蜷川 譲(にながわ ゆずる、1925年3月9日 - 2014… 蜷川 譲(にながわ ゆずる、1925年3月9日 - 2014年7月9日)はフランス文学者、比較文学者、ロマン・ロラン研究家。 本籍は愛知県一宮市。台湾台北州基隆市に生まれる。愛知東海中学校卒。1948年早稲田大学政経学部卒業、同文学部大学院にて現代フランス文学を専攻。1954年渡欧、1957年帰国までパリ大学ソルボンヌにおいて学ぶ。日本福祉大学教授、早稲田大学講師などを務めた。1951年に兵藤正之助、金井光太郎らと日本ロマン・ロラン協会を創立。昭和30年代からは窪村らの参加を得て、東京の新宿(初期は毎月)、水道橋労音(年3回)、五反田(年2回)、吉祥寺(晩年は年2回)で、449回にわたり「ロマン・ロラン研究会」を主催した。
伊藤 延男(いとう のぶお、1925年3月8日 - 2015… 伊藤 延男(いとう のぶお、1925年3月8日 - 2015年10月31日)は、日本の建築史学者、文化財保護者、文化功労者。東京国立文化財研究所名誉研究員、神戸芸術工科大学名誉教授。 愛知県名古屋市出身。愛知一中を経て、1947年東京帝国大学工学部建築学科卒業後、国立博物館に入り、奈良国立文化財研究所建造物研究室長、1961年「中世和様建築の研究」で東京大学より工学博士の学位を取得。1971年文化庁文化財保護部建造物課長、1978年東京国立文化財研究所所長。87年定年退官、名誉研究員、神戸芸術工科大学教授、同名誉教授。1995年勲三等旭日中綬章受章。2004年文化功労者。2012年ガッゾーラ賞受賞。
豊田 章一郞(とよだ しょういちろう、1925年(大正14年… 豊田 章一郞(とよだ しょういちろう、1925年(大正14年)2月27日 - )は、日本の実業家、技術者。勲等は桐花大綬章。学位は工学博士(名古屋大学・1955年)。トヨタ自動車株式会社名誉会長、日本経済団体連合会名誉会長、株式会社デンソー取締役、東和不動産株式会社取締役会長、社会福祉法人恩賜財団済生会会長、学校法人海陽学園理事長(初代)、学校法人トヨタ学園理事。
伊藤 栄樹(いとう しげき、1925年2月3日 - 1988… 伊藤 栄樹(いとう しげき、1925年2月3日 - 1988年5月25日)は、日本の検事総長・東京高検検事長・法務事務次官。「ミスター検察」と呼ばれた。名前の「栄」の正しい表記は旧字体の「榮」。没後、従三位を贈られた。
安藤 巌(安藤 巖、あんどう いわお、1925年1月28日 … 安藤 巌(安藤 巖、あんどう いわお、1925年1月28日 - 2009年11月11日)は、日本の弁護士、日本共産党員、政治家。衆議院議員(4期)。 愛知県名古屋市出身。1948年に京都大学法学部を卒業後、中部日本新聞社に入り記者となるが、1950年にレッドパージの対象者とされ退社し、日本共産党に入党する。1961年に弁護士を開業、東海労働弁護団代表幹事や総評弁護団代表幹事などを歴任するかたわら、四日市公害や大須事件の弁護団にも加わる。 1976年の衆議院議員選挙に日本共産党公認で旧愛知県第6区から立候補し初当選を果たし、1990年の落選まで衆議院議員を通算4期務めた。議員在職中は法務、決算の各委員のほか、共産党愛知県副委員長などを歴任した。
安井久善(やすい ひさよし、1925年1月24日 - 200… 安井久善(やすい ひさよし、1925年1月24日 - 2001年7月14日)は、日本の国文学者、軍事史学者、日本大学名誉教授。 愛知県名古屋市生まれ。1944年4月、陸軍士官学校を卒業し(第57期)、陸軍中尉で終戦を迎える。1949年3月、日本大学法文学部国文科卒業。1951年4月、同大学院(旧制)終了し、1952年1月、宮内庁書陵部に入る。 1952年9月、保安隊に入る。1954年7月、陸上自衛隊発足とともに陸上自衛官。1960年、防衛大学校陸上防衞学助教授。この時代に軍事史の著作、論考を著しはじめる。 1965年日本大学商学部助教授、1970年教授、1976年「藤原光俊の研究」で日大文学博士。
田辺 広雄(田邊 廣雄、たなべ ひろお、1925年1月15日… 田辺 広雄(田邊 廣雄、たなべ ひろお、1925年1月15日 - 1999年4月3日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)、名古屋市会議員(5期)、守山市議会議員などを務めた。 愛知県名古屋市生まれ。父親は守山町長を務めた。関西学院大学専門学校政経科卒業後、家業の毛織物会社を継いだ。1955年、守山市議会議員に立候補し当選。1963年に守山市が名古屋市と合併した後は名古屋市会議員を5期務め、議長も務めた。 1983年の衆議院選挙と1986年の衆議院選挙に旧・愛知1区から立候補するが落選。自民党内では安倍派に所属し、竹下派の今枝敬雄と公認を争った。 1990年2月18日に行われた衆議院選挙に自民党の公認を得て立候補し初当選。
内田 喜久(うちだ よしひさ、1925年(大正14年)1月5… 内田 喜久(うちだ よしひさ、1925年(大正14年)1月5日 - )は、日本の政治家、新聞記者。愛知県岡崎市長(3期)、愛知県議会議員(2期)を歴任した。「喜久」を音読みして「きく」と読まれることも多い。 長男の内田康宏を擁立した1980年6月の衆院選で、検挙者128人(うち逮捕者55人)におよぶ空前の選挙違反事件を引き起こした。愛知県警が解明しただけでも計4,424万円の現金をばらまき、自身のほか、県議1人、岡崎市議25人、安城市議7人、幸田町議6人、旧額田町議4人が逮捕された。長年にわたる土建業者との癒着も暴かれ、同年8月、収賄容疑で再逮捕された。 愛知県岩津村井ノ口(現・岡崎市井ノ口町字楼)に、農業を営む父:内田松太郎、母:かまの三男として生まれる。
青木 脩(あおき おさむ、1925年1月3日 - 2004年… 青木 脩(あおき おさむ、1925年1月3日 - 2004年10月9日)は、日本の会計学者。経済学博士(論文博士・1978年)(学位論文「フランス会計制度論 付加価値会計制度の確立過程」)。愛知大学教授、名古屋工業大学教授、中京大学教授を歴任。名古屋工業大学名誉教授。 愛知県岡崎市生まれ。東京大学経済学部商業学科卒。1978年「フランス会計制度論 付加価値会計制度の確立過程」で経済学博士。名城大学講師、愛知大学助教授、教授、名古屋工業大学教授、1989年定年退官、名誉教授、中京大学教授。
津端 修一(つばた しゅういち、1925年1月3日 - 20… 津端 修一(つばた しゅういち、1925年1月3日 - 2015年6月2日)は、日本の建築家、都市計画家、評論家。愛知県岡崎市出身。 1945年に海軍技術士官として厚木飛行場に赴任するが終戦を迎える。1947年に新制東京大学に再入学する。 1951年、東京大学第一工学部建築学科卒業。丹下健三の下で住宅問題の研究をテーマに卒業論文に取り組む。前川国男の建築設計事務所への入所を希望するが前川と太田博太郎の推薦でアントニン・レーモンドの事務所に所属する。その後坂倉準三の建築設計事務所を経て、1955年日本住宅公団発足と共に入社。 日本住宅公団勤務時、多摩平・高根台団地、阿佐ヶ谷住宅をはじめとする多くの団地を設計するなど、公団初期の全体計画を手がける。
鈴木 哲夫(すずき てつお、1924年12月5日 - 201… 鈴木 哲夫(すずき てつお、1924年12月5日 - 2015年6月15日)は、日本の技術者、実業家。HOYA中興の祖・元名誉会長。 愛知県瀬戸市生まれ。1943年東京工業大学(のちの東京科学大学)付属高等工業教員養成所卒業。 1944年東洋工学硝子製造所(現HOYA)技術長。1949年同社取締役工場長に昇格。1957年に岳父であり同社創業者の山中茂が病で倒れたため、その跡を受けて代表取締役社長に就任、5年間で売り上げを10倍の20億円に拡大し、社名を保谷硝子に変更、1961年に東証2部に株式上場を果たしたが、昭和40年不況により赤字・無配となり、1967年相談役に降格。 1970年代表取締役社長に復帰。
五味 克夫(ごみ よしお、1924年11月17日 - 202… 五味 克夫(ごみ よしお、1924年11月17日 - 2023年10月10日)は、日本史学者、鹿児島大学名誉教授。 愛知県豊橋市生まれ。1950年東京大学文学部国史学科卒業。1955年旧制大学院修了。日本常民文化研究所研究員、開成学園高等学校教諭、鹿児島大学文理学部助教授、同大学法文学部助教授・教授を務め、1990年定年退官、名誉教授となり、鹿児島女子大学教授を務めた。鹿児島県史料編さん顧問。2002年、勲三等旭日中綬章を受章。
木村 資生(きむら もとお、1924年〈大正13年〉11月1… 木村 資生(きむら もとお、1924年〈大正13年〉11月13日 - 1994年〈平成6年〉11月13日)は、日本の集団遺伝学者。中立進化説を提唱した。日本人で唯一ダーウィン・メダルを受賞。また、パフィオペディラムの育種家としても知られる。学位は、理学博士(大阪大学・1956年)。国立遺伝学研究所名誉教授。日本学士院会員。文化功労者。文化勲章受章。岡崎市名誉市民。 中立進化説とは、分子レベルの進化はダーウィン的な「サバイバル・オブ・ザ・フィッテスト(fittest)」(適者生存)だけではなく、生存に有利でも不利でもない中立的な変化で「サバイバル・オブ・ザ・ラッキエスト(luckiest)」、すなわち、たまたま幸運に恵まれたものも残っていくという学説である。
平川 敏夫(ひらかわ としお、1924年10月16日 - 2… 平川 敏夫(ひらかわ としお、1924年10月16日 - 2006年5月14日)は、日本の日本画家。創画会会員。新制作協会展を中心に活躍し、代表作に「白樹」「樹濤」などがある。1980年「樹木をテーマにした日本画新様式の確立」に対して中日文化賞受賞。 宝飯郡小坂井町(現在の豊川市)出身。京都の稲石着尺図案塾で日本画の基礎的な技術を学ぶが、開戦のためまもなく帰郷。1947年、新日本画研究会に参加し、中村正義とともに本格的に日本画の制作を始める。1950年には正義の薦めで第3回創造美術展に出品し、以後、創造美術が新制作派協会と合併して新制作協会日本画部となった後も同展に出品を続ける。1974年創画会結成に参加。
蟹江 英吉(かにえ えいきち、1924年9月28日 - 20… 蟹江 英吉(かにえ えいきち、1924年9月28日 - 2023年12月16日)は、日本の経営者。カゴメ株式会社社長を務めた。 愛知県知多郡上野町(現・東海市)出身。1942年(昭和17年)に愛知県安城農林学校を卒業し、愛知トマト製造株式会社(のちのカゴメ株式会社)に入社。東海市には蟹江という姓が多く、父親はカゴメ創業者の蟹江一太郎の協力者であったものの、蟹江一太郎と血縁関係はない。戦前には羊羹状の固形ケチャップを呉の海軍に納めていた。召集されて入隊したが戦地に赴くことはなく、世田谷の陸軍本部で1945年(昭和20年)8月の終戦を迎えた。 24歳だった1949年(昭和24年)、愛知トマト製造から改称した愛知トマト株式会社の取締役に就任した。
宮下 信明(みやした のぶあき、1924年8月25日 - 2… 宮下 信明(みやした のぶあき、1924年8月25日 - 2005年9月6日)は、愛知県名古屋市出身の元プロ野球選手。ポジションは投手、内野手。
石井 信弘(いしい のぶひろ、1924年〈大正13年〉7月4… 石井 信弘(いしい のぶひろ、1924年〈大正13年〉7月4日 - 1987年〈昭和62年〉2月4日)は、昭和時代の政治家。愛知県尾西市長。 名古屋市出身。1942年(昭和17年)愛知工業学校卒業。 同校卒業後、名古屋鉄道管理局に入る。のち中島郡起町役場に転じ、市制施行で尾西市役所に移る。1977年(昭和52年)助役を経て、1981年(昭和56年)尾西市長に当選。同年7月に就任し、2期目在任中に死去した。
碧海 純一(あおみ じゅんいち、1924年6月27日 - 2… 碧海 純一(あおみ じゅんいち、1924年6月27日 - 2013年7月18日)は、日本の法学者、法哲学者。東京大学名誉教授。日本バートランド・ラッセル協会理事。 分析哲学、批判的合理主義に近い立場から理論哲学として法哲学を展開し、以後の日本の法哲学に大きな影響を及ぼした。主著に『法哲学概論』『法と社会』など。 愛知県名古屋市出身。旧制武蔵高等学校では、講師であった下村寅太郎に紹介され、バートランド・ラッセルに触れる(後に日本バートランド・ラッセル協会設立発起人となっている)。 1944年(昭和19年)短期現役海軍主計科士官(12期)を志願。同年9月、海軍経理学校に入学。1944年10月、海軍主計見習士官。
木村 保久(きむら やすひさ、1924年5月29日 - 20… 木村 保久(きむら やすひさ、1924年5月29日 - 2015年2月19日)は元プロ野球選手(内野手)。愛知県一宮市出身。
鬼頭 勝治(きとう かつじ、1924年5月28日 - )は、… 鬼頭 勝治(きとう かつじ、1924年5月28日 - )は、愛知県名古屋市南区野立町出身の元プロ野球選手(外野手)。
長谷川 純三(はせがわ じゅんぞう、1924年5月28日 -… 長谷川 純三(はせがわ じゅんぞう、1924年5月28日 - 2025年11月12日)は、日本の体育・道徳教育学者。筑波大学名誉教授、至学館大学名誉教授。専攻は野外教育・社会教育・社会体育。 愛知県春日井市生まれ。1944年愛知第一師範学校卒、陸軍特別操縦見習士官として中国・朝鮮に従軍、敗戦後、小学校教諭、県立工業高校教諭、1950年東京教育大学体育学部入学。卒業後、1961年同大学院修了。文部省体育局、東京教育大学助教授、筑波大学教授。1988年定年退官、名誉教授。日本ユースホステル協会会長。2002年、勲四等旭日小綬章受勲。
芥川(間所) 紗織(あくたがわ〈まどころ〉さおり、1924年… 芥川(間所) 紗織(あくたがわ〈まどころ〉さおり、1924年〈大正13年〉5月24日 - 1966年〈昭和41年〉1月31日)は、愛知県渥美郡高師村(現・豊橋市)出身の画家。 1950年代から急逝するまで、当時はほとんどいなかった前衛の女性画家の一人であり、また「染色」という全く独自の技法で道を切り開いた作家である。 「芥川」は芥川也寸志との最初の結婚時の、「間所」は間所幸雄との再婚後の姓で、旧姓は山田である。「芥川紗織」とも「間所紗織」とも呼ばれるが、2つの姓を併記して「芥川(間所)紗織」と書かれることも多い。 旧姓を山田といった。東京音楽学校(現・東京藝術大学)本科声楽部を卒業後、作曲家の芥川也寸志と結婚し、芥川麻実子ら2女をもうけた。
林 直明(はやし なおあき、1924年5月22日 - )は、… 林 直明(はやし なおあき、1924年5月22日 - )は、元プロ野球選手(投手)。愛知県出身。兄は同じくプロ野球選手の林安夫。
小笠原 和男(おがさわら かずお、1924年5月16日 - … 小笠原 和男(おがさわら かずお、1924年5月16日 - 2016年12月17日)は、俳人。 愛知県碧南市出身。1939年岩田潔に俳句を学ぶ。石田波郷、石塚友二に師事。1969年『鶴』(星野立子)に参加、『飛鳥集』同人、1984年『初蝶』創刊に参加、主宰。『立羽集』同人。
長塚 隆二(ながつか りゅうじ、1924年4月20日 - 2… 長塚 隆二(ながつか りゅうじ、1924年4月20日 - 2020年7月8日)は、日本のフランス文学者。 愛知県名古屋市生まれ。東京大学文学部仏文科卒業。読売新聞記者をへて日本大学教授。フランス・リヨン大学客員教授。フランス政府より芸術文化勲章一等章。1973年セネガルのサンゴール賞を受賞。1985年芸術文化勲章コマンドゥール受賞。Académie des siences d’outre「フランス海外学士院」会員。 ジョルジュ・サンドのほか、ナポレオン評伝などを執筆、翻訳も多い。 2020年7月8日、死去。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
長谷川 薫(はせがわ かおる、1924年4月15日- 200… 長谷川 薫(はせがわ かおる、1924年4月15日- 2004年1月9日 )は、日本の経営者。レンゴー社長、会長を務めた。 愛知県名古屋市出身。1945年5月25日、長谷川薫大尉は特攻機に乗り沖縄で被弾する。米駆逐艦キャラハンに救助される。1952年に学習院大学政経学部を卒業し、同年に聯合紙器(のちのレンゴー)に入社した。1961年に監査役に就任し、1962年5月に常務、1970年5月に専務を経て、1973年2月に副社長に就任し、1984年6月には社長に昇格した。包装機械や紙器などの関連分野に進出し、業務内容を拡大し、東南アジアや中国にも事業を拡げた。コンピューターを使った管理システムを導入し、1999年にはセッツとの合併を主導した。
南 利明(みなみ としあき、1924年3月14日 - 199… 南 利明(みなみ としあき、1924年3月14日 - 1995年1月13日)は、日本の喜劇俳優。本名は野津 俊三(のづ しゅんぞう)。
村田 敬次郎(むらた けいじろう、1924年〈大正13年〉2… 村田 敬次郎(むらた けいじろう、1924年〈大正13年〉2月12日 - 2003年〈平成15年〉4月2日)は、日本の政治家、自治官僚。位階は正三位。 自由民主党衆議院議員(10期)、通商産業大臣(第44代)、自治大臣(第43代)、国家公安委員会委員長(第53代)などを歴任した。 愛知県豊橋市出身。愛知県豊橋中学校(現・愛知県立時習館高等学校)卒業。旧制第三高等学校に進み、1949年(昭和24年)、京都帝国大学法学部卒業。同年、自治省に入省。愛知県建設部長などを務めた。 1969年(昭和44年)4月、地元政財界から衆院選出馬を促され、県庁を辞職。同年12月の第32回衆議院議員総選挙に旧愛知5区から立候補し初当選を果たした(当選同期に小沢一郎・羽田孜・梶山静六・奥田敬和・林義郎・渡部恒三・綿貫民輔・松永光・江藤隆美・中山正暉・浜田幸一など)。
長尾 十三二(ながお とみじ、1924年2月8日 - )は、… 長尾 十三二(ながお とみじ、1924年2月8日 - )は、日本の教育学者。専門は西洋教育史。特にアドルフ・ライヒヴァイン(de:Adolf Reichwein)を研究した。 名古屋市出身。1952年東京文理科大学教育心理学特別研究生前期課程修了、65年「プロイセン絶対主義の崩壊過程における教育政策の研究 Abiturientenexamenの実施過程を通してみた」で東京教育大学教育学博士。東京教育大学助教授、教授、1975年立教大学教授、1985年中央大学文学部教授。93年退任。
尾関 雅則(おぜき まさのり、1924年(大正13年)1月2… 尾関 雅則(おぜき まさのり、1924年(大正13年)1月29日 - 2014年(平成26年)1月1日)は、日本の電気工学者。鉄道技術者。元鉄道総合技術研究所理事長。 愛知県名古屋市生まれ。旧制長野県立松本中学(長野県松本深志高等学校)、旧制松本高等学校理科を経て1946年東京帝国大学電気工学科卒業、同年運輸省に入省。1972年日本国有鉄道電気局長に転じ、1975年同理事。1979年日立製作所に転じ、1981年同取締役。1985年情報処理学会会長就任。1987年鉄道総合技術研究所理事長に就任し、1990年退職。
尾崎 知光(おざき さとあきら、1924年1月25日 - )… 尾崎 知光(おざき さとあきら、1924年1月25日 - )は、日本の国語学者・国文学者。専攻は国語学史・国学・古代文学。愛知県立大学名誉教授。 愛知県名古屋市生まれ。尾崎忠征、尾崎良知の子孫。1949年東京大学文学部国文学科卒業。1949年名古屋大学文学部文部教官三級、1955年愛知県立女子短期大学助教授、1957年愛知県立女子大学助教授、1961年同大学教授、1966年愛知県立大学教授。1988年、定年退職、愛知県立大学名誉教授、愛知淑徳大学文学部教授。1999年、定年退職。
外山 滋比古(とやま しげひこ、1923年〈大正12年〉11… 外山 滋比古(とやま しげひこ、1923年〈大正12年〉11月3日 - 2020年〈令和2年〉7月30日)は、日本の英文学者、言語学者、評論家、エッセイスト。文学博士。お茶の水女子大学名誉教授。全日本家庭教育研究会元総裁。 東京文理大英文科卒。専門の英文学にとどまらず、言語学・修辞学・教育学などを広範に研究。言葉のまとまった意味は、視覚に認められる現象と同じような作用によると考えた『修辞的残像』(1961年)を出発点として、日本語の論理、読者論などに新説を出し続けた。『シェイクスピアと近代』(1977年)では、読者論を実践的に示した。また、『異本論』(1978年)、『古典論』(2001年)などでは、従来否定的に扱われてきた異本の積極的な機能を再評価した。
下社 邦男(しもやしろ くにお、1923年10月26日 - … 下社 邦男(しもやしろ くにお、1923年10月26日 - 没年不明)は、愛知県出身の元プロ野球選手。ポジションは外野手。
大島 国雄(大島 國雄、おおしま くにお、1923年10月1… 大島 国雄(大島 國雄、おおしま くにお、1923年10月15日 - 2016年1月24日)は、日本の経営学者。 名古屋市出身。1944年陸軍士官学校卒、1950年愛知大学法経学部卒、75年「公企業に関する経営学的研究」で神戸大学経営学博士。50年運輸調査局研究員、1955年東京都立商科短期大学講師、助教授、教授、1966年青山学院大学経営学部教授、70-72年学部長、92年定年、名誉教授、駿河台大学教授。99年退職。ソビエト経営学が専門。
野々山 一三(ののやま いちぞう、1923年(大正12年)9… 野々山 一三(ののやま いちぞう、1923年(大正12年)9月24日 - 2013年(平成25年)1月19日)は、日本の労働運動家、政治家。参議院議員(2期)。 愛知県碧海郡富士松村(現・刈谷市井ケ谷町)の小作農の家に生まれる。高等小学校卒業後、国有鉄道米原機関区に就職した。1942年に日本国有鉄道名古屋鉄道教習所を卒業し、20歳で一人前の機関士となった。 召集され、1944年1月、フィリピン群島に送られる。同年夏、上陸用舟艇の艇長としてルソン島に転進。マニラ郊外に上陸後捕虜となる。1945年12月8日に輸送船に乗り、呉海兵団基地に帰還した。野々山の部隊は約960名編成されていたが、生存者はわずか20数名であった。
植田 隼美(うえだ はやみ、1923年9月20日 - )は、… 植田 隼美(うえだ はやみ、1923年9月20日 - )は、愛知県出身のプロ野球選手(外野手)。
鈴木 勝忠(すずき かつただ、1923年9月15日 - 20… 鈴木 勝忠(すずき かつただ、1923年9月15日 - 2012年6月3日)は、日本の日本近世文学研究者、岐阜大学名誉教授。 愛知県岡崎市生まれ。1943年、愛知第二師範学校卒業、入営。1953年、東京大学文学部国文科卒。愛知学芸大学講師、岐阜大学助教授、教授。1987年、定年退官、名誉教授、中京大学教授。1963年、東京大学国語国文学会賞受賞。1993年、芭蕉祭奨励賞受賞。2000年、勲三等旭日中綬章叙勲。没後正四位。 川柳・雑俳研究の第一人者で、『雑俳集成』を24巻のほか多く私家版を刊行した。
高橋 アキラ(たかはし あきら、本名:高橋 燎(あきら)、1… 高橋 アキラ(たかはし あきら、本名:高橋 燎(あきら)、1923年8月23日 - 2007年1月8日)は、日本の政治家。豊橋市長(4期)、愛知県議会議員(3期)、同議長(第62代)、豊橋市議会議員(2期)。 愛知県豊橋市菰口町出身。1941年(昭和16年)愛知県豊橋中学校(現・愛知県立時習館高等学校)卒業。1943年(昭和18年)12月、学徒出陣。1947年(昭和22年)3月、早稲田大学法学部卒業。同年10月、大同製鋼株式会社入社。1948年5月、有限会社高橋製糸場入社。 1963年(昭和38年)4月30日に行われた豊橋市議会議員に無所属で立候補し、トップで初当選を果たした。1967年の市議選は自由民主党公認で立候補し再選。
髙野 鎮雄(たかの しずお、1923年8月18日 - 199… 髙野 鎮雄(たかの しずお、1923年8月18日 - 1992年1月19日)は、日本ビクターの元副社長。事業部長だった頃にVHSの開発を指揮し、「VHSの父」「ミスターVHS」と呼ばれる。1986年に副社長に就任した。 愛知県碧海郡依佐美村(現・安城市)出身。旧制刈谷中学校(現・愛知県立刈谷高等学校)、浜松高等工業学校精密機械科(現・静岡大学工学部)を卒業。 日本光学工業(現・ニコン)に入社後、応召。1946年、日本ビクターに入社。 1986年6月、副社長に就任。エミー賞受賞。1989年、藍綬褒章受章。 1992年1月19日、死去。68歳没。墓は刈谷市の昌福寺にある。 VHS開発の経緯はNHKのドキュメンタリー番組「プロジェクトX〜挑戦者たち〜」で2000年4月4日に放送された「窓際族が世界規格を作った~VHS・執念の逆転劇~」で紹介され、大きな反響を呼んだ。
松本 和雄(まつもと かずお、1923年8月18日 - )は… 松本 和雄(まつもと かずお、1923年8月18日 - )は、愛知県出身の元プロ野球選手。ポジションは遊撃手。
星野 眞吾(ほしの しんご、1923年〈大正12年〉8月15… 星野 眞吾(ほしの しんご、1923年〈大正12年〉8月15日 - 1997年〈平成9年〉12月29日)は、昭和期から平成期にかけて活動した日本の画家である。妻は、同じく画家の高畑郁子(創画会会員)。 愛知県豊橋市魚町に生まれ、同県豊川市牛久保町で育った。豊橋第二中学校(現・豊橋東高等学校)在学中から、水彩画・油彩画を描くようになった。また、この時期に中村正義と出会った。 1944年(昭和19年)に京都市立絵画専門学校(現・京都市立芸術大学)図案科を、1948年(昭和23年)に京都市立美術専門学校(現・京都市立芸術大学)日本画科を卒業。同窓生11人と「グループ・パンリアル」(翌年、「パンリアル美術協会」に改称)の設立に参画した。
吉川 博(よしかわ ひろし、1923年5月18日 - 200… 吉川 博(よしかわ ひろし、1923年5月18日 - 2008年7月2日)は、日本の政治家。 愛知県海部郡十四山村長(4期)、愛知県議会議員(4期)、参議院議員(2期)、農林水産政務次官、参議院農林水産委員長などを歴任。地元では「水の神様」と呼ばれた。 愛知県海部郡十四山村(現弥富市)出身。祖父も父親も十四山村議会議員だった。1941年(昭和16年)3月、愛知県立津島中学校(現愛知県立津島高等学校)を卒業。その後、東京第三師範学校(現東京学芸大学)を卒業。 戦後、十四山村議会議員を務め、1949年(昭和24年)に十四山村長に初当選し、4期務めた。1965年(昭和40年)に、愛知学芸大学名古屋分校4年課程設置の陳情を行った。
大矢 雅彦(おおや まさひこ、1923年5月1日 - 200… 大矢 雅彦(おおや まさひこ、1923年5月1日 - 2005年3月3日)は、日本の地理学者(自然地理学)。早稲田大学名誉教授。葛飾区郷土と天文の博物館名誉館長。愛知県名古屋市出身。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
本田 実信(實信)(ほんだ みのぶ、1923年 <大正12年… 本田 実信(實信)(ほんだ みのぶ、1923年 <大正12年> 3月29日 - 1999年 <平成11年> 1月6日)は、日本の東洋史学者。文学博士(ケンブリッジ大学・1957年)。京都大学名誉教授。北海道大学教授・京都大学教授・名古屋商科大学教授を歴任。位階は正四位。勲三等旭日中綬章。 1923年、愛知県岡崎市生まれ。1949年東京帝国大学文学部東洋史学科を経て、東京大学大学院修了。1957年、ケンブリッジ大学に学位論文を提出して文学博士(Ph.D.)を取得。 英国留学からの帰国後、モンゴル帝国史、ティムール朝史、サファヴィー朝史等のペルシア語写本を中心とする重要写本のマイクロフィルムを大量に招来した。
小柳 輝一(こやなぎ てるいち、1923年2月24日 - 1… 小柳 輝一(こやなぎ てるいち、1923年2月24日 - 1996年8月1日)は、食物社会史家。ジャーナリスト。 愛知県名古屋市出身。法政大学専門部法律学科卒。 中日新聞、時事新報の記者をへて、食物社会史を研究し、著作をなした。
戸田 修三(とだ しゅうぞう、1923年2月14日 -201… 戸田 修三(とだ しゅうぞう、1923年2月14日 -2018年5月21日)は、日本の法学者。専門は商法。中央大学名誉教授。元中央大学学長。初代日本私立学校振興・共済事業団理事長。 愛知県一宮市生まれ。法学博士(中央大学・論文博士・1962年)。論文は 海上運送法における責任の体系。 名誉博士(エクス・マルセイユ第三大学)。 1944年中央大学専門部法学科卒業。1947年中央大学法学部卒業。1948年中央大学大学院(旧制)法学研究科中退。 中央大学法学部助手。1951年中央大学法学部助教授。1959年中央大学法学部教授。1965年中央大学評議員。1965年中央大学法学部長。1967年中央大学大学院法学研究科長。
杉江 文二(すぎえ ぶんじ、1923年1月15日 - )は、… 杉江 文二(すぎえ ぶんじ、1923年1月15日 - )は、愛知県出身のプロ野球選手(二塁手)。
鵜飼 勉(うがい つとむ、1923年1月15日 - )は、愛… 鵜飼 勉(うがい つとむ、1923年1月15日 - )は、愛知県出身のプロ野球選手(二塁手)。
岩原 信九郎(いわはら しんくろう、1923年1月2日 - … 岩原 信九郎(いわはら しんくろう、1923年1月2日 - 1978年2月3日)は、日本の心理学者。愛知県豊橋市出身。 愛知県豊橋市出身。1947年東京文理科大学心理学科卒。1949年ミズーリ大学に留学。帰国後、奈良女子大学助教授、東京教育大学助教授を経て、1972年教授、1976年筑波大学教授併任。薬理心理学、生理心理学の発展に寄与した。 1978年1月3日、急性心不全のため東京都豊島区西池袋の平塚胃腸病院にて死去。55歳。
前川 正義(まえかわ まさよし、1923年 - 没年不明)は… 前川 正義(まえかわ まさよし、1923年 - 没年不明)は愛知県出身のプロ野球選手(二塁手、三塁手、捕手)。