小坂 勝仁(おさか かつひと、1968年6月14日 - )は… 小坂 勝仁(おさか かつひと、1968年6月14日 - )は、日本の芸能マネージャーで、元プロ野球選手(投手)。大阪市出身。
大阪府:528人
小坂 勝仁(おさか かつひと、1968年6月14日 - )は… 小坂 勝仁(おさか かつひと、1968年6月14日 - )は、日本の芸能マネージャーで、元プロ野球選手(投手)。大阪市出身。
桑田 真澄(くわた ますみ、1968年4月1日 - )は、大… 桑田 真澄(くわた ますみ、1968年4月1日 - )は、大阪府八尾市出身の元プロ野球選手(投手)、野球解説者・野球評論家、コーチ。 PL学園高校時代は清原和博との「KKコンビ」でチームを牽引し、1年生だった1983年の夏の甲子園、3年生だった1985年の夏の甲子園でそれぞれ優勝に貢献、甲子園通算20勝の戦後最多記録を保持する。1985年のプロ野球ドラフト会議でNPBの読売ジャイアンツ(巨人)から1位指名を受けて入団すると、1980年代末期から2000年代にかけてエース級の先発投手として活躍、通算442試合に登板して173勝141敗14セーブ、防御率3.55、1980奪三振を記録し、巨人の7度のセントラル・リーグ優勝、4度の日本シリーズ優勝に貢献した。
米崎 薫臣(よねざき くんじ、1968年3月19日 - )は… 米崎 薫臣(よねざき くんじ、1968年3月19日 - )は、大阪府豊中市出身の元プロ野球選手(内野手)。右投左打。 遊撃手として強肩に定評があり、近鉄および阪神では捕手へのコンバートも検討された。ソウルオリンピック野球の銀メダリスト。 此花学院では遊撃手、1番打者として活躍。1985年、3年生時に夏の甲子園府予選準々決勝に進むが、KKコンビを擁するPL学園に敗れ甲子園出場はならなかった。高校卒業後は日本生命に入社。 1986年から都市対抗に出場、富士重工業との1回戦では本塁打を放って勝利に貢献するが、2回戦で金光興二らがいた三菱重工広島に敗退。 1987年と1988年には松下電器の補強選手として都市対抗に出場している。
内匠 政博(たくみ まさひろ、1968年2月24日 - )は… 内匠 政博(たくみ まさひろ、1968年2月24日 - )は、大阪府高石市出身の元プロ野球選手(外野手)、スカウト。 リトルリーグ(高石リトル)時代、プロレスラーのスペル・デルフィンとチームメイトだった。 PL学園高校では清原和博、桑田真澄、松山秀明、今久留主成幸らと同期。1985年、高校3年生時の夏の甲子園では1番・中堅手として出場し全国制覇。 近畿大学では酒井光次郎投手や岡本圭治らと同期。1988年 - 1989年、大学3・4年時の大学選手権連覇、4年時の明治神宮野球大会優勝に貢献(3年時の神宮大会は開催中止)。主将を務めた。関西学生リーグ通算81試合出場、322打数96安打、打率.298、3本塁打、29打点。
酒井 光次郎(さかい みつじろう、1968年1月31日 - … 酒井 光次郎(さかい みつじろう、1968年1月31日 - )は大阪府枚方市出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ。
小森 哲也(こもり てつや、1967年9月9日 - )は、大… 小森 哲也(こもり てつや、1967年9月9日 - )は、大阪府泉大津市出身の元プロ野球選手(内野手)。右投両打。
清原 和博(きよはら かずひろ、1967年8月18日 - )… 清原 和博(きよはら かずひろ、1967年8月18日 - )は、大阪府岸和田市出身の元プロ野球選手(内野手、右投右打)、野球評論家、タレント、YouTuber。愛称は「お祭り男」「(球界の)番長」。元妻はタレントの亜希。亜希との間の長男は清原正吾、次男は清原勝児。 PL学園高校時代は桑田真澄とともに投打の要として活躍、「KKコンビ」と呼ばれ、高校通算64本塁打を記録。1年生だった1983年の夏の甲子園、3年生だった1985年の夏の甲子園でそれぞれ優勝を経験した。高校野球の甲子園大会で記録した通算13本塁打は歴代最多記録である(春に4本、夏に9本)。 1985年のプロ野球ドラフト会議で西武ライオンズから1位指名を受けて入団、NPBでは1986年から2008年までの23年間にわたって西武、読売ジャイアンツ(巨人)、オリックス・バファローズの3球団でプレーし、通算2122安打、NPB歴代5位の525本塁打、同6位の1530打点を記録した。
渡辺 政仁(わたなべ まさひと、1967年7月14日 - )… 渡辺 政仁(わたなべ まさひと、1967年7月14日 - )は、大阪府豊中市出身の元プロ野球選手(投手→外野手)。左投左打。
西山 秀二(にしやま しゅうじ、1967年7月7日 - )は… 西山 秀二(にしやま しゅうじ、1967年7月7日 - )は、大阪府八尾市出身の元プロ野球選手(捕手)・コーチ、解説者・評論家。
今久留主 成幸(いまくるす なりゆき、1967年5月10日 … 今久留主 成幸(いまくるす なりゆき、1967年5月10日 - 2026年1月29日)は、大阪府摂津市出身のプロ野球選手(捕手)。 実兄は日本航空高等学校石川元野球部監督の今久留主祐成。元毎日・西鉄の今久留主淳、元毎日・近鉄の今久留主功は親戚にあたる。 小学校時代は摂津リトルに所属。清原和博のいた岸和田リトルを破り、リトルリーグ全日本選手権優勝。PL学園高校で、前述の清原や桑田真澄とともに、1985年に春の選抜に控え捕手として出場。同期に松山秀明、内匠政博もいる。準決勝で渡辺智男を擁する伊野商に敗退。同年夏の選手権では背番号2の正捕手だったが、春と同じく杉本隆雄(プリンスホテル - 三菱自動車水島)の控えに回る。
田原 伸吾(たはら しんご、1967年4月25日 - )は、… 田原 伸吾(たはら しんご、1967年4月25日 - )は、日本の元アマチュア野球選手(外野手)・コーチ、TDK社員。 此花学院高校の強打者として知られ、本塁打を量産して「浪速のベーブルース」としてスポーツ紙で取り上げられた。また、当時は清原和博のライバルと目されていた。 その後、明治大学卒業を経て社会人野球熊谷組、TDKでプレーする。 1983年、此花学院高校に入学する。1年生からレギュラーで出場し本塁打を量産した。高校通算で78本のホームランを打ち、これは同学年の清原を14本上回る成績であった。 PL学園野球部の練習場の付近で練習していたため、PL学園が練習を終えるまでは自分たちも練習を続けると意識したという。
杉本 正志(すぎもと まさし、1967年1月17日 - )は… 杉本 正志(すぎもと まさし、1967年1月17日 - )は、大阪府松原市出身の元プロ野球選手(投手)。1988年から1992年までの登録名は杉本 征使(読み同じ)。
大江 弘明(おおえ ひろあき、1967年1月15日 - )は… 大江 弘明(おおえ ひろあき、1967年1月15日 - )は、大阪府大阪市出身の元プロ野球選手(投手)。 大商大堺高では、山本功児の兄が監督であった。高校通算51本塁打を放つ。 1984年のプロ野球ドラフト会議でヤクルトスワローズから5位指名を受け入団。 1989年に左投げの特性を活かして投手に転向。しかし、野手・投手ともに一軍での出場機会のないまま1991年限りで現役を引退。 引退後は日本ハムファイターズの打撃投手を経て、大阪市の平野ドライビングスクールで教習指導員を務めている。
吉田 剛(よしだ たかし、1966年11月28日 - )は、… 吉田 剛(よしだ たかし、1966年11月28日 - )は、茨城県北相馬郡藤代町(現在の取手市)出身の元プロ野球選手(内野手)、野球解説者、実業家。 精肉店を営む家庭に出生。茨城県立取手第二高等学校への在学中に、硬式野球部で木内幸男監督の指導を受けながら、2年時の1983年春に第55回選抜高等学校野球大会へ出場した。当時は捕手で、同期のエース・石田文樹とバッテリーを組んでいたが、1回戦で泉州高等学校に惜敗した。翌1984年には、第56回選抜高等学校野球大会には遊撃手として出場。準々決勝まで進出したものの、山口重幸を擁する岩倉高等学校の前に決勝進出を阻まれた。しかし、夏の第66回全国高等学校野球選手権大会では、KKコンビ(清原和博と桑田真澄)を擁するPL学園高等学校と決勝で対戦。
金沢 成奉(かなざわ せいほう、1966年11月13日 - … 金沢 成奉(かなざわ せいほう、1966年11月13日 - )は、大阪府吹田市出身の日本の高校野球指導者。 小学校3年生から野球を始める。中学校時代から主に二塁手としてプレーし、太成高校では3年時に副キャプテンを務める。3年夏には優勝候補の一角に挙げられていたが当時の監督の不祥事により出場を辞退。この経験から「子供たちを甲子園につれて行きたい」と思うようになり、指導者を志すこととなる。 東北福祉大学に進学後は1年時に肩を脱臼し、手術した影響から3年時からは学生コーチとなる。大学の3学年後輩には金本知憲がいた。 大学卒業後は会社員としての生活を経て、東北福祉大学のコーチを2年間務める。1995年からは青森県の光星学院高校の監督に就任し、春夏通算8度の甲子園出場を果たす。
笘篠 賢治(とましの けんじ、1966年10月11日 - )… 笘篠 賢治(とましの けんじ、1966年10月11日 - )は、愛媛県生まれ、大阪府茨木市出身の元プロ野球選手(主に内野手)、野球解説者。
湯舟 敏郎(ゆふね としろう、1966年10月8日 - )は… 湯舟 敏郎(ゆふね としろう、1966年10月8日 - )は、大阪府貝塚市出身の元プロ野球選手(投手)、野球指導者、野球解説者。現役時代の登録名は「ゆふね」だったが、本名は「ゆぶね」と濁る。
関根 毅(せきね たけし、1966年10月6日 -)は、大阪… 関根 毅(せきね たけし、1966年10月6日 -)は、大阪府出身の元プロ野球選手(外野手)。右投左打。 修徳高から東海大学に進学。大学時代は1年秋からベストナイン(3回)、2年春に首位打者、MVPを獲得するなど活躍。1年次の明治神宮大会では初戦の東北福祉大学戦で1学年上の荻原満が好投するなかで逆転サヨナラ本塁打を放つ。大学では同期に若林弘泰、1学年下に佐久間浩一がいた。 1988年のプロ野球ドラフト会議にてヤクルトスワローズから5位で指名され入団。 一軍出場のないまま、1990年限りで現役を引退。 引退後はプロゴルファーに転身し、現在は東京都で関根毅ゴルフスクールを主催している。
木下 文信(きのした ふみのぶ、1966年9月4日 - )は… 木下 文信(きのした ふみのぶ、1966年9月4日 - )は、日本のプロ野球選手(投手)。大阪府東大阪市出身。
中本 浩(なかもと ひろし、1966年8月22日 - )は、… 中本 浩(なかもと ひろし、1966年8月22日 - )は、日本の元アマチュア野球選手(外野手)、野球指導者。広角打法に定評のある中距離打者だった。 中学時代は大阪東ジャガーズで全国優勝を果たし、監督の山本泰(前PL学園監督)の誘いで進学した大産大高校では1年秋に府大会ベスト4の後、3位決定戦で北陽高の森田幸一に投げ勝って近畿大会へ進むが1回戦で田島俊雄がエースの長浜北高に敗退。2年秋は府大会準々決勝で1年生の桑田真澄・清原和博を擁するPL学園高校に6回コールド負け。3年夏の大阪府大会準決勝で桜宮高の上岡良一と延長15回を投げ合って勝利。決勝は桑田、清原のPL学園に0-4で敗れ、甲子園への切符は掴めなかった。
上岡 良一(うえおか りょういち、1966年8月11日 - … 上岡 良一(うえおか りょういち、1966年8月11日 - )は、大阪府出身の元プロ野球選手(投手)。野球解説者。 中学時代は陸上部に所属。桜宮高から野球を始め、1983年の2年夏は大阪府大会決勝で1年生の清原和博・桑田真澄のKKコンビがいたPL学園高校に敗れた。 1985年に高校卒業後、東北福祉大学に進学。桜宮高の前監督伊藤義博が監督に就いていた、仙台六大学野球連盟に加盟している当時大学球界では無名の硬式野球部に入部し、1年春から活躍。 同1985年、1年秋の明治神宮大会(第16回大会)では初戦で先発し、東海大の荻原満と投げ合うが1-2×で惜敗。翌1986年、2年時の大学選手権(第35回大会)では1回戦で3年生古田敦也らの立命館大を5-4(延長11回)で下したものの、2回戦の猪俣隆投手ら擁する法政大に1-7で敗退。
江本 晃一(えもと こういち、1966年7月5日 - )は、… 江本 晃一(えもと こういち、1966年7月5日 - )は、大阪府出身の元プロ野球選手(投手)。
赤川 貴弘(あかがわ たかひろ、1966年6月29日 - )… 赤川 貴弘(あかがわ たかひろ、1966年6月29日 - )は、アスレティックトレーナー、プロ野球コーチ。大阪近鉄バファローズやオリックス・バファローズでコンディショニングコーチを務めていた。大阪府出身。プロ野球選手としての経験はない。 大阪府立藤井寺高等学校、大阪体育大学卒業後、ダイナミックスポーツ医学研究所を経て、1992年に近鉄バファローズへ球団職員として入団。1996年からコンディショニングコーチを務める。 2004年のオリックス・ブルーウェーブとの球団合併による消滅後も合併先であるオリックス・バファローズで引き続きコーチを務め、2015年にコーチ職を離れ、コンディショニング担当に異動。
順風 秀一(じゅんぷう しゅういち、1966年2月16日 -… 順風 秀一(じゅんぷう しゅういち、1966年2月16日 - )は、大阪府四條畷市出身の元プロ野球選手(捕手)。
山内 嘉弘(やまうち よしひろ、1966年2月15日 - )… 山内 嘉弘(やまうち よしひろ、1966年2月15日 - )は、大阪府摂津市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 茨木東高時代は、1983年夏の大阪予選の準決勝で、当時強豪校として高校球界で名を馳せていたPL学園高と対戦。7回まで1点リードでPL打線を無失点に抑えていたが、8回に清原和博(当時1年生)の安打から逆転を許した結果、金星を逃した。 1984年に高校卒業後、近畿大学に進学。1年上に西岡剛投手がいたが、関西学生野球のリーグ戦では通算29試合に登板し、14勝4敗、防御率1.45という成績を残した。1987年、4年時の春季リーグ戦では5勝無敗で最優秀投手とベストナインに選ばれた。さらに、全日本大学野球選手権の関西地区代表決定戦で、大阪経済大学打線を相手に完全試合を達成している。
鈴木 俊雄(すずき としお、1965年12月18日 - )は… 鈴木 俊雄(すずき としお、1965年12月18日 - )は、大阪府出身の元プロ野球選手(捕手・内野手)。
光山 英和(みつやま ひでかず、1965年11月20日 - … 光山 英和(みつやま ひでかず、1965年11月20日 - )は、大阪市生野区出身の元プロ野球選手(捕手)、野球解説者、野球指導者。韓国球界での登録名は、金英和(キム・ヨンファ、김영화)。
南渕 時高(みなみぶち ときたか、1965年10月29日 -… 南渕 時高(みなみぶち ときたか、1965年10月29日 - )は、大阪府東大阪市出身の元プロ野球選手(内野手)。
森田 幸一(もりた こういち、1965年9月21日 - )は… 森田 幸一(もりた こういち、1965年9月21日 - )は、大阪府出身の元プロ野球選手(投手)。
木村 恵二(きむら けいじ、1965年8月30日 - )は、… 木村 恵二(きむら けいじ、1965年8月30日 - )は、大阪府守口市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 小中学生時代は守口リトル、守口シニアに所属した。 柏原高では3年夏の大阪府大会でベスト8まで進出した。近畿大学に進学。大学時代は、1学年上に西岡剛、同学年に山内嘉弘(元オリックス)と小松領平(元プリンスホテル)が主戦投手であったため、控え投手として過ごす。2年秋の明治神宮大会では2試合ともに救援で登板した。当時の松田博明監督の評価は「下半身が全く使えず、カーブばかり投げる投手」という手厳しいものであった。 大学卒業後は日本生命に入社。ここで投球フォームの修正と徹底的な下半身強化に着手。
難波 貴司(なんば たかし、1965年4月19日 - )は、… 難波 貴司(なんば たかし、1965年4月19日 - )は、大阪府高槻市出身の元アマチュア野球選手(外野手)、野球指導者。 父は読売ジャイアンツ、西鉄ライオンズに所属したプロ野球選手の難波昭二郎。 大阪府高槻市出身。堀越高等学校卒業後には東海大学に入学する。同期に荻原満、佐藤真一がいた。 大学卒業後は社会人野球の日本通運に入社。都市対抗と日本選手権に計7回出場した。また、1993年に社会人ベストナインに選出された。1995年に現役引退。 その後は1999年まで日本通運のヘッドコーチを務めた後美容業界(化粧品ヘアケアメーカー)に転職、そこで営業職・マーケティング職・執行役員・系列会社社長などを務め、組織マネジメントを学ぶ。
森 浩之(もり ひろゆき、1965年2月4日 - )は、大阪… 森 浩之(もり ひろゆき、1965年2月4日 - )は、大阪府泉南市出身の元プロ野球選手(捕手)・コーチ。右投右打。 1991年から1997年の登録名は森 広之(読み同じ)。 PL学園高では、2年次の1981年秋から正捕手となる。2年次秋の府予選の決勝で公立の桜宮高に敗れるまで無敗を続け、続く近畿地区大会でも準決勝まで勝ち上がった。1982年の第54回選抜大会では、榎田健一郎投手を擁して、前年西川佳明投手や吉村禎章主将らを擁した81年春の優勝に引き続きセンバツ甲子園連覇を果たす。昭和5・6年の第一神港商以来52年ぶり、戦後では初となる春のセンバツ甲子園連覇を達成した。準決勝で三浦将明投手擁する横浜商に3x-2でサヨナラ勝ち、決勝で二松學舍大附高に15対2と大勝した。
住吉 義則(すみよし よしのり、1964年10月10日 - … 住吉 義則(すみよし よしのり、1964年10月10日 - )は、大阪府泉佐野市出身の元プロ野球選手(内野手)。 現在は少年硬式野球チーム「ヤングKIXベースボールクラブ・21」の監督を務めている。 箕島高では、1982年の春の選抜に捕手として出場。準々決勝に進むが、エース榎田健一郎を擁するPL学園高に0-1で惜敗。チームメートに控え投手の吉井理人、左翼手の畑山俊二がいた。 箕島高では定時制に通っていたため、高校野球引退後は東京・竹早高(定時制)に転校のうえ、社会人野球のプリンスホテルに進む。5年間ブルペン捕手を務めた後に内野手に転向する。左腕エース橋本武広らを擁し1989年の都市対抗野球に出場。
松谷 竜二郎(まつたに りゅうじろう、1964年7月10日 … 松谷 竜二郎(まつたに りゅうじろう、1964年7月10日 - )は、日本の実業家、元プロ野球選手(投手)。スチールエンジの代表取締役社長。NPBでは読売ジャイアンツ、近鉄バファローズに所属した。 大阪市立高等学校(現・大阪府立いちりつ高等学校)では2年秋は府大会準々決勝へ進むが1失点完投で惜敗、3年夏は5回戦で7回コールド負け。社会人野球の大阪ガスに入社。 1985年にスライダーを習得し、抑えを任される。同僚に木下文信がいた。 1986年から3年連続で都市対抗野球に出場。 1988年の大会では1回戦で中島輝士、石井浩郎、小川博文らを擁する優勝候補のプリンスホテルと対戦、延長12回の接戦を制し勝利投手となる。
古久保 健二(ふるくぼ けんじ、1964年6月23日 - )… 古久保 健二(ふるくぼ けんじ、1964年6月23日 - ) は、大阪府豊中市出身の元プロ野球選手(捕手)・コーチ、プロ野球監督。 太成高校では2年秋府大会ベスト8、3年夏は府大会ベスト4へ進出したが優勝する春日丘高校に敗れた。卒業後、1982年のドラフト6位で近鉄バファローズに入団。 1985年に一軍初出場を果たし、当時の近鉄捕手陣は10年以上に渡り、主戦であった梨田昌孝・有田修三の「ありなしコンビ」に衰えが見え始めた頃で、年齢が近い山下和彦・光山英和・古久保の3人で次世代の正捕手争いを繰り広げることになる。 1988年、優勝がかかった10月19日のロッテ戦ダブルヘッダー第1試合(川崎)に途中出場するも9回表2死から代打・梨田が起死回生の勝ち越し適時打を放ち、9回裏に梨田がそのままマスクを被ったが、その前の捕手が古久保であった。
笘篠 誠治(とましの せいじ、1964年6月22日 - )は… 笘篠 誠治(とましの せいじ、1964年6月22日 - )は、大阪府茨木市出身の元プロ野球選手(内野手、外野手)、プロ野球コーチ。現役時代は西武ライオンズに在籍した。
西岡 剛(にしおか つよし、1964年6月16日 - )は、… 西岡 剛(にしおか つよし、1964年6月16日 - )は、大阪府八尾市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 近大附高、近畿大学時代から長身からの速球を武器にした好投手として知られていた。近大附高の3年時、1982年夏の大阪府予選決勝に進出。前評判では有利と思われていたが、投打の柱 田宮実(のち早大)擁する公立校の春日丘高校に1対9で大敗した。 1983年に近畿大学進学。近大では1985年の3年時からエースとなり、関西学生野球春のリーグ戦で優勝を果たしたものの、全日本大学野球選手権関西地区代表決定戦で大阪大学に敗退、続く第二代表決定戦でも龍谷大学に敗れて代表の座をつかめなかった。秋はリーグ戦・明治神宮野球大会関西地区代表決定戦を勝ち抜き本大会に進出を果たした。
今久留主 祐成(いまくるす まさなり、1964年5月23日 … 今久留主 祐成(いまくるす まさなり、1964年5月23日 - )は、大阪府出身の元高校野球指導者。 元プロ野球選手の今久留主成幸は実弟で大学時代は3年後輩にあたる。 選手としての現役時代は平安高校や明治大学でプレー。大学では2年上に広沢克己、1年下に坂口裕之らがいた。 一般企業を経て2006年、2003年に創部したばかりの日本航空第二高校(のちに日本航空高校石川に改称)硬式野球部の監督に就任。2009年夏、石川大会で5試合中3試合が1点差の勝利、準々決勝では9回二死から追いついて延長で逆転サヨナラという接戦での強さを発揮して優勝。春夏通じて同高初の甲子園大会出場に導いた。また、能登地方からの甲子園大会出場も史上初であった。
南出 仁(みなみで ひとし、1964年4月3日 - )は、大… 南出 仁(みなみで ひとし、1964年4月3日 - )は、大阪府堺市出身の元プロ野球選手(捕手)。 大商大堺高から大阪商業大学へ進学。関西六大学野球では3年秋~4年秋まで3季連続でベストナインを獲得。3年秋には首位打者となっている。リーグ戦通算83試合出場、266打数90安打、打率.338、7本塁打、47打点。 1986年のプロ野球ドラフト会議で日本ハムファイターズから4位指名を受け入団。プロ3年目の1989年には練習生扱いとなり、一軍出場のないまま同年限りで退団。
藤本 博史(ふじもと ひろし、1963年11月8日 - )は… 藤本 博史(ふじもと ひろし、1963年11月8日 - )は、大阪府泉北郡忠岡町出身の元プロ野球選手(内野手、右投右打)、監督、野球解説者。 2011年から福岡ソフトバンクホークスの打撃コーチ、三軍監督、二軍監督を歴任し、2022年シーズンから2年間一軍監督を務めていた。2024年シーズンからはソフトバンクの特別アドバイザーに就任し、2025年シーズンまで務めた。 天理高校では1980年、2年夏の第62回全国高校野球選手権に4番打者、三塁手として出場。藤本と同じ2年生で左右の両腕でもある川本和宏、小山昌男の好投もあり準決勝まで進むが、エースの愛甲猛らを擁する横浜高にまさかの逆転負けを喫した。その後は秋にチームで起きた不祥事のため、丸1年の対外公式試合禁止の処分を受け、3年時の甲子園行きのチャンスを棒に振ることになった。
射手園 眞一(いてぞの しんいち、1963年10月23日 -… 射手園 眞一(いてぞの しんいち、1963年10月23日 - )は、大阪府大阪市出身の元社会人野球選手、野球指導者である。 大阪市立住吉商業高を経て、川崎製鉄水島、九州三菱自動車と社会人野球で活躍。 2014年に、BASEBALL FIRST LEAGUE(現・さわかみ関西独立リーグ)の姫路GoToWORLDのコーチを務め、2015年からは監督に就任。チームが活動を休止する2016年まで2シーズン務めた。 2017年2月、同リーグに所属する兵庫ブルーサンダーズ(現・兵庫ブレイバーズ)の野手コーチに就任。2018年限りで契約満了により退団。 2020年には女子硬式野球チーム兵庫ブルーサンダーズの監督に就任し、翌2021年まで務めた。
小山 昌男(こやま まさお、1963年8月30日 - )は、… 小山 昌男(こやま まさお、1963年8月30日 - )は、大阪府堺市出身の元プロ野球選手(投手)。
高木 宣宏(たかぎ のぶひろ、1963年5月20日 - )は… 高木 宣宏(たかぎ のぶひろ、1963年5月20日 - )は、大阪府出身の元プロ野球選手(投手)。
国松 慶輝(くにまつ よしき、1962年12月21日 - )… 国松 慶輝(くにまつ よしき、1962年12月21日 - )は、大阪府出身の元プロ野球選手(外野手)。 大商大堺高から、1980年オフにドラフト外で西武ライオンズに入団。一軍の試合に一度も出場することができず、1984年に引退した。 アマチュア野球の指導者に転身のため、引退から20年後の2004年に自由契約選手となった。
矢野 和哉(やの かずや、1962年12月10日 - )は、… 矢野 和哉(やの かずや、1962年12月10日 - )は、大阪府大阪市出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。
岡部 明一(おかべ あきひと、1962年10月13日 - )… 岡部 明一(おかべ あきひと、1962年10月13日 - )は、大阪府堺市出身の元プロ野球選手(外野手)。 PL学園高では、1年下のエース西川佳明を擁し、1979年秋季近畿大会府予選決勝リーグ(4校)に進むが4位に終わる。翌1980年夏の甲子園府予選でも準々決勝に進出するが、近大附高に惜敗。 高校卒業後は中央大学へ進学。東都大学野球リーグでは在学中優勝に届かず、1984年秋季リーグでは二部降格も経験。しかし強打の外野手として活躍し、1983年の中央大学選手賞を獲得した。同年の日米大学野球選手権大会にも出場し、第4戦で2点本塁打を放ち日本の優勝に貢献。リーグ通算59試合出場、181打数50安打、打率.276、7本塁打、21打点。
山脇 光治(やまわき こうじ、1962年10月13日 - )… 山脇 光治(やまわき こうじ、1962年10月13日 - )は、大阪府四條畷市出身の元プロ野球選手(内野手・外野手)。 浪商高校では牛島和彦・香川伸行の1年後輩で、2年生だった1979年には、控え選手ながら春夏とも阪神甲子園球場の全国大会に出場した。春の選抜大会では準優勝。夏の選手権全国大会では、比叡山高校との準々決勝に救援投手として甲子園初登板を果たしたが、準決勝で池田高校に敗れた。 3年生だった1980年には、内野手および控え投手として、夏の選手権大阪大会に出場。北陽高校との準決勝に救援で登板したが、チームの勝利には至らなかった。同年秋に、内野手として、ドラフト外扱いで阪神タイガースに入団した。
川原 新治(かわはら しんじ、1962年2月5日 - )は、… 川原 新治(かわはら しんじ、1962年2月5日 - )は、大阪府大阪市鶴見区出身の元プロ野球選手(投手)。 太成高から大阪商業大学へ進学。関西六大学野球リーグでは、同期の清川栄治との二本柱で1982年春季リーグから3連覇を果たす。同年春季から秋季リーグにかけ、現在でもリーグ記録である7試合連続完封勝利と77イニング連続無失点を記録した。同年の明治神宮大会は決勝で東海大に2-3で惜敗するが準優勝と健闘。翌1983年秋季リーグでは、リーグ再編後初のノーヒットノーランを達成した。3季連続で最優秀選手に選ばれ、4年春はベストナイン。リーグ通算48試合に登板し23勝8敗、防御率0.97。 1983年のプロ野球ドラフト会議で阪神タイガースから4位指名を受け入団。
安田 昌玄(やすだ まさはる、1962年1月9日 - )は、… 安田 昌玄(やすだ まさはる、1962年1月9日 - )は、アスレティックトレーナー、プロ野球コーチ。プロ野球選手としての経験はない。 大阪府大阪市生まれ、堺市出身。 大阪府立東百舌鳥高等学校、大阪体育大学を卒業後、1984年に当時の阪急ブレーブスに入団。以降、球団の変遷を経つつ20年以上にわたり一貫してトレーニングコーチを務めた。2012年に退団。 2005年、チーム内で実践しているコンディショニング法を紹介した著書『ベースボールコンディショニングバイブル』が発売された。 2007年に生まれたばかりの娘を残して妻が他界し、シングルファーザーとして仕事と家庭を両立しながら奮闘する姿がテレビ等で紹介された。
山村 達也(やまむら たつや、1961年9月21日 - )は… 山村 達也(やまむら たつや、1961年9月21日 - )は、大阪府出身の元プロ野球審判員。審判員番号「18」。元プロ野球選手(投手)。右投右打。長男は元徳島インディゴソックス選手で2012年よりNPBプロ野球審判員の山村裕也。