小曽根 貞松(おぞね さだまつ、1879年4月18日 - 1… 小曽根 貞松(おぞね さだまつ、1879年4月18日 - 1951年11月4日)は、日本の実業家。阪神鉄工所、神戸瓦斯、オリエンタルホテル各社長。 神戸の資産家・小曽根喜一郎の長男として生まれる。兵庫県神戸市出身。神戸高等商業学校を卒業。 神戸市会議員を経て、1918年に阪神鉄工所社長に、1927年に神戸瓦斯社長に、1940年にオリエンタルホテル社長にそれぞれ就任した。 阪神電鉄では、1932年に監査役に就任し、取締役を経て、1946年10月に社長に就任した。1950年4月に体調不良により、社長を辞任。神戸商工会議所常議員や大阪タイガースオーナーも務めた。 1932年に紺綬褒章を受章した。
5代 伊藤 長次郎(いとう ちょうじろう、1873年(明治6… 5代 伊藤 長次郎(いとう ちょうじろう、1873年(明治6年)4月11日 - 1959年(昭和34年)6月12日)は、明治から昭和期の大地主、実業家、政治家。貴族院多額納税者議員。初期の産業組合指導者。幼名・熊蔵。 兵庫県印南郡今市村(伊保村 を経て現高砂市伊保町)で大地主、4代伊藤長次郎の長男として生まれる。兵庫県尋常中学校(のち姫路中学校、現兵庫県立姫路西高等学校)を卒業し、京都の顕道学校、東京の国民英学会、日本法律学校で英語、法律を学んだが、父の病により学業を中断して帰郷した。1895年(明治28年)9月、父の死去に伴い家督を相続し第5代長次郎を襲名した。 1896年(明治29年)以降、加古川銀行頭取、三十八銀行頭取、神栄社長、兵庫県農工銀行取締役、兵庫県農会長、印南郡会議員、同郡参事会員、日英博覧会評議員、茶業組合中央会議特別議員、生産調査会委員などを務めた。
4代 吉村 伊助(よしむら いすけ、1873年1月23日 -… 4代 吉村 伊助(よしむら いすけ、1873年1月23日 - 1928年3月15日)は、兵庫県城崎郡日高村(現・豊岡市)出身の実業家・政治家。株式会社吉村商店を設立して縮緬(丹後ちりめん)製造業を営み、峰山町長や衆議院議員(2期)を務めた。 1873年(明治6年)1月、兵庫県城崎郡日高村(現・豊岡市)の太田治右衛門の二男として生まれた。幼名は新太郎。1880年(明治15年)2月13日生まれとされることもあり、京都府出身とされることもある。長兄の太田寿之助は江原銀行株式会社専務取締役などを務めている。 小学校卒業後に京都市の西本願寺経営学校で学んだ。高等商業学校(後の旧制東京商科大学、現・一橋大学)を卒業したとされることもある。
尾上 作兵衛(おのえ さくべえ、旧姓・池内、幼名・賢次、18… 尾上 作兵衛(おのえ さくべえ、旧姓・池内、幼名・賢次、1872年10月1日〈明治5年8月29日〉 - 没年不明)は、日本の政治家、実業家、資産家。姫路市会議員。国栄機械製作所創業者。族籍は兵庫県平民。 グローリー実質創業者尾上壽作の父。グローリー会長尾上壽男の祖父。 兵庫県飾麿郡安室村字新在家(現・姫路市)出身。兵庫県平民・池内宗太郎の二男。姫路の商家、尾上作平の養子となり、1901年、家督を相続した。 1918年3月、姫路市延末にて、作兵衛は個人経営で電球製造機の修理・販売を開始した。また、山陽醤油社長、日本化学漆器代表取締役、三十八銀行、姫路水力電気、姫路銀行、姫路莫大小、姫路倉庫各取締役など各種の会社重役を務めた。
谷口 武一郎(たにぐち たけいちろう、1871年11月10日… 谷口 武一郎(たにぐち たけいちろう、1871年11月10日(明治4年9月28日) - 1923年(大正12年)9月19日)は、日本の実業家。第2代三井物産船舶部(現商船三井)部長。 兵庫県出身。1889年神戸商業学校(現兵庫県立神戸商業高等学校)卒業、三井物産入社。長崎支店長、本店参事、船舶部長、奉天出張所長兼奉天日本人商業会議所会頭、牛荘出張所長兼牛荘日本実業会会長等を歴任した。 妻カノ[旧制 坂]明治31年11月9日没(享年26歳)長男武彦。後妻のカメは医師呉来安の二女。神戸商工会議所議員等を務めた谷口茂雄は弟で、その妻は日本燐寸製造創業者直木政之介の三女恊。
村瀬 春雄(むらせ はるお、1871年5月18日(明治4年3… 村瀬 春雄(むらせ はるお、1871年5月18日(明治4年3月29日) - 1924年(大正13年)4月9日)は、日本の保険学者、実業家。法学博士。族籍は兵庫県平民。 日本の海上保険学の祖とされる。東京高等商業学校(現一橋大学)教授や帝国海上保険副社長を歴任し、独自の保険学を確立するとともに、多くの後進を育てた。申酉事件で母校防衛に尽力し、没後キャンパス内に胸像が設置された。 東京で生まれた。旧福井藩士・関戸由義の二男。兵庫県神戸市北長狭通出身。父である関戸由義は福沢諭吉の知人で、自家の屋敷内で福沢らが神戸商業講習所を設立。1883年、東京府平民・村瀬さだの死跡を相続する。 神戸商業講習所が改組された兵庫県立神戸商業学校(現兵庫県立神戸商業高等学校)を5回生として卒業後、1886年高等商業学校(現一橋大学)に入学。
川口 木七郎(かわぐち きしちろう、1870年5月5日(明治… 川口 木七郎(かわぐち きしちろう、1870年5月5日(明治3年4月5日)- 1937年(昭和12年)10月17日)は、明治から昭和前期の地主、実業家、政治家。衆議院議員。 播磨国飾西郡書写村(兵庫県飾西郡曽左村、飾磨郡曽左村を経て現姫路市)で、大地主で代々里正を務めた醤油醸造業、川口家先代当主・川口木七郎、つた の長男として生れ、1881年(明治14年)8月、家督を相続し木七郎を襲名した。漢学を修め、のち神戸で外国人教師から英語、フランス語を学んだ。 家業の醤油醸造業を営み、山陽醤油社長、神戸信託取締役、姫路三十八銀行取締役、姫路銀行取締役、飾磨銀行取締役、神栄生糸取締役、飾磨郡素麺製造販売組合長などを務めた。
白洲 文平(しらす ふみひら、1869年6月7日(明治2年4… 白洲 文平(しらす ふみひら、1869年6月7日(明治2年4月27日) - 1935年(昭和10年)10月23日)は日本の実業家である。 現在の兵庫県三田市に生まれた。父は白洲退蔵、子に白洲次郎、孫に牧山桂子がいる。 幼少期よりアメリカ人の家庭教師にも学び、1882年(明治15年)にバラの築地大学校に入塾。築地大学校卒業後、ハーバード大学、ボン大学に留学。このときの留学仲間に、近衛篤麿や新渡戸稲造、樺山愛輔らがいた。帰国後は三井銀行や大阪紡績に勤めるが中途で退社。 その後、兵庫県神戸市中央区栄町に貿易会社白洲商店を創業し綿貿易により発展して巨万の富を築いた。豪放ながら傲慢な性格で、周囲からは『白洲将軍』と畏れられた。
高井 利平(たかい りへい、旧姓・臼井、前名・竹次郎、186… 高井 利平(たかい りへい、旧姓・臼井、前名・竹次郎、1868年11月18日〈明治元年10月5日〉 - 没年不明)は、日本の実業家・地主・資産家。万里銀行頭取。五十六銀行常務取締役。三十八銀行、高井織物各監査役。姫路莫大小取締役。族籍は兵庫県平民。 兵庫県加東郡上福田村字木梨(現・加東市)に生まれた。臼井庄吉の二男。小野中学校卒業後、東京、大阪、琉球等の各地の銀行に勤務した。高井家の養子となり、1898年に養祖父利平の後を承け家督を相続し、前名竹次郎を改め襲名した。 資性温厚、誠直であった。趣味は謡曲、仕舞囃子。宗教は曹洞宗。住所は兵庫県姫路市大黒町。
西森 源兵衛(にしもり げんべえ、1866年8月19日〈慶応… 西森 源兵衛(にしもり げんべえ、1866年8月19日〈慶応2年7月10日〉 - 1931年〈昭和6年〉10月12日)は、日本の商人(皮革商、皮革貿易商)、政治家、実業家。西浜土地建物取締役。族籍は大阪府平民。旧姓・岡島、幼名・豊次郎。 兵庫県津名郡志筑町(現・淡路市)出身。岡島文吉の四男あるいは弟。1882年、来阪して親戚の皮革商・西森源兵衛の店員となる。1887年、西森源兵衛の養嗣子となる。1917年、養父源兵衛の逝去により家督を相続して先代を襲名する。 日清の国交がまさに破れようとする兆しがあるのを見ると、この機に乗じ製革原皮の大量輸入を開始し、有事にそなえようとしたが、幾許もなく戦闘が開かれ皮革の需要が激増し、軍需品として納入するほか、一般市場の供給に応じ、平和克服まで3年間ほとんど西森の一手により供給される。
斯波 与七郎(與七郎、しば よしちろう、1865年6月9日(… 斯波 与七郎(與七郎、しば よしちろう、1865年6月9日(慶応元年5月16日)- 1932年(昭和7年)5月8日)は、明治から昭和初期の大地主、農業経営者、実業家、政治家。貴族院多額納税者議員。 播磨国加東郡西村(兵庫県加東郡河合村大字西村を経て現小野市)で豪農、斯波家11代・斯波喜の長男として生まれた。父の死去に伴い1893年(明治26年)10月に家督を相続した。 1895年(明治28年)6月、加東郡所得税調査委員に就任。1896年(明治29年)2月、兵庫県会議員に選出され、同年8月、加東郡会議員に就任した。 1897年(明治30年)7月の貴族院多額納税者議員選挙で互選され、同年9月29日から1904年(明治37年)9月28日まで在任した。
牛尾 梅吉(うしお うめきち、1864年12月17日〈元治元… 牛尾 梅吉(うしお うめきち、1864年12月17日〈元治元年11月19日〉 - 1934年〈昭和9年〉5月4日)は、日本の政治家(姫路市会議員)、相場師、実業家、兵庫県多額納税者、資産家。姫路商工会議所会頭。姫路水力電気、姫路信託各社長。姫路銀行頭取。牛尾合資会社代表社員。山陽商事代表取締役。族籍は兵庫県平民。 神戸銀行副頭取、中国合同電気社長牛尾健治の父。ウシオ工業社長牛尾吉朗、ウシオ電機会長牛尾治朗の祖父。 播磨国姫路(現・兵庫県姫路市)に生まれた。牛尾政五郎の二男。牛尾政次郎の弟。1882年、兄・政次郎方より分かれて一家を創立した。分家の二男だった梅吉は自分で生計をたてる必要があった。呉服の行商から始めた。
飯田 壽作(いいだ じゅさく、1863年2月17日〈文久2年… 飯田 壽作(いいだ じゅさく、1863年2月17日〈文久2年12月29日〉 - 1930年〈昭和5年〉1月14日)は、日本の実業家。西宮銀行常務取締役。西宮酒造取締役・同監査役。西宮開運取締役。族籍は兵庫県平民。 兵庫県平民・飯田與作の長男。1874年、分かれて一家を創立する。住所は兵庫県武庫郡西宮町松原(現・西宮市)。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
堀 豊彦(ほり とよひこ、1862年12月1日〈文久2年10… 堀 豊彦(ほり とよひこ、1862年12月1日〈文久2年10月10日〉 - 1932年〈昭和7年〉7月10日)は、明治から昭和初期の実業家・政治家。衆議院議員。 播磨国揖東郡、のちの兵庫県揖東郡小宅村(揖保郡小宅村、龍野町、龍野市を経て現たつの市)で、農業・堀甚三郎の息子として生まれる。郷学で学び、その後、1878年(明治11年)大阪の儒学者・藤沢南岳に師事し漢文学を学んだ。 帰郷して、家業の農業に従事。自由党に加わり、その党勢拡大に尽力。1898年(明治31年)8月、第6回衆議院議員総選挙(兵庫県第8区、憲政党)で初当選。1904年(明治37年)2月、兵庫県会議員に選出され、1906年(明治39年)に再選されたが、実業界に専念するため1907年(明治40年)県議を辞職した。
中川 幸太郎(なかがわ こうたろう、1861年1月29日(万… 中川 幸太郎(なかがわ こうたろう、1861年1月29日(万延元年12月19日)- 1940年(昭和15年)8月1日)は、明治から昭和前期の農業経営者、実業家、政治家。衆議院議員、兵庫県氷上郡久下村長。 丹波国氷上郡谷川村(兵庫県氷上郡久下村谷川、山南町谷川を経て現丹波市山南町谷川)で、農業、製油業・中川音蔵の長男として生まれる。1884年(明治17年)3月、家督を相続し、農業、製油業、鉱業を営む。 1882年(明治15年)4月、太田村外17ヶ村戸長役場用掛に就任。以後、氷上郡町村連合会議員、同郡全町村組合会議員を歴任。1893年(明治26年)5月、久下村長に就任し1903年(明治36年)8月まで在任。
岡本 松太郎(おかもと まつたろう、1860年4月9日(万延… 岡本 松太郎(おかもと まつたろう、1860年4月9日(万延元年3月19日)- 1942年(昭和17年)11月23日)は、明治から昭和前期の農業経営者、政治家。衆議院議員、兵庫県会議長。 播磨国飾東郡八重畑村(兵庫県飾東郡谷内村、飾磨郡谷内村、飾東村を経て現姫路市飾東町)で、代々農業を営む家に生まれた。普通学を修めた。 1880年(明治13年)小学校教員となり8年間在任。1888年(明治21年)兵庫県会議員に選出され、同常置委員、同副議長、同議長も務めた。その他、徴兵参事員、旅団徴兵参事員なども務めた。 1898年(明治31年)3月、第5回衆議院議員総選挙(兵庫県第7区、進歩党)で初当選し、同年8月の第6回総選挙(兵庫県第7区、憲政本党)でも再選され、衆議院議員に連続2期在任した。
西村 真太郎(西村 眞太郎、にしむら しんたろう、1859年… 西村 真太郎(西村 眞太郎、にしむら しんたろう、1859年12月12日(安政6年11月19日) - 1922年(大正11年)9月13日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員。族籍は兵庫県平民。 播磨国加東郡(後の兵庫県加東郡下東条村、現小野市)生まれ。西村重太郎の長男。家は代々農業を営む。漢学を修める。 加東郡農事会議員、同議長、戸長、郡徴兵参事員、同学務委員、兵庫県会議員となった。また、播磨鉄道取締役、加東郡米穀取引所理事長、関西競馬倶楽部監事、社銀行、大阪四ツ橋銀行各頭取、西丹貯蓄銀行取締役、兵庫県農工銀行、台湾銀行各監査役などを務めた。 1894年3月、第3回衆議院議員総選挙において兵庫県第六区から出馬し当選。
多木 久米次郎(多木 粂次郎、たき くめじろう、1859年6… 多木 久米次郎(多木 粂次郎、たき くめじろう、1859年6月28日〈安政6年5月28日〉 - 1943年3月15日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員(6期)。株式会社多木製肥所(現在の多木化学)の創業者。そのほか、県農会長、兵庫県会議員、加古郡会議員などを務めた。 安政6年、播磨国加古郡別府村(現在の兵庫県加古川市別府町)に多木勝市郎の三男として生まれる。多木家は江戸中期より干鰯業を営み、天保年間には海運業にも進出して事業を拡大していた。分家を経て、父・勝市郎は醤油・酢の醸造や魚肥の販売、農業経営を家業としていた。1887年(明治20年)、父の死去により家業を継いだ。 当時主要肥料だった鰯粕の高騰により困窮する農家のため、多木家は1885年(明治18年)に獣骨を使った日本初の蒸製骨粉製造を始め、1890年(明治23年)には骨粉を原料とした過燐酸石灰の化学肥料製造を開始した。
森本 駿(もりもと しゅん、1859年1月18日(安政5年1… 森本 駿(もりもと しゅん、1859年1月18日(安政5年12月15日)- 1944年(昭和19年)10月17日)は、明治から昭和前期の実業家・政治家。衆議院議員、兵庫県出石郡出石町長。旧姓は永井、桜井(櫻井)。 但馬国出石郡出石城下(兵庫県出石郡出石町を経て現豊岡市出石町)で、出石藩侍医・永井玄機(春嶽)の二男として生まれる。藩校弘道館で漢学を修めた。その後、東京に遊学し尺振八の塾で英学、経済学、財政学を修めた。のち森本家の養子となり、1898年(明治31年)1月に家督を相続した。 豊岡洋学校で助教を務めた。上京して桜井勉の書生となる。大蔵属に任じられ、科目条例取調委員、各庁営繕規則取調委員などを務めた。
太田 實(おおた みのる、1858年10月26日(安政5年9… 太田 實(おおた みのる、1858年10月26日(安政5年9月20日)- 1918年(大正7年)11月20日)は、明治の内務官僚、第2代本所区長、第一回、二回衆議院議員、実業家、浅草公園水族館の設立者。 幕末の安政5年(1858年)、淡路国津名郡久留麻村(町村制後:来馬村、現:兵庫県淡路市久留麻)に生まれる。祖父・利右衛門の時、徳島藩主蜂須賀家に功があり士族に取り立てられ太田氏を賜った。旧姓は山田氏であった。傍ら、酒造を業とし柿屋と号した。10歳で藩校に入ったが、藩府内の俊秀少年5人を選び修学を命ずるにあたり、その一人に選ばれた。わずか12歳で洲本の学問所に入った。13歳のとき、徳島城内の藩校舎に入り蘭人ドングルに就きドイツ語を学んだ。
後藤 恕作(ごとう じょさく、安政5年3月6日(1858年4… 後藤 恕作(ごとう じょさく、安政5年3月6日(1858年4月19日) - 昭和4年(1929年)3月6日)は播磨国(兵庫県)生まれの実業家。後藤毛織製造所(後に東京毛織)の創立者であり、明治から昭和初期にかけて活躍した。 播磨国揖東郡網干村(現・兵庫県姫路市)生まれ。明治8年(1875年)に清国公使として赴任した森有礼に随行し、北京で毛織染色法を学んだ。日本に帰国後、明治12年(1879年)本郷で小工場を設立しなめし革、毛糸紡績を行ったがこれは失敗し、じゅうたんなどの製造を始めた。明治13年(1880年)芝区白金台(現東京都港区)に民間としては日本初の毛織物工場である後藤毛織製造所を設立、明治25年(1892年)には大井町(現品川区)にも工場を進出させて生産基盤を強化し、日清戦争、日露戦争期には業績を躍進させた。
大西 善太郎(おおにし ぜんたろう、1857年11月26日(… 大西 善太郎(おおにし ぜんたろう、1857年11月26日(安政4年10月10日)- 1918年(大正7年)5月7日)は、明治から大正前期の農業指導者、実業家、政治家。衆議院議員、兵庫県有馬郡三輪村長、同郡道場村長。 摂津国有馬郡田中村(下田中村、兵庫県有馬郡三輪村下田中、三輪町、三田町を経て現三田市下田中)で、農業・大西利右衛門の息子として生まれる。普通学、和算学を修めた。農業を営む。 1880年(明治13年)有馬郡西組選挙郡農会員に就任。以後、全国米麦外三品共進会審査員、下田中村会議員、有馬郡連合会議員、摂津5郡連合農談会員、同会長、摂津5郡連合勧業会員、有馬郡連合町村会議員、同郡全町村勧業委員などを歴任。
10代奥野 小四郎(おくの こしろう、1857年9月10日(… 10代奥野 小四郎(おくの こしろう、1857年9月10日(安政4年7月22日) - 1915年(大正4年)12月31日)は、日本の篤農家、実業家、政治家。衆議院議員、兵庫県津名郡洲本町長、北海道河西郡帯広町長。旧姓・富永、初名・守次郎。 淡路国津名郡(後の鮎原村、現洲本市)で富永包方の二男として生まれる。徳島藩校で漢学、撃剣を修め、その後英語を学んだ。1877年、洲本町の商人・9代奥野小四郎の死去に伴い、その養嗣子となり10代小四郎を襲名。 1881年、淡路汽船 (株) を起こし翌年社長に就任。淡路紡績 (株) 社長、淡路製陶 (株) 社長などを務めた。その他、洲本町長、洲本町会議員、洲本商工会会長、津名郡会議員、同郡会議長、同郡参事員、徴兵参事員、兵庫県会議員などを歴任。
松田 学(松田 學、まつだ まなぶ / がく、1856年9月… 松田 学(松田 學、まつだ まなぶ / がく、1856年9月17日(安政3年8月19日)- 1938年(昭和13年)1月10日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員、札幌市会議長。 但馬国出石郡水上村(現兵庫県豊岡市)で、庄屋・松田甚次郎の長男として生まれる。 1881年6月、徳島県属に任じられ、以後、大蔵省属、根室県収税属、北海道庁属を歴任し、1891年に退官。実業に従事した後、1897年、北海道庁属に再任され、さらに台湾総督府新竹県属、台北県属を務め、1898年に退官した。 その後、札幌に移り、実業界に入った。1907年、札幌木材 (株) 取締役に就任。以後、札幌調帯 (株) 取締役社長、定山渓鉄道 (株) 取締役社長、札幌商業会議所第3代会頭などを歴任。
高川 定次郎(たかがわ ていじろう、1856年9月16日(安… 高川 定次郎(たかがわ ていじろう、1856年9月16日(安政3年8月18日)- 1921年(大正10年)11月25日)は、明治から大正期の実業家、政治家。衆議院議員、兵庫県会議長、兵庫県赤穂郡坂越村長。 播磨国赤穂郡坂越村(兵庫県赤穂郡坂越村、坂越町を経て現赤穂市坂越)で、油製造業、廻船業、塩業・高川定十郎の息子として生まれた。室井源仙に師事し、漢学、習字、算数を修めた。その後、赤穂郡北野中村の鍋島智成から漢籍を学んだ。 1877年(明治10年)坂越村小学校教員となり数年間在任。1883年(明治16年)3月、赤穂郡全町村連合会議員に就任。1885年(明治18年)12月、兵庫県会議員に選出され、同常置委員、同副議長、同議長も務めた。
若宮 正音(わかみや しょうおん、1854年2月7日〈安政元… 若宮 正音(わかみや しょうおん、1854年2月7日〈安政元年1月10日〉 - 1924年〈大正13年〉4月5日)は、日本の実業家、官吏。農商務省商工局長。逓信省電務局長。電信協会会長。無線電信講習所初代所長。族籍は東京府平民。 兵庫県城崎郡豊岡滋茂町(現・兵庫県豊岡市元町)の人。若宮正海の長男。成長して興国寺に入り仏典を修める。また池田草庵に就き漢籍を学ぶ。自由党総理板垣退助に従い民権自由を唱道する。 明治の初め大阪師範学校に入り、卒業すると教員になる。辞して東京に出て1881年に初めて内務省に出仕する。工部省の官吏となり逓信省が新設されるとこれに転じる。1883年に駅逓局に転じ逓信省書記官に進み兼ねて秘書官となる。
田 艇吉(でん ていきち、1852年10月18日〈嘉永5年9… 田 艇吉(でん ていきち、1852年10月18日〈嘉永5年9月6日〉- 1938年〈昭和13年〉11月17日)は、日本の政治家、実業家。号は楓軒、松鶴。 丹波国氷上郡柏原藩領の下小倉村(現在の兵庫県丹波市柏原町下小倉)にて、農家の田文平の長男として生まれる。8歳より村医だった長沢順方に師事して読み書きを学ぶ。12歳の時に小島省斎に入門。父親の病のため、13歳でその代理を務める。学問を修めた後、1870年(明治3年)には19歳で村総代となった。20歳で家督相続。 1879年(明治12年)、第一期兵庫県会議員に当選。氷上郡書記、氷上郡長などを歴任の後、1891年(明治24年)に衆議院議員に当選(以後衆議院議員として当選4回)。
沼田 静治(ぬまた せいじ、1851年5月14日〈嘉永4年4… 沼田 静治(ぬまた せいじ、1851年5月14日〈嘉永4年4月14日〉 - 没年不明)は、日本の実業家、兵庫県の大地主。志方銀行頭取。国包銀行取締役。広尾金融社長。族籍は兵庫県平民。 兵庫県人・沼田惣左衛門の長男。1870年、家督を相続する。住所は兵庫県印南郡東志方村(現・加古川市志方町)。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
上野理一(うえの りいち、1848年10月29日(嘉永元年1… 上野理一(うえの りいち、1848年10月29日(嘉永元年10月3日) - 1919年12月31日)は朝日新聞の社主・社長。数寄者としても有名で号を有竹と称す。
八尾 善四郎(やお ぜんしろう、1845年9月11日〈弘化2… 八尾 善四郎(やお ぜんしろう、1845年9月11日〈弘化2年8月10日〉 - 1918年)は、日本の実業家、政治家。神戸市会議員。兵庫運河社長。駒ヶ林魚類定市場取締役。族籍は兵庫県平民。兵庫運河を完成させた人物として知られる。 淡路津名郡岩屋村(現・淡路市)の長谷川八右衛門の次男として生まれ、5歳のときに兵庫西尻池の旧家八尾家の養子となる。船頭から身を起こして魚問屋として成功を収め、和歌山や四国まで事業を拡大させた。 1894年に安田善次郎、武井守正、谷勘兵衛らの出資の下、兵庫運河株式会社を設立し、新川運河を完成させたまま中断していた兵庫運河の建設工事を引き継ぎ、1898年に完成させた。1898年4月19日から1904年4月18日まで神戸市会議員をつとめた。
佐野 助作(さの すけさく、1844年(弘化元年7月)- 1… 佐野 助作(さの すけさく、1844年(弘化元年7月)- 1910年(明治43年)9月21日)は、明治時代の政治家、実業家。自由民権運動家。衆議院議員(3期)。兵庫県津名郡洲本町長。 豪農・塩田猪助の七男として阿波徳島藩領津名郡、のちの兵庫県津名郡塩田村(津名町を経て現淡路市)に生まれ、13歳の時に同郡物部村(洲本町を経て現洲本市物部)の大庄屋・佐野又六の養嗣子となる。25歳の時、養父の死跡を相続し戸主となる。1871年(明治4年)津名郡第一区戸長となり、1873年(明治6年)津名郡区長に挙げられる。1875年(明治8年)職を辞し、一時民間に転じるが、1879年(明治12年)の府県会開設と共に兵庫県会議員に当選する。
原 六郎(はらろくろう、天保13年11月9日(1842年12… 原 六郎(はらろくろう、天保13年11月9日(1842年12月10日) - 昭和8年(1933年)11月14日)は、日本の幕末から大正期の志士、軍人、銀行家、実業家。 但馬国佐中村(現・兵庫県朝来市)出身。もとの名は進藤俊三郎長政といい、生野の変で敗れ潜伏中に、原六郎と改名。 鎌倉時代より続く但馬国佐中村の大地主・進藤家の第22代目当主・丈右衛門長廣の六男四女の末っ子として生まれる。 11歳のころ、池田草庵の私塾・青谿書院に入門し、北垣国道、西村哲二郎らとともに学ぶ。池田草庵門下には、ほかに浜尾新(元東宮侍従浜尾実の祖父)、河本重次郎らがいる。 当時、尊皇攘夷派の活動が盛んであり、尊皇攘夷論を唱えるようになる。
神田 兵右衛門(こうだ ひょうえもん、天保12年2月18日(… 神田 兵右衛門(こうだ ひょうえもん、天保12年2月18日(1841年4月9日) - 大正10年(1921年)1月13日)は、日本の実業家。本姓は梅谷で、名は胤保、号は松雲。播磨国印南郡大塩村(現在の兵庫県姫路市大塩町)出身で、慶應3年に兵庫開港商社取締役世話役に就任し、兵庫運河建設に大きく貢献した[要出典]。のち、神戸市会議長を務める。「神戸発展の父」とも呼ばれる[要出典]。 播磨国印南郡大塩村(現兵庫県姫路市大塩町)の大庄屋の三男に生まれ、15歳で兵庫出在家町の素封家、第12代神田兵右衛門の養子となる。 神田家の家督を継いだ兵右衛門は、慶應3年(1867年)7月、兵庫開港商社取締役世話役に命じられた。
西森 源兵衛(にしもり げんべえ、旧姓・岡島、幼名・浅次郎、… 西森 源兵衛(にしもり げんべえ、旧姓・岡島、幼名・浅次郎、1839年9月〈天保10年8月〉 - 1917年〈大正6年〉)は、日本の商人(皮革商)、実業家、政治家。西浜倉庫社長。大阪府西成郡西浜町長。大阪府会議員。大阪市会議員。 淡路国(のち兵庫県津名郡志筑町、現淡路市)生まれ。幼時に西森家に入り養嗣子となる。養父没後家督を相続し襲名する。以来熱心に業務に従事する。 大阪府西成郡栄町戸長、西浜町会議員及び町長となり1897年に同町が大阪市に編入されると、以来区会、市会、府会に議員としてその席に列する。 日清戦争に際し、金100円を献じ木盃を賜る。遠州流生け花を嗜む。日本赤十字社終身社員、衆議院議員南区選挙有権者である。
高瀬 藤次郎(髙瀨、たかせ とうじろう、1838年8月28日… 高瀬 藤次郎(髙瀨、たかせ とうじろう、1838年8月28日(天保9年7月9日) - 1913年(大正2年)1月6日)は、明治時代の政治家、実業家。新聞経営者。衆議院議員(2期)。 播磨国加東郡、のちの兵庫県加東郡永富村(上福田村、社町を経て現加東市)の大庄屋の家に生まれる。1872年(明治5年)永富村戸長に就任し、学区取締などを経て、1879年(明治12年)兵庫県会議員に当選。1887年(明治20年)まで務めた。この間、1884年(明治17年)同志と共に五州社を設立し、神戸又新日報を発刊。のち神戸相生町に神戸日報社を設立し愛国新聞を発刊した。ほか、加東郡社村長を務め、神戸法律学校や山陽鉄道の設立にも関与した。
松井 昭憲(まつい あきのり、1959年 - ) は日本の実… 松井 昭憲(まつい あきのり、1959年 - ) は日本の実業家。元ピムコジャパンリミテッド取締役兼最高経営責任者。 1959年 兵庫県生まれ 1977年 兵庫県立加古川東高等学校卒業 1982年 京都大学経済学部卒業後、日本生命保険相互会社に入社。債権や株式の運用業務に従事 2001年 ピムコジャパンリミテッド入社 2007年 ウエリントン・マネージメントで金融法人、年金基金サブアドバイザリー顧客とのビジネスを統括 2010年 ピムコジャパンリミテッドに副社長として復帰 2014年 取締役会長兼共同最高経営責任者(Co-CEO)および日本における代表者 2016年 取締役兼最高経営責任者(Co-CEO)および日本における代表者。
瑞原 大輔(みずはら だいすけ)は、日本の美容師、経営者。株… 瑞原 大輔(みずはら だいすけ)は、日本の美容師、経営者。株式会社NEUTRALの代表取締役。国際先進医療統合学会会員。 兵庫県出身。滝川第二高校卒業後、神戸市内のサロンに入社。美容師見習いをしながら日本高等美容専門学校通信課程を卒業。その後、大阪に拠点を置くDERE-DIRの支店であるDERE-DIR face(神戸)に入社、アート部門として多くのモデルのヘアを担当し、「TEENS STYLE AWARD」などショーのモデルのヘアを担当した。 2019年に独立後は、株式会社NEUTRALを2019年4月8日に設立。オーガニック、超自然派志向という考えを基に、空間/商材/施術に強いこだわりをもつ。
藤井 義彦(ふじい よしひこ)は、日本の経営コンサルタント、… 藤井 義彦(ふじい よしひこ)は、日本の経営コンサルタント、エグゼクティブ・コーチング、実業家、著述家。ガンガー総合研究所代表取締役社長。一般社団法人グローバル・リーダーシップ・コーチング協会創業者兼名誉会長。日本ペンクラブ会員。 兵庫県神戸市生まれ。六甲学院に学ぶ。藤井家は代々真言宗であったが、六甲中学校・高等学校と中高一貫校に学び、中学校3年時にカトリックの洗礼を受け、幼少より異文化に触れる。中学校、高校6年間カトリック・イエズス会の一貫教育を受け英語をドイツ人の神父から教わる。中学校の3年時に洗礼を受け、スパインの聖者、アロイジオの名前をもらう。これらが契機となり、後年、哲学、宗教遍歴を経て瞑想に至る。
土井 茂(どい しげる)は、日本の実業家。アークレイ株式会社… 土井 茂(どい しげる)は、日本の実業家。アークレイ株式会社(旧株式会社京都第一科学)会長、社団法人日本臨床検査薬協会理事。 兵庫県神戸市生まれ。静岡薬科大学卒業。 その後、日本郵政公社の京都貯金事務センターの跡地の入札に参加し、41億円にて買収する。この跡地には、室町時代の管領である細川満元が築いた邸宅にはじまる庭園があり、江戸時代に征夷大将軍となった徳川家康より与えられた金工師後藤長乗が造営、子の覚乗が小堀遠州に依頼し、補作した。 アークレイグループの研究施設の移設と併せ、庭園を整備した。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
中部 幾次郎(なかべ いくじろう 1866年2月18日(旧暦… 中部 幾次郎(なかべ いくじろう 1866年2月18日(旧暦慶応2年1月4日) - 1946年(昭和21年)5月19日)は、明治から昭和初期(1900年代後半~1940年代前半)の実業家。林兼商店(後の大洋漁業、現在のUmiosの前身の一つ)創業者。貴族院勅選議員。 鮮魚の運搬・卸を生業とする父の兼松の次男として播磨国明石郡林村(現・兵庫県明石市林)に生まれる。 1904年(明治37年)に明石から山口県下関へ移り、日本初の発動機船を開発し、東シナ海、朝鮮半島沖の漁場開拓を行う。1924年(大正13年)に大洋漁業の前身となる林兼商店を創立。 漁業のほか、水産物加工、海運、造船などの経営に進出し、一大企業グループを作り上げた。
白洲 退蔵(しらす たいぞう、1829年8月14日(文政12… 白洲 退蔵(しらす たいぞう、1829年8月14日(文政12年7月15日) - 1891年(明治24年)9月10日)は、江戸時代から明治にかけて活躍した日本の役人、実業家である。神戸女学院の創設者の一人。白洲文平の父で、白洲次郎の祖父。 退蔵は1829年(文政12年)に、三田藩の儒官、すなわち三田藩で儒学を教授している人物の子として、三田藩内(現・兵庫県三田市)の薬師寺町で生まれた。幼名は純太郎。諱は良弼(りょうすけ)。 篠崎小竹、古賀謹一郎から学び、藩校「造士館」の教授になる。 1862年(文久2年)町奉行兼郡奉行になり、財政再建に取り組む。1863年(文久3年)に藩主九鬼隆義に請われて藩重役、大参事として藩政に加わる。