寺西 和史(てらにし かずし、1964年8月26日 - )は… 寺西 和史(てらにし かずし、1964年8月26日 - )は、日本の裁判官。兵庫県出身。男性。
兵庫県:21人
寺西 和史(てらにし かずし、1964年8月26日 - )は… 寺西 和史(てらにし かずし、1964年8月26日 - )は、日本の裁判官。兵庫県出身。男性。
徳岡 由美子(とくおか ゆみこ、1962年5月10日 - )… 徳岡 由美子(とくおか ゆみこ、1962年5月10日 - )は、日本の裁判官。大阪地方裁判所部総括判事、京都家庭裁判所所長、大阪高等裁判所部総括判事などを経て、神戸地方裁判所所長。 兵庫県明石市出身。神戸大学法学部卒業後、1987年大阪地方裁判所判事補任官。1989年福岡地方裁判所小倉支部判事補。1992年岡山地方裁判所判事補。1995年神戸地方裁判所尼崎支部判事補。1997年同判事。1998年東京地方裁判所判事 。2001年大阪地方裁判所判事。2005年宮崎地方裁判所部総括判事。2009年大阪地方裁判所判事。2010年同部総括判事。2016年神戸地方裁判所姫路支部長。2020年山口地方裁判所所長、山口家庭裁判所所長。
平木 正洋(ひらき まさひろ、1961年4月3日 - )は、… 平木 正洋(ひらき まさひろ、1961年4月3日 - )は、日本の裁判官、検察官。最高裁判所事務総局刑事局長兼図書館長、前橋地方裁判所長、東京高等裁判所部総括判事、東京地方裁判所長や大阪高等裁判所長官を経て最高裁判所裁判官。 出生地は兵庫県神戸市であるが、その後高知県高知市、東京都、北海道札幌市へと移る。北海道札幌南高等学校、東京学芸大学附属高等学校を経て、1985年東京大学法学部を卒業。 刑事畑が長く、最高裁事務総局刑事局で勤務した際には裁判員制度の裁判員の選任などの制度設計を担当した。
宮崎 英一(みやざき えいいち、1959年1月31日 - )… 宮崎 英一(みやざき えいいち、1959年1月31日 - )は日本の裁判官。兵庫県高砂市出身。中央大学法学部卒。最高裁判所調査官や、大阪高等裁判所部総括判事等を経て、2018年から神戸地方裁判所所長を務め、2019年には神戸地方裁判所姫路支部の判事が裁判所敷地内で裁判当事者を転倒させ暴行罪で罰金刑に処せられ依願退官したことを受け、「職員を指導していきたい」とのコメントを出した。
大島 眞一(おおしま しんいち、1958年9月11日 - )… 大島 眞一(おおしま しんいち、1958年9月11日 - )は、日本の弁護士であり、元裁判官。神戸大学大学院法学研究科教授、奈良地方裁判所所長等を経て、大阪高等裁判所部総括判事。 兵庫県尼崎市出身。神戸大学法学部在学中の1983年に旧司法試験合格。1984年に大学を卒業し、司法修習生となる。1986年裁判官任官。大阪地方裁判所判事補、函館地方裁判所判事補、最高裁判所事務総局家庭局付、郵政省電気通信局業務課課長補佐(検事)、京都地方裁判所判事、神戸地方裁判所尼崎支部判事、大阪地方裁判所判事、大阪高等裁判所判事、神戸大学大学院法学研究科教授、大阪地方裁判所部総括判事、京都地方裁判所部総括判事、大阪家庭裁判所部総括判事等を経て、2017年徳島地方裁判所所長、徳島家庭裁判所所長。
今崎 幸彦(いまさき ゆきひこ、1957年〈昭和32年〉11… 今崎 幸彦(いまさき ゆきひこ、1957年〈昭和32年〉11月10日 - )は、日本の裁判官。同国最高裁判所長官(第21代)。 司法研修所教官、最高裁判所事務総局刑事局長・図書館長、水戸地方裁判所長、最高裁判所事務総長等を経て、東京高等裁判所長官を歴任。最高裁判所判事。2024年8月16日に戸倉三郎の後任として最高裁判所長官に就任した。 以下のとおり、茨城県水戸市、京都府京都市とフィリピン以外の着任地域は、全て東京都千代田区(霞が関及び隼町)である。 兵庫県神戸市出身。兵庫県立神戸高等学校を経て、1981年京都大学法学部卒業。裁判官としては刑事畑が長く、「刑事裁判のスペシャリスト」との評価を得た。
始関 正光(しせき まさみつ、1957年10月25日 - )… 始関 正光(しせき まさみつ、1957年10月25日 - )は、日本の裁判官、法務官僚。法務省民事法制管理官、法務省大臣官房審議官、名古屋高等裁判所部総括判事等を経て、岐阜地方裁判所長。退官後、東京経済大学現代法学部教授。 千葉県出身。神戸市育ち。1980年関西大学法学部法律学科卒業。1984年大阪地方裁判所民事第11部判事補任官。1986年山形地方裁判所・山形家庭裁判所民事部・刑事部判事補。1989年東京地方裁判所民事第11部特例判事補。 1990年法務省民事局付検事。1999年法務省民事局参事官。2002年法務省大臣官房参事官(民事担当)。2003年法務省民事局民事法制管理官。2008年法務省大臣官房審議官(民事局担当)。
藤山 雅行(ふじやま まさゆき、1953年(昭和28年)4月… 藤山 雅行(ふじやま まさゆき、1953年(昭和28年)4月30日 - )は、日本の裁判官。兵庫県出身。 以前所属した東京地方裁判所行政訴訟専門部(民事3部)では、行政(国)側に対する厳しい判決を連発したため、杜甫の漢詩「国破れて山河在り」になぞらえ、所属する民事3部の名称をもじって「国敗れて3部あり」などといわれていた。 日本における行政訴訟は行政側に有利であることが多いという批判があったため、行政側に厳しい判決を多く出す珍しい裁判官として注目を集めていた。 そのため、一部の市民団体は、藤山裁判長に当たるまで、勝訴し易い民事3部に事件が配点されるまで訴えの提起と取下げを繰り返すという訴訟戦術をとっていた(倫理上はともかく、法律上は問題がない)。
門口 正人(もんぐち まさひと、1945年 - )は、日本の… 門口 正人(もんぐち まさひと、1945年 - )は、日本の元裁判官。兵庫県西宮市出身。甲陽学院高等学校(45回卒)を経て東京大学法学部第1類(私法コース)卒業。元名古屋高等裁判所長官。 現在は昭和女子大学理事。
北山 元章(きたやま もとあき、1944年9月26日 - )… 北山 元章(きたやま もとあき、1944年9月26日 - )は、日本の元裁判官。兵庫県出身。兵庫県立加古川東高等学校、京都大学卒業。福岡高等裁判所長官を最後に2007年に退官。主に民事裁判を担当した。 退官後は日本大学法科大学院の教授と弁護士を務めている。
多田 元(ただ はじめ、1944年 - )は、日本の弁護士、… 多田 元(ただ はじめ、1944年 - )は、日本の弁護士、元裁判官。少年事件や子どもの権利などを扱い、特定非営利活動法人子どもセンターパオ理事長、全国不登校新聞社代表理事、南山大学大学院法務研究科教授等を歴任。 兵庫県尼崎市生まれ。一橋大学法学部在学中に旧司法試験に合格。1967年に大学を卒業し、司法修習を経て、1969年裁判官に任官。家庭裁判所で少年事件を扱うなどし、1988年金沢地方裁判所判事を最後に退官。1989年に名古屋弁護士会(現愛知県弁護士会)弁護士登録。 少年事件の国選弁護人を務めるなど、少年事件や子どもの権利などを扱い、愛知県弁護士会子どもの権利特別委員会委員長、子どもの虐待防止ネットワーク・あいち理事、豊川市主婦殺人事件弁護団長、名古屋大学女子学生殺人事件主任弁護士などを歴任。
涌井 紀夫(わくい のりお、1942年2月11日 - 200… 涌井 紀夫(わくい のりお、1942年2月11日 - 2009年12月17日)は、日本の元裁判官。最高裁判所判事を務めた。 六甲高等学校、京都大学法学部卒業後は1964年(昭和39年)4月に第18期司法修習生、1966年(昭和41年)4月8日に東京地方裁判所判事補任官。判事補任官以降の経歴は以下の通り。 2009年(平成21年)8月30日に行われた最高裁裁判官国民審査において、罷免すべきという投票が有効投票の7.73パーセント、517万6090票となり審査対象9人の中で罷免票が最も多い判事となった。ただし、有効投票の半数以上でないと罷免されないため、結果として信任された。
甲斐中 辰夫(かいなか たつお、1940年1月2日 - )は… 甲斐中 辰夫(かいなか たつお、1940年1月2日 - )は、検察官出身の元最高裁判所判事(2002年10月7日 - 2010年1月1日)。元東京高等検察庁検事長、元次長検事。弁護士。兵庫県豊岡市出身。
大森 政輔(おおもり まさすけ、1937年(昭和12年)5月… 大森 政輔(おおもり まさすけ、1937年(昭和12年)5月11日 - )は、日本の裁判官。元内閣法制局長官。弁護士(八重洲法律事務所)。兵庫県出身。
山口 繁(やまぐち しげる、1932年〈昭和7年〉11月4日… 山口 繁(やまぐち しげる、1932年〈昭和7年〉11月4日 - 2024年〈令和6年〉11月27日)は、日本の裁判官。位階は従二位、勲等は桐花大綬章。 司法研修所所長、福岡高等裁判所長官、最高裁判所判事を歴任。裁判官事務総局勤務時代には懸案となっていた簡易裁判所の統廃合に尽力して100ヶ所以上減らした。 1997年10月に最高裁判所長官(第14代)に就任。長官在任中に、1998年の寺西判事補事件では1998年12月1日に長官として裁判長を務めた最高裁大法廷の分限裁判で10対5で戒告処分を、また2001年に発覚した福岡高裁判事妻ストーカー事件では容疑者の夫である福岡高裁判事に2001年3月30日に長官として裁判長を務めた最高裁大法廷の分限裁判で12対3で戒告処分をそれぞれ決定した。
河合 伸一(かわい しんいち、1932年6月11日 - )は… 河合 伸一(かわい しんいち、1932年6月11日 - )は、日本の弁護士・元最高裁判所判事。京都大学卒業。 旧制第三神戸中学校(在学中に新制兵庫県立長田高等学校へと移行)を卒業。京都大学法学部では商法学者の大隅健一郎に師事し、在学中に司法試験に合格。 1955年京大卒業。いったん裁判官になったが家庭の事情で弁護士に転身。大阪弁護士会副会長などを歴任し、関西では経済通として知られた弁護士だった。阪神タイガースのランディ・バースの契約問題やイトマン事件にも関わった。弁護士業務のポリシーとして「依頼者と共に苦しんだり悩んだりして、司法の分野では社会と一番密着できる。記録の中から、当事者の姿が見える仕事ができれば」と語った。
元原 利文(もとはら としふみ、1931年4月22日 - 2… 元原 利文(もとはら としふみ、1931年4月22日 - 2018年9月21日)は、最高裁判所判事。弁護士。 兵庫県高砂市出身。京都大学法学部卒業。1955年(昭和30年)に弁護士登録。神戸弁護士会に所属し、兵庫県地方労働委員会委員長などを経験した。1995年(平成7年)の阪神・淡路大震災では事務所が被害を受けた。震災による土地建物に関する多発を見越して、神戸地裁に調停委員の増員や調停室の補充などを進言した。 1997年 (平成9年)9月8日に最高裁判所判事に就任。弁護士枠の最高裁判所判事として日弁連は当初は別の人が就任予定だったが、その人物は文部省の教科書検定の違憲性を争う教科書訴訟で原告代理人を務めるなど革新色が強い候補だったため、最高裁が任命権限を持つ内閣の了解が得られないとして他の候補を探した結果、元原となった経緯がある。
賀集 唱(かしゅう しょう、1924年(大正13年)10月3… 賀集 唱(かしゅう しょう、1924年(大正13年)10月31日 - 2008年(平成20年)7月26日)は、日本の裁判官。元東京高等裁判所判事部総括。兵庫県神戸市出身。 福井地家裁所長や和歌山地家裁所長を歴任、東京高等裁判所判事部総括で退官。退官後は弁護士登録し、帝京大学法学部教授を務める一方、多方面の役職を歴任した。 民事裁判手続・司法制度分野の権威でもあった。 永年にわたる功労により1994年(平成6年)には勲二等瑞宝章を受章。死後、従三位に叙された。 1944年海軍経理学校卒業、1945年海軍主計中尉、1947年京都帝国大学法学部入学、1949年12月 司法試験第二次試験合格、1950年京都大学法学部卒業、司法修習生、1952年司法修習終了、名古屋地方裁判所・名古屋家庭裁判所判事補、1954年東京家庭裁判所判事補・最高裁判所事務総局民事局付、最高裁判所事務総局総務局付、1957年旭川地方裁判所・旭川家庭裁判所判事補、1958年札幌地方裁判所・札幌家庭裁判所判事補、1960年東京地方裁判所・東京家庭裁判所判事補、1962年東京地方裁判所・東京家庭裁判所判事、1963年司法研修所教官兼、1968年大阪高等裁判所判事、1971年東京地方裁判所判事、1972年同部総括、1973年東京高等検察庁検事・法務大臣官房参事官、1975年法務大臣官房司法法制調査部長兼、1978年東京高等裁判所判事、1980年福井地方裁判所・福井家庭裁判所長。
伊藤 正己(いとう まさみ、1919年9月21日 - 201… 伊藤 正己(いとう まさみ、1919年9月21日 - 2010年12月27日)は、日本の法学者(英米法・憲法)、裁判官。位階は正三位。勲等は勲一等。学位は法学博士(東京大学・1960年)。東京大学名誉教授、文化功労者。名の表記は「正己」であり、「正已」や「正巳」は誤り。専門書でも誤記されることがある。司法省調査課嘱託、専修大学法学部非常勤講師、法務庁調査意見局調査員、東京大学法学部教授、東京大学法学部学部長、最高裁判所判事、日本育英会会長、財団法人国際科学技術財団会長などを歴任した。末延三次門下。弟子に、樋口範雄など。 兵庫県出身の法学者である。専門は英米法、憲法で、とりわけ表現の自由とプライバシーの関係性を研究した。
木下 忠良(きのした ただよし、1916年〈大正5年〉1月1… 木下 忠良(きのした ただよし、1916年〈大正5年〉1月15日 - 1991年〈平成3年〉8月17日)は、日本の裁判官。最高裁判所判事。兵庫県姫路市出身。 1934年(昭和9年)旧制姫路高等学校文科乙類卒業[要出典]。1937年(昭和12年)東京帝国大学法科を卒業。同年に司法官試補。裁判官生活は浦和、福岡、水戸、東京、大阪と各地に及び、大阪高裁判事、旭川地・家裁所長を経て、1970年(昭和45年)に大阪地裁所長に就任。その後、1975年(昭和50年)10月に仙台高裁長官、1977年(昭和52年)9月に大阪高裁長官に就任。 1979年(昭和54年)3月1日に最高裁判所判事に就任。裁判官出身の最高裁判事としては珍しく最高裁事務総局勤務が無かった。
三田 昇馬(みた こうま、1836年4月30日(天保7年3月… 三田 昇馬(みた こうま、1836年4月30日(天保7年3月15日)- 1901年(明治34年)5月20日)は、幕末から明治期の徳島藩家老稲田家重臣、裁判官、政治家。貴族院勅選議員。初名・直方、号・高陽間人。 淡路国津名郡洲本城下洲本紺屋町(現兵庫県洲本市)で、稲田家家臣・三田省輔の三男として生まれる。稲田家学問所・益習館で学んだ。内藤弥兵衛、立木兼善らと天誅組運動に加わり徳島藩から禁固処分を受けたが、朝廷の命により釈放された。明治元年2月(1868年)軍監役、糺問局頭取として有栖川宮 東征大総督の護衛として東征に従軍した。 明治2年6月17日(1869年7月25日)の版籍奉還で稲田家旧家臣が士族に編入されなかったため、七条弥三右衛門、内藤弥兵衛らと徳島藩からの分藩運動を起こした。