小多章裕(おだ あきひろ、1975年1月14日 - )は、日… 小多章裕(おだ あきひろ、1975年1月14日 - )は、日本の財務官僚。財務省主税局参事官兼国際租税総合調整官。 滋賀県高島市出身。滋賀県立安曇川高等学校、京都大学法学部卒業。1998年 大蔵省入省(理財局総務課)。2000年7月からタフツ大学フレッチャー法律外交大学院へ留学。国際関係論を専攻する。2002年7月 財務省国際局国際機構課通貨基金係長。2003年7月 国際局国際機構課企画係長。IMF(国際通貨基金)に関する政策とサミット、G7を担当。その後は法務省刑事局、主税局、関税局関税課参事官室、IDB(米州開発銀行)、大臣官房政策金融課などで勤務。2015年6月 関税局第一参事官室関税地域協力室長。
福田 誠(ふくた まこと、1973年3月24日 - )は、日… 福田 誠(ふくた まこと、1973年3月24日 - )は、日本の財務官僚。滋賀県出身。 滋賀県立彦根東高等学校では柔道部主将、滋賀県60㎏以下級第三位。 京都大学経済学部では吉田和男ゼミに所属。 財務省主計局主計企画官補佐(調整第一係主査)当時、滋賀報知新聞において、滋賀県知事選の候補として下馬評に出ているとの報道もあった。
松本 平(まつもと たいら、1967年〈昭和42年〉8月28… 松本 平(まつもと たいら、1967年〈昭和42年〉8月28日 - )は、日本の農林水産官僚。 滋賀県米原市出身。滋賀県立彦根東高等学校を経て、1992年(平成4年)3月、慶應義塾大学経済学部を卒業。同年4月、農林水産省に入省(Ⅰ種・経済)。福岡県農林水産部次長、農林水産省大臣官房食料安全保障課食料自給率向上対策室長、復興庁統括官付参事官、生産局畜産部牛乳乳製品課長、農村振興局総務課長、農林水産省大臣官房文書課長などを歴任。牛乳乳製品課長時代に畜産経営安定法の改正に携わった。 2021年(令和3年)7月1日、農産局農産政策部長に就任。コメ政策を担当した。 2024年(令和6年)7月5日、畜産局長に就任。
大森 恵子(おおもり けいこ、1967年〈昭和42年〉8月8… 大森 恵子(おおもり けいこ、1967年〈昭和42年〉8月8日 - )は、日本の環境官僚。 滋賀県甲賀市出身。滋賀県立膳所高等学校を経て、1990年(平成2年)3月に京都大学経済学部を卒業。国家公務員採用Ⅰ種試験(経済)に合格し、同年4月に環境庁入庁。 オランダエネルギー環境技術研究所短期留学、環境省大臣官房廃棄物・リサイクル対策部企画課循環型社会推進室長、大臣官房付(研究休職:京都大学)、総合環境政策局環境影響評価課長、総合環境政策局環境保健部環境保健企画管理課長、大臣官房会計課長、大臣官房秘書課長、大臣官房審議官(自然環境局等担当)、大臣官房サイバーセキュリティ・情報化審議官(併)大臣官房公文書監理官、関東地方環境事務所長、大臣官房政策立案総括審議官(総括、大臣官房、環境保健部等担当)、大臣官房地域脱炭素推進審議官を歴任。
上野 賢一郎(うえの けんいちろう、1965年〈昭和40年〉… 上野 賢一郎(うえの けんいちろう、1965年〈昭和40年〉8月3日 - )は、日本の政治家、自治・総務官僚。自由民主党所属の衆議院議員(7期)、厚生労働大臣(第30-31代)。 財務副大臣(第3次安倍第3次改造内閣・第4次安倍内閣・第4次安倍改造内閣)、国土交通大臣政務官(第2次安倍改造内閣・第3次安倍内閣)、衆議院内閣委員長、自由民主党財務金融部会長、同経済産業部会長、同滋賀県連会長などを務めた。 滋賀県長浜市出身。滋賀県立虎姫高等学校を経て、1990年に京都大学法学部卒業後、自治省へ入省。その後、岩手県庁に勤務した。2003年、総務省自治税務局都道府県税課長補佐を最後に退官。 2003年11月9日の第43回衆議院議員総選挙に、滋賀1区から自由民主党公認で出馬したものの、民主党現職の川端達夫に敗れ落選。
粕渕 功(かすぶち いさお、1962年1月25日 - )は、… 粕渕 功(かすぶち いさお、1962年1月25日 - )は、日本の公取官僚。公正取引委員会事務総局官房総括審議官を経て、公正取引委員会経済取引局長。 滋賀県大津市出身。滋賀県立膳所高等学校を経て、滋賀大学経済学部卒業。1984年公正取引委員会事務局入局、官房総務課配属。1993年在アメリカ合衆国日本国大使館二等書記官。1994年在アメリカ合衆国日本国大使館一等書記官。1998年公正取引委員会事務総局官房総務課審決訟務室長。2000年公正取引委員会事務総局経済取引局取引部取引企画課相談指導室長。2002年経済産業省商務情報政策局消費経済部消費経済対策課長。2004年公正取引委員会事務総局経済取引局取引部企業取引課長。
川嶋 真(かわしま まこと、1961年〈昭和36年〉10月3… 川嶋 真(かわしま まこと、1961年〈昭和36年〉10月3日 - )は、日本の財務官僚。 1961年(昭和36年)10月3日、滋賀県甲賀郡水口町(現在の甲賀市)で出生。 滋賀県立膳所高等学校を経て東京大学法学部を卒業したのち、1985年(昭和60年)4月、大蔵省に入省。大臣官房文書課に配属。1990年(平成2年)7月10日、高山税務署長。 国税庁長官官房企画課長、国税庁長官官房人事課長、仙台国税局長、国税庁課税部長、財務省大臣官房参事官兼大臣官房審議官(大臣官房担当)などを歴任。 2018年(平成30年)4月1日、独立行政法人造幣局理事長に就任。 2021年(令和3年)4月1日、財務省を退職。
久保 公人(くぼ きみと、1956年(昭和31年) - )は… 久保 公人(くぼ きみと、1956年(昭和31年) - )は、日本の文部官僚。文部科学省スポーツ・青少年局長などを歴任した。2016年4月より2024年3月まで、学校法人尚美学園理事長兼尚美学園大学学長。 滋賀県大津市に小学校の教師の家庭に生まれる。滋賀県立膳所高等学校を経て、京都大学法学部を卒業する。1980年(昭和55年)文部省に入省する。 2015年(平成27年)7月28日、文部科学省は久保スポーツ・青少年局長が辞任し、後任に高橋道和内閣官房教育再生実行会議担当室長を任命する人事を発表した。スポーツ・青少年局は、東京オリンピックの国立競技場建設を管轄しており、建設計画の白紙撤回に伴い、事実上の更迭と観測されている。
八幡 和郎(やわた かずお、1951年9月 - )は、日本の… 八幡 和郎(やわた かずお、1951年9月 - )は、日本の通産官僚、評論家、文筆家、歴史作家。徳島文理大学教授。 滋賀県大津市出身。1975年、東京大学法学部卒業後、通商産業省入省。入省同期に、太田房江、石田徹、三本松進、藤田昌央など。 入省後は官費留学生として、フランス国立行政学院に1980年から2年間留学する。在職中から論壇で盛んに執筆し、「朝まで生テレビ」に出演するなど、通産省の論客として知られる存在だった。 国土庁長官官房参事官、通産省大臣官房情報管理課長を経て、アジア経済研究所総務部次長を最後に1997年に退官。1998年の滋賀県知事選挙への出馬が取り沙汰されたが実現しなかった。 松下政経塾特別研究員を経て、2004年、徳島文理大学教授に就任。
小西 哲(こにし あきら、1949年9月13日 - 2001… 小西 哲(こにし あきら、1949年9月13日 - 2001年7月23日)は、日本の警察官僚、政治家、元衆議院議員。自由民主党員、派閥は橋本派所属。弟は元衆議院議員で近江八幡市長の小西理。 1949年9月13日、滋賀県近江八幡市で小西和彦、政子の長男として生まれた。野中広務の追悼演説によれば、少年期に両親の「慈愛に満ちた薫陶」や滋賀県の「自然の恵み」と「深い郷土愛」にはぐくまれたという。蒲生中学校(船岡中学校の前身)、彦根東高等学校、東京大学法学部を卒業。 1972年に警察庁に入庁し、広島県警交通指導課長に就任。1978年に厚生労働省公衆衛生局精神衛生課課長補佐、1982年に運輸省自動車局貨物課補佐官に就任。
岩崎 貞二(いわさき ていじ、1949年8月12日 - )は… 岩崎 貞二(いわさき ていじ、1949年8月12日 - )は、日本の国土交通官僚。海上保安庁長官を務めた。滋賀県大津市出身。 1974年に東京大学法学部を卒業し、同年に運輸省に入省。2001年に大臣官房審議官、2002年に航空局長、2006年に自動車交通局長を歴任し、2007年6月から2009年7月までに海上保安庁長官を務めた。2018年6月から全国レンタカー協会会長を務めている。
西村 吉正(にしむら よしまさ、1940年(昭和15年)12… 西村 吉正(にしむら よしまさ、1940年(昭和15年)12月15日 - 2019年(令和元年)9月8日)は、日本の官僚。元大蔵省銀行局長。早稲田大学教授。博士(学術)。滋賀県大津市出身。瑞宝中綬章受章者。
伊吹 迪人(いぶき みちと、1938年7月5日 - 2006… 伊吹 迪人(いぶき みちと、1938年7月5日 - 2006年1月14日)は、日本の官僚。
的場 順三(まとば じゅんぞう、1934年9月15日 - )… 的場 順三(まとば じゅんぞう、1934年9月15日 - )は、日本の大蔵・国土官僚。滋賀県出身。血液型はB型。第1次安倍内閣の内閣官房副長官(事務担当)を務めた。 大津市立皇子山中学校、滋賀県立大津東高等学校(現滋賀県立膳所高等学校)を経て、1957年 京都大学経済学部卒業後、大蔵省に入省(主計局総務課に配属)。同期に保田博(初代国際協力銀行総裁、大蔵事務次官、主計局長、大臣官房長)、内海孚(財務官、国際金融局長、在米国大使館公使)、森田一、藤田恒郎ら。 1962年7月 大臣官房調査課調査第二係長。1964年7月 伊勢崎税務署長。1973年7月 熊本県企画開発部長。主計局主計企画官(調整担当)、主計局調査課長、主計局主計官(文部、科学技術、文化担当)、主計局主計官(農林水産担当)、主計局総務課長などを経て、1982年6月 東京税関長。
武村 正義(たけむら まさよし、1934年〈昭和9年〉8月2… 武村 正義(たけむら まさよし、1934年〈昭和9年〉8月26日 - 2022年〈令和4年〉9月28日)は、日本の政治家、自治官僚、政治評論家。位階は従三位。 八日市市長、滋賀県知事(3期)、衆議院議員(4期)、新党さきがけ代表、内閣官房長官、大蔵大臣を歴任。政界引退後は龍谷大学客員教授、徳島文理大学大学院教授を務めた。 滋賀県蒲生郡玉緒村(現・東近江市柴原南町)の農家に生まれた。母を小学2年、祖父を中学3年、父を高校2年のときに亡くす。兄勘一。滋賀県立八日市高等学校では日本民主青年同盟に入って活動を行った。新聞部の部長だった2年生のとき、友人の書いた文章の内容が偏っているとして、担任が不掲載を求めた。
梅沢 節男(うめざわ せつお、1931年5月9日 - 201… 梅沢 節男(うめざわ せつお、1931年5月9日 - 2013年11月12日)は、日本の大蔵官僚。国税庁長官、公正取引委員会委員長などを歴任した。 旧制滋賀県立膳所中学校(現・滋賀県立膳所高等学校)を経て、京都大学法学部を卒業。同年、大蔵省に新制後期組で入省。同期に西垣昭(海外経済協力基金総裁、大蔵事務次官、主計局長、大臣官房長、理財局長、経済企画庁長官官房長)、大竹宏繁(大和銀行総合研究所初代理事長、経済企画庁事務次官、経済企画審議官)ら。 1982年当時、次官だった高橋元は元主税局長で、田中角栄内閣において税制二課長だった際、自動車新税を企画立案するなど税のエキスパートとして知られていた。省内では第二臨調が打ち出した「増税なき財政再建」が建前にすぎず、いずれ大型増税に踏み切ることを予想し、従来の主計局長 - 大蔵事務次官という省内バランスを崩して主税出身の高橋を次官に据え、福田幸弘主税局長(のち国税庁長官)とのラインでその布陣を敷いた。
西尾 寿男(にしお としお、1900年(明治33年)1月8日… 西尾 寿男(にしお としお、1900年(明治33年)1月8日 - 1990年(平成2年)10月29日)は、日本の鉄道省・運輸省官僚。日本交通公社(現・JTB)初代社長。鉄道弘済会や日本ホテル協会理事長を歴任した。 滋賀県彦根市出身。麹町小学校、第一高等学校等を経て、東京帝国大学卒業。高等文官試験行政科に合格し鉄道省(後に運輸省)に入省。仙台鉄道局長、運輸局旅客課長などを歴任した。戦後は財団法人鉄道弘済会理事長を務めるが、在任中の1954年、贈収賄により東京地検特捜部によって元参院議員高田寛と共に逮捕された(いわゆる陸運疑獄に発展)。これを機に運輸省を退官し、1955年に日本交通公社(現・JTB)の株式会社となってから初の代表取締役社長に就任し、後に会長を歴任した。
菅 健次郎(かん けんじろう、明治28年(1895年)5月6… 菅 健次郎(かん けんじろう、明治28年(1895年)5月6日 - 昭和21年(1946年)4月1日)は、日本の鉄道官僚、柔道家。国鉄バス創始者とも言われる。 滋賀県甲賀郡水口町(現在の甲賀市)出身。水口小学校卒業、旧制膳所中学校、第五高等学校を経て、1921年(大正10年)に東京帝国大学法学部法律学科(独法)を卒業。講道館柔道七段を授けられている。 鉄道省に入省。在外研究員となり、1928年(昭和3年)にアメリカに渡り、自動車運輸の重要性に着眼し、2年半、欧米にて調査研究を行った。省営自動車(旧国鉄バスの前進)の創設に尽力した。当時は外国産のバスに押され、国産バスについても外国製部品の組み立てが多く、完全な国産はできていなかったところ、運輸局長久保田敬一の指示により、国産バスの開発を推進した。
大海原 重義(おおみはら しげよし、1882年(明治15年)… 大海原 重義(おおみはら しげよし、1882年(明治15年)11月8日 - 1940年(昭和15年)11月21日)は、日本の内務官僚。府県知事。位階および勲等は正四位・勲二等。 滋賀県犬上郡彦根町出身。旧彦根藩士・大海原尚義(近江鉄道、大日本製糖重役)の長男として生まれる。三重県第一中学校、学習院高等科を経て、1908年、東京帝国大学法科大学を卒業し大学院に進む。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。1909年2月、内務省に入り香川県属となる。 以後、香川県事務官、熊本県事務官、埼玉県警察部長、千葉県警察部長、長崎県警察部長、内務省警保局事務官兼内務書記官、東京府内務部長などを歴任。 1922年10月、山梨県知事に就任。
横田 香苗(よこた かなえ、弘化2年8月21日〈1845年9… 横田 香苗(よこた かなえ、弘化2年8月21日〈1845年9月22日〉 - 1912年〈大正元年〉10月18日)は、明治時代の賞勲局官僚。賞勲局副総裁。錦鶏間祗候。 彦根藩士の横田俊輔の二男として近江国犬上郡彦根城下(滋賀県彦根市)に生まれ、のち横田和四郎の養子となる。内閣賞勲局に奉職し、同書記官を務めた。1898年(明治31年)10月、賞勲局副総裁に就任し、1912年(明治45年)5月24日、錦鶏間祗候を仰せ付けられた。墓所は青山霊園。
広瀬 進一(ひろせ しんいち、1845年3月19日(弘化2年… 広瀬 進一(ひろせ しんいち、1845年3月19日(弘化2年2月12日)- 1904年(明治37年)7月29日)は、日本の法制官僚。官選秋田県知事。旧名・篤譲。 本籍・東京府。近江国犬上郡(後の日夏村字古屋、現:彦根市)で、浄土真宗・専精寺住職、広瀬天超の長男として生まれる。漢籍を学び、幕末には三条実美の知遇を得、諸藩の志士と交際した。廃藩置県後に上京し、1871年11月10日(明治4年9月28日)、正院十等出仕となる。 1874年9月、小野梓らが結成した啓蒙団体「共存同衆」に参加。1876年5月、法制局一等書記に就任。1880年9月、太政官権少書記官となる。以後、参事院議官補、法制局参事官、兼行政裁判所評定官などを歴任。
三宮 義胤(さんのみや よしたね、1844年2月12日〈天保… 三宮 義胤(さんのみや よしたね、1844年2月12日〈天保14年12月24日〉- 1905年〈明治38年〉8月14日)は、幕末の尊王攘夷派活動家で、明治期の外務官僚・宮内官僚。華族(男爵)に列した。幕末期には「三上兵部」と名乗った。 近江国志賀郡真野浜村(現:滋賀県大津市)に、真宗正源寺住職・三上円海の長男として生まれる。 幕末の動乱期には尊王攘夷派活動家(志士)として国事に奔走。岩倉具視らと交流を持ち王政復古運動に参加した。1867年(慶応3年)には高野山で挙兵。戊辰戦争では各地に転戦し、功績があった。1869年(明治2年)には賞典禄として50石が与えられた。 兵部省に勤務したのち、1870年(明治3年)には東伏見宮彰仁親王(のちの小松宮)の英国留学に随行する。
西村 捨三(にしむら すてぞう、天保14年7月29日(184… 西村 捨三(にしむら すてぞう、天保14年7月29日(1843年8月24日) - 明治41年(1908年)1月14日)は、日本の武士、官僚、政治家。沖縄県令(第4代)、大阪府知事(第6代)、初代内務省警保局長などを務めた。
大音 龍太郎(おおど りゅうたろう/おおと りょうたろう、天… 大音 龍太郎(おおど りゅうたろう/おおと りょうたろう、天保11年2月19日〈1840年3月22日〉 - 1912年〈大正元年〉11月23日)は、幕末から明治初期の地方官僚。幕末の志士(彦根藩郷士)。姓は伊賀。字は厚龍、雅号に菱陀。幕臣・小栗忠順の処刑に関与したことで知られる。上野国岩鼻県知県事として強権を振るったことで「首切り龍太郎」の異名をとり恐れられたが、住民から罷免要求が出され半年で免職となった。 大音龍太郎は、天保11年2月19日[要出典](1840年3月22日)、近江伊香郡大音村(現・滋賀県長浜市木之本町大音)に生まれた。父の周倫は厚斎と号する医者で、彦根藩の北国街道柳ヶ瀬の関守を勤める郷士であった。
田部 密(たなべ ひそか、1838年2月16日(天保9年1月… 田部 密(たなべ ひそか、1838年2月16日(天保9年1月22日) - 1910年(明治43年)10月5日)は、幕末彦根藩士、明治期代の地方官僚・実業家・漢学者。 1838年2月16日((旧暦)天保9年1月22日)近江犬上郡彦根城下上藪下町の同藩足軽谷口他三郎の次男として誕生し、同じ足軽の田部全次の養子となる。両家とも8石取りと伝えられている。通称は全蔵又は先蔵と称した。藩校弘道館で学び、特に漢学を修めた。 文久・元治より慶応・明治維新の間、藩の外交掛りに属し、諸藩の志士と交わり、大東義徹・川上吉太郎・外村省吾・西村捨三・西川吉輔・大音竜太郎等と共に活動した。特に1866年(慶応2年)第二次長州征討に際して、岩国藩用人であり漢学者であった塩谷鼎助を介し秘密裏の交渉を取り持った(『吉川経幹周旋記』)。
巖谷 一六(いわや いちろく、天保5年2月8日〈1834年3… 巖谷 一六(いわや いちろく、天保5年2月8日〈1834年3月17日〉 - 1905年〈明治38年〉7月12日)は、近江国(滋賀県)出身の書家、官僚、漢詩人。本名は修(しゅう)(幼名は辨治、ついで迂也)、字は誠卿。特に書家として名高く、一六(一六居士)はその号で、別号に迂堂・古梅・金粟道人などがある。日本近代児童文学の創始者と評される巖谷小波はその三男。 天保5年(1834年)、近江国甲賀郡水口(現在の滋賀県甲賀市)に生まれる。巌谷家は代々水口藩加藤家の侍医で、姓は正しくは「巖谷」と記す。ただしもとは「岩谷」で一六の時に字を改めたものである。 父玄通が天保10年(1839年)一六が6歳の時に亡くなり、家督を嗣ぐも幼少のため、しばらくして母利子とともに京都に赴き、同地で医術を三角棣園に、漢籍を皆川西園・家里松嶹に、書を安見氏に学んだ。
嘉納 希芝(かのう まれよし、文化10年10月24日〈181… 嘉納 希芝(かのう まれよし、文化10年10月24日〈1813年11月16日〉 - 明治18年〈1885年〉9月15日)は、日本の廻船業者(江戸時代)、官吏(明治時代)。通称は治郎作、次郎作とも。幼名は幸丸。 講道館の創始者である嘉納治五郎は希芝の三男。 文化10年10月24日(1813年11月16日)、近江国坂本村に、日吉大社の神職・生源寺希烈の次男として生まれる(四男という説もある。)。嘉納家に逗留していた際に論語を教えたことが縁で、嘉納家二代目当主・嘉納治作の娘である定子と結婚した。その後、養父の治作を継いで摂津国御影村の廻船問屋の廻船業を継いだ。 文久2年(1862年)、勝海舟の指導を受け、和田岬、神戸・西宮の砲台築造工事を請け負った。
藤嶋 正信(ふじしま まさのぶ)は、日本の財務官僚。内閣府沖… 藤嶋 正信(ふじしま まさのぶ)は、日本の財務官僚。内閣府沖縄振興局総務課長。 滋賀県彦根市出身。洛南高等学校から京都大学に入学。京都大学大学院経済学研究科を修了し、2002年 財務省入省(理財局財政投融資総括課)。同期入省には浅賀崇、梅村元史、小岩徹郎、藤中康生らがいる。財政投融資制度の企画・立案、財政投融資計画の策定などに関する取りまとめを担った。2004年 仙台国税局調査査察部国税調査官。 その後は大臣官房秘書課長補佐(大臣政務官秘書官) 、主税局総務課長補佐、主税局総務課長補佐(総括)兼主税局総務課税制企画室長などを務める。 2021年10月27日 外務省在中国大使館参事官。2024年7月1日 大臣官房付。