KAI NAKAMURA(1996年〈平成8年〉12月12日… KAI NAKAMURA(1996年〈平成8年〉12月12日 - )は、ソフトウェアエンジニア、UI/UXデザイナー、動画クリエイター、ゲームクリエイター、シンガーソングライター。作詞、作曲、デザインや映像制作、演出を全て自分でこなし、セルフプロデュースも手掛けるマルチメディアアーティスト。 大阪府東大阪市出身、東大阪市立西堤小学校、東大阪市立新喜多中学校、京都外国語大学卒業。また、16歳の時にニュージーランドに留学。Waiuku Collegeに在籍していた。 1996年12月12日、大阪府で生まれ、東大阪市で育つ。 2013年、母親が勝手に手続きをしたことをきっかけに、アルファベットすらまともに書けない状態で16歳の時に単身ニュージーランドへ留学。
吉水 康人(よしみず やすひと、1981年〈昭和56年〉3月… 吉水 康人(よしみず やすひと、1981年〈昭和56年〉3月24日 - )は、日本の経営者、エンジニア。大阪府岸和田市出身。大阪府立大学(現:大阪公立大学) 大学院工学研究科卒業 物質系専攻 EmotionX株式会社 代表取締役CEO、公益社団法人応用物理学会 代議員。 幼少期から20代まで「だんじり祭」に熱中していた。清風高校を1999年3月に卒業後、大阪府立大学 工学部に進学し、物質系を専攻。大学では化学、有機化学、高分子化学、電気化学などの分野を学び、4年次は不得意分野であった物質物理を扱う研究室をあえて選び、挑戦した経験が後の半導体やマテリアルサイエンス分野での基盤となった。
山本 正喜(やまもと まさき、1980年12月16日 - )… 山本 正喜(やまもと まさき、1980年12月16日 - )は、日本の実業家、技術者。Chatwork株式会社創業者・代表取締役社長CEO。Chatwork開発者。 大阪府寝屋川市出身。父は音楽スタジオの経営者。大阪桐蔭高等学校を経て、電気通信大学電気通信学部情報工学科卒業。大学の在学中の2000年に兄山本敏行とEC studio(のちのChatwork)を創業。2004年に大学卒業後、当時JASDAQに上場していた取引先のテレウェイヴに副業ができるということで入社したが、1年で退社。EC studioでCTOとしてChatwork等を開発し、2018年Chatwork代表取締役CEO兼CTOに就任。
髙尾 正樹(たかお まさき、1980年 - )は、日本の実業… 髙尾 正樹(たかお まさき、1980年 - )は、日本の実業家、化学技術者。日本環境設計株式会社(現JEPLAN)創業者・代表取締役社長。 大阪出身。大阪教育大学附属高校天王寺校舎を経て、2004年東京工業大学工学部開発システム工学科化学工学コース卒業。 東京大学大学院総合文化研究科広域科学専攻休学中退後、異業種交流会で知り合った岩元美智彦と2007年に日本環境設計を設立し、専務取締役に就任。2007年より大阪大学先端科学イノベーションセンター特任助手としてバイオエタノールの研究を行いコットンからバイオエタノールを精製するリサイクル技術を実用化した。2013年より早稲田大学非常勤講師。2016年には日本環境設計代表取締役社長に就任。
足立 浩志(あだち ひろし、1977年2月15日 - )は、… 足立 浩志(あだち ひろし、1977年2月15日 - )は、日本のライブハウス経営者、PAエンジニア。 大阪府岸和田市出身。大阪の音楽シーンにおいて、独自の音響技術とVR技術を活用した新しいライブ体験の提供で知られる。 ライブハウスでの音作りやPAエンジニアの視点からのアドバイスをまとめた書籍 PAエンジニアとしての経験を基に、バンドマンに向けた音作りのアドバイスを100項目にまとめた書籍
山下 光洋(やました みつひろ、1973年 - )は、日本の… 山下 光洋(やました みつひろ、1973年 - )は、日本のエンジニア、作家。 1973年 大阪府東大阪市出身。大阪府立八尾東高等学校、浪速短期大学中退。 業務系ソフトウェア開発会社、ユーザー企業IT部門を経て、AWS認定インストラクターとしてAWS認定コースを実施。毎年1,500名以上にAWSトレーニングを実施。AWS 認定インストラクターアワード2018、2019、2020を日本で唯一受賞。3年連続受賞により殿堂入りとなった。 2019年より毎年1冊以上のペースで著書を発表している。 この項目は、文化に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています。
網島 弘幸(あみじま ひろゆき、1969年1月2日 - )は… 網島 弘幸(あみじま ひろゆき、1969年1月2日 - )は、日本の技術者・実業家。株式会社HRの代表取締役。 大阪市出身。 2013年に株式会社HRを設立した。 大阪産業創造館が運営するビジネスメディア「Bplatz」では、空調制御における省エネルギー化技術の開発・事業化の取り組みが紹介されている。 網島弘幸(株式会社HR)名義で登録された主な日本国内特許は以下の通り。 出典はいずれも特許情報プラットフォーム(J-PlatPat)による。
高島 秀行(たかしま ひでゆき、1968年7月26日 - )… 高島 秀行(たかしま ひでゆき、1968年7月26日 - )は、大阪府大阪市生まれのエンジニア、実業家。2018年現在、GMOフィナンシャルホールディングス株式会社代表執行役会長、GMOクリック証券株式会社代表取締役会長、GMOコイン株式会社代表取締役会長、株式会社メディバンは代表取締役社長、GMOあおぞらネット銀行株式会社。 もともとはオンライントレードである松井証券のネットストック開発の中心エンジニアであったが、その後も、数社でのオンライントレードシステムの開発やネットバンクの立ち上げにかかわり、アクセンチュアでは、オブジェクト指向の開発と金融系のネットビジネスのコンサルを担当。ライブドアでは夜間取引(PTS)とネット銀行の設立準備を担当した(約半年間)。
河村 博司(かわむら ひろし、 1966年9月17日 - )… 河村 博司(かわむら ひろし、 1966年9月17日 - )は、日本の男性歌手、ギタリスト、ソングライター、ベーシスト、音楽プロデューサー、レコーディング・エンジニア。ソウルフラワーユニオンの元メンバー。 1966年 東大阪市に生まれる。父と姉が演歌歌手。ニューミュージックブームに触発され、小学校6年生でギターを始める。 1979年 東大阪市立長瀬中学校入学。同級生に タナカカツキ、ロビン西、多田三洋 がいる。 1988年 アマチュアバンド結成。メンバーに後のJITTERIN'JINNのドラマー、入江美由紀がいた。 1991年 ニューエスト・モデルにベーシストとして加入。 1993年 ソウルフラワーユニオンの結成に参加。
川合 尊(かわい たけし、1962年〈昭和37年〉10月13… 川合 尊(かわい たけし、1962年〈昭和37年〉10月13日 - )は日本の技術者、実業家。日本特殊陶業株式会社代表取締役社長。 大阪府泉佐野市出身。1987年京都工芸繊維大学大学院工芸学研究科修了、日本特殊陶業入社。社内ベンチャーとされたセンサ事業部の技術に長年携わり、センサ事業を点火プラグ事業に次ぐ規模に成長させた。2011年自動車関連事業本部センサ事業部第2技術部長。2012年執行役員。2015年取締役常務執行役員に昇格。2016年取締役専務執行役員。2019年から代表取締役社長を務め、新規事業の展開を進めた。2026年4月1日代表取締役取締役会長。
三部 敏宏(みべ としひろ、1961年〈昭和36年〉7月1日… 三部 敏宏(みべ としひろ、1961年〈昭和36年〉7月1日 - )は、日本の技術者・実業家。本田技研工業株式会社取締役代表執行役社長兼CEO、日本自動車工業会副会長。大阪府豊中市出身。 大阪府豊中市出身。親の転勤に伴い、中学時代から広島市で過ごす。1980年広島市立基町高等学校を卒業後、広島大学工学部第一類(機械系)に入学。同大学院工学研究科(内燃機関学研究室)に進み、移動現象工学を専攻。1987年本田技研工業株式会社に就職。自動車エンジンを軸とした多様な研究開発に携わる。入社18年目頃から、エンジン関連部門のマネージメントにシフト。2019年4月に本田技術研究所社長に就任。本田技研工業株式会社専務取締役を経て、2021年4月より同社代表取締役社長を務める。
宮島 義嗣(みやじま よしつぐ、1960年10月24日 - … 宮島 義嗣(みやじま よしつぐ、1960年10月24日 - )は、日本の技術者、実業家。OKK(現・ニデックオーケーケー。以下同)代表取締役社長を務めた。現在は社長を退き、日研工作所の顧問を務める。 息子の宮島悠は[ニデックオーケーケーの技術開発部門で勤務。 大阪府東大阪市出身。大阪府立夕陽丘高等学校を経て、1984年大阪府立大学工学部機械工学科卒業、大阪機工入社。2007年大阪機工技術本部技術開発部長。2011年大阪機工執行役員技術本部長。2011年大阪機工取締役執行役員技術本部長。2013年大川翔取締役上席執行役員技術本部長。2015年からOKK代表取締役社長を務め、新基幹システムの導入などを進めた。
宮田 喜一郎(みやた きいちろう、1960年7月24日 - … 宮田 喜一郎(みやた きいちろう、1960年7月24日 - )は、日本の技術者。オムロン ヘルスケア代表取締役社長を経て、オムロン代表取締役副社長最高技術責任者。 大阪府出身。1979年大阪府立住吉高等学校卒業。1985年神戸大学工学部生産機械工学科卒業、立石ライフサイエンス研究所入社。 1990年オムロンライフサイエンス研究所開発テーマリーダー。1994年Omron Healthcare,Inc.技術管理ディレクター・商品企画マネージャー。2003年オムロン ヘルスケア商品事業統轄部生体計測事業部長。2005年オムロン ヘルスケア商品事業統轄部長。2006年オムロン ヘルスケア商品事業統轄部長兼執行役員。
中野 道夫(なかの みちお、1958年10月17日 -)は日… 中野 道夫(なかの みちお、1958年10月17日 -)は日本の鉄道技術者、鉄道実業家。京阪電気鉄道株式会社代表取締役社長。 大阪市出身。1981年大阪市立大学工学部土木工学科卒業、京阪電気鉄道入社。技術部門で新線建設や、立体交差化、保守管理に携わった。2008年中之島高速鉄道取締役。2010年中之島高速鉄道常務取締役。2012年京阪エンジニアリングサービス(現京阪ビルテクノサービス)代表取締役社長。2013年京阪電気鉄道(現京阪ホールディングス)執行役員に昇格。2016年京阪電気鉄道常務取締役。2017年から京阪電気鉄道代表取締役社長を務め、沿線の人口減少が進む中、再開発を進めるなどした。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
木村 昌平(きむら しょうへい、1957年3月12日 - )… 木村 昌平(きむら しょうへい、1957年3月12日 - )は、日本の自動車技術者、実業家。日産自動車副社長や、日産車体代表取締役社長を経て、同社会長、日本自動車車体工業会会長を歴任した。 大阪府出身。1975年清風高等学校卒業。1979年静岡大学工学部卒業、日産自動車入社、原価管理部配属。2001年日産自動車生産技術プレス技術部次長。2004年北米日産出向。2006年日産自動車追浜工場工場長。2008年インド日産出向。 2009年日産自動車執行役員。2014年日産自動車アライアンスEVP・副社長。2015年日産車体副社長執行役員。2016年日産車体代表取締役社長。2019年日本自動車車体工業会会長。
田中 孝司(たなか たかし、1957年〈昭和32年〉2月26… 田中 孝司(たなか たかし、1957年〈昭和32年〉2月26日 - )は、日本のIT技術者。KDDI株式会社取締役会長。UQコミュニケーションズ株式会社創業者でもある。大阪府出身。 京都大学工学部を卒業後、京都大学大学院工学研究科を修了。1981年に国際電信電話(KDD)に入社。IT技術者として活躍した後、2000年に第二電電(DDI)、日本移動通信(IDO)と合併に伴いディーディーアイ(現・KDDI)に入社。2007年にワイヤレスブロードバンド企画(現・UQコミュニケーションズ)を設立、代表取締役社長に就任。2010年には旧KDD出身者としては初めてKDDIの代表取締役社長に就任。2018年に代表取締役会長に就任。
吉田 昌郎(よしだ まさお、1955年〈昭和30年〉2月17… 吉田 昌郎(よしだ まさお、1955年〈昭和30年〉2月17日 - 2013年〈平成25年〉7月9日)は、日本の技術者。東京電力(現:東京電力ホールディングス)元執行役員。 2011年3月11日の東日本大震災発生時に福島第一原子力発電所所長を務めていた人物で、福島第一原子力発電所事故の収束作業を指揮したことで知られる。 大阪府出身。1961年(昭和36年)に大阪市立金甌小学校(現:大阪市立中央小学校)に入学する。大阪教育大学教育学部附属天王寺中学校、大阪教育大学教育学部附属高等学校天王寺校舎を経て、1977年に東京工業大学工学部を卒業。高校時代は剣道部と写真部、大学時代はボート部に所属。高校での成績は学年の180人中20番くらいであった。
二川 清(にかわ きよし、1949年 - )は、日本の技術者… 二川 清(にかわ きよし、1949年 - )は、日本の技術者である。大阪府出身。 現在、一般的に使われている半導体故障解析技術である、IR-OBIRCHの発明者として知られる。 1968年大阪府立三国丘高校卒業、1972年大阪大学基礎工学部物性物理工学科卒業、1974年同大学院基礎工学研究科物理系修士課程修了。1995年論文提出により工学博士(大阪大学)。1974年日本電気(株)入社。 1981年、エレクトロマイグレーションの汎用モデルの構築とそれに基づいたモンテカルロシミュレーションの事例を発表。 1989年、FIB (Focused Ion Beam, 集束イオンビーム)の半導体故障解析への応用法を開発し、その事例を発表。
小河 保之(おがわ やすゆき、1947年 - )は、日本の地… 小河 保之(おがわ やすゆき、1947年 - )は、日本の地方公務員、土木技術者。元大阪府副知事。 大阪府出身。大阪府立高津高等学校卒業、1969年京都大学工学部交通土木工学科卒業。1969年、大阪府庁入庁。 土木技術者として主に土木畑(道路畑)を歩む。鳳土木事務所、土木部街路課、都市整備局総合計画課勤務を経て、1980年富田林土木事務所長野工区長、1983年企画部企画室主査、1984年企業局空港対策部計画課主査、1985年土木部都市整備局交通政策課街路係長、1987年土木監理課主幹、1988年岸和田土木事務所主幹、1989年空港関連道路建設事務所主幹、1990年土木部道路課主幹、1991年奈良県土木部道路建設課長、1994年兵庫県土木部参事兼道路建設課長、1997年大阪府土木部道路課参事、1998年茨木土木事務所長、1999年土木部副理事兼道路課長、2001年土木部技監、2003年土木部長、2005年危機管理監、2007年大阪府退職。
岩崎欣二(いわさき きんじ、1940年12月22日 - 20… 岩崎欣二(いわさき きんじ、1940年12月22日 - 2006年6月28日)は、日本の無線通信技術の技術者、実業家。 大阪府大阪市出身。1963年東京大学工学部を卒業し、KDDに入社し、同年の日米初のテレビ衛星中継に関わった。1986年には通信分野の研究開発に対して与えられる前島密賞を受賞、同時受賞者には同じくKDDの村谷拓郎がいた。KDDI副社長・IP事業統括本部長兼研究開発本部管掌を務めた。 2006年6月28日に脳腫瘍のため死去した。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
若林 克彦(わかばやし かつひこ、1933年〈昭和8年〉9月… 若林 克彦(わかばやし かつひこ、1933年〈昭和8年〉9月9日 - 2024年〈令和6年〉7月18日)は、大阪市出身の日本の技術者、実業家。ハードロック工業創業者、代表取締役会長。「ナニワの発明王」の異名を持つ。 今宮工業高等学校を経て、1956年、大阪工業大学機械工学科卒業。世界でオンリーワンの機械部品「ハードロックナット」を発明・開発。1974年、ハードロック工業を創業、代表取締役会長。「世界が注目する日本の中小企業100社」にも選出された。第10回日本イノベーター大賞、第35回発明大賞本賞、2009年旭日双光章を受章。主な著書は、「絶対にゆるまないネジ - 小さな会社が世界一になる方法」(中経出版)。
橋本 尚(はしもと たかし、1929年1月29日 - 199… 橋本 尚(はしもと たかし、1929年1月29日 - 1999年)は、日本の電気技術者、文筆家。技術コンサルタント。 大阪府堺市出身。1948年大阪工業専門学校電気科(現大阪府立大学)卒、1961年近畿大学理工学部電気工学科卒。 長男の橋本岳(たけし、1961年生)は電気工学者、静岡大学教授[要出典]。次男の橋本均(ひとし)は薬学研究者、大阪大学教授 [要出典]。
末 和海(すえ かずみ、1929年 - 2024年6月3日[… 末 和海(すえ かずみ、1929年 - 2024年6月3日[要出典])は日本の時計技術者である。大阪府堺市出身。
三並 義忠(みなみ よしただ、1908年(明治41年)1月8… 三並 義忠(みなみ よしただ、1908年(明治41年)1月8日 - 1966年(昭和41年)9月1日 )は、昭和期の工学技術者。自動電気釜の開発者として知られる。 愛媛県新居郡中萩村(現・新居浜市)出身。小学校を卒業後鉄道省に入省。鉄道機関士を目指し働きながら大阪市立都島工業専修学校(現・大阪府立都島工業高等学校定時制課程)で学ぶ。1928年に鉄道省を退職して上京。芝浦工学校(現・芝浦工業大学)を卒業。 ドイツ系の機械商社アンドリュウス社に入った。1932年または1934年に独立し光伸社を設立。精密測定器を製作した。戦後はテープレコーダーや16ミリ映画のトーキー、圧力釜などを作った。 1952年に東京芝浦電気(東芝)と関係し、自動電気釜を発明した。
城 憲三(じょう けんぞう、1904年 - 1982年)は、… 城 憲三(じょう けんぞう、1904年 - 1982年)は、数学者、コンピュータ技術者。日本のコンピュータパイオニアで、ほぼ最初期にコンピュータに取り組んだ一人。大阪府大阪市生まれ。 日本の初期のコンピュータ開発は、電子式では、城によるもの以外に、1949年に開発着手し1956年に完成動作した岡崎文次のFUJIC、1952年にプロジェクトが開始され1959年完成動作した東大TACがある。城の「阪大真空管計算機」 は、1953年のまとまった科学試験研究費により本格的に始まっている。しかし、予備実験的な段階までを含めると、1948年にはじまる三田繁による東芝TAC もあるが、城はENIACについての1946年のニューズウィークの記事を見て電子式の計算機械に取り組み、1950年にはENIACの1桁分のブロック線図にもとづいた10進4桁の演算装置を完成させている。
福田 武雄(ふくだ たけお、1902年9月30日 - 198… 福田 武雄(ふくだ たけお、1902年9月30日 - 1981年1月6日)は、昭和期の土木技術者・橋梁工学者。工学博士。大阪市出身。 1925年(大正14年)に東京帝国大学工学部土木工学科を卒業。大学では田中豊に師事。卒業後、田中が橋梁課長を務める内務省復興局の嘱託となる。 1926年(大正15年)には東京帝国大学助教授を兼務し、フィーレンディール橋の豊海橋を設計(1927年(昭和2年)竣工)。 1927年には、新潟市の萬代橋の設計を依頼され、田中や成瀬勝武(復興局橋梁課筆頭技師)の指導を受けながら、5か月で設計を仕上げ、その設計料で欧米に留学したという。なお、萬代橋は1929年に竣工した。 1933年(昭和8年)、土木学会賞を受賞。
島 秀雄(しま ひでお、1901年(明治34年)5月20日 … 島 秀雄(しま ひでお、1901年(明治34年)5月20日 - 1998年(平成10年)3月18日)は、昭和初期 - 中期の鉄道技術者。元日本国有鉄道(国鉄)技師長(1955年 - 1963年)。宇宙開発事業団(NASDA)初代理事長(1969年 - 1977年)。大阪府出身。島安次郎の子。 「デゴイチ」の愛称で知られる貨物用蒸気機関車D51形の設計に関与。また新幹線計画では、国鉄総裁の十河信二や新幹線総局長の大石重成らと共にその実現に大きく貢献し、「新幹線の生みの親」と称される。国鉄退職後は、宇宙開発事業団でロケット開発にも携わった。 1969年(昭和44年)に英国機械学会のジェームズ・ワット賞を日本人として初めて受賞。
二反長 音蔵(にたんちょう おとぞう、1875年(明治8年)… 二反長 音蔵(にたんちょう おとぞう、1875年(明治8年)7月1日 - 1951年(昭和26年)8月7日)は、日本の農民・農業技術者。阿片の材料となるケシの日本国内栽培に尽力した。「日本の阿片王」と称された。 大阪府三島郡福井村(現在の茨木市)の出身。旧姓は川端。 20歳頃よりアヘン材料となるケシの栽培に興味を示し、台湾総督府要人の後藤新平のバックアップを得ることに成功、福井村でケシ栽培をはじめる。以後ケシの栽培技術と品種の改良に努め、モルヒネ含有量が従来品種の数倍多い三島種を開発した。 昭和戦前期に日本は満州・朝鮮・内蒙古などの植民地・占領地でケシを栽培してアヘンを製造し、これが軍部の収入源となっていた。
パパダイスケ(生年月日非公表)は、日本の男性 レコーディング… パパダイスケ(生年月日非公表)は、日本の男性 レコーディング・エンジニア、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー、マルチプレイヤー。本名は村川大介。大阪府大阪市出身。 立命館大学卒業後、プロのギタリストを目指していたが、レコーディング・エンジニアに転向。その後、音楽プロデューサーとして有山じゅんじ、ネーネーズ、ブギー・マンなどのレコーディングに参加。1995年にはネーネーズのアルバム『なーらび』でプロ音楽録音賞を受賞した。 1998年からは花*花のプロデュースを担当し、シングル「あ〜よかった」、「さよなら 大好きな人」、アルバム『2 souls』が各種50万枚以上の売り上げを記録した。他に、大西ユカリと新世界、少年ナイフ、高田志麻など、数多くのアーティストの作品を手掛ける。