宇尾 淳子(うお じゅんこ、1926年10月12日 - 20… 宇尾 淳子(うお じゅんこ、1926年10月12日 - 2006年9月11日)は、日本の生物学者(専門は昆虫生理学、内分泌学)。 大阪府大阪市出身。男爵・西五辻光仲の三女。夫は核融合の研究で知られる宇尾光治。 1948年奈良女子高等師範学校卒業。1951年京都大学理学部動物学科卒。1952-1953年純心女子短期大学(長崎)講師。1957年京都大学大学院(旧制)修了。1961年「鱗翅目昆虫の神経分泌系の電子顕微鏡的研究」で理学博士。1955-1964年海星女子学院短期大学助教授、教授、1962-1967年アメリカ・プリンストン大学研究員、西ドイツ・ミュンヘン大学助手、イギリス・オックスフォード大学研究員、1967-1985年塩野義製薬研究所主任研究員、1975年オーストラリア・アデレード大学客員教授。
島津 忠夫(しまづ ただお、1926年9月18日 - 201… 島津 忠夫(しまづ ただお、1926年9月18日 - 2016年4月16日)は、日本の国文学者。瑞宝中綬章受章。 1926年、大阪府大阪市生まれ。住吉中学校、大阪第一師範学校を経て、京都大学文学部に進学。1950年、同大学を卒業。 卒業後は、市岡高校、住吉高校で教諭を務め、その後、佐賀大学文理学部助教授に就いた。愛知県立大学助教授に転じ、後に教授に昇任。その後、大阪大学教授に就任。1978年、学位論文『連歌史の研究』を大阪大学に提出して文学博士の学位を取得。大阪大学を退任後は、名誉教授となった。その後は武庫川女子大学で教鞭をとった。 自身も歌人として歌を詠み、歌誌『マグマ』、『日本歌人』に所属。
松川 博爾(まつかわ ひろじ、1926年8月30日 - 20… 松川 博爾(まつかわ ひろじ、1926年8月30日 - 2007年1月5日)は、大阪府出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。
三好 潤子(みよし じゅんこ、1926年8月15日 - 19… 三好 潤子(みよし じゅんこ、1926年8月15日 - 1985年2月20日)は、日本の俳人。本名、三好みどり。 大阪府大阪市に生まれる。 1939年に大阪市三先尋常小学校を、1947年に大阪女学院(ウヰルミナ女学院)を卒業する。小学校在学中の1935年には急性虫垂炎や右腎結核を、女学院在学中には中耳結核や急性肝炎を患い、生涯病に悩まされる。 また1938年1月8日には自宅が大阪市港区夕凪橋の自宅を延焼により失い、1941年に再建。その自宅を旅館「夕凪橋」として母が経営することとなったが、1947年に5人組の強盗に押し入られる。自身は2階におり難を逃れたため、機転を利かせて逮捕に協力。このことから、母とともに警察から表彰されたが、その時の築港警察署の司法主任が後に師事することとなる榎本冬一郎であった。
八木 大介(やぎ だいすけ、1926年8月9日 - 2012… 八木 大介(やぎ だいすけ、1926年8月9日 - 2012年4月20日)は、日本の作家、政治家。位階は正五位。参議院議員(1期)。本名は木本 平八郎(きもと へいはちろう)。 大阪府枚方市出身。1951年、京都大学経済学部を卒業し、協和交易(後の三菱商事)へ入社。コロンビア三菱商事副支配人や機械総括部次長などを務める。1981年3月に『青年重役』が日本経済新聞の懸賞経済小説に当選し、著述業にも手を広げた。 1983年5月1日、定年まで1年半を残して退社。翌月の第13回参議院議員通常選挙に家族の反対を押し切って立候補し、サラリーマン新党から比例区で当選を果たす。この時、数年の間に大きく境遇が変化したことを「経済学部から文学部に移って、今度は法学部に来てしまったようなもの」と喩えた。
星野 英一(ほしの えいいち、1926年7月8日 - 201… 星野 英一(ほしの えいいち、1926年7月8日 - 2012年9月27日)は、日本の法学者。専門は民法。東京大学名誉教授。日本学士院会員、文化功労者。
広岡 隆(ひろおか たかし、1926年6月29日 - 200… 広岡 隆(ひろおか たかし、1926年6月29日 - 2009年)は、日本の法学者。専門は、行政法・行政代執行。 大阪府河南町生まれ。1949年京都帝国大学法学部卒。1962年「行政上の強制執行の研究」で、京都大学より法学博士の学位を授与される。 大阪学芸大学助教授、関西大学法学部助教授、関西学院大学法学部助教授、教授、96年定年、名誉教授、関西外国語大学教授。『アメリカ現代詩におけるホイットマン像』の著者、廣岡實は実弟。
岡崎 義人(おかざき よしひと、1926年5月28日 - 2… 岡崎 義人(おかざき よしひと、1926年5月28日 - 2005年2月25日)は、プロ野球球団阪神タイガースの元球団社長。大阪府大阪市出身。 1949年京都大学法学部を卒業し、1949年に阪神電気鉄道に入社した。 1976年には球団常務に就任し、1978年から球団代表を務め、1978年のドラフト会議では江川卓、翌年のドラフト会議では岡田彰布の抽選を引き当てた。1985年10月に日本航空123便墜落事故で死去した中埜肇の後継として球団社長に就任した。その年の11月には阪神タイガースは球団初の日本一を果たした。1988年に退任した。 2005年2月25日に心不全ため死去。78歳没。 大学時代には野球部に所属して二塁手として活躍しており、現場に理解がある球団幹部とも言われていた。
泉州山 久義(せんしゅうざん ひさよし、1926年5月28日… 泉州山 久義(せんしゅうざん ひさよし、1926年5月28日 - 没年不明 )は、春日野部屋に所属した元力士。元年寄・14代千田川。本名は川崎 久義(かわさき ひさよし)。現在の大阪府貝塚市出身。身長176cm、体重81kg。最高位は西十両2枚目。得意技は突っ張り、左四つ。 浪速中学在学時に春日野の後援者に見出されて、中退し、1940年5月場所で初土俵を踏んだ。突っ張りを武器に順調に番付を上げ、1946年11月場所東幕下4枚目で5勝2敗で勝ち越し、翌場所の十両昇進を確実にした。しかし、場所後の四国巡業中に南海大地震に遭い、宿舎の2階から転落し肋骨を折る大怪我を負った。1947年6月場所で十両昇進。
大川 功(おおかわ いさお、1926年5月19日 - (20… 大川 功(おおかわ いさお、1926年5月19日 - (2001-03-16) 2001年3月16日(満74歳没))は、日本のベンチャーの父であり、株式会社CSKの創業者。元CSK社長・会長、セガ・エンタープライゼス会長、ニュービジネス協議会会長。日本の富豪である。1998年11月に個人資産2700万USDをマサチューセッツ工科大学(MIT)に寄付したことから、MITが「Okawa Center for Future Children」設立を発表。また2001年1月には、家庭用ゲーム機分野からの撤退を決めた株式会社セガに個人資産約850億円を寄付をした。ナパ・バレーのワイン農園などを所有する。一般財団法人大川ドリーム基金は、大川功氏の意志に基づき、先端的新産業分野におけるベンチャー企業家・事業創造者への助成や支援、アントレプレナーの育成を通じてベンチャー企業の振興・発展を図ること等を目的として2010年7月に発足した。
松本 善明(まつもと ぜんめい、本名:まつもと よしあき、1… 松本 善明(まつもと ぜんめい、本名:まつもと よしあき、1926年5月17日 - 2019年6月24日)は、日本の弁護士、日本共産党名誉役員、公益財団法人いわさきちひろ記念事業団評議員。元衆議院議員。最初の妻は画家のいわさきちひろ(1974年死別)。 大阪府生まれ。北野中学校(現:大阪府立北野高等学校)卒業。海軍兵学校(75期)で終戦を迎え、1948年(昭和23年)東京大学法学部政治学科在学中に日本共産党に入党。1949年(昭和24年)大学を卒業して国会秘書となり、1950年(昭和25年)にいわさきと結婚。1951年(昭和26年)司法試験合格、1952年(昭和27年)に司法修習生となり、1954年(昭和29年)からは弁護士として、松川事件やメーデー事件、労働争議に関わる。
河野 多惠子(こうの たえこ、1926年(大正15年)4月3… 河野 多惠子(こうの たえこ、1926年(大正15年)4月30日 - 2015年(平成27年)1月29日)は、日本の小説家。本名・市川多惠子(旧姓・河野)。日本芸術院会員、文化功労者、文化勲章受章者。位階は従三位。 心身の被虐をテーマにした『幼児狩り(英語版)』(1962年)で認められ、『蟹』(1963年)で芥川賞を受賞。以後、自身の性を客観視できる作家として、文壇的地歩を固めた。ほかに『不意の声』(1968年)、『回転扉』(1970年)など。 大阪府生まれ。西道頓堀の椎茸問屋の娘。1947年(昭和22年)旧制大阪府女子専門学校経済科(新制大阪女子大学の前身、現大阪府立大学)卒業。1950年(昭和25年)、丹羽文雄主宰の『文学者』同人となる。
平松 保城(ひらまつ やすき、1926年4月30日 - ) … 平松 保城(ひらまつ やすき、1926年4月30日 - ) は、大阪府池田市出身の工芸家。東京藝術大学名誉教授。日本ジュウリーデザイナー協会顧問、日本クラフトデザイン協会会員。作品は東京国立近代美術館、皇居、東京藝術大学資料館、フォルツハイム市立美術館、ロイヤル・カレッジ・オブ・アート、エジンバラ美術館、ヴィクトリア&アルバート博物館等に収蔵。 (51~54年、56年)
金山 康喜(かなやま やすき、1926年4月26日-1959… 金山 康喜(かなやま やすき、1926年4月26日-1959年6月16日)は、日本の洋画家である。
端田 泰三(はしだ たいぞう、1926年(大正15年)4月3… 端田 泰三(はしだ たいぞう、1926年(大正15年)4月3日 - 2008年(平成20年)11月2日)は、日本の実業家、銀行家、企業経営者。富士銀行(現みずほフィナンシャルグループ)元頭取、会長、相談役。大阪府大阪市東区(現中央区)瓦町(所謂船場地区)出身。
土田 衞(つちだ まもる、1926年3月23日 -2023年… 土田 衞(つちだ まもる、1926年3月23日 -2023年5月4日)は、日本の演劇研究者。専門は近世期の演劇。大阪女子大学名誉教授。河竹賞受賞。 大阪市生まれ。1948年京都帝国大学文学部国文科卒業、大阪府立池田高等学校教諭。1961年京都大学文学部大学院退学、愛媛大学文理学部助教授。1971年同教授。1975年大阪女子大学学芸学部教授、1989年退職、名誉教授、佛教大学教授。 1989年『歌舞伎絵尽し年表』(須山章信共編)で河竹賞受賞。2004年4月、瑞宝中綬章受章。
久米 三四郎(くめ さんしろう、1926年3月22日 - 2… 久米 三四郎(くめ さんしろう、1926年3月22日 - 2009年8月31日)は、日本の核化学者。大阪府出身。 旧制大阪府立高津中学校、旧制高知高等学校、大阪帝国大学卒業。製薬会社勤務を経て、大阪大学理学部講師を務めるかたわら、反原発の運動家として全国各地で多数の講演を行った。反原発運動全国連絡会を結成し、『はんげんぱつ新聞』の発刊に携わるなどの活動もあった。 1973年、国内で初めて原発の安全性が問われた、四国電力の伊方原子力発電所設置許可取り消し請求訴訟において、原告(住民)側補佐人を務めた。 高速増殖原型炉もんじゅの設置許可の無効確認を求めた行政訴訟(もんじゅ訴訟)でも、原告側の特別保佐人として、建設に反対の論陣を張った。
辻 久子(つじ ひさこ、本名:坂田 久子、1926年3月16… 辻 久子(つじ ひさこ、本名:坂田 久子、1926年3月16日 - 2021年7月13日)は、日本のヴァイオリニストである。大阪芸術大学名誉教授。辻久子弦楽塾塾長。
藤田 田(ふじた でん、1926年〈大正15年〉3月13日 … 藤田 田(ふじた でん、1926年〈大正15年〉3月13日 - 2004年〈平成16年〉4月21日)は、日本の実業家。大阪府大阪市東淀川区出身。輸入雑貨販売店「藤田商店」「日本マクドナルド」「日本トイザらス」「日本ブロックバスター」創業者。 大阪府大阪市東淀川区に生まれる。3歳の時に千里山へ移住した。通学した三島郡千里第二尋常小学校で、成績は優秀だが母が教師に付け届けをせず、内申書の表現が良く記されずに一浪して十三の旧制北野中学へ進学した。 卒業後に戦火が激しくなったことから大阪を離れ、1944年に旧制松江高校を経て東京大学法学部へ入学。光クラブを経営する山崎晃嗣が1級上におり、後述する関係であった。
中島 達二(なかじま たつじ、1926年3月2日 - 200… 中島 達二(なかじま たつじ、1926年3月2日 - 2001年3月18日)は、日本の経営者、工学博士。日本板硝子社長を務めた。 大阪府大阪市出身。1947年に京都大学工学部電気工学科を卒業し、同年に逓信省に入社。1982年7月に日本板硝子に転じ、1984年6月に取締役に就任し、1986年6月に常務を経て、1988年6月に社長に就任。1992年6月に副会長に就任し、1994年6月には相談役に就任。 1996年4月に勲三等旭日中綬章を受章。 2001年3月18日心不全のために死去。75歳没。
吉田 仙太郎(よしだ せんたろう、1926年2月 - 201… 吉田 仙太郎(よしだ せんたろう、1926年2月 - 2015年4月)は、日本のドイツ文学者、翻訳家。大阪女子大学名誉教授。関西チェコ / スロバキア協会顧問。 大阪府生まれ。。旧制大阪府立住吉中学校、旧制大阪高等学校、広島高等学校を経て、1951年に京都大学独文科卒。岡山大学講師、大阪女子大学助教授、教授。1988年定年退官、名誉教授。 トーマス・マンやホーフマンスタールなど主に20世紀のドイツ語作家について研究した。フランツ・カフカが専門。新潮社「全集」版では膨大な手紙を訳・担当した。大阪女子大学時代の弟子・中堂恒朗によれば、その訳業は学会でも高く評価されたという。 1963年から、大阪府立大学と大阪女子大学との混声合唱団EWA CHORで顧問を務めた。
駒田 桂二(こまだ けいじ、1926年1月30日 - 201… 駒田 桂二(こまだ けいじ、1926年1月30日 - 2012年8月1日)は、大阪府布施市(現:東大阪市)出身のプロ野球選手。 1949年シーズン中に東洋紡績から大阪タイガースに入団。当初は制球力に難があったが、それを克服し1950年に頭角を現し7勝を挙げる(6敗)。カーブが武器の投手であった。翌1951年には11勝を挙げる。その後は、先発投手としてチームを支えた。1956年オフに退団し、東洋紡績に復帰した。2012年8月1日、死去。86歳没。 投手でありながらバッティングセンスも良く、通算で.217の打率を記録している。また通算本塁打数は1951年に記録した1本のみであるものの、後述の「幻の本塁打」をも含めると(通算のみならず、1951年のシーズンを含めて)2本打ったことになる。
榎原 猛(えはら たける、1926年(大正15年)1月22日… 榎原 猛(えはら たける、1926年(大正15年)1月22日 - 2004年(平成16年)6月28日)は、日本の憲法学者。大阪大学名誉教授。元甲子園短期大学長。法学博士。大阪府吹田市出身。
森岡 敞(もりおか たかし、1926年頃 - 1981年5月… 森岡 敞(もりおか たかし、1926年頃 - 1981年5月8日)は自治官僚。大阪府大阪市出身。義兄は首藤堯。 1948年に東京大学法学部を卒業し、自治省の前身である全国選挙管理委員会に入る。 財政、税務畑が長く、市町村税課長、固定資産税課長、府県税課長、財政課長、財政担当審議官、税務局長、財政局長を経て、1979年10月に自治事務次官となる。 自治事務次官在任中の1981年5月に小脳膿瘍で急死した。享年55歳。 浪花節的な人情家の親分タイプで先輩への義理は厚く、部下思いであったことから、自治省内で慕う者が多かった。ただ、3代前の次官であった松浦功とはソリが合わなかった。
佐藤 武男(さとう たけお、1925年12月4日 - 201… 佐藤 武男(さとう たけお、1925年12月4日 - 2010年6月15日)は、日本の医師。 大阪府堺市生まれ。1951年大阪大学医学部卒、56年医学博士。大阪大学医学部耳鼻咽喉科講師、1975年熊本大学教授、1979年大阪府立成人病センターに移り、院長を務め、のち名誉総長。喉頭がんが専門で、近藤誠の「がんもどき」理論を批判した。
浅茅 しのぶ(あさじ しのぶ、1925年11月14日 - )… 浅茅 しのぶ(あさじ しのぶ、1925年11月14日 - )は、日本の女優。本名:木全鈴子。大阪府大阪市出身。志母沢事務所に所属していた。 宝塚歌劇団出身(28期生。在団1938年 - 1954年)。同期に1963年から1976年まで月組組長を務めた美山しぐれがいる。宝塚入団時の成績は29人中16位。 宝塚歌劇団在団中の1953年6月13日、ベルリン国際映画祭に出席の為に山口淑子・川喜多長政・稲垣浩監督・五所平之助監督とともに西ドイツへ出発。約1ヶ月半後の同年7月29日に稲垣監督と共に帰国。当時はまだ海外渡航自由化の遥か前で、大変貴重なヨーロッパ訪問となった。日本出発時の飛行機のタラップ(屋根なし)での写真が現存する。
阪田 寛夫(さかた ひろお、1925年10月18日 - 20… 阪田 寛夫(さかた ひろお、1925年10月18日 - 2005年3月22日)は、日本の詩人、小説家、児童文学作家として、小説・詩・作詞など幅広く執筆した。 大阪府大阪市に生まれた。阪田家は、代々紺屋の屋号であり安芸国忠海(現:広島県竹原市忠海)で海運業を営んでいた。寛夫の祖父・阪田恒四郎が38歳の時、広島から大阪に出て興したのが阪田インキ製造所(後のサカタインクス)。寛夫の父・素夫は同社の二代目社長であった。600坪の屋敷で3人兄弟の末弟として育つ。 熱心なキリスト教徒の家庭に育ち、母・京は同志社女子専門学校英文科の卒業生で、アメリカから来た教師に西洋料理をたくさん学んだハイカラな女性だった。
小野 一一郎(おの かずいちろう、1925年10月10日 -… 小野 一一郎(おの かずいちろう、1925年10月10日 - 1996年12月7日)は、経済学者。京都大学名誉教授。 大阪市出身。1949年京都帝国大学経済学部卒、大阪市立大学経済研究所に入所。1951年京都大学助手、1956年助教授、1970年教授。1989年定年退官、名誉教授、阪南大学教授。
上田 吉一(うえだ よしかず、1925年10月3日 - 20… 上田 吉一(うえだ よしかず、1925年10月3日 - 2005年12月17日)は、日本の教育哲学者、心理学者。姫路工業大学名誉教授。 大阪府茨木市出身。1952年京都大学文学部哲学科卒業。1968年「精神的に健康な人格の概念に関する研究」で京大教育学博士。姫路工業大学講師、助教授、教授、名誉教授、兵庫教育大学教授、龍谷大学教授。1996年退職。人間主義心理学を提唱した。
榎並 達郎(えなみ たつろう、1925年9月22日 - )は… 榎並 達郎(えなみ たつろう、1925年9月22日 - )は、大阪府出身の元プロ野球選手。
長谷川 卓也(はせがわ たくや、1925年9月17日 - 2… 長谷川 卓也(はせがわ たくや、1925年9月17日 - 2021年7月27日)はフリーライター、出版史研究者。 日本推理作家協会会員。現代風俗研究会、雑学倶楽部、書皮友好協会各会員。 大阪市生まれ。旧制官立大阪工専(現大阪公立大学工学部)卒業。元東京新聞記者。元東京田辺製薬役員。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
大沢 喜好(おおさわ きよし、1925年7月21日 - 生死… 大沢 喜好(おおさわ きよし、1925年7月21日 - 生死不明 )は、大阪府出身の元プロ野球選手。 京阪商業学校から1946年にパシフィックへ入団。同年途中にセネタースへ移籍。
荒木 茂(あらき しげる、1925年7月1日 - 生死不明)… 荒木 茂(あらき しげる、1925年7月1日 - 生死不明)は、大阪府池田市出身の元プロ野球選手。ポジションは内野手。 浪華商業ではエースピッチャー。1946年に阪急軍へ入団。1試合登板し、すぐに内野手へ転向。1950年に新球団の大洋ホエールズへ移籍。1952年に引退。 引退後は大阪でゴルフ場の支配人になった。
丸山 二三雄(まるやま ふみお、1925年5月23日 -20… 丸山 二三雄(まるやま ふみお、1925年5月23日 -2006年)は、大阪府出身の元プロ野球選手、社会人野球選手。ポジションは投手。 京阪商業から1943年に南海軍へ入団。1945年に召集され、復帰した1946年に25勝を挙げ、1947年も10勝を挙げている。1949年に中日ドラゴンズへ移籍。1951年は大洋ホエールズに移籍し、この年に引退した。カーブ、シュートボールを武器とするが、制球難の為、崩れやすい特徴があった。 プロを引退した翌年の1952年から、尼崎中央商店街にあったキャバレー春美の野球部にて社会人野球で現役を続行、1952年の第2回日本産業対抗野球大会(サンベツ)で春美が「百貨店・商業部門」代表として出場した。
橋田 壽賀子(はしだ すがこ、1925年〈大正14年〉5月1… 橋田 壽賀子(はしだ すがこ、1925年〈大正14年〉5月10日 - 2021年〈令和3年〉4月4日)は、日本の脚本家、劇作家、タレントである。本名:岩崎 壽賀子(いわさき すがこ)(旧姓:橋田)。位階は従三位。静岡県熱海市名誉市民。 1949年(昭和24年)、松竹に入社し、脚本部に配属される。1964年(昭和39年)『袋を渡せば』でテレビドラマの脚本家デビュー。同年、東芝日曜劇場のために執筆した『愛と死をみつめて』の脚本が話題となって以後、テレビドラマの脚本家として話題作・ヒット作の数々を世に送り出した。 代表作は『おんな太閤記』、『おしん』、『いのち』、『橋田壽賀子ドラマ おんなは一生懸命』、『春日局』、『渡る世間は鬼ばかり』、『橋田壽賀子スペシャル 源氏物語 上の巻・下の巻(光源氏第1部・第2部)』、『おんなは度胸』、『春よ、来い』、『なるようになるさ。
小林豊(こばやし ゆたか、1925年5月9日- )は、日本の… 小林豊(こばやし ゆたか、1925年5月9日- )は、日本の放送作家。 大阪府泉佐野市生まれ。大阪外国語大学ドイツ語科卒。放送作家として朝日放送テレビ「味をたずねて」、FM大阪「うまいものあれこれ」などを担当。大阪樟蔭女子大学非常勤講師。
森 英雄(もり ひでお、1925年4月1日 - 2001年5… 森 英雄(もり ひでお、1925年4月1日 - 2001年5月10日)は、日本の実業家。住友化学社長を務めた。 大阪府大阪市出身。1947年に京都帝国大学法学部を卒業し、同年に住友化学工業に入社。 1977年3月に取締役に就任し、常務、専務を経て、1985年3月から1993年3月までに社長を務め、1993年3月から会長を務めた。 1990年5月から1994年5月までに日本化学工業協会会長を務め、大阪商工会議所副頭取も務めた。 1999年に勲二等旭日重光章を受章。 2001年5月10日、肺炎のために死去。76歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
江崎 玲於奈(えさき れおな、1925年〈大正14年〉3月1… 江崎 玲於奈(えさき れおな、1925年〈大正14年〉3月12日 - )は、日本の物理学者。日本国外においてはレオ・エサキ(Leo Esaki)の名で知られる。 1973年(昭和48年)、トンネル効果の研究に関連して、アイヴァー・ジェーバー、ブライアン・ジョゼフソンとともにノーベル物理学賞を受賞し、日本人としては4人目となるノーベル賞受賞者となった。 文化勲章受章者、勲一等旭日大綬章受章者。学位は理学博士(東京大学・1959年)。学位論文は「薄いp-n接合における新現象」。 大阪府中河内郡高井田村(後の同郡布施町、さらに布施市、現在の東大阪市布施地区)で生まれ、1947年に東京帝国大学を卒業し、川西機械製作所(後の神戸工業株式会社、現在のデンソーテン)に入社、真空管の陰極からの熱電子放出の研究を行った。
黒木 ひかる(、1925年〈大正14年〉3月12日 - 20… 黒木 ひかる(、1925年〈大正14年〉3月12日 - 2004年〈平成16年〉9月12日)は、日本の女優。本名:北村 真咲。東京市(現:東京都)牛込出身。 宝塚歌劇団26期生。夫は俳優の曽我廼家明蝶。息子は愛媛朝日テレビ代表取締役会長の北村一明。 阿倍野高等女学校(現:大阪府立阿倍野高等学校)中退。 宝塚音楽歌劇学校(現:宝塚音楽学校)を経て1940年に宝塚歌劇団に入団。「アンナ」の愛称で花組の男役で出演。 三菱航空機に勤務後、宝塚歌劇団へ復帰。その後は東宝歌舞伎にも客演。 1969年、『メナムに赤い花が散る』を最後に宝塚歌劇団を退団。同年、俳優の曽我廼家明蝶と結婚。 2004年9月12日、死去。
本田良寛(ほんだ よしひろ、1925年〈大正14年〉2月27… 本田良寛(ほんだ よしひろ、1925年〈大正14年〉2月27日 - 1985年〈昭和60年〉7月1日)は、昭和後期の医師。日雇い労働者への奉仕的な医療で「釜ヶ崎の赤ひげ」「西成の赤ひげ」と呼ばれた。 大阪府大阪市城東区鴫野西の開業医の家に生まれる。大阪偕行社附属小学校(現・追手門学院小学校)、大阪府立八尾中学校(修業5年間の旧制中学校、現・大阪府立八尾高等学校)を経て、徳島医学専門学校(旧制医学専門学校)に入学。太平洋戦争の戦災の設備不良で徳島医専が廃校となったため、大阪市立医学専門学校(現・大阪市立大学の医学部の源流)に編入し卒業。父の開業医を継ぐ。 1963年(昭和38年)大阪市西成区萩之茶屋の大阪府済生会今宮診療所の所長に就任。
鴨居 羊子(かもい ようこ、本名:洋子、1925年2月12日… 鴨居 羊子(かもい ようこ、本名:洋子、1925年2月12日 - 1991年3月18日)は、日本の下着デザイナー。 スキャンティーの命名者とされる。洋画家の鴨居玲は弟。 大阪府豊中市生まれ。父はジャーナリストの鴨居悠。 幼少期から子供時代の大半を石川県金沢市で過ごす。 豊中高等女学校(現・大阪府立桜塚高等学校)卒業。 旧制大阪府女子専門学校(大阪女子大学)国文科卒業。 新関西(夕刊紙)の校正係・家庭欄記者や、大阪読売新聞の学芸課記者を経て、独立。 3万円の退職金を元手に、下着デザイン・製造販売に着手。 1956年(昭和31年)1月、大阪市内に「チュニック制作室」という下着メーカーを設立(1958年に株式会社化)。
武部 利男(たけべ としお、1925年2月11日 - 198… 武部 利男(たけべ としお、1925年2月11日 - 1981年2月22日)は、日本の古典中国文学者、漢文学者。 大阪市出身。京都大学文学部中国文学科卒、奈良女子大学助教授、福井大学教育学部教授、立命館大学文学部教授。在職中に56歳で死去。『Viking』同人。
佐竹 一雄(さたけ かずお、1925年1月28日 - 201… 佐竹 一雄(さたけ かずお、1925年1月28日 - 2017年3月12日)は、大阪府大阪市出身のプロ野球選手。右投げ右打ち。パシフィック→太陽→松竹、国鉄でプレイ。ポジションは捕手・一塁手。 京阪商(現:大阪府立芦間高等学校)を卒業後、宮崎県でゼロ戦の整備に従事していたが、第二次世界大戦終戦後のある日、新聞を見ていたところ、プロ野球球団・パシフィックの選手募集広告を見つけたことがきっかけで1946年にパシフィックへ入団。1年目から34試合出場するも、捕手としては18試合しか出場しておらず、専ら代打として出場し37打数5安打5打点1本塁打と特に目立った活躍はしなかった。 しかし、太陽ロビンスとチーム名を変えた2年目、佐竹は正一塁手を獲得。
高城 淳一(たかぎ じゅんいち、1925年1月20日 - 2… 高城 淳一(たかぎ じゅんいち、1925年1月20日 - 2011年8月18日)は、日本の俳優、声優。演出家。本名:依田 郁夫(よだ いくお)。妻は女優の西乃砂恵(再婚)。 大阪府大阪市出身。東京府立第三中学校卒業。日本大学芸術科(現:日本大学藝術学部)中退(戦況悪化のため)。 1943年、劇団文芸劇場に入団。1945年に大学を中退した後、青年演劇集団に参加。1947年12月に劇団創造座に入団し、1949年12月まで所属、1950年6月、田中明夫、前沢迪雄、西乃砂恵、真木恭介、三島雅夫とともに劇団七曜会を設立に参画。1956年に劇団が分裂した後は七曜会の代表となり、演出家として活動も開始。1963年6月に七曜会を解散し、フリーランスで活動。
大澤 伸剛(おおさわ のぶたか、1925年(大正14年)1月… 大澤 伸剛(おおさわ のぶたか、1925年(大正14年)1月7日 - 2018年(平成30年)9月18日)は、日本の実業家。旧日本海軍の士官。勲五等瑞宝章受章者。 株式会社オオサワ元代表取締役。日本ケミカルシューズ工業組合元理事長。 外孫は第53代兵庫県知事の斎藤元彦。 兵庫県神戸市垂水区出身。1940年(昭和15年)大阪市立都島工業学校電気科を卒業。1947年(昭和22年)大澤ゴム工業所を創立。塩化ビニールを素材とする商材の製造販売を開始。作業工程の機械化にも努め、地元鉄工所と連携しコンベヤー方式を確立。多くの企業がこの方式を採用し、生産能力の向上に大きく寄与した。 1954年(昭和29年)同社の貿易部門として源弘貿易(のちの大澤産業)を設立。
和田 貞夫(わだ さだお、1925年1月5日 - 2016年… 和田 貞夫(わだ さだお、1925年1月5日 - 2016年12月18日)は、日本の政治家。元日本社会党(のち社会民主党)衆議院議員(4期)。 大阪府和泉市出身。1943年(昭和18年)、成器商業学校卒。1947年(昭和22年)、大阪府庁に入る。大阪府職員組合自治労大阪本部を立ち上げて書記長に就任。1951年(昭和26年)、日本社会党に入党。後に大阪府本部政審会長などを歴任する。1959年(昭和34年)、大阪府議会議員選挙に立候補して当選、3期務める。 1971年(昭和46年)、堺市長選挙に立候補するため、府議を辞職。同選挙には元自民党府議の中井信夫(元府議会議長)、元民社党府議の土師半六も立候補し、激戦となったが、土師に2000票余の差で次点に終わった。
中岡 稔(なおおか みのる、1925年 - 2013年)は、… 中岡 稔(なおおか みのる、1925年 - 2013年)は、日本の数学者。大阪大学名誉教授。 大阪狭山市出身。東京文理科大学(中退)を経て、大阪大学理学部卒。大阪大学教授、プリンストン高等研究所員、大阪市立大学教授を歴任。 対称群のホモロジー群の分解定理および安定性定理を発見。無限対称群のコホモロジー環を決定。
山本 建三(やまもと けんぞう、1925年 - 2007年1… 山本 建三(やまもと けんぞう、1925年 - 2007年12月14日)は日本の写真家。日本写真家協会会員、日本広告写真家協会会員、フォト禅主宰。 大阪府高槻市出身。1949年、立命館大学文学部卒業。株式会社湯浅電池に勤務しながら、大阪の丹平写真倶楽部に入会、先輩の藤田一一に薫陶を受ける。1959年に藤田一一との二人展を開催しプロ写真家として歩みはじめる。その後、京都を中心とする風景写真家として、80冊以上の写真集を出版するほか、日本各地で個展を開くなど活躍。また風景写真家として活動するほか、フォト禅を主宰するなど後進の指導にも力を尽くす。京都写真家協会元会長。2001年日本風景写真協会名誉会員(顧問)に。
山本晴義(やまもと はるよし、1925年 - 2017年4月… 山本晴義(やまもと はるよし、1925年 - 2017年4月2日 )は、日本の哲学者、大阪経済大学名誉教授。専攻は社会思想史・哲学。 大阪市生まれ。1948年早稲田大学文学部卒業。大阪経済大学助教授、教授、96年定年退任、名誉教授、大阪哲学学校校長。
守田 比呂也(もりた ひろや、1924年12月21日 - 2… 守田 比呂也(もりた ひろや、1924年12月21日 - 2016年6月16日)は、日本の俳優。本名:森田 寛弥。大阪市出身。最後の所属事務所は夏木プロダクション。妻は元女優の新井麗子。血液型はA型。 大阪府立生野中学校卒業。 神戸高等商業学校(現・兵庫県立大学)在学中に学徒動員。 大日本帝国海軍少尉、映画業界紙記者を経て、1957年にサスペンス映画『三十六人の乗客』でデビュー。 1950年頃には大映京都企画部の入社試験を受けたこともあったという。 『事件記者』で当たり役を得て、ドラマや映画で脇役として活躍した。 2016年6月16日に死去。満91歳没。