杉山 蕃(すぎやま しげる、1938年(昭和13年)1月16… 杉山 蕃(すぎやま しげる、1938年(昭和13年)1月16日 - )は、航空自衛官。兵庫県出身。第22代航空幕僚長、第21代統合幕僚会議議長。保守系日刊紙『世界日報 (日本)』のコラム「ビューポイント」の常連寄稿者の一人である。現在は千葉県在住。戦闘機パイロット出身でTACネームは“BAN”。
兵庫県:4,798人
杉山 蕃(すぎやま しげる、1938年(昭和13年)1月16… 杉山 蕃(すぎやま しげる、1938年(昭和13年)1月16日 - )は、航空自衛官。兵庫県出身。第22代航空幕僚長、第21代統合幕僚会議議長。保守系日刊紙『世界日報 (日本)』のコラム「ビューポイント」の常連寄稿者の一人である。現在は千葉県在住。戦闘機パイロット出身でTACネームは“BAN”。
松本 好雄(まつもと よしお、1938年(昭和13年)1月6… 松本 好雄(まつもと よしお、1938年(昭和13年)1月6日 - 2025年(令和7年)8月29日)は、日本の実業家、馬主。 兵庫県明石市に本社を置く船舶用部品メーカー・株式会社きしろの代表取締役会長を務めたほか、「メイショウ」の冠名を用いる馬主として多くの競走馬を所有したことでも知られていた。 1938年(昭和13年)1月6日、兵庫県明石市出身。きしろ発動機株式会社(当時)の社長であった松本金次の長男として生まれる。父の経営する工場に出入りするなどして理系を志し、千葉工業大学工業経営学科に進学。6年かけて同大学を卒業、卒業研究のテーマは「自動車部品プレス加工工程の短縮」であった。1962年(昭和37年)にきしろ発動機入社、その後取締役専務を経て、1972年(昭和47年)、父の急逝に伴い社長に就任した。
馬淵 かの子(まぶち かのこ、旧名:津谷 鹿乃子〈つたに か… 馬淵 かの子(まぶち かのこ、旧名:津谷 鹿乃子〈つたに かのこ〉、1938年〈昭和13年〉1月6日 - 2025年〈令和7年〉1月4日)は、日本の元飛込競技選手。現役時代は倉敷レーヨンに所属した。 松蔭女学校入学と同時に飛込競技を始め、1954年、16歳で日本代表としてアジア大会に初出場。1954年から1974年までのアジア大会にて3m飛板飛込と10m高飛込で計5個のメダルを獲得した。夫である馬淵良とともに1956年メルボルン、1960年ローマ、1964年東京オリンピックで7位から16位に入る。産後、一度は引退するも現役復帰を果たしている。娘の馬淵よしのもオリンピックに出場した飛込競技選手。 二度目の現役引退後は夫・良と共にJSS宝塚スイミングスクール(日本国内初の飛込競技専用屋内プール)を立ち上げ、実娘の馬淵よしの、寺内健、玉井陸斗など数多くの選手を指導、80歳を超えるまで現役指導者であった。
中平 邦彦(なかひら くにひこ、1938年 - )は、日本の… 中平 邦彦(なかひら くにひこ、1938年 - )は、日本の将棋観戦記者、ジャーナリスト、ノンフィクション作家。筆名=原田 史郎。武庫川女子大学講師。現代風俗研究会、日本文芸家協会会員。 兵庫県芦屋市生まれ。同志社大学卒業。神戸新聞社に入社、論説委員長、1988年、論説副委員長。 将棋の観戦記者としても知られ、東京新聞などの王位戦(神戸新聞社は1973年から主催に加わる)で執筆も行う。1987年「パルモア病院日記-三宅廉と二万人の赤ん坊たち」で第11回井植文化賞(報道出版部門)。2017年、第24回大山康晴賞を受賞。
来住 しげ樹(きし しげき、1938年 - )は、日本の画家… 来住 しげ樹(きし しげき、1938年 - )は、日本の画家。西脇市岡之山美術館名誉館長・美術家・日本美術家連盟会員・湊川短期大学名誉教授。兵庫県西脇市生まれ。「来住しげ樹/子どものアトリエ」主宰。現在は、土曜日夜19時ー21時まで・大人と子供の教室として10人程度の教室を続けています。「一生の仕事」として…。息子を溺愛。 1955年頃から画家活動。1973新構造社絵画部会員のち1983年審査会員、2008年退会、現在無所属。日本美術家連盟会員。現在美術家として活動。公的コレクション多数。壁画、モニュメントなど多数。横尾忠則の作品収蔵と展示を行う「西脇市岡之山美術館」の館長を務め、2013年3月退任。
中西 元男(なかにし もとお、1938年 - )は、日本の大… 中西 元男(なかにし もとお、1938年 - )は、日本の大学教員。東方設計大学栄誉教授。 兵庫県神戸市長田区生まれ。神戸市立西代中学校、兵庫県立長田高等学校、桑沢デザイン研究所を経て、早稲田大学第一文学部美術専修を卒業。早稲田大学大学院文学研究科修士課程中退。 在学中に、総合大学にこそデザイン教育の拠点を設けるべきと「早稲田大学デザイン学部設置への試案」を発表。また、浜口隆一とわが国最初の経営戦略デザイン書「デザイン・ポリシー/企業イメージの形成」を共著。大学時代は、デザインとマーケティング、経営学などの境界領域の研究に注力する。 1968年 株式会社PAOS設立。経営者に理解されるデザイン理論の確立とデザイン手法の開発をテーマに研究と実践を重ね、現在までに約100社のCI・ブランド、事業戦略デザインなどを手掛け、多くの成功例と代表事例を世に送り出す。
伊藤 研一(いとう けんいち、1937年12月27日 - 2… 伊藤 研一(いとう けんいち、1937年12月27日 - 2011年2月20日)は、日本の経営者。伊藤ハム社長、会長を務めた。創業者伊藤傳三の長男。 兵庫県神戸市出身。1960年に慶應義塾大学経済学部を卒業。1959年6月に伊藤ハム取締役に就任し、1965年に常務、1977年5月に専務を経て、1981年7月に社長に就任。2002年10月に会長に就任。 1994年4月に藍綬褒章を受章。 2011年2月20日、急性肺炎のために死去。73歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
松田 英三郎(まつだ ひでさぶろう、1937年12月11日 … 松田 英三郎(まつだ ひでさぶろう、1937年12月11日 - )は、日本の経営者。阪急百貨店社長を務めた。 兵庫県神戸市出身、在住。1956年に慶應義塾大学法学部を卒業し、同年に阪急百貨店に入社。若いころは営業を担当した。 1985年6月に取締役に就任して以降も開発を担当しており、現場との接点が多く、「現場の声を聴いて組み立てる」のが持論だった。量販店が周囲に多い川西阪急ではアクセサリーなど身の回り品の充実、商圏が狭い宝塚阪急では商品の絞り込みで成功した。その後は常務、専務に就任。1992年(平成4年)ごろ、当時社長の福光尚次からの要請で、次期社長の修行も兼ね、東京店舗事業本部長に就任。赤字が続いた首都圏3店舗(東京大井店=大井阪急、有楽町阪急=阪急百貨店#阪急メンズ東京、数寄屋橋阪急=現在は閉店)の問題を担当した。
川口 真(かわぐち まこと、1937年11月5日 - 202… 川口 真(かわぐち まこと、1937年11月5日 - 2021年10月20日)は、日本の作曲家、編曲家。兵庫県神戸市出身。本名:川口 眞弘(かわぐち まさひろ)。 幼少期は岡山県倉敷市、岡山市育ち。岡山県立岡山操山高等学校を卒業後、東京芸術大学に進学した。 東京芸術大学音楽学部楽理科に2年在籍したのち、作曲科へ転科。在学中から越路吹雪のバックバンド「クレール・ド・シャルム」のピアニストとして活動。その傍らでいずみたくの事務所で編曲のアルバイトも行っており、ミュージカル『見上げてごらん夜の星を』で編曲家としてデビュー。そのまま本業となったため、大学は4年で中退。 1966年、ザ・ベンチャーズが作曲した「二人の銀座」(歌:和泉雅子・山内賢)の編曲を担当。
末松 氷海子(すえまつ ひみこ、1937年10月22日 - … 末松 氷海子(すえまつ ひみこ、1937年10月22日 - )は、日本のフランス児童文学の研究者、翻訳家。筆名は、生家の姓。 兵庫県芦屋市出身。父は朝日新聞記者の末松満()。本姓・井出。早稲田大学政経学部新聞学科卒。1961年から1962年、フランス・リールのカトリック大学(英語版)新聞学部に学ぶ。1964年に行政学者の井出嘉憲と結婚。
岡田 義弘(おかだ よしひろ、1937年(昭和12年)10月… 岡田 義弘(おかだ よしひろ、1937年(昭和12年)10月16日 - 2023年(令和5年)7月10日)は、日本の政治家。元兵庫県三田市長(2期)。 兵庫県姫路市出身。中央大学工学部卒。三田市役所に入り、助役などを務める。1999年(平成11年)の市長選に立候補し、初当選。2003年(平成15年)の市長選に再選。2007年(平成19年)に退任した。2015年、旭日小綬章受章。 2023年(令和5年)7月10日、誤嚥性肺炎のため、兵庫県三田市の病院で死去した。85歳没。死没日付をもって正六位に叙された。
姫田 光義(ひめた みつよし、1937年10月2日 - )は… 姫田 光義(ひめた みつよし、1937年10月2日 - )は、日本の歴史学者。専門は中国現代史、中国共産党史。中央大学経済学部名誉教授。筆名=武内 香里(タケウチ カオリ)。アジア政経学会、日本平和学会会員。「撫順の奇蹟を受け継ぐ会」会員。映像民俗学者の姫田忠義は兄。 兵庫県神戸市出身。東京教育大学文学部東洋史学科卒。東京教育大学大学院東洋史学専攻博士課程修了。1967年、日本国際問題研究所所員。1972年、香港総領事館特別研究員(~1973年10月)。1975年、中央大学助教授。1977年、同教授。1993年、同学生部長(~1995年)。2008年、同退職、名誉教授。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
木戸 美摸(きど よしのり、1937年9月18日 - 202… 木戸 美摸(きど よしのり、1937年9月18日 - 2023年12月25日)は、兵庫県加古川市出身のプロ野球選手(投手)・コーチ・監督。 兵庫農業短期大学附属高等学校を経て、1955年に読売ジャイアンツへ入団。 2年目の1956年に一軍初登板で3勝を挙げるが、5月20日にで開催された広島戦(広島総合)で巨人に3連敗してイライラしていた熱狂的な広島ファンがスタンドからビール瓶などを投げ込み、マウンドからベンチへ引き上げようとしていた木戸の右足にビール瓶が命中し、膝下を2針縫う負傷をした。 3年目の1957年には17勝7敗で新人の藤田元司と並んでチームの勝ち頭になると共に勝率.708で最高勝率のタイトルを獲得し、防御率2.36でリーグ6位に入った。
梅林 宏道(うめばやし ひろみち、1937年9月1日 - )… 梅林 宏道(うめばやし ひろみち、1937年9月1日 - )は、平和運動家。NPO法人ピースデポ代表。工学博士。兵庫県洲本市出身。 ほか、核軍縮議員ネットワーク(PNND)東アジア・コーディネーターなどを務める。
竹下 元章(たけした もとあき、1937年8月26日 - 1… 竹下 元章(たけした もとあき、1937年8月26日 - 1985年8月12日)は、兵庫県出身のプロ野球選手(捕手)。右投右打。 兵庫県立西宮高等学校を卒業。 1956年に広島カープへ入団。 1958年に公式戦初出場を果たすも、田中尊らの壁に阻まれて出場機会には恵まれず。 1961年オフに現役を引退した。 その後は三菱電機グループである指月電機製作所に転職し、同社の北関東営業所に配属されたため群馬県に在住していた。 1985年、第67回全国高等学校野球選手権大会に群馬県代表として出場する東京農業大学第二高等学校野球部在籍の息子・政宏(まさひろ)の応援で阪神甲子園球場へ向かうため、8月12日に羽田発伊丹行の日本航空123便に搭乗し、墜落事故に巻き込まれ死亡。
前野 育三(まえの いくぞう、1937年8月10日 - )は… 前野 育三(まえの いくぞう、1937年8月10日 - )は、日本の法学者、弁護士。関西学院大学名誉教授。専門は、刑事法(刑法、刑事政策、少年法)。元民主主義科学者協会法律部会理事。法学修士。兵庫県出身。2016年、春の叙勲で瑞宝中綬章を受章。
新谷 琇紀(しんたに ゆうき、1937年7月26日 - 20… 新谷 琇紀(しんたに ゆうき、1937年7月26日 - 2006年8月31日)は、日本の具象彫刻家。
寺谷 弘壬(てらたに ひろみ、1937年7月17日 - )は… 寺谷 弘壬(てらたに ひろみ、1937年7月17日 - )は、日本の社会学者、ソ連研究者。青山学院大学名誉教授。 神戸市生まれ。1960年神戸市外国語大学ロシア語科卒業、1968年プリンストン大学社会学大学院博士課程中退。 1974年法政大学講師、1976年青山学院大学経営学部助教授、教授。2008年定年、名誉教授。 公明党に対しては肯定的な価値観を持っており、支持を表明している。
江夏 健一(えなつ けんいち、1937年7月13日 - 20… 江夏 健一(えなつ けんいち、1937年7月13日 - 2024年10月29日)は、日本の経済学者。早稲田大学名誉教授。 神戸市出身。兵庫県立星陵高等学校を経て、1961年早稲田大学教育学部英文科卒、1968年同大学院商学研究科国際経済学専攻博士課程満期退学、1984年「多国籍企業の現代的意義に関する研究」で商学博士の学位を取得。1968年近畿大学商経学部専任講師、1970年助教授、1977年教授、1981年関西学院大学商学部教授、1987年早稲田大学商学部教授。1994-1998年早稲田実業学校校長を兼任。のち副総長、2008年定年、名誉教授、ハリウッド大学院大学学長を務めた。2016年春瑞宝中綬章受勲。
内重 のぼる(うちのえ のぼる、1937年6月30日生)は、… 内重 のぼる(うちのえ のぼる、1937年6月30日生)は、元宝塚歌劇団月組主演スター(男役)。兵庫県西宮市出身。本名・浦辺 幸子(うらべ さちこ)。 宝塚歌劇団時代の公称身長は163cm。宝塚歌劇団時代の愛称は、サチ、サッちゃん(本名の幸子から)。宝塚歌劇団41期生。 1953年、宝塚音楽学校入学。 1954年、宝塚音楽学校を卒業し、宝塚歌劇団に入団。星組公演『春の踊り』で初舞台。宝塚入団時の成績は51人中3位。初舞台後、星組に配属され、後に月組に異動となる。 1967年5月、宝塚歌劇団退団。最終出演公演の演目は月組公演『霧深きエルベのほとり』 那智わたる・藤里美保とともにマル(那智)・サチ・オソノ(藤里)とたたえられた男役スター。
西本 道則(にしもと みちのり、1937年6月29日 - [… 西本 道則(にしもと みちのり、1937年6月29日 - [要出典])は、兵庫県出身の元プロ野球選手(投手)。 1956年に柏原高を卒業するが、教師を志望して受験した関西学院大学を不合格となり浪人していた。同年7月に叔父の勧めで高橋ユニオンズの入団テストを受けると、遠投で1位になるなど、実力を認められて仮採用となる。3人の仮採用の一人に東映を退団していた小川健太郎もいた。その後、西本だけが本採用となって11月に正式に入団する。しかし、1957年のキャンプ中に高橋は大映スターズと合併したため、そのまま大映ユニオンズに移籍した。 大映では、開幕第2戦となる4月7日の東映フライヤーズ戦に2対2で同点の延長10回表からプロ初登板する。
今川 瑛一(いまがわ えいいち、1937年(昭和12年)6月… 今川 瑛一(いまがわ えいいち、1937年(昭和12年)6月16日 - 2009年(平成21年)1月8日)は日本の経済学者、政治学者。創価大学名誉教授。 1937年(昭和12年)6月16日、兵庫県姫路市に生まれる。1955年(昭和35年)に法政大学法学部を卒業し、アジア経済研究所に入る。1965年(昭和45年)からタイ・バンコクに派遣され(-1966年(昭和46年))、1973年(昭和48年)からブルッキングス研究所に派遣される(-1975年(昭和50年))。 1984年(昭和59年)に動向分析部長、1985年(昭和60年)に調査企画室長、1988年(昭和63年)に総務部長を務める。1989年(平成元年)に創価大学経済学部教授に就任し、1993年(平成5年)、同大アジア研究所長を務める。
大森 政輔(おおもり まさすけ、1937年(昭和12年)5月… 大森 政輔(おおもり まさすけ、1937年(昭和12年)5月11日 - )は、日本の裁判官。元内閣法制局長官。弁護士(八重洲法律事務所)。兵庫県出身。
児玉 隆也(こだま たかや、1937年5月7日 - 1975… 児玉 隆也(こだま たかや、1937年5月7日 - 1975年5月22日)は、日本のジャーナリスト。田中角栄の金脈問題追及で知られる。 兵庫県芦屋市生まれ。終戦の1か月前、8歳のときに画家だった父を栄養失調で亡くす。以来、母が物売りや雑役婦をして家計を支えた。兵庫県立芦屋高等学校を卒業する年の2月、55歳で定年退職した母に、仕送りは要らないから、4年間、東京で勉強させてくれと頼み、早稲田大学第二政経学部に入学。働きながら大学に通う。21歳のときに岩波書店の月刊総合誌『世界』の懸賞原稿に入選する。 卒業する1年前から光文社の女性週刊誌『女性自身』の編集部でアルバイトをはじめ、卒業後に光文社に入社。
司波 寛(しば ゆたか、1937年5月 - 2021年7月)… 司波 寛(しば ゆたか、1937年5月 - 2021年7月)全国路地のまち連絡協議会世話人、財団法人都市農地活用支援センターアドバイザー、日本の都市プランナーで都市計画協会マスター都市プランナー。(社)国土政策研究会理事、都市計画コンサルタント協会理事、文部科学省革新技術活性化委員。日本都市計画家協会副会長、東京理科大学講師、八王子市都市計画マスタープラン策定委員など歴任。技術士建設部門、一級建築士。神戸市生まれ。 1962年 東京大学工学部土木工学科卒。 1962年 - 1966年 日本技術開発株式会社勤務。 1966年 - 1968年 東京大学大学院工学系研究科都市工学専攻修士課程修了。
村井 勝(むらい まさる、1937年3月29日 - )は、日… 村井 勝(むらい まさる、1937年3月29日 - )は、日本の実業家。兵庫県芦屋市出身。米カリフォルニア大学ロスアンゼルス校(UCLA)経営学部大学院修士課程修了。米国IBM入社(1962年)N.Y.ミッドタウンオフィス勤務。1960年春、UCLAの入学手続きに行った際、受付の隣にはIBM社が寄付したウェスターンデータセンターがあり、中にはIBM7090が稼働していた。そのそばには江崎ダイオードが飾られていた。世界初の半導体コンピュータを目の当たりにして、深い感動を覚え、コンピュータ業界に骨をうずめる決心をした。当時、コンピュータの実物を目の当たりにした数少ない日本人であったろう。卒業後、米国IBMに入社し、30年間日米はじめ、カナダ、中南米、オーストラリア、アジアなどを担当した。
池長 潤(いけなが じゅん、1937年3月11日 - )は、… 池長 潤(いけなが じゅん、1937年3月11日 - )は、日本のカトリック高位聖職者、イエズス会士。第7代大阪大司教。洗礼名はレオ。 兵庫県神戸市生まれ。父は育英商業学校校長を務めた池長孟。兄は摂南大学教授だった倫理学者の池長澄。 1962年上智大学文学部ラテン哲学科卒業、1967年上智大学神学部卒業。 1968年(昭和43年)3月20日、司祭に叙階。 1995年11月2日、教皇ヨハネ・パウロ2世により、大阪教区協働大司教に任命された。1996年3月20日、パウロ安田久雄大阪大司教により、司教叙階の秘跡を受けた。 1997年5月10日、安田久雄の引退承認に伴い、大阪大司教の職務を引き継いだ。着座式は同年6月22日に行われた。
岸本 重陳(きしもと しげのぶ、1937年3月7日 - 19… 岸本 重陳(きしもと しげのぶ、1937年3月7日 - 1999年9月18日)は、日本の経済学者。元横浜国立大学教授。専門は経済学。兵庫県豊岡市出身。日本人の80パーセントが中流意識を持っているという報道がなされた際、これを批判する『中流の幻想』を刊行して話題になった。 この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキポータル 経済学、ウィキプロジェクト 経済)。
黒積 俊夫(くろずみ としお、1937年3月6日 - 201… 黒積 俊夫(くろずみ としお、1937年3月6日 - 2012年10月19日)は、日本の哲学者。 兵庫県神戸市出身。九州大学文学部哲学科卒、1966年同大学院博士課程満期退学、1994年「カント批判哲学の研究 統覚中心的解釈からの転換」で九州大学博士(文学)。九大教養部講師、助教授、名古屋大学文学部助教授を経て、教授。2000年定年退官、名誉教授となる。イマヌエル・カントが専門。
新井 節男(あらい せつお、1937年3月 - )は、日本の… 新井 節男(あらい せつお、1937年3月 - )は、日本の関西学院大学名誉教授。専門は体育学。関西学院大学体育会ハンドボール部女子部名誉監督も務める。大阪大学医学博士。神戸市出身。
吉田 勝彦(よしだ かつひこ、1937年2月14日 - )は… 吉田 勝彦(よしだ かつひこ、1937年2月14日 - )は日本の競馬実況アナウンサー。園田競馬場と姫路競馬場で競馬実況を担当している。ダート・プロダクション代表、元弘報館所属。
大西 久光(おおにし ひさみつ、1937年2月10日 - )… 大西 久光(おおにし ひさみつ、1937年2月10日 - )は、日本の実業家、ゴルフ評論家、ゴルフ場設計者。 兵庫県西宮市生まれ。1959年、関西学院大学を卒業し住友ゴム工業の前身である日本ダンロップに入社。大学時代にゴルフ部に所属(主将まで務めた)していた経験を生かしてゴルフ用品の開発などに携わる[要出典]。 1973年、同社の関連会社でゴルフ競技運営などを行うダンロップスポーツエンタープライズの設立と同時に出向の形でマネージャーとして入社。トーナメントプロデューサー・ディレクターとして「インターナショナルツアー・ダンロップフェニックストーナメント」など数多くのゴルフトーナメントを手掛けた。トーナメントのプロデュースをしていくうちにゴルフ場設計の重要性を痛感するようになり、ゴルフ場設計に本格的に乗り出す[要出典]。
阿久 悠(あく ゆう、1937年〈昭和12年〉2月7日 - … 阿久 悠(あく ゆう、1937年〈昭和12年〉2月7日 - 2007年〈平成19年〉8月1日)は、淡路島出身の放送作家、詩人、作詞家、小説家。数々のヒット曲の歌詞を生み出し、日本歌謡界の黄金時代を築いた。 ペンネームの由来は、広告会社勤務時代に放送作家として活躍を始めたが、兼業禁止の会社にばれないよう“悪友”をもじった筆名として使い始めた事から。深く考えずにつけたため、いずれは別の筆名にするつもりだったが、仕事が途切れなかったので、独立後も使い続けた。また、多夢星人(たむせいじん)の変名も使用した(阿久の小説『グッドバイ―BN童子の青春』の登場人物であるロック歌手の名に由来する)。 長男は作曲家の深田太郎で、阿久作詞・深田作曲の楽曲も存在する。
高島 俊男(たかしま としお、1937年〈昭和12年〉1月1… 高島 俊男(たかしま としお、1937年〈昭和12年〉1月16日 - 2021年〈令和3年〉4月5日)は、日本の中国文学者、エッセイスト。兵庫県相生市出身。 東京大学経済学部を卒業後、銀行に5年勤めたが、大学院人文科学研究科中国文学科に入り、前野直彬らの指導の下で学んだ。文革後の中国文学、唐詩、「水滸伝」などの研究が中心。 岡山大学助教授を務めていたが、1989年に辞職。以降は在野の研究者だが、1994年-1997年には愛知大学で非常勤講師として中国近現代文学を講義している。 1991年、『水滸伝』を論じた『水滸伝と日本人 江戸から昭和まで』で第5回大衆文学研究賞受賞。1995年、『本が好き、悪口言うのはもっと好き』で第11回講談社エッセイ賞。
西谷 敬(にしたに けい、1937年1月10日 - 2020… 西谷 敬(にしたに けい、1937年1月10日 - 2020年7月)は、日本の哲学者、奈良女子大学名誉教授。 神戸市生まれ。兵庫県立神戸高等学校卒、1959年京都大学文学部哲学科卒、64年同大学院文学研究科博士課程単位取得。1964年神戸女学院中学部・高等学部教諭、68年神戸女学院大学講師、71年助教授、78年教授、1984年奈良女子大学文学部教授、99年定年退官、名誉教授、龍谷大学文学部哲学科教授。2007年退任。
岩田 信義(いわた のぶよし 1937年 - )は、日本の教… 岩田 信義(いわた のぶよし 1937年 - )は、日本の教育者、著作家、歴史家。神戸連続児童殺傷事件当時加害者の通っていた神戸市立友が丘中学校校長であり、事件に関わる著作を行った。 兵庫県神戸市出身。神戸大学教育学部卒業。神戸市内の学校教諭を経て神戸市立友が丘中学校校長に就任。事件当時は校長として、ことあるごとに記者会見を開き、記者からの質問には一つ一つ答えていた。 1998年には日本精神衛生会の広報誌で、メンタルヘルスについての連載を行っていた。 2000年には新潮45で、神戸連続児童殺傷事件が起きてから3年後に思うことの手記を掲載する。 2001年には『校長は見た!酒鬼薔薇事件の「深層」』という書籍を出版した。
篠原 義近(しのはら よしちか、1937年 - )は、日本の… 篠原 義近(しのはら よしちか、1937年 - )は、日本のフランス文学者。神戸市生まれ。1961年、早稲田大学フランス文学科卒。読売新聞社勤務。
二木 英徳(ふたぎ ひでのり、1936年〈昭和11年〉12月… 二木 英徳(ふたぎ ひでのり、1936年〈昭和11年〉12月23日 - 2022年〈令和4年〉8月10日)は、日本の実業家。従四位旭日重光章。 元ジャスコ社長、副会長、イオン名誉相談役、日本体操協会名誉会長、元日本チェーンストア協会会長。 兵庫県姫路市出身。兵庫県立姫路西高等学校を経て、1960年東京大学経済学部卒業と同時に、父親である二木一一創業のフタギ株式会社に入社。常務取締役等を歴任後、1970年ジャスコと合併した後、取締役、取締役社長に就任。 その後、取締役副会長、相談役を歴任し、社名がイオンに変更された2001年には、日本体操協会会長に就任。 1995年(平成7年)5月15日 春の褒章で藍綬褒章を受章。
上田 睆亮(うえだ よしすけ、Ueda Yoshisuke,… 上田 睆亮(うえだ よしすけ、Ueda Yoshisuke, 1936年12月23日 - )は、日本の電気工学者、物理学者、応用数学者。京都大学名誉教授、アバディーン大学名誉教授、ハルビン工業大学名誉教授。 兵庫県神戸市出身。1959年、京都大学工学部電気工学科卒業。1964年同大学大学院博士課程単位取得退学。京都大学工学部助手、助教授、教授を経て、2000年に定年退官。同年、公立はこだて未来大学複雑系科学科教授となり、2007年に定年退職。弟子には赤松則男、稲垣耕作らがいる。2017年4月、春の叙勲で瑞宝中綬章を受章。2023年、IEEE GUSTAV ROBERT KIRCHHOFF AWARDを受賞。
矢野 恵一朗(やの けいいちろう、1936年11月19日 -… 矢野 恵一朗(やの けいいちろう、1936年11月19日 - 2016年7月15日)は、日本の経営者。みなと銀行頭取を務めた。 兵庫県神戸市出身。1959年に神戸商科大学商業経済学部経営学科を卒業し、同年に神戸銀行に入行した。1988年6月に太陽神戸銀行取締役に就任し、1992年6月にさくら銀行常務、1995年6月に専務を経て、1996年6月には阪神銀行頭取に就任し、1999年4月にはみなと銀行頭取に就任。2002年6月に特別顧問に就任。 2007年4月に旭日小綬章を受章。 2016年7月15日、病気のために死去。79歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
山口 崇(やまぐち たかし、1936年11月17日 - )は… 山口 崇(やまぐち たかし、1936年11月17日 - )は、日本の俳優・テレビ司会者・長唄三味線奏者・民話研究家。本名:山口 岑芳(たかよし)。兵庫県三原郡阿那賀村(現:南あわじ市)出身。所属事務所はオフィス天童。長男は長唄唄方の杵屋巳津也(山口太郎)。長女は長唄三味線方の杵屋 巳織(きねや みおり)(山口由紀)。
板井 れんたろう(いたい れんたろう、1936年10月18日… 板井 れんたろう(いたい れんたろう、1936年10月18日 - 2017年12月6日)は、日本の漫画家。板井レンタロー、荒井太郎、板井たけお、板井太郎、板井練太郎などの名義による作品も多い。 兵庫県芦屋市生まれ、東京都杉並区に育つ。父親は大分県出身。 杉並区立久我山中学校から日本大学第二高等学校に進学。中学2年生のときに、手塚治虫の漫画作品に感銘を受け、漫画家を目指した。日大第二高時代に『漫画少年』にアマチュア投稿をしたことがある。 1955年に日本大学商学部に進学。同時に単行本『関が原の決戦』(曙出版)でデビュー。大学卒業後、仲間の園山俊二と東海林さだおらと『学漫グループ』に参加したことがある。
太田 博(おおた ひろし、1936年(昭和11年)10月7日… 太田 博(おおた ひろし、1936年(昭和11年)10月7日 - )は、日本の外交官、外交評論家。認定NPO法人岡崎研究所 前理事長。 サウジアラビア駐箚特命全権大使、タイ王国駐箚特命全権大使を歴任した。 兵庫県出身。1959年(昭和34年)東京大学教養学部教養学科を卒業する。同年外務公務員採用上級試験に合格、翌1960年(昭和35年)外務省に入省する。
畑崎廣敏(はたさき ひろとし、1936年10月3日 - )は… 畑崎廣敏(はたさき ひろとし、1936年10月3日 - )は、日本の実業家。大手アパレルであるワールド創業者であり、現在はワールド社主。 1936年(昭和11年)兵庫県津名郡鮎原村(現・洲本市五色町鮎原)に農家の6人兄弟の次男(4人目)として生まれる。1955年(昭和30年)に兵庫県立洲本商業高等学校(現在の兵庫県立洲本実業高等学校)を卒業。就職希望は金融で大手都市銀行を受験したところ、最終選考まで残ったが採用されなかった。恩師に頼み込んで紹介してもらい神戸市の株式会社光商会(現在の株式会社エンパイヤー)への就職を決めたという。 就職した株式会社光商会は、社員20人ほどの零細企業だった。入社当時から独立を志していた畑崎は在籍した4年間で企画から営業まですべてをこなした。
小原 信(おはら しん、1936年10月3日- )は、日本の… 小原 信(おはら しん、1936年10月3日- )は、日本の哲学者(倫理学)。青山学院大学名誉教授。 神戸市出身。国際基督教大学卒業後、東京大学大学院、イェール大学大学院で学び、1966年「神学的議論からみたキェルケゴール」でPh.D.。1970年に和辻哲郎賞(日本倫理学会)を受賞。1979年から1997年まで青山学院大学文学部教授、1998年から2005年まで同大国際政治経済学部教授を務める。生命倫理・キリスト教に関する研究とともに現代の若者文化に対する言及でも知られる。 『教会教育』1967年12月号 『遊びの研究』6章、三一書房、1976 日本基督教学会、1979、18号 第三章、海越出版社、1993 The Japan Foundation Newsletter, 1997/8 『青山国際政経論集』48, 1999/9
井茂 圭洞(いしげ けいどう、1936年9月16日 - )は… 井茂 圭洞(いしげ けいどう、1936年9月16日 - )は、日本の教育者、書家。一東書道会会長、京都教育大学名誉教授、日本芸術院会員、文化功労者。本名は井茂 雅吉(いしげ まさきち)。 高等学校の教員を経て、京都教育大学教育学部教授、公益社団法人日展副理事長などを歴任した。 1936年生まれ、兵庫県出身。本名は雅吉。1954年より深山龍洞に師事。京都学芸大学(現・京都教育大学)卒。大学卒業後は、高等学校の教員として書道を教えていた。 61年「若山牧水の歌」が日展初入選。1991年京都教育大学教授。97年日展評議員。「清流」で2001年日展内閣総理大臣賞、2001年芸術院賞。2012年日本芸術院会員。
島田 幸雄(しまだ ゆきお、1936年8月18日 - )は、… 島田 幸雄(しまだ ゆきお、1936年8月18日 - )は、兵庫県出身の元プロ野球選手。ポジションは一塁手。
宮岡 伯人(みやおか おさひと、1936年8月2日 - )は… 宮岡 伯人(みやおか おさひと、1936年8月2日 - )は、日本の言語学者、京都大学名誉教授である。エスキモー語専門で、なかでもユピック語(中央アラスカユピック語)を研究している。 兵庫県神戸市生まれ。大阪外国語大学外国語学部卒、1965年京都大学大学院博士課程満期退学、1998年「エスキモー語文法 -中央アラスカ・ユピック語」で文学博士(京都大学)。 1965年小樽商科大学商学部助手、助教授、教授、1982年東京外国語大学外国語学部教授、1987年北海道大学文学部教授、1994年京都大学文学部・文学研究科教授、名誉教授、2000年大阪学院大学情報学部教授、2007年退職。 1987年に「『エスキモー――極北の文化誌』(岩波書店)を中心としてサントリー学芸賞(芸術・文芸部門)を受賞。
中村 敏行(なかむら としゆき、1936年7月22日 - 1… 中村 敏行(なかむら としゆき、1936年7月22日 - 1979年12月7日)は、兵庫県出身の元プロ野球選手(内野手)。右投右打。 赤穂高校では遊撃手として活躍。1953年秋季近畿大会県予選準々決勝に進むが、喜吉文雄(大映スターズ)を打線の中軸とする滝川高に9回サヨナラ負け。翌1954年夏の甲子園県予選では決勝に進むが、またもや滝川高に完封負けを喫し甲子園出場を逸する。 1955年に大洋ホエールズへ当初は投手として入団。当時の選手名鑑では速球、カーブが武器の投手と書かれていた。1年目から一軍に上がり、三塁手として6試合に先発。翌1956年は、6月から手塚耀朗に代わり三塁手の定位置を獲得。主にチャンスメーカーとして63試合に先発出場を果たし、打率.251を記録した。
平吉 毅州(ひらよし たけくに、1936年(昭和11年)7月… 平吉 毅州(ひらよし たけくに、1936年(昭和11年)7月10日 - 1998年(平成10年)5月28日)は、日本の作曲家。 独唱曲や合唱曲など児童へ向けた作品も数多く残し、そのいくつかは教科書へ採用されるなど音楽教育へ大きく貢献した。 兵庫県神戸市出身。兵庫県立兵庫高等学校を卒業。1961年(昭和36年)、東京藝術大学音楽学部作曲科を卒業し、1967年(昭和42年)には芸大大学院を修了する。 在学中は長谷川良夫、伊熊良穂に師事。大学卒業後「管弦楽のためのコンポジション」を発表、第31回日本音楽コンクールにて第1位入賞。1969年(昭和44年)には「交響変奏曲」で尾高賞を受賞。1999年には第9回日本吹奏楽アカデミー賞(作・編曲部門)を受賞している。