松崎 賢人(まつざき けんと、1988年〈昭和63年〉5月1… 松崎 賢人(まつざき けんと、1988年〈昭和63年〉5月17日 - )は、日本の元プロバスケットボール選手、解説者。兵庫県相生市出身。現役時代のポジションはポイントガード。2011年に兵庫ストークスの初年度メンバーとしてプロ入りし、JBL2でMVPを獲得するなど、長くストークスで活躍した。2024年に現役引退。現在は神戸ストークスU18ヘッドコーチ。JBA公認B級コーチライセンス保有。 相生市立那波小学校の2年生ごろからバスケットボールを始める。その時からポジションはガード一筋である。相生市立双葉中学校、育英高等学校を経て拓殖大学に入学。卒業後、合同トライアウトを受けるも不合格となったが、2011年に故郷の兵庫県に誕生した兵庫ストークスに誘われて入団した。
河口 正史(かわぐち まさふみ、1973年2月19日 - )… 河口 正史(かわぐち まさふみ、1973年2月19日 - )は、兵庫県川西市出身のアメリカンフットボールの元選手、コーチ、および解説者。愛称は「マーサ」。「フィードバックディスク」スーパーバイザー。 アメリカ合衆国ニュージャージー州の小学校に通っていたときにアメリカンフットボールに出会う。帰国して、中学時代は履正社学園豊中中学校で野球部に所属していたが、練習ボイコットや集団退部などを企て、廃部に追い込んだという。早稲田大学本庄高等学院に進学し、ラグビーをはじめるが成績不良のために放校処分となった。その後、アメリカからの帰国子女だった友人の影響で再び渡米、カリフォルニア州の高校、サン・クレメンテ・ハイスクール (San Clemente High School) に進学し、3年生から本格的にアメリカンフットボールに取り組む。
井上 毅(いのうえ たけし、1969年 - )は、日本の学芸… 井上 毅(いのうえ たけし、1969年 - )は、日本の学芸員、プラネタリウム解説者。明石市立天文科学館館長、山口大学時間学研究所客員教授。 兵庫県姫路市出身。兵庫県立姫路西高校から名古屋大学理学部を経て、名古屋大学大学院理学研究科大気水圏科学専攻修了、理学修士。1995年から1997年まで、愛知県旭町(現豊田市)の旭高原元気村天文台に在職。1997年、明石市立天文科学館学芸員。2005年、軌道星隊シゴセンジャーの登場とともにブラック星博士関連業務を開始。2012年、同館学芸係長。2017年から館長を務める。 明石市立天文科学館の人気キャラクター・ブラック星博士のマネージャーを務める。 日本プラネタリウム協議会「プラネタリウム100周年」記念事業実行委員会の実行委員長を務める。
小高 正宏(こたか まさひろ、1960年2月18日 - )は… 小高 正宏(こたか まさひろ、1960年2月18日 - )は、兵庫県津名郡淡路町岩屋(現淡路市岩屋)出身の元重量挙げ選手で現在は解説者兼兵庫県ウエイトリフティング協会理事長。1984年ロサンゼルスオリンピック重量挙げ男子56kg級銅メダリスト。日本体育大学卒業 現兵庫県高校教員。
濱田 篤則(はまだ あつのり、1960年 - )は元アメリカ… 濱田 篤則(はまだ あつのり、1960年 - )は元アメリカンフットボール選手、現審判・解説者。 関西学院高等部時代はクォーターバック(QB)、関西学院大学ファイターズではランニングバック(RB)で活躍する。息子の濱田大地も、関西学院高等部のアメフト部に所属している。(ポジションはLB) 関西学院大学在学中、甲子園ボウルには、京都大学ギャングスターズにリーグ初制覇を許した1982年のシーズン以外の3回出場。1983年に関西学院大学を卒業し、関学OBを中心に結成されたNACL(関西社会人リーグ(Xリーグ・ウェストディビジョンの前身)所属) 現役引退後は関西アメリカンフットボール協会審判部に所属。現在は日本アメリカンフットボール審判協会副理事長も務める。
藤城 和明(ふじしろ かずあき、1956年4月5日 - )は… 藤城 和明(ふじしろ かずあき、1956年4月5日 - )は、兵庫県姫路市出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ、解説者。元歌手・タレント。 琴丘高校卒業後の1975年に新日鐵広畑へ入社し、2年目の1976年には都市対抗に出場。1回戦では大昭和製紙北海道を相手にリリーフで好投、延長13回の接戦を制し初勝利を記録する。2回戦では日本鉱業佐賀関を相手に先発し、藤沢公也・萩野友康の継投の前に惜敗したが、この試合で5連続三振を奪うなど各球団の注目を集める。 同年のドラフト1位で読売ジャイアンツに入団。 1977年には新人ながら開幕5試合目に先発で登板。独特の二段モーションから繰り出す緩いカーブを武器に大いに期待されたが、伸び悩んだ。
江夏 豊(えなつ ゆたか、1948年5月15日 - )は、兵… 江夏 豊(えなつ ゆたか、1948年5月15日 - )は、兵庫県尼崎市出身(奈良県吉野郡生まれ)の元プロ野球選手(投手)、解説者・評論家・タレント。 2025年現在でも日本記録であるシーズン401奪三振を達成したほか、NPB最多タイ記録となる最優秀救援投手(現在の最多セーブ投手)を6回獲得している。プレーそのものについても「オールスター9連続奪三振」「江夏の21球」など多くのエピソードを持つ。 1948年5月15日、奈良県吉野郡にて生まれる。鹿児島県出身の母は大阪にいた頃大阪大空襲に遭い疎開先の奈良県吉野郡で江夏の父親となる男性と出会い、豊が生まれた。江夏の母親にとって豊は三男に当たり、14歳年上の長男、7歳年上の次男、と3人とも父親が全員異なるという複雑な家庭環境であり、江夏姓も母方の姓だった。
ジョー 小泉(ジョー こいずみ、本名:小山 義弘(こやま よ… ジョー 小泉(ジョー こいずみ、本名:小山 義弘(こやま よしひろ)、1947年3月31日 - )は、日本のボクシング評論家、ボクシングのマッチメーカー兼トレーナー、ボクシング番組解説者、ボクシング誌記者。兵庫県神戸市出身。国際ボクシング名誉の殿堂博物館、世界ボクシング殿堂入り。 ペンネームの由来は、小泉信三元慶大塾長の著書に感動したことと、フランツ・カフカの小説の主人公の名前から。 神戸市兵庫区西出町に生まれる。先祖は広島藩の御納戸役であったという。祖父も父もエンジニアで父は戦前、皇太子の近衛兵として東京に召集されたが、広島への原爆投下により実家が壊滅。広島に居た親族のほとんどが亡くなり、姉のいた神戸で途中下車しそのまま住みついた。
水沼 四郎(みずぬま しろう、1947年2月27日 - )は… 水沼 四郎(みずぬま しろう、1947年2月27日 - )は、兵庫県西宮市出身の元プロ野球選手(捕手)・コーチ、解説者。
鎌田 実(かまた みのる、1939年3月8日 - 2019年… 鎌田 実(かまた みのる、1939年3月8日 - 2019年8月1日)は、兵庫県三原郡広田村(現:南あわじ市)出身のプロ野球選手(内野手)・コーチ、解説者・評論家。 男四人兄弟の末っ子として生まれ、生まれて10日目に父が亡くなった。父は近隣地区の情報を特化する新聞を発行して生計を立てていたが、大黒柱が倒れ、家族は窮地に追い込まれる。長男もまだ働く年齢ではなく、母が新聞発行を引き継げるわけもなく、乳呑み児を抱いて淡路島内の実家に引っ越し、呉服を売り歩く商売を始めた。買ってくれるのは親戚だけで、母は自分の着物を質屋に入れ、実父の助けも借りて生きた。淡路島は空襲も少なく、周りは海で温暖な気候であったため、魚や野菜など食べ物に困ることはなかった。
本屋敷 錦吾(もとやしき きんご、1935年10月31日 -… 本屋敷 錦吾(もとやしき きんご、1935年10月31日 - )は、兵庫県神戸市東灘区出身の元プロ野球選手(内野手)・コーチ、解説者。現在は芦屋市在住。 芦屋高校では在学中に甲子園に3回、国体に3回出場。1年時はベンチ外だったが、チームが出場した1951年夏の選手権では、1年先輩のエース植村義信を擁し準々決勝に進出するも、中西太のいた高松一高に敗退。秋の広島国体では決勝に進むが、広島観音高に敗退。2年上のチームメートに杉谷和男中堅手(のち大映)がいる。二塁手として出場した翌1952年春の選抜では、2回戦で平安高に敗れる。同年夏の選手権は順調に勝ち進み、決勝でエース木村保を擁する八尾高を降し初優勝を飾る。
植村 義信(うえむら よしのぶ、1935年1月5日 - 20… 植村 義信(うえむら よしのぶ、1935年1月5日 - 2023年5月30日)は、兵庫県芦屋市出身のプロ野球選手(投手)・コーチ・監督、解説者。 息子はフジテレビプロデューサーの植村義勝。 当時スポーツの花形であった野球をするのは男子のステータスの一つであり、植村もその波に乗っかった。ボール一つに不自由した時代でもあり、芦屋高校で野球部に入ると「白球を触るだけでうれしかった」という。ボール拾いの際に1球こっそり持ち帰り、裸電球の下、自宅そばの土壁に当てて投球練習をした。この積み重ねが豪速球とドロップを生み出し、その後の人生も変えていった。 杉谷和男(大映)の1学年下、本屋敷錦吾(阪急・阪神)の1学年上で、2年次の1951年夏から3回連続で甲子園に出場。
小山 正明(こやま まさあき、1934年7月28日 - 20… 小山 正明(こやま まさあき、1934年7月28日 - 2025年4月18日)は、兵庫県明石市出身のプロ野球選手(投手)・コーチ、解説者・評論家。 優れた制球力から「投げる精密機械」と称えられ、金田正一、米田哲也に次ぐ日本プロ野球歴代3位の320勝、同5位の290完投を記録した。通算無四球試合も鈴木啓示に次ぐ歴代2位。2001年に野球殿堂入り。 小山が通った高砂高校はもともと女学校で、小山の入学する1年前の1949年に男女共学となって野球部が設立されたばかりであり、野球では全く無名であった。小山は高校3年秋に進学を勧める父親を説得し、その父親のつてで大阪タイガースの入団テストを受ける。なお、小山の父が息子の入団テストを依頼する手紙を監督の松木謙治郎宛に書いたが、それが大変な達筆であったと松木は数十年後に回顧しており、小山本人からはたいした印象を受けなかったとされる。
有本 義明(ありもと よしあき、1931年6月1日 - )は… 有本 義明(ありもと よしあき、1931年6月1日 - )は、兵庫県芦屋市出身のスポーツライター・解説者、野球監督。 現在はスポーツニッポン特別編集委員。 父・臣次は育英商から関西大を出て野球に親しみ、西宮市出身で甲陽中にも在籍した天知俊一と一緒の写真もあった。有本が幼い頃にキャッチボールすると「ちゃんと捕れるじゃないか」と喜んでくれた。 1945年8月15日の終戦後、9月に新学期を迎えると、当時芦屋中2年生の有本は剣道部に入部。小学生時代から壁当てや天井投げをして野球に親しんでいたが、野球部はなかった。芦屋中進学は甲南中受験に失敗したからであり、この時も西脇の疎開先で転校手続きに入っていた。そんな折、10月に校内軟式野球大会が芦屋・打出浜の海技専門学校であった。
高島 忠夫(たかしま ただお|1930年〈昭和5年〉7月27… 高島 忠夫(たかしま ただお|1930年〈昭和5年〉7月27日 - 2019年〈令和元年〉6月26日)は、日本の俳優、歌手、タレント、司会者、映画解説者。東宝芸能最終所属。 兵庫県神戸市東灘区御影出身。本名は髙嶋 忠夫(読み同じ)。血液型はO型。 4人姉妹弟の長男。妻は女優でタレントの寿美花代。息子は俳優の髙嶋政宏と髙嶋政伸。弟は音楽プロデューサーの髙嶋弘之。姪はバイオリン奏者でタレントの高嶋ちさ子。 兵庫県武庫郡御影町(現在の神戸市東灘区御影)で、姉妹弟のいる4人姉弟の長男として出生。祖父は大地主で不動産収入があり、そのため父は琵琶師匠を自称していたが弟子もおらず、生涯定職につくことのない有閑階級の家庭であった。
青田 昇(あおた のぼる、1924年11月22日 - 199… 青田 昇(あおた のぼる、1924年11月22日 - 1997年11月4日)は、兵庫県三木市出身の元プロ野球選手(外野手)・コーチ・監督、解説者・評論家。愛称は「ジャジャ馬」。2009年、野球殿堂入り。
別所 毅彦(べっしょ たけひこ、1922年10月1日 - 1… 別所 毅彦(べっしょ たけひこ、1922年10月1日 - 1999年6月24日)は、兵庫県神戸市出身のプロ野球選手(投手)・コーチ・監督、解説者・評論家。
別当 薫(べっとう かおる、1920年8月23日 - 199… 別当 薫(べっとう かおる、1920年8月23日 - 1999年4月16日)は、兵庫県西宮市出身のプロ野球選手(外野手)・コーチ・監督、解説者。
淀川 長治(よどがわ ながはる、1909年〈明治42年〉4月… 淀川 長治(よどがわ ながはる、1909年〈明治42年〉4月10日 - 1998年〈平成10年〉11月11日)は、日本の雑誌編集者、映画解説者、映画評論家。 約32年に渡って務めた『日曜洋画劇場』の解説の締め括りに「サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ…」と強調して言う独特の語り口から全国的に有名になり、「ヨドチョーさん」「ヨドさん」「サヨナラおじさん」等と呼ばれる程に多くの視聴者に親しまれてきた。 兵庫県神戸市(兵庫区)西柳原町にて芸者置屋の跡取り息子として父・又七、母・りゅうのもとに生まれる。実母は、父の本妻の姪にあたった。長く病身で、自分に子ができないことを悔いた本妻が、妾として姪を夫に推薦したのだった。
天知 俊一(あまち しゅんいち、1903年12月30日 - … 天知 俊一(あまち しゅんいち、1903年12月30日 - 1976年3月12日)は、兵庫県西宮市出身の元野球選手(捕手)・コーチ・監督、解説者・評論家。 旧制甲陽中学校2年時に攻玉社中学校へ転校した後、明治大学予科へ進学するが、当時の中学校3年修了では資格が無いとして下野中学校へ再入学させられる。下野中で中学校4年修了となり、晴れて明治大学予科進学の資格を得られ、再度進学する。天知の学生生活は波乱に富んだものであったが、明大時代は捕手で、後に毎日オリオンズで監督を務める湯浅禎夫とバッテリーを組んだ。また、大学野球の審判を充実させる必要性を感じていた一学年先輩の二出川延明から野球のルールについての難問が毎朝10問、「宿題」として天知に出され、練習開始時間までに全問解く訓練を受けた。