア・東欧学会代表理事、比較経済体制学会事務局長等を歴任。 清水市立第五中学校、静岡県立清水東高等学校を経て、1981年(昭和56年)、東京大学教養学部教養学科卒業、1983年(昭和58年)、一橋大学大学院社会学研究科修士課程修了、1986年(昭和61年)同博士後期課程単位取得退学。指導教官は宮鍋幟。 1986年(昭和61年)、北海道大学スラブ研究センター助教授、1997年(平成9年)から同教授。2004年(平成16年)から2006年(平成18年)まで同センター長、2008年(平成20年)から2013年(平成25年)まで新学術領域研究「ユーラシア地域大国の比較研究」領域代表、2012年(平成24年)から北海道大学ヘルシンキオフィス所長。
伊藤 元重(いとう もとしげ、1951年12月19日 - )… 伊藤 元重(いとう もとしげ、1951年12月19日 - )は、日本の経済学者。東京大学名誉教授、元学習院大学教授。復興庁復興推進委員会委員長。専門は国際経済学、ミクロ経済学。Ph.D.(ロチェスター大学、1979年)。静岡県静岡市出身。 住友化学社外取締役、JX金属社外取締役、はごろもフーズ社外取締役、しずおかフィナンシャルグループ社外取締役、監査等委員会委員長。 経済学、ビジネスに関する多数の解説書がある。また、テレビ東京「ワールドビジネスサテライト」などへのコメンテーターとしての出演、日本経済新聞や様々なビジネス誌・経済誌への寄稿も行っている。小渕内閣「経済戦略会議」、森内閣「IT戦略会議」で委員を務める。
植田 和男(うえだ かずお、1951年9月20日 - )は、… 植田 和男(うえだ かずお、1951年9月20日 - )は、日本の経済学者。専門はマクロ経済学、金融論。東京大学大学院経済学研究科教授。日本銀行政策委員会審議委員、東京大学大学院経済学研究科長などを歴任。静岡県出身。
大城 純男(おおしろ すみお、1951年4月 - )は、日本… 大城 純男(おおしろ すみお、1951年4月 - )は、日本の経済学者、札幌大学法学部教授、博士(経済学)(中京大学・論文博士・2007年)。 (地下鉄・市バス、留学生支援、観光・コンベンション・メッセ振興、研究学園都市、統計解析、市マスタープラン策定、生涯学習、図書館、まちづくり、NPOとの協働、外資系企業誘致などを名古屋市役所で担当)
江川 雅司(えがわ まさし、1951年 - )は、日本の経済… 江川 雅司(えがわ まさし、1951年 - )は、日本の経済学者。明治学院大学経済学部教授を経て、新潟産業大学経済学部教授。専門は、財政学・地方財政論。元日本地方財政学会理事長。 静岡県浜松市出身。 1975年3月 高崎経済大学経済学部卒業。1977年3月 明治大学大学院政治経済学研究科修士課程修了。1980年3月 明治大学大学院政治経済学研究科経済学専攻。1984年 駒澤大学大学院経済学研究科博士課程満期退学。1986年4月 明星大学人文学部経済学科専任講師、1991年4月 明星大学 人文学部経済学科助教授、1996年4月 明星大学人文学部経済学科教授。1997年4月 駿河台大学経済学部教授。
鬼頭 宏(きとう ひろし、1947年3月2日 - )は、日本… 鬼頭 宏(きとう ひろし、1947年3月2日 - )は、日本の経済学者(日本経済史・歴史人口学)。学位は経済学修士(慶應義塾大学・1971年)。 慶應義塾高等学校教諭、上智大学経済学部教授、上智大学大学院経済学研究科経済学専攻主任、上智大学経済学部経済学科学科長、上智大学地球環境研究所所長、上智大学研究機構常設研究部門部門長、静岡県立大学学長(第6代)、静岡県立大学短期大学部学長(第6代)などを歴任した。 1947年3月、静岡県駿東郡長泉町生まれ。慶應義塾大学経済学部にて学んだ。斎藤修、友部謙一らとともに速水融の弟子である。1969年3月、慶應義塾大学卒業、そのまま、慶應義塾大学大学院経済学研究科に進学、1971年3月、同修士課程を修了、経済学修士の学位を取得。
刈屋 武昭(かりや たけあき、1944年 - )は、日本の経… 刈屋 武昭(かりや たけあき、1944年 - )は、日本の経済学者・統計学者・計量経済学者・金融工学者・リスクマネジメント学者。学位は、Ph.D.(ミネソタ大学統計学・1975年)・理学博士(九州大学・1982年)。一橋大学名誉教授、米国Institute of Mathematical Statisticsフェロー。一橋大学経済研究所教授、京都大学金融工学研究センター長、明治大学大学院グローバル・ビジネス研究科長、城西国際大学国際ビジネス・アドミニストレーション研究科教授、名古屋商科大学・企業マネジメント研究科教授を歴任。 1944年(昭和19年)生まれ、静岡県浜松市出身。浜松市立県居小学校で国学者賀茂真淵の生き方に感銘を受ける。
山崎 充(やまざき みつる、1934年〈昭和9年〉1月 - … 山崎 充(やまざき みつる、1934年〈昭和9年〉1月 - 1993年〈平成5年〉9月)は、日本の経済学者(地域経済学)。 株式会社静岡銀行での勤務を経て、財団法人静岡経済研究所研究部部長、株式会社地域経済研究所代表、専修大学北海道短期大学経済科教授、東海大学沼津教養部教授、静岡県立大学経営情報学部教授などを歴任した。 静岡県出身の経済学者である。地場産業に関する研究で知られており、地場産業論の第一人者とされた。テレビやラジオなどマスメディアで広く活動したことでも知られている。静岡銀行に勤務し、静岡経済研究所で活動した。専修大学北海道短期大学、東海大学、静岡県立大学などで教鞭を執り、後進の育成に努めた。
丸尾 直美(まるお なおみ、男性、1932年4月21日 - … 丸尾 直美(まるお なおみ、男性、1932年4月21日 - 2020年11月21日)は、日本の経済学者。尚美学園大学名誉教授。専攻は福祉国家論、経済政策。特に、スウェーデンの福祉や経済政策について研究した。 静岡県小笠郡浜岡町出身。1955年慶應義塾大学経済学部卒業。1962年同大学院経済学研究科博士課程満期退学。1974年慶大経済学博士(論文タイトルは『福祉経済政策の原理:経済成長と福祉の関係についての研究試論』)。 1963年中央大学経済学部専任講師、1972年教授。1989年慶應義塾大学総合政策学部教授。1998年日本大学総合科学研究所教授。2002年尚美学園大学教授、2006年名誉教授。
竹内 宏(たけうち ひろし。1930年9月13日 - 201… 竹内 宏(たけうち ひろし。1930年9月13日 - 2016年4月30日)は、日本の経済学者(日本経済・中東アジア経済)、評論家、キャスター。静岡県立大学グローバル地域センターセンター長(初代)・特任教授、株式会社価値総合研究所特別顧問、株式会社静岡新聞社客員論説委員、竹内経済工房主宰、上海師範大学名誉教授。 財団法人静岡総合研究機構理事長(初代)、株式会社日本長期信用銀行専務取締役調査部部長、株式会社長銀総合研究所理事長(初代)、静岡文化芸術大学文化政策学部特任教授、静岡県公立大学法人理事長(第2代)などを歴任した。 1930年、静岡県清水市(のちの静岡県静岡市)にて生まれた。旧制静岡県立清水中学校(静岡県立清水東高等学校の前身)を経て、旧制静岡高等学校(静岡大学の前身)を卒業した。
土屋 圭造(つちや けいぞう、1924年7月12日 - 20… 土屋 圭造(つちや けいぞう、1924年7月12日 - 2013年11月9日)は、日本の農業経済学者。 静岡県駿東郡長泉町出身。1950年、東京大学農学部を卒業した。1962年、論文「農業経済の計量的分析」で農学博士号を取得。東大助手、九州大学農学部助教授を経て、1973年に教授に就任した。1988年に定年退官し、名誉教授となる。同年より流通経済大学教授に就任。日本農業経済学会会長を務めた。
飯塚 一郎(いいづか いちろう、1923年〈大正12年〉- … 飯塚 一郎(いいづか いちろう、1923年〈大正12年〉- 1986年〈昭和61年〉5月29日)は、日本の経済学者(専攻は経済史・経済思想史・経済学史)。学位は、経済学博士。位階は従四位。 静岡県静岡市生まれ。静岡県立静岡中学校を経て、1946年、同志社大学経済学部卒。山梨大学教授を務めた。1971年、「貨幣学説前史の研究」で関西学院大学経済学博士の学位を取得。1986年死去。死没日付をもって従四位に叙された。 もともとイギリス重商主義についての研究を進めていたが、その後、これに先行するスペインの植民地政策や経済思想にも関心を拡げていくことになった。特に伊藤不二男と並んで、日本におけるサラマンカ学派研究に先鞭をつけたことで知られる。
杉山 忠平(すぎやま ちゅうへい、1921年3月7日 - 1… 杉山 忠平(すぎやま ちゅうへい、1921年3月7日 - 1999年3月21日)は、日本の経済学者。英国経済学史専攻。一橋大学社会科学古典資料センター第2代主任教授、経済学史学会代表幹事、経済資料協議会会長等を歴任。東京経済大学名誉教授、静岡大学名誉教授。日本学士院賞受賞。 静岡県沼津市出身。旧制沼津中学(現静岡県立沼津東高等学校)を経て、東京商科大学(現一橋大学)在学中、学徒出陣で第3師団野戦重砲兵第3連隊入隊。結核で除隊後、1945年に大学を卒業し、沼津の芝浦工作機械(現芝浦機械)入社。吹田順助ゼミ出身。 1947年退社、日本大学専任講師。専門部教授、教養部助教授、静岡大学助教授を経て、一橋大学大学院に内地留学し大塚金之助に師事。
渡辺 武(わたなべ たけし、1915年(大正4年)3月24日… 渡辺 武(わたなべ たけし、1915年(大正4年)3月24日 - 2005年(平成17年)10月4日)は、日本の政治家、経済学者。日本共産党参議院議員。 静岡県沼津市出身。1941年(昭和16年)九州帝国大学法文学部経済学科を卒業する。福岡経済専門学校(後の福岡大学)教授を務めた後、1946年(昭和21年)日本共産党に入党。党中央委員、中央委員会経済調査部長、経済政策委員会責任者などを歴任。 1968年(昭和43年)第8回参議院議員通常選挙で全国区から立候補し当選する。当選回数2回。党参議院国会対策委員長などを務めた。 2005年(平成17年)10月4日多臓器不全のため死去。90歳。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。
堀江 忠男(ほりえ ただお、1913年9月13日 - 200… 堀江 忠男(ほりえ ただお、1913年9月13日 - 2003年3月29日)は、日本のサッカー選手、サッカー指導者、経済学者。早稲田大学名誉教授。 現役時代のポジションはポジションはフルバック(現在のディフェンダー)。静岡県浜名郡舞阪町(現:浜松市)出身。 静岡県立浜松第一中学校(現:静岡県立浜松北高等学校)時代にサッカーを始め、早稲田高等学院を経て早稲田大学政治経済学部に進学。在学中はア式蹴球部に所属した。 在学中の1934年5月に開催された第10回極東選手権競技大会のサッカー日本代表に選出されて、5月15日のフィリピン代表戦で初出場した。また、1936年にはベルリンオリンピックの日本代表に選出された。
神谷慶治(かみや けいじ、1905年4月2日 - 1998年… 神谷慶治(かみや けいじ、1905年4月2日 - 1998年10月26日)は、日本の農業経済学者。東京大学名誉教授。 静岡県掛川市生まれ。1931年東京帝国大学農学部農業経済学科卒、1932年同副手となり、1935年講師、1939年助教授、1948年教授となり、東京大学農学部教授、1962年農学部長を務め、1966年定年退官、名誉教授、東京農業大学教授、1976年退職。そのほか、1951年農林省農業綜合研究所長。1974-1979年大日本報徳社社長。日本農業経済学会会長、日本農村更生協会会長を務めた。日本学術会議会員。1960年「日本農業機械化の分析」(共編)で日経・経済図書文化賞、1968年日本農学賞受賞。
松崎 寿(まつざき ひさし、明治19年(1886年)2月18… 松崎 寿(まつざき ひさし、明治19年(1886年)2月18日 - 昭和10年(1935年)9月11日)は、日本の経済学者。大阪商科大学(現・大阪公立大学)教授在任中、死去した。 静岡県駿東郡楊原村村上香貫生まれ。静岡県立韮山中学校(現・静岡県立韮山高等学校)を経て、1904年東京高等商業学校(現・一橋大学)予科入学。1910年同校専攻科卒業。關一に師事。 同年大阪高等商業学校(現・大阪公立大学)講師。1917年同校教授。1920年叙正七位。1922年叙従六位。1928年叙従五位。1929年大阪商科大学(現・大阪公立大学)教授兼同大学高等商業部教授兼務。1930年同大学評議員併任。 1932年叙正五位、商学博士。
山崎 覚次郎(やまざき かくじろう、慶応4年6月15日〈18… 山崎 覚次郎(やまざき かくじろう、慶応4年6月15日〈1868年8月3日〉 - 昭和20年〈1945年〉6月28日)は、日本の経済学者。法学博士。東京帝国大学経済学部長。専門は貨幣論、金融論。 静岡県掛川に父・徳次郎の長男として生まれる。冀北学舎を経て、明治22年(1889年)東京帝国大学政治科卒業、大学院で研究する。 東京帝大法科助教授、経済学部教授等を歴任し、のち経済学部長。社会政策学会で指導的役割をはたし、退官後は中央大学教授、日銀顧問、金融学会初代理事会長をつとめた。1913年(大正2年)5月29日、帝国学士院会員となる。 東大時代の教え子である賀屋興宣(大蔵次官、大蔵大臣)は山崎の貨幣論に感銘を受け、山崎の理論に依拠して日本銀行法を作ったと述べている。