塩谷 和彦(しおたに かずひこ、1974年5月27日 - )… 塩谷 和彦(しおたに かずひこ、1974年5月27日 - )は、兵庫県高砂市出身の元プロ野球選手(内野手、外野手、捕手)。愛称は「シオ」など。
兵庫県:424人
塩谷 和彦(しおたに かずひこ、1974年5月27日 - )… 塩谷 和彦(しおたに かずひこ、1974年5月27日 - )は、兵庫県高砂市出身の元プロ野球選手(内野手、外野手、捕手)。愛称は「シオ」など。
益田 大介(ますだ だいすけ、1973年9月27日 - )は… 益田 大介(ますだ だいすけ、1973年9月27日 - )は、兵庫県明石市出身の元プロ野球選手(外野手、右投左打)・コーチ。
浦口 雅広(うらぐち まさひろ、1973年5月21日 - )… 浦口 雅広(うらぐち まさひろ、1973年5月21日 - )は、兵庫県姫路市出身の元社会人野球選手(内野手)。右投右打。 東洋大附姫路高校3年時1991年にオリックス・ブレーブスと阪神タイガースからドラフト指名意向を伝えられ、特にオリックス監督の上田利治が直接高校を訪れるなどして注目を浴びたが、大学進学を表明して関西大学にスポーツ推薦枠で進学した[要出典]。同期には岡本晃がいる。 関西大学では1年春のシーズンから遊撃手のレギュラーとして試合出場し、4年の秋のシーズン終了まで全試合フルイニング出場を記録した。関西学生野球リーグ通算95試合出場、340打数99安打、打率.291、4本塁打、42打点。
岡本 晃(おかもと あきら、1973年5月3日 - )は、兵… 岡本 晃(おかもと あきら、1973年5月3日 - )は、兵庫県神戸市出身の元プロ野球選手(投手)。
永川 満寿(ながかわ みつひさ、1973年4月22日 - )… 永川 満寿(ながかわ みつひさ、1973年4月22日 - )は、兵庫県西宮市出身の元プロ野球選手(内野手)。右投右打。
大石 昌義(おおいし まさよし、1972年7月18日 - )… 大石 昌義(おおいし まさよし、1972年7月18日 - )は、兵庫県西宮市出身の元プロ野球選手(投手、外野手)。右投右打。 一度現役を引退した後、打撃投手としての採用を受けた後に現役復帰し野手転向した変わり種である。 中学時代は常盤貴子の同級生であった。 鳴尾高卒業後、浪人中の1991年に広島東洋カープの新人テストを受け合格。1991年のプロ野球ドラフト会議で8位指名を受け入団するも、一軍登板のないままわずか2年で退団。2年目の終盤はファームで打者として出場していた。 その後、1994年に地元の阪神タイガースに打撃投手として採用されるが、6月に投手不足のため現役復帰。1996年には野手転向するが阪神でも一軍出場はならず、この年限りで現役引退。
伊藤 祐樹(いとう ゆうき、1972年7月7日 - )は、兵… 伊藤 祐樹(いとう ゆうき、1972年7月7日 - )は、兵庫県淡路市出身の元社会人野球選手(内野手)、野球指導者。右投左打。 兵庫県立津名高等学校から、北陸大学野球連盟に加盟する福井工業大学に進学。大学時代は全日本大学野球選手権大会に出場した。 大学卒業後の1995年に社会人野球の日産自動車に入社。強打があったわけではないが、堅実な守備と俊足を武器にたちまち遊撃手のポジションを手にした。その後、チーム事情に応じて三塁手や二塁手となることもあったが、スターティングオーダーから名前が消えることは殆ど無く、レギュラーを守り続けた。 1998年、第69回都市対抗野球大会で優勝に貢献したことが認められ、同年の社会人ベストナインの遊撃手部門を受賞。
万永 貴司(まんえい たかし、1972年7月7日 - )は、… 万永 貴司(まんえい たかし、1972年7月7日 - )は、兵庫県姫路市出身の元プロ野球選手、プロ野球指導者。 引退後もベイスターズ一筋でスカウトや指導者として活躍している。2018年から横浜DeNAベイスターズのファーム監督等を務め、現在は野手コーディネーター。 姫路工高から、中山製鋼所へ進む。 1992年に日本生命の補強選手として出場した都市対抗野球で優勝。 1993年には自チーム53年ぶりの都市対抗野球出場を果たし、ドラフト6位で横浜ベイスターズに入団。 1995年、プロ入り第1号ホームランを今中慎二から放つ。 1997年、プロ野球脱税事件に関わり、懲役10ヶ月(執行猶予2年)の有罪判決が下される。
北川 博敏(きたがわ ひろとし、1972年5月27日 - )… 北川 博敏(きたがわ ひろとし、1972年5月27日 - )は、兵庫県伊丹市出身の元プロ野球選手(内野手、捕手)、コーチ。 現役時代には、阪神タイガース、大阪近鉄バファローズ、オリックス・バファローズでプレー。大阪近鉄時代の2001年、パ・リーグ公式戦対オリックス・ブルーウェーブ戦にて代打逆転サヨナラ満塁優勝決定本塁打を放ったことで知られる。 2012年に現役を引退してからは、オリックスで一軍・二軍打撃コーチや事業本部企画事業部プロジェクトマネジャー(PM)を務めた。2017年から2019年まで東京ヤクルトスワローズの二軍打撃コーチを担当した後に、2020年から打撃コーチとして阪神に復帰。 出生から小学6年生の時まで伊丹市内で過ごした後に、中学1年生から埼玉県志木市へ転居。
長見 賢司(ながみ けんじ、1972年5月5日 - )は、兵… 長見 賢司(ながみ けんじ、1972年5月5日 - )は、兵庫県伊丹市出身の元プロ野球選手(外野手)。 伊丹西高では投手を務め、潜在能力を高く評価され1990年のプロ野球ドラフト会議で西武ライオンズから1位指名を受け入団。148キロの速球とカーブ、フォークが武器の投手だった。 しかし、4年間結果を残せずにプロ5年目の1995年から外野手に転向する。しかし、野手としても一軍出場を果たせず、一軍未出場のまま1997年キャンプ入り前にデニー友利と交換トレードで横浜ベイスターズへ移籍する。移籍1年目は一軍初出場を含む6試合に出場してプロ入り初安打も記録したが、変化球への弱さがアダとなり、翌1998年から3年間は再び一軍出場なしに終わり、2000年限りで現役を引退した。
丸尾 英司(まるお えいじ、1972年4月26日 - )は、… 丸尾 英司(まるお えいじ、1972年4月26日 - )は、兵庫県姫路市出身の元プロ野球選手(投手)。2008年から2015年まで社会人野球のパナソニック野球部にてヘッドコーチを務めていた。 網干中学では完全試合を記録するなど活躍し、東洋大姫路から勧誘を受けたが、のびのびした環境を求めて地元の姫路南高校に進学した。高校では1年夏からエースとなり、2年および3年の夏に兵庫大会で5回戦まで進出している。 高校卒業後は佛教大学に進学。京滋大学リーグで通算30試合に登板し25勝1敗。最優秀選手3回、最優秀投手2回、ベストナイン4回受賞。4年春にかけて18連勝のリーグ記録を樹立する。1992年秋季の京都学園大戦でノーヒットノーランを達成する。
戎 信行(えびす のぶゆき、1972年4月24日 - )は、… 戎 信行(えびす のぶゆき、1972年4月24日 - )は、兵庫県出身の元プロ野球選手(投手)。
山本 巧(やまもと たくみ、1972年〈昭和47年〉 - )… 山本 巧(やまもと たくみ、1972年〈昭和47年〉 - )は、日本の教育者、高校野球指導者。兵庫県立社高等学校硬式野球部監督、地歴科教諭。兵庫県多可町出身。 高校時代は社高校で、一塁手としてプレー。卒業後は民間会社勤務や学校職員などを経て佛教大で教員免許を取得した。 教員免許取得後は、西脇工業高校、小野高校の硬式野球部で監督を務め、小野では2008年夏の西兵庫大会で8強入りを果たした。 2014年春には社高校に赴任し、硬式野球部副部長に就き、同年夏からは橋本智稔前監督が顧問となり、監督に就任した。両氏は小野高校でも共に教職員として働いていた時期があり、旧知の仲である。 2021年、秋季兵庫県大会で、就任後初の県大会優勝・近畿大会出場(学校としては2003年以来18年ぶり)を果たした。
上田 好剛(うえだ よしたけ、1971年10月13日 - )… 上田 好剛(うえだ よしたけ、1971年10月13日 - )は、兵庫県姫路市出身の元プロ野球選手(投手)。 龍野実業高時代は、2年生秋の県大会でベスト16が最高であったが、社会人野球の中山製鋼所に入社後に頭角を現し、2年目に伊勢大会でノーヒットノーランを達成。1993年の都市対抗野球にチーム53年ぶりの出場、注目を浴びた。 同年のドラフト会議で逆指名の2位で広島東洋カープに入団。姓の読みが同じ植田幸弘が前年までつけていた背番号「23」を受け継いだ。この年のドミニカウインターリーグに早速派遣された。 速球派の即戦力としての期待されていたが、プロ入り後フォームを崩して低迷。4年で自由契約となり、1998年は阪神タイガースに移籍したが1年で退団。
出口 雄大(でぐち ゆうだい、本名:出口 幸夫(でぐち ゆき… 出口 雄大(でぐち ゆうだい、本名:出口 幸夫(でぐち ゆきお)、1971年9月23日 - )は、兵庫県尼崎市出身の元プロ野球選手(外野手)。
堤 尚彦(つつみ なおひこ、1971年7月26日 - )は、… 堤 尚彦(つつみ なおひこ、1971年7月26日 - )は、日本の元アマチュア野球選手、野球指導者。 兵庫県加東市出身。小学校4年次に東京へ転居し世田谷リトルリーグで野球を始める。中学校へ進学すると一転してハンドボール部へ入るという生活を送った。 だが、野球への思いも断ち難く進路に迷っている時に佐藤道輔(当時=東京都立東大和高等学校野球部監督)の著書『甲子園の心を求めて 高校野球の汗と涙とともに』を読んで大いなる感銘を受けたことがきっかけで「都立高校で野球をしよう」と思い立ち、東京都立千歳高等学校(現:東京都立芦花高等学校)へ進学する。 高等学校卒業後は一年浪人して東北地区の大学野球の名門たる東北福祉大学へ入学し、内野手にコンバートされる。
前田 勝宏(まえだ かつひろ、1971年6月23日 - )は… 前田 勝宏(まえだ かつひろ、1971年6月23日 - )は、兵庫県神戸市垂水区出身の元プロ野球選手(投手)。
田吹 昭博(たぶき あきひろ、1971年6月20日 - )は… 田吹 昭博(たぶき あきひろ、1971年6月20日 - )は、兵庫県西宮市出身の元プロ野球選手(投手)。 作陽高では2年秋の中国大会でベスト8となり3年春も県大会準優勝、1989年オフにドラフト外で日本ハムファイターズに入団。 1995年に一軍で初登板を果たすも、その後は一軍での登板は無く1999年に現役を引退。 2000年から2006年まで日本ハムの打撃投手、2007年から2012年まで中日ドラゴンズで打撃投手を務めた。
安藤 美佐子(あんどう みさこ、1971年3月21日 - )… 安藤 美佐子(あんどう みさこ、1971年3月21日 - )は、岐阜県出身の女子ソフトボール選手(内野手)・指導者。遊撃手としての守備力の高さから「世界一のショートストップ」と称賛された。 岐阜県出身。小学4年生から6年生までは野球をしていたが、中学生からソフトボールを始めた。夙川学院高等学校卒業。安藤が高校生の頃、ソフトボールはオリンピック競技ではなかったが、高校2年生の時にアンダー世代の日本代表として海外親善試合を戦っている。夙川学院高校卒業後、太陽誘電女子ソフトボール部に加入した。1996年のアトランタオリンピックからソフトボールがオリンピック競技となり、安藤は日本代表の主将として4位となった。
的山 哲也(まとやま てつや、1970年10月1日 - )は… 的山 哲也(まとやま てつや、1970年10月1日 - )は、兵庫県姫路市出身の元プロ野球選手(捕手)、プロ野球コーチ。右投右打。2009年から福岡ソフトバンクホークスのバッテリーコーチを務めている。
山路 典子(やまじ のりこ、1970年9月17日 - )は、… 山路 典子(やまじ のりこ、1970年9月17日 - )は、兵庫県出身の女子ソフトボール選手(捕手)・指導者。元太陽誘電ソルフィーユ監督。2000年シドニーオリンピック銀メダリスト、2004年アテネオリンピック銅メダリスト。 日本リーグ1部の太陽誘電で1989年から2010年まで選手としてプレー。その間、多くのシーズンで監督兼任・コーチ兼任などを経験した。2011年以降は監督専任。 日本代表選手としても、オリンピック(1996年・2000年・2004年)や世界選手権(1994年・1998年・2002年)といった主要国際大会に数多く出場。 2022年7月に台湾の台北で開催された世界野球ソフトボール連盟(WBSC)総会において、現役選手時代の活躍が評価され、選手部門における国際ソフトボール殿堂入りを果たした。
佐野 貴英(さの たかひで、1970年8月16日 - )は元… 佐野 貴英(さの たかひで、1970年8月16日 - )は元プロ野球選手。
児玉 千佳(こだま ちか、1970年3月19日 - )は、兵… 児玉 千佳(こだま ちか、1970年3月19日 - )は、兵庫県出身の女子ソフトボール選手(内野手)。1996年アトランタオリンピック日本代表。結婚後の姓は宮崎。 現役時代は太陽誘電に所属。ポジションは内野手で、主に三塁手であった。 日本代表としても世界選手権、アジア競技大会、アトランタオリンピックなどに出場した。 太陽誘電時代の内野は、エース渡辺正子・キャッチャー山路典子・ファースト中田まり・セカンド川島久美・サード児玉千佳・ショート安藤美佐子という布陣で、全員日本代表メンバーであった。 太陽誘電に在籍していた際に当時の太陽誘電のトレーナーと結婚して姓が宮崎となった。息子の宮崎竜成は創志学園高校野球部で2018年(高校3年時)に夏の甲子園に出場し、2回戦の下関国際高校との試合では9回に代打で登場してヒットを放った。
有働 克也(うどう かつや、1969年9月24日 - )は、… 有働 克也(うどう かつや、1969年9月24日 - )は、兵庫県神戸市長田区出身の元プロ野球選手(投手、右投右打)・コーチ。1996年の一時の登録名は有働 勝次(うどう かつじ)。
田口 壮(たぐち そう、1969年7月2日 - )は、福岡県… 田口 壮(たぐち そう、1969年7月2日 - )は、福岡県生まれ、兵庫県西宮市出身の元プロ野球選手(外野手・内野手、右投右打)、野球解説者・野球評論家。 セントルイス・カージナルスとフィラデルフィア・フィリーズ時代にワールドシリーズを制覇している。 妻は元TBSアナウンサーの香川恵美子で、一男あり。 福岡県生まれ。クラレに勤務していた実父・允之(よしゆき)の転勤によって、2歳から8歳まで千葉県、8歳から小学校5年生夏までを岡山県岡山市、中学校時代から大学時代までを兵庫県西宮市で過ごした。 允之はかつて、社会人野球チームのクラレ岡山硬式野球部(1973年廃部)の外野手として活躍していた。その影響で、2歳上の兄(捕手)と共に3歳から野球を始めると、岡山市立平福小学校では当時住んでいた同社社宅内のソフトボールチームに所属(遊撃手)、優勝大会多数。
上田 浩明(うえだ ひろあき、1969年4月30日 - )は… 上田 浩明(うえだ ひろあき、1969年4月30日 - )は、兵庫県出身の元プロ野球選手(内野手)。
鎌仲 政昭(かまなか まさあき、1969年4月17日 - )… 鎌仲 政昭(かまなか まさあき、1969年4月17日 - )は、兵庫県神戸市出身の元プロ野球選手(投手)。 神戸市立上野中学校3年時には京阪神大会で完全試合を達成し、強豪校からも誘われていた。しかし、兵庫県立神戸高等学校へ進み、速球派として注目される。3年夏の県大会はシード校で臨んだ初戦で和田山商を相手に延長11回で14奪三振の力投もサヨナラ負け。進学を希望していたが1987年のプロ野球ドラフト会議で中日ドラゴンズから2位指名を受け入団。兵庫県きっての公立進学校からのプロ野球選手誕生ということで話題になった。 プロ2年目の1989年はMLB1Aのベロビーチ・ドジャースに野球留学した。本格派投手として期待されたが伸び悩み、一軍初登板はプロ5年目の1992年であった。
成本 年秀(なりもと としひで、1968年9月11日 - )… 成本 年秀(なりもと としひで、1968年9月11日 - )は、兵庫県西宮市出身の元プロ野球選手(投手)、野球指導者。 1968年、西宮市で衣料品店を経営する両親のもとに生まれる。小学校の頃は「阪神タイガース子供の会」に入り、自転車でわずか20分の距離だった甲子園球場で年10回以上は観戦していた。掛布雅之に憧れ、中学校では4番・三塁手を務めた。進学した地元の西宮東高では部員がわずか12名だったこともあり、投手に転向。全体練習後に1時間以上かけて投球フォームを固め、さらに武庫川沿いを走ってトレーニングしていた。3年夏の兵庫大会はベスト16で敗れたが、最速138km/hの速球がスカウトに注目されるようになっており、校内にもスカウトは多く来ていたが高校時代には指名はされなかった。
長谷川 滋利(はせがわ しげとし、1968年8月1日 - )… 長谷川 滋利(はせがわ しげとし、1968年8月1日 - )は、兵庫県加古川市出身の元プロ野球選手(投手)、野球解説者。2016年11月1日からは、オリックス・バファローズのシニアアドバイザー(SA)を務める。
大村 慎次(おおむら しんじ、1968年7月24日 - )は… 大村 慎次(おおむら しんじ、1968年7月24日 - )は、兵庫県神戸市出身の元プロ野球選手(外野手)。
榊原 勝也(さかきばら かつや、1968年7月1日 - )は… 榊原 勝也(さかきばら かつや、1968年7月1日 - )は兵庫県出身の元プロ野球選手(外野手・捕手)である。右投げ右打ち。
坂 孝一(さか こういち、1968年5月31日 - )は、兵… 坂 孝一(さか こういち、1968年5月31日 - )は、兵庫県尼崎市出身の元プロ野球選手(内野手)。 村野工業高では1年生の時からレギュラーとなり1984年は夏の兵庫県大会で決勝まで進出する。4番、遊撃手で高校通算打率.370、本塁打15本。1986年オフにドラフト外で阪神タイガースに入団。二塁や遊撃をメインにファームでレギュラーとなる。 プロ5年目の1991年に代走で一軍初出場を果たす。1992年限りで現役を引退した。 引退後も球団に残り、現在は企画統括部の部長(編成担当)を務める。
多岐 篤司(たぎ あつし、1968年5月25日 - )は、島… 多岐 篤司(たぎ あつし、1968年5月25日 - )は、島根県生まれ、兵庫県西宮市出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。
嶋尾 康史(しまお やすひと、1968年5月6日 - )は、… 嶋尾 康史(しまお やすひと、1968年5月6日 - )は、兵庫県姫路市出身の元プロ野球選手(投手、右投右打)、俳優。1989年から1991年の登録名は嶋尾 慶一(読みは同じ)。
柴田 佳主也(しばた かずや、1968年3月16日 - )は… 柴田 佳主也(しばた かずや、1968年3月16日 - )は兵庫県明石市出身の元プロ野球選手(投手)。現役時代は130キロ台の速球ながら、スライダーを武器に左のサイドスローとしてワンポイントリリーフで活躍した。「連続登板機会敗戦なし」のプロ野球記録保持者(235試合)。
小浜 裕一(こはま ゆういち、1968年2月19日 - )は… 小浜 裕一(こはま ゆういち、1968年2月19日 - )は、兵庫県神戸市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 葺合高では甲子園出場は無く夏の県大会3回戦が最高成績だった。1985年オフにドラフト外で阪急ブレーブスにテスト入団。 プロ5年目の1990年に一軍初登板を果たす。1994年シーズン限りで現役を引退。 引退後は、オリックスの打撃投手、一軍マネージャーほか、球団本部管理部長、球団副本部長兼事業本部事業運営部長を経て2024年1月1日付で執行役員(連盟担当)球団本部長に就任。
松田 慎司(まつだ しんじ、1967年12月17日 - )は… 松田 慎司(まつだ しんじ、1967年12月17日 - )は、兵庫県出身の元プロ野球選手(投手)。現在は東京ヤクルトスワローズのスカウト。
原田 和彦(はらだ かずひこ、1967年11月18日 - )… 原田 和彦(はらだ かずひこ、1967年11月18日 - )は、広島県出身の元プロ野球選手(捕手)。 村野工業高では2年夏に三塁手として県大会決勝へ進むが敗退、1学年下の坂孝一が遊撃手であった。1985年オフにドラフト外で近鉄バファローズへ入団。 プロ6年目の1991年に1試合一軍出場を果たすが、一軍出場はこの試合のみで翌1992年限りで現役を引退。
大塚 光二(おおつか こうじ、本名:大塚 孝二(読み同じ)、… 大塚 光二(おおつか こうじ、本名:大塚 孝二(読み同じ)、1967年8月26日 - )は、元プロ野球選手(外野手)・コーチ。2015年7月27日からは、東北福祉大学硬式野球部の監督を務めている。
本田 明浩(ほんだ あきひろ、1967年8月18日 - )は… 本田 明浩(ほんだ あきひろ、1967年8月18日 - )は、兵庫県西脇市出身の元プロ野球選手(捕手)。
木戸 賢永(きど たかなが、1967年6月14日 - )は、… 木戸 賢永(きど たかなが、1967年6月14日 - )は、兵庫県淡路市出身のプロ野球選手(捕手)。 津名高校では、1年夏に夏の県大会準優勝、1985年・3年夏の県大会では準々決勝で報徳学園高校に敗北し甲子園出場を逸する。高校では通算28本塁打を放つ。高校同期に外野手の吉田征人がいる。 1986年に南海ホークスへドラフト外で入団。一軍出場のないまま1988年に選手を引退し、翌年からブルペン捕手となり1991年には23歳でコーチ補佐となった。1992年からはチームスタッフとなった。
池上 誠一(いけうえ こういち、1967年6月12日 - )… 池上 誠一(いけうえ こういち、1967年6月12日 - )は、兵庫県神戸市西区出身の元プロ野球選手(投手)。 現役時代の愛称は「フランケン」(ホラー映画に登場するフランケンシュタインの怪物のように長方形の面長で、ゴツゴツした風貌から)。 滝川高等学校から1985年のドラフト4位で近鉄バファローズから指名され入団。 1987年、米マイナー・ルーキーリーグのソルトレイクシティ・トラッパーズ(英語版)に野球留学した。ここでは米・プロ野球チーム史上最長となる29連勝に貢献し、その様子を描いたドキュメンタリー映画「The Streak」が2024年に上映されている。 近鉄では主にリリーフ投手として活躍し、ローテーションの谷間で先発することもあった。
豊田 次郎(とよだ じろう、1967年6月2日 - )は、兵… 豊田 次郎(とよだ じろう、1967年6月2日 - )は、兵庫県姫路市出身の元プロ野球選手(投手)。
藤岡 寛生(ふじおか ひろき、1966年10月18日 - )… 藤岡 寛生(ふじおか ひろき、1966年10月18日 - )は、兵庫県神戸市北区出身の元プロ野球選手(内野手)。右投右打。
川畑 泰博(かわばた やすひろ、1966年7月27日 - )… 川畑 泰博(かわばた やすひろ、1966年7月27日 - )は、兵庫県洲本市出身の元プロ野球選手(投手)。 小学4年の時に野球を始める。 洲本高では、1年夏の県大会で7回参考記録ながらノーヒットノーランを達成。2年生時の1983年に投手として夏の甲子園予選決勝に進出するが、池山隆寛のいた市尼崎高に完封負け。 1984年の夏も県予選で敗れ、甲子園には出場できなかった。 同年のプロ野球ドラフト会議で中日ドラゴンズから2位指名を受け入団。 1986年に一軍デビュー。 1987年には主に先発として一軍に定着する。 1988年4勝を挙げて同年のリーグ優勝に貢献。 1989年は1A・ベロビーチ・ドジャースに野球留学した。
葉室 太郎(はむろ たろう、1966年5月15日 - )は、… 葉室 太郎(はむろ たろう、1966年5月15日 - )は、兵庫県姫路市出身の元プロ野球選手(捕手)。
平林 岳(ひらばやし たけし、1966年3月1日 - )は、… 平林 岳(ひらばやし たけし、1966年3月1日 - )は、兵庫県生まれのプロ野球審判員。日米のプロ野球で審判を務め、2012年からは、NPBの審判技術委員(現スーパーバイザー)。 兵庫県生まれ。幼少の頃からプロ野球選手を夢見る野球少年だったが、14歳の時に自分の才能の限界に気付き、一転「プロ野球の審判」になるという夢を持つ。千葉県立柏高等学校、國學院大學法学部時代も野球を続けていたが、大学時代は審判に専念していた。大学卒業後、日本のセ・パ両リーグの審判テストを受けるものの、裸眼視力が規定に満たず不合格になる。 1992年1月に渡米しジム・エバンス審判学校に入学。日本人初のアメリカ野球審判となる。
池山 隆寛(いけやま たかひろ、1965年12月17日 - … 池山 隆寛(いけやま たかひろ、1965年12月17日 - )は、兵庫県尼崎市出身の元プロ野球選手(内野手、右投右打)、コーチ、監督。 NPBにおける現役時代はヤクルトスワローズ一筋のフランチャイズ・プレイヤーとして、1984年から2002年まで19年間プレーした。フルスイングを信条としており、その豪快なスイングから「ブンブン丸」の愛称で親しまれた。そのバッティングスタイルから、現役時代は三振が多かったものの、1988年から5年連続30本塁打を達成するなど、主軸打者として活躍、通算304本塁打を記録した。この通算本塁打記録は2025年に山田哲人に更新されるまで球団記録だった。引退後は東北楽天ゴ
中谷 忠己(なかたに ただみ、1965年9月1日 - )は、… 中谷 忠己(なかたに ただみ、1965年9月1日 - )は、兵庫県神戸市出身の元プロ野球選手(外野手)。 村野工業高から、1983年オフにドラフト外で阪神タイガースに入団。 1987年に1軍初出場を果たすが、1988年のシーズン中に久保康生とのトレードで近鉄バファローズに移籍。移籍後は、代打として1軍定着を果たした。 1993年オフ、オリックス・ブルーウェーブに移籍。しかし1年で自由契約になり、阪神に復帰する。だが春季キャンプ中に靭帯を断裂し、1995年オフに現役を引退した。 現在は、大阪市中央区でちゃんこ鍋店を経営。 ニックネームは「まんぼう」だった。
古田 敦也(ふるた あつや、1965年8月6日 - )は、兵… 古田 敦也(ふるた あつや、1965年8月6日 - )は、兵庫県川西市出身の元プロ野球選手(捕手)、監督(東京ヤクルトスワローズ選手兼任監督〈第19代監督〉)。右投右打。現在は野球解説者、タレント、スポーツキャスター。日本プロ野球名球会副理事長。芸能プロダクションは株式会社エーポイント所属。マネジメントは株式会社ビッグベンと業務提携。妻はフリーアナウンサーの中井美穂。