安井 治雄(やすい はるお、1932年2月11日 - 200… 安井 治雄(やすい はるお、1932年2月11日 - 2003年10月30日)は、日本の経営者。ユニー社長を務めた。 愛知県知多郡東浦町出身。1954年に岐阜薬科大学製造薬学科を卒業し、同年に中外貿易に入社。1957年にエーザイを経て、1960年に西川屋(のちのユニー)に転じ、1963年に取締役に就任し、1979年5月に専務、1984年1月に副社長を経て、1990年2月に社長に就任。1991年5月から1993年5月までにに会長を務めた。 2003年10月30日動脈瘤破裂のために死去。71歳没。
広瀬 豊(ひろせ ゆたか、1932年(昭和7年)1月18日 … 広瀬 豊(ひろせ ゆたか、1932年(昭和7年)1月18日 - 2006年(平成18年)7月20日)は日本の実業家、編集者。陸上競技社設立者・元社長、元関東学生陸上競技連盟会長。苗字の広は正確には广に黄。 愛知県稲沢市に生まれる。愛知県立一宮高等学校を1950年(昭和25年)に卒業、1954年(昭和29年)に法政大学経済学部を卒業し、ベースボールマガジン社に入社。季刊だった『陸上競技マガジン』の編集長に就任し、月刊化する功績を果たしたものの退社。その頃教科書出版に進出する講談社から、保健体育の編集者として声を掛けられ入社し、同時に1967年(昭和42年)に陸上競技専門誌『月刊陸上競技』を創刊、編集長を務める。
水平 豊彦(みずひら とよひこ、1932年1月3日 - 19… 水平 豊彦(みずひら とよひこ、1932年1月3日 - 1986年6月18日)は、日本の政治家。衆議院議員(4期)、内閣官房副長官、愛知県議会議員(5期)などを歴任。 愛知県愛知郡天白村(現在の名古屋市天白区)生まれ。愛知県立明和高等学校卒業。1958年(昭和33年)、名古屋工業大学建築科卒業。日本住宅公団勤務から早稲田柳右衛門の秘書となる。 1959年(昭和34年)、愛知県議会議員(名古屋市昭和区選出)に初当選。1974年(昭和49年)5月、最年少(42歳)にて県議会議長となる。 1976年(昭和51年)12月の第34回衆議院議員総選挙に、定数が3から4に増えた旧愛知6区から無所属で立候補。得票数4位で初当選した。
塩野谷 祐一(しおのや ゆういち、1932年1月2日 - 2… 塩野谷 祐一(しおのや ゆういち、1932年1月2日 - 2015年8月25日)は、日本の経済学者、一橋大学名誉教授、名古屋大学特別教授。1991年日本学士院賞、2002年文化功労者。経済哲学やヨーゼフ・シュンペーターの研究の第一人者。第12代一橋大学学長、国立大学協会副会長、国立社会保障・人口問題研究所長等を歴任。愛知県豊橋市生まれ。 父は経済学者の塩野谷九十九(元名古屋大教授)、妻は山内得立(哲学者、文化功労者、京都大学名誉教授)長女。一橋大学大学院で山田雄三の指導を受けた。スタンフォード大学教授等を務めた経営学者の今井賢一は山田ゼミの同期。著書に『シュンペーターの経済観』『価値理念の構造』など。
木村 吉男(きむら よしお、1932年 - 2014年)は、… 木村 吉男(きむら よしお、1932年 - 2014年)は、日本の経済学者。名古屋市立大学名誉教授。元日本地域学会会長。 愛知県立瑞陵高等学校を経て、1956年名古屋大学経済学部経済学科卒業。塩野谷九十九ゼミ出身。1961年名古屋大学大学院経済学研究科博士課程修了。指導教官は水野正一。同年名古屋大学経済学部助手。1962年神戸商科大学専任講師。1965年名古屋大学経済学博士。1964年新設の名古屋市立大学経済学部助教授に着任。1971年名古屋市立大学経済学部教授。1975年理論・計量経済学会常任理事。1990年中京大学経済学部教授。1992年日本地域学会論文賞受賞。1993年簡易保険財団助成研究優秀賞受賞。
今泉 潤太郎(いまいずみ じゅんたろう、1932年 - )は… 今泉 潤太郎(いまいずみ じゅんたろう、1932年 - )は、日本の中国語学者。愛知県豊橋市出身。愛知大学名誉教授。現在、『中日大辞典』編集主幹を務めている。 1951年、愛知県立豊橋時習館高等学校卒業。1955年、愛知大学文学部文学科卒業、愛知大学華日辞典編纂所に勤務する。1959年、同大学教養部にて中国語を担当する。1997年、同大学現代中国学部教授。大学院中国研究科教授(中国語学)。2000年、同大学現代中国学部長。2003年、同大学名誉教授。 2012年、瑞宝中綬章受章。 1933年5月、東亜同文書院において、鈴木擇郎を責任者として『華日辞典』の編纂が始まり、「華日辞典カード」14万枚が作成された。
柴田 弘(しばた ひろし、1932年もしくは1933年 - … 柴田 弘(しばた ひろし、1932年もしくは1933年 - 2011年10月7日)は、日本の政治家。元公明党衆議院議員(4期)。
青山 誠子(あおやま せいこ、1931年12月20日-202… 青山 誠子(あおやま せいこ、1931年12月20日-2022年8月30日)は、日本の英文学者。シェイクスピア、シャーロット・ブロンテなどが専門。青山学院大学名誉教授。 名古屋市生まれ。旧姓・白井。西洋史学者・青山吉信と結婚。1954年名古屋大学文学部英文科卒業。1956年東京大学大学院修士課程修了。1962年共立女子短期大学講師、助教授、1972年教授、1979年フェリス女学院大学教授、1983-85年図書館長、1987年青山学院大学教授、2000年定年退職、名誉教授。 訃報と追悼文2点がShakespeare Newsletter vol.62, No.2, 日本シェイクスピア協会、2023年3月発行に掲載。
杉浦 直樹(すぎうら なおき、1931年〈昭和6年〉12月8… 杉浦 直樹(すぎうら なおき、1931年〈昭和6年〉12月8日 - 2011年〈平成23年〉9月21日)は、日本の俳優。フリーランス。血液型はB型 愛知県岡崎市に、杉浦仙次郎の次男として生まれる。兄に康雄、弟に俊也、2人の妹がいる。祖父は実業家の3代目杉浦銀蔵。従兄は数学者で東京大学名誉教授の杉浦光夫で、父の兄である英一の次男。戦争末期、愛知県岡崎中学校(現・愛知県立岡崎高等学校)に入学。1945年、学徒動員により日清紡績美合工場に送られ、終戦まで飛行機を作る毎日を送る。 1946年春、当時岡崎中学校で教鞭を執っていた画家の山本鍬太郎が演劇部を設立すると、すぐに入部。1948年4月の学制改革により愛知県立岡崎北高等学校に移る。
丸地 守(まるち まもる、1931年10月24日 - 202… 丸地 守(まるち まもる、1931年10月24日 - 2025年10月17日)は、日本の詩人。 愛知県豊橋市生まれ。中央大学法学部卒。2001年現代詩人会理事長を務めた。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
小沢和秋(おざわ かずあき、1931年〈昭和6年〉9月15日… 小沢和秋(おざわ かずあき、1931年〈昭和6年〉9月15日 - 2021年〈令和3年〉7月14日)は、日本の政治家。日本共産党所属。衆議院議員を4期務めた。 愛知県稲沢市出身。東京都立立川高校、東京大学法学部を卒業後、八幡製鐵(現・日本製鉄)に入社。1963年から福岡県議会議員を3期務めた後、1980年の衆院選で旧福岡2区から出馬し初当選。以後通算4期衆議院議員を務め2003年に引退を表明した。 2021年7月14日、福岡県北九州市内の高齢者施設で死去。89歳没。 1979年、第35回衆議院議員総選挙 福岡2区 落選。 1980年、第36回衆議院議員総選挙 福岡2区 当選。1983年、第37回衆議院議員総選挙 福岡2区 当選。
徳永 喜久夫(とくなが きくお、1931年9月1日 - )は… 徳永 喜久夫(とくなが きくお、1931年9月1日 - )は、愛知県出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。投法はサイドスロー。スライダー、カーブ、シュート、シンカーを武器とした。 愛知県立瑞陵高等学校では、エースとして高校同期の一柳忠尚とバッテリーを組み、甲子園に3回出場した。 2年生時の1949年には、愛知大会準決勝で金田正一を擁する享栄商業高校を4-0と完封で抑えて勝ち上がり、夏の甲子園大会に出場した。しかし、1回戦で兵庫県立芦屋高に大敗した。 翌1950年春の選抜も1回戦で大阪府立北野高に惜敗。夏の愛知大会では優勝を果たし、これが愛知県の公立校としては唯一の連覇となっている。しかし、夏の甲子園大会は1回戦で福岡県立小倉高に敗退し、甲子園での勝利はならなかった。
木村 克美(きむら かつみ、1931年8月31日 - )は、… 木村 克美(きむら かつみ、1931年8月31日 - )は、日本の化学者。分子科学の分野で著名。分子科学研究所名誉教授。レーザー光を利用して分子の電子状態やイオン化ポテンシャル等の精密測定を行った。実兄の木村資生(きむら もとお)も研究者で、世界的な集団遺伝学者である。理学博士(名古屋大学)。 ヘリウム共鳴線 (HeI) を光源とするHeI光電子分光法や、ナノ秒パルスレーザー光電子分光法などを用いて数々の業績を上げた。多数の基本的有機分子の光電子スペクトルを測定し、理論計算に基づくイオン化ポテンシャルの帰属を行った。レーザーを光源とした、新たな高分解能光電子分光法の開発を精力的に行い、パルスレーザーによる多光子励起光電子の飛行時間分析を組み合わせた「電子励起状態からの光電子分光法」を確立した。
阿部 幸子(あべ ゆきこ、1931年〈昭和6年〉7月22日 … 阿部 幸子(あべ ゆきこ、1931年〈昭和6年〉7月22日 - 1992年〈平成4年〉12月8日)は、日本の英文学者。夫はイタリア文学者の阿部史郎。 愛知県名古屋市生まれ。専門学校卒業後、南山大学英文科へ学士入学、1955年名古屋大学大学院修士課程修了、1958年京都大学大学院英文学専攻博士課程満期退学。 光華女子短期大学助教授、ノートルダム女子大学助教授、大谷大学助教授、ドイツへ留学の後、1969年学園紛争のため辞職。京都工芸繊維大学助教授、1973年教授、1989年岡山大学教育学部教授。赴任後程なく、肝臓癌に冒されていることが分かり闘病ののち、61歳で死去。
田中 恭一(たなか きょういち、1931年7月8日 - 20… 田中 恭一(たなか きょういち、1931年7月8日 - 2024年3月10日)は、日本の実業家で、株式会社メニコンの創業者、会長。日本コンタクトレンズ協会名誉会長。愛知県葉栗郡木曽川町(現:一宮市)出身。 国民学校高等科を卒業後、手先の器用さを買われて名古屋市の老舗眼鏡店、玉水屋に勤務。そこに訪れたアメリカ軍将校夫人からコンタクトレンズを持っているという話を聞くものの、どうしても見せてもらえなかったことに発奮し、独学でレンズの開発に取り組む。デザインの設計から加工、装用実験など全て独自に行ない、1951年、それまで国内で研究されていた白目まで全てを被う強角膜コンタクトレンズではなく、現在のハードコンタクトレンズとほぼ同じ黒目のみを被うタイプを、日本で初めて開発した。
倉知 俊彦(くらち としひこ、1931年〈昭和6年〉7月7日… 倉知 俊彦(くらち としひこ、1931年〈昭和6年〉7月7日 - 2018年〈平成30年〉12月2日)は、日本の政治家。位階は正五位。勲等は旭日中綬章。豊田市名誉市民。 愛知県豊田市選挙区選出の愛知県議会議員(自由民主党所属、11期)。第67代愛知県議会議長、自由民主党愛知県支部連合会会長、幹事長、自由民主党愛知県議団団長などを歴任した。 1931年(昭和6年)愛知県豊田市に生まれる。愛知県立豊田西高等学校卒業後、愛知県職員や建設会社員を経て1971年(昭和46年)4月、愛知県議会議員選挙に初当選。 2003年(平成15年)12月20日、自民党愛知県連会長に就任。県議が会長に就任したのは同県連で初めて。
千野 陽一(ちの よういち、1931年6月26日 - )は、… 千野 陽一(ちの よういち、1931年6月26日 - )は、日本の教育学者、歴史学者、東京農工大学名誉教授。 愛知県安城市生まれ。1955年東京大学教育学部教育行政学科卒。東京農工大学工学部助教授、教授。96年定年退官、名誉教授。その後、帝京大学教授、2002年定年退職。戦時下の婦人団体の歴史、農村での教育などを研究した。
浅野 八郎(あさの はちろう、1931年6月18日 - 20… 浅野 八郎(あさの はちろう、1931年6月18日 - 2022年1月26日)は、日本の占い師、作家。 愛知県名古屋市出身。1954年早稲田大学文学部仏文科を卒業。翌年、同大学院よりフランスに留学。ソルボンヌ大学などで学ぶ。帰国後、1962年に『手相術』を発表し、大ベストセラーとなる。日本占術協会会長、国際予想科学協会会長、アメリカ人間心理学会会員、ニューヨーク科学アカデミー国際会員。 1969年、日本万国博覧会の住友童話館において、コンピュータによる人相のパターン認識を用い性格判断を行った。 1974年11月22日、日本占術協会を創立し会長に就任。2014年12月22日、一般社団法人日本占術協会の名誉会長に就任。
中村 哲(なかむら さとる、1931年5月17日 - )は、… 中村 哲(なかむら さとる、1931年5月17日 - )は、日本の経済史学者。京都大学・福井県立大学・鹿児島国際大学名誉教授。堀江英一門下。 1931年、愛知県岡崎市出身。神奈川県立小田原高等学校を卒業後、1951年4月、京都大学文学部入学。1955年4月、同文学部史学科国史学専攻卒業。1957年3月、京都大学大学院文学研究科修士課程国史学専攻修了。1959年3月、京都大学大学院文学研究科博士課程国史学専攻退学後、京都大学人文科学研究所助手を1966年まで務める。同年4月、龍谷大学経営学部助教授。1969年4月、京都大学経済学部助教授に就任。1970年7月、経済学博士学位取得。1976年7月、同経済学部教授。
伊藤 喜栄(いとう よしえい/よしえ、1931年5月8日- … 伊藤 喜栄(いとう よしえい/よしえ、1931年5月8日- )は、日本の地理学者。慶應義塾大学名誉教授。経済地理学専攻。 愛知県一宮市第四小学校(在籍中に国民学校へ移行)から愛知県立一宮中学校に進み、在学中に昭和東南海地震を経験した。1945年4月、大阪陸軍幼年学校に入学し49期生となったが、これは最後の陸軍幼年学校生徒となったことを意味していた。敗戦後、幼年学校は8月28日に閉校となり、伊藤は9月に一宮中学校へ復学した。 愛知県立一宮高等学校を経て、名古屋大学文学部史学科を卒業する。1961年、名古屋大学大学院博士課程を満期退学し、大分大学経済学部専任講師となる。以後、名古屋市立大学助教授、金沢大学法文学部助教授を経て、1979年慶應義塾大学経済学部教授に就任。
本多 逸郎(ほんだ いつろう、1931年5月3日 - 200… 本多 逸郎(ほんだ いつろう、1931年5月3日 - 2005年1月2日)は、愛知県犬山市出身のプロ野球選手(投手、外野手)・監督。 犬山高校ではエース、四番打者として活躍。1948年夏の甲子園県予選決勝に進むが、瑞陵高に大敗し甲子園出場を逃す。 卒業後の1950年、中日ドラゴンズの入団テストを受け合格し、投手として入団。このテストの合格者には長谷川良平や山内一弘らもいたが、球団経営が中日新聞社から名古屋鉄道(名鉄)に移行。そのためテスト自体が取り消されたが、本多だけは大の中日ファンであった両親が監督の杉浦清に泣きついた結果、1人だけ入団が決まった。入団1年目は投手として目立った特徴がなかったが、俊足と左打ちの打撃に着目した監督の天知俊一が本多を外野手へ転向させた。
前田 專學(まえだ せんがく、1931年4月1日 - )は、… 前田 專學(まえだ せんがく、1931年4月1日 - )は、日本のインド哲学者、仏教学者、東京大学名誉教授。文学博士。公益財団法人中村元東方研究所理事長・東方学院長。 愛知県名古屋市に生まれる。実兄は原始仏教及び上座仏教研究者の前田惠學、祖母は日本画家の前田錦楓。 愛知県立瑞陵高等学校を経て、1955年東京大学文学部印度哲学梵文学科卒。同大学院人文科学研究科修士課程修了後、フルブライト奨学生として米国ペンシルベニア大学大学院東洋学専攻博士課程に留学。修了後、同大学助教授などを経て、1982年に東京大学文学部印度哲学科教授。1991年定年退官、名誉教授。武蔵野大学教授・副学長を歴任。1973年文学博士(東京大学)。
山村 正夫(やまむら まさお、1931年3月15日 - 19… 山村 正夫(やまむら まさお、1931年3月15日 - 1999年11月19日)は日本のミステリー作家。 代表作に『湯殿山麓呪い村』など。日本推理作家協会理事長、日本ペンクラブ理事などを歴任。 推理小説の研究にも熱心でミステリーの古典をトリック中心に分類して一般向けクイズ形式とした『トリック・ゲーム』などの著作もある。 大阪府生まれ。名古屋市出身。 名古屋市立東白壁尋常小学校入学と同時に、毎日作文を一篇書く英才教育を母親から受けノート10冊くらいになる。2年の時、父親のNHK職員の仕事のため東京へ転居する。大井第一小学校で作文が高い評価を受け、少年倶楽部懸賞に応募し何回か入選する。東京都立多摩中学校へ入学する。
天知 茂(あまち しげる、1931年〈昭和6年〉3月4日 -… 天知 茂(あまち しげる、1931年〈昭和6年〉3月4日 - 1985年〈昭和60年〉7月27日)は、日本の俳優・歌手。本名は臼井 登(うすい のぼる)。別名はペンネームの宇寿木 純と臼井 暢浩。芸名はファンである中日ドラゴンズの天知俊一監督と杉下茂投手が由来。 愛知県名古屋市出身。東邦商業学校卒業。 旗本・水野十郎左衛門の子孫で、家は旧尾張藩士であった。高校卒業後、1949年に松竹へ。大部屋俳優以下の仕出し扱いであった。2年間、通行人などをこなしたが解雇される。 1951年、第一期新東宝スターレットに選ばれ入社。同期には左幸子、久保菜穂子、高島忠夫、三原葉子、松本朝夫、小笠原弘らがいた。同期の新人が次々と主演に抜擢される中、ここでもほとんど仕出し扱いで、最初の2年間は給料わずか5千円、兄からの仕送りがなければ暮らせなかった。
野崎 眞一(のざき しんいち、1931年1月28日 - 20… 野崎 眞一(のざき しんいち、1931年1月28日 - 2014年1月27日)は、日本の作曲家である。永年の作家名は野崎 真一であった。 1931年(昭和6年)1月28日、現在の愛知県半田市に生まれる。 1957年(昭和32年)、26歳のときに、日本マーキュリーレコードより発売された藤島桓夫歌唱の「俺らは東京へ来たけれど」で作曲家デビュー。この時の名前の表記は「野崎眞一」だった。 1958年にテイチクレコードの専属作曲家となる。 「星屑のブルース」(1965年)をはじめ数多くの石原裕次郎、八代亜紀の楽曲を作曲した。とくに野崎が40代半ばのころに八代に提供した「もう一度逢いたい」 (1976年)、「愛の終着駅」 (1977年)では、当時20代半ばの八代を日本レコード大賞最優秀歌唱賞受賞に2年連続で導いた。
内藤 繁春(ないとう しげはる、1931年1月12日 - 2… 内藤 繁春(ないとう しげはる、1931年1月12日 - 2013年8月12日)は、愛知県碧海郡高浜町(現・高浜市)出身の元騎手・元調教師・元馬主。管理馬通算出走11201回という中央競馬の史上最多記録を打ち立て、調教師として定年引退間際の2000年に騎手復帰を試みたことで話題を集めた。 実兄・博司は東海地方で飲食店をチェーン展開する株式会社だるまの創業者、同社会長で馬主の内藤耕造は甥である[要出典]。 実家は名古屋コーチンを生産する養鶏場を営んでおり、太平洋戦争を経て、戦後は定時制高校に通いながら鉄工所や瓦の製造会社に就職したが、工場内で排出される煤煙で肺を病み休職を余儀なくされて高校も中退。
小川 英次(おがわ えいじ、1931年1月10日 - 201… 小川 英次(おがわ えいじ、1931年1月10日 - 2019年7月4日)は、日本の経営学者。専門は生産管理論、中小企業経営論。名古屋大学名誉教授、学校法人梅村学園名誉理事長。第6代中京大学学長、第5期日本中小企業学会会長等も務めた。日経・経済図書文化賞受賞、瑞宝重光章、豊田市市政功労章受章。 名古屋市出身。1953年旧制名古屋大学工学部機械学科卒、1955年名古屋大学経済学部経営学科卒業、1960年名古屋大学大学院経済学研究科経営学専攻博士課程単位取得満期退学。64年「生産計画論」で名古屋大学より経済学博士の学位を取得。末松玄六研究室出身。 60年名大経済学部助手となり、62年生産管理論専任講師。
原 昌(はら しょう、1931年1月3日 - )は、日本の児… 原 昌(はら しょう、1931年1月3日 - )は、日本の児童文学研究者、翻訳家、中京大学名誉教授。 名古屋市生まれ。本名・昌一。南山大学文学部英文科卒、市邨学園短期大学(現・名古屋経済大学短期大学部)教授、1980年中京大学文学部教授、2002年名誉教授。台湾国立成功大学客員教授。日本イギリス児童文学会会長、日本児童文学学会会長を務めた。1974年新美南吉文学賞を『児童文学の笑い』で受賞。2004年児童文化功労者褒章。
海部 俊樹(かいふ としき、1931年〈昭和6年〉1月2日 … 海部 俊樹(かいふ としき、1931年〈昭和6年〉1月2日 - 2022年〈令和4年〉1月9日)は、日本の政治家。位階は正二位、勲等は大勲位菊花大綬章(没後叙勲)。 衆議院議員(16期)、労働政務次官(第1次佐藤第2次改造内閣 - 第2次佐藤内閣)、内閣官房副長官(三木内閣)、自由民主党国会対策委員長(第21代)、文部大臣(第98・107代)、自由民主党総裁(第14代)、大蔵大臣(第95代)、内閣総理大臣(第76・77代)、新進党党首(初代)などを歴任した。 国際天文学連合(IAU)会長の海部宣男、2008年にノーベル物理学賞を受賞した小林誠の従兄である。 名古屋市東区七曲町(現・東区東桜一丁目)に生まれる。
坂田 佳代(さかた かよ、1931年1月 - )は、愛知県碧… 坂田 佳代(さかた かよ、1931年1月 - )は、愛知県碧海郡新川町(現在の碧南市)出身の実業家・ジャーナリスト。『中部新報』を発行する中部新報社代表取締役社長。1992年(平成4年)に日本地方新聞協会の風雪賞を受賞。 「ローカル新聞の発行者としてはおそらく全国でもただ一人の女性」とされることがある。坂田は赤い原付で取材に走り回り、地元住民からは(「坂田記者」などではなく)「お佳代」「お佳代さん」「佳代さん」「佳代ちゃん」などと呼ばれた。 1931年(昭和6年)1月、愛知県碧海郡新川町(現在の碧南市)に生まれた。坂田家は安政年間(1855年~1860年)からこの地に住んでおり、三州瓦を伊勢国や志摩国に運搬して薪炭を持ち帰る入船問屋をしていた。
石黒 英男(いしぐろ ひでお、1931年 - 2010年3月… 石黒 英男(いしぐろ ひでお、1931年 - 2010年3月)は、日本のドイツ文学者、翻訳家。中央大学名誉教授。 名古屋市生まれ。1954年名古屋大学文学部独文科卒業。1955年同研究生、1957年6月名城大学商学部専任講師、1963年1月日本大学理工学部専任講師、1966年中央大学商学部専任講師、1968年助教授、1973年教授、1994-1997年同人文科学研究所所長、2002年定年、名誉教授。 『新日本文学』などに拠り、左翼的立場からドイツ演劇を研究した。
富田 英夫(とみた ひでお、1931年 - 1998年)は、… 富田 英夫(とみた ひでお、1931年 - 1998年)は、日本の生物学者、遺伝学者。元名古屋大学理学部教授。 名古屋市出身。名古屋大学理学部生物学科卒業。大学院に進学し、山本時男に師事した。1965年名古屋大学理学博士。博士論文は「メダカのメラニン形成 」。 30年以上にわたる研究により、100種類以上のメダカの自然発生的突然変異をひとりで発見した。これら約100種類の突然変異系統を大学の敷地および自宅の庭の水槽で交配保存し、世界中の研究者に提供した。これらの突然変異には、アルビノなど、色素に関する多数の突然変異の他、眼のないメダカ(el)、鱗の発達しないメダカ(rs)、腹部の構造が背部にできるメダカ(Da)、など生命現象の理解にとって重要なものが多数含まれていた。
長谷川 武彦(はせがわ たけひこ、1931年 - 2024年… 長谷川 武彦(はせがわ たけひこ、1931年 - 2024年5月7日)は、日本の技術者、実業家。愛知県名古屋市出身。 1958年、ヤマハ技術研究所を経てヤマハ発動機株式会社に入社。同社では、オートバイのエンジン開発を担当するとともに、世界グランプリレース監督を務めた。また、名車と謳われた「トヨタ2000GT」の共同開発、ソフトバイク「パッソル」の開発などに関わり、同社社長(1994年~2001年)、会長(2001年~2003年)等を歴任した。 2004年4月旭日中綬章受章。 2024年5月7日、老衰のため死去。92歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
清水 定彦(しみず さだひこ、1930年〈昭和5年〉12月1… 清水 定彦(しみず さだひこ、1930年〈昭和5年〉12月13日 - 2014年〈平成26年〉1月1日)は、日本の実業家、元東邦ガス社長、会長。
鈴木 隆(すずき たかし、1930年12月10日 - )は、… 鈴木 隆(すずき たかし、1930年12月10日 - )は、愛知県出身の元プロ野球選手(外野手、内野手)。 愛知県立岡崎商業高等学校から1949年に中日ドラゴンズに入団。2リーグ制となった1950年に一軍初出場を果たす。1951年は一軍出場はなかったが、1952年は75試合に出場した。しかし、目立った成績を残せず、1952年限りで現役引退。
若前田 英一朗(わかまえだ えいいちろう、1930年11月2… 若前田 英一朗(わかまえだ えいいちろう、1930年11月24日 - 2007年6月3日)は、愛知県清須市(現役当時は、同県西春日井郡西枇杷島町)出身で高砂部屋に所属した大相撲力士。本名は由井 秀夫(ゆい ひでお)。最高位は東関脇(1958年5月場所、同年7月場所)。現役時代の体格は174cm、129kg。得意手は右四つ、寄り、押し。 名古屋市内で旋盤工として働く傍ら相撲部で活躍し、1949年の巡業の折に複数の部屋から勧誘されたのを機に高砂部屋に入門し、1950年1月場所に於いて初土俵を踏んだ。 四股名である「若前田」は、師匠の現役名、「前田山」に因んでいる(初名は本名でもある「由井」で、1952年5月場所より、この四股名に改名)。
斎藤 恒夫(さいとう つねお、1930年11月8日 - 19… 斎藤 恒夫(さいとう つねお、1930年11月8日 - 1990年1月5日)は、愛知県豊川市出身の作曲家・編曲家。 2009年、編曲者として古賀政男音楽博物館が定める「大衆音楽の殿堂」入りを果たした。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、音楽関係者(バンド等)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:芸能人)。
加藤 一昭(かとう かずあき、1930年11月7日 - )は… 加藤 一昭(かとう かずあき、1930年11月7日 - )は、愛知県出身の元プロ野球選手。右投右打で、ポジションは投手、一塁手。1957年の登録名は加藤 晃朗、1958年と1959年は加藤 晃郎。
上妻 精(こうづま ただし、1930年10月31日 - 19… 上妻 精(こうづま ただし、1930年10月31日 - 1997年6月26日)は、日本の哲学研究者、東北大学名誉教授。ヘーゲルを専門とした。 1930年、愛知県名古屋市生まれ。旧制水戸高等学校1年修了。東京大学文学部倫理学科で学び、指導教官は金子武蔵であった。学科の同期には評論家の俵孝太郎、思想の科学研究会会長代行の後藤宏行、東京大学教授の谷嶋喬四郎、山口大学教授の山田洸がいた。1953年、東京大学文学部を卒業し、同大学大学院に進む。1960年、同大学院博士課程を中退。 卒業後は東邦大学助教授となった。1965年、成蹊大学助教授。1970年に教授昇進。1985年、東北大学文学部教授となった。1993年、東北大学を定年退官し、名誉教授となった。
高木 公男(たかぎ きみお、1930年10月1日 - )は、… 高木 公男(たかぎ きみお、1930年10月1日 - )は、愛知県出身の元プロ野球選手(内野手)・コーチ・監督。
角岡 与(つのおか あとお、1930年(昭和5年)8月6日 … 角岡 与(つのおか あとお、1930年(昭和5年)8月6日 - 2021年(令和3年)4月25日)は、愛知県碧海郡刈谷町(現・刈谷市)出身の政治家。愛知県刈谷市議会議員(1963年~1983年、5期)、刈谷市長(1983年~1995年、3期)。刈谷市名誉市民。 1930年(昭和5年)8月6日に愛知県碧海郡依佐美村野田東屋敷(現・刈谷市野田町)に生まれ、1943年(昭和18年)3月に依佐美村立野田国民学校(現・刈谷市立双葉小学校)を卒業した。1945年(昭和20年)刈谷中学校(現愛知県立刈谷高等学校)を中退した。 1963年(昭和38年)7月に32歳で刈谷市議会議員に初当選し、5期20年に渡って市議会議員を務めるとともに、刈谷市議会議長や東海議長会会長(1981年~)などを歴任した。
神野 信郎(かみの のぶお、1930年(昭和5年)8月2日 … 神野 信郎(かみの のぶお、1930年(昭和5年)8月2日 - 2018年(平成30年)11月12日 )は、日本の実業家。サーラグループ名誉顧問、中部ガス元社長、相談役。勲三等旭日中綬章。長男は神野吾郎。父は神野太郎。祖父は神野三郎。 祖父・神野三郎が創立した中部ガスの社長を29年間、会長を16年間にわたって務める一方、日本青年会議所会頭をはじめとして、豊橋商工会議所会頭、中部経済連合会副会長などを歴任。この功績から、2016年には豊橋市名誉市民に推挙された。 神野新田の管理のために八開村(現・愛西市)から移り住んだ神野金之助を初代とする神野家の4代目。出生地は父である神野太郎の仕事の関係で東京都であるが、1933年に豊橋市に転居。
宮崎 秀樹(みやざき ひでき、1930年7月9日 - )は、… 宮崎 秀樹(みやざき ひでき、1930年7月9日 - )は、日本の医師・医学博士、政治家。元参議院議員、元自由民主党副幹事長。2004年から2006年まで日本医師会副会長を務めた。
上坂 冬子(かみさか ふゆこ、1930年6月10日 - 20… 上坂 冬子(かみさか ふゆこ、1930年6月10日 - 2009年4月14日)は、日本のノンフィクション作家。本名、丹羽 ヨシコ(にわ - )。
小林健吾(こばやし けんご、1930年5月29日- )は、日… 小林健吾(こばやし けんご、1930年5月29日- )は、日本の会計学者。滋賀大学名誉教授、青山学院大学名誉教授。 愛知県岡崎市出身。愛知県立岡崎高等学校卒業、1954年名古屋大学経済学部卒業。1956年名古屋大学大学院経済学研究科修士課程修了。1975年コロンビア大学卒、1980年「直接原価計算」で大阪市立大学より経営学博士の学位を取得。1957年名城大学法商学部講師、1961年専修大学商経学部助教授、1962年経営学部助教授、1968年滋賀大学経済学部助教授、1971年教授、1986年名誉教授、青山学院大学経営学部教授。2001年定年、名誉教授、青森公立大学経営経済学部教授、2005年LEC会計大学院教授、2010年特任教授。
山田 昌(やまだ まさ、1930年〈昭和5年〉5月12日 -… 山田 昌(やまだ まさ、1930年〈昭和5年〉5月12日 - 2024年〈令和6年〉6月16日)は、日本の女優。劇団「劇座」代表。夫は俳優の天野鎮雄。 愛知県常滑市出身で長く知多市新舞子に在住。常滑町立常滑実業女学校(現在の愛知県立常滑高等学校)卒業。 愛知県常滑市で生まれる。生母とは3歳で死別、父は常滑焼の窯元。常滑で19歳まで過ごした。天野鎮雄とは再婚となる。 1949年、NHK名古屋放送劇団に入団。女学校では演劇部に所属していたが、端役であった山田を名古屋の劇団の演出家が注目。反対する父親を説得し女学校卒業とともに名古屋放送劇団に引き入れる形になった。1981年にNHK総合テレビの銀河テレビ小説「祈願満願」で初主演を果たす。
十一世 福井四郎兵衛(じゅういっせい ふくい しろべえ、本名… 十一世 福井四郎兵衛(じゅういっせい ふくい しろべえ、本名:林 啓治郎、1930年5月2日 - 2018年12月17日)は、幸清流小鼓方職分の能楽師。社団法人能楽協会名古屋支部会員、日本能楽会(重要無形文化財総合指定)会員。 1930年(昭和5年)5月2日、愛知県名古屋市の大須の商家に6人兄弟の末っ子として生まれる。1943年(昭和18年)、南久屋国民学校(現・名古屋市立栄小学校)を卒業。元首相の海部俊樹は同級生。1948年(昭和23年)、旧制愛知一中(現・愛知県立旭丘高等学校)を卒業。担任教師が能楽に造詣が深く、中学3年で能の「隅田川」を観て以来とりこに。すぐに謡曲愛好会を立ち上げる。 1950年(昭和25年)7月、九世福井五郎に師事(福井家は幸清流家元の分家格・後見職の家。
横山 まさみち(よこやま まさみち、男性、1930年4月29… 横山 まさみち(よこやま まさみち、男性、1930年4月29日 - 2003年10月14日)は、日本の漫画家。代表作は『やる気まんまん』。 愛知県名古屋市出身。本名:横山正雄。愛知県立明和高等学校卒。 1950年、明治大学在学中に『ウサギのかごや』でデビューし主に貸し本漫画を多数執筆。1960年代頃からは横山プロダクションを立ち上げ、自身やアシスタントの作品を発表すると同時に、活動の場を少年週刊誌や月刊誌、少女雑誌に広げて活躍した。 1970年代に入って貸本が廃れてくると活動の場を少年誌から成年誌に変えて執筆するようになった。少年向け劇画作家から成年向けアダルトコミックに転身し成功した一人で、日刊ゲンダイに連載した、男性器をオットセイに、女性器を貝に擬したアダルトコミックで一般にもよく知られていた。
尾崎 賢治(おざき けんじ、1930年3月26日 - 198… 尾崎 賢治(おざき けんじ、1930年3月26日 - 1984年8月12日)は、日本のドイツ文学者、翻訳家。本名は尾崎鑒治。 愛知県刈谷市生まれ。1955年上智大学大学院独文科修士課程修了、上智大学文学部助教授、教授。54歳で死去した。専門はドイツ近代演劇だが、ドイツの児童文学、山岳書などを多く翻訳した。
長谷川 良平(はせがわ りょうへい、1930年3月25日 -… 長谷川 良平(はせがわ りょうへい、1930年3月25日 - 2006年7月29日)は、愛知県半田市出身のプロ野球選手(投手)・コーチ・監督、解説者・評論家。 黎明期の広島カープを代表する投手であり、身長167cmという野球選手としては当時としても小柄な体格から、小さな大投手の異名を取り、通算197勝を記録した。 愛知県半田商工学校卒業後、安田商店(福井県)・安田繊維・新田建設・第一繊維など4つのノンプロチームを渡り歩く。1949年末に設立された広島カープの石本秀一監督が選手集めをしていたところへ、広島への入団が決まっていた内藤幸三が新田建設時代の監督・横沢七郎経由で聞いた長谷川の噂を石本へ伝えたところ、1950年1月に長谷川は広島の入団テストを受けることになる。